2000年1月24日 1050 カムチャツカ半島沖 ベーリング海・カラギン湾 帝国海軍第2艦隊 第6航戦旗艦・戦術機母艦『飛鷹』
寒風吹きすさぶ冬のベーリング海。 氷海を行く艦は波濤を切り裂いて、その飛沫は瞬く間に凍りつく。 下甲板のみならず、上甲板まで氷柱が張り付く有様だ。
そして戦術機母艦の飛行甲板は、他に遮るモノの少ない艦型。 故に、極寒の風と氷柱の洗礼をモロに受ける。 もっとも発艦に支障の出そうな場所は、予熱されているが。
遠くに第5戦隊の2戦艦が見える。 流石に大型艦はこの波濤の中でも、力強く航行している様に見えた―――現実は、艦内はさぞ吐瀉物の匂いが充満しているだろう。
「・・・面白くない」
しかしながら、洋上から遥か陸岸を睨みつけるこの人物にとっては、そんな『些細な事』は関係無いらしかった。
「そうは言いましても、出撃命令が出ない限りは、どうしようもないですよ、中佐」
ハンガーデッキ脇で、寒さを堪えつつも苦笑しながら答える、長年の相棒が呆れる。 折角の『リハビリ出撃』だと言うのに、ここはひとつ楽をした方が良いだろうに。
「今現在、主戦場はオホーツク海のベンジナ湾最奥、マニルイ付近です。 ここから直線距離で400km、戦術機の行動半径を越していますって。
出撃したは良いですが、帰りは推進剤不足で陸上部隊のお世話になりますよ? ああ、聯合陸戦第4師団なら、コルフ防衛線辺りに居るかも―――って、うひゃあ!?」
「・・・何よ、宮部~、アンタ、そんなに白根がポイント稼いで、アタシが無聊をかこっているのが嬉しい訳!?」
ぬうっと、思わずそんな擬音が似合いそうな感じで、恨めしそうな表情と共に上官が目前に迫ってきたら、誰でも驚くわ!―――宮部雪子海軍大尉は、内心そう毒づいた。
それにまあ、長年の相棒で上官である長嶺公子海軍中佐(1999年12月1日進級)の心境も、解らないでは無い。 何せ母艦戦術機部隊は、『明星作戦』のご指名が無かったのだし。
(・・・とは言っても、母艦部隊の再建は基地隊や聯合陸戦師団、はたまた陸軍師団より、よっぽど手間暇が掛るのだけどね~・・・)
事実だ。 ただ単に、戦術機の操縦が出来、戦闘機動が出来れば良いだけでは無い。 洋上低空突撃、空中機動、最難関は母艦での発着艦訓練。
天候を問わず、それらの操縦技量が全て一定以上にならなければ、母艦戦術機部隊の価値は無い。 技量未熟では、無駄に損失を増やすだけ。
実際の所、陸海軍戦術機甲部隊で、海軍母艦戦術機部隊の平均技量が恐らく1番だ。 それだけ技量を磨かなければ、使い物にならない。 訓練での事故率も、一番多い。
「ま、まあ中佐。 戦場がもう少し南下すれば、制圧支援出撃が有りますって。 そうすれば、白根中佐に恩も着せられるでしょ? ね?」
「・・・南下しなかったら、どうしてくれんのよ?」
―――そこまで、私の知った事じゃない!
宮部大尉は内心で盛大に毒づきながらも、何とか上官を宥めにかかった。
「あー、ほら、もしかしたらこの海域はお払い箱で、もっと北上するかも! 米海軍と一緒に、BETAの頭上に95式自律誘導弾をばら撒けますって! ねえ!?」
本来は喜ぶべき状況なのだろうが、『飛鷹』戦術機甲隊にとっては、隊長の『出番なし』は出来れば回避したい所だった―――副長の宮部大尉の、胃腸の具合を考えれば。
「・・・やっぱり、面白くない」
「―――っくちゅん!」
一瞬、その声が戦場で通信回線に流れた瞬間、部下達は全員『・・・意外と可愛い』と思った。 一瞬だったが。
「・・・くそ、誰か噂しているわね。 大方、母艦で無聊をかこっている長嶺あたりが・・・」
意外に鋭い予測を発揮しながら、帝国海軍聯合陸戦第4師団、第41戦術機甲戦闘団第401戦術機甲戦闘隊(大隊規模)の白根斐乃中佐(1999年12月1日進級)が、周囲の戦況を見回す。
地衣類だけがへばりつく様に自生している、背の低い低山と言うか丘と言うか、そんな起伏が延々と連なる。 地面は岩礫ばかりの荒涼たる大地。
そこに所々、赤黒い内臓物をぶち撒いたBETAの残骸が散らばっている。 曇天で粉雪が舞っている天候で、BETAの残骸の上に薄らと新雪が積もり始めていた。
北から漏れて南下して来たBETA群だ、数は少ない。 ソ連軍は定数割れで有名な上、部隊編成も小型だが・・・数だけは多い、何とか戦線を維持しているようだ。
「鴛淵! 大野! 西戦区は必ず喰い止めなさい! 菅野! 東は!?」
『大丈夫ですよ、中佐! こんな、数100程度のBETA共、それも光線属種が居ないなんて、舐めた真似しくさって! もう直ぐ殲滅です!』
