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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第四十一話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/21 01:02
 虹色の貝殻と言われる物があるという。虹色の貝殻、その響きだけできっと「七色に輝く美しい貝殻なんだろうな」と思われるだろう。ではそれは何処にあるのか? と問えば素っ頓狂な表情になり「御伽噺でしょう? 本当にそんな物があるはずないじゃない」と口を真横に裂くだろう。人魚や妖精と同じ類の物と考えている。道理ではある。
 しかし、探検家、トマ・レバインはそう考えなかった。幼少の頃よりの夢だったのだ。幼き日に祖父から聞かされた話をまだ覚えている。
 祖父は、今のトマと同じ探検家だった。薄暗い洞窟、海の中に存在する神殿、古代の秘法が眠る山の遺跡。迫り来る天井、床から飛び出す槍や左右の穴から溢れ出る毒蛇に毒のガス、新鮮味があったのは人間を溶かす酸を霧吹きのように吹きかける猿を模した銅像か。とにかく、そのような場所を巡り、罠を掻い潜る話を幾度も聞いた。その度、胸躍る想いだった。
 母と父は、ごく普通の人間だった。危険とは無縁の、徴兵時にさえ金銭を支払い見逃してもらったほどの、生涯において命を脅かされることは一度も無い平々凡々の毎日を生きていたのだ。
 それゆえか、トマが探検家になると言い出した時は、子供が嵐の森を散歩すると言った時のように驚き猛反対した。その勢いたるや、とても近所で評判の大人しい夫婦とは思えなかった。今まで聞いた事もないような恐ろしい声で説得というべきか脅しというべきか判断のつかない、恐ろしい父親の顔を、トマはまだ覚えている。同村の友達に話したときの、あの異端を見る目つきも鮮明に脳裏に刻まれている。そこでトマは気付いた。「ああそうか。ここは俺のいるべき世界ではないのか」と。
 彼はその日の内に村を出た。切っ掛けは見知らぬ世界への探究心だが、起爆剤は両親の言葉。友人たちに自分の夢を話したと告げるや否や、腕を振りかぶり己の顔を叩き倒したのだ。
 その暴力で不貞腐れたわけではない。問題はその後に続いた言葉。「お前も父と同じ、妄想癖があるのか」と。
 ショックだった。父の隣にいる母も頷いていた。ということは、自分の友達も、いやこの村の人間は祖父をそういう、頭のおかしい人間だと思っているのか。あの勇敢で優しい、笑うと皺くちゃの顔にさらに皺が増える大好きな祖父を。
 無我夢中だった。幾つもの山を越え、海を渡り、見知らぬ町に辿りつくまで走り続けた。
 その後の事は、今一つ覚えていない。何かをする為に何かを為していただけだ。例えば、最初に考えたのは、探検家には体力が必要だろう、道場にでも通うべきか? いやその前にお金を稼がねば。では仕事をしよう。宿はどうしようか? 探検家たるもの、野宿が当然だ。では寝袋も買わなくては。とくるくる回った思考だった。
 生きるだけで精一杯だった。道場に通う事は、結局一度も無かった。そんなことをせずとも、並みの魔物ならば蹴散らせるくらいには強くなった。今彼が道場に通えば、型通りならば勝負にはならずとも、戦いという舞台なら彼の圧勝だろう。彼の力は既に騎士団に肩を並べるほどであった。
 今までにも、色んな洞窟を巡り、様々な宝を見つけてきた。仄かに青く光る神像、ダイヤで出来たナイフ、被ると人に認識されづらくなる帽子。中には危険だと感じ自分で処分したこともしばしばだった。
 彼は思う。もう良い頃合だろう。自分の夢を探しても良いんじゃないか? あの祖父から聞かされた、虹色に輝く貝殻を探しても良いだろう。充分に体を鍛えた、探険家に必要とされる判断力も、学者にも負けぬほどの古代語や地質などの知識も手に入れた。挑戦すべきだ、と己が拳を握る。


「マスター、ラムコック!」


 グラスを木製のテーブルに叩きつけながら、店主に酒を頼む。「飲みすぎですよ」と定例句のように宥めるが、トマが「今日はそういう気分なんだ」と理由にも成ってないことを言えば、マスターは何も言わず薄茶色の酒がなみなみと入ったグラスをトマの前に置いた。一息に半分ほど飲み干しても、まだ酔わない。緊張しているのか、と自分を笑う。
 トマが懐から四方一メートルはある大きな紙を取り出した。隣の席に誰も座っていない事を良いことに、広々とテーブルを使う。一瞬マスターがむっとした顔を見せるが、その後自分の店を見渡し、他に客らしい客もいないことを確認して、別に良いか、と思い直した。誰の迷惑にもなっていない今、唯一の客である彼を注意して気分を悪くさせるのは得策ではないと判断したのだろう。
 そんなマスターのマナーと利益の取捨選択を気にする事無くトマはじっ、と紙を眺めている。筆で書かれたような薄い文字を必死に解読しているのだ。
 それらの文字は全て古代語らしき字で統一されている。文字ということは分かる、だが人間の文字ではない、少なくともあらゆる文献にこのような文字は載っていない。トマは紙の隣に鞄から取り出した分厚い辞書を積み上げると、今までに何度行ってきたか分からない翻訳を始める。今まで一歩も進んでいないのだ、酒でもないとやってられないのか。はたまた酒の入っていることが功を奏すかもしれないと一縷の望みを賭けたのか。
 本腰を入れようと椅子を引き、姿勢を整える。からん、とドアに付けられているベルが鳴った。来客か、とトマは舌を打つ気持ちになった。万が一騒がしくするようなら蹴って追い出してやる、と酒を嗜む場所で理不尽な事を考えていた。
 睨み付けるように店に入ってきた者を見る。最初に入ってきたのはある金髪の少女だった。トマは目を見開く。驚くのも無理は無い、その少女の見目形、何から何までガルディア王女そのものだったのだから。いや、少女と思ったとおり、年齢差があるのは分かっているのだが、それを踏まえても生き写しのようだった。片手に持っていた蒸留酒が床に落ちる。ガラスが床に落ちる高い音を聞きつけて、少女が「大丈夫ですか?」と聞いてくる。トマは案外、自分は良い線いってるのか? と内心笑いながら「大丈夫だよ、ありがとう」とできるだけ平静に答えておく。少女はニコリと笑い、マスターにメニューを貰っていた。心なしか、マスターの対応も柔らかい。


(ふむ、まだガキだが、今の内に手をつけておくのもアリか。いや、何を言っているトマ・レバイン! 俺は誇り高き探険家、そのようなことでどうする!)


 自分の夢への手がかりである紙にアルコールが染みていくことにも気付かず、トマは大人にあるまじき誘惑に耐えていた。自分の立場を思い出し、すぐに改めたが。


(そう、俺は探検家。狙った女性が幼いというだけで迷うなど、探険家失格だな)


 とある時代ならば通報まっしぐらであろう考えに落ち着き、トマは席を立った。顎に手をやり、髭の剃り残しが無いか調べる。服に鼻を近づけ息を吸う。多少酒の臭いが強いが、気になる程じゃない。トマ・レバインはいけると踏んだようです。


「あっ、こっちこっち! すっごい空いてるよ!」
「馬鹿マール! そういう事は店の中で言うもんじゃ……いや、どうもすいません」


 連れだろう男の声を聞いた瞬間、あっさりと身を翻し、トマは席に戻る。トマ・レバインは興味を失ったようです。
 見るからに気分を害した様子の彼は舌打ちをしながら椅子を足で乱暴に引き腰を落とす。マスターの珍しく柔和な顔も今では岩鉄のように硬い物へと変わっていた。酷く歪で奇妙な連帯感が彼らの中に生まれていたのは喜ばしいことなのか。
 遅れてやってくるだろう男に怨嗟の視線をぶつけるべく、ドアの方を窺っていると、なんとも懐かしい顔が現れたので、トマは肩肘ついた体勢から飛ぶように立ち上がった。そして、喜色の篭った顔で「クロノか!」と叫ぶ。
 現れた赤毛の男は、驚いたようにトマを見つめていた。












 星は夢を見る必要はない
 第四十一話 虹色の貝殻と夢と探検家












 現代の城の様子を見て、私は結局肩を落とすだけの結果になった。飽きもせずああだこうだと言い合って、やはりトルース町の民度は低いだの、そう言えばあの町の者は徴兵率が低いから王族への敬いが足りないだの、税収を引き上げて思い知らせてやるべきだとか、独裁制万歳とか何が楽しいのか延々話しこんでいた。こんな考えの人間がガルディアの兵にいるなんて、と少し頭が痛かった。易々と私に侵入を許した時点で大分評価は下がっているけれど。
 父上には、結局会えずじまいだった。病床に臥せっているという噂を聞いたから、少し心配になったのだけれど、流石に王族の間に入り込む隙はない。会えたところで、どうでもないのだろうけど。
 帰りがけに、気が抜けた私は城の廊下ですれ違った大臣に「お疲れ」と言ってしまった。相手もまた「おや王女様。聞いてくだされ、昨日のワシったらお盛んだったのじゃよ」と吐き気を催す程興味のない話題を振ってきたのですぐさま城を飛び出した。今考えれば、いやいや今考えなくても、気落ちしていたことを見ても、何をしてるんだろう私。世間話に乗ってきた大臣も大臣だけど。あの後、私を見つけておきながら捕まえようともしなかった彼に厳罰が下ったに違いない。なんというか、申し訳ないなあ。
 城を出た私はそのままリーネ広場に向かい、時の最果てまで移動した。いつもの外灯が設置してある広場に出ると、肩で息をしている魔王とクロノを見つけた。互いに傷だらけで、私は訳を聞く前に二人にケアルを唱える。
 まさか今更になって喧嘩でも始めたのかと不安になり、二人、特に魔王を睨みながら問う。


「マール、二人で戦ってたのは本当だけど、喧嘩じゃないし、頼んだのは俺からだよ」
「あ、そうなの?」てっきり魔王が難癖つけてきたのかと思ってたので、驚いてしまう。「証拠も無しに疑うか、歪んだ性格よな」と、魔王の言。別になんとも思って無いくせに謝罪を要求する辺り、彼は例年通りだ。当たり前に性格が悪い。
「ごめん、魔王のことだから、適当な理由でクロノを虐めたのかと思って」負けじと、棒読みで謝っておく。嫌味を添えて。
「虐めって、俺そんなに頼りないっけ?」クロノが切なそうに目を細めて項垂れる。他意はないんだけど、魔王とクロノじゃ、ほら、ね。


 どうやら魔王に向けた銃弾は見当外れに飛んで行き赤毛の彼に被弾したようで。ごめんと言えば良いのかむしろもう黙ったほうが良いのかもしれない、私の場合。
 そう思って、口を真一文字に閉じたのだが、その後の魔王の発言に驚き、呆気なくその考えは崩れ去る。


「言っておくが、客観的に見て勝負に負けたのは私だ」
「嘘!!」決め付けるように言う。やはりクロノは悲しそうだった。
「もういいや……で、魔王。“あれ”使えるかな?」顔を浮かせて、クロノが魔王に聞く。
「使えんな。どれ程硬度が高く折れずとも、何も斬れぬのなら役に立たん。盾代わりにもなるまい」
「だよなあ。まあ良いけどさ」よっ、と勢いを込めてクロノが立ち上がる。次に、私の方へと歩いてくる。
 こうしてみると、背が伸びたなあクロノ。一緒に旅をするようになってそれほどの月日があった訳でもないのに、私はふとそう感じてしまった。大きくなったのは、背だけじゃないのかもしれない。
「マール、ちょっと中世に行かないか?」散歩でも行かないか? というような口調で言ってくるクロノに、私はとりあえず「どうして?」と疑問を返す。
「いや、残ったハッシュの助言は中世にある幻の虹色に輝く物って奴だけだろ? ああ、後原始より陽の光を集める物だったか」再確認するように、指折りながら課題を数える。


 課題、正にそれだよね。進歩しているようで停滞しているようなこの状況にやきもきするのはわたしだけだろうか? ……というよりも、私だけ何もしていない気がする。一応仲間の送り迎えという名目はあったが、魔王やカエルのように修行をしたわけでもなく、ロボのように自分から行動を起こしているわけでもない。エイラとルッカはコンビで様々な問題に取り組んでいるし、一応私も手伝いはしたけれど、本当に少しだけ。クロノはどういう原理か目を瞠るような速さで強くなっていく。なんだか、置いてけぼりにされている気分だった。


「クロノ、後者の陽の光を集める物は見つけたよ。見たいなら、ルッカの家に置いてある」素っ気無く、私は言う。
「マジかよ! 凄いな。いつの間に……」
「クロノは用事とか、カエルに付き合ったりロボを迎えに行ったりしてたでしょ? その間私たちが何もしてなかった訳じゃないよ」少しでも自分の自信を取り戻そうと、胸を押し出し功績を強調した。何のことはなく、ただ空しいだけだったけれど。
「ふうん、じゃあその話は中世に行く途中、シルバードの中で聞くよ。魔王も一緒に来るか?」振り返りながら、魔王に問う。
「私はここの獣臭い化け物と自分を高めておく。雑用は貴様らでこなすがよい」


