2001年6月18日 日本帝国 帝都・東京
「おや? 周防さん、今日は坊やのお守、旦那さんがしてんのかい?」
「あれまぁ、珍しいねぇ。 奥さんは、今日は?」
「坊やだけかい? 嬢ちゃんはどうしたね?」
―――ちょっと頼まれて、商店街まで買い物に来ただけなのに。 そんなに俺が子供の世話をしているのが、珍しいのだろうか?
昼下がりの地元の商店街で、息子を抱っこしながら買い物をしていると、知り合いの商店街の親父さん、小母さん達からからかわれるのは毎度の事だが・・・
「なあ、直嗣。 お前はどう思う?」
行く店、行く店で珍しがられ、その度に少しだけ顔をヒクつかせながら愛想笑いをしていたが、思わず抱いていた幼い息子に語りかける―――って、まだ無理だろ?
「あ~、あう~・・・」
「って、まだしゃべれないものな、ははは・・・」
今月の14日で息子も娘も、丁度満1歳になった。 早いものだな、子供の成長ってのも。 特に俺は生まれてから半年ほど経って、初めて子供の顔を見た訳だし。
その後は今年に入ってからも、4月から先月の末までマレー半島に派遣されたりで、実質、子供達と一緒に居たのは4カ月程だけだ。 本音を言えば、ずっと居たいけどね・・・
「ぱぱ・・・ぱぱ、ぶーぶー!」
「ん? ああ、そうだなぁ、ブーブー、走っているなぁ」
小さな指を指して、車道を走る車を指差しながら、キャッキャとはしゃぐ息子。 最近になって息子も娘も、『ぱぱ、まま』とか、『ぶーぶー』とか、1語文をしゃべり始めた。
これから段々と、色んな事をしゃべり始めるんだろうな。 そうして育っていって、成長して・・・それまで、その時に俺は、子供の側に居られるだろうか?
(・・・いかんな、どうにも)
歩きながら頭を振る。 その動きが気になったのか、息子の小さな手が頭に、髪の毛に絡んで来る。 『こらこら』と言いながら、ゆっくりと小さな手を離してやり・・・
(『―――息子の最後の様子をお教え頂き、誠に感謝の念に堪えません・・・』)
恐らくはご尊父がお書きになったのだろう、しっかりとした文面の、丁寧な謝意の手紙だった。
(『―――隊長殿、隊の皆さま方のご指導の下、息子が御国の御役に立てて死んだ事、それを知り得る事が出来、家族ともども嬉しく・・・』)
子供が死んで、嬉しい親がいるものか。 嬉しい兄弟・姉妹がいるものか。
(『―――最後に、隊長殿、隊の皆々様の武運長久を切に願わせて頂きます・・・』)
先月末にマレー半島の派遣から帰国して、暫く経ったある日。 マレー半島で戦死した部下の遺族から手紙が届いた。 先に俺の方から、お悔やみの手紙を出していた遺族から。
どうして自分達の子供が。 そうして自分の夫が、妻が。 どうして自分の兄弟・姉妹が・・・それが本音だ、庶民の本音だ―――果たして俺は、あの手紙を出した事は正しかったのか?
よそう、これ以上悶々としていても、仕方が無い。 忘れる訳ではないが、割り切らなければならない事だ。 戦争をしていれば、戦死者が出るのは当たり前の話だ。
そんな事を考えながら歩いていると、不意に1軒の店の前で呼び止められた。
「あ、直衛兄さん! こんにちは! あれ? 直ちゃんも? 珍しいね」
「やあ、ウィソ、こんにちは。 ・・・って、俺が育児しているの、そんなに珍しいかい?」
商店街の甘味屋、そこの『看板娘』で顔見知りのモンゴル出身の少女のウィソ。 更に店の中からもう1人の少女、ナランが顔を出して止めを刺された。
「だって、普段はお母さん―――祥子さんが独りで子育てしているじゃない。 直衛兄さんってば、少しは手伝ってあげないと!」
う~ん・・・言う様になったなぁ。 9年前のあの頃は、2人とも本当にまだ幼くて・・・もうナランは15歳で、ウィソは14歳だものなぁ。
等と感傷に耽っていると、直嗣がしきりに何か欲しいのか、手を伸ばして『まんま、まんま』とか言っている。 何を? と手の先を見ると・・・
「あ? これ? どうしよう、上げても良いけれど・・・」
ウィソが手に持っている(さては、おやつか?)蒸しパンだった。 レーズン(どうせ、合成だろうが)か何か入ったヤツだ。
彼女が『上げても良い?』と、視線で聞いて来る。 赤ん坊に大人用の、濃い味のお菓子はダメ! と、祥子によく言われるからなぁ、けど・・・
「・・・砂糖、入ってないよな?」
「うん。 今時そんな贅沢品、探したってないモン」
「隠し味に、栗の実を潰したの、入れているけれど・・・それ除ければ良いでしょ?」
なら良いか。 それにこの子達も、直嗣を構いたいのだろうな。 と思っていたら勝手に、手に手に蒸しパンを細かく千切って、直嗣に上げ始めているし。
「はい、直ちゃん、アーンして!」
「おいしい? おいしいよねー? んー! ほっぺた、プクプク!」
構って貰えるのが嬉しいのか、おやつが美味しいのか、上機嫌な我が息子・・・まてよ?
