この先に王妃様が……という緊張感を持って、カエルが開けた扉の先を覗いてみると、大臣らしき男が疲れた顔でリーネ王妃に話しかけていた。
「覚悟はいいかなリーネ王妃? この世にさよならを次げる時間だ……って、リーネ王妃? 今大事なところだからこっち向いて? そのお菓子ならあげるから、ね?」
「よろしいのですか? では私としては心苦しいのですが、こちらのアーモンドチョコレートも所望したいのです」
「分かった、なんなら袋ごとあげるから、今だけ、今だけこっちむいてー……よし。では覚悟はいいかなリーネ王妃……リーネ王妃? お願いだから話を聞いてリーネ王妃、ちょっと、聞いてるのかリーネ王妃!! ああ、ぐずらないでぐずらないで、大臣が悪かった。確かにこんな所に連れて来られて怒鳴られたら怖いだろうな、うん。ヤクラ反省。……うん、分かったよそのマカデミアナッツのチョコもあげるから、ちょっとだけでいいから話を聞いて? ヤクラこういうのムードを大切にしたい奴だから」
「わーい、これほどの菓子は城では食べさせてくれませんでした。皆とうにょうびょうがどうとか言って止めるのです。その点最近の大臣は優しいですね、何を食べても怒らないのですから」
「わーいて。王妃がわーいて。あとリーネ王妃、そなた糖尿病の気があるのか? ならば与えるお菓子も控えねば……ああしないしない! だから泣くのはやめろ! ああ、私は駄目な親になってしまうのだろうな……」
カオスだった。
和訳すれば混沌だった。
俺はこのほのぼの空間についていけず、ルッカに助けを求めて視線を向けた。
ルッカは首を振って目の前の現実から目を背けるな、これが全てだ、という顔をした。
カエルは王妃様の姿を見たときから鼻血が止まらない。
「なあ、俺達いつ飛び込んだら良いんだ? いっそこれ俺達が帰っても良いんじゃないか? 王妃としても城に帰るよりここで大臣と暮らすほうが幸せなんじゃないか?」
「状況はさっぱりだけど、このまま放っておくと大臣のストレスが溜まって胃潰瘍になるかもしれないわ」
おいおい、それを理由に飛び込んだら俺達は王妃様を探すためじゃなく、大臣の胃を救うべくモンスターたちと戦ったってことになる。
どうやってテンション上げればいいんだ。
俺達が悩んでいる間にカエルは鼻血を出しすぎて貧血になりそうだった。もう俺はこいつに何も期待しない。
「!! お前達は! よくここまで潜り込んだな!? さては王妃を助ける為に来たんだろうそうだろう! やったぜ!」
大臣が驚いたような喜んでいるような、俺の気のせいではなければその割合は2対8位のようだが、そんな様子で俺達に気づいた。とりあえず顔のニヤニヤを止めてくれないか?ずんずん俺達のやる気が落ちていく。
「カエル! 一緒にお菓子を食べませんか? 大臣を誘ってもワシは甘いものが苦手で……と断るのです。一人で食べるより皆で食べたほうが美味しいのに……」
先ほどの王妃様と大臣の会話からすれば、多分大臣が王妃様をさらった張本人なのだろう。なんで一緒にお菓子を食べるなんて選択ができるのか? これが王族というものなのか? ローヤルセレブリティの欠片も見つからない。
「お、おおう……王妃様、御下がり下さい! 今からこいつをかたづけちまいますので」
王妃様に声を掛けられて悶えたのは丸分かりなんだからな? モンスターもどきが。
気だるそうに俺とルッカが前に出て大臣を囲む。今の気分は犯人の知っている推理映画を見るような気分に近いな。
カエルは剣を抜き、俺とルッカも各々武器を構える。準備は十全いつでも来いという状態なのだが、どうやら大臣と王妃様がなにやら言い争っている。
「ほら王妃、あいつらの言う通りこの部屋から出ていなさい」
「嫌です! ここから出れば私はまたお菓子を我慢しなくてはならない地獄のような生活に戻らなくてはなります!」
王妃様の中では地獄はえらく寛容的な所の様だ。