第3中隊長・菅野直海大尉から、威勢の良い声が返って来た。 見れば中隊長自ら先頭に立って、BETA群を切り刻んでいる。
96式『流星』、その高機動近接戦闘タイプ(母艦部隊は戦域面制圧タイプを運用)が、水平噴射跳躍で、一気にBETAとの距離を詰めた。 直前で逆噴射制動をかける。
機体の運動エネルギーを強引に相殺して、即座に肩部と腰部のスラストベクターを効かせ、機体の急動作による空力も利用した高機動。
96式の出力特性、空力特性を完全に把握した上で、BETA群の中を泳ぐ様に、重心移動も完璧に手中にした高速機動をしつつ、咄嗟射撃で次々に屠って行く。
『隊長! 菅野隊長! 突撃前衛は、こちらでやりますから! 隊長は左翼迎撃後衛でしょう!? 武藤が泣きそうな顔していますよ!』
この声は菅野大尉の部下で、突撃前衛小隊長の堀光昭中尉か。 何時もならば、この『突撃隊長』が、真っ先に突っ込んでいる筈なのだが・・・
左翼の中隊長が前に出てしまったので、右翼迎撃後衛小隊を預かる武藤可南子中尉が、バランスを取るのに四苦八苦していた。
『うっさい! 四の五の言うな! 中隊、突撃! クソBETA共、一匹も生かして帰すな!』
―――ああ、あれは余程、フラストレーションが溜まっていたのだろうな。 何しろ、『光州作戦』以来、まともな作戦参加は西関東防衛戦の初期位だったし。
『・・・鴛淵、東のフォローに回って。 大野、済まないが西は貴様の中隊で対応してくれるか? 『軍鶏娘』が鶏冠をおっ立てて、突っ込んでしまった』
『了解です。 まったく菅野め、大尉になってもあの有様とは・・・』
『菅野から、あの勢いを取ったら、それは菅野じゃないって。 海兵当時からそうだっただろう? 鴛淵?』
『大野、貴様は菅野に甘い!―――第1中隊、第3中隊の後詰に回る! まさかとは思うが、念の為だ!』
『貴様だって、何だかんだ言って、そうだと思うぞ?―――第2中隊、500前に出るぞ! 阻止線を押し上げる!』
3個中隊の96式『流星』が、一気に勝負をかけに出た。 陸軍の94式『不知火』を上回る高機動・大出力にモノを言わせ、瞬く間にBETA群を切り刻み、撃ち倒してゆく。
指揮小隊と共に、後方から部隊指揮に専念していた白根中佐は、この戦区でのBETA群殲滅を確信すると同時に、前方のソ連軍の意外な脆さに内心で舌打ちしていた。
(・・・光線属種も居ない、少なくとも戦闘ヘリ部隊の援護も有る状況で、数派に及んで取りこぼしが出るとは・・・)
確かに、前方のソ連軍戦術機甲部隊は、第2世代機としては平凡な性能のMig-27だ。 それに第1世代機改修のMig-23MLD。
その分を差し引いても、この状況は頂けない。 深刻な、常態化する定数割れ。 衛士の練度不足。 指揮系統の硬直化(今に始まった事では無いが)
(まったく・・・ 長嶺程ではないにせよ、今回は楽な支援になると踏んだのだけれど、ね・・・)
当てが外れたか? そう苦笑したその時、戦術レーダーが新たな輝点を捉えた―――かなりの高速移動、戦術機だ。 IFFから、ソ連軍。
戦術管制情報―――機種はSu-37M2に、Su-27SM。 部隊所属は・・・第78独立親衛戦術機甲旅団、第781独立戦術機甲大隊『ジャール』
『―――ヤポンスキー、こちら『ジャール』大隊。 増援は必要か?』
白根中佐の網膜スクリーンにポップアップしたソ連軍指揮官―――くすんだブロンドを後頭部で束ね、緑蒼色の瞳をした女性士官、中佐だった。
『―――ソ連軍、こちら『ウンディーネ』戦闘隊(大隊)。 出来れば前方の、お仲間の支援に行って欲しいものね。 ここは結構よ』
事実、この戦区のBETA殲滅は完了している。 それよりも前方―――北方のソ連軍第35軍の『撃ち漏らし』が気になる。 できればそちらに行って貰いたい。
『―――残念だが、それは命令の範囲を大幅に逸脱するのでな。 それにそこまで行動半径が保たない。 では、引き帰えさせて貰う。 レスナヤからここまでが、限界なのでな』
『―――今度はもう少し、お早いお出ましを。 ご苦労さま』
『―――全くだ。 貴軍の健闘を』
一体、何をしに来たのやら。 レスナヤのソ連軍は、数日前に1000体ちょっとのBETA群と交戦したらしいけれど。 それ以降は待機シフトだった筈。
と、そこまで考えて思い至った。 レスナヤから北方哨戒ラインからギリギリ外れた辺りが、丁度この辺だ。 あのソ連軍指揮官、わざわざ様子を見に来たと言う事。
(・・・ちょっと、素っ気無さ過ぎたかしらね?)
