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No.20952の一覧
[0] Muv-Luv 帝国戦記 第2部[samurai](2016/10/22 23:47)
[1] 序章 1話[samurai](2010/08/08 00:17)
[2] 序章 2話[samurai](2010/08/15 18:30)
[3] 前兆 1話[samurai](2010/08/18 23:14)
[4] 前兆 2話[samurai](2010/08/28 22:29)
[5] 前兆 3話[samurai](2010/09/04 01:00)
[6] 前兆 4話[samurai](2010/09/05 00:47)
[7] 本土防衛戦 西部戦線 1話[samurai](2010/09/19 01:46)
[8] 本土防衛戦 西部戦線 2話[samurai](2010/09/27 01:16)
[9] 本土防衛戦 西部戦線 3話[samurai](2010/10/04 00:25)
[10] 本土防衛戦 西部戦線 4話[samurai](2010/10/17 00:24)
[11] 本土防衛戦 西部戦線 5話[samurai](2010/10/24 00:34)
[12] 本土防衛戦 西部戦線 6話[samurai](2010/10/30 22:26)
[13] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 1話[samurai](2010/11/08 23:24)
[14] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 2話[samurai](2010/11/14 22:52)
[15] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 3話[samurai](2010/11/30 01:29)
[16] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 4話[samurai](2010/11/30 01:29)
[17] 本土防衛戦 京都防衛戦 1話[samurai](2010/12/05 23:51)
[18] 本土防衛戦 京都防衛戦 2話[samurai](2010/12/12 23:01)
[19] 本土防衛戦 京都防衛戦 3話[samurai](2010/12/25 01:07)
[20] 本土防衛戦 京都防衛戦 4話[samurai](2010/12/31 20:42)
[21] 本土防衛戦 京都防衛戦 5話[samurai](2011/01/05 22:42)
[22] 本土防衛戦 京都防衛戦 6話[samurai](2011/01/15 17:06)
[23] 本土防衛戦 京都防衛戦 7話[samurai](2011/01/24 23:10)
[24] 本土防衛戦 京都防衛戦 8話[samurai](2011/02/06 15:37)
[25] 本土防衛戦 京都防衛戦 9話 ~幕間~[samurai](2011/02/14 00:56)
[26] 本土防衛戦 京都防衛戦 10話[samurai](2011/02/20 23:38)
[27] 本土防衛戦 京都防衛戦 11話[samurai](2011/03/08 07:56)
[28] 本土防衛戦 京都防衛戦 12話[samurai](2011/03/22 22:45)
[29] 本土防衛戦 京都防衛戦 最終話[samurai](2011/03/30 00:48)
[30] 晦冥[samurai](2011/04/04 20:12)
[31] それぞれの冬 ~直衛と祥子~[samurai](2011/04/18 21:49)
[32] それぞれの冬 ~愛姫と圭介~[samurai](2011/04/24 23:16)
[33] それぞれの冬 ~緋色の時~[samurai](2011/05/16 22:43)
[34] 明星作戦前夜 黎明 1話[samurai](2011/06/02 22:42)
[35] 明星作戦前夜 黎明 2話[samurai](2011/06/09 00:41)
[36] 明星作戦前夜 黎明 3話[samurai](2011/06/26 18:08)
[37] 明星作戦前夜 黎明 4話[samurai](2011/07/03 20:50)
[38] 明星作戦前夜 黎明 5話[samurai](2011/07/10 20:56)
[39] 明星作戦前哨戦 1話[samurai](2011/07/18 21:49)
[40] 明星作戦前哨戦 2話[samurai](2011/07/27 06:53)
[41] 明星作戦 1話[samurai](2011/07/31 23:06)
[42] 明星作戦 2話[samurai](2011/08/12 00:18)
[43] 明星作戦 3話[samurai](2011/08/21 20:47)
[44] 明星作戦 4話[samurai](2011/09/04 20:43)
[45] 明星作戦 5話[samurai](2011/09/15 00:43)
[46] 明星作戦 6話[samurai](2011/09/19 23:52)
[47] 明星作戦 7話[samurai](2011/10/10 02:06)
[48] 明星作戦 8話[samurai](2011/10/16 11:02)
[49] 明星作戦 最終話[samurai](2011/10/24 22:40)
[50] 北嶺編 1話[samurai](2011/10/30 20:27)
[51] 北嶺編 2話[samurai](2011/11/06 12:18)
[52] 北嶺編 3話[samurai](2011/11/13 22:17)
[53] 北嶺編 4話[samurai](2011/11/21 00:26)
[54] 北嶺編 5話[samurai](2011/11/28 22:46)
[55] 北嶺編 6話[samurai](2011/12/18 13:03)
[56] 北嶺編 7話[samurai](2011/12/11 20:22)
[57] 北嶺編 8話[samurai](2011/12/18 13:12)
[58] 北嶺編 最終話[samurai](2011/12/24 03:52)
[59] 伏流 米国編 1話[samurai](2012/01/21 22:44)
[60] 伏流 米国編 2話[samurai](2012/01/30 23:51)
[61] 伏流 米国編 3話[samurai](2012/02/06 23:25)
[62] 伏流 米国編 4話[samurai](2012/02/16 23:27)
[63] 伏流 米国編 最終話【前編】[samurai](2012/02/20 20:00)
[64] 伏流 米国編 最終話【後編】[samurai](2012/02/20 20:01)
[65] 伏流 帝国編 序章[samurai](2012/02/28 02:50)
[66] 伏流 帝国編 1話[samurai](2012/03/08 20:11)
[67] 伏流 帝国編 2話[samurai](2012/03/17 00:19)
[68] 伏流 帝国編 3話[samurai](2012/03/24 23:14)
[69] 伏流 帝国編 4話[samurai](2012/03/31 13:00)
[70] 伏流 帝国編 5話[samurai](2012/04/15 00:13)
[71] 伏流 帝国編 6話[samurai](2012/04/22 22:14)
[72] 伏流 帝国編 7話[samurai](2012/04/30 18:53)
[73] 伏流 帝国編 8話[samurai](2012/05/21 00:11)
[74] 伏流 帝国編 9話[samurai](2012/05/29 22:25)
[75] 伏流 帝国編 10話[samurai](2012/06/06 23:04)
[76] 伏流 帝国編 最終話[samurai](2012/06/19 23:03)
[77] 予兆 序章[samurai](2012/07/03 00:36)
[78] 予兆 1話[samurai](2012/07/08 23:09)
[79] 予兆 2話[samurai](2012/07/21 02:30)
[80] 予兆 3話[samurai](2012/08/25 03:01)
[81] 暗き波濤 1話[samurai](2012/09/13 21:00)
[82] 暗き波濤 2話[samurai](2012/09/23 15:56)
[83] 暗き波濤 3話[samurai](2012/10/08 00:02)
[84] 暗き波濤 4話[samurai](2012/11/05 01:09)
[85] 暗き波濤 5話[samurai](2012/11/19 23:16)
[86] 暗き波濤 6話[samurai](2012/12/04 21:52)
[87] 暗き波濤 7話[samurai](2012/12/27 20:53)
[88] 暗き波濤 8話[samurai](2012/12/30 21:44)
[89] 暗き波濤 9話[samurai](2013/02/17 13:21)
[90] 暗き波濤 10話[samurai](2013/03/02 08:43)
[91] 暗き波濤 11話[samurai](2013/03/13 00:27)
[92] 暗き波濤 最終話[samurai](2013/04/07 01:18)
[93] 前夜 1話[samurai](2013/05/18 09:39)
[94] 前夜 2話[samurai](2013/06/23 23:39)
[95] 前夜 3話[samurai](2013/07/31 00:02)
[96] 前夜 4話[samiurai](2013/09/08 23:24)
[97] 前夜 最終話(前篇)[samiurai](2013/10/20 22:17)
[98] 前夜 最終話(後篇)[samiurai](2013/11/30 21:03)
[99] クーデター編 騒擾 1話[samiurai](2013/12/29 18:58)
[100] クーデター編 騒擾 2話[samiurai](2014/02/15 22:44)
[101] クーデター編 騒擾 3話[samiurai](2014/03/23 22:19)
[102] クーデター編 騒擾 4話[samiurai](2014/05/04 13:32)
[103] クーデター編 騒擾 5話[samiurai](2014/06/15 22:17)
[104] クーデター編 騒擾 6話[samiurai](2014/07/28 21:35)
[105] クーデター編 騒擾 7話[samiurai](2014/09/07 20:50)
[106] クーデター編 動乱 1話[samurai](2014/12/07 18:01)
[107] クーデター編 動乱 2話[samiurai](2015/01/27 22:37)
[108] クーデター編 動乱 3話[samiurai](2015/03/08 20:28)
[109] クーデター編 動乱 4話[samiurai](2015/04/20 01:45)
[110] クーデター編 最終話[samiurai](2015/05/30 21:59)
[111] 其の間 1話[samiurai](2015/07/21 01:19)
[112] 其の間 2話[samiurai](2015/09/07 20:58)
[113] 其の間 3話[samiurai](2015/10/30 21:55)
[114] 佐渡島 征途 前話[samurai](2016/10/22 23:48)
[115] 佐渡島 征途 1話[samiurai](2016/10/22 23:47)
[116] 佐渡島 征途 2話[samurai](2016/12/18 19:41)
[117] 佐渡島 征途 3話[samurai](2017/01/30 23:35)
[118] 佐渡島 征途 4話[samurai](2017/03/26 20:58)
[120] 佐渡島 征途 5話[samurai](2017/04/29 20:35)
[121] 佐渡島 征途 6話[samurai](2017/06/01 21:55)
[122] 佐渡島 征途 7話[samurai](2017/08/06 19:39)
[123] 佐渡島 征途 8話[samurai](2017/09/10 19:47)
[124] 佐渡島 征途 9話[samurai](2017/12/03 20:05)
[125] 佐渡島 征途 10話[samurai](2018/04/07 20:48)
[126] 幕間~その一瞬~[samurai](2018/09/09 00:51)
[127] 幕間2~彼は誰時~[samurai](2019/01/06 21:49)
[128] 横浜基地防衛戦 第1話[samurai](2019/04/29 18:47)
[129] 横浜基地防衛戦 第2話[samurai](2020/02/11 23:54)
[130] 横浜基地防衛戦 第3話[samurai](2020/08/16 19:37)
[131] 横浜基地防衛戦 第4話[samurai](2020/12/28 21:44)
[132] 終章 前夜[samurai](2021/03/06 15:22)
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[20952] 前夜 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:f1651ca4 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/05/18 09:39
2001年11月19日 19:00 日本帝国 帝国陸軍松戸基地


