1998年4月25日 1430 東シナ海 北緯31度10分 東経123度05分 旧上海沖合80海里(約148km)
東シナ海で発生した温帯低気圧はそのまま日本列島へと東進し、この発達した低気圧に南風が吹き込み、フェーン現象を生じさせていた。
洋上は晴天だが強風が吹き、波が随分と立っている。 あちらこちらに白波が立ち、波長の大きな波が艦体を持ち上げては、波間に叩きつける。
この日、哨戒に出動していた第4護衛艦隊(佐世保)第44護衛戦隊・第442護衛任務隊(沖縄・那覇)に所属する第84海防艦は波に揉まれつつ、哨戒行動を続行していた。
しかし基準排水量はたかだか1060トン、全長で100m程の小艦である。 艦は左右、上下に振り回され、乗員の中には顔を青白くしている者も居た。
数海里離れた洋上では、僚艦であり任務隊を構成する第81、第93、第96海防艦が、各々同様に航行していた。
目に見える武装は大変貧相に映る。
目ぼしい武装は艦の前後に配された62口径76mm単装速射砲が2基2門。 そして艦橋両舷に配されたボフォース40mm連装機関砲のみ。
しかし電子戦装備は充実しており、インサルマット/J-バード衛星通信リンク装置をも完備している。
何より今時BETA大戦では、水上哨戒艦艇は対BETA海中探査能力が必須とさえ言える。
その中枢はフランクアレイ・ソナー、艦首ソナー・TASS(Towed Array Sonar System)が一体になった、ZQQ-6を水上艦として装備。
対BETA海中攻撃兵装として、71式を改良した85式4連装・375mm対水中ロケット・ランチャーを両舷に4基と艦尾に1基搭載。
但し、アスロック(ASROC対水中ロケット・ランチャー)は、艦体の大きさの都合上省略されている。
第84号海防艦長・荒木努海軍少佐は、荒くなってきた前方の海原を見つめていた。
この先には、既に廃墟と化した旧上海市街が有る。 まだBETAが侵攻する前、新任士官当時に親善航海で寄港した事が有る。
モダンとレトロが見事に融合した、素晴らしい街並みだったのを覚えている。
(―――あの街並みも、もう無いのだろうな・・・)
BETAは有機・無機問わず貪り喰らう、上海は既に丸裸の廃墟と化している事だろう・・・
「艦長、変針点5海里」
傍らの航海長の声が、意識を現実に戻す。
今は過去の追憶に浸っている時ではない、それどころか帝国本土が上海の轍を踏むかどうかの瀬戸際だと言うのに。
意識を艦の指揮に戻し、哨戒区域の折り返し地点での変針指示に集中する。
「面舵、10度」
「面舵、10度。 ヨーソロー」
艦体が波間を遮り、ググッと右方向に回頭を始める。 艦首が波濤を切り裂き、砕けた波しぶきが艦橋にまで降りかかる。
左右の僚艦も、波間に見え隠れしながら同じ動きを見せるのが判った。 タイミングが問題だ。 ここでばらけては、後で隊司令からお小言を頂戴する事になる。
「270度・・・ 275度・・・ 280度」
「舵戻せ」
「舵戻せ、ヨーソロー。 285度・・・、290度・・・」
艦長の操艦号令に、操舵員が小刻みな当て舵を細かく当てる。
「舵中央、290度」
「舵中央、ヨーソロー・・・ ヨーソロー、290度」
「はい」
単横陣からの各艦一斉旋回頭で悌形陣へ。
各艦の距離・位置を違う事無く、哨戒行動中にこれだけの艦隊運用をやってのける技量。
旧ユーラシアの陸軍国の海軍では考えられない、昔からの海軍国ならではと言える。
やがて変針を終えた各艦は、新たな進路を取り哨戒行動を続けてゆく。
ここ数日前までは変わらぬ日常の哨戒行動だった、だったのだが・・・
「艦長! 戦務長より『ソナー、感有り。 的測、深度42(m)、距離48(4800m)! 的針、0-6-8』、です!」
「隊司令、第81号海防艦より入電! 『ソナーに感、対BETA水中戦準備と為せ』です!」
「僚艦、第93、第96海防艦から、『感有り、BETA発見』の報、有り!」
同時に複数の報告が入った、BETA群の発見だ。
「よし! 総員、戦闘配置!」
急に艦内が慌ただしくなる、第1警戒配置から戦闘配置へ。 各員がラッタルを駆け上がり、また駆け下がり、防爆・防水扉が閉鎖され、通風が制限される。