(・・・こいつ、大人の小父さん達(親父=俺や、親戚の小父さん=直秋)よりも、お母さんや女の人に構って貰う時の方が、機嫌がいいな・・・)
「・・・誰に似たんだ、お前は・・・?」
―――我が息子ながら、将来がちょっぴり怖い。
「ありがとうございましたー!」
最後に煙草屋で、煙草を2カートン買い求めて(1カートンは、隣家の亭主から頼まれ物だ)、さて家に戻ろうか、そう思っていたら向うから軍服姿の一団が歩いてきた。
(・・・珍しいな、こんな住宅街で)
陸軍の将校達だが、この辺には基地も官衙も無い。 それに歩いてきた方向の向こうは荒川の河川敷一帯・・・『荒川国内難民キャンプ』だ。
「・・・ん? おい、久賀か?」
「・・・周防? き、貴様・・・あ、いや・・・」
相当びっくりしているな。 しかし失礼な奴だ、指差して驚く事は無かろうに、ええ!?―――第1師団に所属する、同期の久賀直人陸軍少佐だった。 他に尉官が数人いる。
「は、はは・・・そ、そうだな、周防、貴様は子供がいたよな・・・凄まじく違和感があるが・・しかし珍しいな、こんな所で・・・」
「・・・別に珍しくなかろう? 俺の家はこの近所だからな。 因みに圭介は隣家だ」
「・・・もしかして、長門も子供の世話とか・・・?」
「ああ、サボると嫁さんが、おっかないらしい」
「そ、そうだな・・・伊達なら、やりかねんな・・・」
少し奇妙な空気になりかけたが、直ぐに久賀が俺を紹介し、後ろの尉官達の事を紹介した―――第1師団の各戦術機甲連隊に属する、衛士大尉、衛士中尉達だった。
「周防少佐は、俺の同期生だ。 今は第15旅団―――そうだな?―――だ。 先月までマレー半島か、ご苦労様だったな」
「いや、まあ・・・懐かしい顔にも会えたよ。 ヴァン・ミン・メイ。 彼女、母国軍に復帰していた。 一緒に戦った。 貴様の事も懐かしがっていたぞ、久賀」
暫く四方山話が続いたが、こんな所で赤ん坊連れでも何だと言うので、後日の再会を約して別れる事にした・・・ハズだったのだが。
「―――失礼ですが、周防少佐殿。 少しお聞きしたい事が」
久賀のすぐ後ろに居た背の高い将校―――大尉だ―――が、目の前に出て来て、そう言った。 随分と長身の男だ。 俺も183cmほどあるが、この男、190cmは有りそうだ。
「何かな? できれば手短にして欲しい。 見ての通り、赤ん坊連れなのでね」
「―――お時間は取らせません。 少佐殿はあの状況を・・・難民キャンプの状況を、どの様にお思いでしょうか?」
「・・・ご苦労なっている、痛ましい事だ」
「それだけ、でしょうか?」
大尉の目に、少し怒りの色が見えた。 この男・・・
「それだけだ。 個人としては、大変ご同情申し上げる。 何とかなれば、とも思うし、出来る事はして差し上げたい、そうも思う。 それでは不足か? 大尉?」
「高殿。 陸軍大尉、高殿信彦であります、少佐殿―――政府の無策は、糾弾されぬと?」
おい、この男―――チラッと久賀を見ると、奴め、案の定、少し目線を逸らせやがった。 その後で『それ以上、ここでは言うな』とばかりに、目に力を込めて返しやがる。
馬鹿か、勝手な事を言うな。 だいたい、この手の連中を押さえるのも、貴様の役目だろうが。 同期生の弱気?に、少し腹が立った。
「高殿大尉、君は正規軍人だな? ま、今のご時世、正規も予備も関係無いが・・・とにかく職業軍人であり、つまり公人だ。 それ以上は言うな」
自分では抑えたつもりだ、うん、俺は十分、抑えたぞ。
「では少佐は、政府の度重なる難民対策政策の反故も、年々削減される社会保障予算も、全て飲み込めと仰るのですか?
西日本と北陸・甲信越の大半が壊滅し、国内に数千万の難民が溢れかえり・・・彼らには、満足な保証は全く為されておりません!
