2000年1月27日 0335 カムチャツカ半島北部 ソ連軍第35軍・第27自動車化狙撃兵師団
昨夜半から、かなり風雪の勢いが増してきた。 師団主要陣地の前面に構築された警戒陣地、その中の一つであるこの陣地でも、何とか風雪を凌ぐ掩蔽壕を作って極寒を凌ぐ。
戦闘が膠着化して数日が経つ。 未だBETAの動向が判明しない以上、交替で後方陣地にて休息を取りつつ、対峙し続けねばならない。 歩兵には辛い展開となった。
この日もあと20分少々で、警戒任務の交替時間が迫っている。 申し訳程度の掩体(頭上に丸太を敷いて、その上に盛土を50cm程乗せただけだ)の背後は吹き曝しだ。
かじかむ手を防寒手袋の上からさすり、PKMS(7.62mm×54R弾使用の汎用機関銃)の銃把を握り直す。 隣で分隊の仲間が、RPKM分隊支援火器を抱き抱えている。
「・・・チキショウ、寒いな・・・」
「・・・ヴォトカは?」
「もう無い」
「やるよ、飲め。 凍え死ぬぞ」
「ん、スパシーバ」
木製の(多分手作りだろう)水筒ならぬ、『ヴォトカ入れ』を手にとって、飲み口のコルクを取り、少しだけ中身を口に含んだ。
ドロリとした透明の液体は、喉でカッと焼ける様に熱さを感じさせ、胃に落ちてゆく。 もう一口飲む。 蓋をして、仲間に返す。
掩体の覗き部から、改めて周囲を用心深く見渡す。 真っ暗闇だ、照明弾が後方から撃ちあがっているが、風雪のお陰で余り役に立っていない。
陣地は後方に掩蔽壕を作り、そこから外に少々の露天スペースを作り、そこから更に前方に5箇所の掩体に繋がっている。
各々の掩体には、三脚架に取り付けたNSV重機関銃(12.7mm×108弾)が1丁と、PKMS汎用機関銃(7.62mm×54R弾)が3丁、配備されている。
他にRPG-29が各々3本あり、露天スペースには2B9 82mm自動迫撃砲が1門、備え付けてあった。 それなりに火力を有する陣地だが、BETA相手には非常に心もとない。
所詮は前進・警戒陣地だ。 それに単独で戦うのではなく、隣接する同じような陣地、そして後方の主力が陣取る主陣地からの火力を得て、初めて複合的に戦える。
「チキショウ、腹も減って来た・・・」
「・・・何でだよ? 『夜食』を食ったのは4時間前だぜ?」
交替休養の際にこっそり後方の糧秣庫から『盗んできた』、合成乾肉や何やらを夜間任務時に食べる訳だ、ヴォトカと一緒に。 でないと体内でエネルギーが燃焼しない。
「食ってねえ。 カードの賭けに負けてさ。 ヴァシリーのヤツに巻き上げられた」
「またかよ・・・ 『チェラヴェークーイジオーット、トエータ、ナドーゥガ』(馬鹿は直しようが無い)」
只でさえ娯楽の無いソ連、しかも最前線。 即興のカードゲームで賭けるのは、配給のヴォトカや『夜食』が通り相場だ。
「だからよ・・・ 余りモノで良いんだ、恵んでくれ」
「あほう。 『クトー、ニェ ラボータイェット、トット、ニェ、イェスト』(働かざる者食うべからず) サボるな」
同じ壕の仲間からも、呆れた声が上がる。 この兵士の博打好きは、隊の仲間内では有名だった。 何しろ、賭けられる物は下着までも・・・
「・・・まて、前方、何か動いた」
「・・・何時方向だ?」
その瞬間、だらけた雰囲気さえあった陣地内に、緊張が走った。 隣接する掩体でも、重機を構え、汎用機関銃の銃口を左右に向けつつ、警戒を開始している。
「1時半方向・・・ オルロフの奴の、前進陣地が有る方向だ・・・」
息を顰める。 同時に他の方向へも、注意深く警戒を行う。 時間にして10数秒、確かに吹雪く音の彼方から、微かに音が聞こえた―――人の声だ。
近づいて来る。 おかしい、交替時間まではまだ、10数分ある。 それに連絡なら有線で・・・ やがて、人影が判る程度になった―――血まみれで、雪にまみれ、恐怖に強張った顔が。
「・・・た、たすけ・・・ べ、BETAが・・・」
そこまで聞こえた。 距離にして10mほど。 途端にその人影が宙に舞った、いや、持ち上げられたのだ。 真っ暗な風雪の向こうから聞こえる―――咀嚼音!
「ッ!―――アゴーン!(撃て!)」
一斉にNSV重機関銃が、PKMS汎用機関銃が、12.7mm機銃弾、7.62mm機銃弾を弾きだす。 AK-74Mアサルトライフルから5.45×39mm弾が、シャワーの様に吐き出された。
風雪の風切り音だけの世界から、重低音が鳴り響く戦場音楽の世界へ。 同時に左右数か所から、暗闇の向うに蠢く影が現れた―――小型種BETA!