バイタルチャートは各衛士の操作記録、各種医学的数値、体電圧の測定値等から想定される間接思考ログである。 それは様々なデータを基に、総括して視覚化したものだ。
対して操縦テレメトリーはその前段階、つまり操縦による機体の3軸加速度、各部の温度、各機能の動作状態、機器の出力や動作状態。
更には機体内電池の発電容量、電圧や充放電電流、姿勢制御系の動作状態、燃料の残量、生体情報モニタによる心電図・脈拍・血圧・体温・パルスオキシメトリーなどのデータ。
それは『生データ』と言って良い。 大まかな間接思考傾向はバイタルチャートで読み取れるが、更に踏み込んだ傾向となると、操縦テレメトリーを読み解くしかない。

『戦闘行動』とは、言ってみれば咄嗟の行動の連続だ。 発見・認識・判断・決断・行動。 
機動・停止・回避・射撃。 意識的な思考の末の結果では、間に合わない場合が多い。
つまり反射行動の連続、その積み重ねの結果と言える。 そして反射行動とは、人が無意識に行う行為だ。 故に平時から訓練で培う、その『咄嗟の行動』をだ。
それには必ず個人特有の『癖』が出る。 軌道変更のタイミングと入り方・終わり方、スロットルの瞬間的な開け方と絞り方、射撃のタイミングとパターン。
戦闘状況下における各種テレメトリーログと、バイタルサインの『パターン』 無意識行動下での行動である為に、ひとりひとりが固有のパターンを持っている。

言ってみれば、操縦テレメトリーとバイタルチャートを読み解く事は、対象の戦闘時の間接思考を読み解く事に等しい。 戦闘時にどの様な行動を起こすのか?
機動は? タイミングは? 射撃時のパターンと分布は? そして―――次の行動は? 対象にとっては、戦闘時の傾向をかなりの確度で、事前に掴まれてしまうのだ。
どの様なベテラン衛士や、エースと呼ばれる衛士でさえ、各々が持つ固有のパターンが有る。 それを事前に読まれ、対策を講じられてしまっては・・・格下にさえ負け得る。

「・・・これが密かに回って来た、と言う事は・・・やはり、そう言う事なのだろうな」

「本来この手のデータは、戦術機甲本部が蓄積・保管している筈ですから。 国防省のかなり上の方まで、承知済みなのでしょうね」

基地内の情報解析室で、荒蒔中佐と周防少佐の二人が、膨大な量のデータを分析していた。 各衛士の固有パターン、その長所と短所。 警戒すべき機動と、突くべき弱点。
当然ながら、昨日今日、衛士になった新米では、一体何が何やら手に負えない代物だ。 だが荒巻中佐は衛士歴が13年7カ月、周防少佐も9年7カ月と、熟練の域に達している。
間接統計思考データベース、及び間接統計思考解析システム(の端末)の助けを借りる事が出来れば、ざっと流しただけで、その衛士の持つ固有パターンが判る。

「・・・随分とAH(対人戦闘)に特化した傾向だな」

「帝都の第1師団は、特にその傾向が強いと、昔から言われてきましたが・・・これ程とは・・・」

例えば対人戦闘と対BETA戦闘とでは、無意識下におけるパターンさえ異なる。 良い例が戦闘時での高度意識だ。 BETAとの戦闘では、常に光線属種を意識する。
対BETA戦ではどんな衛士でも、無意識に高度意識に制約をかける。 だが対人戦闘では、その意識がかなり薄れるのだ(刷り込みに近い訓練の結果、全く無くなる事は無いが)
最前線での実戦経験が多い衛士ほど、そのパターンには高度意識が顕著に表れる―――見る者が見れば、の話だが。 第1師団の各衛士のパターンには、その傾向が薄かった。

