2001年12月6日 夕刻までにクーデター事件鎮圧。 日本国内各所で皇道派将校の逮捕が相続く。
2001年12月7日 クーデター事件での被害確定。 但し非公開。
2001年12月8日 クーデター事件での殉職者遺体検死。 皇城・御前会議にて甲21号作戦、正式認可。
米第7艦隊主力、ハワイ、パール・ハーバー出港。 亡命韓国政府軍、ANZAC軍(豪州・ニュージーランド連合軍)、出港。
2001年12月9日 日本帝国軍統帥幕僚本部、陸・海・航宙・斯衛の全軍に対し、水師準備を下命。
2001年12月10日 日本海沿岸への兵站物資輸送、最終段階に。 ガルーダス各国軍、出港。 統一中華戦線、遠征軍の編制を完了。
2001年12月10日 1600 日本帝国 千葉県市川市 甲府台 第1自走砲連隊衛戍地
柩が葬祭場に着いた時から、弔砲が儀仗兵の弔銃によって発射され、将官には3回、佐官には2回、尉官には1回、行なわれる。
やがて全ての弔砲が終わり、柩が葬祭場から火葬場に運ばれる。 全ての儀式を終えた後、帝国陸軍の第2種礼装に身を固めた参列者が、三々五々、式場を後にしてゆく。
冬の夕暮れ空に立ち上る火葬場からの黒煙を見上げ、周防直衛陸軍少佐は無言で表情を厳しくしていった。 傍らの長門圭介陸軍少佐も、似た表情だった。
この日、先のクーデター事件で殉職した多くの将兵たちの合同葬儀が、国府台の第1自走砲連隊(旧野戦重砲兵第1連隊)衛戍地で行われた。
その葬列中には、国防省ビル内で殉職した故・河惣巽陸軍准将(殉職後1階級特進)、故・源麻衣子陸軍中佐(殉職後1階級特進)も混じっていた。
「・・・源は、配置転換を希望したそうやな」
周防少佐等と共に参列していた、第14師団の木伏一平陸軍少佐が、苦い表情で呟いた。 新潟の戦線から、急遽呼び出された和泉沙雪陸軍少佐も苦い表情だ。
「早まるな・・・と匂わせたのですけどね、取り付く島も有りませんでした。 表向きは穏やかそうでしたけど・・・あれは、かなり切れていましたね」
1人離れ、空を見上げる源少佐を横目で見つつ。 和泉少佐は殉職した故・源麻衣子中佐や、その夫君の源雅人少佐とは、衛士訓練校の同期生であり、長年の戦友で、親友同士だった。
「第39師団の増強計画・・・現行の3個戦術機甲大隊の丙師団を、6個戦術機甲大隊の乙編成師団とする・・・あれに希望を出されたとか」
夫人が第39師団で戦術機甲大隊長を務める長門少佐が、同師団の和泉少佐を見乍ら、問いかけるように言った。 それに和泉少佐が無言で頷いた。
第39師団は現在、森宮右近陸軍中佐を先任戦術機甲指揮官とし、和泉少佐、そして長門少佐の細君である伊達愛姫少佐(軍内では旧姓を使用)の3人の戦術機甲大隊長が居る。
本土防衛軍総予備である第39師団は、今回のクーデター騒動の直前に新潟に出兵していた。 佐渡島から旅団規模のBETA群の上陸兆候が確認されたためだ。
そしてクーデター事件当日は、上陸して来たBETA群の殲滅作戦を遂行中だった。 同様に九州でも、対馬を経由した鉄原ハイヴの飽和BETA群(旅団規模)を迎撃していた。
これら一連の過程で、更には年末に予定されている佐渡島への総反攻作戦の一環として、総予備の第39師団増強計画が有った。 3個戦術機甲大隊を増強するものだ。
佐渡島への総反攻作戦(『甲21号作戦』、秘匿名称『決号作戦』)には、総予備、或はハイヴ突入打撃戦力として、第10、第15師団も動員される。 これに第39師団を加える予定だ。
「うちの師団、これまでの92式弐型(疾風弐型)から、いきなり94式壱型丙(不知火壱型丙Ⅲ)に機種変換だからね。 10日やそこらで習熟なんて、ま、いつもの事だけど・・・」
「壱型丙Ⅰみたいに扱い辛くないし、壱型丙Ⅱみたく極端に燃費が悪くも無い。 操縦性も機動特性も壱型甲同様に素直だし癖も無いです」
「近接格闘能力や生存性は、壱型より格段に上です。 稼働時間も丙Ⅰ/Ⅱより大幅に延長していますし。 『疾風弐型』に乗っていれば、違和感無く乗り換えできますよ」