「2B9! 2時方向、距離200! 叩き込め!」
「こっちも居る! 10時、180! くそう、早い! 兵士級だ!」
「撃て! 撃て!」
「本部! 本部! こちらЗ(ゼー)-125警戒陣地! BETA群発見! 小型種、100、いや、150・・・200・・・増えている! 火力支援を乞う!」
『こちら本部! 前進陣地はどうなった!?』
「馬鹿野郎! そんなモン、ここの真正面にクソBETAが来てンだ! とっくに喰い殺されている!」
2B9自動迫撃砲が、82mm迫撃砲弾を連続して発射する音が響く。 あっという間に5発弾倉を撃ち尽くし、再装填に入っている。
「とにかく急いでくれ! 座標は―――今、転送した! 2・・・いや、3方向からだ! まだ増えている! 何時までも、保つもんじゃない!」
『こちら本部、了解した! しっかり壕に入っていろ! 榴弾砲の支援砲撃を行う! あと5分、持ち堪えるんだ!』
「了解!―――クソッたれ! 5分、保つのか・・・!?」
重機が腹に響く重低音と共に、小型種BETAを真っ二つに引き裂いている。 汎用機関銃が数丁で火綱を作り、キル・ゾーンに侵入した動きの速い兵士級を数体、纏めて撃ち倒す。
「とにかく、陣地前のクソBETA共を始末するんだ! 無理に攻撃範囲を広げるな、隣の陣地に任せろ! 火綱の密度が薄くなる!」
「弾を持って来い! 誰か、弾を!」
「2時、距離30! 10体来るぞ!」
「ボリス! ボリス! 11時方向の奴を殺ってくれ! こっちは反対方向で手が一杯だ!」
「迫撃砲! まだか!?」
迫撃砲弾が炸裂する度、数体の小型種BETAが千切れ、吹き飛んで行く。 そしてその後から、後から、湧き出る様に現れる異星起源種―――重機が火を噴き続けた。
「・・・よし、やれる! このまま、陣地同士のキル・ゾーンを維持していりゃ、連中を・・・!」
皆がそう思ったその時、暗闇の向こうで蠢く塊の中から、一回り大きな蠢く『何か』を発見した。 大きさは小型トラック程も有る。
その大きな塊が、無数に、それも密集してじわじわと近付いて来る。 最初に近づいたのは、重機関銃の射手だった。 彼はこの陣地では最古参の兵士だった。
「・・・やっぱり。 小型種だけでも、おかしいと思ったんだ・・・どうして、こいつらが先頭集団に居るんだ・・・?」
次の瞬間、重機関銃の射手はその大きな蠢きに向け、12.7mm機銃弾をありったけ撃ち込みながら、絶叫するように叫んだ。
「―――RPG! 真正面、戦車級だ! 出やがった! RPGを叩き込め!」
2000年1月27日未明、カムチャツカ半島北部戦域で、多数の前進・警戒陣地が破られた。 BETA群の侵入数、不明―――。
2000年1月27日 0425 カムチャツカ半島北部・コルフ 日本帝国海軍聯合陸戦第4師団
「回せー! 緊急起動をかけろ!」
「第41、第42戦術機甲戦闘団(連隊相当)、全機緊急発進だ、急げ!」
「第43戦術機甲戦闘団のオーバーホール作業は中止! 至急、元に戻せ!―――1時間!? 30分でやれ!」
「推進剤タンク車、コネクタ接続完了!」
「外部電源車輌、急げ!」
コルフに臨時の仮設基地を設営している聯合陸戦第4師団は、今は蜂の巣をつついた喧騒の最中に有った。
ただし、舞鶴での壊滅戦を何とか生き残った古強者や、第1、第2、第3聯合陸戦師団からの転属者も多い事も有り、パニックには至っていない。 むしろ・・・
「第401から第403戦術機甲戦闘隊(大隊相当)、全機発進準備完了した!」
「第404、第405、第406戦術機甲戦闘隊、発進準備完了まであと、15分!」
「第407から第409戦術機甲戦闘隊、外装チェック完了! 燃料・推進剤注入開始! 兵装確認開始!」
手際の良さは、真夜中の師団全力出撃が命令されたにしては、異様に手際が良い。 下命から僅か10分後には、3個戦闘隊(大隊)の出撃準備が整った。
≪司令部より第401、第402、第403戦術機甲戦闘隊指揮官。 BETAの動向は未確認なれど、パレンからマニルイ方面を主侵攻路に突破した模様。
なお、ソ連軍第35軍司令部より緊急要請、ベンジナ湾西岸、タイゴノス半島よりBETA群が襲来の模様。 これをソ連軍3個師団、2個戦術機甲旅団と共に、殲滅要請有り≫
―――動向不明。 BETA群の数量不明。 その上で、侵攻して来た群れの殲滅要請。 難しいな、情報がこれだけでは。
ハンガー脇のピスト(衛士待機所)で、師団本部からの命令を受けた白根斐乃中佐は、腕組みで押し上げられた豊満な胸を微かに上下させ、少し溜息をついた。
次の瞬間、閉じた目を見開いて主だった部下達を見据える。 第1中隊長・鴛淵貴那大尉、第2中隊長・大野竹義大尉、第3中隊長・菅野直海大尉。
中佐の脇には指揮小隊指揮官で、戦闘隊最先任中尉の久納好季中尉が控える。 彼女はそれら歴戦の部下達を見回し、静かに言った。
「―――これ以上の南下は、絶対に阻止する。 帝国海軍聯合陸戦師団の名にかけて」
次々に戦術機が―――聯合陸戦第4師団第41戦術機甲戦闘団に属する、3個戦術機甲戦闘隊の96式『流星』が120機、跳躍ユニットから轟音と発光炎を輝かせ、飛び立ってゆく。
師団の先陣は常に第41戦術機甲戦闘団が務める。 この部隊のみ、3個戦術機甲戦闘隊全てが、96式『流星(AB-17A)』を配備されていたからだ。
他の第42、第43戦術機甲戦闘団は、1個戦術機甲戦闘隊だけが96式『流星』装備で有り、残り2個戦術機甲戦闘団は未だ、84式戦術歩行戦術機 『翔鶴』装備だった。
