『陸軍参謀本部・第6部戦史課、及び、戦略戦術課作成。 第2部研究課監修。
・甲22号目標攻略戦、『明星作戦』に於けるハイヴ攻略戦の考察
(中略)
・第5項 投入兵力(地上部隊)
5-1.ハイヴ突入戦力
5-1-1.軌道降下兵団 全6個大隊
5-1-2.突入機動大隊 全17個大隊
5-2.ハイヴ包囲・戦域形成戦力
5-2-1.ハイヴ包囲戦力 全9個師団
5-2-2.戦域形成部隊 全20個師団
・第6項 損失
6-1.陸上兵力(帝国軍・国連軍・米軍合計)
6-1-1.軌道降下兵団 戦術機6個大隊。 損失79.2%
6-1-2.地上突入部隊 戦術機17個大隊。 損失72.5%
6-1-3.支援突入部隊 戦術機27個大隊。 損失56.7%
6-1-4.横浜包囲部隊 全9個師団。 損失37.9%
6-1-5.戦域形成部隊 全20個師団。 損失22.9%
6-1-6.内訳:戦術機2287機、戦車711輌、自走砲629輌、砲908門、他車輌4981輌、人員・戦死5万3766名。 戦傷10万5454名。
(中略)
・第9項 考察
9-1.通常戦力でのハイヴ攻略
9-1-1.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、フェイズ3ハイヴで人員損失15万~20万名を見込む。 フェイズにては人員損失30万名、フェイズ5にては人員損失50万名を妥当とす。
9-1-2.上記損失に備え、フェイズ3ハイヴ攻略での動員兵員数を100万名と見込む。 フェイズ4にては150万名、フェイズ5にては250万名の動員を妥当とす。
9-2.通常戦力でのハイヴ攻略における、国家損失
9-2-1.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国家戦略資源の過半を喪失する。
9-2-2.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、特に国家の社会機能維持に、過大な負担を与える。
9-2-3.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国民層の10代後半~30代半ばの各世代の、30%を拘束する。
9-2-4.通常戦力でのハイヴ攻略戦における財政損失は、現在まで試算能わず。
第10項 結論
通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国家維持の観点から、是を不可と結論する。
第11項 付記
それほど面子が大事か! 恥を知れ!
1999年10月20日 日本帝国陸軍参謀本部 絶対極秘』
『発:国防大臣官房 宛:関係各部
本文:通常戦力での、佐渡島ハイヴ攻略の是非を問う。
追記:可及的速やかに検討されたし。
1999年11月22日』
『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課
宛:陸軍参謀本部第1部作戦課
本文:先般、秘匿命令の件に付き、来る24日、来訪されたし。
1999年11月23日』
『発:国防大臣官房 宛:関係各部
本文:22日発の疑義の件に付き、至急回答を求む。
1999年11月29日』
『発:統帥幕僚本部 宛:国防大臣官房
本文:貴信、検討中に付き、12月5日までの回答と致したし。
1999年11月30日』
『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課
宛:陸軍参謀本部第1部作戦課
本文:第4回会議招集の件。 12月1日、来訪されたし
1999年11月30日』
『発:海軍軍令部第1部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課
本文:陸軍検討の内容の是非、海軍は承服能ず。
1999年12月1日』
『発:航空宇宙軍作戦本部作戦部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦3課
本文:陸軍参謀本部案は、航空宇宙軍作戦本部これを拒否するもの也。
1999年12月1日』
『発:統帥幕僚本部第2部国防計画課長
宛:統帥幕僚本部第1部作戦1課長
本文:至急、局内検討会を開催されたし。
1999年12月2日』
『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課、作戦3課、第2部戦争指導課、国防計画課、兵站課、第3部編制課、動員課、戦略物資課、軍備課
本文:本日、局内検討会を開催す。 至急参集されたし。
1999年12月3日』
『発:陸軍参謀本部
宛:統帥幕僚本部第1部作戦1課
本文:先の検討結果に付き、再検討の余地が生じたり。 検討の場を設けられたし。
1999年12月4日』
『発:海軍軍令部第1部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課
本文:3軍合同検討会の開催を希望す。
1999年12月5日』
『発:国防大臣官房
宛:統帥幕僚本部
本文:検討の是非、未だ成りや?
1999年12月6日』
『発:統帥幕僚本部
宛:国防大臣官房
本文:今暫し、待たれたし。 一両日中の回答をす。
1999年12月6日』
『発:海軍軍令部第1部
宛:関係各部
本文:海軍は、陸軍案に賛同せず。 陸軍は単独での行動をすべし!