和泉少佐のボヤキに、周防少佐と長門少佐が口を挟んだ。 その場の空気に少し、嫌気がさしていたからだった。
「そう言えば、15師団も増強? あ、補強?」
「補強です」
「解隊した独混(独立混成旅団)から、人数を引き抜いて・・・」
第15師団は今回のクーデター騒ぎで、2割以上の損失を蒙った。 但し幸いな事に、機材の損失は大きめだったが、人員の損失は最小限に抑えられた。
戦術機甲部隊で行けば、6個大隊中の3個大隊が、機体の6割を喪う大損害を出した。 が、衛士の死傷者は最低限に抑える事が出来た。
これにより、解隊した幾つかの独立混成旅団の戦術機甲大隊から、残りの衛士を補充として再配置する事で、戦力の急速な再建の目途が立った。
「いずれにせよ、こちらも補充については行き当たりばったりです・・・機体はギリギリで間に合う予定ですが」
「第1師団向けの生産ロットを、丸々こちらに振り向けてくれたもので」
「ま、そのお蔭で1師団は開店休業状態や。 クーデターに参加せんかった、佐倉の第57(第1師団第57戦術機甲連隊)は、とりあえず総予備で『召上げ』やしな」
事実上、日本帝国陸軍第1師団は『解隊』された。 流石に頭号師団を欠番のままにしておく訳にはいかないので、いずれ再建される予定だが、恐らく来年度以降だろう。
他にも富士教導団で大規模な再編成が計画されている。 クーデターに参加はしなかったものの、思想的に皇道派と判断された将校の多くが配置変更されていた。
「・・・中には軌道降下兵団に、強制的に編入された者もおるしな」
「腕は立つ、でも思想的に危険。 なら、衛星軌道からハイヴに落してしまえ・・・ですかぁ・・・」
「10日やそこらで、軌道降下シミュレーションも満足に出来ないでしょうに・・・」
木伏少佐、和泉少佐、長門少佐の言葉を聞きながら、周防少佐は先日のラジオ放送を思い出していた。
「ある意味・・・信じた将軍に殺される事になった、そんな感じですね・・・同情はしませんが、哀れですね・・・3日前の、あの演説では・・・」
周防少佐のその言葉に、他の3人の少佐達も苦い表情を浮かべ、頷くしかなかった―――源雅人少佐は、天に昇ってゆく妻の煙を、ずっと見続けていたからだ。
3日前―――2001年12月7日 1330 日本帝国 帝都・東京 帝都城内・城代省
『―――我が親愛なる日本国民の皆様。 長きにわたり多大な苦難を強いている事、誠に申し訳なく思います。
此度の事件は、若き命が国の過ち、延いては私の至らなさを正そうとしたが故の決起でありました。
彼の者達の所業は決して許されるものではありません。 されど、日本の目覚めを願い、已むに已まれず立ち上がったその志までを、軽んずることはできません・・・』
その放送を聞いた瞬間、それまでの余裕は真夏の小さな水溜りの如く、瞬く間に蒸発した。
「なんなのだっ! あの放送はっ! 原稿は確認したのだろうな!?」
「はっ、はいっ、確かにっ! 確かに確認いたしましたっ! 御側取次用人殿も、確認されておりますっ!」
「ならば、何故だっ!?」
城代省官房部、その官房長官室で、神楽宗達官房長は激昂していた。 いや、焦燥感に包まれている、と言った方が正しいかもしれない。
外科的に確認できるのであれば、まさに比喩の通り、彼の心臓は真っ青に青褪めていただろう。 顔は赤黒く紅潮しつつ、背中を流れる冷汗が止まらない。
『―――私達の心に刻みつけ、省みるべきは日本人として在るべき真の姿にある、と思い至りました。 それが、延いては人類が一丸となり、強大な敵に立ち向かう為の力となるでしょう。
長きにわたる戦乱の終わりは未だ見えず、皆様の心には不安の大きなうねりとなって押し寄せていることでしょう・・・』
目の前が真っ暗になる。 これは、この原稿は・・・官房部が監修し、即座に『却下』を下した、あの曰く付きの原稿ではないか!