96年の制式採用以降、国外に生産工場を移転したメーカーの努力も有って、順調な生産配備を続ける96式ではあるが、如何せん必要機数が多い。
特に母艦戦術機甲部隊再建の為、AB-17B(戦域制圧機型)の生産が優先された事も影響していた。 AB-17A(近接戦闘機型)は第1聯合陸戦師団さえ、全定数を満たしていない。
自然と84式『翔鶴』の性能向上型(陸軍の『撃震』のノウハウを取り込んだ、陸戦高機動型)に数的主力を依存せねばならかなった。
1999年末に至って、ようやく河西航空、石河嶋重工、九州航空、愛知飛空の生産4社がインドネシア、ニューギニアに移転させた全工場のフル生産体制が整った所だった。
今までは東北地方の太平洋岸の工場群と、日本帝国信託統治領の北マリアナ―――サイパンの工場で、辛うじて生産を続けていた。
未明の真っ暗やみの中での、高速NOE。 LANTIRN(夜間低高度赤外線航法・目標指示システム)が作動しているとは言え、生半な腕前の衛士では出来ない。
未だこのカムチャツカ・シベリア戦線で光線属種が確認されていないとはいえ、それを鵜呑みにして高度を上げ過ぎるのは、愚の骨頂。 制限高度は150mだ。
『―――ブラックナイトよりウンディーネ、ポセイドン。 ベクター2-8-5からポイント・デルタで3-3-0に変針。 15分後に会敵予定』
第41戦術機甲戦闘団で、先任戦闘隊長を務める第402戦術機甲戦闘隊長の小福田巳継中佐(海兵105期)から、進撃針路決定の通信が入った。
白根中佐は即座に転送されたデータを、戦術指揮管制システムで網膜スクリーンに呼び出す。 コルフから北西に進出、山間部を出た辺りで一気に北上する。
『・・・丁度、タイゴノス半島から渡って来たBETA群の横腹を突く、ですな』
僚隊である第403戦術機甲戦闘隊長・垂井亮少佐(海兵113期)が情報を確認し、納得した様に頷いた。 白根中佐も無言で頷く。
元より、戦闘団の戦場での総指揮は小福田中佐が執る。 中佐は海兵105期で最先任指揮官。 白根中佐は111期、垂井中佐は113期で白根中佐の2期下だ。
『そうだ。 さっき師団本部から最新情報が入った。 マニルイのソ連軍第27自動車化狙撃兵師団は全滅。 第79戦車師団も甚大な損害を受け、撤退中だ。
現在は第39自動車化狙撃兵師団、第129狙撃兵師団、それと第90戦車師団が第2次防衛線を構築して防戦中だ。 ソ連軍第64、第70独立戦術機甲旅団が支援に入った』
戦術機部隊が居なかったとは言え、自動車化狙撃兵師団1個が全滅―――文字通りの全滅だろう―――そして戦車1個師団が撤退を余儀なくされる程の損害を出した。
「・・・どうも、不意打ちだったようですが・・・ それでも2個師団が壊滅とは。 BETA群の数は1万やそこらでは、利かなさそうですね? 小福田中佐」
果たして今のソ連軍に―――第35軍に、BETAを押し止める事が出来るかな?
白根中佐は胸中でそう案じた。 何せ、第35軍の数的主力は歩兵と戦車部隊だ。
『ああ、そうだ、白根君。 想定で2万前後、師団規模を上回る数のBETA群が、カムチャツカ北部に殺到して来たらしい。
戦場からの通信は大混乱だ、正確な情報は未だつかめていないが、もしそうだとしたら2個師団では、とてもな・・・』
防ぎきれない、定数割れを起こした2個師団だけでは。 せめて戦術機甲部隊の1個連隊でも有れば、もう少しマシな数を撤退させられたのだろうが・・・
推進剤を節約する為に、巡航速度でNOEを続ける事、数10分。 ようやく変針点が近づいた。 ここから先、10数分でBETA共との楽しいダンスの時間が始まる。
後続情報では第42、第43戦術機甲戦闘団も、全機が全力出撃を済ませた。 おっつけ合流する事だろう。 ならば我々は、その露払い役をせねば。
「―――ウンディーネ・リーダーより各中隊! 気を引き締めろ、そろそろ楽しいダンスの時間だ! 舞台から弾き出される事は許さん、いいな!?」
『『『―――了解!』』』
3人の中隊長から、異口同音の声が返って来た。 宜しい、やってやろうじゃないの―――何機かは確実に喰われる、それは甘んじて受け入れよう。
やがて変針点。 機体を傾け、北上するコースに乗せる。 あと10分少々で戦場を視認できる筈だった。
ならばその、死にゆく部下達の命に見合った戦果を。 彼らの死に、意味を。 もしかしたら、死に意味は無いかもしれない。 でも、それでも・・・
やがて、海岸線付近が目視できた。 暗視視界に映る、黒々とした塊が海岸線一帯にうねっている。 内陸からは曳光弾が無数に海岸に向けて撃ち出されている。
数秒進出しただけで、様相がはっきりした。 隙間も見えない程、密集した異形の群れ。 所々光って見えるのは、連中の認識器官が放つ鈍い光か。
それが―――数キロに渡って続いている。 陸上では撃破され、炎上している機体や車輌が所々で見えた。 どうやら苦戦中らしい。
『ブラックナイトよりウンディーネ、ポセイドン、所定の攻撃ポイントに移れ。 以後、各隊戦闘自由』
「ウンディーネ、了解―――リーダーよりウンディーネ全機! 突入! 突入! 突入! 攻撃、開始せよ!」
指揮官の声に呼応するように、各中隊の制圧支援機から一斉に多数の誘導弾が発射された。 真っ暗な世界に、噴射炎を吐き出しながらBETA群に向かって飛び去って行く。
暗視界故に、一層の事BETA群の幅が大きく、広く感じられる。 まるで無限の広がりを見せる、果てもなく密集する無数のBETAが、そこに居る気がした。
2000年1月27日 0450 カムチャツカ半島沖 ベーリング海・カラギン湾 帝国海軍第2艦隊 第6航戦旗艦・戦術機母艦『飛鷹』
