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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第三十五話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/02 16:08
 誰もが俺を見ていた。いつもは、胡散臭そうに顔をしかめるだけか、あからさまに無視するだけの門兵が俺の一挙一動を見ていた。気分が良い。気分が良い。でも頭が痛い。
 誰もが俺に向かって叫んでた。いつもは、碌な反応を返さない俺に話しかけるなんて、ましてや大声を上げるなんて一度も無かったのに。気分が良い。気分が良い。でも頭が割れそうだ。
 あいつが俺を見ていた。いつもは……あれ? あいつはいつも俺をどんな風に見てたっけ? どんなんだっけ? あいつは俺に話しかけたっけ? 話しかけてきた気がする。サイラスの隣にいるだけの無愛想な俺に笑顔で話しかけてきた気がする。最低限の、むしろ最低限を下回るくらいの無礼な態度でいる俺にあいつはニコニコと話しかけてきた気がする。その度、周りの兵士が苛々していたのを覚えてる。それくらい、嫉妬されるくらいにあいつは馴れ馴れしくしてきた覚えがある。
 俺は、剣を向けた。あいつに剣を向けたんだ。これ以上無いくらいの殺意を剣先に乗せて、大きな声で「貴様を殺す」と明言したんだ。それが聞こえたのか聞こえてないのか。あいつは……王妃は顔をくしゃ、と崩して走り寄ってきた。
 怖かったんだろうか? いきなり城に押し入ってきて剣を振り回す化け物が怖かったんだろうか? それでは辻褄が合わない、怖いなら、逃げるべきなのだ。人外の、薄気味悪い化け物に近づく意味が分からない。剣だぞ、切れるんだ殺せるんだ殺そうとしてるんだ。とびっきりの憎悪を向けてるんだ。何で俺に近づいてくるどうして俺に手を伸ばす俺の背中に腕を回す!
 良いだろう、自らに殺して欲しいと言うならば願ったり叶ったりだ。今この瞬間にも呆然としている王や兵士どもに見せ付けてやろう。貴様らが守ろうとする王妃の鮮血を見せてやろう。王が愛して、兵士が尊敬して、民が慕って、サイラスが───としたこの薄汚い雌豚を解体してやる。それが出来る武器を俺は持っているそれをしても構わない動機が俺にはある。
 片手に携えた長剣を持ち上げて、腹部に突き刺そうと力を込めた瞬間、王妃は誰も美しいとは言わないだろう醜く歪んだ顔を俺に向けた。


「生きてて良かった……グレン」


 ──俺は、何故ここにいるんだろう。教えてくれないか、サイラス。お前は俺を導いてくれただろう?
 花の冠は無いけど、きっとまた作って見せるから。






「……夢か」


 驚くべき事だと思う。まさか、歩きながら夢を見るとは。それだけ自分は参っているという事なんだろうか。
 参ってる? どっちが? 体が? 心が? 風が俺に聞いてくる。気のせいか、その輪郭は笑みに見えた。好奇心をさらに意地悪く変えた嘲り。それらを掻き消すように、俺はグランドリオンを強く空に振った。魔物を切った時に付着した血液が舞い散った。しまった、拭き取る事を忘れていた。このままでは錆びてしまうかもしれない。


「錆びているのは、剣だけか?」


 自分で自分に言ってみる。風の声だと思っていたが、どうやら俺は独り言に際悩まされていたようだ。独り言だと気付けないくらいに、俺は疲弊しているのか。『体が? 心が?』
 頭が痛い。頭が痛いけど、止まれない。止まりたくない。だって、もしここで立ち止まれば全部終わる。勝負だなんて言い訳までしたのに、そこまで無様を見せてあいつらを捨てたのに。覚悟を決めたのに無駄になってしまう。
 失いたくなかったのに。久しぶりに出来た仲間なのに。失った、もうあいつらは俺を見てくれない。自分でも不器用だと理解している俺をからかってもくれない。
 ルッカは自分勝手で暴力的だけど、付き合っていて悪くない心地よい人間だった。
 マールは単純だけど、泣き虫だけどそれをひた隠そうとする勇気があった。とても、眩しかった。
 ロボは誰にでも懐いていた。妙に自分を大きく見せようとするが、それすら微笑ましかった。
 エイラは一応、女性である自分から見ても可愛かった。とんでもないドジを働かれたが、許せるほどに。
 クロノは……クロノは。