「官房長殿! 警備部より至急の報告が!」
「後にしろ!」
「い、いえ! それが・・・将軍家御側仕えの侍女の1人が、帝都城内で変死したと!」
「・・・何?」
2001年12月7日 1331 日本帝国 帝都・東京 国防省ビル
『―――だからこそ、私達は今という時代を、強靭な精神を持って歩まねばなりません。
敵を砕く為の牙を、同胞に向けざるを得なかった彼らは、身を持ってそれを示そうとしたのです。
私達の心に、今再び、誇りと力を呼び戻す為に・・・』
本土防衛軍副司令官室―――総司令官が今回のクーデターで負傷療養中の現在、実質的に本土防衛軍総司令官である岡村陸軍大将は、傍らの将官を振り向き言った。
「流石に、『仕事』が早いね、右近充君」
こちらも司令官が負傷入院の為、国家憲兵隊の全てを取り仕切る事となった右近充陸軍大将が、ソファに座ったままで、瞑っていた両目を薄く開けて言った。
「・・・特高(特別高等公安警察)、内本(情報省内事情報本部)、情本(国防省情報本部)、それに城代省の一部・・・それだけの『協力』を得る事が出来ましたのでな」
本来、城代省官房部が用意した、『政威大将軍演説原稿』は、全く異なるものであった。 官房部は当初、将軍家より『希望』された原稿を『時局に合わず』と破却した。
軍・官の統制派は元より、宮中や政財界主流、はては今回の『犠牲』となり殉職した将兵の遺族まで、完全に『敵に回す』事になる、そう判断したからだ。
その為に城代省官房部は、国家憲兵隊や特高、情報省に国防省とも至急の会合を開き、内容を調整し、別の原稿を(嫌がる将軍家を説得し)読み上げさそうとしたのだ。
『―――座して得られるものはありません。 しかし、得るべきものが何かもわからず、徒に拳を振り回したところで、望むものを得ることは決して叶わないでしょう・・・』
流れる放送・・・政威大将軍の、理知的だがまだ若い女性の声を聴きながら、右近充大将は岡村大将に向けて言った。
「武家の存在意義は、陛下と帝室の藩屏足らんと。 そう、全ての疑義は、陛下と帝室に向けられる様な事は、決してならぬのです」
2001年12月7日 1332 日本帝国 帝都・東京 帝都城内・城代省
『―――若者達の潔き志を礎に、私達は一丸となり、勝利と平和を勝ち取る為、共に苦難を乗り越えて参りましょう・・・』
流れる放送に無力感を抱きながら、神楽宗達・城代省官房長は、ひとつの結論に達した。
「・・・生き永らえたければ。 武家を存続させたければ。 全ての泥を・・・『疑惑』を被って生きてゆけ、か・・・」
そうなのだろう。 武家と言う存在自体、19世紀までの古い時代の遺物なのだ。 それが今後も存続するには、相応の働きを・・・社会的疑惑を一身に集め、陛下の藩屏として・・・
「そう言う・・・事か・・・」
若い将軍には、判らないだろう。 だが日本帝国が・・・日本国民が、無意識の集団意識下で、それを求めているのだとすれば・・・
「・・・侍女の死因は、持病の急変によるものだ」
「・・・は?」
「そう公式に発表しろ。 実家の当主・・・兄だったか? そちらにも因果を含ませろ、よいな?」
「はっ、はっ!」
走り去る部下の背を見乍ら、神楽官房長官は深い溜息と、これからの憂慮の日々を思い、重く沈んでいった。
2001年12月7日 1333 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地
『―――日本国民の皆様。 民と国の為、その身を捧げた者達、そして己の責務に殉じた者達の心を、どうか忘れないでください。 数多の英霊の遺志を背負い、私は歩み続けます・・・』
師団の損害調査報告会議の席上、流れる放送を聞きながら、部隊長以上の佐官級軍人達は、白けた表情でその放送を聞いていた。