1999年12月6日』
『発:陸軍参謀本部第1部
宛:海軍軍令部第1部
本文:見当外れは、貴部なり。 国防予算を見直されたし。
1999年12月6日』
『発:航空宇宙軍作戦本部作戦部
宛:統帥幕僚本部第1部
本文:陸海軍、軍を思えど、国を憂う事無し。
1999年12月6日』
(5~6件、故意の棄却が認められる)
『発:統帥幕僚本部総長
宛:陸軍参謀総長、海軍軍令部長、航空宇宙軍作戦本部長
本文:至急、来訪されたし。
1999年12月8日』
『発:国防大臣官房長
宛:統帥幕僚本部次長
本文:本日、来訪す。
1999年12月9日』
『発:国防省兵備局
宛:国防省兵器行政本部、技術研究本部、機甲本部、情報本部
本文:兵器体系改編の臨時会議を開催致したし。 至急、来訪されたし。
1999年12月11日』
2001年11月12日 0035 日本帝国 佐渡島東岸 東境山付近
1個中隊の戦術機―――94式『不知火』12機が、地表面噴射滑走で複雑に入り込んだ地形を高速移動していた。 時折停止して、後方へ阻止砲撃を行っている。
50体程の突撃級BETA群が迫ってくる。 距離を十分に保ちつつ、撃破は出来ないが、それでも充分注意を引く程度には、ちょっかいを掛けながら。
『―――CPよりハリーホーク、そのままB5Dまで誘導せよ』
『―――ドラゴン・マムより、ドラゴン・リーダー、右翼A群をB6Fまで誘導せよ』
『―――クリスタル・マムよりリーダー。 クリスタルはD2Rで、側面警戒を継続です』
『―――ゲイヴォルグ・マムより、ゲイヴォルグ・ワン。 各中隊、予定通りの行動を遂行中。 次フェイズまで、あと180秒』
各中隊CP将校達の指示管制の声の最後に、大隊CP将校で有り、大隊通信・管制中隊長を兼務する、長瀬恵大尉の報告が入った。
大隊長の周防少佐は、CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)に反映される戦術レベルにおける共通状況情報を確認しつつ、決定を下し、簡潔に指示する。
「―――ゲイヴォルグ・ワンよりマム。 行動続行。 隣接戦区からの紛れ込みに注意しろ」
『―――マム、了解。 アウト』
通信が終わると同時に、周防少佐は再び網膜スクリーン越しに広がる、佐渡島の夜の風景に目をやった。 緑の失われた、土壌がむき出しになった荒涼たる大地。
時間はまさに真夜中だが、自動調光補正機能によって『修正』された視界は、薄暗がり程度の視界を確保されている。 戦闘行動に支障はない。
緑は失われ、山は山頂部から削られ、沢は大きく抉られ、佐渡島の山岳部はまるで、ミニサイズのグランド・キャニオンを彷彿させる。 米国滞在経験のある少佐は、そう感じた。
峡谷の底は、まるで幅広の未舗装道路の様であり、それが削られて独立峰の様になっている山岳部の残骸に区切られ、仕切られて、さながら迷路の様に広がっている。
山岳部の残骸も、山頂部から削られ続けた結果、中途半端な大きさの台地状の地形へと変貌していた。 それも高低差が有る為、視界域の高低差が複雑に絡み合う地形だった。
少佐自身は、実は初めての土地だ。 だが、少なからぬ因縁のある土地でも有る。 彼の従弟達が2人、98年にこの島で戦死していた。
『―――アイリス・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン。 前方2時方向、距離600、小型種の1群です。 戦車級約20、兵士級・闘士級が約100体。 指揮小隊で対応します』
「判った。 アイリス、許可する」
『ラジャ。 宇嶋(宇嶋正彦少尉)、貴様は下の段差部から撃ち降ろしを仕掛けろ。 兵士級と闘士級を狙え。
私が向うの大地に飛び移る、そこから戦車級の群れを後ろから殺る。 萱場(萱場爽子少尉)!』
『はい』
『貴様はこのまま、待機。 大隊長機の直援に就け』
『了解』
指揮小隊長の北里彩弓中尉機と、小隊3番機の宇嶋正彦少尉機の94式『不知火』が、タイミングを見計らって、台地上部から中腹まで飛び降りる。
同時に宇嶋少尉機が発砲開始、100体程の小型種BETAの群れの頭上に、36mm砲弾をばらまき始めた。 赤黒い霧の様に霧散し始める小型種BETA群。
『・・・よし!』
戦車級の群の動きが早くなった、斜面を登り始める。 同時に北里中尉機がショート・ブーストジャンプを仕掛け、一気に向かいの台地の中腹まで飛び移る。
そこから、投影面積の大きな体表上部全体を晒しながら斜面を駆け上がる最中の、20体程の戦車級BETAの群れに向かって、2門の突撃砲から36mm砲弾を吐き出す。
『―――ゲイヴォルグ・マムです。 大隊長、そちらは終わった様ですね。 こちらも、そろそろ開始になります』
CP将校の長瀬大尉から、まるで覗いていたかのようにタイミング良く、指揮小隊の小戦闘が終わると同時に通信が入った。