「クロノ……は」


 あいつは。一緒にいて心地よいと思った事は無い。いつも隙あらば俺を馬鹿にしようとしてきた。勇気だってあるのかどうか、臆病と言ったほうが正しいだろう。大きく見せようと背伸びしている姿も滑稽、可愛い? 馬鹿な、鬱陶しいの間違いだろう。強がってると思えば急に泣きついてきたり、かと思えば誰かの為に命を捨てたり、約束もまともに守れない奴だ。
 いつも思ってた。うざったい、と。近寄るな、と。弟子? 破門だ、破門。あんな奴、嫌いだ。苛々するんだ。アイツの笑顔が、妙に優しいところとか、俺をからかうところとか彼にだぶってしまってムカムカするんだ。あいつなんかいなくていい、あんな奴を蘇らせるくらいなら……くらいなら。


「嘘だ……嘘だ!!!」


 目の前にある岩肌に剣を鞘ごと投げつける。振動で上から積もった雪が落ちてくる。グランドリオンには覆い被さるのに、俺の頭上にはまるで落ちてこない。ははは、雪すら俺を嫌悪するのか。触れることすら嫌がるのか。
 ──楽しかった。守りたかった。サイラス以来だ、守りたい男なんて。王妃様以来だ、守って欲しい人なんて。
 そうさ、守って欲しかったんだ、きっと。知らなかったけど、確信は無いけど。魔王と戦った時に必死にクロノを守ったのは。古代で彼を慰めたのは。いつか俺を守って欲しいから。酷い話じゃないか、その『いつか』の際に俺はこう言うつもりだったんだ。「俺はお前を守っただろう、今度はお前が俺を守れ」と。
 気付きたくなかった。俺が、グレンが守って欲しいと軟弱な考えを持っていることに。分かりたくなかったから殊更にアイツを守ったんだろう? アイツに出来るだけ弱味を見せたくなかったんじゃないか。上位に立とうと気を張ったんじゃないか。
 何で俺はアイツに守って欲しかった? 決まってる、俺はクロノの後ろにサイラスを見たんだ。代わりだったんだ。クロノが俺を守るという事は、サイラスが俺を守るという事。そういう事にしたかったんじゃないのか?もう叶わない理想に手が届くと勘違いしたんだろう。俺もルッカと同じだ、俺はクロノに身勝手な期待を寄せたんだ。


「……なあクロノ、清算してくれ。俺はお前を守っただろう? お前が泣いてるときに涙を止めてやったじゃないか。だから今度はお前の番だ、俺を助けてくれよ」


 …………なんで、応えてくれないんだ。そんなの勝手だ。俺も身勝手だけど、お前も身勝手だ。助けたら助け返すのが普通じゃないか。手を差し伸べるのが礼儀じゃないか。死んでるから助けられないなんて言うなよ? そこまでサイラスと同じじゃなくて良い。彼も苦しむ俺を助けなくなってしまった。
 ──俺がいたからか? 俺がお前と出会ってしまったから、サイラスと同じに死んでしまったのか? 俺がサイラスを被せたから、サイラスと同じに死んだのか? 俺が頼る人間は皆死ぬのか? だったら王妃様も死ぬのか? 俺は……そうやって生きていくのか?