真冬、悪天候、夜間の洋上を、大波を上甲板にまで被りながら突き進む艦隊。 その中の1隻、『飛鷹』の艦内は陸上からの緊急信を受け、第1級戦闘配置に入っていた。
その中で比較的動きの無い部署―――本来なら攻撃力の主役となるべき戦術機甲部隊では、天候回復待ちで待機状態の筈の衛士達が、指揮官室に押し掛けていた。
「隊長! 出撃許可を!」
「4師(聯合陸戦第4師団)までが、全力出撃する有様です! 我々も制圧支援出撃を! 中佐!」
「国連軍(第58戦術機甲師団・大東亜連合軍派遣)も、先程全力出撃を下命しました! 半島付け根の防衛ラインは、ソ連軍3個師団の他は、陸戦隊と国連軍の2個師団だけです!」
「2戦隊(戦艦『駿河』、『遠江』)、5戦隊(戦艦『出雲』、『加賀』)が制圧砲撃任務の為に、分離しました。 しかし、精密支援で母艦戦術機部隊に勝るものは有りません。
どうか、中佐。 戦隊司令部にもう一度・・・! 出撃の許可を! 陸上がそう何時までも保つとは思えません・・・!」
口々に、出撃許可を求める部下達を前に、『飛鷹』戦術機甲隊長の長嶺公子中佐は、仏頂面で素っ気なく答えた。
「―――不許可!」
「隊長!」
「不許可と言ったら、不許可だ! 貴様ら、餓鬼じゃあるまいし、何ださっきから、ピーチク、パーチクと!」
凄味を利かせて部下達を怒鳴りつける。 だが彼女の部下達も、伊達に戦場で揉まれて来た衛士達では無い。 それこそ、長嶺中佐が仕込んできた連中だ。
それに実際のところ、母艦部隊の瞬間面制圧能力はこう言った状況でこそ、その真価を発揮する。 まさに『出番』は今なのだ。
1人の士官が、黙って中佐の前に出てきた。 それまで比較的静かにしていた、先任中隊長の鈴木裕三郎大尉だ。 騒いでいた連中が、一斉に押し黙る。
「中佐。 陸は地獄の大釜と思われます。 そして今まで光線属種が確認されなかったとはいえ、こちらの都合に合わせてくれないのが、BETAです。
2戦隊と5戦隊、もしかすると真っ向からの『撃ち合い』になるかもしれません。 聯合陸戦第4師団も、恐らく防衛戦の主力を担う事になるが故に、被害も大きくなる可能性が。
何とかならんでしょうか? 司令官へ今一度、出撃許可の要請を・・・ みな、戦友を気遣っての事です」
「・・・不許可だよ」
「―――中佐・・・!」
一瞬、長嶺中佐と鈴木大尉の間に、火花が飛んだ気がした。 両者が静かに向き合うその場に、今度は新たに2人目の人物が間に入って来た。
大尉の次席、通称『トンちゃん』こと、加藤瞬大尉がその愛称の由来となった福々しい顔、そして衛士としてその体形は? と思える恰幅の良い体を揺すりながら、両者の間に入る。
「ま、ま、中佐も、鈴木も、そう尖がらずに、ね? どうせこの悪天候じゃ、発艦作業なんて無理なんだし」
加藤大尉は寧ろ、海兵同期の鈴木大尉を押さえる様な恰好で、穏やかにそう言う。 同時に、周囲に気付かれない様に、鈴木大尉に目配せをする。
充分押しただろう? 次は引けよ、引く演技だ、鈴木―――加藤大尉の口が、無言でそう言っていた。 鈴木大尉も、それを見逃さなかった。
そして今度は、長嶺中佐をちらりと見る。 中佐は―――仏帳面を崩さず、『演技』を続けている。 案外、本気かもしれないな、だとしたらそろそろ、潮時だろう。
「・・・この天候で貴様ら、母艦からの発艦が出来ると思うか?」
長嶺中佐がムスッとした声で言う。 そのセリフに、中堅以下の若手士官たちが思わず怯む様子を見せた。
「しかも、海上は陸上以上に暴風雨が吹き荒れている。 如何に慣性飛行システムが有ろうと、最後は個人の技量次第だ。
この中で、夜間の荒れた天候で飛べる『技量A』は何名居る? 私は部下の技量評価には、色眼鏡で見た事は一切無い。 精々、10名と少しだ、そんな腕っこきは」
実際、陸上上空に差し掛かれば、聯合陸戦第4師団の例に漏れず、NOE飛行で(有る程度の高度を取って)の進撃は可能だろう。 その程度の技量は、全員に叩き込んだ。
だが洋上飛行はまた別だ。 悪天候、低気圧の影響は陸上より余程、凄まじい。 突風に機体バランスを崩して、嵐の海に突っ込む機体が続出する事は目に見えている。
「それ以上に難しいのは、着艦だ。 夜間、風雪の激しい悪天候、艦は大波で不規則なヨーイングとピッチングを繰り返している―――私でも、無理だ」
『技量特A』―――海軍衛士として、頭抜けた技量を誇る長嶺中佐自身、『無理』だと言う様な悪条件。 大半の衛士は着艦事故を起こす事だろう。
恐らく発艦時と洋上での事故、攻撃時の損失と(光線級はいないが、それを見込んだとして)、最後は着艦時の損失。 確実に、最低でも7割から8割は失う。
「私は、貴様達をそんな馬鹿げた事で喪うつもりは無い。 貴様達一人、一人をここまで育てるのに掛った国民の血税と、海軍が費やした手間暇。
考えた事は有るのか? 貴様達の命は、貴様達のモノでは無い。 全て皇帝陛下と帝国、そして国民の為のモノだ―――好きに死なせは、せんぞ」
そこまで言って押し黙った長嶺中佐を見て、同期生から『演技』を促された鈴木大尉が、一歩引いて頭を下げる。
「―――申し訳有りませんでした、中佐。 再建為った母艦戦術機甲部隊、BETAへの恨み、つらみを叩き込むまでは、無為に死ぬ訳には参りません・・・」
要するに、血気盛んな若手の中少尉達を押さえるのに、中佐と大尉達が一芝居打った、そう言う事だった。
最後に、長嶺中佐の副官を務める宮部雪子大尉と、後任中隊長を務める森岡寛治大尉が、背後の若手士官たちを見回し、解散を命じた。