次に会う事があったら、さりげなく礼のひとつもしておくか。 あざといとは思わない、向うの動機がどうであれ、これは戦場での礼儀だ。
まあ、上級部隊指揮官としては、当然と言える行動であるが。 それでも『友軍』との関係は粗略にしたく無い。
噴射跳躍の轟音をあげて飛び去って行くソ連軍戦術機部隊を見送りながら、白根中佐はふと、そう考えていた。
「―――よし、全隊、阻止ラインに戻るそ!」
本来の防衛線を放り出して、急遽この地点での防衛戦闘に駆り出されたのだ。 早く戻った方が良い。
白根中佐機を先頭に、40機を数える96式『流星』の一群もまた、噴射跳躍の轟音を立て、過ぎ去った戦場から飛び去って行った。
2000年1月25日 0530 ソ連領東シベリア アナディリ
「BETAの侵攻が止まった・・・?」
「残数、1万1000前後がヴェルホヤンスクに向け、反転中です・・・」
2000年1月25日 0545 ソ連領カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー
「・・・エヴェンスクハイヴに『出戻った』BETAの数は?」
「約8600体。 エヴェンスクのA群、B群の約半数です」
2000年1月25日 0550 ベーリング海 合衆国軍北方軍・アラスカ統合任務部隊司令部・強襲揚陸艦LHD-4『ボクサー』
「確認出来ました。 ヴェルホヤンスク、エヴェンスクからのBETA群、約半数が反転しております」
「・・・だとしても、そのまま作戦終了、と言う訳に行くまいよ」
2000年1月25日 0605 ベーリング海 日本帝国第2艦隊・第5戦隊旗艦・戦艦『出雲』
「司令官、艦隊司令部より入電です」
「・・・暫くは、現状維持の為に待機、か・・・?」
2000年1月25日 0730 ソ連領カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー 国連軍北極海方面総軍・第6軍司令部
「―――参加各軍は、別命有るまで、現地点を確保されたし」
―――2000年1月25日 東シベリア・カムチャツカ戦線は、BETA群の突然の停止・逆戻りにより、『ファニー・ウォー』と呼ばれる休止状態に突入した。
同時に日本帝国遣蘇派遣旅団は、最前線の前進補給基地から、一旦ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの基地へと帰還する事となった。
2000年1月26日 1150 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港
日本から補給物資を満載した船団が到着したのは、朝まだ暗い0630過ぎだった。 そこから各隊の責任者が、必要な補給物資の確認と受領確認に駆け回って、終わったのは20分前。
まだ他に、細々とした雑用物資の受領が残っているが、それは副官の遠野に任せてある。 人数は必要無いが、一応若い連中を6人程付けた。 今回は真咲の中隊の連中だ。
戦場から帰って来たばかりだが、そのまま間借りしている基地に缶詰では、連中の士気の低下も見逃せない。 まあ、任務の形を取った気分転換だ、外出するだけでも少しは違う。
「・・・ん?」
途中で圭介や棚倉、伊庭と別れて(連中の大隊は、作業がまだ終わっていなかった)軍港内を入口付近まで戻る途中、コンテナの物陰に見知った姿を見つけた。
2m近い巨漢、濃い髭面―――カキエフ中佐だ。 相手がいる、何やら話しこんでいる様だ。 しかし、どう見ても相手は軍人に見えない。 船員の様だが・・・
『・・・馬鹿言うな、・・・まけろ、高い・・・』
『こっちも危険を・・・これで・・・相場が・・・』
『ハルガルに・・・殺す・・・これで手を打て・・・』
―――何やら物騒な会話だ、どうやら密輸現場に出くわしたか? と思った瞬間、カキエフ中佐と目が有った。 恐ろしい程、勘の鋭い人物だ。
相手に何らや書類を手渡して、代わりに鍵の様なものを受け取っていた。 相手の船員風の男―――東洋系だ―――は、こちらを一瞥すると、さっさと離れて行った。
『おう、ヤポンスキー、こんな所で何をしている?』
―――何をしている、とはね・・・
『・・・補給物資揚陸作業の指揮だ。 それより中佐、陸軍のあなたが、ここで何を?』
ちょっとカマをかけてみた―――あっさり、白状しやがった。
『へっ! 何をって・・・そりゃ、お前、食料の手配だけどよ?』
『食料?』
『おいおい、ヤポンスキーの軍隊は、飯を食わないのか? 食料って言ったら、部下共に食わす食料に決まっているじゃねえかよ?』
『・・・そういうのは、普通は軍組織が責任を持って給食するものだが?』
そう、普通の軍隊ならそうだ。 決して、現場の指揮官が密輸まがいの方法で入手するものじゃない―――世界の、普通の軍隊ならば。
『へっ! しけた薄い黒パンに、不味くて薄い紅茶、それに肉っ切れが浮いただけのスープがか? あんなもん、腹の足しにもなりゃしねえ、まるで矯正収容所のメシだ!