「い……嫌だ、嫌だぁぁぁぁ!!!!!」


 頭が雪に埋もれる。自分でも、何故こんな行為に出たのか分からない。狂ったのか? 冷静な部分が予想する。違う、違う! これは頭を冷やしているだけ、少しおかしくなった頭を落ち着かせようとしているだけ。あれ? おかしくなったって、自分で言ってるじゃないか。
 口は、頭の言う事を聞いてくれず「嫌だ」を連呼している。それ以外に言葉を失ったみたいだ……そんなの、馬鹿みたいだ。
 だって、嫌じゃないか。俺はもう誰にも頼れないのか? ずっと勇者であり続けないといけないのか? 勇者って、そういうものなのか。じゃあ勇者なんかいらない。自己犠牲して、誰かの為に自分を抑えなければならない勇者なんて嫌だ、手段があるのにサイラスを生き返らせないなんて嫌だ。でも……クロノに会えないのも嫌だ。皆一緒で良いじゃないか。皆が生き返ればいいじゃないか。そうすれば、また俺は旅が出来る。格好付けて、泣き出した仲間を宥めて、「仕方ないな」とか言って、いつものカエルでいれる。
 ……そう、カエルでいられるんだ。でも俺はグレンでもあるんだ! クロノたちと出会えたカエルも大切だけど、サイラスと一緒にいたグレンだって取り返したいんだ!
 なあ、助けてよクロノ、お前は皆助けただろう? 誰かの為に自分を出せるんだろう? じゃあ俺にもくれ。代わりに勇者をあげるから。こんなもの俺はいらないから。助けてくれ、助けろ、助けて、助けてよ!!


「私を……助けてよ」





「私じゃ、力不足かな、カエル」


 久しぶりに、自分以外の人の声を聞いた。












 洞窟の外は広々としていた。洞窟自体狭い空間だった訳では無いが、やはり遥か遠くまで見通せる点では段違いだ。深呼吸をしてしまう。あまり違いは無くとも、視界に入る雪景色と合わさり、気分が良い。
 風の影響か頭上に満ちる雲が僅かに裂けて、初めて山の頂を見ることが出来た。目測だけれど、凡そ七合から八合目、という辺りに着いたのだと分かる。魔王も同意見らしく、「もう少しだ」と呟いた。
 達成感と共に、不安も漲る。私たちがここまで着いたのなら、カエルはとっくに頂上に着いているのではないか? という考え。もしも、彼女が既にサイラスさんを呼び戻し、クロノを生き返らせることが出来ないとなれば、正気でいれる自信は無い。もしかしたら、サイラスさん共々カエルを殺してやろうと思ってしまうかもしれない。考えたくない、事態だけれど。


「そういえば魔王。時の卵を孵すには頂上に行かないと駄目なの? なんとなく、向かってたけど」私の発言に魔王は少し困惑したように身を揺らした後「……知らぬ」と洩らした。肝心な時に役に立たないと言ってやれば、彼は怒るだろうか? 落ち込むだろうか? 半々だと結論する。


「まあ、行ってみるしかないよね」


「道理だ。思考に没頭するのは奴から時の卵を奪い返してからでも遅くないだろう」


 彼の言い分に、現金だなと思考するのも、後にしたほうがいいんだろうな。
 球技すら可能な広場を抜けて、幅の狭い道を通り抜ける。山の下を覗きこめる為、二の足を踏みそうになるも、せっつかれるように背中を押す魔王により私は意を決する前に足を震わせながら危険な道を過ぎた。有難いとは思わない。むしろ、ぶん殴りたい衝動に襲われた。
 大体、魔王は卑怯なのだ。有り余る魔力によって彼は地に足をつける事無く常に浮いている。浮遊しながらの移動なのだ。戦闘時には流石に魔力を全て戦いに回しているので、浮いてはいないが。それなら、こんな足場の悪い場所でも怖くないだろうし、足が疲れる事もないだろう。それは彼の魔力量が膨大な為、ひいては彼が絶えまぬ修練をこなしてきたからなので、ズルと言うのは見当違いなのかもしれないけど。