射撃指揮所では砲術長が射撃指揮管制装置の前に陣取り、射撃準備の為に前後の砲塔が急旋回し、砲身が上下する。
対水中戦闘指揮所の水雷長の指示の元、対水中ロケット・ランチャーには掌水雷長以下の水雷員が配置に付き、ランチャーを『熱く』する。
モノの数分で、各部署から配置完了の報告が次々に入って来る。 恐ろしい程の練度だ、例え世界最強と言われる米海軍でも、これほど素早い行動は出来ないだろう。
主戦力たるGF(聯合艦隊)からは一段低く見られがちなEF(護衛艦隊)であるが、帝国の四海を常に警戒する彼等の練度は、GFと全く遜色が無い。
「艦長! 戦闘配置完了!」
先任将校である戦務長の大尉が、後部電測室付近から艦橋の荒木少佐に向って、怒鳴る様に報告する。
大艦と異なり、海防艦の様な小艦だと艦橋は吹きさらしに近い。 合成風力の音で、大声で無いと聞こえない。
「航海(航海長)、舵任す! 戦務(戦務長)!」
航海長に戦闘操艦を任せ、傍らに戦務長を呼び寄せ状況を確認する。
事前情報を確認した戦務長が、素早く要点のみを纏めて報告する。
「J-バード(JB-10)からの衛星情報は2時間前です。 旧上海、旧杭州、旧寧波を基点に、杭州湾一帯に飽和BETA群が溢れておりました。
全体で約1万9000から2万。 恐らくその中の1群が、押し出されて東進を始めたのでしょう」
「数は? 目ぼしい連中は居るか?」
駆けつけた、電測・水測を担当する戦務士(若手の少尉)から測的結果を受け取った戦務長は、その記録紙に目を落とし、無意識に鼻を鳴らした。
「ちょっと豪勢ですな、約3000おります―――大物喰い、出来るかもしれませんな」
「おるかな?―――見張り長!」
「・・・11時、4海里(約6400m)、6ツ、露頂しとります―――間違いありません、『海坊主』です!」
―――『海坊主』 要塞級BETAの、EFでの隠語だ。
東シナ海は比較的水深が浅い。 大陸棚が南西諸島まで大きく張り出しており、特にこの辺りの水深は精々40m程の浅い海が広がっている。
この深度は朝鮮半島付近の最も深い場所でさえ、ようやく100mに達するかどうかだ。
その為、BETA群が渡洋侵攻を行う時に注意深く見れば時折、体高60mに達する要塞級BETAの頭部と装甲脚上部が露頂(海面から出ている状態)しているのが見える。
これを、EF乗り組み将兵は、『海坊主』と言い現わしているのだ―――『海坊主』の周りには、多数のBETAが海底を這っている。
「ふん、『海坊主』か・・・ 砲術(砲術長)! 狙えるな!?」
『照準完了、何時でも』
射撃指揮所で既に目標への照準を済ませていた砲術長から、自信に満ちた声が返って来た。
「どうせ腹の中には、厄介な『ひとつ目玉』を抱え込んでいるのだろう。 ここで始末するに越した事は無いな。 よし、命令有り次第、叩き込め」
4隻の小部隊は、露頂している要塞級BETAと一定距離を保ちながら追尾を開始する。
その下には、多数の大小のBETAが潜んでいる筈だ。 不用意に接近し過ぎると、浅い海底から『飛び付き』をされかねない。 用心に越した事は無い。
左翼に位置する第93海防艦が大きく迂回し、BETA群を挟んで反対側の海域に艦を占位させた。
第96海防艦が大きく右に進路を変える。 同時に司令海防艦である第81号海防艦がBETA群の進路上最後尾に占位する。
そして第84号海防艦も、BETA群に少し距離を開けて占位するように艦を持って行った。
やがて、BETAの進路上の前後と左右を挟み込む様に、4隻の海防艦が攻撃位置を占めた。
「艦長! 隊司令より『攻撃始め』、です!」
「よぉし! 撃て!」
号令から数瞬の間をおいて、前後2基2門の62口径76mm単装速射砲が毎分85発の猛烈な勢いで、76mm砲弾を撃ち出した。
砲の最大射程は1万6300m、今回の標的は6400mから6500m―――必中距離だ。 4隻の海防艦の76mm砲弾が、要塞級BETAに殺到する。
瞬く間に前後左右から数10発の76mm砲弾を受け、露頂していた要塞級BETAの頭部が弾け飛び、次々にその姿が波間に消える。
やがて視認範囲にいた『海坊主』―――6体の要塞級BETAが全て波間に姿を消した。 頭部を破壊され、海底に横たわっている事だろう。 その間、僅か数分。