 言って、魔王はこちらを見ることも無く奥の部屋に入って行った。デレ時はまだみたいだ、と下らない事を思う。「じゃあ行くか?」とクロノに言われ、一も無く私は頷いた。ここらで私も活躍しないと自分の価値が分からなくなりそうだ。自分でもこんなに弱気になるなんて珍しいと思うけれど、まあそういう時期なんだろうと納得させる。動いていれば、忘れるものだよね。
 桟橋に待機させているシルバードに乗り込み、中世に飛ぶ。いやはや、最初に比べると随分簡単に操作できるものだね、ルッカは見ただけで操作出来たけど。ちょっと嬉しそうに高笑いしてたのがいらっ、としたけど。その分色々相談に乗ってくれてるから、別にいいけど。
 シルバードの中で、私はクロノがせがむままに話をした。太陽石を見つけたときの話だ。一言で言ってしまえばお使いのような探索だった。
 世界中を回り、未来の神殿に置いてあった暗黒石という石を見つけた時くらいか、戦闘があったのは。目玉の化け物がこれでもかという程出て来た時は、驚いた。ルッカが何とか自分の鞄に入り込もうとしていた時は噴出した。
 ──あれ? 違う違う。ルッカはすぐに銃を取り出して戦い始めたんだっけ。記憶違いにも程があるや私。
 結局、びっくりしたエイラが暴走して片っ端に目玉を叩き落し(または握り潰し)て戦いは終わったんだけどね。正直魔物の不気味さよりエイラの遠慮ない殺戮の方が怖かったのは内緒。緑と紫の体液を体にびったりつけながらおどおどしてるエイラは、ごめん。可愛くはなかったなあ、怖がりなチワワというより怖がりな処刑執行人というか、例えが浮かばないくらい怖かった。
 それから、暗黒石を太陽石に戻す為、長い間光に当て続けていたら、途中で誰かに持っていかれて、それを探して、その誰かから返してもらう為にお金を払う羽目になって、ルッカと私で共同に作戦を立てて穏便に無料で返してもらって、(脅しじゃないのでふ)また光に当てて……駄目だ。話しているこっちも鬱になるくらい面白みのない旅だった。
 けれど、私の予想に反してクロノは楽しそうだった。というか、ニヤニヤと顔を歪めて私の話を聞いている。「こんな話で面白い?」と聞けば「面白いよ」と言ってくれる。もしかしたら、私には話術の才能があるのかもしれない。全てが終わればクロノとルッカで旅芸人として世界を周ろうかな。私が司会でルッカがバニーでクロノが一発ネタ。もしくは刀を使った曲芸とか。


「だって、人の苦労話は蜜の味じゃないか」
「クロノ、ここで降りてくれる? 何処に行くか分からないけど、それでクロノが苦労したら私は楽しいし」
「冗談だよ。二割は」


 私の反応すら楽しいのか、声を押し殺して笑う彼に一度殴りたいなあという暴力衝動がエンヤコラする。ソーランになると我慢の限界である。


「河内なら?」
「宣戦布告くらいかな」
「思ったより、穏やかな精神状態なんだな。もっと荒くれると思ってた」


 下らない話を終わらせて、ふと会話が空いた。充分楽しめたというように、満足気な顔をしているクロノの横顔を盗み見ていると、ふと、二人きりなんだなあと思い出す。
 別に、だからといって恋愛小説見たく顔を赤らめたり、鼓動が激しくなる事もない。現実は小説より奇なり? いやいや違う。これが普通なんだろう。
 なんでもない時間を二人で過ごしていても苦にならないのは、特別な感じがして、ちょっとだけ嬉しい。まだ甘酸っぱい空間を形成するには、私たちは若いのだろう。クロノもまた、そういった、その……情事というか、それは飛躍しすぎか。よりも、馬鹿話に興じるほうが良いと思ってるみたい。


「マール」短く、私の名前だけを呟くクロノ。同量に短く「何?」と返す。
「揉んでいいか?」
「ほら、そこのスイッチを押すでしょ? そしたら助手席の椅子が真上に飛ぶから。聞いた事もない時代に行けるよきっと」甘酸っぱいを遥かにぶっちぎる事を言い出したので、冷静にクロノに指示を出す。真顔で言うかな、そういう事。最近変態発言が無いから安心してたのに、これだ。彼は私の理想を常に裏切ってくれる。
「いやだって、マールがずっと俺の顔見てるから、したのかな、って」
「何をしたと思ったの?」嫌な予感しかしないけれど、彼に聞いてみる。すると彼は「良い天気だね」くらいの、何でも無い事の様に言った。
「発情」


 うわあ、人間って、凄い飛ぶんだね。
 思わずたまや、と言いたくなった。


「大抵、女性の男性へのセクハラは寛容されるけど、逆はそうじゃないんだよな。差別だ」時空空間へ生身で飛び出したクロノを回収した後、意の一番に発言した言葉がそれだった。少々呆れながら、私は口を開く。
「それが言い訳になると思ってるからこそ、性犯罪はなくならない。城にいる私の乳母の口癖だよ」
「良い教育を受けてるんだな。到底、王女様に施す教育とは思えんが」
 クロノの皮肉にもならない愚言を聞き流しつつ、シルバードのハッチを開く。中世についたのだ。この速さに快適さ、一々ゲートを介して時代を越えていたのが懐かしい。なんとはなく、シルバードの銀色の翼を撫でた。助かってるよ、とお礼するみたく。
 それから、特に明確な手がかりがあるわけでもない私たちは、喉の渇きを訴えたクロノの言葉に従い、トルースの居酒屋に足を向けた。どうにも、お酒は弱くないがそれとは話が別で、私はアルコールを好まないのだが。好きこそものの上手なれとは言うが、上手だからとて好きとは限らない。逆算はできないこともある。私は紅茶か、最悪牛乳でもあれば良いかと思いながら、居酒屋の扉を開けた。カラン、と澄んだ音を鳴らす扉は酒を嗜む場所には不似合いではないかと余計な考えが過ぎったが、鈴の音が鳴ったところで文句を言う客もいないよね。「お前の店に鈴をつけているせいで、俺は女に振られた」とか言い出す客がいれば見てみたい。指を差して笑うには好都合だし、それこそ酒の肴になる。再三言うが、私は今飲む気はないのだけれど。
 鼻と口の間にカビのような髭を伸ばしている店主、しかし何故だか似合う彼に一度頭を下げてから、店内の空き具合に驚き、後ろを歩くクロノに声を掛けようとしたのだが、その前にガラスの割れる音が耳に入りそちらに顔を向ける。どうやら、客の一人がジョッキだか、ピッチャーだか正式名称は知らないけれど、いやただのグラスかな。酒の入ったグラスを床に落としていた。反射的に「大丈夫ですか?」と聞けば、風体に似合わず無邪気な顔で「大丈夫だよ、ありがとう」とお礼の言葉まで付けてくれる。礼儀正しいのだな、と感心してから、今度こそクロノに声を掛けた。
 遠慮ない言葉を用いた事に彼は顔をしかめたが、引き摺る様子も無く、私が座ったのを見終えてから、自分も隣の席に座ろうとする。


「クロノ!」座ったばかりなのに、自分の名前を呼ばれた事に驚き、クロノはまた飛び上がるように立ち上がった。声を掛けたのは、私がさっき話しかけた、いかにも冒険家という服装の、筋肉質な男だった。クロノは一度細目になり、自分の記憶をかき混ぜて何かを浮き上がらせるようだった。暫しの間を置き、指を鳴らして、クロノは「トマか!」と嬉しそうに叫んだ。


「そうだよ、はは、お前ちょっと忘れてただろ! 元気してたか、世界一の色男」
「元気だったよ、まあ、色々あったけどさ。あんたこそ元気だったのか世界一の探検家」


 言い終わってから、二人は同時に噴出して、肩を組み始めた。友達なんだろうか? 中世にも私の知らない友達がいるなんて、クロノの交友関係は侮れないなあ。
 このまま置いてけぼりにされるのも悔しいので、クロノの服を引っ張り「紹介してよ」と口を挟んだ。


「彼はトマ。前に、マールがこの時代で行方不明になった時があったろ? まあ本当は王妃様だったんだけど……とにかく、トマのお陰でマールを救い出せたんだ」トマさんの肩に手を乗せながら、クロノは何故か自分の手柄のように嬉しそうに教えてくれた。
「へえ。じゃあ私にとって命の恩人だね、ありがとうトマさん」
「ん? ああ、よく分からんが、どういたしましてお嬢さん。名前を聞いても良いかな?」
「私はマール、クロノの友達です」
「友達か。まあガールフレンドも『友達』だしな」含みのある言葉だけど、否定する気は無いし、気分が良いのでそのままにさせておく。


 私たちはカウンターではなく、トマの座るテーブル席に座らせてもらうことにした。注文は、クロノがビールで私がハープーン。さっきの心境とは違い、思わぬ友達が作れたお陰で、私も少しだけ酔いたい気分だった。私の注文を聞いたトマが「ある意味、お揃いだよな」と自分のグラスを持ち上げた。「クーバ・リブレだよね」とそのグラスを指差して、私が自慢げに知識をひけらかすと、「正式名称かよ」と少しだけ驚いていた。
 それから、多少お酒の話で盛り上がると、置いてけぼりにされたと思ったのか、クロノは少し声を大きめに、「これって何だ?」とテーブルの上に引かれた大きな紙について訊ねた。うん、確かに私も気になってた。まさか、この店独特の敷物ではないだろう。他の席にそんな小洒落た物はないし、鈴と同じく不似合いだ。


「これか?」トマが指先にその紙を摘み、持ち上げる。「これは、俺の夢への第一歩だ」
「夢と紙切れが繋がるのか?」皮肉にしか聞こえないけれど、トマはそう受け取らなかったのか、笑みを洩らした。
「鋭いな、クロノ。夢と紙切れは繋がらない。繋がるのはほら、これだ」紙に書かれている妙な文字? ミミズがのたくったような、けれども意図があるのだろうと推測される、象形文字にも似た何かを指差した。
「文字だよ文字。これが俺の夢を教えてくれている。まあ何て書かれてるのか分からんがな」
「トマの言うとおりなら、そこに書かれてるのは“トマの夢”って事になるね」
「違いないな……どうしたクロノ、俺の涎でもついてたか?」トマは、自分の持つ紙を熟視しているクロノに軽口を投げた。
 それい応じる事無く、クロノはいつまでもその紙を見ていた。その表情は信じられないとか、まさかそんな事が、という感情がありありと浮かんでいて、私ならずとも、興味を惹かれた。トマならば、その想いはさらに強いに違いない。マスターが、私とクロノの分の注文分を持ってきた事に気付いたのは、彼が咳払いをしたときだった。それくらいに、私たちは固唾を飲んでクロノの反応を待っていた。
「……トマ。これって、虹の貝殻について、とかだったりするか?」クロノの言葉に、トマは勢い良く立ち上がり、今までの楽しい空気は無かったかのような形相でクロノに詰め寄った。首を絞めかねない、そんな雰囲気だった。「何故分かるんだクロノ! お前、それが読めるのか!?」
 クロノは泳いでいる視線で、私に目を向けて、呟いた。


「これ、恐竜人の文字だ」


 私は何を言えば良いのか分からず、手近にあったダークラムのカクテルを喉に放り込んだ。






「明朝、待ち合わせはここの店だ。良いか?」トマが、張り詰めた顔で確認を取る。その表面張力にも似た空気の中発言するのは勇気が必要だったが、私は挙手して「このお店、朝も開いてるの?」と聞く。午前にも開いている夜酒屋とは、あまり聞き覚えが無かったからだ。
「ああ。この店は、夕方から深夜まで飲み屋だが、朝から昼過ぎまではパンをむしゃぶる店なんだ。ここのメープルは甘い物が嫌いな俺でも喰えるくらい、絶品だ」時間があったら明日食べてみな、と加えて、彼は手を振りながら夜の街に消えていった。まあ今のトルースは村なんだけどね。
 私とクロノは肩を落として息を吐き、互いに見詰め合う。恋人的なそれは一切無く、彼と私の目には戸惑いしか無かった。
 結局、私たちはその紙が示す場所をトマに教える代わりに、彼の探検に付き合わせて貰う事にした。虹の貝殻を見つけたいのは私たちも同じ、かといって彼の夢を横から奪い取るのは気が進まない、というか嫌だった。別にその貝殻を手に入れろとハッシュは言わなかった。なら、とりあえず見つけることに意義があると思ったのだ。
 トマは付いて行って良いか? と聞く私たちに二つ返事で了承した。私というよりも、クロノという恐竜人の文字を読める存在は必須だと考えたのだろう。
 ……これで、明日はトマと私とクロノの三人パーティーが結成されることとなった。それは良い、それは良いんだが、問題は。


「どう思う?」
「どう思うって?」鸚鵡返しに問い直した。
「とぼけるなよ。恐竜人は原始で絶滅した。生き残りがいるってのか?」
「うーん……クロノには悪いけど、言って良い?」彼の考えている事が分かるだけに、私は胃が重たくなる想いだったが、彼は恐れずこくり、と頷いた。
「多分、あの時ティラン城にいなかった恐竜人たちの生き残りがいたって事じゃない? その生き残りたちが細々と、この中世まで生きてきた。そう考えるのが自然だと思う。だから……」
「……だよな。そりゃそうだ。悪い、嫌な事言わせちまったな、宿屋取って、明日に備えて眠ろうぜ」片手を上げて謝罪すると、彼はそのまま反転し、目に入った宿屋入っていった。私もそれに続く。宿主に空き部屋の有無を聞いて、シングルを二つ借りた。夜食朝食抜きの一番安い部屋だ。夜食は太るから嫌だし、朝食は明日トマと集まったときに取るから必要ない。お金も余ってるわけじゃないしね。