「私も飛びたいなあ」


「飛べばいいだろう」崖下を指差しながら魔王は言った。冗談を言いそうに見えない顔してるんだから、そういった戯言は勘弁だ。


「言い換えるよ、浮きたいなあ」


「浮けばいいだろう」魔王はあくまで指の方向を変えない。死にたいなあ、と呟けば彼は鎌を取り出して死ねばいいだろう、なんて軽々抜かすのだろうか。今一つ、彼が私を嫌っているのか、冗談を言い合えるくらいに仲良くなってるのか、判別できない。もう少し優しくすればいいだろう、と睨みながら言ってやりたい。
 もう、彼に話しかけることはせず、先に進む。山は八合目から辛いのだ……と何かの本で読んだ気がする。私は登山用の本なんか読んだ覚えが無いから、記憶違いかもしれないが。もしかしたら、何かのスポーツの話かもしれない、試合は勝負が決まってからが辛いのだ、とかなんとか。それでは勝負は決まってないじゃないか、と愚痴を洩らした思い出はよく記憶に残っているので、それが正解だろう。まあ、試合も登山も似たようなものだ、と私は自分を誤魔化してみる。今度は私の考えている事を読まなかった魔王は、「無理があるぞ」と指摘しなかった。






「無理があるな」魔王が呟いた。彼の目の前には、高く聳える崖。今までにも数多く登ってきたが、私たちの邪魔をするそれは比べる事も出来ないほどの、鼠落としのように半ばが削り取られた、登り様の無い崖だった。


「……魔王一人なら、なんとかなるかもしれないけど。私にはきついかも。ねえ、私を抱えて運ぶっていうのはどう?」正直、男性である魔王に抱かれ飛んでいくのは抵抗があるが、そんな事で歩みを止める事は出来ない。嫌そうな顔を隠して、なるべく平坦な表情を心掛けて提案する。
 しかし、魔王は私の苦労を嘲笑うかのように、誰の眼にも明らかな不満顔を見せた。嫌で堪らない、という表情だ。


「私の浮遊魔術は、私個人のみを運ぶように駆使している。運搬は出来ぬ」


「運搬って……荷物みたいに言わないでよ」嘴のように口を突き出して不平を述べると、「そのものではないか」としたり顔。それは、私が役立たずだと言いたいのか、私が酷く重いと言いたいのか。前者ならば反省しよう。後者なら懺悔しろ。


「そんな事言うけど、どうせサラさんなら抱き上げて運ぶんでしょう?」想像で、彼の大切な人だろう名前を挙げる。言った後、私は自分がいかに酷い発言をしたか気付き、しまった、と口に手を当てる。傷ついて……しまっただろうか?
 私の考えは杞憂に終わる。魔王は何を言っているのか本当に分からないという面持ちで、「貴様は自分が羽よりも軽いと思っているのか?」と皮肉にしか聞こえない真言を渡される。魔王はサラさんが羽のように軽いと信じているのだろうか? 現代にある病院を紹介しようと、私は決めた。前にクロノから良い精神病院があると聞かされた事がある。予約があるから何日か待たされるだろうけど、その間は皆で彼を看病してあげよう。


「ねえ魔王、ちなみに私の体重いくらか知ってる? 知らないよね。想像でいいから当ててみてよ」内心でたっぷりと嫌味を呟いた後、私は彼が立てた私の体重予測を聞いてみることに。魔王は、正しく興味がありませんと言わんばかりに気だるそうな声を上げた。「四十後半というところだろう」私は体を逸らし、勝ち誇った顔で勢い良く体を前に倒し両手を交差させる。


「ブーッ!! 正確には言わないけど、もっと下だよーっだ!!」下らない事と笑うなら笑え、思春期の女の子に重いは街中でテロ宣言をするに等しいのだから。


「気を遣ってやったのだ、贅肉女」


 ──良いだろう。王女とは何か? ただ習い事をこなし、世継ぎの相手を探すだけが役割だと思うな。時には外敵を蹴散らし己が身を晒して兵士たちを鼓舞する存在だと知れ。私は拳を刃に、足を軍馬に、弓を断罪の雷に変えて貴殿を葬ってやる。案ずるな、墓標は立てる……っ!!


