「林さん、あなたが行ってください」
「おう、了解っ!」
古泉をその場に残して、自分は大声の響く玄関先へと急ぐ。玄関に近づくにつれ、涼宮の声が断片的に聞こえてきた。
『……キョn……助けt……!』
どう考えても楽観視できるような状況ではなさそうだ。角を曲がって、玄関に出るとそこにはぐったりとしたキョンに必死に声を掛ける涼宮の姿が見えた。二人とも嵐の所為か服は濡れ切っていて、寒そうであるがそんなことは気にしている場合ではないのだろう。
「キョン! ああ、なんてこと……」
「どうした! 涼宮、キョンに何があった!?」
声をかけると、涼宮はようやく近くに人がいることに気付いたようで、パッとこちらの方に振り向いた。いつもの髪型は、雨にぬれて肌にぺったりとついている。顔も涙なのかなんなのかぐちゃぐちゃであった。
「キョンが……キョンが……!」
「ああ、分かった! ちょっとどいてくれ!」
涼宮はいつもの快活そうな表情とは正反対の、ずいぶん追い込まれた顔をしている。その表情からしてキョンに何かよからぬ事が起こったのは明白であった。自分の脳裏に先の多丸圭一氏の死体が浮かび上がりそうになるのを、首を振って打ち消す。
キョンは、この物語の主人公なんだぞ……そう、簡単にくたばってもらってたまるか!
キョンに追いすがる涼宮をひきはがす。そして、目の前に飛び込んできたのは、キョンの胸から生えている何か。
どこかで見たことがある、ナイフがキョンの胸に突き刺さっていた。
時間が止まる。
実際の時間にすると、数秒であっただろうが、自分にはずいぶんと長く感じられた。
目の前にあるナイフ。これは先の死体でみたナイフでは無い。
それは、自分がかつてキョンを刺した、と思い込んでいた時のもの。
朝倉との付き合いでかったナイフであった。
何故こんなものがここにある!?
頭の中はその疑問で埋め尽くされていたものの、比較的落ち着いて行動できている自分が不思議であった。目の前の光景は、嘘であって欲しい光景ばかりであるがここで自分が取り乱した所で解決するものでもない。
キョンの顔は、涼宮と同様嵐の中を通ってきたらしく、前髪もデコにくっついたままである。その顔色は青白く、精気がなかった。
このような顔を見たことがある。ついさっき、三階でみた死体。物言わぬ、それら死体とキョンの顔がだぶって見えた。
手が震えるのを必死に抑えながら、キョンの脈をとろうとする。キョンの手はひんやりと冷たく、自分は恐ろしい予想を必死に振り払いながら恐る恐る脈をとった。
脈は無かった。もう一度、何かの間違いだと叫ぶ心に押されながら、必死に脈を感じようとするも何も感じない。
手からは、嵐で冷え切った死体独特の突き刺すような冷たさしか感じとれなかった。
「ど、どうなの林……」
震える声で、涼宮は恐る恐る声を掛ける。その声に、自分は振り替えずに首を横に振った。
「う、嘘よ! キョンが……キョンが、だ、だって、さっきまでそこで、横で……」
涼宮は、嫌よと子供のように目の前の現実を否定する。キョンを床に横たえて涼宮の方を振り向く。涼宮の顔は蝋人形のように顔面蒼白であった。貧血ですぐにでも倒れそうだ。
まずは何が起こったのか。それを涼宮から聞きだすのが先だ。もし、キョンが殺されたとなれば犯人が近くまだいる可能性すらある。となれば、みんなで集まるのが先決であろう。
「……脈は無かった。それよりも、何が起きた……『嘘よっ!』 ……涼宮」
駄々をこねる子供のように、涼宮は自分の答えを聞きたくないと耳をふさぐ。この状況に、どうしたもんかと困っていると叫び声を聞きつけた古泉が、駆けつけてくれた。
古泉はちらりと自分たちを一瞥すると、状況を把握したようで泣き始めた涼宮を奥へと支えながら連れていく。それを見送った自分は、他に何か見落としていないか注意深く周りを見るも、特に何もない。玄関からここまで続く濡れ跡は、涼宮がキョンを引きずってきたことで出来た跡であろう。
キョンの、死体を改めて観察する。もう一度確認するも、その胸に突き刺さるナイフは自分が買ったナイフであろう。柄が特徴的であるので見間違えようがない。