「くはあ、やーらかい!」


 クロノと部屋の前で別れ、ベッドの弾力に身を任せた。決して良い質のベッドでは無いだろうが、それでも寝具が有ると無いでは大違いだ。最近、シルバードの座席でくるまって寝る事が多かったので、体中にむちうちが出来ていた。両手を伸ばせるのがここまで快適だったとは。この喜びを歌で表現したい。しないけど。ここの宿屋さん壁薄そうだし、クロノに聴かれて明日気まずそうに「歌上手いね」とか言われたら死ぬ。喉を裂いて死ぬ。
 宿の外に風呂があると言われてうきうきで見に行けば、仕切りもない「どーぞ覗いてください」という造りだったので汗を流すのは断念。明日は早めに起きてシルバードで原始に飛んで水浴びしよう、そうしよう。
 つまり、今の私に出来る事は寝るだけなのだ。いや一曲歌うくらいは可能だろうけど、しないってば。部屋に備えられていた、少し埃を被っているくまのぬいぐるみに否定の言葉を放つ。はたから見れば、これはこれで怪しい光景なんだろうな、人形に話しかける女なんて。でもしょうがないと思う。ぜんぜん眠くないのだから、人形に話しかけるしかないのだ。


「ええ、そんなに私の歌聴きたいのクマさん。でもなぁ、しょうがない。一曲だけだよ? 私の生歌なんてもう、一生に一度だからね」


 中途半端過ぎる酒量のせいで、今の私はかえって酔っているのかもしれない。楽しい気分と相反している静寂な空間の差異のせいでおかしくなった可能性もある。とにかく今の私はハイテンション、躁状態と言っても過言ではない。
 木製の、座ればぎしぎしと不快な音を立てる椅子をベッドの前まで持っていきその上にとさっ、とぬいぐるみを乗せる。部屋に備え付けられているおしぼりを丸めて、マイクのようにしてから口元に当てた。スプリングの悪いベッドの上に乗り、一つ跳ねてみる。うん、悪くない。最後に、部屋の蝋燭をあるだけ点けて照明代わりにする。ステージライト感覚だ。
 バック宙返りしながらベッドの上に登り、決めポーズを取る。選曲は、昔から暖めておいた作詞作曲私の『ポニーテール・風に揺られながら』で確定。私の中で鉄板曲と化しているこれならくまさんも大絶叫の大拍手の大歓声に違いない。観客が一人(一匹ともいう)なのは残念だが、文句は言わない。本来、脚光を浴びる人間というのは一人の為であっても精一杯歌うべきなのだ。


「私は私で~、でもそれじゃ貴方は勘違いするの~駄目よそれはニセモノ~私の恋心馬鹿にしない~で~」


 うん、自分でも良い声質だと思う。もっと高いステージを目指せるかもしれない、私ってば。サイン会なんか開けばこう、二、三百くらい集まるかも。単位は万。ちょっと控えめ過ぎたかな、反省っ。
 興が乗ってきたので、ベッドの上だけでなく、部屋中を舞台に見立てて動き回る。可愛らしい動きのポップ調から、ロックなヘッドバンキング、機械的なテクノダンスまで披露した。私には分かる。くまさんは今感涙している。咽び泣いている。あまりの感激と興奮と私のスター性に驚愕しているのだ。むふん、今日はアンコール確定だね。スカウトの人間が血眼になって私を探しに来るのも遠くな──


「あ……いやあの、ちょっと話したい事があったんだけどさ。なんか、マール疲れてるみたいだし、止めとくよ。お休み……ああ、それと、」


 荒れていた息も、動き回った為生まれた熱も面白いくらい落ち着いた私の眼を見ながら、少しだけ開いた扉の先から、クロノが何故だか憂いを帯びた表情で告げた。


「歌上手いね」
「ちっ、違うのクロノこれは違うわ間違いしか無いもん間違い探しでいうなら間違いを見つけてくださいどころか正解を見つけてくださいとかいうくらいの何これ正しい所ないじゃないと指摘すれば『そうこれに正解なんかないの』と返される何それただの引っ掛け!? みたいなそういうあれだからほら! ね!?」何とかしなければならない。何をどうすれば何とかなったのか分からなくともこのまま指をくわえて尚且つさっぱりした顔で「うん! アンコール頑張るね!」とほざくわけにはいかないのだ。ああ、喉を裂く簡単な方法はないものか、とわりと真剣に考えながら、立ち去ろうとするクロノを呼び止めて扉を開ける。マイク? ただのおしぼりならとうに床に放り捨てている。
「ねっ、て言われても……うん。分かったよ、お休みマール」
「分かってないよ!? ていうか、クロノならこういう時いつもからかうじゃない! からかえばいいじゃん! むしろからかって下さい!」土下座でもすれば良いのだろうか。今の私ならやれと言われれば裸踊りすら躊躇わないだろう。
「いや……ごめん、そういう事出来るのって、限度あるし。宗教的なあれなら、からかっちゃ駄目かなって」
「宗教じゃないよ! こんな宗教聞いたことないもの! そ、それに、これは私の意思っていうか、あの、くっ、くまさんが! くまさんが私にやれって!」


 私の『くまさん』発言に、いよいよクロノの顔は青ざめた。ふるふると指を震わせながら、私の部屋のぬいぐるみを指差して、「あれが?」と舌も震えさせて確認を取る。
 ああ、失敗だったなあと気付く私は深刻にパニックに弱いのだろう。誰でも、本気でスターになりきっているところを他人に見られればパニックを起こすだろうけど。それが恋している相手なら尚更。
 しかし、後にも引けない。私は物言わず、少しだけ頭を下向けて肯定を示した。


「そっか……そういう時もありますよね、王女様」


 初対面時よりも距離を感じる!?


「じゃあ僕はこれで。あの、風邪引かないように、暖かくして寝てくださいね」


 僕!? 何その優しい態度!? お腹がキリキリするよ!?


「お願い! 話を聞いてクロノ! クロノーーッッ!!!」


 無情にも、クロノは遠ざかり、自分の部屋に入っていった。今考えれば、何故私は自分の部屋を出て追いかけなかったのか分からない。全身汗まみれの私を見られたくなかったのだろうか。アホか、汗だくの女性と気が狂った女性どちらがマシか考えれば分かるじゃないか。
 どうすればいいのだ、どうすればいいのか。部屋の中を右往左往に徘徊しながら頭を抱える。あああ、こんなことなら三曲目の『HEY! 悠長な所長に成長を促しちゃおう』で止めれば良かった! テンポ的にもそこで終わればベストだったのに! いや違うそこじゃない!


『落ち着けよ』


 部屋の中で生まれた、間違いなく私以外から聞こえるその声に私ははっ、として振り返る。そこにはシニカルな笑顔のくまさんが私を見ていた。
 彼(恐らくは)もふもふの右腕を動かしながら、自分の同じく毛糸がもさもさと生えている胸を叩き、安心しろ、と宥めてくれる。


『まだだ。あんたまさか、これであの男との絆が途絶えたとでも思ってるのか? そうじゃないだろ、あんたとあいつの仲はそんなチャチなもんじゃねえ』
「でも、でもあんな所見られたんだよ!? もうクロノ、私と目を合わせてくれないよ!」
『馬鹿野郎!!』くまさんはぺし、と椅子を叩いて怒鳴った。まあ、怒鳴った声も私なのだけれど。
『お前は信じられねえのか!? 仲間との絆って奴は、そう簡単に解けやしないのさ! 例え御釈迦様が躍起になろうとその絆って糸は千切れねえ、マール! お前にはそれが良く分かってるはずだ!』出来るだけ低い声を出しながら、くまさんを演じる。ぬいぐるみの背中に手を入れる部分があったので思いついたのだ。頭をへこへこ動かしながら、私は私に激励する。
「くまさん……そうだよね! 私諦めないよ、クロノはきっと、ちゃんと私の言葉を聞いてくれる! ありがとうくまさ──」


 部屋の奥に設置されている鏡。そこに映っているのは熱心にぬいぐるみを操りながら自分に語りかけている私と、またもや扉を少しだけ開けて、その奥で口を半開きにしているクロノの姿。明らかに、クロノは見つかった! という顔とやっべえという表情をしていた。
 私はぬいぐるみを椅子の上に置いて、扉に近づく。慌てた素振りをしたクロノの胸倉を掴んだ。


「ちが、違うんだ! 俺は、やっぱりその、マールが心配になったからまた来ただけで、その、」
「幻聴だよ」彼の発言を無視して、私はそれだけ呟いた。
「げ、幻聴って、いや今明らかにマールは」
「幻聴なの」
「や、でも」
「ゲ・ン・チョ・ウ。分かるよね、幻聴の意味」


 扉を足で蹴り開けて、そのままクロノを部屋に連れ込む。何で怯えてるんだろうか。さてはクロノ、大きくなってからは女の子の部屋に入るのが恥ずかしいのかな。可愛い所もあるね、クロノってば!
 引き摺り倒すように部屋の中央にクロノを投げ捨てて、私は笑顔のまま聞いた。「それで、話って?」
 折角悩みがあるのかも、と真剣に向き合う私を無視して、クロノはじっくりと右手にあるぬいぐるみを眺めている。もう、人の話を聞かないのは嫌われるんだよ?
 むんず、とその汚らしい動物を模した、老廃物の臭いがこびりつくぬいぐるみを窓の外に放り投げた。彼は私というスーパースターの代わりに星になったのだ。キラッ☆とね。


「くまなんかいないの、クロノ。それが分かればお話しよう? 何の話がしたかったのかなクロノは」
「…………女の子って、怖いよなって話だよ」私はテーブルランプを載せた台を蹴った。「トマの持ってた紙の話だよ! 正確には、そこに書かれてた事」
「恐竜人の文字で書かれてたって話だね。ううん、私は難しい事は分からないけど……」
「……だったら最初からお話しよう? なんて言うなよ妄想虚言癖女」私は宿主にサービスで渡された水の入った瓶をクロノの頭に叩きつけた。「ちょっとした事でも良いんだ。一人で考えるには疲れる話だし、マールと共有出来たらなってさ」全身ずぶ濡れのクロノが私の目を見て言う。その熱意の篭った眼差しは、彼の真剣具合を表していた。これは、きっと熱意故なんだ。三回言うけど熱意なんだ。怒って……ないよね? やるだけやった事に後悔はないけど、ちょっと怖くもある。不安になっていると、クロノから「もういいよ。話を聞かせてくれ。出来れば忌憚無く頼むよ」と頭を下げた。水飛沫が飛ぶけど、別に気にしない。元々汗だくだし。やっぱり後でお風呂借りよう、この時間に外で起きてる人もいないでしょ、クロノも覗きが出来る元気なんて無さそうだし。
「やっぱり、さっき私が言った通り生き残りの、つまりは森とかイオカ村周辺にいた恐竜人たちが生き残ってたって事でしょ。だから……ええと」
「分かってる」濡れた髪を払い、彼は目を下向けた。「ティラン城にいた奴らが生きてないって事は、常識的に分かるさ。俺だってそう楽観的じゃない、でも、もしその生き残りたちがあの紙を残したとして、虹色の貝殻を持ってたとして、明日行く場所にはあいつらの仲間の子孫がいるんだよな」


 そこで、私は彼の気がかりを悟る。トマはなんとしても虹色の貝殻を手に入れたいのだろう。出来れば私たちも、何に使うかも分からないけれど、必要だ。けれども明日向う場所に恐竜人たちがいたら? 何千万年の時を越えて生きていたとしたら。私たちはクロノの妹、その同属と戦わなくてはならないのだろうか? 自分たちの秘法(そうと決まったわけではないけれど)を奪う人間を、恐竜人は許すだろうか。
 考え出すと、輪に嵌りこんだように纏まらない。答えなんか、無いのだ。


「でも、さ。まだ恐竜人がその場所にいるとは限らないよ」言ってから、私はまたやってしまった、と自省する。彼にとってみれば恐竜人が生き残っているのは嬉しいことなのだ。大切な人は死んでいなくても、彼らという種がまだあるという確たる証拠になる。
 難しい問題だ、と口の中で呟く。恐竜人がいてもいなくても、クロノからすれば辛い事になるだろう。希望を失くすか、自分で希望を絶つことになるかもしれないか。複雑で、一概にどちらが良いとは言えない。


「……上手くいかないもんだな」さっき私が開いた窓の外を見ながら、クロノがぼんやりと溢した。
「それが、人生っていうものらしいよ。魔王が言ってた」
 クロノはなんだそれ? とようやく笑って、その後何も言わず部屋を出た。その後ろ背中が寂しくて、声を掛けようとしたけれど、それは無粋だと頭の悪い私でも理解できたので、伸ばしかけた手を上にやり、額の上に乗せた。もう片方の腕を緩慢な動きで伸ばし、体を倒す。時計の無いこの部屋で、時を確認できるのは、一定の間隔で鳴く虫の声だけ。それ以外はただただ無音だった。
 また静寂が私の部屋を我が物顔で支配して、妙な圧力を感じたので、私も外に出て露天もどきのお風呂に入る事にした。
 外は風が鳴り、不安を募らせる、嫌味な空気だった。






 昨夜の内装とは打って変わり、清潔感のある飲食店になったことよりも、昨日とは正反対に繁盛している店内に私は驚いた。
 昨日のトマとの約束通り、朝になり宿屋を出て昨日の店に入った私の感想である。白い制服を纏った年若い女性が給仕になり、老年の夫婦や見るからに兵士らしい男性に笑顔を振り撒いている。鼻腔をくすぐる甘い匂いに私はいてもたってもいられず、昨日との変化に驚いているクロノの手を引っ張って唯一空いていた四人席のテーブルに座る。遅れてやってきた店員の女の人に「後から一人来ますので」と断っておいた。ほぼ満員の店内で、四人席に二人で座るのは良い顔をされないだろうしね。
 私は紅茶と昨日のトマの言葉どおりメープルをふんだんに使っているだろう、パンケーキを頼み、クロノはコーヒーとトーストのみ注文した。そういえば、彼とこうして店で食事をするのは初めてだけど、大人しい注文をするんだなあ。てっきり、子供みたいに、もしくは男の子らしくがっつりと食べるものだと思っていた。勝手な妄想だけれど。
 わいわいと賑やかしい店内を見回すと、魔王軍と戦争していたのが嘘みたいな平和。今は魔王は私たちの仲間になっているから、戦いは終わったのだけれど、それにしても、戦後とは思えない皆優しい顔をしていた。クロノもそう思ったのか、私と同じように見回している顔はなんだか嬉しそうだった。お父さんみたい、という感想は言わないでおく。彼はそれに喜ぶよりも、「俺ってそんなに老けてる?」とネガティブに受け取りそうだから。
 緩やかに時間が流れ、ぼう、と椅子にもたれていると、店の奥から店員の女性が私たちの飲み物とクロノのトーストが運ばれてきた。私は小さく頭を下げて、「どうも」と笑う。彼女は一瞬驚いた様子で、すぐに笑い返してくれた。


