5時に叩き起こされ、食事をした後、風呂に入って身だしなみを整える。
俺と兄貴は、俺らなりの精一杯のお洒落をして、現地へと向かった。
俺の髪はいつにもましてツンツンだし、気合いの入った竜の刺繍をされたジャンパーを着ていた。
翻って兄貴の髪は普段の三割増しでサラサラだし、うっすら化粧もしてるんじゃないか? 肌が白くて、リップクリームも塗っているのを見た。服のセンスもお洒落なのは良いんだが、なんだかボーイッシュな女の子ですと言っても通じそうだ。
人の視線を集めつつも俺達が行った先は、秋葉原にある大きなビルだった。
ビルには、夢追研究所と書かれていた。研究所か、新しいゲームだからなんだろうか? それとも、やっぱり変な実験をされるんじゃないだろうな。どうもCMのうさんくさい男が頭に浮かんでしまう。なんだかマッド・サイエンティストって感じだった。
大きなドアの入り口らしき所に向かう。
らしきというのは、頑丈な鉄製の扉でぱっと見入り口とわからなかったからだ。監視カメラも堂々と置いてあるし、こんなごつい扉、お目にかかった事はなかった。一応、自動ドアっぽい。
「どうしました? 行きますよ」
兄貴の言葉に、俺は頷き、大股で進んだ。怖いと思っていると悟られたくはなかった。兄貴がインターホンで二、三話すと、自動ドアがしゅっと開いた。中には小さなゲートが五つほど並んでいて、受付のお姉さんがニコニコと笑っていた。綺麗なお姉さんの朗らかな微笑みに救われる。ちゃんとした所、なんだよな?
「勉様と力様ですね。身分証をお願い致します。……確認致しました。こちらが勉様の認証カード、こちらが力様の認証カードになります」
「これが貴方のカードですから、無くさないようにしてください」
首にかける青い紐のついたカードを渡して兄貴が言う。俺が受け取ると、兄貴はすっとゲートに進んで、カードを機械の中に滑らせた。ピッという音と共に、がしゃんとゲートが開いて、兄貴が進む。兄貴が通ると、またがしゃんという音と共にゲートが閉まった。
ゲート以外は透明なガラスで仕切りがあり、出入が出来ないようになっていた。
格好良さよりも、むしろ厳重さに疑問が立った。俺は兄貴を追いかけるべく、同じようにカードを機械の中に滑らせる。ゲートを通ると、もう戻れないような気がして、俺は一度だけ出口を振り返った。当然ながら、自動ドアはとっくに閉まっている。
鉄製の自動ドアに遮られて、見えない外が不安をあおった。
「どうしました?」
兄貴が、一度振り返って不思議そうに告げる。まるで、なんでもないみたいに。
「なんでもない」
不安を悟られたくなかった俺は、早足で兄貴を追いかけて、案内表示に従って奥のエレベーターへと飛び乗った。エレベーターの中にも、カード認証の装置があった。
どうやら、目的の回にはカードをタッチさせないと行けないらしい。
エレベーターを降りた先でも、ゲートがあった。ゲートの先に、これも頑丈そうな両開きのドア。そのドアの右上には、カメラが備え付けてあった。
俺達がゲートを通ると、カメラが俺達の方を向く。
「お待ちしておりました、小坂井様」
そう合成的な音声が響き、ドアが開く。そこにはいくつも扉がある他は教室のような部屋があって、椅子と机が並んでいた。あるいは屈強な、あるいは頭の良さそうな一癖も二癖もありそうな奴らが席に座っていた。女の子はいなかった。そこが少し残念だった。全員、俺達と同じ高校生みたいだった。
部屋の奥には、扉がいくつも並んでいて、まるでホテルの廊下のようだ。
その前、教卓のような机の前にCMに出ていた胡散臭そうな白衣の男がいて、席を指し示す。
「小坂井君。君達の席はこちらです。右が力君、左が勉君になります」
俺はそれに頷き、席へと座った。何か、授業を受ける気分だ。勉強は嫌いなのだが。
机の上には、契約書が二枚と魔法陣の描かれた分厚いノート、羽ペン、インク、そしてごく普通のノート、鉛筆と消しゴム、ボールペンが乗っていた。
それから三十分ほど待つと全員が集合し、白衣の男は頷いた。その間、なんと雑談は0。
これから遊ぶとは思えないほど皆ピリピリしていて、何か話を出来る雰囲気ではなかった。
「私は霧島 透といいます。このゲームの開発者です。諸君にはまず、契約書にサインをしてもらいます。内容はシンプルです。このゲームの内容を理解し、何が起ころうと自身の責任として夢追研究所を訴訟しません。この契約書にサインをしてもらわない限り、このゲームで遊んでもらう事は出来ません」
それに、俺は手をあげて、一番気になっていた事を聞いた。
「危険とかあるのか?」
「このゲームは非常にリアルです。強すぎる痛みにショック死する可能性もゼロではありません。最も、そんな事が起きないよう、若く強い君達を選んだつもりですが」
霧島の説明に、俺は不安を覚えた。ショック死? ショック死って言ったか?