そんだけじゃ、体力を維持できねえ。 戦場で、腹が減って戦えなくて、逆にクソBETAの餌になるのはご免だぜ? ああん?』
―――そう言えば、最初に中佐の大隊と『乱闘』した時にも思ったが、酷い給食事情だったな。
『せめてよ、合成モノでも肉を食わさなきゃよ、部下共の体力が持たねえ。 野菜も食わさにゃ、疲労が抜けねえ。 でもよ、クソ馬鹿なロシア人共は、それを寄こさねえ。
じゃあどうするよ?―――手前で手に入れるしか、ねえだろうが? ああん? 俺たちだって人間だぜ? ちゃんとメシを喰わなきゃ、クソBETA共を潰す前に死んじまうわ』
―――それで、食料を密輸か? しかし、代価はどうしているのだろう? そこまで考えて、思い出した。 軍内部の、上級指揮官向けの閲覧情報で読んだ事だ。
最近、戦火の及んでいない東南アジア南東部や南米、アフリカ諸国で、ソ連製の武器がブラックマーケットに溢れているという情報を。 主に個人携帯兵器が主流だそうだ。
『・・・武器の横流しか』
『通報するかい? ヤポンスキー?』
一瞬、カキエフ中佐との間に、険悪な空気が漂った。 そうだろう? こちらは友軍の軍需横流し現場に出くわした。 帝国軍将校としては、司令部通報が正解だろう・・・
そこまで考えて、更に再考する。 このペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港で取引。 ソ連陸軍だけでなく、多分、ソ連海軍やKGBの支所も噛んでいるに違いない。
報告しても、ソ連側は握り潰すだろう。 そして俺は―――俺の大隊は、『友軍』の恨みを買う。 そのツケが戦場で現れないとの保証はない。
『・・・戦線の維持に必要な、そんな武器の横流しは?』
『阿呆、自分の首を絞める様な真似、するかよ。 小火器が主力製品さ、他にはRPGや対人地雷なんかだな。 BETA相手にゃ、クソの役にも立たんヤツばかりだ』
気がつくと中佐の右手が、ホルスターのスチェッキンのグリップに掛っている。 俺も無意識にCz75(中佐に返していなかった)のグリップに、手をかけていた。
数秒か、数十秒か、そのままの状態で睨み合っていた―――ここは、引くべきだ。 そう考え、Cz75から手を離す。 そのまま両手を軽く上げ、中佐に合図した。
『・・・お前さんが、物判りの良いヤポンスキーで、助かったぜ』
中佐も苦笑している。 確かに今の俺の判断は、日本帝国陸軍軍人としては、許されざるものだろう。 軍規厳粛の権化の様な連中にとっては、許されざる軍律違反だ。
少しホッとした表情で、中佐は胸ポケットから煙草を―――多分、模造品のマホルカを取り出し、咥えて火を付けた。 俺に1本差しだす。
『・・・世の中、杓子定規で、品行方正なお題目だけで生きていける程、お綺麗な世界じゃない。 その位は理解しているし、実感もしている』
受け取ったマホルカを咥え、火を付けた―――むせかえる様だ、かなりキツいロシア煙草だ。 味は・・・知るか、これが煙草か?
国連軍時代、この手の話は北アフリカや地中海方面では散々耳にしたし、実際に目撃した事も有る。 整備の連中や主計の連中が、裏ルートを仕切っていた。
米国じゃ、国連自身が麻薬の流通をコントロールして、その結果引き起こされた事件に遭遇した事も有る―――親しかった元上官が殺された。
『・・・まあよ、こっちも死活問題だ。 それに食料の取引先は、お前さんの国の会社だぜ?』
『・・・何?』
―――驚いた。 親父の会社の、その子会社の名が出るとは。 と言う事は、俺の親父も知っている? いや、あの技術馬鹿の親父が・・・しかし、今は取締役だ。
『ここじゃねえ、カムチャツカ南端にオジョールナヤって海軍基地が有る、大昔は漁業基地だった。 そこが取引の場所さ、直ぐ南にシュムシュ島(占守島)があるだろうが?』
北千島の占守島か。 カムチャツカの南端、ロパトカ岬から幅10kmちょっとの占守海峡を挟んで直ぐに有る、日本帝国領最北端の島だ。
『ソ連と日本の国境線だ、そのシュムシュ島やパラムシル島(幌筵島)にゃ、日本の漁労船団が屯している。 で、オジョールナヤに買い付けに行く、大量の魚をなぁ。
代わりに日本からは、合成食料や色んな必需物資を満載して、オジョールナヤに卸していく。 オジョールナヤには他に、ソ連製武器を買い取る仲買人の船が屯ってる。
大抵は中国人の船だ、中にゃ、朝鮮人の船もあるな。 北東アジアの武器密売ルートは、中国人の『青幣』って組織が牛耳っているのさ』
ソ連から日本に、合成食材の主原料でも有る魚介類が密輸され、日本からはその加工製品と他の工業製品が運び込まれる。
他に小火器を含むソ連製兵器は、アジア系マフィアの手によって、世界中のブラックマーケットに持ち込まれ、ソ連現地軍(現地の共産党本部もそうだろう)は外貨を得る。
『時には、食料以外も買い込む。 36mmや120mm砲弾だ。 兵站なんぞ、ロシア人の大ザル任せじゃ、要り用の時に無いって事も有るからな』
36mm砲弾にせよ、120mm砲弾にせよ、いずれも国際規格に沿った生産が為されている。 砲弾だけは世界共通だ―――何てこった。
それが現実だ、この世の現実だ。 如何に高邁な理想や思想も、現実を前にしては砂上の楼閣、か・・・ は! こっちも、今にして見覚えた訳じゃない。
『・・・中佐、そっちが『友軍』としての役割を果たす限り、俺は何も知らない』
『・・・良い判断だ。 そう思うぜ、ヤポンスキー』
とにかく、友軍同士で殺し合う事には、至らずに済んだか。 そしてふと思う。 この地のソ連軍は、どこでもこんな感じなのか?
