さて、自分は先ほどまでお世話になっていた喫茶店にいる、二人で。
向かいにニコニコと嬉しそうに座ってこちらを見てくるのは、朝倉涼子。原作ではいきなり主人公キョンをぶっ殺そうとしたド級危険人物である。
どうしてこうなった。
このどうしてくれようか、ちっくしょうかわいいなぁおい。目の前には振りきれんばかりにブンブンと尻尾を振る姿が幻視できてしまう。何故、君はそんなにうれしそうなんだい?
「で、どうしましょうか?」
「うん、まかせるわ」
えー、どうしよう。
「ぶっちゃけると、こういうの初めてなんで、デートプランもくそもありません。ノープランです」
「えー」
そうなのである。こういう『男の子が頑張っちゃうぞ!』みたいなデートの体験は前世含め、経験がないのである。前の彼女は、驚異的に趣味があったからなぁ…… 正直、行きたいところに行ってたらよかったので、すげぇ楽だった。
「といってもねぇ、この漫画には……」
「なんでも花と夢に頼らないでください。ここは現実です、白馬の王子様なんて居ません」
ブーブーと文句をたれる彼女をしり目に、自分は考える。よく考えたら、このデートなるものも勝手に設定されたものであるし自分がそう考えることもないんじゃないか?
そうだ、それが正しい。そもそも勝手に…手を…握ったり……
かーっと顔に血が上る感覚がする。そうだあんなはしたないことするから、こんなに混乱するんじゃないか。
「そ、そうです。行きたいところ、行きたいところはないんですか?」
「んー、行きたいところねぇ。あるっちゃあるんだけど……」
「じゃあそこに行きましょう!」
この時、しめた! と彼女の行きたいところとやらに飛びついた自分を殴りたい。そう思ったのは、目的の店についた時だった。
涼宮たちと廻った店の集まる裏通りに入ったところで、自分は180度ターンすべきだったんだろう。ダイアゴン横町ばりに怪しい店を超えて行ったところに、目的の店はあった。
『ナイフ屋』
ナイフという現代日本には、あまり需要の見込めない商品を看板に掲げるその意気はよし。なんかこう周りの雰囲気が淀み過ぎて『これが瘴気!』と言いたくなるような佇まいなのも、まあいいだろう。自分は決して近づかないだろうからな。
しかし、その怪奇蔓延る店をデートスポットとして、指定するその感性にはケチをつけさせて貰おう。まとめると自分たちはその『ナイフ屋』の前に立っているのであった。
「なあ、朝倉」
「何? 林君?」
「ここは……どこ?」
「どこって、私の行きつけのお店」
もう帰っていいかな……
そんな自分の必死のメッセージを歯牙にもかけず、悠々と店内に入っていく彼女。この空間に一人で残される方がむしろ怖いので、しかたがなくついて行く。
店内もカオスだった。
まず目に入るのがおびただしい数のナイフ。何か大量の虫を思わせるその気持ち悪さは、二度の人生の中でも初めての経験だった。
奥にはカウンターがあり、そこには不機嫌そうな男。この男が主人ってやつなんだろう、というか銃刀法はだいじょうぶなのか?
「はぁい、ご主人。何かいいの入ったかしら?」
と気安く朝倉は話かける。やっぱり、常連客なんですよねぇー
声をかけられた主人は無言で顎を店の右奥の方をしゃくる。え? いいの入っちゃってるの?