「なんだよ、お前、怖いのか?」
「怖くなんかねぇよ!」
俺と同じく不良っぽい奴に揶揄されて、俺は咄嗟に反論した。
「いいぜ、サインしてやるよ」
俺は乱暴にサインをした。
霧島が先を続ける。
「君達には、この研究所に一か月泊まり込んでもらいます。必要な物はこちらが用意するし、テレビも電話もパソコンも完備してあります」
皆が頷く。俺は驚愕の眼差しで兄貴を見た。兄貴は、俺の眼差しに気付き、首を傾げてからあっと声をあげた。
「言ってませんでしたか。夏休み中ずっとゲームをするという事で、母さん達の許可は既に取ってあります」
ふざけんな、俺が叫ぼうとする前に、するりと霧島の言葉が耳に入った。
「報酬は一人、二十万になります」
「二十万……!」
「すみませんでした、力。代わりに僕の報酬、半分上げます」
「三十万……!」
俺はすとんと席に座る。それを先に言ってくれ。三十万かぁ。それがあれば、何が出来るだろう。
「何か起こった時の為に、保険への加入の書類も用意しておきました。費用は我が社が出します」
霧島が、もう一枚の契約書をひらひらさせる。
「これはどこにサインすればいいんだ?」
「ここと、ここに名前を……そうそう」
兄貴が一つ一つ丁寧に教えてくれて、俺は無事保険の手続きを終える。
全員が二つの契約書にサインをした事を見届けると、霧島は魔法陣の表紙の書かれた本を手に取った。
「まず、これを見て下さい。これは魔……科学の結晶で、非常に高価なコントローラーの一種です。シークレットノートと言います」
「コントローラー? これが?」
俺は本をひっくり返した。分厚い表紙だが、特に変わった様子はない。
「これはゲームに持ちこめる、唯一のアイテムと言えます。ただし、特殊な羽ペンとマイクロチップを仕込んだインクで書いた物しかゲーム内では表示されません。また、ページには限りがあります。一人一冊しか配られませんから、ID認証カードと同じく厳重に取り扱って下さい。もう一つのノートを普段のメモ代わりに使って、覚えきれなかった本当に重要な事をこのノートに書くといいでしょう。シークレットノートは脳内にのみ表示され、自分とプレイヤーしか見る事が出来ませんし、ゲーム中は後で説明するメモページにしか書き込めません。これはかなり重要です!」
「つまり?」
「力、貴方はノートに何も書かないで厳重に保管しておいてください」
普通のノートに言われた事をメモしながら勉が答える。
「わかった」
俺は頷き、シークレットノートを開いた。
「では、シークレットノートを開いて下さい」
遅れて、霧島の指示。
最初のページは、目次だった。
チャット機能 一から二ページ。
メモ機能 三から四ページ。
シークレット機能 五ページから千ページ。
「最初の四ページまでは書きこまないでください。これはチャットやメモを表示する場所となります。チャットもメモも、ログが流れたり、ログアウトする度に消えてしまいますのでご注意を。左上がチーム用チャット、左下が個別メッセージ用、右が全体チャット用となります。ただし、チャットやメモは相互にコピーアンドペーストする事が可能です。また、そのIDの持ち主がID番号、ハイフン、ページ数とする事でページをチャットに出す事が可能です。最後のシークレット機能ページが先ほど申し上げた、インクで書きこめるページとなります」
俺は早くも寝そうになり、机に寝そべった。
「そこの君。聞かないと、後悔しますよ。……死ぬほどね」
その言葉にぞくりと背筋を泡立たせ、俺は思わず顔をあげた。
霧島は満足げに頷き、続きを言う。