「・・・状況下での癖、機動と回避、タイミングとパターン、次の行動の確率。 シミュレーターとJIVES(統合仮想情報演習システム)のパラメーターを弄る必要が有る」

「少しだけ、パラメーター値を上乗せしましょう。 パターンは変えずに」

「上からは、3週間以内で対応可能にするよう、言われているが・・・どう考える?」

「1対1での対応可能は無理でしょう。 我々は対BETA戦闘訓練に、比重を置いてきました。 出来れば数で対応したいですね、1機に対して必ず2機のエレメントで充たるとか」

「出来れば、向うさんの各連隊が個別に行動して欲しいな。 第1師団に正面から当たれば、我が師団に勝ち目は無い」

「こちらがどの程度の部隊が動くのか、はっきり判りませんので何とも言えませんが・・・もしそうなった場合でも、制圧目標は複数箇所、有るでしょう。
となると向うも、戦力の分散配備は避けられないかと。 一度に第1師団の3個戦術機甲連隊を全て相手取る、等と悪夢の様な事になる可能性は低いかと思いますが・・・」

第15師団は、戦術機甲大隊6個が基幹戦力。 連隊規模で言えば2個連隊だ。 対する第1師団は甲編成師団であるから、戦術機甲連隊は3個連隊、9個大隊を擁する。
同等の装備、練度、情報を持つ場合、ランチェスターの第2法則より、戦闘終結時には第15師団の6個大隊壊滅。 第1師団は6個大隊と2個中隊が健在、という結果になる。

「必ずしも、ランチェスターの法則通りとは限りませんが・・・それに近い結果になる危険性が高いです、現状では。 故にこうやって、洗い出しをしている訳ですが・・・」

「手が欲しいな。 せめて長門少佐でも加わってもらえればな・・・」

「現状では無理でしょう。 そう判断しての、あの招集だったのでしょうし」

何故、荒巻中佐と周防少佐が招集されたのかは不明だ。 彼等は何も聞かされていないし、何も教えられもしなかった。 ただ軍命に従っただけだ。
故に、他の者に話す事は出来ない。 情報の漏洩は、それを知り得る人数が増えれば増える程、その危険性が高まる事は周知の事実。

二人の戦術機甲部隊指揮官は、黙々とデータの解析・傾向分析作業を続けた。 数値データから、戦場での相手の機動や加減速のパターン、射撃のタイミングや接近戦の癖まで。
まるでそこに戦う相手が居るかのように、脳裏でその姿を再現して行く―――10年前後もの間、実戦を戦い抜いてきた練達の経験が、彼等の脳裏にその姿を再現させる。
長所と短所が見える。 中には荒巻中佐や周防少佐でさえ、対応が困難だと認識させる機動すらある。 が、同時に弱点も見える。 どう組み立てるかは、経験の差が物を言う。

「追撃戦と、アンブッシュ。 どちらかで、使える要素が大きく変わりますね」

「ああ、だが『状況』を考えれば、アンブッシュは有り得まい。 追撃戦闘だな」

「若い連中に、AH戦の訓練時間を割けなかった事が、厳しいです」

「戦闘では無く、戦術でカバーするしかないだろうな」

一息ついて、辛うじて珈琲と判る出がらしの黒い液体が入ったカップを手に、熱い液体を喉の奥に流し込む。 2人とも疲れた表情で、無言だった。

「・・・我々は知らされている、『状況』が発生し得る可能性については」

「はい」

「しかし、その状況が何故発生するのか。 そしてその背景と因果関係、要因・・・その他は知らされてはいない」

「・・・はい」

「つまりは、『何も知らない』、そう言う事だ・・・」

「・・・」

「それでいながら、『状況』が発生すれば対応せねばならん。 皇軍相撃つと言う、建軍以来起らなかった、初めての不名誉を!」

それが神経を逆撫でする。 何も知らされていないのだ、全貌の欠片でさえ。 しかしそれでいて、『状況』の際にはファースト・ストライクを与える事を望まれている。
軍は最も典型的な、上意下達の組織だ。 下位者による意見具申も、命令権者がその意志を決定し、命令を下す前の段階での『参考意見』でしかない。
それ以降に反意を表明する事は、重大な軍名違反―――『命令不服従』 戦場で有れば、指揮官権限で銃殺刑に処される可能性すらある。

が、周防少佐としては、荒巻中佐の苛立ちも耳が痛い。 少なくとも彼は、もう少し詳しい部分的な概略を―――全貌では無い―――を聞かされている。
それは手枷・足枷だ。 軍上層部が『状況』に至った際に、有効な反発力を維持する為の、足枷。 枷である以上、誰にも言えない。 目前の荒巻中佐にさえ。

「まあ、愚痴を言っても始まらん。 精々、AH戦への慣れと、向うのパターンの解析と対応策を講じるしかないな」

「命令では3週間ほど・・・訓練は付焼刃になりますが、何とかなりそうな時間は有ります。 後はぶっつけ本番ですが・・・せめて、彼我の戦力さえ判れば・・・」

「戦術作戦も立てられるのだがな、それが判れば! が、無い物ねだりは出来んだろう、恐らくな」










2001年11月21日 0850 アメリカ合衆国・フロリダ州 ジャクソンビル


「―――フリーズ!」

バタン! 扉が勢いよく蹴り破られ、数人の男女が銃を構えながら屋内に殺到する。 その動きは訓練された者にしか出来ない無駄のない動きだ。

「―――チェック!」

数箇所で同じ声がする。 だが期待した声は聞こえなかった。

「・・・こりゃ、駄目だな。 もぬけの殻だ」

背広に身を包んだ大柄なアフリカ系の男性が、肩を竦めて呟く。 その隣で見るからにアイリッシュ系の男性も、無言で頷いた。 傍らの女性にそっと話しかける。

「ウェンディ、このフロリダにも居ないと言う事は、やはり国境を越えたんだ」

「・・・ロバート、絶対じゃないわ」

アメリカ航空宇宙軍特別捜査局(AFSOSI)の女性特別捜査官、ウェンディ・ホイットモアが、悔しそうに呟く。 目前の室内には、慌てて逃走した形跡が見て取れたのだ。

「どうして、彼女は私達の動きを? 同業者のバックアップでも無ければ、不可能な話よ・・・」

リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉―――いや、元中尉は、ウェンディが追っている女性容疑者だ。 いや、ウェンディだけでは無い。 実は陸軍も、海軍も・・・

「フロリダからは、キューバの組織経由でメキシコと繋がっている。 そこから南米への逃走ルートもある。 恐らくはそっちへ逃げたのだろうな」

アメリカ陸軍犯罪捜査司令部(CID)の特別捜査官、ロバート・ディングス陸軍少佐が、散乱したテーブルの上に置かれたメモを手に、2人の『同僚』に言った。
そのメモには、『グアンタナモ』、『グアダラハラ』、『マタモロス』と言った地名が読み取れた。 いずれも現在、メキシコや中南米・カリブ海方面の主要な麻薬ルート拠点の都市だ。

「どうやら根は深そうだな。 南米のファドリケ・シルヴァだけじゃない。 メキシコのビセンテ・フエンテスにガルシア・アブレーゴか。 厄介だな」

アメリカ海軍犯罪捜査局(NCIS)の特別捜査官、身長が2mに達する大柄なアフリカ系のマイク・ハワードが、豊かなバスの声で唸りを上げた。
メキシコの麻薬組織は現在、2つの派閥が『休戦状態』となり、それぞれが南米のファドリケ・シルヴァの組織と提携しており、中南米は合衆国司法組織にとっての『敵国』だ。