クーデター鎮圧の任を担った第15師団は、ある意味で『当事者』であり、最後の最後まで、『現場』に居合わせた部隊のひとつだった。
それだけに、あの事件で将軍家の行動、武家の思惑、政府・軍部の意向に外国勢力・・・米国と国連、様々な組織・勢力の朧気な形を見た気がするのだ。
「・・・正気かね?」
第151機甲大隊長・森永忠彦中佐が片目を瞑り乍ら呟くと、第151機動歩兵大隊長・奥瀬 航中佐が、やや呆れた様に言い返した。
「正気か・・・何を持って、正気とするかだな」
その言葉に、居並ぶ佐官級の軍人達が渋い顔をする。 彼らを代弁したのは、師団首席法務官である、法務部長の竹崎健二法務中佐だった。
「帝国軍軍法に照らし、帝国刑法に照らし、クーデターを起こした者達は極刑を免れない。 それが法治国家だ。 法治国家の暴力装置を律する軍法であり、刑法だ。
法解釈上の議論は、ここで軽々と言う事は能わぬが・・・少なくとも日本は、人治国家では無いのだ。 そう、古の律令を定めて以来な・・・」
竹崎法務中佐の言葉に、師団作戦主任参謀の元長孝信中佐が、白々しげに言った。
「まあ、律令は・・・歴史解釈は置いておくとしてだ。 少なくとも19世紀末の維新後より、我が国は立憲君主国家であり、法治国家だ」
「ならば、それに正々堂々と喧嘩を売っている、この政威大将軍の演説は何だ?」
師団第1部長(人事・行政)の前岡静馬中佐が、苦々しげに言った。 そう、誰もが思ったのだ。 『将軍は、帝室と政府・軍部、ひいては国民に喧嘩を売る気なのか?』と・・・
「・・・シナリオの通り、なのかな・・・?」
第151戦術機甲大隊長・周防直衛少佐が呟いた言葉に、居並ぶ佐官級軍人達は『それ以上は言うな』と、視線で制する。 周防少佐も、苦笑しつつそれ以上言わなかった。
「ま、いずれにせよ・・・軍部とは決別ですよ」
長門少佐が発した言葉は、誰が、とは言わないものの、その場の全員が苦々しい思いで共有するものだった。
2001年12月7日 1334 日本帝国 帝都・東京 国内用難民キャンプ
『―――どうか、皆様のお力を、今暫くお貸し下さい。 同じ過ちを繰り返さぬよう、各々が為すべきを為せるよう、共に未来を見据え、歩んで参りましょう・・・』
演説が終わるや、1人の初老の男がキャンプの仮設建物―――集会場―――を出て行った。
「おい、アンタ。 もう聞かないのか?」
同じく難民の中年男性が、その背中に問いかけた。
「・・・聞かん。 聞いたら儂、ラジオに石ぶつける・・・」
そう呟いた初老の男性は、背中を丸めて集会場を出て行った。 皆が知らぬ事だが、家族全てを喪ったこの初老の男性は、92年と94年に息子2人を満州戦線で喪っていた。
そして98年のBETA本土侵攻で妻と娘夫婦を喪い・・・今回のクーデター事件で、第44師団に所属していた末の息子をも喪った―――全てを喪った。
第44師団は西関東防衛の第4軍団に属し、クーデター部隊の強襲を受け、大損害を出した部隊だったのだ。
「儂、全部、無うなってしもうた・・・やのに、将軍さんは・・・」
2001年12月11日 1000 日本帝国 帝都・東京 陸軍中央病院
「・・・何もわざわざ、迎えに来なくても良いのに・・・」
荷物を両手に持って、自家用車に乗り込む夫の後姿を見乍ら、綾森祥子陸軍少佐(現姓は周防祥子、軍内では旧姓使用)が言った。
「・・・荷物はこれだけか?」
照れ隠しなのか、振り向かずにぶっきらぼうに言う夫。 こんな所は昔の初任士官時代から変わらない、そう思った。
「ええ。 別段、長い入院じゃなかったし」
左腕上腕部の銃弾擦過。 疑似生体接続をしている部位であったことが却って功を奏したか、驚くほど速い退院となった。
車の助手席に乗り込むや、夫は車を発車させた。 自宅はそう遠くないが、混雑する国鉄を使いたくない、そんな気持ちも多少あった。
