目の前で天使のような微笑みを浮かべる美少女【眉毛】は、歩く死亡フラグこと、朝倉涼子そのひとである。そんな、全く面会謝絶したい御方が、カーテンからこちらを心配そうにうかがっていた。
逃亡経路は……、だめだ、完全にふさがれている。というか、彼女が本気になれば、何も力を持たない自分がこんなバケモノにかなうはずがない。
……落ち着け、何もいきなりぶっ殺されると決まったわけじゃない。
自分にとっての朝倉は、とりあえず取扱に困る奴であった。
彼女はつまり、このクラスの中心人物であり、リーダー。もちろん学級委員長である。みんなに好かれるスター。好感度MAX。
しかし、真実を知っている身としては、あまりお近づきになりたくない人種であった。
対有機生命体インターフェイス。つまり、宇宙人。人種に部類するのが正しいのかすら分からない。
しかも、原作では主人公キョンを死ぬ一歩前まで追い詰めた。途中で、二人めの宇宙人、長門有希が来てくれなければ、この世から消滅させられていただろう。
さて、そんな危険人物が目の前に現れた。それも大して親しくない自分へお見舞いに、だ。これで怪しくないと思える奴は、どこか頭辺りが逝ってるにちがいない。
「お、おう、朝倉。どうしたんだ?」
「どうしたのか聞きたいのはこっちの方よ。体は大丈夫なの?」
「ああ、心配ない。ちょっと寝たら治った」
よかったぁと、嬉しそうにうなずく朝倉を注意深く観察する。女子のよく持っていそうなカバンに、いつものようにピシッと決まった制服。できる優等生を絵にかいたような格好だった。
「で」
彼女の目を真正面から見つめる。
「何か用事でもあるのか? 何もないなら、このまま帰ろうと思ってたんだが」
そんな自分の今にも出ていきそうな様子に、へぇと彼女は目を細める。
ほら来た。その目は何か仕掛ける時の目だ。
「長門さんから、何か聞いたの?」
「いいや、彼女の頭がイカレてるってことぐらいしか」
「ふーん」
とりあえず靴を履こうとベットでかがむ自分の横から、誰かが座る気配がする。隣を見ると、やはり彼女が隣に腰かけていた。
「ま、どうでもいいの。長門さんが君にどう思われてるかなんてね」
「……長門とは、友達なのか」
「うーん、同じマンションに住んでてね。ご近所さん?って感じ。ほら、彼女口数少ないじゃない? だから、色々誤解されちゃうのよねぇ」
これは……、自分の正体が、朝倉にはバレてない?
朝倉涼子は統合思念体のヒューマノイド・インターフェイスである。これは、あの長門有希も同じだ。
しかし、最近ますますぼんやりしてきた原作知識から引っ張り出すに、情報思念体はお互いに反目しあう存在が居るらしい。あれか、内乱みたいなもんか?