「・・・だから言ったのだよ、彼女はもうステイツには居ないと」

4人目の人物が、室内に入ってそう言い放った。 彫の深い、鋭い顔立ち。 冷たいブルーアイに見事なブロンド。 長身で鍛え上げた痩身に見える程の筋肉質な身体付き。
半世紀前に、ナチス・ドイツが理想とした通りのアーリア的容貌―――アメリカ国防情報局(DIA)人的情報部(HUMINT担当)の、ハインリッヒ・オスター米航空宇宙軍中佐。

「恐らくは、シルヴァの組織の手で南米に逃れたか・・・その先で生き延びているかどうかは、全くもって不明だがね。 ともあれ、どうやらコロンビア経由の様だ」

そのセリフに他の3人の特別捜査官が、まるで視線だけで殺せるような厳しい視線を浴びせかける。 一体何の為に、ここに踏み込んだのか。 その情報は!?

「裏を取る為には必要だ、君達の努力は無駄では無い」

「・・・その情報の確度は? ネタ元は?」

NCISのハワード捜査官が、唸るように言う。

「コロンビア陸軍作戦本部情報局。 AFEU(コロンビア軍市街地特殊部隊グループ)と、我々DIAのエージェントが待機している。
これからティンダル(フロリダ州合衆国航空宇宙軍ティンダル基地)に向かう。 コロンビアとの話は付いている、数時間のフライトだ」

「・・・今日中には、向うに着けるのか?」

「勿論。 嫌ならば、私だけで行く」

「行かない馬鹿は、居ないわ」

AFSOSIの女性特別捜査官、ウェンディ・ホイットモアが、吐き捨てる様に言った。





10時間後、その日の夜、コロンビアの首都・ボゴタの中心から外れたモーテルの一室で、複数の死体が転がっていた。 1人は若い女性の射殺死体だ、頭部を撃ち抜かれている。 
他はラテン系の男女が都合5人。 いずれも全身を蜂の巣にされて死んでいる。 室内は血と脳症が飛び散り、酷い有様だった。

コロンビアでは殺人事件など珍しくない、内戦と麻薬組織、そして貧困。 1990年代初頭の年間殺人事件数は3万件を越し、人口10万人当たりの殺人事件数は91件。
これは世界最悪の数字だった。 1998年に大統領に就任したアルバロ・ベレス大統領は治安対策を最優先にしており、2001年現在、10万人当たりの殺人事件数は17件に落ち着いたが。

「―――指紋の照合、合致しました。 リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉・・・元中尉、バーク容疑者と一致します。
他は男は全て、シルヴァの組織の者と思われます。 1人はエッツォ・ルデラの部下と判明しております。 女の方はFARC(コロンビア革命軍)の要員です」

DIAのエージェントがオスター中佐に報告する。 エッツォ・ルデラ。 ファドリケ・シルヴァの右腕と呼ばれる麻薬マフィアの大物だ。
このモーテルを急襲したDIAのエージェントと、AFEU(コロンビア軍市街地特殊部隊グループ)の共同チームにより、シルヴァの組織の者達は皆殺しにされた。
しかし、襲撃を察知した時点で組織の者達は、『足が付く』事を恐れて、バーク元中尉を射殺―――頭部を吹き飛ばして、余計な情報の漏洩を防いだのだ。

「発見されたメモ―――シルヴァの組織が見落としたモノ―――です。 ハンスコム宇宙軍基地、それにエドワーズ宇宙軍基地」

先程とは別のDIAのエージェントが、オスター中佐に報告する。 3人の軍特別捜査官には気付かれない様に、そっと―――いいぞ、軍特別捜査官達は、気付いていない。
軍特別捜査官達には、米軍内への麻薬汚染の繋がりが判る証拠しか渡していない。 オスター中佐はそのメモを胸ポケットにしまい、廻りを見回して言った。

「直ぐにここを離脱する。 恐らくシルヴァの組織が急襲を仕掛けて来るぞ、数で来られては、防ぎ切れん」

リンゼイ・バーク元中尉が『包括』した他の合衆国軍将校の身元、その先が知れた。 が、その為にはまず、ここを無事に脱出することが先決だ。
中南米の麻薬組織は、軽歩兵師団並みの重火力を有する私兵部隊を揃えている。 いかなDIAでも、まともにぶつかっては殲滅の憂き目にあう。
訓練された者の動きで、必要な物的証拠を素早く確保し、脱出にかかる。 何とかしてコロンビア軍の基地に辿り着かねば。 その間に襲撃される恐れもある。

数分後、脱出用に用意した装甲車両の中から、オスター中佐は今回の作戦での『上官』に報告をしていた。 『上官』もまた、コロンビア入りをしているのだった。

「・・・はい、そうです、サー。 容疑者の確保は出来ませんでしたが、鼠の居場所は把握しました。 は・・・は・・・では、その様に」

通信を切り、オスター中佐はシートにもたれかかる。 ここから先は、政治の領分が濃くなる。 彼等の出番はここまでだ。
陸軍、海軍、航空宇宙軍との協同捜査本部、それ自体が隠れ蓑。 連中には、軍内部の麻薬汚染摘発の功績だけ、投げ与えればいいだろう。

(『―――ハインリッヒ、彼等の役目はこれまでだ。 ここからは、我々の領分・・・シルヴァに絡め取られた連中を炙り出し、『計画』を止める』)

彼の臨時的な上官―――DIA国際協力室長、ロバート・クナイセン海軍少将の冷めた声が耳に残る。

(『―――HSST落下計画は、既にこちらの耳に漏れている。 これ以上、日本にポイントを与える訳に行かん、判るな? 宜しい、可及的速やかに、鼠を炙り出したまえ』)

合衆国の情報網は、『裏庭』であるカリブ海・中米は元より、南米諸国にも網の目の様に張り巡らされている。 シルヴァの組織も監視対象なのは自明の事だ。
それにしても・・・オスター中佐は思った。 それにしても確か、クナイセン少将はJIN(日本帝国海軍)に、旧知の友人が居た筈だ。 が、公私の別は別、そう言う事か。 
この計画が日本に漏れれば、日本の対米外交にとって、格好のカードたり得る。 ホワイトハウスかペンタゴンか、誰かがそう判断したのだろう。 そして・・・

(・・・おそらく、バーク元中尉と麻薬組織の間を取り持ったのは、CIA・・・国家秘密本部アフリカ・中南米部長のアンドリュー・カーターか・・・)

恐らくステイツ内でも、水面下の暗闘が起こるのだろう。 合衆国は1枚岩では無い、建国以来そうなのだ。 合衆国はキマイラだ、それぞれの頭が互いを喰らいあうキマイラ。
オスター中佐は車の窓から夜空を眺めた。 あの空の向こうでは、あの忌まわしき、醜い異形の星間の侵略者との激戦が展開されているのだろう。
そしてこちらの空の下では、人類同士が密かに汚い争いを延々と続けている。 果たして人類とは、押し並べて『ウンターメンシュ』なのだろうか? まるで出来の悪い喜劇だ。