「・・・早く会いたいわ。 あの子たちは、元気にしていたかしら?」
「・・・祖父ちゃん、祖母ちゃんが、盛大に甘やかしている―――直嗣が夜泣きするらしい、祥愛もつられて。 お袋と義姉さんが、少し寝不足だとか・・・」
「大丈夫よ・・・家に帰れば、あの子たちも安心するわ」
どう大丈夫なのか、夫―――周防直衛少佐にはさっぱり判らなかったが。 妻―――綾森(周防)祥子少佐には、母親としての確信でもあるのだろうか。
ほんの数日だが、幼い双子の我が子達を見守れない事が、これ程不安になるとは・・・綾森祥子少佐は、早く子供たちに会いたかった。
「・・・有難う」
「何・・・?」
運転しているので、妻の方を向けない周防少佐が、前方を剥きながら訝しげな声で聞いた。
「麻衣子の葬儀・・・出られなかったから。 河惣大佐・・・准将も」
綾森少佐にとって、故・源麻衣子少佐は同期の親友であり、長年の戦友でもあった。 故・河惣巽准将も1992年以来の付き合いであって、なにかと懇意にしてもらった。
「・・・源さん(源雅人少佐)がな、心配していたよ、祥子の怪我の事を」
「源君が・・・? そう・・・」
源雅人少佐・・・故・源麻衣子中佐の夫君で、綾森少佐とは同期生の友人だ。 夫の周防少佐とも1期違いの戦友で、友人だった。
「馬鹿・・・ね。 私の事より・・・ま、麻衣子の・・・事を・・・ふぐ・・・う・・・」
不意に嗚咽を漏らし始めた妻。 そんな様子を見て、周防少佐は車を目立たない路肩に止めた後、言った。
「泣けよ、祥子。 泣いていいから・・・泣いてあげなよ・・・」
「ふっ・・・くぅっ・・・んっ・・・ふっ・・・!」
静かに嗚咽を漏らす妻の肩に、そっと手を置いて抱き寄せ、泣き止むまでずっと、そのままでいた。
2001年12月11日 1045 日本帝国 帝都・東京 周防家(実家)
車を実家の車庫に入れるや、妻が飛び出す様に家に入っていく―――喜ぶ両親の声、妻の方の両親も来ているようだった。
幼い双子の我が子達が、数日振りに会えた母親にしがみ付いて泣いていた。 余程心細かったのだろうか。 子供達を抱きしめる妻の表情は、既に母親の顔だった。
「お義父さん、お義母さん、いらしていたのですね。 申し訳ありません、連絡が遅れてしまい・・・」
「直衛君、気にする事は無い。 君も娘も、公務が有るのだからね」
義父は中央官庁の高級官僚でもある。 軍人、それも中堅幹部の佐官である娘と娘婿の立場を、慮ってくれる。
暫くは両親に抱き付いて盛大に泣いて、甘えて来る幼い子供たちをあやし、やがて泣きつかれ、安心したのか寝着いてしまった子供たちを布団に寝かせる。
妻は奥の部屋で実家の母と義母(妻の母)、それに義姉に労わられて、少し涙ぐんでいる。 周防少佐は居間で父と義父相手に、晩酌の相手をしていた。
「大変だよ、これからが・・・」
統制派と言う訳ではないが、非主流派でもない義父は、冷静に政局を見つめる立場にある。 これからの国家運営の厳しさが見えるのだろう、酒杯を明け乍らそう言った。
「父さんの会社もな・・・軍部からは、糧食生産の矢の催促だ・・・」
食料加工も行う会社の重役になっている実家の父も、色々と大変そうだった。
「親爺・・・お義父さん・・・無にはしませんよ」
それもこれも、年末の作戦次第。 もしも失敗すれば・・・その時点で亡国が確定する。
「ここだけの話だが・・・政府は合衆国との秘密協定を結んだよ」
「協定・・・ですか?」
訝しげな周防少佐に、娘婿を見つめる義父が、高級官僚の冷静な目で言った。
「ハワイ、そして西海岸を含む西部の一部・・・大規模な難民キャンプの設立と、亡命政権樹立の秘密協定だ・・・」
声を潜める義父。 父も無言で頷いている。
「父さんの会社もな・・・西海岸にプラント建設を行っている。 将来の可能性の保険だったのだがね・・・」