それを見た彼女は、嬉々として右奥の方に駆け寄る。ああ、なんかそこら辺から黒いオーラが…… 好奇心は猫をも殺す。頭とは反対に体が吸いつけられるようにして、その奥に動く。
奥にあったのは、ちょっと小ぶりのナイフである。しかし、そのナイフの纏う雰囲気が尋常じゃない。そこの周りだけ暗い、そんな気がする。
いや、違う。暗いのでなく重いのである。引き込まれる、それも確実に悪い方向に。ぱっと見ただけでこんなに危機感を持たせるナイフなどロクなもんじゃない。
近くに、申し訳程度に置いてある名札には『ベンズナイフ』とだけあった。
「うおー、すごいわ、すごいわよこれ! この完成されたフォルム……ある一つの目的のための形がこんなに美しいだなんて! ああ、もう罪づくりだわ! この感動を誰かに伝えないと…… ハッ、情報統合思念体……」
いやいやいや、情報統合思念体に伝えてもどうしようもないだろ。彼(彼女?)の戸惑った声が聞こえてきそうだ。
「……と思わない、林君!」
おっと、話を聞いてなかった。だってあまりにも自分に益がなさそうな話だったから。
「お、おう。すごいすごい」
「なら、いいの?」
「あ、ああ」
「じゃ、お願い」
「へぇ?」
渡されたのは、さっきのナイフ。まがまがしさが手の感触ごしにビンビン伝わってくる。
「さあさあ」
追い立てるように、カウンターへ移動させられる自分。怖い主人の前まで来ると、主人が小さい声で「11980円」との声が。何か、これを買うのか?
後ろを振り向くと、それはそれはすんごい笑顔で笑いかける朝倉の姿が。ああ、これは長年居なかった趣味仲間ができて、うれしいって顔だなぁ、逃げ場なしか……
財布を覗くとデートってことで、かなり奮発しちゃっておろした現金諭吉さんが二枚。あのころの自分に言ってやりたい、デートだからって全額おろしたりするなって。
「……お願いします」
「まいど」
「いやあ、いい買い物したね! ほんとあのナイフってその手の人には、すごい人気なんだから! 288本しかなくてね……」
後から探り探り聞くに、どうやら朝倉は今持ち合わせのお金がないから、買っておいてほしいとのこと。そして、何故か自分が同好の士と勘違いされていること。
「ははは、朝倉はナイフが好き、なんだね……」
「うん、大好き!」
その言葉はね、もっと別の場面で使った方がいいと思うよ。
あふれんばかりの笑顔に胸をえぐられつつ、自分たちは次の場所に向かった。ちなみにナイフを生身で渡してきやがったので、今はハンカチにまいて尻ポケットに入れております。
次の目的地はデートの王道、映画館。っていうか、これしか思いつかなかった。また彼女に任せて闇のお店なんかに連れて行かれちゃたまんない。
この駅前には二つの映画館がある。一つはファミリー向けのものを多くやっている。もうひとつは恋人やその手の人が好きそうな、まぁファミリー向け以外の奴をおもにやっているところだ。自分たちはもちろんそっちの映画館に向かっていた。
着くと、さすが休日の映画館。だいぶ人が多そうだ、席は空いているかな。
「さて、どれにす……」
隣を見ると、目の中に輝く星が見える朝倉さん。その目線のさきには、
『イタリアン・チェーンソー』
との文字が。ああ、スプラッターですね、分かります。どうしてこの子はこういう方向性につっぱしるのだろうか。
「……あれ、見る?」
いやぁ、グロかった。ストーリーなんてしったこっちゃねぇ! 血と腸さえはみ出ていれば最高さぁ! みたいな映画だった。
「よかったねぇ、スカっとしたわ!」
とご本人は大変満足の様子。まぁそれならよかったんだけどね。
大体、朝倉の扱い方を分かってきた気がする。つまり、おっきい子供、そう考えた方が楽だ。映画中もポップコーンこぼしてたし。
「次何したい?」
「アイス食べたい!」
と、ほら、こんな反応もまんま子供である。
……そう考えると、原作のあの暴走もある程度は納得できるところがあるかもしれん。つまり、彼女にとって、自分たちは言葉通り”虫けら”なのである。子供の時、虫の脚をちぎって遊んだり、首をちぎったりして遊んだ記憶はないだろうか?