ハインリッヒ・オスター中佐の祖父の兄に当る人物は、ナチス・ドイツ政権下のドイツ第3帝国で、総統暗殺未遂に連座して処刑された国防軍将校だったのだった。






N.Y.郊外のロココ調の邸宅。 その一室で通信を切ったロバート・クナイセン海軍少将は、他のソファに座る『ゲスト』達に振り向いて、言った。

「―――諸君、鼠の巣穴が知れた」

クナイセン海軍少将を見つめるのは、3人の男達だった。 DIA(アメリカ国防情報局)人的情報部部長のジャック・オルセン陸軍少将。
中央情報局(CIA)情報本部東アジア分析部長のライオネル・モーガン、同じくCIA国家秘密本部防諜センター長のスティーブン・サリク。
DIAが確保している『ゲストハウス』のひとつで今夜、DIAとCIAの一派―――本来ならば仇敵同士の組織の者達が集っている。

「さて、何処まで手繰り寄せる事が出来るかな?」

ジャック・オルセン陸軍少将が、苦笑しつつブランデーグラスを傾ける。 DIAにおいてヒューミント(人的スパイ活動)を統括する、40代後半の男だ。
CIAのライオネル・モーガンは無言だった。 スティーブン・サリクは何か言いたげである。 クナイセン少将が目線で発言を促した、微かに頷き、サリクが話し始める。

「・・・『向う』の行動を阻害するのは、あと数週間が限度と思ってくれ。 こちらとしても、ゴース(CIA長官、ジョンストン・ゴース)の裏を探る手が要る」

「ジョンストン・ゴースを、CIAのボスから引き摺り降ろす。 あの老人の手足のひとつを奪う。 その為のネタとして、今回のHSSTの1件、DIAが請け負う」

スティーブン・サリクはCIA『内部』の防諜活動の総元締めだ。 彼に請け負ったオルセン陸軍少将とは、実は因縁浅からぬ中では有る。

「あの老人の手は、極東方面情勢にとっては、極めつけの悪手だ。 合衆国は今更、日本を丸抱えは出来ないし、あの国に燻ぶるナショナリズムを、盛大に焚きつける事になる」

東アジア分析部長のライオネル・モーガンが、忌々しげに呟く。 東アジア・・・いや、今やアジア全域の分析専門家であるモーガンにとって、『向う』の悪手はまさに悪夢だ。
合衆国が望むのは、『国際的な商取引』の話が出来る日本帝国なのだ。 外交関係も言いかえれば、『国益』と言う利益を得る為の商活動、と言ってしまえる側面を持つ。
冷静に、ドライに、時に酷薄に。 合衆国は物的支援や、時に人血を売り物に、安全を買う。 日本は物的支援を合衆国から最大限に引き出し、血を流して安全を売る。

無論、お互いに外套の中にナイフを隠し持ったまま、右手で握手をし、左手で互いを出し抜く工作を怠らない。 だが表面は互いに笑顔のままで。
クナイセン少将達が属する派閥は、世界とは、国際社会とは、そう在るべきと『理解』する集団だった。 そしてその考えは、日本の統制派にも共通している。

「遊びの時間は終わりだ。 HSSTとは、少しばかり贅沢なオモチャだが・・・ハンスコム(ハンスコム宇宙軍基地)か、エドワーズ(エドワーズ宇宙軍基地)で止めねばな。
最悪は衛星軌道のステーションになるが・・・そうなれば、国連はおろか、各国の航空宇宙軍にも感づかれかねない。 何としても、地上で始末をつけねばならん」

クナイセン少将が、合衆国の地図上を指さしながら、そう言う。 つまり、HSST落下作業の最終調整者を事前確保、或いは『消去』する事。
地上ならばDIAの他にも、憲兵隊を動かす事も可能だ。 だが一度宇宙に上がってしまえば・・・厄介な事になる。

「可及的速やかに、全貌を解明する必要が有る。 そして先手を打たねばならない」

地上か、それとも宇宙か。 場合によっては合衆国航空宇宙軍・宇宙航空軍団司令部に捻じ込まねばならない。

彼等はまず、懸案事項の1件目に合意した。 よし、次だ。

「エージェントの報告だ、日本国内での蠢動は、些か早まるかもしれない」

CIA東アジア分析部長のライオネル・モーガンが言う。 同時にCIA国家秘密本部防諜センター長のスティーブン・サリクが煙草に火を点けながら補足する。

「送り込んだのは『インクイジター』と『魔女』、それに『高(カオ)』の3名だ。 『向う』のカウンターパートとしてな。 『向う』は既に武家の強硬派を包括した。
今は軍部国粋派に浸透作業中だ、それも最終段階。 国粋派トップの陸軍大将は、実のところ我々も評価を定めきれていない。 国粋派と言うには、余りに欲深い男だ」

「・・・日本帝国陸軍、間崎勝次郎大将か。 一時は帝国軍のトップを狙えるポジションにいた男だったな。 今は名誉だけの閑職に居る」

「その欲深い陸軍大将の周りに、あの国の軍需産業界の一派が付かず、離れずだ。 お零れに群がる『安保マフィア』達も―――ああ、これは我が国も同様だが」

「判り易い縮図だ。 表向きは反米・国粋主義を通して見せても、裏では欲で繋がったアメリカと日本の甘い蜜の関係か。 あの老人の意向を承知の上での、な・・・」

元々、今回のHSST計画の情報は、『あの老人』の周囲から漏れた形跡が強い。 あの老人は、決してAL4計画の賛同者では無い。 が、AL5計画に無条件に賛同してもいない。
だからか、シルヴァを含む『南米共同体運動』の連中の動きに、一定の理解を示しつつも、裏で密かに情報を漏洩させたのは。 老人はAL5の比較的擁護者だが、過激派では無い。
『横浜』は老人にとって、今暫し残って貰う必要のある駒、そう言う事か。 恐らくは裏で操る糸を万全にする為に。 権益と欲望と言う操り糸。

そうなのだ、だから・・・クーデター? そんなもの、端から成功はしない。 表向き、国粋派を支持して擁護しているポーズの間崎大将自身さえ、それを望んでいないのだ。
将軍家による摂政政治の復権? そんなもの、誰の腹も膨れない。 清貧で飢えるより、汚濁の中で満腹する方を選ぶものだ、人と言う度し難い種は。

「戒厳司令部を牛耳った後で、クーデターを鎮圧。 そのまま戒厳令下での臨時政権樹立か?」

「いや、その前に道化の臨時政権を発足させるだろう。 自分はその裏だな、気を見て『挙国一致内閣』、その方向だろう」

面白いのは、クナイセン少将らが水面下で接触している、日本国内の他権力―――軍官の統制派も、ほぼ同じシナリオを描いていると言う事だ。 手を組む相手が違うだけ。
密かに欧州や大東亜連合内部をも巻き込んでの、極東方面での政治権力バランスの再構築合戦。 全ては己の損益計算書に満足のゆく数字を弾き出せるかどうか。