とりあえず、キョンの死体を整える。多丸氏の死体もそうだが、これが死体だと実感できないのも、その死にざまがあまりにも綺麗すぎるからではないだろうか。確かに、胸の突き刺さった場所からは少量の血がにじんでいるが、それでも少量だ。遠目から見れば、彼が死んでることすら気づかないだろう。
ナイフを抜くかどうか、迷ったがそのまま置いておくことにした。そして、古泉を追おうと、死体を背にダイニングルームへと向かったのだった。
ダイニングルームに戻ると、その場の空気がおかしい。古泉は顔をしかめて、どこか宙を見つめていた。
周りを見渡しても、朝比奈さんだけしか見えない。朝比奈さんは相も変わらず、幸せそうな顔で寝入っていたが、彼女一人だけというのもおかしい話だ。
「古泉、他の奴らは如何した?」
勿論、古泉ともキョンが刺された件について、話合いたがったがとりあえずは現状確認だ。新川氏、長門、そして涼宮の姿が見つからない。この状況ではみんなで集まっているべきだと、さっき結論づけたはずであるのだが。
「涼宮さんは、気分がすぐれないと言って自室に戻られました」
「なっ! 今、ここがどんなに危険かわかってんのか!」
涼宮の自分勝手な言い分に、思わず大声を出してしまう。古泉は、ただ悲しそうに首を振るだけだ。
「……よほど、ショックだったんでしょう」
「だが、キョンが刺されたにしてもどんな状況で何が起きたかは聞かないと……」
「……ですが、今の彼女は」
「ああ、分かってる」
本音を言えば、今すぐでも状況を詳しく聞きたいところであるがそれは叶わなそうである。それよりも、他の二人の所在が気になる所だ。
「古泉、他の二人はどこだ?」
「それが……、どこかに行ってしまったようなんです」
顔をゆがめながら答える古泉。その顔は、自分が玄関に飛び出てしまったことを後悔しているようであった。
時間があれば慰めるのだが、今は緊急事態だ。新川氏はともかく、あの長門が行方不明なのは気にかかる。つまり、古泉が玄関に行っている間に、眠っていた朝比奈さん以外の全員が消えたというのだから、怪しいに決まっている。
「そうか……、うん?」
ふと、長門が座っていたテーブルの上に残っているものが目に入る。長門の席には、読みかけの本が置いてあった。読みかけの本には、栞が挟まっている。ちょっとした用事に出かけたまま、そのままいなくなったような感じを受ける本が何故か気になる。
本を手に取る。二人を探しに行くか、ここでみんなと一緒に固まっているべきかと悩んでいる古泉を目の端に入れながら、何気なく本をめくる。いつか見たような栞には、いつか見たような文字が書いてあった。
『ラベンダーの香りを』
……宇宙人連中は、どうしてこうもヒント好きなんであろうか。もし、連中の伝えようとしたものが伝わなければどうするつもりだったのだろう?
まあいい。たぶん、長門の言いたい事は大体分かった。そして何をすべきかということも。
「古泉」
まだ宙を睨んでうんうん唸っていた超能力者に声を掛ける。これからすべき事が正しいかどうかは分からないが、自分の行為を後悔するなんてこたぁ、いくらでも後で出来ることだ。
自分の表情が変わったのに気付いたのか、古泉は怪訝そうな顔をする。そんな古泉を無視して、結局、この物語の中心に居座り続けている神さんの所に行く旨を続けた。
「……涼宮さんは、一人にしてほしいと言ってたのですが」
それに、今この状況で一人になるのは得策でない、と古泉は自分に思い留まるように諭した。その古泉の言葉に、自分は静かに首を振り、それでも確認しておきたいことがあるんだと告げる。意見を聞く気がないことを理解した古泉は、溜息をつき早めに戻ることを念押して、しぶしぶ認めた。
古泉は涼宮は自室にいると言っていた。その通り、二階の目の前の扉からは押し殺したような泣き声が聞こえてくる。女の子が泣いている部屋に入るのは、気が引けたが勇気を出して扉を開ける。扉には鍵は掛かってなかった。そんな事を気に掛ける余裕すらなかったのだろうか?