「意外だな」砂糖を一匙だけコーヒーに入れながら、クロノが言う。
「何が? 私だってお客のマナーはあるよ」
「じゃなくって、俺のトーストが先に来たから、不満顔になるかと。『何で私の注文が後回しなの! レディーファーストだよ!』とか言うかなって」
「それって、私のこと馬鹿にしてる?」眉を引くつかせながら、言う。クロノは笑いながら、冗談だよ、とスプーンをかき混ぜた。その動作がちょっと似合っていて、格好良かったので騙されてやろう、と溜息を吐く。
「私はね、自分が注文したものが一番後に来るのって、好きなの。だって一番手間暇掛けてくれてるんだって思うでしょ?」
「そうか? 俺は忘れられてるのかなって不安になる」
「まあ、お城を出るまでお店に来て食事するなんて無かったし、私が良いように取ってるだけかもしれないけど」


 冷めない内に、私も紅茶を一啜り。半端に王女なんてやっていたから、紅茶にはうるさいつもりだけどこれは美味しい。後で何の葉を使っているのか聞いてみたい。


「うるさいなら、匂いと味で何の紅茶か当てろよな」
「クロノの方がうるさいよ。そう言うなら、当ててみてよ、ほら」人が良い気分に浸っているときに水を差されて、私はカップを彼の前に持っていき飲んでみろと差し出した。渋々と彼はそれを受け取り、一口。
 結果だけ言えば、彼は答えを当てられなかった。ただ渋い顔になり、「薄いし、不味い……」と私の良い気分に泥と肥料を混ぜた見たくも無い液体状の汚物をぶちまける様な真似をしてくれる。一言で言えば、実に不愉快だ。カップを奪うようにして、乱暴に返してもらう。その際鼻で「ふんっ!」と不快をアピールすることも忘れない。こういう事は、自慢と差別みたいで言いたくなかったけど、一応王女の私の舌とクロノとじゃあ雲泥の差だもんね。仕方ないか。
 私のパンケーキとトマが現れるのはほぼ同時だった。現れたトマを見て、私が彼を呼ぼうと手を上げながら出した言葉は「パンケーキ!」だった。ちょうど私の前の机に店員さんが花柄の皿を置いたのだ。トマはクロノの隣に座りながら、苦笑いで「俺は焼かれても膨らまねえぞ」と苦言を呈した。その後思い直したように、「俺の夢は、逆境に身を焼かれても膨らみ続けるけどな」と片肘を突きながら、いかにも格好つけて言う。とりあえず、笑っておいた。


「それ喰ったら、出発するぞ」
「え? トマは食べないの? 美味しいよこのパンケーキ」フォークに小さく切ったパンケーキを突き刺しながら聞いてみる。
「俺は甘い物は苦手だ」
「でも、ここのパンケーキは食べれるんでしょ?」確かにトマは昨夜そう言っていた。だからこそ私はこれを頼んだのだ。正解だったと確信している。
「俺が喰えるのはメープルだ。メープルを使ったハニートーストは喰える。今食べてるマールの嬢ちゃんには悪いけどな、ここのパンケーキは喰えたもんじゃねえ、小麦粉をそのまま口に入れて、水で流し込んだほうがマシだ」


 からん、と皿の上にフォークを落としてしまう。嘘、このパンケーキって美味しくないの? いやいや、だってこれ今まで食べたパンケーキで一、二を争うくらい美味しいのに。世界は広いなあ、これを不味いって言う人がいるんだ。
 ぽかん、と残ったパンケーキを眺めていると、横からクロノがさっ、と一ピース奪い取る。彼の評価も聞いてみたかったので怒りはしないが、彼は紅茶を飲んだときと同じ嫌そうな顔で「粉っぽいな」と私の評価と真反対の評を下す。もうこれを食べたいと思えないのが人間の不思議だ。三人の内自分以外の二人が不味いと断じたものを嬉々として口に運ぶのは抵抗があった。かといって今更「これ不味いよね」と免罪符を作りながら嫌々そうに食べるのも卑怯だし。
 クロノのトーストを無許可で半分に千切り口に運んで、私は席を立った。怒れば良いのに、クロノがにやにやと笑っているのが悔しい。負け惜しみとでも思われているのだろうか? 負けてないもん私。紅茶は確かに美味しいもん!
 後ろからトマの「嬢ちゃん、この店のワーストを二つ制覇しやがったのか」という声が聞こえるまで、私のいかり肩は終わらなかった。嫌いだ、クロノもトマも紅茶も。代金をトマが払わなければ、道中ネチネチを嫌味を言い続けたかもしれない。
 ……味音痴じゃ、ないよね私。王女だもん、たまたま世間を知らないだけで、ちゃんと色んな物を食べれば美味しい不味いの区別くらい出来るもん。経験不足なだけだよ。


「いや、マールのは個性だ。才能とも言える」
「クロノ、うるさい!!」


 私の頭に手を置くクロノの指をかぷ、と噛んで、足を踏み鳴らしながらシルバードの場所まで歩いていった。






 シルバードを見て、一番驚いていたのはトマだ。どうやら、彼の長い探検家生活の中でも空を飛ぶ乗り物は見たことが無いようだった。「これは何という鳥なんだ?」と大口を開けた彼の顔は控えめに言っても傑作だった。シルバードに乗り込んだ際の表情なんてもう、出来ればカメラで残しておきたいくらい。飛び上がった時は操縦管を離しそうになる程、大仰に(彼にとってはそうではないのだろうけど)騒ぎ出した。
 二人掛かりでトマを宥め、トマの紙(地図と言うべきか)に記された場所へ飛び去る。チョラス村という、魔岩窟から東にある村からさらに北西へ飛ぶと、ぽつりと浮かぶ島がある。そこが目的地。その島にある洞窟に私たちの探している虹色の貝殻があるはず、だ。


「巨人の爪」
「え?」トマが唐突に名詞らしき言葉を発したので聞き返す。「俺たちが今から行く場所だよ。そうだよな? クロノ」
 言われて、「ああ。確かにそう書いてあった」とクロノが頷いた。躊躇も迷いも無い、確信をもっている様子だった。
「巨人の爪かあ。なんだか、威圧感のあるネーミングだね」
「あたかも、巨人が番人としてついているような名称だな。探検家の血が騒ぐぜ」


 シャドーボクシングのように、天井の空いている空間にトマが拳を振る。横目でそれを見ながら、なるほど、決して素人ではないと安心する。戦闘になるかもしれないこの探索で、トマが役に立たないとなれば大いに先が危ぶまれる。この様子なら、邪魔になることはないだろう。それに、ダンジョンを数多く経験しているだろう彼は頼れる存在だ。戦闘力の無さで前に出さないのは悪手だし。つまり彼には存分に役に立ってもらえるわけだね。なんだか上から目線で嫌な感想だけど。
 目的地上空付近につき、クロノとトマに「ここで着陸して良いの?」と聞く。二人はもう一度地図を眺めて、「良いぜ」と短く答えた。同時に答えたのが、仲の良さを表しているようで面白い。
 レバーを引き、出力を少しづつ落として高度を下げていく。ハッチを開き、ぴょん、と跳ねて飛び降りた。それにクロノとトマも倣い地上に降り立つと、トマだけがシルバードをまじまじ眺めて「これ、いくらなら譲ってくれる?」と真顔で聞いてくる。私とクロノは二人して首をぶんぶか振り、両手をクロスして駄目絶対とジェスチャー。見るも明らかにトマは項垂れて歩き出した。正直、彼は虹色のなんとかよりもシルバードの方が欲しいのかもしれない。


「流石にそれは無いよね。トマの夢なんだもんね」
「自由自在に何処へでも飛べる翼。探検家からすれば垂涎ものだろうな」私の思考を読みきって、クロノもすっ、と先を行く。なんだか雑に感じられる扱われ方に私はまたむっとしてしまった。昨日のあれから妙にクロノが冷たい気がする。むしろ距離を感じる。あれは幻聴で幻覚で妄想なのに何を考えているのか。腹が立ったので、彼の背中をぐっと押してやった。ふらつきながら体勢を整えて、クロノは振り向いた。


「……それも、くまさんの仕業なのか」冷たくて、愛情の欠片も透けて見えない蔑視的な瞳だった。
「ちっがうよ! くまさんはいないの!」
「くまさんはいないのか」
「いないよ!」
「じゃあ昨日のマールは自主的に痛い事をしてたわけだ」
「してないよ!」
「してないのか……じゃあくまさんの仕業だな。どちらにしても、大変だマールは。マールというか、マールの人生は」
「大変じゃない!!」


 いつまでも続くようなループ状の会話。メビウスだなあ。
 先ほどからちらちらとこちらを伺いつつも決して会話に加わらないトマ。大体考えている事は分かる。「白熱してるなあ。でも気持ち悪いなあ。関わりたくはないなあ」が正解だろう。なあの三連、『なあの三連活用』と命名したいなあ。


「違うな。トマにはさっき昨日のマールの奇行を説明してある。故にトマの考えている事は『ああ、可哀想な嬢ちゃん、今度良い医者を紹介してやるからな』だ」ほがらかに微笑みながら、爆弾級の事実を発覚させるクロノに、私はあごが外れる思いだった。
「なんで!? いつ!?」
「だからさっきだよ。マールが先に店を飛び出した後、手短にトマに相談を」
「うおおぉぉ!!?」


 側にある周り一メートル少々の木に回し蹴りを当てる。二十回ほど続けて、程よく葉が散った後、深呼吸を繰り返してから、クロノに「何故!?」と問うた。悪びれる事無く彼は「だって怖かったし」と単純明快な答えを教えてくれる。そうだよね怖いよね夜中に一人で元気良く踊りながら歌ってたら怖いよね尚且つぬいぐるみを観客に見立ててとか末期だよね。もう私のことはマールじゃなくて痛い子と呼んでください。


「分かった。痛い子」こそばゆい空気を纏った目つきで彼は従順に従ってくれる。
「もしかしなくても、クロノ私をからかってるよね」
「ばれたか。さっさと行くぞマール。いつまでも遊んでるわけにはいかねえしな」


 さくさくと地面に落ちた枝葉を踏み鳴らし、クロノは先に行くトマに追いつこうと早足で私から遠ざかる。
 甘いね、クロノ。すぐに怒り出すであろう私から距離を取ろうとしてるんでしょう? いつまでも私もクロノの予想通りに動く訳ないじゃない。目に物見せてあげるわ。御覧なさい、この私マールディアの本気を!!
 両手を重ね、胸の前に置き、もう我慢できない、する必要のない感情を爆発させて、具現させた。


「…………ふえっ、」


 私を宥めるのに、トマとクロノが必要とした時間は短くなかった。






 堆く盛り上がった丘の端に、言われるまではなんとも思わない、しかし指摘されれば確かに怪しいと感じる変色した大岩が鎮座していた。クロノの言うとおりに、三人で協力してその大岩を退ける。正確には破壊する、だけど。
 トマは私とクロノの魔法に驚いていたようだが、私とクロノもトマの爆破技術というか、ルッカの持つような爆弾に驚いていた。流石にルッカのメガトンボムには敵わないけれど、物を破壊するという点に関しては、音響を用いて物体を砕くという音響爆弾は凄まじい効果を発揮していた。本来、埋もれている宝を発掘するのに使うらしいが、物騒すぎる力だと思った。属性的に言えば、冥の力なんだろうな。
 ともあれ、大岩を難なく壊すと、底に人間大の長く深い穴がぽっくりと開いていた。トマが松明を穴の中に放り込み、深さを知ると、手持ちの鞄から長縄を大きな釘を取り出し、釘を地面に突き刺してから、そこに縄を括りつけて、その縄を握りつつ穴の中に降りていった。準備が良いね、と声を掛けると、片手で自分の体重を支えながら、もう片方の手で指を振り「探検家の常識だ」と不敵に笑った。
 同じように私とクロノも穴の中に降りると、思わず口笛を吹いてしまう。予想していたよりも、随分に広大。巨人の爪の名前どおり、巨人が中で生活していてもおかしくはない程だ。奥に目を遣れば、暗く深い闇が途切れる事無く続いている。
 火を手にしながら、トマがあちらこちらに明かりを向けて、感嘆の溜息を洩らした。


「これは、凄いな。これだけでかい未知の空間を見つけたってだけで、探検家界隈では大騒ぎになるだろうぜ」


 それはまた、言っては悪いが小さなコミュニティそうだな、と思い、万一にもその言葉が私の口の隙間を這って出てこないよう強く上唇と下唇を擦り合わせた。それは言ってやりたいなという心の裏返しでもある。
 さくさくと、未知の空間であるらしい、それにしては踏み鳴らされた土を歩き進む。分かれ道もなく一本道であるのはありがたいが、トマはそれが悔しいのか気が抜けるのか、度々「マッピングする必要も無いのかよ」と不満そうな感想を上げた。探検家らしい所を私たちに見せたかったのかもしれない。案外、トマは子供っぽいねと指摘すれば、「子供っぽくなけりゃ夢を追い続ける稼業なんかやってねえよ」と鼻息を強く吹いた。
 クロノは、今の所恐竜人らしき姿は見えず、安心と不安の混ざった、一口に複雑な表情で歩いている。時折壁に手を当てて、目を閉じているのは何処かに恐竜人の想いが残っていないか、と夢想するようだった。
 皆思い思いに考えがあるのか、それに没頭して会話は消える。長い洞窟を物言わず行進するのは少々気が重かったけれど、嫌でも私たちは声を上げざるを得なくなる。途中から、急とも思える下りの道になった時から、少々不安は覚えていたのだ。地下へ、地下へと続く先の闇。足元に気を払わなければ転げ落ちてしまうかもしれない。速度を落とし、慎重に摺り足染みた歩調で奥へと進みゆくと、今度は広大どころではない、島全体と変わらぬのではないか、と思える、本当にここが地下なのか疑うような空間に出た。
 それだけでも「凄いね」、とか「広いね」という凡庸な感想は生まれただろう。ただ違うのだ、その空間がただの虚空だったなら、ただの洞窟としての在り方ならば問題は無い。この場所を占める建造物が問題だったのだ。