『ああ? ああ、少なくとも俺とスリムは、同じ相手と取引しているぜ。 他の連中はまあ、似たようなもんだ。 『青幣』つっても、色んな組織が有るからな。
ヴィクトル(ヴィクトル・カルプーヒン少佐、カザフ人、第78旅団)やアイダル(アイダル・バズィロフ少佐、カザフ人、第96旅団)は台湾系の連中とだ。
アディルベク(アディルベク・クトクジノフ少佐、トルクメン人、第78旅団)の相手は、シンガポールが本拠の連中だったかな・・・?』
このBETA大戦での、所謂『後方国家』での紛争が無くならない訳だ。 言わば『資源競争』の戦場で有る国々は同時に、未だ部族社会が根強かったり、治安の悪い国が多い。
そんな国では、BETA大戦を逃れた外国資本が投下する資金―――末端に行けば行く程、熾烈な利権争いの的になる金が、欲望の前にうなっている。
部族対立や思想対立に、非合法犯罪組織も絡んで、南米やアフリカなどの後方国家群の治安悪化は国連内でも、大いに深刻な検討議題に上っていると聞く。
『・・・フュセイノヴァ少佐も、こうやって?』
カキエフ中佐の僚隊指揮官の名を出してみる。 どうも、あの女性少佐がこう言う密輸に手を染めている様には、なかなか見えないのだが・・・
『あ? 俺が知るか。 あのスーカがどうやって、ガキ共を食わしているか、なんてよ? アゼルバイジャン人の前で股を開いたスーカだ、大方、そんなトコじゃねえのか?』
『・・・随分と嫌っている様だ』
『ああ、嫌いだね、あんな売女は。 いいか、ヤポンスキー。 この42軍にゃ、4つの戦術機甲旅団が有る。 カムチャツカには、その内の3個が駐留している。
戦術機大隊は定数で12個大隊。 カムチャツカには9個大隊で大隊長も9人、そのうち、4人が女だ』
―――随分と、女性大隊長の比率が高いのだな。
『78(第78旅団)、『ジャール』のラトロワ。 96、『ロージナ』のドストエフスカヤに『シャヒーン』のサートゥ。 それに俺達66のフュセイノヴァ、この4人だ。
サートゥはアゼルバイジャン女だ、指揮する大隊もアゼルバイジャン人部隊。 コイツの所は、アイダル(アイダル・バズィロフ少佐)と一緒にやっている』
―――同じ非ロシア系大隊指揮官同士、なにかと融通を付け会っていると言う訳か?
『違う。 サートゥはアイダルの女だ、アイダルは別に女房が居る、通信隊にな―――そう言うこった。 まあ、部下のガキ共食わす為だ、仕方がねえな。
他の3人、『ジャール』のラトロワと『ロージナ』のドストエフスカヤは、ロシア人だ。 フュセイノヴァはベラルーシ人―――グルジアやアゼルバイジャンに、股を開いた女共さ』
ソ連国内の、ロシア系と非ロシア家の感情は、正直理解しているとは言えない。 国連軍時代にウクライナ出身の者が、ソ連とロシア人を悪し様に罵っていたのは、覚えている。
『そいつらがどうやっているかなんて、俺には興味無ぇ。 部下のガキ共を食わせるのに、あの女共がどんな事をやっているかなんてな。
密輸か、お偉いさんか政治将校に股を開いているのか、そんなの知ったこっちゃねえ。 案外、こっちの連中に開いてるかもな?
まあ、そうしたいのなら、俺は別に構わねえ。 女が男を頼る、自然な事だ。 そしてロシア女に俺達のガキを産ます。 その内、純粋なロシア人は居なくなる。
ははっ! 結構な事だぜ―――ただし、それは俺達の一族に連なるってのが、条件だ。 あの女共も、一族の女にならなきゃなあ。
じぇねえと、奴らはカフカスやステップの戦士を惑わした、只の性悪で尻軽なロシアの『スーカ』だ―――許し難い、死に値する』
正直、背中に冷汗が出る。 何なのだ、この中佐のロシア感情は? どこまで憎悪が深いのだ?
『おい、ヤポンスキー、今からちょっと付き合え』
『どこへだ? 中佐? まだデフコンは通常レベルでは無い』
『野暮を言うな、時間はとらせねえ。 お前さんも大隊長だろうが? 幾らでも後から訳なんて恰好つけられるだろうが?』
2000年1月26日 1230 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーは、基本的に軍事要塞都市だ。 『都市』と言う単語から連想される華やかさとは、程遠い。
しかしながら、都市機能を維持する為には、様々なインフラが必要で。 それを維持する為の、様々な職種もまた、必要である。
ソ連に於いては、それらに従事する人々もまた、『軍属』と言う括りで纏まれらる―――建前上は。 大体が、共産主義のソ連で、民営企業など元々存在しなかった。
だが、人が生きて行く上で、政府の頭でっかちな計画経済・計画政策だけで廻っていける程、人間の営みは画一的では無い。
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーで『任務に』従事する『軍属』達にとっても同じ事だ。 食料は配給だけでは生きていけないし、必需品に至っては・・・だった。
市街中心部から、港湾を跨いで北西側の沿岸部は、『ヒトロフカ』と呼ばれる不法居住貧民街であり、不法物資が集散する一大闇物資センターでもあった。
そんな物騒な街区の近くを、東洋系の若者達が歩いていた。 身形は良い、『ヒトロフカ』の住民から見れば王侯貴族のいでたち―――日本帝国陸軍冬季装備を身に纏っていた。