奥には旅行カバンが積まれている。殺風景な部屋の奥にあるベットに、涼宮は突っ伏して泣いているようであった。扉の開く音に反応して、ビクッと体が震えるも顔は上がらない。
「……涼宮」
「……」
声も掛けるも反応は無い。やはり、異性と意識されてなくても泣き顔は見られたくないものらしい。
ここからは賭けだ。賭けるのは涼宮の信用。失えば、このくそったれな状況から抜け出せる方法が無くなる。それこそ、ゲームオーバーだ。
騙しているようで悪いが……、方法はこれしか思いつかない。
「涼宮、キョンのやつだが……」
ピクッと涼宮の体が、顔を伏せたまま反応する。
「ありゃ、全部嘘だ」
「……なんですって」
ようやく、ここで涼宮が顔を挙げる。その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、とても美少女の顔とは思えない、ひどい有様であった。
低く、感情のこもってない声で、涼宮は先の言葉の意味を尋ねる。
「こんな漫画みたいな状況で、殺人事件が起こる筈がないじゃないか。今時、ドラマでもこんな陳腐な状況なんてお目にかからないぜ」
「……」
涼宮は、自分の言葉を聞いているのかいないのか、こちらをなにも感情がこもっていないような目でみる。自分からは、その目には感情らしきものを確認できなかった。
「芝居だよ芝居。いやぁ、涼宮が喜ぶと思ってみんなで秘密裏に、企画してたんだが、思いのほかマジになっちゃってさぁ」
出来るだけ、軽く、軽重な声色でネタばらしという名の嘘を吹き込む。ここは演技力が重要だ。
「キョンがナイフに刺されて死ぬ? はっ、キョンがどんな演技をしたかどうか分からないが、涼宮がそんなに取り乱せば、大成功ってことかね」
にやにやと、あくまでもドッキリが成功したような雰囲気で。
涼宮の目に、光がともる。その光は怒りの炎か、安心したからなのか。
「じゃ、じゃあ、さっきのナイフは」
「パーティーグッズだよ。そこまで騙し通せるなんて、キョンの演技が上手かったんだろうな」
自分も見たかったよ、とにやにやしながら言い放つ。涼宮は混乱しているようで、目をうろうろさせていた。
「でも、あ、そう、多丸さんは? あの人も……」
「そうさ、同じパーティーグッズのナイフ。今はどこかの部屋に隠れているんじゃないかな」
目に光が完全にともる。どうやら騙し切れたようだ。
……すまん、涼宮。後になれば、バレてしまうだろう稚拙な嘘だが、今は、この一瞬だけは騙されてくれ。
バタッと腰を抜かしたように、床に座り込む涼宮。ハハッとようやく、安心したような声をだした涼宮の顔に残る涙の跡が痛々しい。
「だ、騙されたわ……」
「わ、悪い、そんなにマジになるとは思わなくてな」
本当にすまなそうな顔を作る。その顔を見た涼宮は、ようやく信じ切ったようで、にへらっとやっと笑顔を見せた。
「全く……担がれた訳ね」
「ああ。一応、下で朝比奈さんがまだビックリ継続中だから、涼宮はこの部屋に閉じこもっていてくれないか?」
「閉じこもる?」
「ああ、設定としてはキョンが刺されたということに傷ついて引き籠ってるって感じかな」
「何それ……、そんな少女趣味じゃないわよ、私は」
お前さっきまで、まんまその通りだったじゃねえかとのツッコミは置いといて、ここはうんうんと相手を肯定する。
「で、今度は自分が行方不明になる予定だから、ここに隠れさせてもらうから」
「……分かったわ。それにしても、みくるちゃんの、泣き顔、絶対写真に残さないといけないわね!」
人は信じたいものしか信じない。そういうものなのだろう。先の悲痛な顔とは正反対の、いつもの快活な涼宮がそこにはいた。
「びっくりして疲れただろう? そこのベットに横になったらどうだ? ネタばらしの時間がくれば、起こしてやるから」
その自分の提案に、涼宮は少し考えたようなしぐさをして、顔をにやりと歪めて、こう言い放った。
「……襲わない?」
「お、襲わねえよ!」
あははと笑いながらも、じゃあよろしくと、涼宮は横になる。あとは簡単だ。あの時のように再び催眠術で、過去に戻ればいい。
「……涼宮、この前勉強した催眠術なんだが……」
その後はあの時と同じ流れである。
「では、これから数字を数えます。するとどんどん、一日ずつあなたは過去に戻っていきます……」
「―――――――――あなたは今何をしていますか?」
揺れる、床の感覚を感じる。あの時と同じ様な感覚。
そして、チカチカと目の前が点滅して……
あのくそったれな無人島を脱出し、過去に戻ったのであった。
『バンッ!』
大きな音が響く。まだくらくらする頭を抑えながら、思わずつぶってしまった目を開けると、あのおどろおどろしい雷鳴は聞こえない。窓を叩く雨の音も聞こえない。
目の前には、あの時のような平和な日常が自分を待っていた。
「……林さん?」
怪訝そうな声が隣から聞こえる。そこには、不思議そうな顔をした古泉がいた。
「大丈夫ですか、先ほどから気分がすぐれないようですが」
「何なに、また林、気分が悪いの?」
先ほどの涼宮のテンションを百倍にしたような元気さで、涼宮がこちらを覗きこんでくる。後ろには、何やら討論をした後のようなホワイトボード。
まじまじと、テンションの高い涼宮を見る。そんな直接的な視線が返ってくるとは思わなかったようで、うっと呻いた涼宮は調子狂うわねと、キョンに課題を押しつける作業に移っていった。
……さっきまで自分と相対していた涼宮とは違う。そんなことは分かっているはずだったのだが、どうも体は納得していないようだ。
調子が狂うのはこっちだ、と呟いて自分は三回目の催眠術の課題に備える。
予想通りの展開で、同じ様な結果に落ち着く。つまり、自分は催眠術で、キョンはいつものツチノコ。古泉は雪男だ。
そしてまた同じ様な文句で、その日のSOS団は解散したのであった。
「……という訳なんだよ、長門。信じてもらえないかもしれない、けど、本当なんだ。このままいけば、同じ様なことが起こる」
ここは宇宙人、長門の部屋。そして自分は今、ようやく、この後起こるであろう、いや、自分としてはさっき、起こっていた事をまとめて話した。
「……あなたの話は了解した」
「……ありがたい」
本当にありがたい話だ。もし、長門の様な何でも話せる相手がいなければ自分はこの厄介な現象に自分一人で立ち向かわなければならなかったであろう。それは、本当の意味での一人ぼっちだ。誰にも、自分の状況を理解してもらえないのだから。
その後、一度、タイムスリップをしてしまった時と同じ様な説明を受ける。その説明は、もう聞いたからとは言いだせなかった。
「過去に戻ることは今回で終わらせるべき」
そして、同じ言葉で締める。……ん? 同じ言葉?