「戦務、危険範囲は?」
「ソナーの感から推定ですが、先程の目標から1海里(1850m)以内は危ないでしょう」
水深が精々40m程だ。 下手に真上を航行して、要撃級BETAなどに『飛び付かれ』ては、海防艦の様な小艦はひとたまりも無い。
「数は?」
「変わらず、3000」
「隊司令からは?」
「はい、『対水中戦を以って殲滅と為せ』です。 パターンB、発射4回」
ほんの一瞬考え込むような仕草を見せ、次の瞬間に荒木少佐は新たな攻撃命令を出した。
「それが妥当か。 よし、水雷(水雷長)、対水中戦! 射距離2500、パターンB、4回!」
『了解。 散布パターンB、発射4回、了解―――発射!』
5基の対水中ロケット・ランチャーの内、BETA群に指向できる左舷と後部の3基から、各々4発ずつの対水中ロケット弾が射出される。
最大射程は4200m、今回は2000から3000mにかけての距離に、12発の対水中ロケット弾が、遠近交互になる散布パターンで射出された。
僅か4秒の内に全弾を射出し終え、直ぐに再装填が始まる。 その間にソナーで攻撃評価を行い、次の散布範囲を決定する。
『上げ1つ、右2つ! 続けて撃て!』
水雷長の命令が響く。 僅かに散布海面をBETA群の前方方向にずらしながら、更に12発の対水中ロケット弾が発射され、海面に着水する。
対水中ロケット弾の沈降速度は毎秒9m、設定された起爆深度は40mであるから、着水後4秒ほどで海面が勢いよく盛り上がっている。
その下ではロケット弾炸裂による衝撃波(水中伝播、海底反射)、そしてそれに伴う急激なホギング・サギング震動がBETAの体表面を襲う。
最後にバブルジェットが生じて、その強固な体殻をも切り裂いているのだ。
他の僚艦からも、次々と対水中ロケット弾が発射されていた。 小型種BETAはこれだけで、影響範囲内に存在する個体はズタズタに切り裂かれているだろう。
同時に炸薬の炸裂によって生じた無数のキャビテーションが急激な伸縮を繰り返し、水面へと上昇する効果は大型種に対し、その体底面を破壊する。
少しづつ散布海面を変えながら、4隻の海防艦はBETA群の想定位置海面に万遍無くロケット弾を叩き込んで行く。
途中のソナーによる攻撃評価を挟み、都合8回の(4隻合計で384発の)対水中ロケット弾攻撃が続いた。
やがて唐突に攻撃が終わった。
洋上での戦闘では、対岸からの光線属種のレーザー照射見越し距離圏外ならば、そして比較的浅深度ならば、人類側が一方的に叩ける。
「どれ位、片付けられたかな・・・?」
「3000全て・・・ と言いたい所ですが、精々700から800体と言った所でしょう。 少しばらけて分布していましたし」
「うん、まあ、そんな所だろうな。 残りは後続に任せよう。 航海! 進路を哨戒航路に戻す! 第1警戒配置!」
隣接する哨区には、第443護衛任務隊が待ち受けている筈だ。 その他にも連絡を受けた他戦隊の艦が、朝鮮半島に至る哨区へ向けて急行中だろう。
少なくともBETA群は朝鮮半島に至るまでに、5つの哨区を通過する事になる。 3000程の個体群で有れば、海底で殲滅も可能な筈だ・・・
第84号海防艦を含む第442護衛任務隊は、それまでの戦闘が嘘のように静まり返った海域を所定哨戒海域に向け、変針していった。
「通信、隊司令海防艦に報告―――」
戦闘詳報を通信させている最中、荒木少佐はたった今先程の戦闘を振りかえっていた。
この数日と言うもの、BETAの海底移動が活発化している。 華中・華南の大陸沿岸から東シナ海を押し渡るBETA群と言えば、重慶ハイヴの個体群だ。
これが実に活発な行動を示している。 東シナ海を渡り、洋上からの攻撃で数を大幅に減らしつつも、朝鮮半島へ、鉄原ハイヴへと。
この兆候は北緯25度線以南を担当する統一中華海軍―――台湾海軍も確認している。
台湾海峡を『押し渡る』のではなく、『北上して通過』していく個体群が多く確認されているとの事だ。
(―――嫌な感じだ)
重慶ハイヴからの個体群移動によって、もし鉄原ハイヴが飽和状態になったとしたら・・・ その矛先は間違いなく帝国本土、九州地方だろう。
(―――上層部は、軍令部はどう考えているのだ? いや、統合幕僚総監部は? 国防省は?