「・・・古来より、若者は夢を追う」

「そして斃れ、自己陶酔に満足して死んでゆく」

「後に残りしは、ハイエナの如くの為政者達の、獲物の分捕り合い」

「ただし、満腹するまで喰えるのは、1人だけ」

誰もが自虐めいた笑いを浮かべている。 そう、若者は己の理想を夢想し、我らは自虐の痛痒さを味わいながら、それを免罪符に蜜を吸うのだ。

「現地の者に、指示を出そう。 クーデターが『発生』する様に誘導しろと」

「太平洋艦隊へは?」

「第7艦隊は、パール(ハワイ州オワフ島、パール・ハーバー(真珠湾):米海軍太平洋艦隊根拠地)を出港したよ」

「ロバート、念の為だ。 君の『お友達』にも、この件を?」

「ああ、そのつもりだ」









2001年11月22日 2030 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ウエストチェスター郡 ホワイト・プレインズ市郊外


ホワイト・プレインズ市はN.Y.近郊の、全米屈指の高級住宅街を構成する市域である。 その中でもひと際、周囲を樹木で覆われ、中が窺い知れない広大な邸宅がある。

「いや、ご足労いただき、申し訳ない。 バロテネス」

「構いませんわ。 丁度、N.Y.の娘の家に遊びに参っていましたの。 ここへはロス・アラモスより余程近いですわ」

暖炉の前に二人の年老いた男女―――男の方は、恐らく90歳の手前だろう―――が、ティーカップを傾けながら話している。
男―――この邸宅の主である『老人』と、向かいの初老の女性―――バロネテス(女準男爵)、レディ・アルテミシア・アクロイドの二人。

「いやはや、こうも年を取りますとな・・・少しの外出も、億劫になりましてな。 レディのお若さが、羨ましい、ははは・・・」

「まあ、お上手・・・ではございませんわね? ミスター?」

レディ・アクロイドも、60代に入った初老の女性だ。

「それに・・・孫娘の顔を見に来た私の楽しみを奪っておいて、わざわざ世間話でも? 伯父様?」

実の伯父と姪では無い。 が、この二人、母方で血筋が数代前に交わっている。 欧米の貴族や上流階級社会は、どこかしらで血筋が交わる事は、珍しくも無い事だが・・・

「それは、済まないと思っているよ、アルテ。 シルヴィアもジョセフィンも、久しく顔を見ておらん・・・」

実はもっと複雑な、血縁関係を持っている訳なのだ。 『老人』にとっては、レディ・アクロイドは娘の世代。 その娘や孫娘は、『老人』にとって孫娘や曾孫娘の様なものだ。
ティーカップを置いた『老人』が、暫し無言のまま、その琥珀色の波紋を眺めている。 そしてようやくの事で、姪の様な、娘の様な、スコットランドの女性貴族に向かって言った。

「アルテ。 ロス・アラモスの主任研究者・・・『グレイ・マザー』の立場で聞きたい。 『バビロン作戦』―――G弾の集中運用には、今も反対の立場かね?」

「・・・ええ、死ぬまで・・・死んでも、その主張は変わりませんわ、伯父様」

レディ・アルテミシア・アクロイド博士。 ロス・アラモス国立研究所のG元素研究部門において、今や主任研究者として牽引する立場になりおおせた、女性研究者。
『プレーンワールド』における『超弦理論』の第1人者。 『量子重力理論』の世界的権威、G元素(グレイ11)の抗重力反応に指向性を持たせ得る事を、世界で初めて証明した人物。

故に―――『グレイ・マザー』、又は『破滅の聖母』

「・・・伯父様。 1999年の夏に攻略出来たH22・・・ヨコハマ・ハイヴでの、G元素採集量は、いかほどか、ご存知?」

「いや・・・神ならぬ故な、あずかり知らぬ。 アルテ、お前も言う気はなかろう?」

「ええ・・・ふふ、少し意地悪だったかしら」

「構わぬよ。 その昔、お前はまったく活発で、少し悪戯好きの女の子じゃった・・・」

もう半世紀以上も昔の話、連合軍遠征部隊最高司令部(SHAEF)に配属された、移民出身の若い将校は、スコットランドで遠縁の少女と出会っていた。

「ヨコハマ・ハイヴはフェイズ2でありながら、最深度はフェイズ4に匹敵すると言う、特異なハイヴでしたわ・・・もちろん、『アトリエ』もありましたのよ?
ご存知? 伯父様。 『アトリエ』はフェイズ4ハイヴ以上でしか造られないという事実を? ヨコハマ・ハイヴはフェイズ2でありながら、『アトリエ』を持っていましたの」

「ふむ・・・」

「当時の私は、G弾の炸裂影響範囲を限定する研究をしていました。 その意味では『ヨコハマ』での結果は、良好と言えましたわ。
でも、『アトリエ』が有った事は想定外。 後で報告書を読んで、卒倒しかけましたのよ? だって、有り得ない存在が、そこに有ったのですもの」

「・・・それほど、卒倒しかねない程、驚く事だったのかね?」

その言葉に、レディ・アクロイドは少し顔を顰める。 『老人』が判って言っている事に気づいたからだ。

「伯父様、変な探りはお止し下さいな。 『ヨコハマ』で米軍と国連軍・・・それに日本軍が採集した(日本の事は、暗黙の事実だ)G元素の量・・・
もしそれが、G弾の形成する『ラザフォード場』に接触して、誘発反応した場合・・・ギガトン級水爆の無造作な誘爆とは別の意味で、地獄を生じさせますわ」

「どの程度かね?」

その問いに、レディ・アクロイドは即答せず、ティーカップを手にして軽く喉と唇を潤す。 やがてティーカップを手にしたまま、どこか遠い世界を見る様な表情で言った。

「・・・G弾、120発から150発分の破壊力を、生じさせます」

「ッ!? 100・・・と!?」

極秘の情報によれば、国連(現・横浜基地)が保有するG元素量で、G弾40発分か、それを少し上回る。 日本帝国が採取した量は、それをやや下回る量。 合衆国は・・・

「少なくとも、半径50から60マイル(80.5~96.6km)の円周内の地形は、消滅しますわ。 そして推定で深さ10から15マイル(16.1~24.1km)程のクレーターが出来る・・・
ニューヨークを起点にすれば、北東はロングアイランドの大半、コネティカット州のニューヘイブン辺り。 南西はフィラデルフィア辺りまで、『消滅』しますわ・・・」

「・・・地球上の大半の地殻の、半分ほどの深さに達する、クレーターじゃと? その様な『ジャイアント・インパクト』なぞ、人類史に経験が無いわ・・・!」

「ええ。 恐らく『地球史』で語る程の規模でしょう。 仮説しかありませんが、45億年前の『ジャイアント・インパクト』の様に、マントルにまで達する事は有りませんが・・・
地殻変動を誘発する恐れは、充分に有りますわ。 H22、H21、H20はユーラシア、太平洋、北アメリカ、そしてフィリピン海プレートの接合点付近に存在します」

レディ・アクロイドの説明を、『老人』は無言で聞き続けた。

「それ以外にも、ユーラシアプレート、オセアニアプレート、インドプレート、アラビアプレート、アフリカプレートの接合点付近のハイヴは、数多くありますわ。
それに想像を絶する重力異常・・・『プレーンワールド』理論では、低エネルギーでは(私達もですわ!)素粒子の相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に閉じ込められます。
そして重力だけが、更に高位の余剰次元(5次元目以降の次元、ですわね)方向に伝播できる、とされますの。 そんな異常重力圏が、地殻変動を誘発する程の威力で生じたら・・・」