「嘘だろ……? ガルディアの城よりもでけえじゃねえか」


 トマは一人、言葉通りに信じられないといった面持ちで呟いた。それもそうだろう。洞窟の中には、その奥には、視界を占領するほどの巨大な城があったのだから。
 ただ、私とクロノの驚きは彼の比ではない。これは、この巨大で、無骨で、天辺に物騒な棘がいくつも付けられているこの城は。過去私たちが訪れた、クロノにとってはあまりに辛い別れとなったこの城は。


「ティラン城?」
「……ああ。間違い、ねえよ」


 私の活気の無い、ぼんやりとした問いかけに、淡々と、噛み締めるようにクロノが同意する。だって、在り得ないのだ。ティラン城は原始の時代に、ラヴォスに押し潰されて消えたはずなのだから。巨大なクレーターと化して、消えた……筈だ。


「恐竜人の生き残りがまた建設したとか?」私の考えた可能性をクロノは蒼白した顔で否定する。
「違う、良く見れば、城はボロボロだ。多少補強や修復した部分もあるが、これはあの時のティラン城のままだよ」
「じゃあ……ラヴォスの圧力に圧されて、原型は壊れないまま地下に埋まったって事? それで、今は遺跡となって……」
「それは、夢のある解釈だな」


 自分でもそう思う。粉々になって全部吹き飛んだ、が一番考えられるのだが、クロノの言うとおりあの時のティラン城が残っているのだとしたら、それ以外に考えられないのだ。
 ……ただ言えることは一つ。間違いなく、ここには恐竜人の生き残りがいるのだろう。もしくは、その遺骸。原始で恐竜人は絶滅しなかった。決戦の場にいなかった恐竜人たちは自分たちの本拠地があったこの城に戻り、氷河時代を、この地下にある城で耐え抜いたのだ。修復されている所からして、そうとしか考えられない。
 クロノは、考え込んでたまに頭を何度も掻き毟っていた。


「お二人さん、感動するのは分かるけどな、そろそろ行こうぜ。未知の城探検へ行こうじゃないか」
「……まんまだね」


 ここで考えても埒が明かないのは確かだ。何も知らないトマの能天気さに思わないところが無いわけじゃないけれど、それ以上にありがたくもあった。
 そろそろと、私たちは懐かしくもあり、クロノにとってはある種忘れたくもあるんじゃないかと思う城へ、石畳の床を越えて進んだ。
 赤茶けた城壁は、年月を感じさせる。古代遺産ならぬ原始遺産だから仕方ないけれど。地上では見ることもできないだろう巨大過ぎる、二メートル前後のムカデを見たときは驚いた。虫は苦手でない私もとりあえずで魔法を唱えるほどに。地上と地下では成長が違うという明らかな証明になった。それこそ、太古の昔から生きていたのかもしれない、現にトマはそれを疑い氷付けのムカデをまじまじと鑑定していた。


「流石、地下世界って所か」感心した様子のクロノに、彼は怖くなかったのだろうかと頼もしさと同時に図太さを感じた。
「地下“世界”は言い過ぎかと思うけれど」世界を強調して、肩を竦める。
「ある意味世界だろ。時の流れに取り残されてるってだけでもさ。今まで地上と関わりを持ってなかったんだろ。でないとこんなでかい城があるなんて事が噂にもならないとは思えない」


 彼の取り残されるという言葉が寂しくて、私は目を背けてしまう。恐竜人という自分の友達が誰からも忘れられている、その事実は彼にとって相当に気にかかっていたのだろう。誰だって、自分にとって大切な人たちを忘れられるのは辛いに違いない。
 取り残されたら、それはもう一つの世界。忘れられているのではなく、異世界だから仕方ない。彼はそうして自分を納得させているようにも見えた。


「さあ、先に行こう。虹色の貝殻を探さないと」


 私には、彼に「それが本当の目的?」と聞く事は出来なかった。
 城内は、酷く静かだった。魔物も、恐竜人もいない。時々、忘れられたような侵入者用の罠が発動するも、それは罠と言って良いのかも分からない、動作が鈍いか動作をしないかのものしかなかった。見当外れの場所で落とし穴が開いたり、振り子のように先に何も付いていない棒切れが頭上を通過したり。辺りを見回せば、棘のついた鉄球が床にめりこんでいたことから、本来は凶悪なトラップだったのだろうと推測できた。
 手近な部屋に入る。そこは恐らく食堂……だったのだろう部屋で、床に黒い染みが付着した、酸化の臭いが充満する長居はしたくない所だった。風化してぼろぼろになったテーブルクロス(古代にそんな名前はついていなかっただろうが)がテーブルの上にべろりと垂れ下がっていて、暖炉らしき中には炭化した骨がいくつか押し込められている。一瞬恐竜人のものかと戦慄したけれど、どうみても動物の骨だったので少し安心する。
 私たちは、虹色の貝殻を探すため、と理由付けていたが、実際はそうではない。何処かに恐竜人がいないかを探しているのだ。特にクロノは表面上何も考えていないように見えたが、それこそロッカー型の物置やベッドの下まで、洗いざらいに目に付く所を確認している。痕跡でも良いのだ、生きている証をくれと懇願するみたいだった。
 トマは自分たちの進行が遅々として進まない事になんの文句も言わなかった。それどころか、私たちと一緒に誰かが生きている形跡が無いかを探してくれるほど。トマには恐竜人とクロノが友達だった、なんて到底信じられないだろうから、話していない。それでも何かを悟ったのか黙々と辺りを探し回ってくれた。「どうして?」と聞けばやはり彼も「虹色の貝殻の為さ」と嘯いたが、食器棚(あくまでも、それらしき物)の中に虹色の貝殻があるとは思えない。優しい人だけど不器用だな、と評した。


「……もういいよ。トマは夢なんだろ、虹色の貝殻を見つけるのが。じゃあ一人で探しに行ってくれ。多分敵もいないだろうさ。わざわざ俺たち……いや俺に付き合ってくれなくて良い」クロノが諦観を滲ませながらそう言うと、トマは悪戯そうな顔で答えた。
「馬鹿。夢と利便性とは関係ないのさ。『そうした方が得だから』で行動してちゃ、夢は掴めねえんだよ」
「そ、っか」


 弱っている所に、打算も下心も無い本心を言われて嬉しかったのか、クロノは右手で目を拭い、立ち上がった。迷いは薄れている。


「大丈夫だ、もう。先に行こう、もしかしたら、奥で見つかるかもしれない。トマの探す物も、俺の探すモノも」


 体中についた土ぼこりを払い、食堂を出る。確かに、ここでいつまでも探していたところで何か進展があるとは思えない。
 トマと私も立ち上がり、クロノの後を追う。
 ここが地下という事を忘れそうな広々としている空間で響く足音が、空虚であることを無理やりに教え込んでくるようで、なるべく音を立てずに歩いた。
 ふと光沢の無い茶色い壁の錆を、矢じりで軽く擦ってみた。錆と一緒にぱらぱらと脆く崩れ去る壁の表面が、もの悲しい。会話が無い退屈な今を変えるべくした意味の無い遊びは、歴史を知るだけで終わる。
 大変なのはそれからだった。大きな城とは言え、あくまでも一つの城。庭も無いここを調べ終わるのには、四時間と掛からなかった。しかし、何も無いのだ。食堂に始まり、武器庫、食料保存庫
(どちらも使い物になるような物は無かった)、大広間からアザーラがいただろう王の間から牢屋まで調べたが、特に発見は得られなかった。朝に出発したというのに、トマの体内時計を信じるならば、現在は夜も更け始めたらしい。通りでお腹が減ったはずだ。
 休もうと提案したトマから携帯食料を受け取り、小休止を取る。三人はたき火を中心に囲み座った。食事をしているその間、会話は無いわけではないが、弾みはしない。皆思っていることは同じだろう。恐竜人は勿論、虹色の貝殻など無いのでは? だ。これだけ念入りに探しても手がかり一つ見つからない。探しきったと豪語する気は無いが、気落ちするのは仕方ないだろう。もそもそと食べる乾いたパンは喉の渇きを促進する事以外さしたる働きを持たなかった。鉄製の水筒をトマから貸してもらい、水を流し込む。当然、味は無い。
 急にクロノがくはあ、と大きく息を吐いた。「やめた」これもまた、急な中途離脱宣言だった。


「多分、違う誰かが持って行ったんだよ。その虹色の貝殻はさ。これ以上ここにいても仕方なくないか?」
「……考えたくないが、そうだな。意地を通すにも限度はある。まあ本当に限界が近いのは、残りの食料だが。というより水」頼りない水音を立てる水筒をトマは振った。こちらまで届く篭った音は、残量を明確に教えてくれる。
「もう一度調査するにしても、まず一度帰ってからにすべきだ。正直、俺はもう来たくないけど……トマはまた訪れるんだろ」
「そりゃそうだ。夢だからな」
「はは、トマの口癖だな。その夢ってのは。良いことだし、似合ってるけどさ」
「当然だ。俺から夢を取れば指紋と血液型しか残らねえ」ひらひらと手を翳して、軽口を一つ。「指紋と血液型のほかに、軽い口も残るね」と言ってやりたかった。
 荷物を手繰り寄せ、そこに頭を乗せて寝転がったトマは長い長い、三拍はありそうな溜息を吐いてごろりと体勢を変えた。子供が不貞腐れるような動きに私は口の中で笑いを噛み殺す。
「何処を探せって言うんだよなあ? 他に見てないところなんざ、壁の中と天井裏に、精々落とし穴の中くらいさ」お得意の軽口に、クロノが乗っかる。「落とし穴の中にあるものなんか、古来から竹やりとか、餓死した死体とかが主で……」話している途中で、クロノの表情が変わる。それを見てトマもまた緩んだ顔を戻し、目を見開いた。
「何? 何か思いついたの? それともトイレ?」食事が終わったばかりで汚いかな? という気遣いは今の私には無かった。


 気を抜いていた私の腕をクロノが掴み立たせる。痛いよ、と苦言する私を相手にせず彼はトマに「ありえるか?」と聞いている。トマは既に立ち上がり荷物を鞄の中に戻し終わっていた。「それしか考えられねえ」と乱暴にたき火に砂を足で掛けると、行き先を告げず歩き出す。クロノもそれに続いたので、私は何がなにやら分からなくてもついていくしかない。座った状態から無理やり立たされたので、体をもたつかせながら、「何処に行くの?」と二人に投げかけた。


「牢屋だ」


 重なった声の内容に、思わず「悪い事したの?」と心配になった。二人はかねてから決めてあったように、また声を重ねて「今からするんだよ」と一言一句違えなかった。






 大広間にある扉から行ける牢屋には、壁に鉄球を付けた鎖が垂らされており、鉄格子という鉄格子が開かれている。ここも前に探し終えた場所で、隠し通路の類も何も無かったはずだ。
 二人は迷い無く、一つの独房に入って行った。私も中に入ると、個人用だったのだろう独房に三人は狭く、肩と肩がくっつきそうな密着具合だった。少しでも助平な顔をしていれば怒鳴ってやろうと思ってたのに、二人の顔は真剣でしかない。ほんの少しだけ、悔しくもある。エイラくらいあれば良いのかなエイラくらいさあ!