「しっかし、酷ぇなぁ、ここは。 日本も難民街区は言えた義理じゃないけどよ、ここまで酷くはねぇぜ・・・」
「この寒さに、碌な服も無いのか? ボロ布を何枚も身に纏って、それで寒さを凌いでいるなんてな」
「さっきの物乞いしてた子、まだほんの5、6歳の子供だよ、たぶん・・・」
「・・・あそこに蹲ったままのお婆さん、死んでんじゃない?」
彼らの祖国、日本帝国もBETAの本土侵攻を受けて以降、強制疎開や大量の国内難民の発生によって、その混乱は未だに収まっていない。
都市には必ずと言っていいほど、難民保護地区と言う名の『貧民街』が形成されつつあるし、不法流入して来た国際難民が築いた不法居住区問題は、行政の悩みの種だ。
だがそれでも、この地に比べれば『天国』と言えるかも知れなかった。 それ程、ここは極貧と絶望だけが生存を許された場所、そんな雰囲気が充満した場所だった。
「ったく、誰だよ!? 『ちょっと回り道して行こう』なんて言い出した奴はよ!?」
日本帝国陸軍、遣蘇派遣旅団第101戦術機甲大隊に属する衛士である彼等は、昨日に前線基地から一時帰還したばかりだった。
割り当てられた兵舎で、帰還後の様々な雑事を片付けた後、軍港地区に揚陸された軍需物資の引き取り確認に派遣されたのだ―――と言うのは建前。
『何も無い場所だ』と聞かされたモノの、まだ10代後半の若者達だ。 幾ら厳しい訓練を受け、戦場も体験したとはいえ、ずっと間借り基地に缶詰は息が詰まる。
重要な戦略物資の揚陸確認は、専門の主計将校団が行っている。 彼等はもっぱら『雑用品』の確認だけだ。 しかし、やはり外出は嬉しいものだった。
経験の浅い彼らに、少しでも気分転換を―――そう考えた大隊長の『親心』なのだが、あわよくば隣接する『外国人向け』外貨ショップに行く予定を、不埒にも練っていたのだ。
「・・・それはアンタよ、半村。 アンタが喚きたてて、半ば高嶋を脅して連行したんでしょうが」
「えっ!? いや、それは勘違いですって、美竹さん。 俺は高嶋がどうしてもって言うから・・・」
「・・・クスン、酷いよ、半村ぁ・・・ 『付いてこなきゃ、縛り上げて夜に美竹少尉のベッドに放り込んでやる!』なんて脅してぇ・・・」
「・・・アタシ的には、それはそれで、アリなんだけど?」
「ひい!?」
前を歩く3人を、半ば呆れ、半ば怒った様に付いて歩く3人が居た。
「・・・どうして、半村を止めなかったんだよぉ? 槇島ぁ・・・」
「・・・俺が小隊長に捕まっている間に、だぜ? あの馬鹿止めるなら、何でお前、止めなかったんだよ、楠城?」
「無茶言うなよぉ、アタシにあの馬鹿、止められるかってンだよぉ・・・」
「・・・はぁ。 ここ、本当は行動禁止区域なのよ? 判っているの? アンタ達・・・」
大隊指揮小隊の北里彩弓少尉が、盛大な溜息をつく。 元気娘だが、基本的に品行方正な彼女には、後任達のこの『大胆さ』が信じられなかった。
まだ、前を歩く同期生の美竹遼子少尉だったら、この位はやりそうだが。 彼女は訓練校時代から、規則破りギリギリの行動を取る常習者だった。
「はあ、まあそうですが・・・」
「えへへ・・・ ま、北里少尉も同罪って事で! ・・・だから、大隊長には黙っていて下さいよぉ?」
「・・・はぁ」
―――再び、盛大な溜息。
後任少尉達の内、前で弄られている高嶋慶子少尉は、まずこんな事はやらなかっただろう。 後ろ姿しか見えないが、内心はさぞドキドキしながら歩いているに違いない。
普通の家に育った、ちょっと内気だが素直な女の子。 そんな子が、そのまま衛士になった様な感じだ。 もっとも、ちょっとした冒険位には感じているかも・・・
同じく前を歩く後任の半村真里少尉。 後ろを一緒に歩く、これまた後任の槇島秋生少尉と、楠城千夏少尉は、案外・・・いや、全く平気そうだ。
(・・・それどころか、なんだか妙に馴染んでいるし・・・)
頭が痛い。 軍港地区で確認任務を終えた途端、同期生の美竹少尉に半ば引きずられて、外貨ショップへ向かう羽目になってしまった。
別段、禁止されている訳ではないが、まだ派遣作戦は終わっていないのだ。 それなのに・・・と思っていた矢先の事だ。
そして先に基地へ戻した筈の後任達が、行動禁止区域に足を踏み入れる姿を発見した訳だ。 注意しようとしたのに、いつの間にか同期生が裏切った、と言う訳だった。
大隊指揮小隊に属する北里少尉は、言ってみれば大隊本部付の様な立場だ。 こんな、明らかな軍規違反、見逃すわけには・・・
「ま、大丈夫ですって、北里少尉! アタシの故郷にも、こんな感じの場所は有ったし! 半村や槇島なんか、訓練校入るまでは横浜の悪所に、入り浸りだったらしいし!」
(―――それはそれで、問題よ! あ~、ばれたらどうしよう!? 遠野中尉や来生中尉も怖いけど、何と言っても大隊長が・・・)
北里少尉の脳裏に、綺麗な顔を歪ませ、理路整然と軍規違反の罪状を言い並べる遠野中尉の姿が浮かぶ。 その横にはこれまた、しかめっ面の来生中尉の姿も。
それだけでは無い。 両中尉の背後には、不気味な恐怖感を抱かせる様相の大隊長が、黙したまま自分を睨みつけているのだ!