想像すると黒々とした金棒を持った鬼達が「お菓子が食べたいか……? ふん、ならばまずその食生活を改めるがいいわ! ハッハッハッ!!」とか言いながら緑黄色野菜を勧めるのだろうか? 頭が腐ってる。
「カエル! そしてその他のお二方!」
誰がその他だ。
「恐らくですが、私をここから連れ出そうというのでしょう! そんなことはさせません! もしどうしてもと言うのなら……私も、大臣とともに貴方達と戦います!」
「お、おおお王妃いいいぃぃい!?」
カエルが濁流のような涙を流し、膝から崩れ落ちる。
俺とルッカはその光景を見てやっとれんわと部屋から出ようとする。
なんだっけこの展開、バハムートラグー〇で見た気がするよ。
「待てええぇぇぇい!!」
扉に手を掛けようとすると、その前に大臣が息を切らしながら扉の前に立ちふさがる。老年ながらにそのスピードは素晴らしいんじゃないでしょうかね。
「お前達がいなくなればわしはこの空間に取り残されてしまう! あんな王妃マニアと頭のネジが飛び散った王妃をわし一人で相手しろというのか!?」
「私たち疲れてるの。そんな理由で立ちふさがらないでよ。ガチでダルイ」
「じゃあ分かった! そこのソファーで座ってて良いから! コーヒーも淹れるから! 大臣の淹れるコーヒー凄く美味しいから!」
「大臣がコーヒー淹れるの上手いってどうなのよそこのところ」
ルッカと大臣が言い争いを始めて一人残された俺はソファーで寛ぐことにした。 あ、この煎餅旨い。
「とにかく! 私は断固ここに残る決意を崩しません! 大臣、変身です! 早くモンスターの姿になって下さい!」
あの王妃大臣がモンスターと気づいていてもお菓子やらなんやらを要求してたのか。ああいう人間が王妃なんてやってるからフランス革命が起きるんだ。「パンがなくてもお菓子は食べなければなりません!」みたいな。「お菓子だけで十分ですよ」みたいな。後者は関係ないか。
「……ねえ、王妃もああ言ってることだし、変身して私たちと戦ったら?」
「た、戦ってくれるのか!?」
「そうでもしないと収集つかないでしょ。戦ってもつくかどうか分からないけどね」
「そ、そうか! 恩に着るぞ娘!」
大臣は扉から離れ、カエル、ルッカ、俺の三人を見据える位置まで走っていった。
「キャハハ! 無駄無駄! ここからは誰一人として帰さぬぞ!!」
ほっとした顔からやおら凶悪そうな表情に変わり、俺達に宣戦布告の言葉を吐いた。
「そうです! 今日から皆でこの修道院で遊んで暮らすのです!」
「違うのです!!」
王妃の言葉遣いがうつりながら大臣が否定する。やめてくれないかな、ここまできてグダグダな感じを出すのは。
「ねえクロノ、これ本当に王妃様とも戦うのかしら?」
「多分。まあ怪我させないように適当に気絶させればいいんじゃないか? 不敬罪とかそんなん知ったこっちゃねえよ」
ソファーから立ち上がり刀を抜きながら大臣達に近づいていく。
「王妃いいいぃぃぃいぃいぃぃ!! リーネたああぁぁぁん!!!」
この生ごみ何曜日に捨てればいいんだっけ?臭い上に煩いとか工業廃棄物もんだよ。
「ハッ! カエルふぜい……ええと、お前の名前を教えてくれ」
「あ、クロノです。はい」
「そうか! クロノふぜいが! きさまらから血祭りにあげてくれるわ!」
カエルと会話するのは無理と判断した大臣は俺とルッカを相手にする事を決めたようだ。不憫な。
「大臣チェンジ!!」
大臣は手に持った杖を高く掲げ、朗々とした声を張り上げる。
すると、大臣の背中が盛り上がり、肌の色がどんどん黄色になっていく。
爪は鋭くとがり、皮膚という皮膚がデロデロと溶けていく……もう、お好み焼きは食べられない。
「ヤクーラ! デロデローン!」
その言葉はギャグなのか切ないくらいにセンスがないのか、とにかく大臣の変身は終わった。
背中が盛り上がって、四足歩行で、全体的に楕円形の体格で……亀とモグラを足したみたいだ。
そして、なによりでかい。