「必要な知識はホムンクルスにダウンロードしています。当社は、リアリティを追求しております。もし、あの世界にない言葉……すなわち、日本語やこの世界の事を喋ったり書いたりすれば、異端審問にかけられるでしょう。また、あまりに不適切な行為……あの世界を荒らす、魔王に組す行為をすれば、BANされます。同キャラの復活はありません。仮にキャラを死なせてしまった場合、このゲームはそれまでです、ただし、一人につき五体までのホムンクルスを所有できます。それを全部死なせてしまったらテストプレイは終了です。それと、このゲームは好きな時にログアウト出来ません。ログアウトは必ずホムンクルスカプセルの中になります。では、部屋の説明に移ります」
霧島が手招きをする。俺達は席を立って、霧島が開ける部屋を覗いた。
部屋の中には大きな魔法陣とその上のカプセル、本棚、机、テレビ、ゲーム、ヘッドホン、パソコンが備え付けられていた。トイレとシャワーのスペースもある。
「カプセルはベッドと兼用です。ゲームとして起動したい場合はシークレットノートをここにセットしてスイッチをどうぞ。パソコンはネットに繋がっています。ただし、内容はこちらで監視させて頂きます。それ以外はご自由に。ゲームの内容は外に漏らさないで下さい」
その言葉に、何人かの表情が緩んだ。ネットが出来るのが嬉しいらしい。
「どうやら、このまま閉じ込められて何かされるわけじゃなさそうだな」
そんなつぶやきが聞こえる。なんだよ、俺以外にも怖い奴がいたんだ。俺はその事に安心した。
「ログインは、毎日全員同時に行います。巫女アリスからのお言葉がありますから、全員ID番号の部屋のカプセルで寝て下さい。それでは、どうぞお楽しみください」
俺のIDは五番だった。兄貴は六番。俺は、五番のカプセルの中に入り、ドキドキとしながらスイッチを押した。途端、カプセルのふたが閉まり、俺は意識を失った。
「勇者様、勇者様」
呼びかけられて、俺は目を覚ます。
「勇者様」
目覚めると、ふわりと慈愛溢れる微笑みを浮かべた巫女アリスがいた。俺は思わず顔を赤らめる。巫女アリスの美貌も色香も凄まじく、タイプではないのだがそれでも顔が近づくと照れてしまう。
俺達は全員真っ白な空間に立っていて、その中心に巫女アリスがいた。
「力、起きるのが遅かったですね。もう皆起きてますよ」
勉が言う。言いながらも、その視線は巫女アリスに集中していた。巫女アリスが、微笑んで言った。
「こんなにも多くの勇者が集ってくれた事、心より感謝を捧げます。貴方方には、私の住む世界、エリアーデに現れし魔王を倒してほしいのです。今から、貴方方の強靭な魂をホムンクルスに移動させます。しかし、これは決して行ってはならない禁忌の研究。決して外では漏らさないでください。ホムンクルスには、それぞれテレポート機能が付いています。それを使えば、研究所とそれまでにいた場所の往復が可能です。ただし、最初はランダムになります。チームを組みたい方は、事前に申し出て下さい。それでは、ホムンクルスを作る最後の仕上げをします。皆さん、体についたら祈り、想像して下さい。ホムンクルスが、成長する様を。混ぜた血の範囲で、ホムンクルスは如何様にも成長するはずですから。混ぜた血については事前にホムンクルスの頭に入っているので、「思い出して」下さい。それでは、ご武運を……」
女神が言い終わると同時に、俺達は落下し始める。
「待って下さい、巫女アリス! 愛しているんです!」
「貴方が魔王を倒せたのなら、私は貴方に嫁ぎましょう」
巫女アリスの慈愛溢れる微笑み。兄貴は思い切りガッツポーズをした。
そして、俺は、気がつけば鏡の前の不気味なカプセルの中で丸まっていた。
「ごぼごぼごぼ!」
俺は暴れる。鏡には、もがく赤ん坊が映っていた。