彼女にとっては、大隊長は単に2階級上の上官、と言うだけに留まらない。 92年の大陸派遣軍時代からBETAと戦い続け、生き抜いて戦果を上げ、結果を出して来た大ベテラン。
聞くだけでも、彼女が訓練校で『戦史』として教わったに過ぎない大激戦を実際に戦っている。 92年満洲の『5月騒乱』に、93年の『双極作戦』と『九-六作戦』
国連軍派遣時代には激戦区の地中海戦線で、ペロポネソス半島での、BETAのエーゲ海諸島への渡海阻止作戦『マリータ作戦』に従軍。 その後も東地中海を転戦。
それとイベリア半島での『シエラ・ネバタ防衛戦』に、『アンダルシア・ジブラルタル防衛戦』を含む、一連のイベリア半島防衛戦にも参加。
有名どころでは94年のイタリア・カラブリア半島での防衛戦に、96年の『第2次バトル・オブ・ドーヴァー』も戦ったと言う(何故か、95年のキャリアは不明だった)
帝国軍復帰後は97年の『遼東会戦』と、『遼東半島撤退戦』で殿軍を務めたと言う。 そして98年の半島撤退戦、あの『光州作戦』にも参加したと聞く。
極めつけは、かの『京都防衛戦』と、それに先立つ『近畿防衛戦』をぶっ通しで戦い抜いたと言う事。 『明星作戦』では、師団参謀として参戦したらしい。
(・・・普段は割と穏やかなんだけど~・・・ 時々、怖い表情するのが、ホント、怖いのよね~・・・)
転属先がそんな歴戦衛士が率いる大隊の、しかも直属指揮小隊だと聞かされた時は、正直言えばまず、恐れを抱いたものだ―――本気で国防省の人事局を恨んだ。
勝手に想像していた大隊長像は、訓練校で散々扱いてくれた主任訓練教官にも似た、マッチョで気難しい、厳つい厳格な、暴君じみた上官像・・・だった。
何しろ自分は訓練校卒業後の半年間、北海道の練成部隊に配属されていて、実戦部隊に配属となったのは『京都防衛戦』以降だった。
飛騨地方を除く岐阜県全域と三重県、愛知県全域に静岡県中西部を含む、中京・東海地区を防衛する、第5軍団の第52師団に配属された。
その後は、佐渡島から散発的に防衛線を破って侵入するBETA群と、北陸や飛騨山脈の中で戦ってきた。 少尉の実戦経験としては、可もなく不可も無く、と言う所だろう。
地域防衛部隊配属だったので、『明星作戦』には参加していない。 辛うじて大陸や半島方面に転じた、BETA群の追撃作戦に参加しただけ。
なので、転属初日のあの緊張感は、未だに忘れられない。 案内してくれた遠野中尉は、ちょっと見た事が無い、お淑やかな物腰の上官だったが・・・
(『―――これで、ようやく揃ったか。 期待するぞ、北里少尉。 後は副官の遠野中尉から、色々と聞け。 ご苦労だった、今日は休め』)
実に、実にあっさりしたものだった。 想像に反して大隊長は、長身は長身だが(183cmと言っていた)、飛び抜けてと言う訳でなく、大兵巨漢でもない。
どちらかと言うと着痩せするタイプだと思った―――その後、強化装備姿を見た時の印象は、しなやかな筋肉質の、それでも力感のある感じの人だな、という印象を受けた。
見た目も厳ついと言うのではなくて、どちらかと言うと『渋い系』と同期の美竹少尉が言う様な、脂身の抜けた?感じの、まあ、良い男じゃ無い? とは思う。
特徴的なのは、右のこめかみから頬にまで達する古傷(裂傷だろう)の跡が、うっすらと残っている所。 それが決して甘い人じゃない、戦場の古強者と言う印象を受ける。
普段は余り、大きな声を出さない人だ。 ちょっと独特の間を置いて、低い声で落ち着いた感じで話す人―――訓練では人が変わって、怒声を落しまくりだけれど。
大隊の女性衛士同士の情報網では、『明星作戦』前に長年の恋人だった相手と結婚。 奥様は確か第55師団の師団参謀で、結構な美人だとか。 で、結構な愛妻家とも。
(・・・まあ、軍規に厳しいとか、そんな事は無い人だけどね・・・)
余程の重大な軍規違反、或いは事故に繋がりかねない行動違反以外ならば、多少の部下達の『羽目外し』は、大目に見る様な大隊長だった。
その分、訓練は死ぬほど厳しい。 訓練校時代、『鬼』だと思った訓練教官が温く思える。 『24時間連続実機訓練』など、その最たるものだ。
(『・・・精神論を、とやかく言うつもりはない。 だが戦場ではまず体力を失う、次が気力だ。 そして最後に命を失う。
貴様達の適性調書は、前任部隊や訓練校での評価成績で把握している。 どうするかは、俺が決定する。 貴様達は与えられたポジションで何を為すべきか、体で覚えろ』)
淡々と語る大隊長の、普段は割と穏やかにも見える顔が、あの時は正直言って別人に見えた。 何しろ、表情が全く読めないのだ―――ぶっ倒れそうな状況で、そう思った。
自分にとっては、益々謎な上官だった。 それにこの間見せた、また違う一面―――ソ連軍衛士達との乱闘騒ぎで、銃を撃ち放って騒動を収めた時の、あの表情。
どこか楽しげで、どこか狂った様な、そして実は冷静さも保った、驚く部下達を一瞥して静かにさせた、あの時の大隊長は見た事が無かった。