つまり、日本帝国政府は年末の総反攻作戦、『甲21号作戦(決号作戦)』の成否による、ひとつの可能性の保険を既に始めていると言う事だった。
酢を飲み込んだような表情になる周防少佐。 佐官級の幹部とは言え、逆に言えば未だ佐官なのだ。 国の中枢の考えなど、知る事は及ばない。
「まあ、ひとつの可能性・・・だよ。 年末の結果、それによって大きく変わる・・・そう信じるよ、私は」
「そうですなぁ・・・直衛、だが無理はするなよ、頼むぞ・・・?」
2人の父親にそう言われ、曖昧な表情で答えるしかない周防少佐だった。
「実家に顔を出せば、両親不在。 義兄さんの家も、誰も居ない。 もしやと思い立って来てみれば・・・親爺にお袋もかよっ、てね・・・」
「艦隊が入港したのか?」
夜分、急遽、義弟が実家を訪れてきた。 綾森喬海軍中尉、妻の実弟だ。
「いや、芝浦の沖に停泊中さ。 チャージ(連絡艇の艇指揮官、本来は少尉クラスが行う)でね」
「中尉でかい?」
「司令官の、だからね。 若い連中が夜間の悪天候(この夜は雪が降っていた)に、ちょっとね・・・ま、ケプガンの役得だね」
今では早、ケプガン(キャプテン・オブ・ガンルーム、第2士官次室長)として、若い少尉や候補生たちを指導する立場になっている義弟を、少し苦笑しながら見つめる。
「早いなぁ、もうケプガンか・・・中尉だものな」
熱燗を義弟の酒杯に注ぐ。 司令官チャージとして芝浦に着いたものの、夜間の荒天により艦より今夜は陸上待機を命じられたらしい。
艇員と艇長の下士官兵を、近くの下士官兵集会所に宿泊させ、自身はまず実家へ。 不在の為に姉の家へ。 そこも不在で、義兄の実家に顔を出したわけだ。
「艦隊に居るから、陸軍の詳細な損害が判らなかった・・・姉さんが負傷した事を聞いたのは、今日の朝だったよ。 戦隊通信参謀から、こっそり教えられた・・・」
それもあり、居てもたっても居られなくなった。 で、チャージを代わりに引き受けた、と言う事らしい。
明らかに公私混同だが、そこまで目くじらを立てる気はない。 陸軍と海軍の違いもあるし、何よりも海軍が事情を知って黙認したのだ。
「・・・祥子も喜んでいる、有難うな、喬君」
少し照れる義弟が継いだ酒杯を、くっと飲み干しながら礼を言った。
「・・・でも義兄さん、今回はヤバかったよ」
「海軍は・・・どんな感じだ?」
居間で妻の世話をしている両親と義父母を見乍ら、少しは息子も構って上げなさいよと、内心で義父母に苦笑しつつ、周防少佐は義弟の綾森海軍中尉に聞いた。
「何年か前にさ、うちの前の司令官・・・当時の周防大佐が、陸さんに大怪我を負わされただろう? あれ以来、陸軍の皇道派に対しては、否定的な風潮が海軍部内に有ったんだ」
その頃、綾森中尉は海軍兵学校の生徒だった。 が、そんな空気は兵学校にも伝播していたらしい。 海軍内の空気を最も敏感に受けるのが、海軍兵学校を始めとする海軍3校だ。
「そこへもってきて、今回の騒ぎだろう? 今回、僕の乗艦の『出雲』は東京湾に直行したけどね。 ひと悶着さ・・・」
若手の士官、その中でも血の熱い連中が揃いも揃って、『第1師団を主砲で砲撃しましょう!』と、艦長や戦隊司令部に直談判で詰め寄ったらしい。 この事態は2度目だ。
「分隊長(大尉級、陸軍の中隊長に相当)の中にも、声に出さないけど同じ様に思っている人たちも居てね。 最後は司令官(第5戦隊司令官)直々の説教と説得で、ね・・・」
兎に角、艦隊司令部、乃至、GF(聯合艦隊)司令部の命令なしに、独断専行は不可! と言われ、渋々引き下がったそうだが・・・
「・・・拙いなぁ。 佐渡島じゃ、GF(聯合艦隊)の艦砲射撃支援が命綱だってのにな・・・」
「ま、ね・・・でも陸軍が出血してでもクーデターを鎮圧した姿勢を見て、矛を収めたって所かな? 馬鹿をしたのはあくまで、一部の皇道派で、陸軍全体じゃないって」