どう考えても、一刻も早く西日本の防備体制を、完了させねばならんのじゃないか?)
それは、荒木少佐のみならず、対BETA戦線の現実を肌でもって感じている全ての将兵が、漠然と不安に感じている事だった。
1998年4月28日 1230 神奈川県藤沢市 辻堂 第18師団駐屯基地
「ではな、元気でやれよ」
「中隊長・・・ いえ、周防さんも、お元気で。 四宮、瀬間、後は頼んだぞ」
「お任せ下さい」
「了解です」
それぞれの言葉で別れを惜しむ。
今日付けで最上が俺の中隊、いや、第18師団から北関東の朝霞駐屯地に駐留する、第35師団に転属するのだ。
この話は前々からあった。 と言うのも、最上は19期のB卒、俺の1期半下だ。 そして丁度この4月1日付けで、彼の期が大尉に進級したのだ。
大尉で小隊長も無い。 かと言って、連隊の中隊長の席は埋まっている。 そこで東部軍管区の第35師団の増強を受け、そちらに転属となったのだ。
因みに30番台から50番台までの師団は、昨年初頭より増強整備が続けられてきた後備師団(特設師団)で、35師団は13師団の後備師団だった。
この様な後備師団を増強整備した特設師団は、東海地方以東に多い。 逆に現役兵で構成された『常備師団』は、西部と中部軍管区に集中している。
「当分は練度向上に手間がかかるだろうが・・・ 大丈夫だ、今までの経験を生かせばな。 特に望まれての転勤だ、頑張れよ」
「この時期に東部軍管区とは、気が引けるのは確かなんですが。 兎に角、1日でも早く練成を完了させて、戦略予備の列に加わりますよ」
これから直に18師団は畿内に移動する。 その直前の転勤、それも関東に居残り。 最上が、気が引けると言うのも判らんでも無い。
しかし実際の話、東海と東部軍管区は戦略予備として機能して貰わないと困るのだ。
西部に19個師団、中部に14個師団を配備しているとはいえ(帝国全軍、54個師団中の33個師団、60%以上だ!)、対BETA戦では保証の限りでは無い。
東海軍管区の6個師団、東部軍管区の6個師団、合計12個師団が後背で戦略予備として見込めるかどうかで、戦略立案が大きく変わって来る。
特に東北・北海道・樺太方面の北部軍管区の9個師団が、対H19・ブラゴエスチェンスクハイヴを睨んで動かせない状況では尚更だった。
「後ろを頼りにしている―――お疲れ様でした。 ご健闘を、最上大尉」
「お世話になりました。 ご武運を、周防大尉。 四宮中尉、瀬間中尉も」
「ご武運を、最上大尉」
「お世話になりました。 ご健勝で、最上大尉」
敬礼と答礼を交わし、最上が営門を出ていった。
正直、中隊長拝命当時より頼りにしていた、右腕とも頼む彼を手放すのは痛い。
痛いが、逆に帝国軍はそれを要求している。 実戦の経験を積んだ、若く有能な指揮官を、と。
ならばそれに従うのも、帝国軍人だ。 それに今回の転属は、彼自身の向上に繋がるだろう。
小隊長から中隊長へ。 最小単位ながらも、戦術戦闘部隊指揮官へ。 小隊長は未だ戦術単位の指揮官とは言えないのだから。
その後ろ姿を暫く見送った後、背後の2人を振り返る。
「―――さて、これから忙しくなる。 瀬間、中隊副官だ、諸々頼む事になる。 四宮、小隊指揮は初めてだろうが、今までの経験を生かせ」