小官も軍人であります、今の祖国の窮地は戦場で肌身に沁みて理解しております! しかし・・・しかし、なぜ同盟を破棄した米軍に対する補給協定を締結して・・・
あまつさえ、今年に入ってからは、その予算を増額するのでしょうか!? 増額する予算の捻出には、難民支援予算や社会保障予算の削減分が、充てられておるのですぞ!?」
言いたい事は判る、判るが、ここで言うな。 軍人なら、大尉にもなったのなら、場所柄を弁えろよ・・・
「・・・君も、私も軍人だ。 そして政治家でも、内務官僚でも無い。 それが私の答えだ」
「ッ! 少佐殿・・・!」
「・・・おい、そこまでだ、高殿大尉」
ようやくお出ましになりやがって。 一体、何を考えているんだ? 久賀・・・
「そこまでにしろ、高殿大尉。 貴様、周防少佐に失礼だ。 彼は非番で有って、しかもご幼少のご子息が、今もここに居る事が見えないのか?
すまん、周防・・・部隊の中には、家族が難民キャンプに入っている者も多くてな。 俺の落ち度だった、許せ」
「いや・・・そちらこそ、気にせんでくれ。 高殿大尉、繰り返し言うが、私個人としては、非情に心を痛めている。 これは本心だ、それだけは信じて欲しいものだ」
「・・・失礼しました、少佐殿」
2001年6月20日 日本帝国 帝都・東京 周防家
「高殿? ああ、知っているよ、同期だし」
遣欧派遣旅団で欧州に行っていて、この4月に無事、生きて日本に戻ってきた従弟の直秋(周防直秋陸軍大尉、2001年4月1日昇進)が、祥愛をあやしながら言う。
場所は俺の家の、小じんまりとした居間。 欧州土産の貴重な、宝石以上に貴重なスコッチウイスキーを持って来ていた―――祥子にも、化粧品やら何やら。
「どんな男だ?」
折角なので、小さなグラスコップ1杯だけ呑もう―――そう言って封を切ったボトルを、我ながら女々しい視線で見ながら聞いた(祥子に取り上げられた)
「んー・・・真面目な奴だったよ。 不言実行と言うか、何事も真正面から取り組んでた気がする」
「つまり、お前や蒲生(蒲生史郎大尉、2001年4月1日進級)、それに森上(森上允大尉、2001年4月1日進級)とは、真逆な優等生と言う事か」
「うるせえや・・・アンタだって、似たようなモンでしょ? ま、真面目なだけじゃなくて結構、茶目な奴ではあったよ」
「ふん・・・?」
そんな奴が、どうしてあそこまで―――真面目一辺倒と言うなら、まだ判る。 だが茶目な奴って・・・少なくとも、精神的なゆとりのある奴だったのだろうに。
「あいつ、確か・・・広島で故郷が壊滅するのを、目の当たりにしている」
何だと? 広島? 本土防衛戦の時か、だとすると当時の第2軍団か、壊滅した旧第10師団の所属か・・・
「あいつさ・・・広島戦線で避難民を助ける為に、逃げ遅れた少数の避難民を、突撃砲でBETAごと吹き飛ばしたんだよ。 故郷の、昔馴染みのご近所さん達をさ・・・」
「・・・そうか」
残り少なくなったグラスの中身を、チビチビと舐める様に飲む。 そうか、あれを経験した男か・・・それも、自分の『背景』の一部を、吹き飛ばさざるを得なかったか・・・
「確か明星作戦の前だ、仙台でクラス会が有ってさ。 卒業以来、会って無かったんだけどね、部隊が違ったし・・・面変わりしていた、皆が驚く程に」
「それ以来、会っていないのか? 何か誘われたりとか・・・」
そう言った俺の顔を、直秋が真面目な表情で見返してきた。 こいつがこんな顔をする時は、えてして何かに怒っている時でも有るよな・・・
「カマをかけるのなら、止めてくれよ、直衛兄貴。 俺もガキじゃねぇ、あんな得体の知れない集まりに、興味は無い」
「スマンかった。 お前、何か知っているのか?」
コイツも親父(周防直邦海軍少将)や伯父(右近充義郎国家憲兵隊中将)から、何気なしに聞いているのだろうな。
「詳細までは。 主だった面子は、俺の同期や1期から3期上の大尉連中だ。 陸士出の・・・何て言ったっけな? 第1師団の大尉が中心だそうだ。 陸士出身の連中も多いらしい」
―――それは、俺も掴んでいる。
「俺の知る限りじゃ、皆、優秀な連中だよ。 戦場経験も有れば、部隊指揮官でBETA戦を戦ってきた連中だ。 知っている範囲で言えば真面目な、正義感の強い連中が多いかも」
「正義感、ねえ・・・?」