大尉の中で『強硬派』だった先任中隊長の鈴木大尉が折れた以上、彼らに『勝ち目』は無い。 それに冷静に考えれば、若手衛士達で上官より技量の勝る者も居ない。
すごすごと指揮官室を退出して行く部下達の後ろ姿を見ながら、加藤大尉が大仰に肩を竦めて言った。
「やれやれ、若い連中は直ぐに頭に血が上る・・・」
「・・・加藤さん、まだ20代半ば過ぎでしょう?」
「もう、だよ。 衛士としちゃ、もう『若手』でもないよ」
階級的にも、戦術機に乗れるのは少佐か、精々中佐辺りまでだ。 それ以降は生きていれば確実に、他の役職―――飛行長や戦隊参謀職が回ってくる。
30代も半ばを過ぎれば、そろそろ衛士としては『定年』が近づいて来るのだ。 経験は何より豊富だが、体力、気力、持久力で若い部下達に及ばなくなって来る。
「・・・まあ、加藤さんの年は置いておいて」
「・・・何だよ? 君とは2期しか違わないじゃないか、森岡君よ」
その隣で小さく溜息をつきながら、宮部大尉がこぼす。 彼女は鈴木・加藤両大尉の1期下、森岡大尉の1期上だった。
「2期違えば充分・・・それよりこの悪天候です。 艦隊気象班の予報では、今日の昼過ぎより収まるそうですが・・・」
「それでもまだ、まる半日かかる、か」
演技?を終えた鈴木大尉も、難しい顔で脳裏に戦況図を展開させて考え込む。 今の戦場は、カムチャツカ半島の北部。 ソ連軍第35軍の防衛戦区だ。
既に2個師団が壊滅・全滅し、今は3個師団に日本海軍聯合陸戦第4師団、国連軍第58師団の5個師団が主力となり、砲兵・ロケット旅団が4個旅団、支援を行っている。
戦術機甲部隊は、ソ連軍の2個旅団と聯合陸戦師団の3個戦闘団(連隊相当)、国連軍の1個連隊。 ソ連軍戦術機甲旅団は、3個大隊編成だから、都合5個連隊。
侵攻して来たBETAの数にもよるが、安心できる戦力では無い。 それに他のBETA群の動向が知れぬ以上、同じカムチャツカのソ連軍第5親衛軍は防衛戦区を動けない。
第35軍総予備の1個自動車化狙撃兵師団、砲兵・ロケット各1個旅団と、1個戦術機甲旅団は最後の『保険』であると同時に、半島南部第42軍との連携が必要だ。
「・・・聯合陸戦師団は、陸軍2個師団相当の戦力を持っている。 そうむざむざと、やられる事は無いけどね・・・」
天井を走る配管を見つめながら呟いた長嶺中佐は、『ま、天候が回復次第、全力出撃有るのみ』と言って、部下達を退室させた。
それから暫く、無言で考え事をしていた。 いかに普段は破天荒な『イケイケ』な部隊長でも、それだけで中佐の戦闘隊長を任される程、海軍は馬鹿でもお人好しでも無い。
陽気に見える長嶺中佐の内面は、至って冷静に彼我の状況を比較分析し、損失の見積もりを弾きだし、そして戦果を挙げるか。 冷酷なまでの計算が出来ねば、務まらないのだ。
(・・・少なくとも、あと半日は、出撃は無理。 それでも気象条件は厳しい、せめて昼間の安定した時間で攻撃したい。 でなくば、何機かは確実に海に突っ込む・・・)
それまでは、何としても陸上部隊に頑張って貰わなくては。 部下の育成にかかった手間暇と、海軍の期待値。 そして個人的な感情を天秤にかけ、中佐は前者を取った。
(・・・だから、ゴメン、白根。 私はまだ、そこに行けないや・・・)
2000年1月27日 0550 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー Г(ゲー)-05基地
「・・・この様に、全般状況は芳しくない。 帝国海軍聯合陸戦第4師団、国連軍第58師団が戦線を支えているが、ソ連軍は既に2個師団を失っている。
防衛ラインの戦力は、帝国・ソ連・国連を合せ5個師団、砲兵旅団とロケット旅団が各2個旅団、それに戦術機部隊が2個旅団。
対して、現在までの威力偵察、戦闘状況から推測出来るBETA群の数は約2万、師団規模を上回った。 5個師団で抑え込めるか、微妙な所だ」
帝国軍遣蘇派遣旅団、国連軍先遣戦闘団合同の作戦会議。 空気は宜しく無い。 何せ、叩き起こされて聞かされた第一報が、『ソ連軍師団の壊滅』なのだから。
もっとも、その報に恐怖する程、上品な根性を持つ連中もいない。 皆が皆、長年戦場で戦ってきた古強者達だ。 もっと酷い戦況、もっと酷い負け戦は、幾らでも経験した。
「現在、国連軍を中心に戦線の再構築を検討中だ。 アナディリ前面から姿を消したBETA群の動向が判明次第、シベリアのソ連軍第41軍から増援が南下してくる。
カムチャツカの第42軍もまた、レスナヤから1個師団と、戦術機甲1個旅団を北上させる決定を下した。 抜けた穴は―――言わずもがな、だな」
あちこちで失笑が起こる。 その為に我々が派遣されているのだから。 それにソ連軍の1個師団は元々、第35軍から抽出されてきた部隊だ。 始めから居なかったと思えば・・・
それにこちらも、増援が到着した。 昨日26日に、国連軍の追加増強部隊が揚陸されたのだ。 戦車2個大隊に自走砲2個大隊、機械化歩兵装甲2個大隊だ。
これで帝国軍遣蘇旅団・国連軍先遣戦闘団の正面戦力は、戦術機6個大隊、戦車4個大隊に砲兵3個大隊、機械化歩兵装甲3個大隊。 1個重戦術機甲師団に匹敵する。
帝国軍上層部と国連軍北極海方面総軍との協議の結果、国連軍先遣戦闘団は(増援部隊を含め)帝国陸軍の都築准将が指揮を執る事になった。
国連軍派遣戦闘団司令・周中佐は同時に、合同混成・増強旅団戦闘団『都築兵団』の戦術機甲部隊司令・兼・高級参謀に横滑りとなった。
この他に支援部隊を帝国軍から1個連隊、国連軍から1個大隊をその編制内に入れる。 もはや『旅団戦闘団』の域を越しているな、本当に。 参謀長の説明が続く。