「ああ。 こちらでも確認した―――最上、八神、遠野。 誘導後は、試験部隊の周辺警戒に当れ。 余所からBETAを潜り込ませるな」
『―――了解』
『―――うっす!』
『―――了解しました』
各中隊長の返信後、今度は直接支援部隊指揮官と連絡を取った。
「ゲイヴォルグ・ワンより、ジャベリン・ワン。 笠間少佐、あと20秒で目標が到達する。 TSF(戦術機甲部隊)はこれより、周辺警戒に入る」
『―――ジャベリン・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 了解した。 大物喰いは任せてくれ、その代わりに小さい連中・・・特に戦車級だ、連中を接近させないで欲しい』
「了解した。 CTP(共通戦術状況図)を注視しておいてくれ」
『―――ラジャ。 頼んだぞ、周防少佐』
やがて暫くして、地響きを上げながら、合計で100体程の突撃級BETAの群れが、2方向から突進して来た。 その先には、やや標高の低い広々とした台地上に、装甲戦闘車両群。
おかしな車輌だった、車体自体は旧式化した74式戦車に酷似している。 現に、今も前後左右のサスペンションを調整して、起伏の高低差を微修正して水平姿勢を保っている。
『―――射撃開始まで、あと100』
CP将校の長瀬大尉の声が流れる。 他に誰も声を出さない。 その装甲戦闘車両群は、その車体の上に固定式戦闘室を設け、105mm級の長砲身砲を搭載していた。
『―――目標、あと50』
そんな車輌が、合計38輌。 他に指揮管制車輌として82式指揮通信車が1輌と、87式偵察警戒車が3輌の、合計42輌―――1個機甲大隊分の戦力が展開していた。
『―――目標・・・到達!』
『―――全車、撃え!』
長瀬大尉の報告と、機甲部隊指揮官の命令が重なった。 同時に38門の長砲身―――80口径105mm砲から同時に発射された砲弾が、意外に小さな射撃音と同時に発射された。
突撃の勢いを、そのまま瞬時に停止させられたように、巨体を震わせながら射貫孔から体液を噴出し、急停止する突撃級BETAの群れ。
『―――1中、全車命中!』
『―――2中、12体撃破!』
『―――3中、全車命中、次発装填完了!』
『―――指揮小隊、命中!』
見れば、目標にされた38体の突撃級BETAは、全て1撃で正面装甲殻を射貫され、完全に停止していた。 射距離2500m、105mm砲では考えられない威力だった。 が・・・
『―――試験大隊が新型砲で、しかも停止砲撃で的を外す事など、許されんぞ! 残りも全て、1撃で葬って見せろ!』
撃破された個体の残骸を乗り越え、突撃しようとする突撃級BETAが見せた下腹を撃ち抜く車輌。 ぶつかり、動きが鈍った所を、余裕を持って撃ち抜く車輌。
峡谷一帯に、殷々と砲声が響く中、周防少佐は網膜投影モニター越しに見つつ、CTP(共通戦術状況図)の情報を確認していた。
昨日のBETAの新潟上陸、そして陸海の戦力を集中しての、水際防衛殲滅戦。 細かい掃討戦が昼過ぎに終わった後、帝国軍は夕刻より佐渡島に上陸開始、間引き攻撃を仕掛けた。
飽和個体群の大半が新潟に上陸した後で、佐渡島の地表に存在していたBETA群の数はさほど多くなかった。 上陸地点が島東部と言う事もあった。
総数で約3000体が散開して存在しているのを確認した帝国陸軍は、かねてより予定していた戦場での運用試験を開始した。 それも2種類の。
「・・・ライトガス・ガンは、なかなか使いでが良さそうだな」
『はい。 射距離2500m、しかも1撃で突撃級BETAの正面装甲殻を、完全に射貫しています。 スペック上では2万5000mでも、射貫可能との事ですが・・・』
周防少佐の独り言に、大隊長を護衛する指揮小隊の小隊長・北里中尉が反応した。
「無理だな、地球は丸い。 直接照準の範囲外だ」
周防少佐が即答する。 戦車の車高だと、直接射撃可能な水平線距離の限界は、精々15km―――1万5000m前後だ。 それ以上は地平線の向こうに隠れてしまう。
しかも、その1万5000mでさえ『撃てば届く、当れば射貫できる』と言う事に過ぎない。 『撃破する為に、狙って、命中させる』事が出来る距離では無かった。
どんな新兵器であろうと、砲戦である限り、重力や風向・風速と言った諸条件の支配下にある事に、変わりは無い。 運用上では、有効射程は約5000mまでらしい。
『―――それでも、距離5000mで突撃級BETAを、1撃で撃破できるのです!』
北里中尉の声は、それでも弾んでいる。 従来の戦車砲では、120mmクラスの最新主力戦車の戦車砲でさえ、距離1000mで同じ場所に数発、纏めて叩き込まねば撃破出来ないのだ。
それが1世代、いや、1.5世代ほど昔の主流だった105mm砲で、距離2500mで、1撃で突撃級BETAを完全射貫・完全撃破。 興奮しない方がおかしい。
「・・・第1開発局も、面白い物を作ったものだな」