「そ、それはどういうことだ?」
「あなたが、その合宿に参加しなければいい」
「だ、だけれども! もし、そのまま、自分のいない所で同じ事が起これば……」
想像してみる。犯人も、動機も、殺人の方法すら分からないが、キョンが死んだままであの涼宮が何もアクションを起こさないとは限らない。下手すると、一巻の最後のように、この世界を壊してしまう可能性すらある。いや、そうなってしまうのだろう。
そんな事は、到底許容できるものではない。
「残れば、自分は何もできないじゃないか!」
「もし、あなたが合宿に行ったとしても、何かできるとは思えない」
「ぐっ……!」
確かに、悔しいが長門の言うとおりかもしれない。長門に出来なかったことを、転生した過去以外はまったく一般人の自分に解決できるか? 考えるまでもなく、出来ない、というのが正解なのだろう。
しかし、しかしだ。残るという道はとれない。あの後、あの世界で何が起こるかは分からないが、どう考えてもいい方向には転ばないだろう。
下手をして、もし、涼宮が死んだ、もしくは行方不明になった場合、過去に戻ってこうしてリセットすることすらできなくなるからだ。
……八方ふさがりか。いや、キョンが死んだ事が、あんなに涼宮を揺さぶったわけだ。つまり、あの時、嵐の中、外に出ようとする二人を止めれば……まだ、悲劇を回避できるかもしれない。
そう、名案を思いついた、そう思って見上げた先には無表情の長門。その口が、ゆっくりと開く。
「全てを解決する方法がある」
何!? 長門のその言葉は、それはそれは甘美な響きを持っていた。完璧超人の長門の言う、解決策。ポンコツ一般人の自分があれこれ小細工するより、彼女の指示にしたがった方がいいに決まってる。
「あなたが知っている原作……そこでは、こんな事は起きなかった」
確認するような口調に、自分は首を縦に振る。肯定だ。
「ならば、あなたがもっと過去に戻って軌道修正すればいい」
「軌道修正?」
意味を上手く捉える事が出来ない。その真意を問おうとして、あることに気づく。
原作、過去に戻る、軌道修正…… これらの示す物は、つまり。
「……原作、通りにするってことだな? 過去に戻って」
自分の言葉に、その通りと長門は首を振る。
確かにその通りだ。自分がいることによってどうしても原作と乖離してしまうことがあるかもしれないが、それは仕方がない。出来るだけそういう影響を減らしていくこともできるだろう。
もともと、原作通りに行けば、自分が涼宮に語っていたように、ただのお芝居な訳だ。ということは、原作とは違う要素……それが、あのような事を引き起こしたっていうことになる。ならば、原作に引きもどそうとするアプローチだって決して的外れじゃない。
それはいいアイディアだ。そう言おうとした瞬間、なにかが頭の隅に引っかかった。
原作に戻す? ということは……
「ま、まさか……」
なんて難しくない、すぐに考えれば分かることだ。
「ちょっと、待ってくれ……」
頭を抱える。ああ、なんてこったい。
「……朝倉を、死なせろってことか」
ふと口からでた、その言葉は急に現実感をもって自分に襲いかかってきたのであった。
<作者コメ>
はは、やっと二章の入り口に辿りついた……長かった。一章すら、このための伏線だったんだよ!(な……なんだってー!
古泉の一人称は、暇を見つけて修正します。感想もよろしくお願いしますー