今までのモンスターは大概俺達と同じくらいか、少し大きいくらいだったが、この亀モグラ、俺達の二倍はある。人間時の印象で弱いと思ってたのだが……これやばくないか? 勝てる気がしない。
俺とルッカが戦慄していると、カエルはまだ「リーネたまぁぁぁ!! ……ハァハァ」とか言ってたのでルッカがハンマーを投げてこっちの世界に呼び戻した。
近づいてきたカエルの言葉は「王妃に当たったらどうする!」だった。お前が俺の仲間だったときなんて、一度もなかった。なかったんだ。
俺の沈痛な表情に気づかず、リーネ王妃捜索隊と、大臣・リーネ王妃タッグとの戦いが始まった。何か矛盾してるよね、絶対。
星は夢を見る必要はない
第五話 プライドは安ければ安いほど良い。けれど、決して無くしてはならない。
「行くぞ貴様ら!」
「ええ! 私たちの未来の為に!」
王妃が大臣の言葉を引き継ぐと、とても悲しそうな顔をしたが、大臣は大きく跳躍しルッカに圧し掛かろうとした。
すぐにルッカは今いる場所から右に転がり避けたが、大臣の圧し掛かりは石製の床を砕き、破片を辺りに散らばらせる。
「こ、こんなの当たったら即死ね……」
ルッカは喉を鳴らし、隙を作らないように大臣の一挙一動に注視した。
さて、俺とカエルはどうしているかというと……
「はっ! てや! せえい!」
王妃の格闘に手一杯だった。
「おいカエル! これ本当に王妃か!? どう考えても今まで戦ってきたモンスターより強いぞ!?」
「本物だ! 言っておくが王妃はガルディア城の中で騎士団長とタメを張るほどの戦闘力を持っているんだ! 特に対人戦においてはガルディア一と言われる……」
「そんなもんを王妃に据え置くなっちゅーんだ!!」
相手は王妃。流石に殺すわけにはいかないと武器は鞘に入れて戦っているが、それを差し引いても強い!ルッカの援護どころか、二人掛かりでも勝てるかどうか……
なにより、カエルの奴が今一つ本気じゃない。こいつの王妃第一主義は分かっているが、このままではあの化け物大臣にルッカがやられてしまう……こうなったら。
「カエル! お前はルッカと協力して大臣を倒せ! でないと全員この修道院で暮らすことになっちまう!」
「……王妃様と一つ屋根の下……ハアハア」
「この戦いが終われば次は貴様の命の灯火を消し去ってくれるからな」
俺の説得が通じて、渋々隙を見てカエルがルッカの加勢に回る。
さて、ここからが問題だ。俺と王妃では覆しがたい力量の差がある。
ここは勝つことではなく凌ぐ事を第一に考えて、カエル達が大臣を倒すことを期待しよう。
「遅いですよその他の方!」
「あんべらっ!! ……げほ、げほっ!」
掌底一発、俺は一メートル程吹っ飛び咳き込んだ。
「スピード、経験、予測、腕力。その全てが勝っている私に武器を持っていようと貴方が勝てる道理はありません。諦めてこの修道院で暮らしましょう。ちょうどトランプをする相手が欲しかったのです。あ、私ばば抜きしかルールを知らないので教えて下さいね」
「……残念だけど、俺はセブンブリッジしかルールを知らねえんだよ!」
出来るだけ低姿勢からの突き。飛んで逃げても左右に避けても後ろに飛んでも追い討ちは可能! さあどう出る!
王妃は俺の考えを読んだのか、少し失望した顔を浮かべた。
「左側面に隙、続けて右下半身にも隙」
「がっ!!」
俺の突きを左右上後どの方向にも避けず、左前に飛び込んで避け、俺の左目に虎爪、右膝にキック。それをほぼ同時にこなしていた。
ちっ、左目はしばらく見えないな……右足は動けないほどじゃないが、走るのは無理か……つまり距離を稼ぐのは不可。
「次で決めますね、その他の方」
「……クロノだ、いつまでもエクストラ扱いは凹む」
「はい、その他の方」
どこまでも苛々させる王妃様だ。
ちら、とカエル達のほうを見ると、劣勢ではないが、優勢でもない。勝負はまだ決まりそうにないか……
王妃が腰を落とし、左手を腰に、右手を前に出す。……拳法の型、か?