「でっ、ここに何があるの?」
「いや、なんで不機嫌なのか分からんが。まあいいか、落とし穴だよ」クロノは指先を下に向けた。
 確かにここの独房には、捕らえておくという役割に反して落とし穴が設置されていた。処刑場代わりか何かだろうと結論付けていたが、普通に考えておかしい。処刑場とは本来見せしめの意味も込められているので、このように狭く閉めきった空間に作られるのは妙だ。
「もしかして、この落とし穴に入れば先に進めるとか?」
「と、睨んでる。でなきゃ、他に探しようが無い。まさか壁の一つ一つを発掘する訳にもいかないだろ……っておい!?」


 クロノが言い終わらないうちに、トマは開かれた落とし穴の先に飛び込んでしまう。これはクロノも予想していなかっただろう。止める暇も無かった。
 心臓が止まるような思いだったが、喜ばしいことに下からトマの「大丈夫そうだー!」という声が聞こえてきて一安心した。探検家って、そういうものなの? もっと慎重に考えて行動すべきじゃないの? ただの馬鹿の集まり? 言い出せばきりが無いので、それらの文句は胸の中にしまっておいた。私とクロノも穴の中に飛び込み、トマと合流する。片手を上げて「大正解だったな」と笑う彼にワンパンチくらいは許されると思うの。いや本当に。


「おかしいぞ、てめえ今のはおかしいぞ!?」私の代わりにクロノがトマの胸倉を掴み壁に押し当てる。彼はぼさぼさの頭をぺしっ、と叩いて「時には博打も必要なのさ!」と軽やかーに、何にも考えてませんよという顔で。反省? 何処の国の食べ物? と言いたげだった。
 言っても無駄なら仕方ない。私はトマの眉毛を四本程千切って捨てた後先に進む。「俺のダンディーアイヘアーががが!!」と狂ったので後で薬でも口に突っ込んでおこう。


「嬢ちゃん。さてはあれだな。先に飛び込む俺を心配して怒ったんだな。所謂アレだ、ツンデレだ」
「消えちまえ。クロノ、この先に貝殻が?」私は隣に行くクロノに確認した。
「多分な。つうかそうじゃなきゃやってられねえだろ」彼は希望的観測を口にしながら、夢追い人またの名を馬鹿、を置いて先を歩いた。


 トマは何か言いたげに口に干し肉の欠片を咥えながらむぐむぐやっていたが、当然彼の相手をする人間はいなかった。この地下だけでなく、地上でもいないだろう。心配を掛けたくせにおどける人間に人権は無い。ちょっと韻を踏んだみたいで、考えながら恥ずかしかった。


「それを口に出すのが恥ずかしいよマール。お前もトマ側の人間だったか」
「やめてよ! 冗談でも酷いよ!」


 私たちの掛け合いを見てトマは何か言いたげに指を噛んでいたが、当然彼の相手をする人間はいなかった。地下だけでなく、あらゆる時代に存在しないだろう。人権は無いのだから。虫と戯れるが良い。
 そうして、キャッキャウフフの空間をクロノと造り(暑いね。地下だからね、地熱かもねという会話しかしていないが)先に進む。いよいよとなって、トマが痛々しく場を盛り上げようとしていたので構ってあげた。三十路前かそこらの大人が子供に構ってもらおうとする姿のなんと寂しげな事か。彼は大人っぽい雰囲気と子供っぽい雰囲気、荒々しい口調と寒々しい性格を持ち合わせている。


「大人を無視するなんて、親の顔が見たいもんさ。こう言うと、お前らはこう返すんだろ? 『見たいなら天国に行きな』ってさ」
「? 私のお父さんは生きてるよ?」
「いやいや、人間は皆神の子って言うじゃないか。だから天国に行けって、そういう意味のジョークなんだが……説明するとつまらねーな。二度と言わねえよ」


 唾を吐きながら、自分のつまらなさを認識したらしいトマは「これはどうだ?」と新しいジョークをひねり出していた。大半つまらないのだが、クロノにはよく受けるので、男の子には人気なのかもしれない。なんというか、ブラックなネタというのは。私と言えば冗談とも思えない内容に驚いたり怖がったり気味悪がったりなので、もしかしたらクロノもトマも私の反応を面白がっていたのかな、だとしたらちょっとむかっ、とする。
 薄暗い室内を歩きながら、足元は見ないようにする。落とし穴の底にはそれはそれは多種多様な骨がばらばらに散らばっているのだ。獣の他に、化け物にしか思えない骨格もまばらに点在している。それらを見ないため、また気にしない為のトマのジョークトークだったと知るのはそう遠くない話だった。
 実際、今までそうトマの良いところを見ておらず、この人もカエルタイプの残念さんか、と勝手に見下していたが、彼の株が急上昇する出来事が一つ。切っ掛けは私のドジなのだが。
 私が変色した床を踏み、ここに来て初めて正常に罠が発動したのだ。頭上から槍のような刃物がびっしりと並んだ吊り天井が落下してきたのだ。魔法を唱えて防御する暇も無く、咄嗟に頭を抱えてしまう、戦ってきた経験を何処かに置き忘れてきたような行動をしてしまった。
 トマは颯爽と私を掴み、飛んで逃げたわけでも吊り天井を止めたわけでもなく、私に手持ちの縄を引っ掛け引っ張って脱出させてくれたのだ。言葉にすると、なんとも間抜けで、なんだったか現代で見た本の……そうだ西部劇だ。に出てくるカウボーイみたいだけど、そう簡単な話ではない。首に縄を掛けられたわけでもないし。一瞬の間に私の体に縄を投げて引っ掛けて引っ張る。それは達人の技、鞄から出して、というタイムロスを含めれば神業だろう。唯一文句を言うとしたら、床に擦られて私の肩の皮膚が少し剥けたくらいだ。勿論、トマが助けてくれなければ擦り傷では済まなかったので誠心誠意感謝を告げる。


「良いさ。これも探検家の先輩として当然だ」
「いや、私は探検家になるつもりは無いけど、ありがとう。本当に助かっちゃった」トマはひひっ、と笑い前髪を撫でていた。
「気をつけろよマール。ほとんど老化してるったって、罠があるのはあるんだから……つっても、俺もトマみたく他人を気にしてなかったから、人の事言えないけどさ」


 しゅんとするクロノに、私は罪深くも、というのは大袈裟だが、嬉しく思う。私の事を助けたかったのかな? だとしたら、彼は可愛いし嬉しい。女の子を守るのは男の子だ、という感情の他に好きな女の子は自分が守りたいという独占欲にも似た感情が含まれているのでは? と邪推してしまった。その考えには私の「だと良いな」という希望がこれでもかと詰め込まれているけれど。


「ねえ、」


 と、それだけの短い言葉を発しただけで、私の問いかけは終わる。本当は、「ねえ、クロノのそれってヤキモチ?」とつつくような想いで話しかけるはずだったのだ。その今までからかわれた復讐代わりの矛先は、突如聞こえた呻き声に掻き消される。
 グルルル、と腹の底まで響くような獰猛な鳴き声に、三人は顔を見合わせた。聞き間違いではないよな、と意見を共有するべくした行動。三者三様とも戦慄した面持ちだった事から、幻聴空耳ではないと確信する。
 クロノが一人、掌から電撃を迸らせた。「これが俺の今の唯一の武器だ。本来刀が俺の一番得意な得物だけど、今は無い。マールは弓と氷を放つことが出来る。他にも多種多様な使い方が出来る。だよな?」彼の意図するところが分かり、私は異議を唱えず頷き、背中から弓を引き抜いて、片手にアイスを応用させて小さな氷の槍を作り出した。


「なるほど、それぞれの得意な戦い方を確認しようってんだな?」トマの言葉にクロノが肯定する。「そうだ。あんたの得意な武器は、縄か?」
「いや、あれはどっちかといえば補助武器だ。俺の得意な武器はナイフかな。とはいえ、戦闘に自信があるかって言われりゃ微妙だ。並の兵士くらいにはやれるつもりだが」


 実際、それでも充分に人として誇れる強さなのだが、これからの事を考えれば心許ない。私たちの考えが正しければ、あの声の主は恐らく恐竜人最強だった彼の鳴き声。まさか彼本人だとは思わないが、それと同じ種族である可能性が高い。ナイフで傷がつくかどうか怪しいものである。
 クロノに刀が無いのも大きく不安だ。最悪魔王と変わってもらうことを考えたが、彼の表情を見る限りその気は無さそうで、私も勿論交代する気は無い。


「マールはいつでも氷の壁を作れるよう詠唱を終わらせておいてくれ。トマはなるべく前に出ないように頼むぜ」
「……なんだか、お前ら荒事には慣れてそうだな。しかも、さっきの声が何なのか大体分かってそうだ、どういう事か、後で説明してもらうぜ?」


 トマの覗き込むような眼差しを受け流して、クロノは小さく「いつかな」と誤魔化した。牢屋を抜け、扉を開ける。その先は、いつか見たような光景だった。
 横幅に長い橋、城の内部ではなく、外に面している、洞窟の天井が見える吹きさらしだっただろう場所。『いつかの時』と違うのは、橋の下にマグマの海が無い事と、空に恐竜人の仲間が浮いて観戦していないことか。
 長い長い橋に足を置く。石の破片が散乱しているその橋は、強固には思えなかったが、崩れ落ちることも無いだろう、歳月の風化が薄い頑丈な橋だった。私とクロノはしっかと前を見続けている。トマは橋の先を見つめた後、二の足を踏み、悲鳴にもならない声を上げた。


「ば……ばけもん、だ」震える口でそう発したトマに、クロノは様々な者の想いを乗せて、ゆっくりと首を振り否定した。
「違う、あれは──」


 端の先には、ぎらぎらとぬめる牙を上顎下顎の左右から一本ずつ伸ばし、舌のような炎を口内で遊ばせている生き物がこちらを見つめていた。その人間よりも大きな瞳は虚空で、最早意思などあるようには見えない。丸太を何本重ねても足りないだろう太い足の先には血の色がこびり付いた凶悪に尖る爪。頭部に百獣の王のような毛髪が蓄えられて、その生物の偉大さを示している。ぐるる、と喉を鳴らし、生物……いや、餌を見つけたことに対する歓喜の咆哮を上げた。


「──ティラノ爺さんだ。多分、その子孫か、同類。気を抜くと死ぬぞ、あいつの事は知らねえが、ティラノ爺さんの炎は山だって燃えカスにしてたからな」


 耳を塞いで座り込んだトマを余所に、私とクロノは走り出した。
 ……こうして走っている最中なのに、私は考え事をしている。クロノは戦いたくないのでは? という疑問が浮かんだのだ。元々、原始に生きていたティラノ爺さんとクロノは仲が良かったじゃないか。アイコンタクトで呼吸を合わせることが可能なほどに。その子孫か少なくとも同種族に雷撃を当てる事が出来るのだろうか?
 今更ながら、私はクロノに魔王との交代を進めようとした。けれど、それは出来ない。彼の目は哀愁でも、憂鬱な思いも映さずただ憤怒のみが浮かんでいたから。
 何故? その疑問は呆気なく解消される。落ちていたのだ、死骸が山のように。恐竜のみに目が行っていたので気付かなかったが、恐竜の足元に崩れるほどの骨が積まれている。
 人間の骨ではない、人間がここまで来るなんて事はまず無いのだから。獣でもない、鳥でも魚なんて可愛らしいものでも無い。限りなく人型に近くて、頭部の膨らみから分かるそれは、確かに恐竜人だろう骨だった。
 共食い。その言葉が脳裏に浮かんだとき、私は痛みを覚えた。肉体的な痛みではない、生理的な嫌悪は確かに感じるが、それ以上にクロノの事を思うと痛みで体の中の何かが破裂しそうだった。
 やはり彼は会いたかったのだろう。もう会う事も出来ない恐竜人たちに、自分を知る者がおらずとも、できればもう一度手を取り合って、なんならもう一度人間との共存を提案したかったのではなかろうか。大地の掟もラヴォスが降って来る事も無いこの時代のこの大地に彼らを招待したかったのではないか。そうすれば、きっと救われると馬鹿らしくも信じたのでは?
 数は減っただろう恐竜人がこの巨人の爪から這い出てくればどうなっただろう。きっと異端視される、それは想像に難くない。けれど魔王を退けた私たちはある意味国の恩人だ。中世の王様はクロノの頼みなら恐竜人を迎え入れたかもしれない。最初の何十年は恐竜人は辛い目に合うだろう。けれど、それも永遠ではない。現代になる頃には人間と恐竜人という垣根を超えて笑い合えたかもしれないのだ。六千五百万年の長い時を超えて、彼の原始での願いは昇華された……かもしれない。
 それはあくまで望み。もう一度クロノが恐竜人と仲良くなれるなんて保障は無いし、人間たちが恐竜人を迎え入れる可能性なんてもっと低い。
 でもあったのだ。か細く小さい陽炎のようなぼんやりしたものでも、希望はあった。恐竜人が生きていれば。
 彼らはもういない。本当の意味で滅んだのだ。今生き残っているのは仲間と食料の区別もつかずただ空腹を満たしたいだけの過去の残骸。到底人間と生きていくなんて出来ない、滅ぶしかない化け物が一匹。


「殺すぞあいつを。良いなマール」
「……うん」


 同意しながら、あまりの皮肉に泣きたくなった。
 おかしいじゃないか。人間でありながら恐竜人の生存を望んだクロノが何故終止符を打たねばならないのか。彼は殺したいと願ったことは無い。彼は恐竜人を愛していたのに、きっと考えるまでも無く人間の中で一番彼らを知っていた。彼らがどんな性質でどんな性格でどれだけ気性が荒いのかどれだけ優しいのかどんな時に泣くのか全て分かってたのに。
 だからこそ、なのだろうか。これが運命の為した事だというのだろうか。恐竜人と彼は繋がれたのに、愛情も友情も分かち合えたのに、その彼が恐竜人を絶滅させるってどういうことなの?


「サンダー!!」


 クロノが右腕を払いながら直線に雷を穿つ。十二分に充足された雷はティラノの額に当たり、焦がす。肉の焼ける臭いがこちらまで届き、その異臭に鼻を覆いたくなった。
 傷を負ったことに怒りを感じたティラノは口の中に充満させた炎を吐き出す。私は立ち止まり、先に行くクロノの前に氷の壁を精製すると、炎は上向きに方向を変えて天井の壁をぼろぼろとこぼしていった。ティラノが苛立たしげに「グルゥ!!」と頭を振る。
 氷の壁から飛び出して、クロノは幾度も雷撃を放った。その一つ一つがサンダガ級の威力。魔王と力を競い合い、まぐれだかどうか分からないが、勝ったというのは本当なのかもしれない。魔王と遜色ない威力……むしろ、雷撃だけなら彼の方が力を秘めている気もする。感情の昂ぶりも影響されているのは確かだろうが。


「でも……効いてない!」


 皮膚の表面が剥がれるだけで、ダメージを受けている様子は無い。だが、だからどうしろと言うのか。悔しい話、私のアイスはクロノのサンダガ程強力ではない。一応、形としてはサンダガと同じだけ強いと自信があるアイスガも使えないではないが、それでも彼の方が上だ。クロノの魔術で効かないなら、私たちの攻撃は全て効かないと思って良いだろう。
 

(クロノのサンダガを超える威力なんて、魔王のダークマターかルッカのメガトンボムくらい……無いよそんな威力の攻撃!)