「そう思ってくれれば、助かるよ・・・」
義理の兄弟の会話が途切れた頃合いを見て、周防少佐夫人の綾森少佐が、2人分のお茶を運んできた。 熱燗と酒杯を問答無用で下げ、お茶を差し出す。
「姉さん、俺の酒・・・」
「もう、十分でしょう? それに公務中でしょ? 喬?」
「だけどさ・・・義兄さん?」
「ああ、もういいかな・・・祥子、お茶、お代わり・・・」
にっこり笑って、盆を下げる妻に無抵抗の夫。 そんな姉夫婦を見た義弟は、ポツリと呟いた。
「亭主が弱い・・・」
「黙れ、独身貴族」
もっとも2人とも、妻の、姉の、その目尻に、涙跡が残っているのを見逃してはいなかったのだが。
2001年12月12日 日本帝国
この日、日本帝国海軍軍令部は、聯合艦隊と聯合陸戦隊に合戦準備下命。 同日、日本帝国陸軍参謀本部、本土防衛軍総司令部に対し、全軍管区に合戦準備下命。
更に日本帝国航宙軍作戦本部、軌道降下兵団の打ち上げ最終準備を下命。 全軍が『甲21号作戦(『決号作戦』)』の最終準備段階に突入した。
2001年12月12日 1350 日本帝国 千葉県松戸市 陸軍松戸基地 第15師団
「・・・トライアルの実施記録映像、ですか・・・」
会議室に集まったのは、6名の戦術機甲大隊長の少佐達、それに18名の戦術機甲中隊長の大尉達。 主催するのは師団参謀長負傷の為、代行の作戦主任参謀・元長中佐。
「一昨日、国連軍横浜基地で、新概念OS『XM3』のトライアルが実施された。 参加部隊は横浜基地の7個戦術機甲大隊、横須賀基地の6個戦術機甲大隊から選抜の13個小隊。
プラス・・・『魔女殿』子飼いの小隊、併せて14個小隊が参加した。 結果は・・・なんとまあ、訓練生で組まれた魔女殿の小隊が、勝ってしまったらしいな」
「・・・横浜基地の部隊はともかく、横須賀基地の部隊は歴戦部隊揃いでしたが? 横須賀の周中佐(周蘇紅国連軍中佐/統一中華戦線中校)も、魔が差しましたか?」
皆の感想を代弁するのは、先任戦術機甲部隊指揮官の荒蒔芳次中佐。 事実、横須賀基地駐留国連軍部隊は、統一中華戦線や亡命韓国軍部隊、ガルーダスから選り抜きが参加している。
荒蒔中佐以外でも、そう思う者が多かったようだ。 横須賀の部隊指揮官達は、日本軍との共同作戦を戦った者が多い。 その実力は把握している。
「・・・まかり間違っても、よしんばそのヒヨコ達に天賦の才が有ったとしても。 実機搭乗時間100時間に達していない連中です。 いくらなんでも・・・」
「有り得ない、かな? 佐野君? しかし、事実だよ」
第155戦術機甲大隊長の佐野少佐の呟く声に、元長中佐ははっきりと言いきった。
「陸軍からも、第1開発局の者が視察に参加した。 事実だ」
皆が呻く。 大隊指揮官や中隊指揮官ほどではないにせよ、小隊長の古参で4年は搭乗経験が有り、実戦経験がある。 実機搭乗時間は1000時間前後に達する。
少し考えてみればいい。 いくら天賦の才能が有ったとしても、自動車の教習所通いの者と、4年から5年、仕事で車を運転し続けているプロのドライバーと、その腕の比較を。
―――戦術機の操縦は、車の運転などよりも余程、繊細な上に困難で、より専門性を問われる『高等技術』なのだ。
「・・・その新概念OS、詳細は・・・?」
「まあ、見た方が早かろう。 おい」
「はっ」
周防少佐の問いに、元長中佐は記録映像を映し出すよう、部下の中尉に言った。 スクリーンに映し出される演習時の映像。 暫くして声が出なくなる、並み居る指揮官達。
やがて記録映像が終わった。 ある者は信じられない光景を目にして絶句する。 ある者は何かを考え込むように。 またある者は・・・
「主任参謀、詳細なブリーフは、その中に?」
周防少佐が元長中佐に聞いた。 無言で頷く元長中佐から、ブリーフを受けとり、中に目を走らせる。
「・・・成程」