「しょ、生じたら・・・どうなる? アルテ・・・」

「地球の重力異常は、月に影響を及ぼしますわ。 具体的には潮の満ち引き・・・潮汐作用に」

月の潮汐作用により、主に海洋と海底との摩擦による熱損失から、地球の自転速度が凡そ10万年に1秒の割合で遅くなっている。
また重力による地殻の変形を介して、『地球と月』系の角運動量は月に移動していて、これによって月と地球の距離は、年間約3.8cmずつ離れつつあるのだ。
逆に言えば、かつて月は現在よりも地球の近くにあった。 そして現在よりもっと強力な重力・潮汐力の影響を地球に及ぼし、地球と月は現在より早く回転していた。
4億年程前には1日は約22時間で、1年は400日程あったとされる。 それはどの様な世界だったのであろうか・・・

「自転速度が速くなり・・・大気圏内の気流の速度が大幅に狂いますわ。 ハリケーン並みの暴風が世界中、年中無休で所構わず発生し、海洋は巨大な津波を発生させる・・・」

更には重力異常に端を発する地殻変動により、地殻の沈降・隆起が異常事態として生じる可能性もある。

「陸地は恐らく、年中吹き荒れる暴風に晒され、干上がった海洋は巨大な塩漠の荒野を出現させるでしょう。 海岸線付近は、数10mに達する大津波に、絶えず晒される恐れも」

その説明に、『老人』の額に薄らと汗が滲み出る。

「・・・アルテ、『それ』は1箇所の誘発で、起こり得るものかね?」

辛うじてそれだけの言葉を絞り出した『老人』は、面前の遠縁の女性科学者に尋ねる。 レディ・アクロイドの回答は、辛うじて『老人』を安堵させるものだった。

「いいえ・・・『爆心地』には巨大な被害をもたらすでしょうけれど・・・所詮は『半径50から60マイル』の範囲の話ですわ。 
広大なユーラシアでは、点の様なもの・・・ただし、『バビロン作戦』の様なG弾の集中運用を行った場合の誘発威力は、地球規模の異常を発生させる、そう考えますの」

要は用心深く、地殻運動と重力偏差を観測しつつ、隣接した箇所『以外のハイヴを』G弾で攻略しさえすれば、現在では最悪のシナリオは回避できる。
問題は国土を『巨大クレーター』にされた、国土無き国家群の苦情、それだけだと。 抗重力反応の指向性と範囲さえ予めシミュレートしてコントロールすれば・・・
誘発の可能性も、数%台に抑えられるとも。 但し、その場合はやはり最後には、ハイヴの最深度域でBETAとの交戦の可能性は否定できない。

「フェイズ5、フェイズ6ともなれば、実際に地下茎の拡大範囲は推測による部分が、かなり大きいのですわ。 G弾の『調整』も難しくなりますの」

「ふむ・・・成程な。 だからじゃな? ローレンス・リバモア国立研究所の連中と対立しておるのは?」

「ふふ・・・ご存知でした?」

合衆国のG元素研究は、ロス・アラモス国立研究所と、ローレンス・リバモア国立研究所の2箇所で行われている。 そしてこの2つの国立研究所は、犬猿の仲だった。
歴史は遡り1944年。 ロス・アラモスは原爆開発の中心地であると同時に、レオ・シラードら68名の科学者が、ドイツへの原爆投下に反対して大統領へ請願書を送った。
世界で最初の、反原爆運動の舞台ともなった経緯が有る。 現在でもG元素研究のメッカであると同時に、反G弾―――『反バビロン作戦運動』が盛んである。

翻ってローレンス・リバモア国立研究所は、第二次大戦後はソ連の脅威に対抗する為、水素爆弾の開発を行ったエドワード・テラーらが設立した。
一方でロス・アラモスのオッペンハイマーらは、原子爆弾の廃絶を訴え、マンハッタン計画を推進した科学者たちはテラー派とオッペンハイマー派に別れ、激しく対立した。
テラー派はローレンス・リバモア国立研究所を設立し、また『レッド・パージ(赤狩り)』を利用して、オッペンハイマーを失脚させた歴史が有る。

「ルドルフ・カマーシュタイン博士は、G元素の誘発威力の計算を、過少に見積もっていると、私は考えますわ。 向うは、私の計算を過大だと、そう批判しますが・・・」

ルドルフ・カマーシュタイン博士は、エドワード・テラーの思想的な直系の弟子だった。 ローレンス・リバモア国立研究所における、G元素研究の主任者である。
同時に『バビロン計画』における、G弾威力判定の最高責任者でも有る。 現在の所、軍部強硬派の受けの良さは、カマーシュタイン博士が僅かにリードしていた。

「日本の第4計画、アレはどう考えるかね・・・?」

チラッと『老人』をみつつ、レディ・アクロイドはあっさり言いきった。

「実現しませんわ。 『彼女』の発表した、今までの論文を拝読した限りでは」

「ふむ・・・アルテ、お前がそう言い切る限り、そうなのであろうな。 ふむ・・・」

老人は何かを考えている様だった。 それが何なのかは、残念ながらレディ・アクロイドには判らなかったが・・・










2001年11月23日 1800 日本帝国 帝国陸軍松戸基地


「ちょっと、最上」

訓練を終えてハンガー脇のドレスルームから出て来た最上英二大尉は、不意に背後から呼び止められた。 声で判る、第152戦術機甲大隊で先任中隊長をしている同期生だ。

「・・・なんだ? 森芝」

森芝薫大尉。 最上大尉の同期生の女性将校で、長門少佐率いる第152の第1中隊長で有り、先任中隊長を務める『女傑』だ。

「アンタ、周防少佐から何も聞いてないの!?」

詰問口調の森芝大尉。 が、最上大尉も知らないものは、知らない。

「・・・何も?」

「何も!? 何も聞かされずに、唯々諾々と訓練してるっての!? アンタは!?」

「上官が方針を決定した。 修正すべき個所は、意見を具申するが・・・それ以外に、何をどうしろと?」

「新潟から戻って、いきなり今までおなざりに過ぎなかった、対人戦訓練のオンパレードよ!? 3部長(師団第3部長=作戦・運用・訓練担当主任参謀)は機甲畑だし。
戦術機甲は畑違いだからって、荒巻中佐が実質、戦術機甲担当のG3(運用・訓練幕僚)じゃない!? で、周防少佐がその補佐で! その二人が、全くのダンマリじゃないさ!」

新潟でのBETA上陸阻止戦から、ようやく基地に帰還した彼らを待ち受けていたのは、先任大隊長・荒巻中佐と、次席大隊長・周防少佐の策定した訓練だった。
今までとは180度方針を転換した、全く純粋な対人戦闘訓練―――対戦術機戦闘訓練だった。 それまで『我々の主敵は、BETAだ』と、常々言っていた2人から想像もつかない。

「下の者達も、動揺しているわ。 どうしてこんな時期に、って・・・判るでしょう!?」

年末の『大攻勢』が噂されている。 佐渡島へ―――そんな合言葉すら、出始めている今の時期にだ。 どうして、今更対人戦闘訓練を!?