「言い方を変えれば、責任感の強い連中かな? さっきの高殿もそうだ、部下思いの良い奴なのだけどね。 部下からも慕われているらしいし」
―――久賀も、基本はそうしたタイプの男だな・・・
国内は以前に増してキナ臭い。 遅々として進まぬ難民支援対策。 慢性的な財政赤字と相次ぐ増税、そして失業率の上昇。 何より排除されぬ甲21号―――佐渡島ハイヴの脅威。
それでいながら、政局は迷走を続けている。 先だっての選挙では、衆議院で政権与党が少数派になってしまった。 議会多数派―――政権野党は、政府政策に悉く反対している。
軍部が他の中央官庁と共謀し、議会の解散と全面戒厳令の発布、その後に挙国一致的・大政翼賛的独裁議会を、戒厳政府下に置く事を画策していると、メディアがスッパ抜いた。
そして昨年の冬から今年の春先にかけて、国内の難民キャンプ(国内・国際の双方)で、数万人の餓死者が出た事が明らかにされる。
これには軍内部でも動揺が走った―――帝国軍将兵の中には、家族が難民キャンプで暮らしている者も多いからだ。 特に、西日本出身の将兵に動揺が広まった。
そんな中、政府による『日米物品役務相互提供協定』、その関連予算の増額が決定された。 見返りは―――難民支援予算と社会保障予算の、更なる削減だった。
『―――政府は国民に、BETAに喰い殺される前に、餓死しろと言うのか!』(第186回 日本帝国通常国会速記録)
「ま・・・正直言って、あっちを立てれば、こちらが立たず。 二兎を追う者、一兎をも得ず、なんだけどなぁ・・・」
直秋が髪を引っ張る祥愛を、穏やかに叱ってから溜息交じりにそう言う。 こいつも国内だけじゃなくて、向う(欧州)で色々と見て来たからか。
最前線国家の常として、軍事と難民支援の両立は今や不可能、とは世界的な『常識』と言える。 しかしまぁ本当に、このままじゃ、この国は一体どうなってしまうのだろうなぁ・・・
「―――あら? 珍しく難しいお話ね?」
障子を開けて入ってきた祥子が、笑いながら言う。 にしても難しい話って・・・まあ、こいつ(直秋)とは以前は馬鹿話が多かったけどな。
「珍しいって・・・何気に酷いよ、祥子さん・・・」
直秋も流石に少し不貞腐れている、でもそんな奴を、コロコロと笑いながら流す祥子―――もう完全に、『弟扱い』だな。 そう言えば喬君とも、そう年は変わらないしなぁ・・・
直秋の手から祥愛を受け取って、抱っこしながら上手にあやす祥子の姿。 うーん・・・俺とは雲泥の差だな、母親って言うのは。
「ねー? 祥っちゃんには難しいお話よねー? パパもオジちゃんも、酷いよねー、祥っちゃんをのけ者にしちゃって」
「いや、別にそんな訳じゃ・・・って、祥愛、まだしゃべれないじゃねぇの!?」
いちいち祥子の『いぢわる』に反応する直秋。 こいつもすっかり、手懐けられているな・・・ 祥愛も『お昼寝の時間』だと、子供部屋に連れていく祥子。
暫くするとまた祥子が戻って来て、今度は手に茶菓子を持って3人分のお茶を淹れ直してくれる。 手軽な煎餅だが、間が持つのは有り難い。
暫くの間、直秋から欧州の話を聞いた。 懐かしい名前が何人も。 他に交流の無かった独仏軍の、噂でしか聞いていなかった人物の名も。
何人かは夫婦になっている。 ヴァルターと翠華、ファビオとロベルタ。 他にも何人か、軍人や軍属、或いは民間人と結婚したらしい。
或いは戦死者。 戦争をしている以上、誰かが必ず死ぬ。 ヴェロニカ・リッピが死んだ、昨年の末に旧アントワープ付近で。 遺体は回収されなかった。
ミレーヌ・リュシコヴァ、クルト・レープナー、アスカル・カリム・アルドゥッラー、ソーフィア・イリーニチナ・パブロヴナ、カレル・シュタミッツ・・・
20歳前後の少尉・中尉時代に、国連軍で共に戦った戦友達。 馬鹿な事で大騒ぎもすれば、時には派手に喧嘩もした。 そうか、彼らとはもう、会えないのか。
「・・・『会うは別れの始め』 でも、だからこそ、『袖すり合うも他生の縁』よ」
「・・・祥子さん、また随分と年寄り臭い事を・・・」
「なんですって・・・? じゃあ直秋君は、あの可愛らしい『恋人さん』とは、縁が無いとでも?」
「うわっ! そ、それを今、ここで言う!?」
「恋人? おい直秋、俺は初耳だぞ?」
焦る直秋に、してやったり、とばかりにフフン、と笑う祥子。 どうやら尻尾を掴まれていた様だ、こいつは。