「ソ連軍の部隊編成は、比較的小型だ。 1個師団に1個戦術機甲旅団が抜けても、我々はそれを補って十分、お釣りがくる戦力だ。
当面はЦ-04前進補給基地に再進出する。 向うで第18親衛狙撃兵師団(ペトロパヴロフスク・カムチャツキーより抽出)、第66独立親衛戦術機甲旅団と共に、防衛に当る」
レスナヤの第78独立親衛戦術機甲旅団が北部戦域に抽出された為、今残っているソ連軍戦術機部隊は第66親衛と、第336の2個戦術機甲旅団だけだ。
歩兵部隊はレスナヤの第73自動車化狙撃師団と、パラナの第189自動車化狙撃兵旅団。 戦車旅団と砲兵旅団、ロケット旅団が、各2個旅団ずつ。
北部戦線が安定しない訳だ。 残るBETAの動向がはっきりしない以上、南部の第42軍も動かせる戦力に限りが有る。
これ以上割くと、本当にBETA侵攻が発生した時、防衛戦力が枯渇する事態になる。 増援を北に送りたくとも、送れないのだ―――広く、薄く張り付けている現状では。
「では、次に戦闘部署に付いて説明する。 主力の戦術機部隊、これは戦闘団を結成し、総指揮を周中佐にお願いする・・・」
団司令・周蘇紅中佐の元、第1部隊が趙美鳳少佐、それに俺と圭介。 第2部隊は大東亜連合(ベトナム軍)のグエン・フォク・アン少佐と、棚倉に伊庭。
戦車隊の先任指揮官は元長中佐で、その下に3個大隊の大隊長達がいる。 こちらは多分、兵団本部の直接命令で各個が独立し、有機的に連動して動く事だろう。
砲兵部隊は先任の大野大輔中佐が指揮を執る。 機械化歩兵装甲部隊は、国連軍(統一中華・台湾軍)の徐文龍中佐が指揮官となった。
今回はЦ-04前進補給基地。 南部西岸の防衛ラインにより近い基地だ。 それ以北のЦ-02やЦ-03では遠過ぎて、戦車や砲兵、機械化歩兵装甲部隊が間に合わない。
出撃は20分後。 既に全部隊、準備は完了している。 後は時間を待つばかりだ。
ブリーフィングを終了し、大隊が間借りする建物へと戻る途中、呼び止められた。 美鳳だった、隣に圭介も居る。
「直衛、圭介、今回は場合によっては途中から、緊急発進が有るかもしれないわ。 手順の確認、いいかしら?」
「ん? ああ、いいよ、美鳳」
「余り時間も無いぞ? どこでやる?」
出撃まであと20分を切った。 お互い、指揮部隊の最終確認を、しなければならないからな。
「時間はとらせないわ、基本的な役割分担ね。 突撃部隊、強襲支援部隊、後衛・側面支援部隊。 大まかだけれど、その辺を」
―――要は、何はともあれ至急戦場に、と言う場面で、大まかな最初の役割をと言う所か。 本来ならばそれに見合った機体特性の部隊で、振り分ければいいのだろうが・・・
「・・・92式弐型も、殲撃10型も、元々の原型機は同じ。 開発コンセプトも、似たり寄ったり。 機種で振り分けるのは、ちょっとな」
「となると、最後は指揮官の特性か?―――直衛、お前、突撃部隊決定な」
「決定かよ? じゃあ圭介、お前のトコは強襲支援な。 で、美鳳のトコは後衛・側面阻止担当で」
「・・・昔と全然、変わらないじゃない・・・」
―――美鳳の溜息をつく表情が、案外可愛い。 国連軍時代は『年上のお姉さま』だった彼女だが、今ではようやく、同じ目線で相手を見れる様になった気がする。
「適材適所。 何だかんだ言って、俺はその役目だと思うよ」
「俺は、こいつの手綱引き役。 ったく、訓練校入校前のガキの頃から、変わらねえな・・・」
俺と圭介の言葉に、美鳳が苦笑する。 それこそ昔、欧州で戦っていた頃、そのままだ。
「ま、決定でもなければ、固定でもないだろうし。 戦況次第だろう? その辺はお互い、やり方も知っている者同士だ。 そう構えずに行こうや」
圭介のその言葉で美鳳も納得したか、軽く頷いた。 彼女なりに先任指揮官として責任を感じている故だろうが、過敏に過ぎるのも良くないと思うな。
「でも、第2部隊はどうかしら? 私は直衛と圭介だから、勝手知ったる、だけれど。 でもグエン少佐は、インドシナやクラ海峡防衛のベテランだけれど・・・
ほら、そちらの棚倉大尉や伊庭大尉とは初見だし。 いざという時にはどうかしら? やっぱり司令に話して、日本軍は4大隊纏めて貰った方が・・・」
美鳳の言葉に、ちょっと考える。 俺達は勝手知ったる美鳳が相手だから、今更コンビネーションがどうとか、そんな心配はしていない。
が、第2部隊は帝国側と国連側は、確かに初見だ。 だが棚倉にしても、伊庭にしても、あいつらだって大陸派遣軍の生き残りだ。
俺や圭介と同様、訓練校を卒業後すぐに、大陸の戦場に放り出された『テストケース組』で生き残った、数少ない同期だ。 だから早々、下手は打たないと思う。
確かにグエン少佐とは今回が初見だ。 お互いの性格も、指揮スタイルも、全く判っていない者同士だ。 美鳳の心配も解らないではなかったが・・・
「大丈夫だろう、棚倉も伊庭も、事前にグエン少佐に色々と打診してみる、そう言っていた。 それに元々、大東亜連合はアジア諸国の集まりだ。
急造チームで戦う事は日常茶飯事だろうし、棚倉も伊庭も、大陸や半島では中国軍や韓国軍と、即席チームを組んだ経験が有る連中だし。 大丈夫だろう」
「そう・・・そうね、お互いベテランなのだし、その辺は大丈夫よね、きっと」
「な? 大丈夫だろう? 心配する事は無いさ―――過剰な心配は、戦場ではご法度だぜ、美鳳。 美女に死なれるのは、人類の損失だしな?」
それまで真面目な、神妙な表情の美鳳に、横から圭介が茶々を入れて話しかけた。 表情は―――国連時代、こんな表情を良くしてやがったな。 女性将兵を口説く時に!