3斉射で100体の突撃級BETAを、全て葬った試験機甲大隊。 戦車では無く、固定式戦闘室を備えた、昔で言えば『突撃砲』、『駆逐戦車』のカテゴリーに入る戦闘車両。
日本帝国軍兵器行政本部、第1開発局第3造兵部が開発に成功した、試作軽燃焼ガス砲―――『Combustion Light Gas Gun:CLGG』を搭載した試験戦闘車両だった。
ライトガス・ガン(Light-Gas Gun)は、スプリングピストンを使ったエアソフトガンと同じ原理で動作する。
大径ピストンが加速される弾丸を含む、小径銃身を介して気体の作動流体を強制的に圧縮して弾丸を加速させる。
直径が減少することで、エネルギーを圧縮しながら速度を上げるように機能しているのだ。 ピストンは火薬で作動し、作動流体は安全性からヘリウムが用いられている。
通常の火砲では、砲弾は前後の圧力差(砲身内部と大気の圧力差)によって加速されるが、圧力波は媒質中の音速よりも速く伝播することができない。
その為に、砲弾を加速させることが出来る速度は、火薬の燃焼ガス中の音速が上限になる。 それ以上の加速は、火薬を装薬に使用する通常砲弾では実現が不可能なのだ。
媒質中の音速を上げる為の方法のひとつとして、気体中の音速が、気体の平均分子量の平方根に比例して、大きくなるのを利用する、というものがある。
そこで分子量の小さいガスを、砲弾を加速させるための作動流体に使ったのが、『ライトガス・ガン』である。 ヘリウムガスは大気の3倍の音速を持つ。
実際にはヘリウムガスは比熱容量や熱伝導率などの点でも優れているため、火薬の燃焼ガスよりも大きなエネルギーを伝播させることができる。
理論上の上限は、実に7.8倍になる。 日本帝国の他、米国でもUTRON社が軍用として、口径45mmおよび155mmの燃焼軽ガス砲の、研究・開発を行っていた。
『―――試作00式特殊野戦砲。 機甲部隊や自走高射砲部隊、自走砲部隊にとっては、頼もしい相棒になりそうですね』
「ああ。 我々にとっても、頼もしい支援火力になりそうだ」
帝国軍兵器行政本部、第1開発局第3造兵部が2000年に開発に成功した、試作軽燃焼ガス砲は、口径155mm、105mm、57mmの3種類が開発された。
砲長身は80口径前後と長い。 現状では試製99型電磁投射砲に匹敵する、高初速・高貫通力を有する砲である。 発射速度は57mm砲の120RPM(毎分120発)が最高だった。
帝国陸軍は、この3種類の試作特殊野戦砲のプラットフォームに、部内で『廃物利用』と苦笑される方式を執った。 退役車輌の再生利用だった。
57mm砲は、退役してスクラップ予定であったM42自走高射機関砲(M42ダスター自走高射機関砲)の、66口径40mm連装対空機関砲M2A1を降ろして、単装搭載されている。
105mm砲は、74式戦車から旋回砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更して本試作105mm砲を搭載した『試作01式駆逐戦車』としていた。
155mm砲に至っては、重装輪回収車の車体をベースに、本試作155mm砲を搭載した『試作01式火力戦闘車』12輌が製作された。
57mm砲の性能諸元は、初速5770m/s、有効射程5500m、最大射程15,000m、発射速度が120RPM(毎分120発)
105mm砲が初速6650m/s、有効射程1万8800m(実際の戦場では、5000m前後が有視界有効射程)、最大射程95,000m、発射速度は発射速度12発/分
155mm砲は初速6740m/s、有効射程3万8000m、最大射程125,000m、発射速度6発/分となる(有効射程・・・突撃級BETAの正面装甲殻を射貫可能な距離)
従来の火力での威力不足を、本土防衛戦で無数の将兵の血と命を代償にして戦訓を得た帝国陸軍は、ある意味で、この組織らしからぬ行動に出た。 1999年末の事だ。
米国・UTRON社の燃焼軽ガス砲の研究開発データを、現地の組織を使って(裏社会に属する組織も使ったと噂される)、殆ど非合法に入手し、この試作砲を開発したのだ。
ヘリウムガスは、近年、帝国の企業群が地中海・北アフリカでの開発支援の重心を移しつつある、アルジェリアのアルゼウとスキクダが主要供給地だ。
従来、米国が長年の間、商用ヘリウムガス生産の90%以上を担ってきたが、欧州陥落後の1990年代、アルジェリアで全世界の需要量の25%を賄うアルゼウ新工場が稼動を開始した。
その後にも、スキクダ新工場が稼働を開始。
アルジェリアは米国に次ぐ、世界第2位のヘリウムガス供給国になっている。 因みに、アルジェリアのヘリウムガス工場プラントは、帝国企業が開発・建設・操業していた。
ヘリウムガスの安定供給に目途を付けた帝国陸軍は、新型火砲兵器体系の大幅で、斬新な改革案に着手する。 2000年10月、『試作00式特殊野戦砲』が完成したのだ。