「判ったかい?」
「ええ・・・判りました。 少なくとも現時点では、帝国軍では採用できない事も」
周防少佐がブリーフを僚友達に回す。 群がって貪る様に読み始める指揮官達。 そして・・・
「確かにな。 ダメだわ、これは・・・」
「上が首を縦に振らないでしょ?」
「生殺与奪権を、横浜に握られろと?」
その後、大尉達にも回し読みされ、上官連中と同じ結論に達した。
「キャンセル、先行入力、コンボ・・・まあ、アイデアは良いでしょうけどね・・・」
「新米連中には、安心感を与えるでしょうが・・・」
そう言うのは、周防少佐の大隊の先任中隊長の最上大尉、長門少佐の大隊の先任中隊長の古郷大尉。
「機体硬直時間も、大幅に低減されている。 確かに良くできたOSだ・・・ワンオフとしては」
荒蒔中佐の言葉が、全てだった。
「この付属資料の2-3、技研の審査部機体に、同じOSを搭載しての試験・・・動きが『より改悪された』、これが全てだな」
「多分、『OSの情報量処理に、CPUの性能が追従出来なかった為』、この報告書の通りでしょうね」
長門少佐の言葉に、154戦術機甲大隊の間宮少佐が同調する。 報告書では、CPUの処理速度が余程向上しない限り、現行機体への搭載は考慮を有する、とある。
そして皆が、報告書の欄画に記された一文・・・試験担当者の私見と言うか、愚痴と言うか、その一文を読んで苦笑する。
『―――第4計画の副産物! そんな曖昧なものに頼って、国防を担えるか!』
「そうだ。 魔女殿の子飼い小隊の機体は『吹雪』だった。 訓練機だが、OS他の内装ハードとソフトは、帝国軍採用の物とは全くの別物だった」
なら、そのCPUからして、横浜は帝国に供出するのか? データも込みで?―――しないだろう。 取引の手駒として使うに決まっている。
「完全ブラックボックス化されたコアで、国防の中核である戦術機開発をする馬鹿は居ない・・・残念ながら、この新概念OSは横浜以外、使用しないだろう」
いくら現場が望んでも、より大局で(そう信じている)国家戦略全体を見据える上層部は、許可しないだろう。 日本以外の国家も同様と言えた。
その後は採用の目は無いものの、その新概念OSの検討会になった。 軍と言えど官僚組織、一度命じられた事は形式でも完了させねばならない。
「・・・キャンセルは良いとして、先行入力とコンボ、これは不要かな・・・」
「便利そうですが? 特に新米たちにとっては」
「場合によっては、二度手間、三度手間になる。 先行入力をして、状況変化でキャンセル、また操作入力・・・戦場での状況変化は、1秒先も保証されない」
それを補うには、1にも2にも経験の蓄積だ。 それしかない―――が、周防少佐の持論でもあった。
「ま、その経験を積む為に、それまで生き残る為に、って限定すれば有用かもしれないな」
「周防の論は、極論な気もするが、正解でもあるが・・・長門の言う通り、新人たちに限っては、有用だろう。 要はソースの振り分けが出来れば、より良いのだろうな」
先任指揮官の荒蒔中佐が纏めた。 要は訓練校でたての新米には有用。 ある程度の経験を積んだ者には、機能を選択できる仕組みが有れば宜しい。
事実、歴戦の大隊指揮官連中の様に、実機搭乗時間が1800時間から2000時間超、荒蒔中佐の様な3000時間超の超ベテラン衛士達は、キャンセル機能しか使用しないだろう。
彼らには、長年の実戦経験によって築き上げられた『戦場の感覚リズム』が確かにある。 第六感とか、そんなものかもしれない。
この新概念OSの『コンボ』も『先行入力』も、彼らは使わない。 ギリギリまで感覚を研ぎ澄ませ、瞬時に決定と操作を行うからだ。 その道のベテランも同じだ。
「では、検討所見は・・・『新人衛士に対しては、有用を認める』で宜しいか?」
元長中佐の締めの言葉に、その場の全員が頷いた。