「誰なんだ? 軍人か? それとも軍属? まさか―――お前が娑婆の女性を?」
「何だよ、その『まさか』って? 失礼な・・・深雪の先輩の女性だよ、小学校の先生をしていて・・・帰国して、実家に帰った時に深雪が連れて来ていて・・・な」
深雪とは直秋の妹で、俺の従妹に当る周防深雪。 直邦叔父貴の長女だ。 この春に女子師範を卒業して、小学校の教師をしている。
話を聞く所、深雪の1年先輩の女性だそうだ。 だとしたら今年22歳、直秋の1歳下か。 日本の教員養成も課程短縮で、小学校教師は21歳になる年からになっている。
4月の半ばに初めて会って、それから何度か深雪も交えて会っている内に、今は2人で会う位の仲にはなったそうだ。
「女の先生、ね・・・そうだ、直秋。 確かお前の初恋って、小学校の時の『きょうこ先生』だったよなぁ?」
「お、おい!? 兄貴! そんな古い話・・・関係ねぇぞ!?」
「ふふ、良いじゃない。 百合絵さん、しっかりとした人だし」
「祥子、知っているのか? その女性?」
「先月に、笙子と一緒に雪絵ちゃんが来てね。 お話はその時に。 で、この間、街で深雪さんとバッタリ。 その百合絵さんと一緒だったわ、少しお話もしたの」
ニコニコと微笑む祥子に、妹達の情報網が、ダダ漏れなのを嘆く直秋。 まあ、良いか。 こいつも過去を―――松任谷との事をふっ切れた、そう言う事か。
夕方近くになって、直秋がそろそろ帰る事になった。 実家には昨日顔を出していたそうで、これから立川の第39師団まで。 今のところ、営内居住をしている。
「どうだ? 新しい部隊は慣れたか?」
駅まで直秋と2人、連れだって歩いている途中、聞いてみた。 遣欧旅団が帰国した後、部隊はそのまま総予備兵力である、第39師団の戦力強化の為に吸収されていた。
それまでは軽歩兵(機械化歩兵)が主力の歩兵師団だった第39師団に、遣欧旅団が有していた重機動戦力―――戦術機、機甲、自走砲などが加わった。
これで『明星作戦』以降、2年近くに渡って続けられてきた日本帝国陸軍の戦力再建が、ひと段落したのだ。 ついでに言えば、第10と第15旅団も、各々師団に格上げになった。
「慣れるも何も・・・右見ても左見ても、古巣の遣欧旅団の連中ばかりだしね。 歩兵の連中とは、まだ余り馴染みは無いけれど」
森宮右近少佐、和泉沙雪少佐、遣欧旅団で2個の戦術機甲大隊長を務めたこの2人が、第39師団の戦術機甲部隊の中核になった。
「毎日、怒鳴られているよ、大隊長にはさ・・・」
「あはは、愛姫のヤツも復帰して少佐に進級して、それでもって大隊長だ。 張り切っているだろうし、お前は元部下だしな。 さぞ可愛いんだろうよ」
「・・・可愛がりも、程が有ると思うよ・・・」
ふん、お前の嘆きなんぞ、俺に比べたらまだまださ。 なにせ、広江中佐は未だ相変わらず・・・よそう。
隣家の長門家の主婦、長門愛姫―――軍では旧姓の伊達愛姫は、この5月末で産休と育休を終了して軍務に復帰した。 そして今は第39師団第393戦術機甲大隊長だ。
出産と育児で休職していた為、同期の中では士官序列上位だったにもかかわらず、昨年10月の少佐進級第1選抜から漏れてしまった。
予想では今年10月の第3選抜になるか? と思っていたら、どうやら第2選抜の『カットベッキ(選抜者の最後の方)』に引っ掛かった様だ。 6月1日付けで少佐に進級した。
今は森宮少佐、和泉少佐に次ぐ、第39師団戦術機甲部隊のNo.3として、そして直秋の上官として張り切っている。 直秋は第393大隊の第3中隊長だった。
「ええと? お前が393の第3中隊で・・・森上(森上允大尉)が森宮さんの391の第3中隊、蒲生が和泉さんの392の第3中隊長?」
「ああ、そうだよ。 ウチの大隊は、先任(先任中隊長)が天羽さん(天羽都大尉)だ」
ふーん・・・蒲生に、森上もねぇ・・・あいつらも直秋とは同期だから、不思議じゃないが・・・
「で、後は直衛兄貴のところから転属して来た、遠野大尉(遠野万里子大尉、2001年6月1日進級) 一体何なんだ、あの人? 俺より訓練校、半期上だろう?」
確かに遠野は22期A卒で、22期B卒の直秋より半期上だ。 それなのに大尉進級がどうして半期下の直秋よりも、2か月も遅いのか?