1撃で良く、突撃級BETAをも葬る―――これを至上命題とし、新型砲の運用試験、改良、また運用試験、そして改良。 これを繰り返しながら今、佐渡島で実戦試験を行っている。
「ん・・・? 隣の戦区で57mm砲部隊が、300体程の要撃級BETAを粉砕した様だ」
『―――CTP(共通戦術状況図)情報ですか? 便利ですね、CP経由ではなくて、リアルタイムで判るだなんて・・・』
北里中尉が感嘆する。 従来までは、C4Iとは言え、CPからの転送情報等に大きく依存していた戦術情報。 それにより、各級指揮官は状況を捉え、判断し、指示を下していた。
佐渡島で行われている、もうひとつの運用試験。 それは共同交戦能力(Cooperative Engagement Capability:CEC)システムの運用試験だった。
CECとは、射撃管制・指揮に使用できる精度の情報をリアルタイムで共有する事により、脅威に対して部隊全体で共同して対処・交戦する能力を付与する事だ。
この為、従来用いられてきた戦術データ・リンクよりも遙かに高速のデータ・リンク、及び、これを運用できるだけの性能を備えた戦術情報処理装置が必要となった。
日本帝国の陸・海・航空宇宙3軍はこれに対して、新型戦術情報処理・統合管制・制御システムを開発し、2001年初頭より試験導入を開始した。
CECを実現するシステムは CETPS (Cooperative Engagement Transmission Processing Set) と総称されている。
陸上拠点型・艦艇搭載型をAN/USG-2、戦術機・戦闘車両・各種航空機搭載のものをAN/USG-3と称する。
CETPSは、情報処理・通信端末としてのCEPと、これらの間で構築される超高速・リアルタイムのデータ・リンク・ネットワークであるDDSを主要サブシステムとして構成される。
また、CEPとDDSのほかに、情報の配布、指揮・情勢表示支援、センサー協同、交戦意思決定、そして交戦の遂行を助ける為に、5つのサブシステムが含まれている。
例えばその内のひとつ、CEPは、他のユニット(CU)からDDSによって受信したデータを分析し、自機装備のセンサーからの情報とともに、融合する情報処理システムである。
個々の戦術機や戦闘車両、航空機、艦船がレーダーやソナーなどによって得た観測データは、DDSによって空と海を通じて互いに連絡される。
その情報がCEPによって融合されることで、それぞれ1機・1輌・1艦では得られない広範囲のレーダー覆域と、高い位置精度が獲得できるようになる。
CEPは、C4ISTARなどの戦術情報処理装置とネットワーク・リンクされ、他機、他車輌、他艦探知の目標に対する攻撃を可能とするのだった。
『それに、今までの様に、索敵レーダーと有視界を相互確認しながら、目標を確認する必要も無くなりました。 これって、凄く重要ですよ、大隊長!』
益々興奮する北里中尉。 彼女も初陣以来実戦を重ね、中堅衛士として小隊長職に就く身として、今までの戦闘と全く異なるシステムの有効性に、興奮を隠しきれないのだろう。
「・・・確かに有効だ。 が、最後の最後、本当に信頼できるのは、自分の目で確認した情報だ・・・過信は過ぎるなよ? 北里」
つい、そんな説教じみたセリフが出てしまうのも、大隊長としての立場ゆえか。 周防少佐は、自分がそんなセリフを言っている事に、可笑しみを感じていた。
新米少尉の頃だったなら、素直に興奮して、はしゃいだ事だろう。 中尉の頃だと、部下の手前、表に出さないが、内心で小躍りしただろう。
大尉の頃だと、どうだろう?―――多分、あれや、これやと、試してみたい戦い方を色々と考え、ニヤつきが止まらなかったかもしれない。
それが、今では・・・
(・・・無条件に、システムを過信し過ぎる癖は、戦場では時に命取りになる、な・・・どうしようか? 慣熟訓練は必要だが、従来方式の訓練も並行させて・・・)
何よりも、部下の命が失われる事に、憶病になった気がする。 多くは部下の中隊長達が、直接指揮をしているのだが、それでも周防少佐の部下達に変わりない。
中隊長の頃までは、自身も戦場で先頭に立ち、部下を叱咤して共に戦いながら、あの地獄の様な日々を生き抜いてきた。 それは事実だ。
大隊長になった今、戦場では専ら、各中隊をいかに効率良く運用して戦線を形成するか。 戦線を形成して、以下の効率良くBETA群に打撃を与えるか、それだった。
中隊長までは、戦闘はしても、戦術には関与出来ない。 連隊長以上となれば、戦術・戦略に完全に重点が変わり、戦場に立ち、戦うという実感を得にくくなる。
大隊長なのだ―――大隊長だけが、戦術に関与すると同時に、自らも実戦の場に身を置き、戦士としての実感を得る事が出来る。 そう言う立場に成り得るのだ。
が、大隊長は同時に、やはり戦術指揮官でも有る。 中隊長の頃の様な、中隊員との一体感を戦場で感じられる事は、既に無くなってしまった。