 そうこうしている内に、クロノが頭に怪我を負う。ティラノの前足蹴りによって飛散した石の破片がぶつかったのだ。衝撃が如何程か分からずとも、その出血の量は甘くない。頭を切れば通常よりも血液が溢れ出る。ある程度後退したクロノに近づき、ケアルを唱える。
 だが、治癒する寸前にクロノが私の翳した手を掴み、「このままで良い」と言う。当然私は目を白黒させた。


「血が上りすぎてた。冷静にならないと、勝てるもんも勝てないだろ? ……くそ、魔力を消費させすぎた、これじゃシャイニングも打てねえか」
「しゃ、しゃいにんぐ?」聞き覚えの無い単語に私は頭を捻る。
「切り札の一つだが……今の魔力じゃぎりぎり足らん。小さいサイズなら出せるかもしれないけど、それじゃ意味が無い。馬鹿みたいな消費魔力だからさ」


 いまいち理解出来なかったが、魔王のダークマター級の魔法と仮定して良いだろう。いつのまにそんな技を……じゃなくて。今はそれを使えないという事実が先だ。
 どうしよう、クロノと協力するにも、単純な威力だけを見た魔法は私は不得意だ。どちらかというと、小技で攻め立てていくのが私の得意戦法。セコイんじゃなくて、現実的な戦闘が得意なの。
 試行錯誤を繰り返すが、どれも後一歩足りない策ばかり。ティラノを水で濡らして、サンダーで感電させる等、動きを止めることが出来ても倒すには至らないような作戦しか思い浮かばないのだ。


「マール、お前どれくらいでかい氷塊を作れる? コントロールは気にしなくて良い。ただでかさだけなら」何か思いついたのか、クロノが目を光らせた。
「お、大きいだけなら、十メートル以上は作れると思うけど……ただ作るだけだよ? 相手に投げることは出来ないと思う」私の不安を滲ませた言葉に、彼は白い歯を見せながら女の子にとっては殺し文句だろう言葉を放った。
「マールは作るだけで良い。当てるのは俺だ。共同作業だよ」
「……ッ! 良いね、それ!」


 文字通り、初めての共同作業だ。これはもう、出来ないと言う方が嘘だろう。十メートル? 今の私なら三十メートルを超えてやる!


「ああ待ってマール。作る氷塊の中に、マールの矢を入れておいて欲しいんだ。形としては、矢を凍らせる要領で」
「矢を? 分かった!」


 何をしたいのか聞く気は無い。クロノならやってくれる、彼の考える方法に口出しする気はない。私はただ信じるだけで良いのだから。
 背中の矢筒から全部の矢を空中に放り出し、凍らせる。そこから周りに氷を膨らませていく。コーティング作業と同じだ、外側を分厚く大きく重く、念じれば念じる程私の限界は広がっていく。


「完成したら返事をくれ。その間は、俺があいつの気を逸らす。魔法を温存しなきゃならねえのが、面倒だけどな」
「じゃあ俺が行ったほうが良いな。普通に考えてよお」


 クロノが前傾姿勢になり、飛び出す瞬間、後ろから現状を理解しているのか分からない、軽薄そうな、野太い声が。
 疑う必要も無く、トマが片手を上げて立候補するように後ろに立っていた。「どうして……」と不思議そうなクロノの肩を握り後ろに引っ込ませた後、指を鳴らして犬歯を見せていた。


「あれ? 逃げたと思ってた」嘘だ。彼も男の人だから、逃げはしない。私の気に入った人は皆、馬鹿で勇敢な人ばかりだ。
「正直そうしようかと思ってたがな? 子供が出張ってるときに後ろで観戦するのは老後の楽しみなんでよ、ちいと腰を上げてみたのさ」トマが鞄から縄を引っ張り出し、ピンと張った。
「ナイフは使わないのか?」気に掛けるように問うクロノに、彼は「そんなもん、ナマクラ以下だってのがお前らの戦いで分かったよ」と取り出したナイフを橋の下に投げ捨てた。
「良いか? 一分だ、一分以上保たねえ、それ以上は俺の体が消し炭になっちまう。チョラス村のドラス亭で注文した焼肉みたいにな」


 そのお店には行かないほうが良いね、と言えば「魚は絶品なんだ」と残してトマが走る。その速さは、メンバー二位の速度である(私の勝手な考えだが。ちなみに蛙状態のカエルと同率)クロノに負けずとも劣らない。橋の所々に付けられた棒柱に縄を掛けて立体的な動きを可能にしている。炎を私たちに届かぬよう上手く動き、振りかぶられる爪も飛び交う石も紙一重にかわしている様は、とても一兵士並には見えない。今も必死の状況に立っている彼から「逃げ足は速いのさ!」と言われた気がした。
 ……もう少し、もう少しで私の全魔力を使いきれる、私の最大の氷が完成する!


「まだかマール!!」
「……今、出来たぁぁぁ!!!」


 天井に届かせるのは無理でも、目標三十メートルはクリア! 間違いなく過去最大の大きさである氷塊が完成した。クロノはその大きさに満足したか、指を鳴らして彼も魔力を紡ぎ出した。
 ……これは、私との戦いで使った磁力操作? ふつふつと橋を構成している石畳が浮かび上がるのを見て、私はそうであると確信した。あの時はクロノが負けた。でもそれは手加減してのこと。本気のクロノなら、私でも……ああいや、あんな怪獣モドキに負けるわけが無い。
 こめかみに血の管を浮かばせながら、クロノは精神を尖らせている。跳べ、跳べ、と私の氷塊を浮かせようとしている。正確には氷の中にある鉄の矢じりを浮かせようとしているのだが、結果は同じだ。
 跳べ。私は願う。跳べ、クロノは願う。跳んでくれ、浮くのではなく跳んでくれ。飛んでくれ。ここにいる恐竜人の恨みも後悔も乗せて、何処までも飛んで行け!!


「飛べーーーー!!!!」


 そう叫んだのは、今火炎を避けて転がったトマだった。彼に私とクロノの考えが分かったとは思えない。私たちの想いが通じたとも思えない。ならばこれは、単純明快な奇跡なんだろう。


「あがああぁぁああ!!!」


 クロノが両腕を頭上に振り上げた時、三十メートル以上の巨大氷塊は浮き上がった。それこそ天井につく程に、高く高く舞い上がる。それは上に浮くだけではなくて、少しづつ重心を回しながらティラノの上へ持っていく。
 トマも自分に出来た陰を見て気付いたのか、慌てながらこちらに走り寄ってくる。駆け寄った際に、私たちにハイタッチすることは忘れない。これは、この攻撃は三人の攻撃なんだ。
 ティラノは三人固まったのを良しと舌か、大きな目玉をぐるりと回し、瞳孔を開いて大きく口を開ける。遠めにも喉の奥から火炎の舌がちらついているのが見えた。でも、もう遅いのだ。


「潰れろ、お前が最後だ、それで全部終わるんだッ!!」


 ぐうん、と空気を割って氷解が落下した。大口を開けて炎を吐こうとしていたティラノの首に直下して、顔面が床に埋まっていく。げちゃ、という忘れがたい音を立てて潰れゆく様は、最後にするには見たくない、噴水のような赤を撒いていた。ぱしゃぱしゃと血飛沫は溜まりとなり、橋を染めていく。すでに透明ではない氷はゆっくりとずれ落ちて、橋の下へ。砕ける音は鎮魂歌としては粗雑なものだった。
 ふと、風を感じた気がする。土と埃とカビの蔓延するこの場所ではありえない、清涼な風。
 きっと、ここに埋もれている様々な負の念が浄化されて、空に浮かび上がっていく、それらが通り抜ける際に起きた風だろう。
 私はクロノに笑いかけた。大丈夫だよ、と。気にする必要は無いよと言ってあげたかったのだ。
 ──馬鹿な私は、それで今日という日が終わるのだと勝手に考えていた。


「──避けろ嬢ちゃん!!」
「きゃっ」


 肩と背中にぬくもりを感じ、横に転がった私が見たものは、目の前を通り過ぎる業火と背中を焼かれているトマの姿。
 火、焼かれる、私が今抱かれている。それらの事柄から、私は自分の愚考を恥じた。風? それはただの火炎によって巻き起こったものではないか。ロマンチシズムに浸るのも大概にしろ、馬鹿め。


「トマッ!!」


 飛び起きて、彼にケアルを唱えようとして、力が抜ける。それは、体に魔力が残っていない証拠。ならばせめて消費魔力を抑えたオーラを、と考えたが、結果は同じだった。私はあの氷塊を作るのに全魔力を費やしたのだから、当然だ。
 後ろを見ると、クロノも同じく魔力を使い果たしたのだろう、ふらふらと夢遊病に似た動きでティラノを見つめていた。その目に力は、無い。
 ティラノは生きている。それも怒りに目を血走らせて。首からだくだくと血を流してはいるが、絶命には至ってなかったようだ。牙を擦り合わせ、時に合わせ鳴らし、私たちを喰らう、それだけを考えていた。ずんずんと橋を移動して、私たちに近づいてくる。


「……嬢ちゃん、退いてくれ。俺が行く」トマが擦れた声で、私の体を押しのけた。
「だっ、駄目だよ! 背中のほとんどが焼けてるんだよ!? 血だって凄いし、一旦逃げよう!」
「逃げ切れねえよ、あいつは何処までも追ってくる。俺もお前らも全力で走れるような体じゃねえ、だろ?」片目を瞑り、ウインクのつもりだろうか? 半目になっているそれは決まりようの無い、残念なポーズだった。
「でも!」
「でもじゃねえ!! ガキの頃からの夢なんだよ、すぐそこにある、俺には分かる! 探検家の勘だ、根拠もねえし説明のしようも無いが、間違い無いんだ」


 響く足音が段々に大きくなっていく。トマがそれに気付かない訳は無い。肩は震え、見るからに怯えている。けれど、彼は前を見続けていた。


「夢なんて、いつでも追えるよ! 夢よりも命の方が大事でしょ!? だからここは……」断っておくが、私は正論のつもりだった。夢を持つのは素晴らしいし、そこに突き進む人は尊敬すべき人物だとも思う。でも命と引き換えにならば、それは夢ではなく自殺への道でしかないとも思っている。金で命は買えないのと同じく、夢で命は買えないのだから。ただ、目の前の人物にとってはそうでなかったらしい、トマは弱った雰囲気を一変させて私に詰め寄った。「違う、違うんだよ嬢ちゃん」
「何が? 何も違いなんて」
「良いか!? よく聞けよ嬢ちゃん、よく聞け。俺だって馬鹿じゃない、死ぬか生きるかの瀬戸際だってのは理解してる。だからもう二度と言えねえ可能性も見えてる。その上で、あんたにきっちり言っとかねえといけねえ事がある、分かるな?」
「そ、そんな事してる暇は」私の言葉を遮って、トマはこれ以上大切なことは無いと語り始めた。
「良いから聞け! いいか? 俺たち探検家ってのはな、夢で作られてるのさ。朝起きたら朝食に夢を食べてトイレに篭って、昨日喰った夢を消化して夢をふんばり出す。仕事で夢を追って夜になれば夢を肴に夢を飲み、夢のシャワーを浴びて、ベッドに寝転がり夢の上に頭を乗せて夢を見る、それが俺の生き方だ、これ以外なんて知らねえ。頭から爪先、吸って吐くものまで夢で出来てるんだ。夢の為に死ぬんじゃねえんだ探険家ってのはよ。夢の為に生きてるんだよ! それより大事なものなんてある訳ねえ、あって良い訳がねえ!!!」
「……それ、は」


 彼の言っている事なんて、半分も分からない。夢の食べ方も出し方も、夢を飲む方法も分かりはしない。
 ただ、彼は真剣だった。自分の言っている事になんの疑いも持っていない。私でいうところの、毎日息を吸う事くらいに当然の事を語っているのだ。ある意味、彼の正真正銘の自己紹介のようなもの。必死に前を見て、脇道に逸れない彼の生き様を彼は教えてくれた。


「大丈夫だ、俺は負けねえ。あんなでかいだけのウスノロに喰われるのはごめんだ。俺にはまだ、これがある」言って、トマは右手を開いた。そこには、大岩を砕いた時に用いた爆弾が握られている。次に、ティラノの首を眺めた。
 ティラノの首には、私の氷塊をぶつけて出来た傷の穴が残っている。そうか、あの傷跡に爆弾をぶつけて爆発させれば流石のあいつでも死ぬだろう。首が吹っ飛ぶほどの爆発力を秘めているはずだ。問題はどうやってあそこに爆弾を当てるか。


「俺が行く。あんたもクロノも機敏に動くのは無理だろ? 俺なら、出来る。見てろよ、トマ・レバインの一世一代の活躍劇を見せてやるからな」


 私の手を振り払い、クロノの制止も聞かず、トマは血だらけの体を死地へ送り込んだ。
 止められた。私も体が満足に動かないとはいえ、怪我人の彼を止めるくらいは出来たはずだ。少なくとも、あっさりと行かせない位は可能だったんだ。でも、しなかった。それはクロノも同じで、何処か見送るように彼の特攻を見送ってしまった。
 どうしてか? 見てみたかったのかもしれない。彼の夢への信念と、その結果を。私には、男の人のロマンや大志なんてものは分からない。今までそういった男臭い話は極力聞かなかったから。そんなものに心動かされるくらいなら、恋愛の話で顔を赤くしていたほうが楽しかったから。
 ──今ならなんとなく分かるよ。そりゃあ心動かされるよね。命を張って前に進む男の力強さと格好良さは、メルヘンの世界には存在しない。賭ける物が大きければ大きいほど見る者を魅了させる。期待させる。彼が賭けたのは命ではない。彼が賭けたのは人生であり、己であり、生き様であり、トマの言うとおり、全てだった。