彼女の同期生達は、昨年10月1日に大尉に進級している。 順当に行けば、本来なら遠野も昨年10月には大尉に進級していた筈だ。
大体が、大尉までは同期生は、ほぼ横一線で進級する。 さて、言うべきか、言うまいか・・・俺も遠野の身上書の類は確認しているから知っているのだが・・・
「・・・彼女は初陣で、酷いPTSDに悩まされた」
いや、PTSDだけでは無い。 確かに対BETA戦での過酷な戦場に晒されはした、だがそれ以外にも・・・彼女は同僚達から、性的暴行を受け続けた。
孤立した部隊、BETAへの極度の不安、急激に減って行く戦友達。 そしてそれまで精神的支柱だった中隊長の戦死と同時に、部隊の箍が外れてしまった。
中隊長代理となった中尉も、普段から素行に問題の有った人物だと記載が有った。 救援が来るまでの3日間、BETAがいつ動き出すか判らない恐怖の中、中隊は狂った。
「衛士、整備、CP・・・数の少ない女性将兵たちが、な・・・勿論、生き残った連中で愚行を行った奴らは、全員が軍法会議送りだ。
首謀者は軍刑務所で3年の懲役刑の後、降格の上で国連軍の軌道降下兵団に、懲罰的に送り込まれた―――『明星作戦』で戦死している」
生還率20%、3回作戦に参加して生き残る事は無い―――そう呼ばれる軌道降下兵団だ。 事実上の死刑執行に等しい。
だが遠野の精神は病んでしまった、過酷な初陣、信じていた上官や同僚からの暴行、狂気に走った中隊・・・軍病院で半年、リハビリに3ヵ月が必要だった。
「・・・ああ、そうか、そう言う事だったのか・・・」
「あん? 何が?」
「いや、なんでも・・・こっちの話さ」
彼女の父上、遠野大佐が冗談の裏に、娘に対して非常に心配をしていたのは。 あのような経験をした娘が、俺の事を・・・で、父親として疑心暗鬼になったと。
幾らなんでも、部下に手を付けやしないよ。 最近の帝国軍も、国連軍程とは言わないまでも、軍内恋愛に寛容になってきたとはいえ、俺は妻子持ちだぞ?
等と苦笑している内に、駅前に着いた。 直秋はここから立川だ。
「あのな・・・この間、松任谷に会った。 いや、今は結婚して渡辺か、渡辺佳奈美大尉か。 主計に転科していたんだな」
「ん? ああ・・・ウチの所で、経理隊をしている。 どこで会った?」
「市ヶ谷さ、偶々ね・・・我ながら、あっさりしたモンだったなぁ・・・アイツもね」
そう言って直秋が笑う。 こいつももう、大尉だものな。
「今度、暇を見つけて渡会(渡会美紀大尉)も呼んで同期会でもしようか、ってな話になってさ」
「・・・良いんじゃないか?」
96年の10月、俺の国連軍出向が解けて帝国軍に復帰して、大尉に進級直後に任された中隊に、未だ10代後半の直秋と松任谷が、新任少尉で入ってきた。
4年前の97年2月、遼東半島。 2人に初陣を踏ませた。 その後は松任谷が負傷したり、いつの間にか2人が付き合い始めたり・・・で、別れた。 2人とも今年、23歳になる。
「生き残った同期生同士だ、楽しくやれよ。 折角だから、その『恋人』も、発表しちまえ」
「あのなぁ! 恋人、恋人って・・・百合絵さんとはまだ、7、8回しか・・・!」
「・・・7、8回? 7、8回も会っていて、まだ何も言っていないのか? お前、その女性の事、好きなんだろう? 阿呆、さっさと言っちまえ。
何だったらあれだ、深雪経由で俺から話を付けてやっても良いぞ? お前はちょっと、悠長すぎるからな・・・」
「止めろ! 止めてくれ、冗談じゃない!」
慌てふためく従弟を、好きな女性がいると言った従弟を、頼もしくなった従弟を、もう大丈夫だと思って、笑って見ていた。
2001年7月15日 日本帝国 千葉県松戸市 帝国陸軍松戸基地 第15師団
最近になって付近の土地を買収したりで、急速に拡張工事を進めている松戸基地。 それまで2個戦術機甲大隊しか無かった所に、今では6個戦術機甲大隊が居座っている。
基地の東西約2.2km、南北約1.6km。 BETAの本土上陸後に疎開した住民も多く、広大な土地がそのままになっていたのを、軍が買い取って基地を拡張したのだ。
「じゃあ、お子さん達は軍の託児所に?」
「ええ。 妻も内勤とは言え、市ヶ谷(国防省)ですし」
妻の祥子は6月末で産休とそれに続く育児休職を終了し、現役復帰した。 どこかの司令部付きの通信将校になるのかと思いきや、新たな職場は市ヶ谷だった。
国防相外局の国防相機甲本部、そこの第1部第2課員。 戦術機甲部隊・機甲部隊・機械化歩兵歩兵装甲部隊の専門教育、関係学校の管理を担当する部署だ。