大隊長にとって、大隊の部下とはつまり、己の戦術構想を実現する為の駒、そう言う一面が確かにある。 同時に自らも実戦の場に身を置き、部下達の苦悩と悲鳴を感じ取る。
「・・・CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)は、有り難いな。 リアルタイムで戦術レベルにおける共通状況情報を得られる。
少なくとも、昔の様に情報が途中で詰まって、BETAに奇襲を喰う可能性は、大幅に低減するだろう・・・」
CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)は、CEC(共同交戦能力:Cooperative Engagement Capability)のサブシステムのひとつだ。
戦術レベルにおける共通状況図で、応答時間はミリ秒単位であり、ウルトラ・リアルタイムでの情勢表示が行なわれる。
CTPにおいて表示されるのは、その瞬間にCTP作成者が把握している彼我の位置関係(座標および空間ベクトル)、および戦力状況(交戦や武器の状態)である。
そこに含まれる情報は、5W1Hのうち、Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)であり、この情報は大隊長以上の各ユニット間で共有される。
『―――私的には、AW702の導入も有り難いですわ、大隊長。 管制車輌の中で、いつ、戦車級BETAと出くわさないか、などと震えなくて済みますもの』
CP将校の長瀬大尉が、横から割り込んできた。 大尉の部下達である、3人の各中隊CP将校―――三崎香苗中尉、沢口智子少尉、安斉美羽少尉もだ。
「長瀬、震えるか、貴様でも」
『―――まあ! 大隊長は、私をどの様に、考えてらっしゃるんですか!?』
大隊長の周防少佐の一言に、盛大にむくれる長瀬大尉。 そんな上官たちを、笑いをこらえながら、見て見ぬ振りの部下達。
帝国陸軍が導入したこのシステムにより、従来のCP将校による管制体制もまた、大幅に変更されるようになった。
従来は、通信・管制機能を強化した軽装甲車両に乗り込み、戦場の直ぐ後方に位置しながら、戦闘管制を行っていたCP将校達。
反面で、戦線が崩れた際の消耗率は、実は衛士以上の数字を出していた。 軽装甲車両は、戦術機ほど自由度の高い移動能力を有していないからだ。
撤退途中に戦車級BETAなどに捕捉され、反撃の余地も無く喰い殺されて、戦死したCP将校達は無数に存在する。
そして現在、CECの導入により、CP管制も大幅に変わろうとしていた。 移動手段は機体上部にレーダー・レドームを付けたティルトローター機に変わりつつある。
普段は師団本部か、その近くに戦術機甲大隊本部として布陣する。 CP将校はそれまでの様に、中隊毎の管制班単位で動くのではなく、大隊管制中隊に再編成された。
そしてティルトローター機に搭乗し、高速、かつ、長距離を自由度の高い移動性を得て、管制するのだ。 光線属種に対しては、見越し圏外に低空で、いち早く離脱出来た。
そしてこのティルトローター機は、帝国製ではない。 欧州からの輸入と、ライセンス生産で配備した機体だった―――『アグスタス・ウェスターランドAW702』
英伊の合弁会社であるアグスタス・ウェスターランド社が、V-22の開発実績を持つベリル社と共同出資した『ベリル/アグスタス・エアロスペース社』による。
アグスタス・ウェスターランド社自身、ヘリコプター開発・製造メーカーとして欧州屈指の企業だ。 ベリル社と組み、ティルトローター機の新規開発に乗り出したのだ。
しかし1996年、ベリル社との合弁解消により、アグスタス・ウェスターランド社単独開発となり、1998年に完成した。
当初は顧客の獲得に苦心したAW702だったが、『固定翼機より垂直(短距離)離着陸能力に優れ、回転翼機より速度と航続距離に優れた』機体を探していた帝国軍が目を付けた。
先行するV-22『オスプレイ』は、米国との関係が冷ややかになっている最中の日本帝国では、導入はまず考えられなかった。
それに開発元が欧州系企業と言うのは、日本帝国の中では比較的心証が良かったのも確かだ。 欧州各国は、対BETA戦の最前線国家同士として、日本国内では心証が良い。
それに、AW702に先立つAW609は、V-22に比べ小型・小搭載量となっていたが、AW702はV-22に匹敵するサイズと能力を有するに至っていた。
機内最大ペイロードは 9,370kg、キャビン長が7.67m、キャビン最大幅が1.90m、キャビン最大高が1.90mである。 有効総面積も、V-22を若干ながら上回る。
また、機外の2箇所のカーゴフックに容量4,800kgのカーゴを吊り下げ、運搬する事が出来た。 大隊の全CP将校と、通信・管制要員を機材毎、1機に収めて運用できたのだ。