「頑張れ……頑張れトマ!!」


 声の聞こえた方向を見ると、クロノが両手を握り声援を送っている。恥ずかしいと思うかな? 勝手に他人に全部任せてのんきなものだと蔑むかな? でもそれは私も同じ。心は既に観客と化している。トマの起こす活躍劇とやらを心待ちにしている。
 彼がいつから探検家をやっていたか知らない。子供の頃からかもしれないし、大人になってからかもしれない。でもそんなのはどうでもいい、彼が人生全てを探検家に費やしているのは間違いないのだから。
 碌々収入が無い日もあったろう。世間から爪弾きにされた事もあったと思う。家族どころか、妻も恋人も作れなかったろう。命が危ない出来事だってザラだと彼は話してくれた。彼に人並みの平和なんてあっただろうか? 時折一人で酒を飲んで自分だけが知る自分の勇気と冒険を思い返すくらいが精々じゃないのか。
 誰が褒めてくれるでもなく、認めてくれるわけでもなくただ愚直に夢へ進む彼が、負けるわけは無い。何も考えず口を開けて突進する化け物に負ける理由は一切存在しない。
 私たちの声援は、いつのまにか頑張れではなく、さっきと同じ「飛べ」に変わっていた。
 飛べ。しがらみも世間の常識も超えて。前だけでなく上を見る彼に精一杯のエールを。飛べ、と口にするたびに彼の動きは目を見張るものへ変化する。
 トマがティラノの正面に立つと、ティラノは牙を晒して彼を捕まえようとする。左右にステップしてその猛攻を全て避けた後、彼は中腰に膝を曲げた。勿論、私たちが彼に投げかける言葉は。


「飛べ! トマ!!」


 思い切り足を伸ばす彼の背中に、私はワシのような巨大で力強い羽根が生えているのを幻視した。
 羽は彼の落ちる先を誘導するようにひらりと羽ばたき、彼を首筋の傷跡へと着地させた。腕を振りかぶり、傷の中に右腕を突っ込む。痛みに吼えるティラノは体を揺らし彼を振り落とそうと躍起になる。そこでまた羽の活躍だ。水平に羽を揺らし、彼のバランスを補佐する。危なげなく、爆弾のスイッチを押した。その後、背中の羽をはためかせて、後ろに跳んだのだ。どこまでも飛んでいけそうな跳躍に私は目を細めて、感嘆の吐息を洩らした。


「天使みたいだね」


 爆音はまるでファンファーレの音のよう。祝福の鐘よりも盛大で、なんともトマらしい響きだった。






 俺を運んでくれ、とトマは細々と呟いた。爆発の余波にやられ、腕も足も折られて、顔面に裂傷を残しながらも、彼は帰ることを選択しなかった。選択できなかった。
 ふらついているのは理由にならない。私とクロノで彼の両腕を持ち上げて、ティラノがいた建物の中に入る。探索するまでもなく、私たちの目的である虹色の貝殻を見つけることが出来た。
 渦巻き型の貝殻は、虹色というより、虹を構成する七色を纏めたような、大層美しい代物だった。目を覆わんばかりの輝き、細部に現れている薄紫の彩色。見ているだけで心を落ち着かせるなだらかなディテールは人工物ではありえない曲線を描いていた。
 その美しさに声を失っていると、私は指に水滴を感じた。それは、トマの瞳から流れた、赤い涙。顔に塗れた血を洗い落とし生まれた滴だった。視界もおぼろげだろう目は、確かに虹色の貝殻を捉えている。口を開けて、何かを言おうと「あ……あ……」と言葉にならぬ嗚咽を洩らしていた。涙は止まらない、どれだけ流しても、どれだけ喉を震わせても、終わりはしない。
 私とクロノは顔を合わせて、トマを虹色の貝殻の近くまで運ぶ。手を震わせながら、ゆっくりと掌を貝殻に当てて、撫で回す。流れるように全体を触り終わると、彼はなんとも満足そうに口を緩ませた。


「俺、俺は、見つけた。夢に触ってるんだ。は、はは……冗談じゃなくて、本当に、夢みたいだ。俺、今夢を触ってるんだ」


 辛抱出来ぬ、と貝殻に抱きついて、トマは号泣する。俺の夢だ! と誰に聞かせるでもなく叫び続けた。感涙か、それ以外か。彼以外には分からない、その貝殻にも負けない美しい涙だ。
 しばらくそのまま泣き続けて、トマはゆっくりと崩れ落ちた。私とクロノは静かに彼の伏せた隣に座る。トマは寝る直前のような、ゆったりした口調で聞いてきた。


「俺を、夢想家だと、笑うか? 嬢ちゃん」
「……笑わない。笑えないよ、トマ」
「そ……うか。あんがとよ」


 その言葉を最後に、彼は目を閉じた。












 虹色の貝殻をそのままにしておくわけにもいかず、かといって持ち運ぶ事など出来そうにない貝殻をどうするか。考えた挙句、私たちは中世の城に行き、王様に「城に持っていってくれませんか?」と頼み込んだ。彼は魔王を退治てくれた勇者一向の頼みなら、と鷹揚に了承して、兵士をすぐさま派遣してくれた。その際にお願いを一つ。


「その貝殻の発見者として、トマ・レバインの名前を歴史に残して欲しいんです」


 誰じゃそれは? と不思議そうではあったが、王様はそれも許可してくれる。これで彼の名前は世界的に有名なものとなるだろう。
 虹色の貝殻だが、ガルディア城に保管された後、家宝として代々守り続けられるそうだ。家宝といっても、持ち主はガルディア王家ではなく、トマ・レバインという偉大な探検家の物なんだけれど。
 王様に御礼を言って、帰る途中に王妃──リーネにお菓子会に誘われたが、丁重に断った。今日は、どうしても外せないのだ。


 城を出て、トルースの飲み屋に入る。トマと私が初めて出会った場所だ。二人しかいないけれど、カウンターではなくテーブルに座る。他に客もいなかったので、店主は何も言わなかった。注文はクロノがビール。私はラムコークを頼んだ。ついでに、おつまみとして乾き物を幾つか注文して、また後で追加するかも、と言っておく。


「お疲れ様クロノ」
「そっちもな。つっても、俺たちはあれから王様に頼んで、運んでもらうのを見てただけだけどさ」


 やはり、相当に重い代物であり、場所も遠かった為か、私たちが巨人の爪を訪れてから二週間の日数が経っていた。それでも充分に急いでくれたのだろう、少し申し訳無い気もしていた。ご好意はありがたく受け取っておくけれど。本来カエルが王様から褒めてもらうべきなのだろうなあ、その点も申し訳無い、特に私は魔王と直接戦ったわけでもないので、王様に御礼を言われたときはドギマギしてしまった。油揚げを取っていくトンビの気分だ。


「……大変な冒険だったね」虹色の貝殻を探す為に巨人の爪という洞窟に潜った、と言葉にすれば簡単だが、実際長い冒険だったように感じられる。半日以上動き続けた強進軍だったこともあって、今だ疲れは取りきれていない。お風呂に入ると、今頃になって耳から砂が出たりするので吃驚する。海に入った時なんかによくある現象らしいのだが、まさか洞窟でも同じことが起きるとは。確かに、砂埃の多い場所だったなあ。
「まあな……あ、そういえばさ、時を移動するメンバー以外では、キーノ以来か。冒険を共にした仲間ってのは。俺の場合はドリストーン以来だから、随分久しぶりに感じるよ」
「私の場合はクロノを救出する時以来だから、そう昔ってわけじゃないけど」


 運ばれていたカクテルグラスを傾けて喉に流し込み、テーブルに置く。グラスの中の氷片がからん、と澄んだ音を上げた。ちびちび飲もうとしている私とは反対に、クロノはジョッキの半分を飲み干していた。乾いたイカの足を手づかみに二、三本取り口の中に放り込んでいる。私も木の実を乾燥させたつまみを適当に噛み砕いた。


「あんまり、冷えてないな」不味そうにジョッキを掲げながら、クロノは苦い顔をして舌を出した。「冷えてないビールとか、拷問かよ」
「そうなの? カクテルはちょうど良いよ。って言えば、どうせ『マールは味音痴だからな』って言うんでしょ」
「忘れてたよそのやりとり」と彼は答えた。「冷え具合に味音痴は関係ないしな」とも言う。関係無くもないんじゃないかなあと私は思った。「後で私もビール頼もうっと」
「やめとけよ、俺みたいに後悔するぜ」
「後悔したら、クロノに飲んでもらう」
「拷問が続くなあ」彼は既に、今日のこの店のビールは全てぬるいと決め付けているようだった。


 今回の冒険を少し想い返してみる。この時代にまだ残っていた恐竜人の文字。その文字が書かれていた紙を持った探険家のトマと一緒に誰にも知られていない島の洞窟へ入った。そこには原始の頃に存在していたティラン城があり、同じ恐竜人を食い漁って生き延びていた恐竜と戦い、七色に輝く貝殻を見つけ城に持っていった。これほどに荒唐無稽な話があるだろうか? これだけを聞くなら、それぞれに心躍るような出来事を切って貼ってしただけの陳腐な物語が完成しそうだ。
 陳腐、と片付けてしまうのが癪で、私は前言撤回、カクテルを一気に飲み干した。お代わりと一緒にお魚も注文する。クロノが便乗して「野菜も適当に頼みます」とカウンターに声を飛ばした。
 それと同じくして、カランカランとドアが開いた音が鳴る。客は店主に私と同じカクテルを注文していた。男の声だ。


「でさ、これからどうするよ。折角ハッシュの助言に従ったものの、特別パワーアップには繋がらなかったよな?」
「そうだね。でもさ、別にハッシュの助言は単純に強くなるってだけじゃなくてさ、それぞれの成長を促すというか、力じゃなくて心を強くする。そういうものもあるし、虹色の貝殻を手に入れたらパワーアップって事じゃないんじゃないの?」
「うん? ごめん、よく理解できなかった」悪そうに首を捻ったクロノ。うん、自分でも今の私の言葉はおかしいな、とは思った。ちゃんと整理しよう。ええと、
「ええとね。虹色の貝殻を手に入れた時点ではまだ終わってないんじゃないかな? って事。あ、そういえば現代にもあるのかな、私の城に虹色の貝殻は」
「そうだな、一応複雑な所有権だけど、家宝になってるなら四百年後でもあるんじゃないか?」
「だよね。確証は無いけど。なんてったって、四百年だし」
「資金繰りに困った家臣や歴代の王様が売り飛ばしたなんて事があるかもだぜ?」クロノの言葉に私は苦笑いした。


 虹色の貝殻は、見た目だけでも見事だった。売却するなら天井知らずの値がつくに違いない。気の違いで、いつかの時代で何処かの豪商に売られていてもおかしくはないか。仮にも王家の人間が明確な所有権を持っていない家宝(その時点で何かおかしいが)を売るなんて考えたくないけれど。
 下顎をすりすりして考え込んでいると、さっき入ってきた客が「隣良いか?」と聞いてきた。私もクロノもどうぞ、と促す。
 しばらく、グラスを傾けているだけで、会話の無い時間が流れる。すると、店の奥から流麗なピアノの音が聴こえてきた。窺い見ると、暇を持て余した店主がピアノを演奏していた。強面の店主に似合わず、指の動きは滑らかで、それだけで神秘的というか不思議な感覚がした。長年使い続けていたのか、ピアノはもうぼろぼろで、時折調律がずれているのか音を外しているのに、年季のある音は聞き心地の良いものだった。私たち三人の客は、耳を澄ませて目を瞑る。下種な勘繰りをするなら、もう注文せずに帰ってくれという店主からの遠回しの催促では、と考える事も出来る。が、その旋律は優しくて、帰ろうと思ってもまだここに留まり浸っていたかった。きっと店主からのサービスなんだろうと私は決め付ける。


「そうだ、聞きたいことがあったんだ」クロノが目覚めるように体を起こした。隣に座る、体中に包帯を巻いている男に顔を向ける。「良いのか? 城に預けたままで。家宝にするとか言ってるけど、あんたが言えばちゃんと返してくれるぞ」
「良いんだ。見つけた瞬間で俺の目標は達成してる。大事にしてくれるなら、むしろ願ったり叶ったりだ」目が開け辛いのか、片手で無理やり片目を開けて、閉じる。ウインクのつもりかな。
「ふうん」クロノは特に追求する気も無いのか、視線を机の上に置いて、腕を伸ばし鮮魚の切り身を一切れ口に放る。


 男は首を鳴らし、肩に巻きついた包帯を鬱陶しそうに睨んだ。動きづらいのだろう、今にも引きちぎりたいといわんばかりだった。というか、彼は包帯を千切って店のゴミ箱に捨てた。焼け爛れたような跡はあれど、傷は塞がっており、痛みも無さそうだった。
 彼はぺちぺちとその傷跡を叩いて、「良し!」と快方しつつある自分の体を褒めるように撫でた。その様子に、彼に痛覚は無いのではないか? とありそうにない想像をして、ありそうにないことも無いな、と思考を改める。


「なあ、マール」男は低い声で私を呼ぶ。「何?」グラスに入った氷で遊びながら、私は返事をした。彼は両肘を机につき、手の甲に顎を乗せて、楽しそうに言った。
「俺が次は、どんな夢を追うと思う?」
「さあ。世界一の美女とか?」暗にそろそろ良い人見つけたほうが良いよ? とほのめかした。
「残念だけどな、俺に見合う女性なんてそうそういねえんだ。そんな女性は、どんなに希少なお宝よりもレアだ。まあ、マールなら合格点やっても良いぜ? 月初めには必ず俺の下着を洗濯してくれればな」


 やっぱり、彼から夢を取り上げても、指紋や血液型の他にその軽口は残ると思うのだ。
 そんな事を思いながら、私は極上の断り方を探す為、自分の知識を広げた。


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