「奥さんも、どちらかと言うと、そちらの方が合っているんじゃないのかい? 私の知る限りじゃ、前線部隊指揮官より、性格的に教育畑の方が向いていそうだね」
「本人も、意外に合っているのを、不思議がっていましたがね・・・」
師団本部の4階建ての建物、その中を2人して歩いている。 旧第15旅団を母体に拡大再編された第15師団、そこに懐かしい顔が戻ってきた。 荒蒔芳次中佐、元上官。
京都防衛戦で負傷後は、教導隊や士官学校教官を務めていた人だ。 今回、師団の戦力増強の一環として、歴戦の戦術機甲指揮官として引き抜かれてきた。
本土防衛軍総司令部直属の緊急即応部隊だった第10旅団と第15旅団は、マレー半島から帰国後に大幅な拡大再編が為された。
戦訓から、旅団規模では打撃力も損失吸収力も小さ過ぎる―――そう結論されたらしい。 再編を終え、練成も完了した大隊単位の部隊を新たに組み入れ、師団に格上げとなった。
師団長は、南遣兵団長を務めた竹原季三郎少将。 副師団長は、これまた南遣兵団参謀長を務めた熊谷岳仁准将。
「そうだな、君の奥さんは市ヶ谷勤務だったな。 私の所も、妻は陸軍病院に勤務しているから、子供は託児所に預けている。 判らない事が有れば、何時でも聞けばいいよ」
「ええ、その時はお願いします。 長門少佐も、同じようにすると言っていましたし」
軍はこの国で最も、福利厚生が充実している組織だろう。 主だった基地所在地には、付属の託児所から始まり、保育園や幼稚園まである。
軍人同士の結婚が多い事と、夫婦そろって軍務に就くケースが多い事も理由の一つだが、託児所などは所謂『戦争未亡人』を優先して、軍属待遇の職員に雇用していた。
戦場で夫を喪った妻、息子や娘を喪った母親、そんな女性達を優先して雇い入れている。 絶対数は小さいが、しないよりマシ―――俺達の様な夫婦には有り難い。
「ああ、彼もか。 伊達少佐は第39師団・・・立川だね?」
「ええ」
拡大再編されても、緊急即応部隊としての任務は変わっていない。 そこで第10師団と第15師団は、他の師団とは編成がやや異なる―――連隊が存在しない。
戦術機甲連隊、機甲連隊、機械化装甲歩兵連隊・・・他師団では普通に見られる部隊単位が、この2個師団では存在しない、大隊までが戦闘部隊での最大の部隊編成単位だった。
緊急即応の場合、その規模によって急派されるのは大隊戦闘団から旅団戦闘団、はたまた師団総出か、まちまちだ。 連隊編成だと、この『戦闘団』が軍編制上、やり難い。
その為に師団は内部に『機動旅団』司令部を3個抱える。 第1(A)、第2(B)、第3(R)の3個機動旅団だ。 (『R』は、『リザーブ』の事)
戦闘の際はこの3個旅団に適時、必要な部隊が組み込まれる。 旅団固有の戦闘部隊は存在しない―――何の事は無い、米陸軍方式を取り入れたと言う話だ。
第1機動旅団長は、元第15旅団長の藤田伊与蔵准将。 第2機動旅団長はこの6月に進級した、元第15旅団副旅団長だった名倉幸助准将。
第3機動旅団長は、士官学校教頭から転じた佐孝俊幸准将。 准将が4人もいる師団なんてウチの第15師団と、同じ任務の第10師団だけだ。
「私も実戦部隊は久しぶりだよ、今や大隊指揮では君の方が経験豊富じゃないかな? ま、宜しく頼むよ」
「何を言いますか。 遼東半島から朝鮮半島、本土防衛戦・・・私はまだ、そこまでの大隊指揮のキャリアは有りませんよ。 こちらこそ、中佐が復帰してくれて心強いです」
第10と第15師団の各戦術機甲大隊は、各々6個大隊。 甲編成の重戦術機甲師団(第1師団や第7師団、禁衛師団など)では3個連隊=9個大隊だから、それより戦力的には劣る。
これが乙編成の戦術機甲師団だと、1個戦術機甲連隊=3個大隊だから、戦力的には倍する戦力になる。 身重な甲師団より身軽で、打撃突破に不安が残る乙師団より強力な師団。
各戦術機甲大隊長は、最先任大隊長に荒蒔芳次中佐。 次席グループが俺、周防直衛少佐と、同期の長門圭介少佐。 この3人が一応、先任大隊長となる。
他の3人はこの4月に少佐に進級した、半期下の18期B卒の第1選抜昇進者。 間宮怜少佐、佐野慎吾少佐、有馬奈緒少佐の、これも懐かしい3人が転属してきた。
「そう言えば、小耳に挟んだのだが・・・神楽、いや、宇賀神少佐が、お目出度だそうだね」
「らしいですな。 3月の末に訓練校の教え子を送り出して、直ぐに判明したそうですが・・・」