しかし、情報思念体が何なのか? そんなことすら分からない自分には、それらが記憶や情報を共有しているのかなんて皆目見当がつかない。
人間の場合、相手側に情報を渡すことなんてしないと思うけどなぁ。
さて、そんな事を考えていても、しょうがない。それよりかは、こいつから離れることだ。近くにいて楽しいことなんか一つもない。
「じゃ、帰るわ。また明日な」
机に置いておいたカバンに筆記用具などを詰め込む。そして肩にかけ、保健室の扉を開けようと思った時、
「」
朝倉は『過去』の名前を小さくつぶやいた。
その普段なら確実に聞き逃したであろうその言葉に、このまだ弱っている体は律儀に反応したのだった。
ゆっくりと、扉に手をかけながら振り返る。
満面の笑みを浮かべた朝倉の顔はほれぼれするほど、綺麗だった。
「で、何だ、殺すのか?」
もう慣れない腹の読みあいは御免だと、まず確認すべき事を問う。確認したところで結果は変わらないのだが。
「やだぁ、殺す訳ないじゃない」
笑顔で、殺す、なんて言う言葉を吐く彼女の顔はいつもの教室で見る優等生の顔と何ら少しも変化を認められなかった。そんな、いつもの日常と非日常が混じり合う感覚に少し背中に汗をかく。
「ちょっと、あなたに耳よりな情報を持って来たのよ」
「……耳寄りな情報?」
「そうよ。……あなたは涼宮ハルヒとは違う意味で、情報統合思念体に気にいられているし、うん」
朝倉は少し歯切れ悪く、最後を濁しながらも頬を染める。
そのいつもの委員長然とした朝倉とは、全然違った態度に違和感を覚えつつも無言でその話の続きを促す。
朝倉は、ごほんと咳払いして再び先の空気を纏い、こう切り出した。
「知りたくない? あなたが元の世界に帰る方法」
悪魔は常に、人間の痛いところをついてくる。そういう意味では、彼女は自分にとってまさしく悪魔そのものだった。
「……そんな方法があるのか?」
内心の動揺を必死に顔に出ないよう抑え込む自分だったが、それが成功しているかどうか分からない。もしそれが成功してたとしても朝倉はそんな自分の心模様を察してほくそ笑むだろう。
「まあ、そんなに警戒しないで。とりあえず話だけでも聞きなさいってば。話を聞くだけじゃ罰は当たんないわよ」
「……」
「あなたが、どんな存在でどのような原因でここに来たかは長門さんにきいたわね」
「……ああ、自分が情報とやらで上書きされた存在だってな。おかげでこちとら気分が悪くて仕方がない」
「ふふ、御免なさいね」
素敵な笑顔で謝る朝倉には謝意など一ミリも窺うことは出来ない。しかし、雰囲気はいつもの教室の朝倉であり、少し自分は息をついた。
「じゃあ分かっていると思うけど、もう一度説明するわね。十五年前の情報フレアは涼宮さんによるものだったんだけど、そもそも情報フレアってなんだか分かるかな?」
「……分からん」
「んー、言語で伝えれる内容には限度があるんだけれど、そうね、涼宮さんを爆弾に例えると、情報フレアって言うのは爆発時に伝わっていく衝撃波みたいなものかな。この衝撃波っていうのは時空の弛みみたいなもんなの」
「……時空の弛み?」
「そう、時空の弛み。普通の人は時空の自分の位置を自覚できないから、どこに飛ばされようと結局自分自身で気づくのは不可能。だから普通の人には関知できないわね」
朝倉はここでいったん説明を切った。ここまで理解できた? と覚えの悪い教え子を見るような顔でこちらを窺う。
「世界って無数にあるのは聞いていたかしら?」
「ああ、ある程度はな」
「じゃあ、もし世界を移動したいと思ったら、どうしたらいいと思う?」
「……」
「時間切れ~」
ケタケタと笑う朝倉はうれしそうであった。その理由はとんと思いつけないが。
「世界っていうのは、主観。つまり劇の観客につき一つあるもの。つまりAさんがBさんの世界に移動した場合……」
朝倉はこちらをじっと見つめる。
「Aさんはもはや、Aさんじゃない。Bさんとなるの」
「で、その具体的な方法なんだけどね」
先ほどとは打って変わって、おどけた雰囲気が広がる。
「もう一回、情報フレアを発生させれば、つまり時空の弛みを発生させれば、あなたは元世界に帰れる、かもしれない」
「かもしれない?」