そう子供は大人から見て残酷なのである。ただその純粋なるあまりに。その残酷さがどこから来てるとか、そんなものは小児心理学なんて納めてない自分にはわからない。しかし、その残酷さが罪なのかどうか……そんなのは誰にも判断できないんじゃないだろうか。
さらに深く沈みそうになる自分に、パンフレットを買おうと呼ぶ朝倉の明るい声が聞こえる。
ま、いっか。罪やら誰が悪いやらは歴史家先生に任せよう。少なくとも今、考えるのは面白くないし、彼女にも失礼だ。
「ああ、今いく。あ? お金が足りないって?」
「すまん」
今まで聞いたこともないほど、真面目な声でそう俺に謝ったあと、谷口はすごい勢いで廊下をかけて行った。
ああー、ありゃ勘違いしてるなぁ。今の長門との体勢をみたら仕方がない、のか?
抱き起そうとしたモーションは、逆に押し倒そうとしてるようにも見えるのか。
「面白い人」と長門が呟く。確かに先ほどの谷口のキョドリ具合は面白いかもしれないが。
これからの事を思うと、色々と思うことがあり、最近俺は癖になりつつある溜息をつく。溜息をつくと幸せが逃げるらしいが、何とかならんのかね。
「大丈夫。情報操作は得意。朝倉涼子は転校した事とする」
「いや、そうゆうことじゃなくてだな……」
そっちじゃねー!
なんて突っ込んでいる場合じゃない。あんな超次元バトルを見せつけられちゃぁ、長門が宇宙人だってことを認めざるを得ない。やれやれ、となると朝比奈さんは確実に未来人だな。
そいつは困る。俺自身は傍観者が一番いいのだ。宇宙人やら異世界人やらの万国人間ビックリショーなんかに参加すれば、命がいくつあっても足りん。
先ほどの朝倉の攻撃。俺を殺そうとしてきたあの攻撃は、自分自身が目の前で起きていなければ、CGの一言で済ませてしまうようなものだった。長門があの時、落ちてこなければ俺は強制昇天させられていただろう。
夕暮れのオレンジ色に染まる放課後の教室は、そこがどこか別の世界のような、そのような感じがした。
長門は情報の整理がまだあると言っていたので、俺は一足先に家に帰ることとなった。あたりは夕暮れを通り越して、うす暗く他に帰宅途中の学生は見当たらない、なんとも寂しい帰り道である。
プ・プッと街灯のともる音がする。虫の音だけの静かな住宅街の中、歩く音がするのでふと前をみると、そこには昨日よりももっと顔色の悪い林がいた。
「よお、林。こんなところで、奇遇だな」
俺の問いかけに、うつむき加減の林は答えない。おかしい、聞こえてるはずなんだが。
「おい、大丈夫か? この前より顔色がだいぶ悪くなってるぞ。家まで……」
送ろうかと続く、その言葉を俺は言い切る事が出来なかった。林はこちらに向かって、腰を低くかがめて突進してきたからだ。
ダンッと衝撃が腹に来る。
「あ、林何す……」
またもや俺は言葉を紡ぐことができない。今度は、違う理由でだ。
痛い、すっげえ痛い。
腹が強烈に痛い。頭の中は突如そのことでいっぱいになる。
半ば反射的に腹を見ると、そこには少し小ぶりなナイフがそりゃ見事に俺の腹に刺さってた。どこか自分の事じゃないみたいな、そうそんな絵を見ているような。他人事のような気がした。
しかし、現実はそんな訳なく、その刺さったナイフを見るに急に痛みがリアルに感じてくる、赤い。腹はとても鮮やかな赤だった。
制服が汚れちまうな、なんて明らかに今考えることじゃない考えが頭をよぎる。足に力が入らなくなり、前のめりで倒れそうになるのをとっさに、横向きになるよう体をひねる。
目線は地面近く、前には黄ばんだ街灯。くそ、腹がめちゃ痛てぇ。手を腹に当てつつ、このくそったれな状況を生み出した野郎を見ようと首を前に向ける。そこには、なにやらボーとした林が突っ立っていた。やはりその顔色は悪そうだ。
ああ、目が霞んできた。それになんだか眠くもなってきた。くそ、本気でやべぇぞこれ。
ダメだ、走馬灯を見る暇もありゃしねぇ。そうして俺は突くような腹の痛みと、霞む視界の中ゆっくりと落ちて行った。
「っ!……はぁ、はぁ、はぁ……」
何だ今のは。周りを見渡すと、いつもと変わらない殺風景な部屋。まごうことなく自分の部屋である。
そして今寝ているのは、自分のベット。どうやら俺は寝てたらしい。
……”俺”? そして、思い出す。おびただしくあふれる紅い染み、硬い肉を切ったような感覚、そしてつんざくような腹の痛み……
俺は……自分は……、まさか……
キョンを、刺した……!?