(・・・正直、正体不明なのよ、大隊長は! 軍規に厳しい訳じゃないけど・・・ないけど! 正直、読めない! うう、すっごい不安・・・)
生来、その様な性格ではないのだが、北里少尉はこの時は明らかな命令違反、軍規違反と言う意識もあってか、グルグルと思考のネガティヴスパイラルに陥っていた。
「・・・あれ?」
不意に隣を歩く楠城少尉が、小さく、素っ頓狂な声を上げた。
「何だよ?」
「あーん?」
「はい?」
周りもみんな、立ち止まって楠城少尉を振り返る。 当の楠城少尉と言えば、何故か近くの物陰に全員を押し込み、息を殺して、そーっと、通りの奥を除いていた。
「・・・やっぱり、そうだ。 間違いないよ・・・」
「だから! 何なんだ、楠城、お前よ!?」
「うるさい、半村! 耳元で大きな声出すなよォ!」
「・・・楠城も、充分声がでかい」
「はわわ・・・け、けんかは無しだよ!?」
言い合う後任達が(1人はオロオロしているが)見据える先。 通りから外れた路地の奥、狭く薄暗く、怪しい雰囲気の建物が立ち並ぶその奥に、2人の人影が見えた。
1人は口髭を生やし、頭にイスラム教徒が被る様な帽子を被った老人。 もう1人は、どう見ても白人系の女性。 それもソ連軍の将校だ。
「・・・あれ、あの女性将校の方! あれって、こないだ協同作戦とったソ連軍部隊の、指揮官の1人じゃ無かったけ? ねえ? 慶子?」
「ああん? ・・・覚えてねえ」
「・・・そうだっけな? 上の人の顔なんざ、いちいち覚えてないぜ」
「えっと・・・千夏、ゴメン。 私、わかんない・・・」
後任達が、甚だ心もとない記憶力を披露している間、北里少尉と美竹少尉はその女性将校を見据えて、頷きあった―――確かに、楠城少尉の言う通りだ。
「確か・・・フュセイノヴァ少佐、だったわね」
「正確には、リューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐よ」
「・・・遼子、よくフルネームまで覚えているわね?」
「・・・好みの美人だから」
思いっきり、脱力した。 この同期生も、相変わらず謎な女だと思う。 判っているのは、正真正銘、バイセクシャルな性癖を持っていると言う事。
何せ以前所属していた中隊で、先任の女性少尉に本気で迫ったとか。 身の危険を感じた、その女性少尉が中隊長に直訴して結局、美竹少尉が転属になったと聞く。
(『・・・押し付けられた時は、マジでどうしようか悩んだぜ』)
大尉に進級して、大隊長に『拾われて』第101独戦(第101独立戦術機甲大隊)に転属した八神大尉が、げんなりした顔で言っていたのを覚えている。
そう、美竹少尉は以前、八神大尉とは同じ中隊で、当時の中隊長だった美園大尉と言う人が、頭を抱え込んでいた程の『女たらし』の問題児だったそうだ。
「・・・遼子の、その方面の記憶力も、たまには役立つのね。 何しているんだろ?」
「・・・喧嘩売っているの? 彩弓? 今夜、襲うよ? ・・・自動翻訳機、この距離じゃ音声は拾え無いか」
「同室に宇佐美中尉(宇佐美鈴音中尉、23期A、元フラガラッハ中隊)が居るのに? ・・・あ、何か受け取った」
「・・・中尉も、私の好みよ? あの澄ました顔を、快楽に溺れさせたいわぁ・・・ 何かの書類?」
気がつけば、高嶋少尉が首筋まで真っ赤にして俯いている。 半村少尉と槇島少尉、それに楠城少尉は、ニタニタ笑っていた。
何でもない様に、意識して無視する。 我ながら、何て話題を話しているのよ? と思ったその瞬間、後ろから肩を掴まれた。
『―――貴様ら、そこで何をしている?』
『・・・ん?』
『どうかしたの?』
『いや・・・何でも無いわい。 それよりお前さん、ブツはこの数は確かかね?』
『間違いないわ、その数の通りの、地中埋設型の震動探知センサーよ。 ・・・こんなモノが、売り物になるのね・・・』
『くくく・・・中東や東南アジアじゃ、幾らあっても足りんそうだがね。 本当は日本製かアメリカ製が良いんじゃが、あっちは監視が厳しいからの。
ソ連製も、そこそこ人気じゃ。 中国製も最近、出回って来ておるがの。 数で言えば、まだまだソ連製が多いのう・・・』
『・・・判っているでしょうね? こっちも相応のリスクを犯しているの、もし、裏切ったりしたら・・・』
『・・・ほほう? 殺すかね? この老いぼれを?―――慌てなさんな、ちゃんと外貨で用意しとる、ホレ、米ドルで5万ドルじゃ。 ここじゃと、何人の命を買えるかのう・・・』
『・・・知らないわ、興味も無い』
『くくく・・・冷たい女じゃ。 お前さんトコの・・・』
『・・・黙れ。 今ここで殺されたいのか? 老いぼれ』
『おほう、怖い、怖い・・・ではの、儂はこれで失敬する。 この辺はベクリル・ベイの縄張りでの。 ばれたら、一族皆殺しじゃわい・・・』
『次の日取りは?』
『そうさの、お前さんが生きていれば、1カ月後でどうじゃ? 頻繁にやっておったら、ばれるぞ?』
『・・・それで良いわ』