最高速度は300ノット(約555km/h)、ヘリモード時100ノット(185km/h)、航続距離(ペイロード2,721kg、垂直離陸)700nm (1,295km) 以上は、V-22に匹敵する。
AW702は主に、北関東絶対防衛線の甲編成師団(第12、第14師団)と、2個ある即応師団(第10、第15師団)にまず、優先配備された。
今回は第15師団が佐渡島に上陸し、間引き攻撃と同時に、その実戦での運用試験も行っていたのだった。
「時代は変わりゆく、か・・・」
自分が新米の頃、戦術機は第1世代機の『撃震』だった。 情報は索敵レーダーの情報と、各種センサー情報のみ。 後はCP経由、中隊長や小隊長の指示だけだった。
今は第3世代機の94式『不知火』で、CECの導入により他戦区の状況―――Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)行っているかまで、リアルタイムだ。
(・・・思えば俺も27歳、来年は28歳・・・もう直ぐ30代、なんて年になったんだよな・・・)
幸運と言うべきか? 言うべきなのだろう。 同期生の多くが、10代後半から20代前半で死んでいった。 しかし自分は、今まで戦場で生き残れた。
生き残り、愛した女性と結婚でき、子宝にまで恵まれた。 今の時代、これ以上の幸運があろうか? 幸運であり、幸福と言わねばならないだろう。
(・・・だからこそ、部下達にも、俺に続かせる・・・)
そうか、人とは守るべきものが多ければ多い程、憶病になるものなのか―――憶病で有ると同時に、そして絶対に守ろうとする強さを持てるのか。
師団本部からの指示が大隊長機に入った。 それを確認し、了解の返信を返した後に、周防少佐は大隊の部下全機に通達した。
「―――作戦完了。 全機、RTB」
2001年11月12日 0630 日本帝国 新潟県旧新潟市北部 帝国陸軍早期警戒基地
「よう、ここに居たか」
背後から話しかけられ、周防少佐が振り返った。 声で誰かわかる、もう15年近い付き合いの親友の声だ。 同師団の長門少佐が歩み寄って来た。
阿賀野川の河口と、旧新潟港に面した早期警戒基地。 昔は新潟港であり、戦後に一時期存在した、日本帝国空軍の新潟基地でも有った場所だ。
その管制塔の脇、丁度、3階程度の高さの屋上だ。 北国の冬、朝は遅い。 しかも雪が降り出していた。 目前には曇天と雪に覆われた日本海。 その向うは・・・
「・・・寒いな」
そう呟く周防少佐は冬季BDUの上に、私物のセーターとコートを羽織り、1997年に公式には廃止された戦術機甲科独自のベレー帽を被っている。
長門少佐も似た様な格好だった。 帝国軍将校の軍装は、基本的に全て個人調達で有り、私物であった。 一応のドレスコードは存在するが、上級将校ほど、自由にしている。
「当たり前だ。 北国の冬が暑くて堪るか」
フン、と鼻で笑う長門少佐。 同時に胸ポケットから煙草を取り出し、1本火を付ける。 周防少佐も同じだ。 何の事は無い、モク中共が居場所を求めて、徘徊していただけだ。
2人の少佐は暫く無言で煙草を吸いながら、遙か曇天の日本海を眺めていた。 胸中には色々と、複雑な思いが絡み合っているが、ただ紫煙をくもらせるだけ。
「なんや、やっぱり、ここかいな。 お前ら2人とも、成長せんのう」
第3者の声にも、振り向かずに煙草を吹かす周防少佐と長門少佐。 そして2人同時に、反撃する。
「「―――そう言うアンタが、一番変わらんじゃないですか。 木伏さん」」
第14師団で第141戦術機甲連隊の第2大隊長を務める、2期先任の木伏一平少佐だった。 周防、長門の両少佐には懐かしい戦友であり、新米当時の上官でも有る。
「まあの、人間、年の15歳、16歳を過ぎたらの、もう人格形成の変更は利けへん、っちゅうしの」
―――身も蓋も無い。
更にモク中が一人加わり、現役の少佐が3人、雪が吹きすさぶ早朝の屋外で、震えながら煙草を吹かしている・・・はっきり言って、全く絵にならない。
暫くの間、震えながら煙草を吸っていた3人だったが、木伏少佐が不意に話題を振って来た。 周防少佐と長門少佐にとって、ある意味で最も答えにくい話題だった。
「あんな・・・この前な、軍務で帝都に行ったんや。 東部軍管区司令部主催の、勉強会でな。 中佐や少佐が呼ばれてな・・・」
「はあ・・・」
それ自体はよくある話だ。 上級司令部が、指揮下の、特に中堅佐官の能力啓蒙の為に、各種の新情報に基づく研究会や、勉強会を開催する事は。
「たまたま、第1師団の連中も一緒でのう、久賀に会ったわ」
「久賀に」
長門少佐が、探る様な口調で聞き返す。 木伏少佐はそんな口調を知ってか知らずか、相変わらず変わらない口調で話す。
「終わってからの、あいつと2人で、帝都で飲んだんや。 他の連中もおったが、ま、なんや? 雰囲気がの?」
「はあ・・・」
周防少佐も、切れが悪い。 そして暫く黙った木伏少佐が、周防少佐、長門少佐の2人を振り返り、真面目な表情に戻って問いかけた。