同期生の宇賀神緋色少佐(旧姓・神楽。 2001年4月1日進級)は、衛士訓練校の教官をしていた。
そして3月に教え子を送り出した後、少佐に進級(内示が出ていた)後は、どこかの戦術機甲大隊長をする事になっていた筈なのだが・・・
「電話で宇賀神さん(宇賀神勇吾中佐、夫君。 第14師団第142戦術機甲連隊副連隊長)と話したんだが・・・嬉しいやら、照れくさいやら、そんな感じだったよ」
「まあ、おめでたい事で、良いじゃないですか。 宇賀神中佐も30代半ば過ぎ、夫人の宇賀神少佐は私と同年です、20代後半になりました。
お互い、訓練校を卒業して10代後半からBETAと戦い続けて・・・折角、生き残って来たのですから。 人の親になって、育てて・・・お互い、年をとるものですよ」
「おいおい。 君のその年で、言うセリフじゃないよ、それは」
緋色は結局、内勤になった。 第14師団が属する第7軍の第18軍団司令部で、広報室班長をしている。 確か愛姫もやっていた職種だが、あの緋色が広報か・・・想像出来ない。
「明後日は宇都宮だね、14師団との合同演習か」
「ウチの師団は、一応『東日本』担当の即応部隊ですし。 北の果ては南樺太の第11軍団(第53、第55師団)とも、合同訓練が有り得るわけで・・・」
「旅カラスだね、まるで」
2001年7月17日 日本帝国 栃木県宇都宮市 東部軍管区第7軍・第18軍団(第14、第40師団)
「おう、周防! わざわざ負けに来おって、ご苦労なこっちゃのう!?」
「木伏さん、言っておくけどウチの大隊はシベリア戦線から、ごく最近までマレー半島で実戦を積んで来ているよ。
そっちこそ、ここのところずっと、宇都宮で新潟のお守だろう? すっかり鈍ってるんじゃないか? 舐めていると怪我しますよ?」
「ほぉーお、生意気言うようになったのぅ・・・や、そうでっせ、副連隊長?」
「どれ、ではひとつ、揉んでやろうかな・・・」
「岩橋中佐、大人げないですよ・・・」
旧知の者ばかり、中には『明星作戦』以来と言う顔も見える。
「間宮、あんた、この間までウチの大隊だったでしょ? 華を持たせなさいよ?」
「永野さん・・・それはちょっと・・・」
「佐野君、元気そうだな?」
「お陰さまで。 ようやく人心地着いたころですが。 ああ、そう言えば宇賀神中佐、おめでとうございます」
「・・・かれこれ3カ月、会うヤツ、会うヤツ、皆がそう言いやがる、まったく・・・」
「若い奥さん、ようやく子供が出来たんだ。 もっと喜べよ、宇賀神さんよ」
「おい、若松さん。 あんたなぁ・・・」
流石に第14師団は帝国陸軍で6個しか無い、甲編成の重戦術機甲師団(他は第1(東京)、第5(大坂)、第7(北海道)、第8(九州)、禁衛(東京)の5個)
ズラリと並んだ9個大隊もの戦術機の群れは、まさに圧巻だ。 第14師団も打撃力は大きいが、その1.5倍もの戦術機甲戦力を有する師団。
「今回は18軍団(第14師団、第40師団)が青軍、14師団と軍管区予備の2個旅団が赤軍だっけ・・・」
「そうよ、ギタギタにしてあげるから、覚悟しときなさいよ、真咲?」
「そっくり、そのまま返すわよ、仁科。 アタシだって、マレー半島帰りさ」
「おう、八神ぃ・・・判ってんだろうな? 俺の中隊には手を抜けよ?」
「摂津さん、せこい。 仮にもアンタ、『フラガラッハ』でしょうが・・・」
「八神、手なんて抜かんでいい、メタクソに叩いてやろうぜ」
「うわっ! 最上さん、相変わらず性格悪いぜ!」
「何や、若い連中、同窓会みたいやのぅ・・・」
「仕方ありません、福田閣下(第18軍団長・福田定市陸軍中将)。 14師団も15師団も、元を辿れば旧第14師団と旧第18師団の中核連中の集まりですし」
「それだけ、相手の癖の裏の裏まで熟知している。 森村さん(第14師団長・森村有恒陸軍少将)、これは千日手になりそうですかな?」
「天谷さん(第40師団長・天谷直次郎陸軍少将)、こっちはウチの14師団とお宅の40師団で、併せて12個戦術機甲大隊がある。
対して14師団は6個大隊、軍管区予備の2個旅団には戦術機部隊は無いぞ? もしもそれでこちらが負けてみろ・・・」
「はは、これで青軍が負ければ、嶋田閣下(第7軍司令官・嶋田豊作陸軍大将)から、大目玉ですな」
「おいおい、竹原君(第15師団長・竹原季三郎少将)、それは堪忍やで・・・」
初夏の北関東で、北関東絶対防衛線の防衛部隊である第18軍団と、東日本担当即応部隊である第15師団との、合同演習が大体的に発動された。