「贅肉なんか無い──ッッ!!!」


 裂帛の気合を入れて、狼の咆哮を思わせる叫びを戦友に、私は眼を怒らせて飛び掛った。許さない、彼は点けてはいけない言葉の導火線に一斉に着火したのだ。城を出てからよく動いてたから贅肉は減ったんだ。乳母に「王女様はよく動く割にふくよかですねえ」とか言われてた頃の私とは二味も三味も違うのだから。人は、成長するんだから。


「ていうかルッカとかエイラとか女性時のカエルとかが痩せ過ぎっていうかルッカなんかもう痩せ過ぎて胸部に栄養廻って無いじゃんエイラとカエルは無視無視何あれなんであんなに馬鹿力なのに腕細いの足だって鹿みたいで羨ましいっていうか男性陣だってロボもクロノも貴方も何それ何なの何食べたらそんなに細くなるのササミとか毎日食べてカロリー制限してる私が馬鹿みたいっていうか太股の肉はどうやって落とせばいいのよとかそういう怒り云々を込めたパンチーッッ!!!」


「ていうかが多いカウンター」肩を回し投石器を頭に浮かべた私の全開パンチは魔王の長い足を前に出されただけで全てが終わった。疾走しながら飛び込んで顔面を狙うという単純過ぎる攻撃は反撃に弱いという事が分かった。鳩尾が痛い。女の子に暴力を振るうなんて超外道。魔王嫌い、私。


「私がたまたま足を出したら貴様が突っ込んできただけだ、肉達磨」


 いつか……いつか必ず魔王の薄ら笑いを浮かべている顔面を陥没させて固定してやる……っ!!


「げほっ……ケアル……」


 何故死の山に来て初めての治療呪文が仲間を襲った時に喰らった反撃の治癒なのか。正直、泣きたい気持ちで一杯だった。
 ぐるぐると忙しなく廻る胃が正常になったところで、もう一度頭上の遥か先まである崖を見上げる。頂上と思わしき場所はここを登らないと辿りつけないように思えた。
 都合良く、梯子の類でも持ち合わせていれば魔王に先に上ってもらって梯子を下ろしてもらう、なんて事も出来たのだが、残念ながらそんな準備などしていない。壁に氷を作り、階段状にして登る事も考えたが、流石にそんな事が出来るほど魔力は残っていない。普通に使うよりも、使用方法を変えたアイスは結構魔力を食うのだ。崖を登りきる前に枯渇するのは眼に見えている。


「最悪、私が貴様を上に放り投げるという方法もあるが?」


「放り投げてどうするの? 壁に叩きつけられて終わりじゃないの?」いくら魔王でも、私を崖の上まで投げられるほど規格外な膂力を持っているとは思えない。つまりは、私の体が岸壁に当たり彼が愉快な想いをするだけに終わるという至極当然の予想が出来た。本気だったのか、魔王は「それもそうだな」と頷く。出来ると思ってたのか、彼は。天然だったとは恐れ入る。


「……ねえ、力技になるけど、この崖を魔力で壊して、登り易いように形を変える、とかはどう?」無理やりながらに、結構良いアイデアだと自分では思ったのだが、魔王は頭を指差して「雪崩が起きても良いのならな」と馬鹿にした。本当に魔王嫌いだ、私。過去、乳母のやろーに「王女様は数学も出来ないのですか、げんなりですねえ」と言われた事を思い出す。いい加減、彼女の暴言に頭にきていた私が注意したところ、彼女は酷く狼狽した様子で「出過ぎた事を言いました。王女様が分からないのは算数でしたね」と言い直された。そうして私はガルディア王家の権威は地に落ちていると危機感を覚えたのだ。彼女は今も現代で私を馬鹿にしているのだろうか? 魔王に対する怒りも含めて、今度会ったら遠慮なくクビを申し付けてやる。


「あー……嫌な事思い出しちゃったな」


「貴様の過去などどうでもよい。どうするのだ? 私は貴様を置いて行っても構わんがな」そう言う魔王は、既に上を見据えて私を置き去りにしていこうとしているように見えた。まさか、こんな所で置き去りだなんて心細いにも程がある。私は断固阻止する為、それでも私のプライドを守る為、「行けば? そのかわり私大泣きするからね」と脅迫染みた言葉を投げる。