「・・・少なくとも、荒巻中佐も、ウチの大隊長も、無駄な事はやらない主義だよ。 大和田(大和田佑介大尉、第153戦術機甲大隊(荒巻中佐指揮)第1中隊長)も黙っている。
お前もさ、もう少し落ち着いて、部下を宥めるなり、抑えるなりしろよ・・・お前のトコの長門少佐にでも、聞いてみるとかさ・・・」

「ウチの大隊長が、そんな可愛げのある事、するか! 例え何も聞かされていなくっても、周防少佐の態度見て、歩調を合わせるよ、あの人は!」

付き合いの長い長門少佐ならば、周防少佐の様子からある程度の察しは付けるだろう。 そして部下達の不満?は、その鉄面皮で黙殺する。 森芝大尉は、嫌と言うほど知っていた。

「・・・裏では、ウチの大隊長を、面と向かってクソミソにコキおろしながら、な・・」

「ま、本気で言っているんじゃないだろうけど・・・正直、部下に言う言い訳のネタは尽きた。 私自身、遊佐(遊佐圭市大尉)や榛葉(榛葉智嗣大尉)から、突き上げよ・・・」

遊佐圭市大尉は、第152大隊の第2中隊長。 榛葉智嗣大尉は、同第3中隊長だ。

「・・・俺も、八神から毎日毎日、ネチネチとやられているよ。 遠野は無言のプレッシャーをかけて来るし・・・」

八神涼平大尉、遠野万里子大尉は、第151大隊で最上大尉の後任中隊長達だ。 大隊長が明言しない分、先任中隊長に『探って下さいよ!』と言うプレッシャーは大きい。

「まさかと思うけどさ・・・まさか、だとは思うけどさ・・・」

「止めとけ、森芝。 それ以上、言うんじゃないぜ?」

「ッ! ・・・判ってるわよ・・・」

密かに、しかし幅広く噂される、軍内部の不穏な噂・・・まさか。 まさか、そんな事は・・・

「・・・でもさ、最上。 ここだけの話よ? 地理的に、真っ先に投入されるのは、私達の師団よ、その場合・・・」

「・・・」

「だから、荒巻中佐も、周防少佐も・・・長門少佐も全く周防少佐に、表立って突っかからないし。 師団G3も黙認、参謀長や旅団長、師団長も不自然よ、あの態度・・・」

想像するのが怖い―――いや、可能性を見つめるのが怖いのか? 悪夢だ、悪夢でしか無い。 最上大尉は、短く刈った髪をクシャクシャと掻き上げ、溜息をつきながら言う。

「兎に角、お前が動揺するなよ? 森芝。 152全体が動揺しちまう」

「む? それは、判っているってば。 要は、アンタが周防少佐から聞き出しなって事! 大和田じゃ、流石に荒巻中佐に面と向かって聞き出せないじゃない!?」

大和田佑介大尉は、最上大尉や森芝大尉の半期後輩だ。 2階級も上の直属上官に、直談判で聞き出す様な真似は出来そうにない。
まだ渋る森芝大尉をほうほうの体で振り払い、ようやく最上大尉が『脱出』出来たのは20分も経ってからだった。





バン! 上官の執務室の前に差しかかったら、勢い良く扉が開かれた。 中から出て来たのは、怒った表情の長門少佐。
最上大尉が慌てて敬礼するが、長門少佐はそのままの表情で、おなざりの答礼を返しただけで、足音高く過ぎ去ってゆく。
恐る恐る、上官の執務室を除けば―――苦虫を潰した表情の、自分の上官が無言で座っていた。 そのまま回れ右、で立ち去ろうとするが・・・

「・・・最上。 用なら、さっさと入れ。 そして扉を閉めろ」

―――見つかってしまった。 観念して、内心で溜息をつきながら大隊長室に入室する最上大尉。 周防少佐は、相変わらずの渋い表情だ。

「・・・長門少佐、盛大に言いまくった様ですね、そのご様子ですと・・・」

「・・・容赦無いから、あいつは昔から・・・」

そう言えば自分の上官と長門少佐は、訓練校以前―――中等学校時代からの仲だと聞いた事が有る。 もう14年来の親友付き合いだとか。 そりゃ、容赦無いわな・・・

「で、大隊長。 そろそろ部下達どころか、八神や遠野を抑えるのも、難しくなりました。 つきましては・・・」

「却下」

「・・・まだ、何も話していませんが?」

「却下だ。 何も聞くな、何も探るな」

「・・・子供じゃ、ないんですから」

「これ以上、俺の胃にストレスを与えるな。 何も聞かん、何も答えられん」

周防少佐にした所で、『状況』の発生の可能性と、その時の対応命令こそ受けてはいる。 師団上層部も承知の上だ。 だが荒巻中佐がいみじくも言った様に『何も知らない』筈だ。
最上大尉は、流石にこれ以上は聞き出せない、そう思った。 彼の上官は決して百点満点の上官では無い、欠点もある。 が、少なくとも納得して仕えられる上官だった。
その上官が、ここまで拒絶・・・いや、苦悩する程、理由を明かせないと言う事は・・・密かに、背中に冷汗が出る。 嫌な汗だ、堪らなく嫌だった。

「・・・訓練のマンネリ化を防ぐ事により、より技量の向上を目指す・・・とか何とか。 ま、適当に時間を稼いでみます」

「すまん・・・頼む・・・」

本当に、胃が痛い様だ。 後で軍医官に話を通しておくか。 戦術機甲大隊指揮官が、胃潰瘍で入院して戦場に出られないなんて、下手な喜劇より笑えない。
黙って大隊長室を後にする最上大尉。 ふと振り返ると、上官が何やら錠剤の薬を取り出して、コップの水で口の中に流し込んでいた―――本気で喜劇は回避しなければ、そう思った。









2001年11月23日 2230 帝都近郊 某寺


「・・・道元禅師が説かれました、『有は時なり』と・・・」

老齢の僧侶が、軍服姿の軍人に、何かを説いている。

「有というものは『存在』也。 森羅万象、すべからず『有』也。 いわんや、雨が降っておれば雨も『有』也。 有とは『存在するもの』。 しからば『有』は皆、『時』也と」

まるで、禅問答だ。 それもそのはず、この寺は禅寺なのだから。

「・・・たとえば、ここに筆が有る。 これが書を書く時、これが働いておる。 書く時には『筆で書を書く』と言う時間が、その時働いておる。
筆で書を書くという時には、筆が字を書くという、働きをしておる。 働きと物とは、同じく等しい、ひとつ也。 存在と時間は、ひとつです。
これを『有事なるによりて、吾有事なり』と、道元禅師は仰られた。 『存在・物というものは、そのものが働きとして活用される時、物と時がひとつになる』とのぅ・・・」

「・・・『有事なるによりて、吾有事なり』・・・」

「左様。 『有事なるによりて、吾有事なり』 人も同じでは無いですかな? ただ存在するだけでは、ありませんでしょう。 その働きが活用される時、『吾有事』と・・・」

「・・・『吾有事』・・・禅師、御教示、有り難く」

「なんの。 この老僧、未だ『吾有事』たり得ぬ。 久賀少佐、お急ぎなさるな・・・」

久賀直人少佐は、静かに禅師に頭を垂れた。




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