思い出した。 ファビオに次いで、裏で女性を口説く事が多かったのは、この馬鹿野郎だ。 俺が散々、言われている裏でこの野郎は・・・思い出すだけで、腹が立ってきた。
「あら? 圭介。 貴方、随分と守備範囲が広がったのね? 昔、小耳に挟んだ限りでは、私やニコールは好みじゃない、って聞いたわよ?」
ようやく調子を取り戻したか、美鳳がクスクス笑いながら言う。 そう言えば、コイツの嫁さんは美鳳とは全くタイプが違う。 どっちかと言うと、翠華に似ている・・・と思う。
「誰がそんな、根も葉もない話を? 美人は大歓迎」
「・・・戻ったら、お前の嫁さんに言ってやろう・・・」
「・・・指揮小隊の部下と、良い雰囲気の野郎が何を言っているんだか。 バラしてやるぞ、お前の嫁さんに」
「・・・それこそ、根も葉もない噂話だ。 こっちも迷惑している」
―――誰だ? あんな馬鹿話を広めた奴は? 見つけ次第、シメてやる・・・ そう思った時、背後から足音が近づいてきた。
振り返ると、帝国軍の若い女性士官が1人。 俺を見つけ、足早に寄って来て敬礼する。 俺の直属部下の1人だった。
「大隊長、全機、出撃準備完了しております。 大隊総員、準備よし」
―――間の悪い時に・・・
圭介の馬鹿は、ニヤニヤしながら自分の大隊に戻って行った。 あの野郎、今まで散々、自分の悪行で弄られた意趣返しだ、絶対に! 美鳳はと言うと・・・
「―――可愛らしい部下ね。 死なせない様に、しっかり守ってあげなさい?」
そう言って、こっちも笑って自分の大隊に戻って行った。 畜生、完全に誤解している。 圭介は兎も角、美鳳は天然な所が有る。 これはマズイぞ、嫁の耳に入りでもしたら・・・
後に残されたのは、憮然とした俺と、事態が掴めずキョトンした表情の部下―――副官の遠野中尉だった。 まあ―――確かにお淑やかな美人なのだが。
「あの、大隊長? 趙少佐と、長門大尉は一体、何のお話を・・・?」
しかし勘違いするな! まったく、勘違いするな! こいつは、遠野のこの態度は―――天然なのだ、遠野の場合は! まったく!
「―――気にするな、何でも無い。 それより忙しくなるぞ、これからは」
「BETAの動向は、まだ判明しておりませんが・・・?」
「―――勘だ」
『―――あ、大隊長が戻って来た。 遠野中尉も一緒だよ』
『―――なんか、絵になるよね~』
『―――まあねー、美竹少尉も言っているけど、結構渋い良い男、な感じだし? 大隊長って。 遠野中尉はお淑やかな美人だし』
『―――ね? そう思うでしょ? 千夏?』
『―――好きよね~、慶子ってその手の話! でも噂じゃ愛妻家だってさ、大隊長って』
『―――判んないよ~? 特に戦場じゃ・・・って、先任達が言っていたよ?』
『―――秘めたる略奪愛、ってやつ? 遠野中尉のキャラじゃ無い気もするけどね~?』
『―――その意外性が、いいんだってば!』
『・・・お前ら、懲りねえな。 あの大隊長を、そんな噂話のネタにするなんて・・・』
『・・・本気で尊敬する。 その怖いもの知らずさには・・・』
『―――半村ぁ、槇島ぁ、男ってのは、いざって時に情けないなぁ~?』
『―――やっぱり萌えるよ、うん!』
2000年1月27日 0755 カムチャツカ半島 ソ連軍Ц-04前進補給基地 観測ルーム
「・・・何だ? この震動?」
「地震か?」
環太平洋火山帯に属するカムチャツカ半島は、この300年で50回もの大爆発を起こしたクリュチェフスカヤ山(4,835m)の他、多くの火山を抱え火山活動が活発な地域だ。
それと同時に巨大造山帯で有るが故に、地震活動もかなり活発な地域だ。 実際に1952年にはM9.0もの巨大地震が発生し、クリュチェフスカヤ山は毎年噴火を繰り返している。
「いや、違う・・・これって・・・」
「・・・まさか!」
「地中侵攻か!? センサーは!?」
明らかに地震波とは異なる、徐々に近づいて来るような、徐々に大きくなって来るような、そんな連続した震動が、観測ルームを襲ってきた。
地中震動波観測チームの要員が、大慌てでディスプレイに飛びつく。 おかしい、先程まで全くそんな兆候は無かったのに!
「第1から第8、第9、第12は検知せず! 第10、第11、第16から第25まで無応答! ・・・くそっ! 第26から第28が検知した! 異常震源複数! 移動している!」
「震源、深度が浅くなっている!―――波形照合! BETAだ、推定数・・・1万以上!」
「無応答だと? ・・・畜生! この間の『取引分』で欠落している場所か! Ц-03との中間地点! あの辺にはまだ、部隊は展開していないぞ!?」
「今更、ンな事はどうでも良い! コード991だ! 本部! こちら観測班! 基地北東、距離50km! Ц-03との中間地点に、師団規模BETA群の地中侵攻です!」
針路は―――最悪だった、BETAの針路を真っすぐ伸ばした先に、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーが存在していた。
2000年1月27日 0825 カムチャツカ半島南部 ガナリ北方20km(ミリコヴォ南南東140km、474号線上)
「戦術機、全機を起動させろ!」
「外部電源車! コネクタ? OK? よし!」
「兵装の最終確認、急げ!」
「各機、機付長は機体準備完了後、速やかに報告せよ!」
風雪が吹雪く野外の公道上で、大部隊が路上停止して戦術機部隊の緊急発進作業を急ピッチで進めている。 戦術機トレーラーから機体が次々降ろされ、起動して行く。
兵団司令部に緊急信が入電したのが10分前。 狭い山間部を行動していた為、直ぐに出撃作業にかかる事が出来ず、5分前にようやく広さを確保出来る原野に到達した。
輸送隊、整備隊、兵器管理隊の将兵が大急ぎで作業に取り掛かり、5分後には大方の発進準備が整った事は、称賛に値する練度の高さだ。
野戦指揮管制車輌(中型セミトレーラーに通信機材を満載したコンテナを搭載。 大型部隊の移動司令部)の前に各級指揮官が集合している。 参謀長が状況を説明していた。
「先程、緊急信が入った。 Ц-03とЦ-04との中間地点、北東距離50kmに師団規模BETA群の地中侵攻が発生した」
参謀長のその一言に、各指揮官から失望の声が上がる。 距離50km、そこまで接近されない事には、地中侵攻の兆候さえ掴めない友軍に対して。