「了解」
「はっ!」
新たな小隊長と、新たな中隊副官を顧みる。
俺の仕事は、この2人を伸ばし、そしてこの2人が部下を伸ばす事を後押しする事。 中隊全体のバランスと技量の向上を。
これが戦果に直結し、部下達が生き残る可能性を1%でも増やす事だ。 そしてそれは、俺自身が生き残る可能性の向上でも有る。
営門から、中隊事務室のある管理棟まで戻る。
晴れ渡った空、午後の日差しが暖かい。 その日差しの中、営門から連隊管理棟まで戻る道筋。
春の風が吹き渡る。 海岸が近いせいか、何となく潮風の様な気がするのは気のせいか。
日本は春真っ盛りだ。 生命の春、希望の春、光に満ちた春。 古より日本人が愛してやまない春。
果たしてこの春を、何時まで見る事が出来るのだろうか。
「さて、午後は機体の搬出作業が有る。 大隊第3係主任(運用・訓練幕僚)と調整が要るな」
「今、摂津中尉が行っています」
最上を見送った後の、管理棟の中隊事務室。 ここも随分とすっきりしたものだ。
機体を戦術機輸送車両(87式自走整備支援担架)に搭載し、兵装関係も支援輸送車両に搭載を行う必要が有る。
その後は師団後方支援連隊の輸送隊と、各大隊に張り付きの整備中隊に任すだけだ。
各中隊から運幹(運用訓練幹部)を兼ねる中隊副長が、大隊や連隊の運幹(3係)と順番や手順の調整中の筈だ。
最上が転出し、それまで中隊副官だった四宮が3小隊長に移った。
その穴はこの4月に中尉に進級した、瀬間 静中尉が埋めている。 元は3小隊で最上をサポートしていた衛士だ。
同時に摂津が中尉の先任者として、中隊副長兼第2小隊長、中隊の運用訓練幹部を行う事に。 他の係業務は四宮と瀬間が分担担当している。
「運搬作業は1330からか。 終了予定は1700、但し搬出開始は2330。 我々自身は翌0100から移動を開始・・・」
「ルートはどうなるの? 瀬間? 藤沢街道(467号線)は論外として、新湘南バイパスから129号線を北上して東名?」
「基本的にそうらしいですけど、田村の辺りで伊勢原方面へ折れて、271号線(小田原厚木道路)に乗るそうです。 そこから東名厚木ICまで」
そこから延々、小牧まで東名を飛ばして名神に入り、吹田ICで中国道に乗り換えて中国豊中ICで降りる・・・
いっその事、伊丹が使えれば楽なんだが。 厚木の基地から官民両用の伊丹空港に降りれば、新しい駐屯地の豊中までそう時間はかからない。
「伊丹は今、6師団の移動でごった返していますよ」
「間が悪い。 よりによって6師団の移動日程とぶつかるとはな。 途中の牧ノ原と養老で休憩を入れる。
都合8時間近い移動だ、トラックじゃケツは痛いぞ、体調は整えさせておけ」
「判りました」
「了解です」
1930 辻堂 第18師団駐屯基地
「直衛、聞いた?」
出発前の慌ただしさの中、僅かな時間を見つけて、将集(将校集会所)で大急ぎで晩飯を食っていたら、愛姫がいきなり主題抜きで話しかけてきた。
「・・・色んな話を聞いたが、お前が何の話を聞いたのかは、俺は知らん」
「屁理屈ぬかすな、屁理屈! 機体よ、機体!」
機体? もう輸送車両に搭載は完了して、後は夜半の搬出を待つだけなのだが。 それがどうかしたのだろうか?