「久賀な、あいつ、どないしたんや? 妙にテンション高かったで。 普段、そんな奴と違うやろ? それにな、やたら昔の話をしよった」
「昔の話、ですか・・・?」
周防少佐が小首をかしげる。 自分達だって、昔馴染みの戦友と再会すれば、当時を懐かしんで色々と話す事など、良くある話だ。
「そんなんと、違うんや。 何ちゅうかの・・・死んだ連中の話を、懐かしそうに話よるんや。 昔の、大陸派遣軍時代の連中とかの・・・
美濃(美濃楓中尉、1993年1月戦死)や、古村(古村杏子少佐、1998年8月戦死)や・・・水嶋(水嶋美弥少佐、1998年8月戦死)なんかの・・・」
「・・・死んだ連中の、話を、懐かしそうに・・・?」
長門少佐が、無意識に音節を切りながら、呻くように言う。 周防少佐も、無言で表情を歪めた―――木伏少佐は、2人の後任達の表情で、当りを付けた。
「おい、お前ら、同期やろう!? 久賀の奴、どないしよったんや!? 言うとったで!? 『死んだら、昔の仲間や、死んだ女房に会える。 現世も死後も、楽しみだ』ってな!?」
詰問する様な口調の木伏少佐に、呻くばかりの周防少佐と長門少佐。 ややあって、長門少佐が小声で話し始めた。
「・・・あいつの第1師団は、国粋主義の連中が多いです。 特に、若手や中堅・・・大尉以下の将校団は、ほぼそうだ」
「・・・久賀の奴も、そうやと?」
木伏少佐の疑わしげな声に、周防少佐が自信無さげに首を振る。
「そうは、思っていませんよ・・・ただ、アイツも苦労しているのは、俺も知っています。 以前、第3連隊を訪ねた事が有って・・・面変わりしていましたが」
昨年末、丁度、1年ほど前の頃だ。
「ただ久賀の奴、ほとんど同期会に顔を出さなくなりました。 皆、心配しているのですが・・・」
帝国3軍では、『同期会は、準公務である』とは共通の認識である。 そして同期会からの除名は、即、予備役編入、即日予備役招集となる不名誉である事も。
そして更に木伏少佐が小声になり、周囲を憚るような様子で、コソコソト聞き始めた。 信じたくないが、疑わしさ満載・・・そんな話題など、したくなかったとでも言う様に。
「・・・まさかとは思うがな。 久賀の奴、あの変な集まりに、参加しとるんか?」
「・・・『戦略研究会』ですか? さあ、そこまでは・・・あの会は主に、尉官連中の集まりだと、そう思っていますが・・・」
長門少佐の声も、一段と低くなる。 そして視線で『お前も何か、ネタが有るだろう!?』とでも言う様に、促す。 周防少佐の身内関係を熟知している、古い親友だ。
「・・・俺も、特には・・・」
苦笑しながら、そう言う周防少佐。 久賀少佐とはそもそも師団が違う、それにお互い大隊長にまでなった身としては、少尉、中尉の頃の様な、身近な付き合いが出来ないのだ。
同じ師団なら、話は別だ。 横に居る親友の様に、師団も同じ、家は隣家同士、となればもう、お互いに妻に叱られている回数まで知っている。
だが、別の師団となれば、実は早々、上級指揮官同士で日常的な交流を、と言う訳にはいかない。 普段の業務も忙しいのだ。
しかしふと、唐突に周防少佐が手にした煙草を宙に止めたまま、何かを思い出す仕草をした。 そして苦々しそうな表情で、小声で言い始めた。
「・・・実は、特高(内務省警保局特別高等公安局)に親戚の従妹が居る。 同年の。 警部補をしているんだが、その彼女がな、夏頃だったか・・・」
周防少佐の従妹で、特高に所属する藤崎都子警部補が、お盆の頃に何気に周防少佐に聞いてきたのだ―――『軍って、摂家政治を復活させたいの?』と
「その時はまあ、酒も入っていたし・・・『そんな訳、無いだろ』って気楽に言い返したんだけど・・・今になってみれば、意味深だな」
「特高が、軍内部を監視している?」
「軍内部、ちゅうより、軍内の国粋主事連中を、やろうなぁ・・・」
その後だ、統帥幕僚本部の情報保全本部(防諜部)が、急に各部隊に対して信条調査を始めたのは。 これもまた、従姉で調査第1課調査班長の、右近充京香少佐から漏れ聞いた。
「嫌な話やで。 若い連中が、誰にも気付かれてへんと思い込まされて、実は周りからしっかり監視されとる・・・」
「馬鹿の事を、しなきゃいいんですけどね・・・」
「上層部も何を考えているのだか、見て見ぬ振りだし・・・」
幸いに、と言うべきか。 第14師団や第15師団には、国粋主義の萌芽すら認められなかった。 常にBETAとの対戦の緊張を強いられる即応部隊や、北関東防衛線部隊故か。
そろそろ夜が明けて来た。 相変わらずの曇天、それに雪は今日1日中、降る予報らしい。 周防少佐、長門少佐、木伏少佐の3人は、朝食を摂る為に煙草を消して、屋内に入った。
「まったくのう・・・佐渡島に、半島には鉄原もあるっちゅうのに。 国内の難民問題に、経済の再建やら何やら・・・これ以上、面倒事は堪忍やで、ホンマ」
木伏少佐のぼやきは、周防少佐も長門少佐も、全く同感だと、そう思った。