「―――色々と言いたい事は有るだろうが、それは後回しだ。 BETA出現地点はカムチャツカ地区最終防衛線の15km手前だ。
そこから真南に300kmも進めば、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーだ―――人類はユーラシア北東部を失う事になる、アラスカが最前線と化す」
BETA出現地点から、カムチャツカ地区最終防衛線を抜ければ、それより南にはまともな地上防衛戦力は存在しない。
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーまで陥落すれば、防衛バランスが崩れてシベリアのアナディリも、早期に陥落だろう。
「現在、Ц-03とЦ-04の基地防衛隊が全力で対応中だ―――基地を何とか守り、閉じ籠る為にな。 各々戦術機2個中隊と戦車2個中隊、砲兵と機械化歩兵装甲部隊が少々。
ソ連軍第42軍の北への増援は見送りだ、反対に第73自動車化狙撃師団、第551戦車旅団、第78独立親衛戦術機甲旅団が、レスナヤから急派されて移動中だ。
戦術機部隊を除く、ソ連軍各部隊の到達は、あと3時間後。 我々とほぼ同時刻だ、今日の昼前にはミリコヴォ周辺に到達する」
参謀長の言葉に、戦術機甲戦闘団司令・周蘇紅中佐の表情が微かに曇った。 それまでは戦術機部隊単独で、友軍への支援を行わねばならない。
「現在の友軍防衛戦力は、先程話した通り2基地の基地防衛隊の他に第189自動車化狙撃兵旅団、第208戦車旅団、砲兵・ロケット砲兵4個と第66戦術機甲旅団。
ああ、それとパラナから第336独立戦術機甲旅団が10分後に戦線に到達する。 当面は戦術機甲旅団2個―――実質、3個戦術機甲大隊規模の戦力だ」
レスナヤから発進した第78独立親衛戦術機甲旅団とて、定数3個大隊の内の7割程度の充足率に過ぎない。 稼働率も7割―――定数の半分の戦力と帝国軍は見込んでいた。
「戦闘車両、砲兵部隊の防衛網が薄い。 従って防衛戦闘の主役は、当面の間ソ連軍4個から5個大隊に、我々の6個大隊が担う事になる―――戦闘団司令、願います」
小柄だが圧力を感じる女性将校が前に進み出た、国連軍冬季野戦服に身を固めている。 参謀長から続きを促された周中佐が、作戦説明を引き継ぐ。
「―――戦術機甲部隊、各指揮官に告ぐ。 皆も知っている通り、戦場は山岳部となる。 今回も光線属種が確認されていない、故に格好の狩猟場ではある」
6人の各戦術機甲大隊長達が、微かに表情を崩す。 狩猟場とは言え、山岳戦は発見が厄介な場所だからだ、言う程容易な戦場では無い。
「未確認だが、BETAの総数は1万以上。 恐らく1万2000前後と推定される。 これが最低でも4派に分かれて分進している」
1派で約3000体、旅団規模だ。 ソ連軍防衛戦力では、この中の1派に対する防衛戦闘が精々か。 他は野放し状態になっている筈だ。
北からソ連軍の2個師団相当(自動車化歩兵、戦車、戦術機部隊)に、南から『都築兵団』(重戦術機甲師団相当)が戦場に向かっている。
これで他の3派、約9000体のBETA群を阻止せねばならない。 ソ連軍が3000体程を相手取るとして、都築兵団は残る約6000体を相手取らねばならない。
「我々の敵は、最低でも2派のBETA群だ。 丁度4派の真ん中を侵攻してくる2群―――北部に侵攻したA群に対し、C群、D群と呼称される連中だ。
まずはコイツらの足止めを行う。 第1部隊目標、C群。 第2部隊目標、D群。 B群とE群はソ連軍に任せろ、第66は戦闘に入った、第78と第336も間もなくだ」
周中佐がここまで説明し、部下大隊長達を見回す―――何か、質問は? そう問いかけた。 1人の指揮官が挙手をする、周中佐が無言で頷き、発言を促す。
「―――第1部隊、第101独戦大隊、周防大尉。 団司令にお聞きします、Ц-04方面の戦術機甲戦力はソ連軍第66旅団の、実質1.5個大隊のみです。
Ц-03方面は第78と第336の2個旅団、3個戦術機甲大隊ですので、我々の1個部隊に匹敵しますが、Ц-04方面の阻止戦力が薄すぎると考えます。 如何に?」
確かにそうなる。 他の3方面は3個戦術機大隊で戦闘に当るが、このЦ-04方面は半分の戦力でしか無い。 突破される危険性が有るとしたら、この方面だ。
ならば、距離から見てペトロパヴロフスク・カムチャツキー到達時間に余裕のあるD群に対して、まず全力を叩き込み殲滅した後、分派戦力をЦ-04方面に投入すべきでないか?
その後ならば、それより北のC群へは4から5個大隊を投入できるし、Ц-04方面へも1個か2個大隊を増援に送り込める。
その進言に、周中佐は首を振った。 その案は先程、兵団長、参謀長とも協議し、そして破棄したプランだった。 周中佐がその理由を説明する。
「あくまで、BETA群の各々の個体数は想定だ。 もしかすると個体数の偏りが有るかもしれん。 だとすれば、最悪の場合も想定せねばならない。
6個大隊で1派を殲滅するのに、予想以上の時間を要するやもしれぬ。 3個大隊を1派に充てる事は、想定される事態へ最低限必要と判断される戦力だ、総司令部は判断した」
その言葉に、周防大尉を含め数人の指揮官が頷いた。 充分考えられる話だ、あくまで想定―――現状は、想定で動かざるを得ない。
如何に戦力が薄くとも、全体を見て『捨て駒』、或いは『時間稼ぎ』として潰す戦力が生じたとしても、それは戦域戦略上、致し方の無い事だと、各指揮官は自身を納得させた。
「了解したな?―――出撃準備は整ったようだ、以後は作戦指示に則り、各指揮官は部隊を掌握し、奮戦せよ。 諸官の武運を祈る、以上だ」
団司令に敬礼し、戦術機甲部隊各指揮官が、自分の部隊へと急いで戻って行く。 その間にも戦車、自走砲、機械化歩兵装甲各部隊指揮官に対する指示が伝達されていた。
やがて周囲を圧する轟音が鳴り響き始めた。 6個大隊、240機に達する戦術機群が一斉に、主機の出力を戦闘出力に上げた咆哮だった。
周りの積雪が一気に舞い上がる、まるでブリザードだ。 その中から薄暗い極北の朝の大気を揺るがし、1機の戦術機が噴射跳躍をかけ、飛翔して行く。
それを合図に全戦術機が次々に噴射跳躍をかけ、高速NOEを始めた。 暗い朝の雪空に、多数の跳躍ユニットの噴射炎を煌かせながら、北へ向かって飛び去って行った。