愛姫と言えば、何やらもどかしそうな、当惑したような表情で言葉に詰まっている。
「機種変更だってさ! 今の機体は向うに着いたら、そのまま佐賀まで運んで第34師団に持って行くって」
「・・・何処からのネタだ?」
「連隊の本管(本部管理中隊)よ、さっき聞いたのだけれどね」
愛姫がやはり戸惑った様に言う。 珍しいな、こいつがこんな物言いをするなんて。
「・・・で、機種変更って、何に?」
連隊は、と言うより第18師団は94式『不知火』と92式弐型『疾風弐型』で混成編成された、数少ない部隊だ。
最新鋭機である94式で固めた部隊は、禁闕守護の禁衛、帝都第1、広島の第2、福岡の第9師団。 この4個師団は94式『不知火』で固めている。
そして僚隊の第14師団は我々と同様に、94式1個大隊、92式弐型2個大隊で戦術機甲連隊を編成する。
他の戦術機甲師団は7個師団が92式壱型と92式弐型の『疾風壱/弐型』配備部隊、1個師団が89式『陽炎』で、残る7個師団が77式『撃震』だ。
数を揃える事が出来た理由は、それまでの『甲師団』を全廃した事。 そして『乙師団』編成を全戦術機甲師団に適用した事がひとつ。
これで甲師団編成だった禁衛師団や、第1、第2師団、第9師団が抱えていた20個戦術機甲大隊の内、8個大隊が浮いた。
これを元に、全戦術機甲師団の再編成を行ったのだ。 もっとも第14、第18師団はそのままだったが(元々、乙編成師団だ)
第2にメーカーの生産努力、これが大きい。
メーカーの海外生産拠点建設は95年から逐次着工されて、今はオセアニアを中心に、東南アジアでもフィリピンのルソン島でも立ち上がっている。
そこの生産工場では、1年前から24時間体制のフル操業に入っているし、国内生産拠点は2年前から生産現場は完全戦時体制に移行していた。
その為、94式も92式も、部隊配備分以外のストックはまだ少し、余裕が有るはずなのだ。
ここでいきなり機種変更と言う事は、部隊の再配備先から考えて・・・
「94式よ、『不知火』。 92式弐型装備の第1、第3大隊を、全て94式装備部隊に変えるんだって」
「・・・結構な事じゃないか。 俺は半年以上乗っているけど、良い機体だぞ、94式は。 細かい改善要望点は有るけど、基本的に機動性も即応性も良好だ。
欲を言えばもう少しフレームの強化と、電磁伸縮炭素帯のレイアウトを考えて欲しいけどな」
「砲戦能力で、支障が出る・・・?」
「支障って程じゃない。 だけど、高速・高機動中の近接砲戦なんかやっていると、心無しか砲撃のリコイルも合わさって、『捻れ』を感じる。
まあ、第3世代機は押し並べて華奢だからなぁ、フレームも新素材が出来ない限り、太くすればそれだけウェイトが増えるし。
そうなれば主機出力の問題も出る、燃費もなぁ・・・ それを改善する為の『壱型丙』は、あの通りだしなぁ・・・」
最後は愚痴になってしまったが、以前搭乗していた92式弐型と比べても、機動性は若干ながらも向上している。
ただ、思ったよりフレーム剛性が低い気がする。 急激な機動をすれば、ホンの半瞬にもならない時間だが、追従が遅れる感覚が有る。
逆に言えば、操縦系に『遊びが有る』とも言うけどな。 ピーキー過ぎる操縦・機動特性は衛士の体力を急激に奪う。
短期決戦ならともかく、ピーキーな操縦特性は持久戦になったら、体力の低下は急激になるだろう。
その辺を考慮に入れての事かも知れない。
「打撃支援や、砲撃支援には支障無いと思う。 近接格闘能力は良いと思うよ、力任せの打撃は第1世代機に劣るが、それは仕方無い。
ただし、あくまで『ガンスリンガー』タイプの俺個人の見解だ。 『ソードダンサー』タイプの意見は、ウチの大隊長にでも聞いてくれ」
「アンタ、近接格闘戦は余りやらないもんね」
「やらない事は無いけど、それを主体にしてないだけだよ。 ただし、瞬間的な瞬発力は第2世代機を十分上回る。 総合力では92式弐型のチョイ上、って所か」
「突撃前衛小隊の連中には、特に念入りに慣らさせておかないと、ってトコね?」
「砲戦好きの連中にはな。 で、今まで使っていた92式は34師団にか?」
「そう。 ウチと、あと14師団もそうらしいから、34師団へは4個大隊分の92式の内、3個大隊分。
これで34師団も77式から卒業って事ね。 残る1個大隊分の機体は、大分の12師団に。
あそこ、今まで1個大隊が77式だったけれど、こっちからの1個大隊分を受け取って完全充足の92式配備部隊にするんだって」
完全に、西部・中部重視の機体配分だな。
これで西部軍管区は94式配備の戦術機甲師団が、第9の1個師団。 残る6個戦術機甲師団は全て92式弐型で固めたか。
中部軍管区も似たようなものか、戦力的にはこちらが上かもしれない。 94式装備の戦術機甲師団が5個と89式装備師団、77式装備師団が各1個の7個師団。
逆に東海地方以東はお寒い限りだ。 92式装備は東部軍管区に1個師団と、北部軍管区に1個師団。 残る5個師団は全て77式装備師団。
最上が転出した35師団も、77式装備だったな。 今頃は、ぼやいているかもしれない。
「向うに着いたら、第1と第3は大変だな。 慣熟訓練、頑張ってくれや」
「アグレッサーに指名してやるから、アンタも精々気張りなさいよ?」
―――性悪女め。
と、そう思った瞬間、別の事を思い出した。
「おい、愛姫。 最近、圭介から連絡有ったか?」
「え? 圭介? ううん、無いけど・・・?」
「・・・なら良い、いや、大した事じゃないんだ、うん」
―――あの馬鹿、何グズグズしてやがるんだ? さっさと口説け!