「案ずることはありません。ただの縦拳です。崩拳や、散拳といった高等技術ではありませんよ、ただの基礎です。ですが……」
そこで一度区切り、ずっと笑顔のままだった王妃の顔が、真剣に、相手を倒すものへと変わった。
「私はこれだけなら、縦拳だけならば、あらゆる世界で私が、私こそが極めたと豪語出来ます。加減はしますが、当たり所が悪ければ内臓が弾けますので、頑張って下さいね」
頑張って下さいね、の部分だけ笑顔になられてもこちらとしては反応に困る。
しかしこの王妃、本当に化け物だ。この腕前なら今まで俺達が戦ってきた修道院のモンスターを蹴散らし、一人で楽々と帰ってこれるだろう程に。
……帰らなかった理由がお菓子食べ放題とは、頭がおかしくなりそうだが。
「……俺も一つ、必殺技ってやつを見せようかな」
俺の得意中の得意技、回転切り。
遠心力と斬撃の速さで、今まで戦ったモンスターに反撃を許さなかった自慢の技だ。万一、これが破られたなら……
「……万一なんて考えてる場合じゃねえな」
「覚悟は決まりましたか?」
「ああ、……かますぞ、王妃ぃぃ!!」
深く息を吸い込み、右薙ぎに剣を払う。
初速は完璧、足の置く位置も、腰の使い方も、肩の力の入り具合も全てが上手くいった。
……しかし、それら全てを上回る、拳速。
気づけば俺は、部屋の壁に叩きつけられていた。
最初痛みは何も感じなかった。ただ、立ち上がろうと体に力を入れた途端、激痛という言葉ではあまりに優しすぎる痛みが俺を襲う。
「あ……あ、あ……」
吐きたい。頭がそう命令しているのに、体は言うことを聞いてくれない。
そもそも俺に体が付いているのか? 腕も足も、胴体ごと吹っ飛んだんじゃないのか? その前に、俺は生きているのか? 生きているなら何故俺の思うように動かないのか?
自身問答を繰り返していると、王妃が上から俺を見下ろしていた。
その目は冷たく、弱者に向けるそれそのものだった。
「カエルが連れてきたことだけはありますね。よく頑張りましたよその他の方。ですが……貴方は戦いを知らない。幾度モンスターと戦っても、何度となく生死をかけた戦いを繰り返そうとも、貴方は、戦うという行為を知らないのです……貴方は今この戦いに何を賭けていますか?」
何を? ……確か、マールを助ける為に……
「マール? ……その子のことは知りませんが、そうですか。マールという子の為にですか。でもそれはこの戦い限定の目的ではないでしょう?」
何言ってるんだ? 分かりづらいんだよ。王妃様ならもっと分かりやすく言えよ……
「貴方がこの戦いに負ければどうなりますか? ……そうですね、マールという子を助けられなくなりますね。……でもそこには他人の為の理由しか存在しない。貴方自身、それのみの目的、理由がない。もう一度考えてみて下さい。貴方はこの戦いに何を賭けていますか?」
マールの為、それ以外の理由? ……ルッカを守る為? それは『誰か』の為であって、俺『だけ』の理由じゃない。カエルははなから除外。
……なら、それは……
「このまま戦いが続けば、大臣はカエルたちに負けて、私も戦う理由がなくなり降参するでしょう……そうすると、負けたのは誰でしょう? 大臣は負けた。でもそれは二対一というハンデを背負ったものです。……フフ、人間とモンスターという種族間の優劣を無視してますけどね」
なんだよ、何が言いたいんだテメェ……
「貴方は私と『一対一』で負けた。互いに『人間同士』で。……貴方は私に負けたまま、マールという子を『助ける』ことになるのですね」
…………ああ、そうか
「ごめんなさい。もうお菓子食べ放題の夢が閉ざされるからと、意地悪を言ってしまいました。それでも貴方はその年齢にしては頑張りました。そこでゆっくり休んでいて下さい」
「………待てよ、王妃」
かすれた、弱弱しい声をカエルたちの方へ歩いていく王妃に飛ばした。
あまりにか細い声は四メートルという果てしない距離を泳ぎきって、王妃の耳に届く。
王妃はまだ喋れるのですか、と少しだけ驚いた顔を見せた。
覆しがたい力量の差?
凌いで時間稼ぎ?
カエルたちが大臣を倒すのを待てば良い?
……無様だ。ダサ過ぎる。
「王妃……俺がこの戦いに賭ける物……それは」
刀を支えにして立ち上がる。
右手が痛くても問題ない。
足ががくがく震えていても問題ない。
視界は揺れるし、今更になって喉の奥から血が溢れ出てくるけど、一切問題ない。
刀の鞘の切っ先を王妃に向けて、俺『だけ』の答えを進呈してやる。
「俺だけが持つ、俺だけのプライドだ」
「……そうこなくては。楽しくなりそうですよ、クロノ」
さあ、これからが『戦い』だ。
今からこそが『戦い』なんだ。