ガバッと布団を蹴飛ばす。とりあえず、確認しないといけないことがある。寝起きのぼんやりとした頭に叱咤激励しながら、自分は一階の洗面所へ向かった。
ドタドタと大きな音を出しながら、疾走する自分に京子さんは怪訝な顔を向けるが、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く確認しなければ!
洗面所には色々なものが散乱していた。髪をとかすためのブラシ、ワックス、そして認めたくないものも、やはりというべきか、そこにはあった。
軽く濡れたナイフ。そこには何か洗ってふき取ったような後のあるベンズナイフがあった。
そのまがまがしいオーラを出すナイフを前に自分は手の震えが止まらなかった。そのまがまがしさが自分の手に残っている気がして、勢いよく手を洗う。
こするこするこする。ほのかに漂う鉄の匂い。それはまさしく紅い、あの赤い血の匂いに違いなかった。
石鹸でこれでもかというほど擦る、どんなにこすってもこの赤い匂いは取れない。どうしても取れない。
「あ、あああああああ!!」
叫びながらも擦るのを止めない。血が出ても問題ない。はやくこの赤い匂いを……、この気配を……!
「ゆ、祐太ちゃん!」
隣から、声が聞こえるが、どうでもいい。はやくこの血を落とさないと! この匂いを落とさないと!
「祐太ちゃん! な、何をやってるの!? 血が出てるじゃない!」
結局、匂いは取れなかった。後ろで何やら音がしたので、自分は部屋に戻ることを決めた。
部屋につく。部屋もどこか生臭い匂いがする。これは気のせいだろうか? この赤い匂いはどうすればとれるのだろう? まったくもって忌々しい。
時間を見ると、学校に出る時間まであと少し。五分もない。
ふっ、学校だって? 殺人者は学校に行っていいのだろうか?
冷静に考えてみると、ここで学校を休むのはまずい。キョンが倒れておるのは、すぐ発見されるだろうし、翌日休んだとすれば怪しまれるかもしれない。
カバンに入れっぱなしの教科書のまま、いつもの制服のしわも気にせず学校に向かう。とにかく学校に普通に登校せねば……!
玄関を出る時、京子さんの声が聞こえた。何を言ってるがここじゃ聞こえないが、どうせいつもと一緒だろう。
「行ってきます!」
そう、声をかけ、いつもと同じ通学路を歩く。
途中の地獄坂もいつもと同じ、制服を着た高校生たちが学校へ歩いている。誰か顔見知りに合わなくて本当によかった。
歩く、ルーチンワークをこなす。ここ一カ月繰り返してきた同じ動作。間違えることもない。
いつも長いと不満づいていた坂も、短く感じた。玄関で上履きに替えて、教室に。
クラスに入ると、みんながいっせいに自分の方を向いた、気がする。
しかし、その一瞬は過ぎる。こっちを見た……、本当に? バレテないのにこっちを見ることがあるか?
その時、ポンと肩を叩かれた。ビクッとする。嫌な汗をかく。教室が蒸し暑い。指先が冷たい。
「よう、林。おはよう」
声が聞こえる。いつもと一緒。ゆっくり振り返る。そこには、死んだはずのキョンが立っていた。