1998年4月29日 0230 神奈川県厚木市 東名高速厚木IC付近
長々とした車両の列が移動している。
その中で1/2tトラックの後部座席から、外を何気無しに眺めていた。
「・・・下り(車線)は、今日も満員御礼だな」
恐らく、東北方面への疎開をするのだろう。
長蛇の列となって、先程から動きもしない下り車線の渋滞を横目に、思わず独り言がこぼれた。
そんな俺の呟きに、隣に座る摂津が苦笑しながら答える。
「そりゃ、中隊長。 西日本全域から民族大移動ですぜ? 1カ月や2ヵ月じゃ、収まりませんて・・・」
沖縄を除く近畿以西の西日本、1都1府21県の人口約4750万が、大混乱の中での大疎開を開始し始めているのだ。
正確には行政戒厳令が発令された九州全域と、山口、広島、島根の3県、その合計約1850万人がだ。
そして第1種避難勧告の発令された鳥取と岡山、第2種避難勧告の発令された四国4県と、近畿1都1府4県の併せて2900万人も避難準備を始めている。
だが、その計画は遅々として進んでいない。
当然だろう。 誰しも生まれ育った土地を、我が家を手放したくないのは同じだ。
それに今回は行政戒厳令、避難後の土地家屋は全て行政が接収する。
つまり、家も土地も取り上げられて、無一文で疎開先へ行け。 極論すればそうなる。
受け入れ先の準備も整っていない。
国内では信越地方と東北・北海道地方が受け入れ先指定を受けているが、元々が人口の少ない山岳地方が殆どだ。
いきなりこんな大人口を受け入れる社会基盤が無い。 指定先の地方自治体はどこもかしこも悲鳴を上げている。
思い余ったとある県の県知事が、内務省に直談判に及んだが、その直後に解任されたと言う話だ(知事は内務省の高級官僚だ)
国外への移民計画も捗々しくない。
受け入れ先として打診しているのは豪州とニュージーランド、そしてフィリピン。
豪州は移民資格枠での折衝が難航していると言う。 昨今、またぞろあの国で台頭してきた白豪主義がネックになっているのだ。
アラブ諸国やインドから大量の難民を受け入れた結果、『生粋の』オージー連中が拒絶反応を起こしたと言う訳だ。
それでも帝国の場合はまだ有利な交渉が続いていると聞く。 重工、電機、造船、その他の企業群が生産工場の移転・増設を積極的に行っているからだ。
これで現地政府は、雇用の拡大と税収の増加を見込める。 その見返りとして、帝国からの移民枠の制限緩和と拡大、権利の保障を、という訳だ。
だからと言って、明日にでも直ぐ、という訳にはいかない。
移民する側にも、心理的な壁は多々有る。 難しい問題だ。
ニュージーランドも豪州と似たような状況だった。 もっとも最近は豪州とは反して、向うから積極的にアプローチをかけていると言う。
人口にしても、人間より羊の数の方が10倍も多いと言われる国だ、土地はまだまだ余っている、そこに帝国の資本を誘致したいのだろう。
フィリピンは・・・ 帝国政府がルソン島以外の移民を奨励していない。
特に南部諸島はイスラム教が強い上に、反政府組織の巣窟だ。 今日も元気に、朝の挨拶代りの銃撃戦を展開していると聞く。
移民するにしても、場所も数も限られている。
予定では、豪州への移民枠は約800万人、ニュージーランドへは約100万人、フィリピンが50万人。 1000万人に満たない。
―――もっとも、不法渡航難民となれば、その限りではないが・・・ その代わり、正規移民と異なり、受けられる権利・保障は一切ない。
「・・・嫌になりますね。 大陸と同じ光景だ」
摂津が外を眺めながら、ボソリとこぼす。
この男も、満洲戦線の中盤戦で初陣を飾っている。
国境を越えて朝鮮半島へ、着の身着のままで長蛇の列を作り、疲労し果てた表情で歩き続ける避難民の列を、嫌という程見てきたのだろう。