「そう、あくまでもかもしれない。でも可能性はゼロじゃない。時空の弛みはあなたをこの世界に連れてきたように、もういちど送り返すかもしれない」
「……その情報フレアを発生させるには、どうすればいいんだ?」
「涼宮さんに何かアクションを起こさせる。そうね、彼女を不安定にさせることね。具体的に言うなら……」
「キョンを……殺す……?」
自分で分かるほど、その声は震えていた。
分かってた。もう最初の話と朝倉が来た時点で大体の予想はついてたんだ。だってキョンは、原作で目の前の彼女に一回殺されそうになっているのだから。
でも、分かったからってどうしようもない。やりようがない。手段もない。
そんな自分と反して、まるで週末のデートのことを話しているような軽やかさで朝倉は喋りつづける。
「そう、彼は涼宮さんの重要な部分を占めているわ。彼が死んだら、まず何か観測出来るはずよ……この三年間観測できなかった規模の何かを。
全く困るわ、穏健派はこのままほっとけっていうし。まったく有機生命体の寿命の短さを分かってるのかしら! このまま何も起きないかもしれないのに、二人が離れてしまかもしれない! そうなったら手遅れだってあの老人たちは理解しているのかしら! ねぇ!?」
「いや、ねぇと言われても」
「あら、ごめんなさい。ちょっと興奮してしまったわ」
優雅に微笑む朝倉。先ほどの興奮を微塵も感じさせない変わりっぷりだ。
「でも、いいのか。確か長門は穏健派何じゃなかったか? となるとそんな事、邪魔されるんじゃ……」
「だからよ。あなたに保険としてこの事を話したの」
……だから? 前後の文がつながらない。
そんな不思議そうな顔をプッと吹き出しながら朝倉を答えを話しだした。少しむかつくな。
「いや、邪魔されることぐらい分かってるわよ。そのための保険。もちろん私も、もし長門さんが邪魔しに来ても勝てるようにしておくけど、ほらあの子何考えてるか分からないじゃない?」
朝倉がシュッシュッとシャドウボクシングをする。どうも長門との戦いってことらしい。
「つまり、朝倉の後に、キョンを殺せってこと、か」
「強制じゃないけどね。それを決めるのはあなた自身」
そうして、もうこちらは話すことなど無いとでも言うように、朝倉は黙って自分の隣に座っている。
……くそ! どうして最後の最後で自分の意思に任せようなんてするんだ!? いつでも自分を殺せるんだから、脅せばそれで済むのに!
……待て、自分はなんていった? 自分はキョンを殺そうと、本気でそう思っているのか?
バカな! そんなことあるはずがない! 仮にも友達やってんだ、そんな奴を殺そうとするほど腐っちゃいない!
「バカバカしい……自分がキョンを殺そうとするはずがないだろ」
「そうっ、か」
「なんだ……口封じに殺すか?」
「じゃ、お詫びとしてデートに付き合って貰おう。うん、そうして貰おう」
「はぁ!?」
訳が分からなかった。今までの殺伐とした話がどうデートとやらに繋がるのか。頭でもくるったか。
「ひどいなぁ、狂う訳ないじゃない。インターフェイスなんだよ? 私」
いや、突っ込むところはそこじゃないだろ。
「で、何だ? どういう意図だ?」
「ひどいなー、こんな美少女にデートに誘われといてそんな言い草ってある~?」
ダメだった。もうさっきの様な殺伐とした空気なんかここには存在しなかった。なんかピンクぽかった。
「はあ」
キョンの様に頭を抱える。先ほどのシリアスな悩みはなんだったんだ。自分がバカみたいじゃないか。
「で?」
朝倉が問いかける。今思ったが、朝倉が近い。近すぎる。肩が触れるような距離だ。
あー、気にするな! 頭を冷やせ! 相手は宇宙人! これを十回唱えろ!
「デートのお誘いの返事は?」
「あー、うー、うん。いいんじゃ、ないで、しょうか?」
「何それ~」
心底可笑しそうに笑う彼女を隣で見ながら、ふと思う。あれ、朝自分は何に悩んでいたんだろうか?
女の子に、それも殺人者予備軍の彼女デートに誘われただけでこの始末。自分の現金さに溜息をつかざるを得ない。
男ってバカだな、そう自分は思った。
<作者コメ>あれー、プロットにない朝倉さんのデートが流れで決まってしまった……どうしよこれ。