俺も同感だ。 そんな光景は散々見てきた。 そして故郷を捨てがたく思っている人々の心境も、実際に直面した経験が有る。
それでも―――それでも、と思う。 それでも、BETAに喰い殺される危険性を1%でも少なくすべきなのだ。
喰い殺された死者は悲劇だが、残された者にとっては生きている限り、記憶から消えない悪夢になるのだから―――翠華はよく、夜にうなされていた。
「・・・嫌だな、そうだな。 だが、やらなきゃならんな」
「・・・そうっスね」
ハンドルを握る瀬間も、助手席の四宮もさっきから無言だ。
彼女達も半島での戦いを経験している。 避難民の悲哀や苦衷、そして苦労を目の当たりにしてきた。
何より2人とも、西日本の出身だ。 四宮は岡山、瀬間は鳥取。 恐らく家族の安否が心配な事だろう。
「・・・四宮、瀬間。 向うに着いたら、帝都の第1師団まで連絡業務で行って欲しい用件が有る」
「中隊長?」
四宮が怪訝な声を出す、瀬間も同じだ。
隣接部隊同士だが、そんな事は連隊司令部付きの連中にやらせれば良い。
「何しろ、天下の頭号師団だ。 口煩い事この上ない、時間もかかる―――ああ、日夕点呼までに帰隊すれば良いから」
そんな用事、単に書類を渡すだけだ。 ものの数分で用事は終わる。
「ああ、そういえば、帝都には各県の出張連絡所が有ったなぁ・・・ あ、これ、独り言ね?」
摂津が何時もの調子の口調で、何気に大切な事をフォローしてくれる。 飄々として見えて、その実は部下や後任への面倒見のいい奴だ。
県に問い合わせれば、家族の状況も把握できるだろう。 出張事務所であれば、その種の情報も、データベースアクセスできる筈だ。
「中隊長、摂津さん・・・」
「あ、有難うございます・・・!」
「中隊の者で、西日本出身者は誰か、把握しているな? 瀬間」
「は、はい!」
「いや、流石はお優しき3小隊長殿と、中隊副官殿! 連中、喜ぶぜ?」
飄々として、かつ、シレっとして摂津がニヤケながら『独り言』を続ける。
それに対して四宮が、判っているくせに、わざと訝しげに聞く。
「・・・摂津中尉がなされては如何です?」
「俺? 俺は中隊長と居残り組さ。
こう言う事はな、怖い親爺や口うるさい兄貴じゃなくてよ、優しいお袋さんや姉貴がやるもんさ。 ねえ? 中隊長?」
「・・・親爺って年じゃないけどな?」
笑いを含んだ俺の言葉に、車内に少し笑い声が漏れる。
出発してからこの方、この先に予想される任務の重さに、少し雰囲気が暗かった。
これで少しは内心の負担が軽くなるのなら、親爺でも年寄りでも構わないさ。
「1日だけ、3小隊は先任の森上(森上允(まこと)少尉)に任す。 副官役は1小隊の松任谷にでも代行させる。
あいつら22期B卒組も、半年後には中尉だ。 そろそろ予習させても良い時期だろうさ」
―――早いものだ。 97年初頭の遼東半島撤退戦。 その時に初陣だった22期のB卒連中が、もうそんな時期なのか。
同時に、そんな若い連中がもう小隊長をしなきゃならないとは。 まだ20歳そこそこだと言うのに。
俺もそうだった。 横に座る摂津や、前方の四宮も瀬間もだが、本当に厳しい。
人の生死の意味がどうのと、突き詰めて考えた事も無い若い連中。 それが、実戦の中で揉まれ、そして生き残り、指揮官として部下の命を預かる。
そして戦場の戦いの中で、無理やり考えさせられる、思い知らされる、そして覚悟をさせられる。
死生観を。 何の為に生き、何の為に戦い、何の為に生き抜き、そして何の為に死ぬのか。 それが戦争であり、我々の生きている道だ。 今のBETA大戦だ。
「向うに着いたら忙しくなる、覚悟しておけ」
ヘッドライトが照らす夜の道が、この国の、我々自身の未来への道の様な気がした。
縁起でもない。 そう思い、その考えを振り払おうとしたが、どうしても脳裏の片隅にひっついて離れなかった。