「……面白い」躊躇という概念をへその緒と一緒に落としてきたのか、彼は迷い無く飛び去っていく。
 ……超加虐体質、だと!? 端的に言い直せばドSだと……!? 彼を表す言葉は最低の一言に尽きる! や、そんな事を言ってる場合ではない! 立ち上がり、彼の足元に走る。距離が一メートルを切った辺りで空に向かって跳躍、雨を乞う村人のように両手を空に伸ばし、飛び行く魔王の両足を掴んだ。上下が逆だが、巨大な魚を釣り上げるように引く。釣り人は私、魔王が魚! むしろ鮫!


「放せ! 下種が!」


「私が下種なら魔王は!? 外道じゃない! 私を捨てるの? ねえ!?」


「貴様など知らん! 勝手に野垂れるが良い!」


「酷い! 信じてたのに!!」


 昔見た娯楽小説にこんな場面があったなあ、その本のタイトルは『愛の無い不倫』だった気がする。
 なんとしても私を振り落とそうとする魔王と必死に縋りつく私。搭乗人数を超えた救難船での1コマみたいに、みっともなく私たちは騒ぎ続けた。崖の上に登れるまで。
 いつのまにか、私たちは高く浮き上がり、既に登るべく思考していた高度を超えていたのだ。それに気づいたのは魔王。怒鳴りっぱなしだった彼が静かになり、高さを落として行った時初めて私もその真実に辿りついた。地に降り立った私たちは、実に微妙な空気が流れていた。どちらかが何かを言わねばならないのだろうが、二人とも喧々と悪口を言い合っていたので中々会話の糸口が掴めない。どう考えても彼に切り出す社交性が備わっているとは思えないので、私は息を呑んで、口を開いた。


「……運べたじゃん。私でも」


「お陰で……足が取れるかと思ったがな」どうしても私を重いとしておきたいらしく、彼は捻くれた口を利いた。「じゃあ聞くけどさ!」と前置いた上で、「魔王は何キロなの!?」と指差す。行具が悪いかもしれないが、悪い意味でもそんな事を気にする関係ではない。


「貴様が四十五付近だとすれば、そう変わらん」と私を絶望の底に叩き落してくれる。あれえ、私と魔王ってかなり身長差あるよ? 彼男だよ? 筋肉もありそうだよ? ダイエットなんかしそうにないよ? あれえ? ……ガリガリめ。細すぎる男は嫌われるんだから! 頼り無いとか醜いとか、ええと……たっ、頼り無いんだから! 決して女側が嫉妬するとかそんな理由じゃないんだから! …………胸、切り取ろうかな。そしたら体重軽くなるよね。
 ふにふにと自分の胸を上げ下げしていると、「無いものは無いのだ」と転んだ人間に砂を掛けた上踏みつけて唾を吐くような念入りな追い討ちをかます。私は今そういう事で悩んでるんじゃないのに……
 ……よし決めた。この鬱憤も怒りも堪えがたい欠落感も全てカエルに叩きつけてやる。俗っぽく言うなら、八つ当たってやる。素晴らしい考えだ、そういう目的として彼女を追うなら、難しい事を考えずに、様々な人間関係とか度外視して彼女を責める事が出来る。見てろカエルめ、魔王に強く出られない分(魔王って、性格悪いんだもん)彼女に請け負ってもらうんだから!
 そういう結論になるという事は、私も性格が悪いんじゃないかという正論は無視する。正論は正しいが、正しいだけでは嫌われるんだってクロノが言ってた。「だから俺は人が嫌がることでも平気で犯すのさ!」と言った彼は当時は気の毒な人だと思ったけれど、今思えばとても格好良かったと思う。後光が差している気さえした。


「……カエルは何処かなあ、もうすぐ会えるかなあ」


 私は、クロノには及ばないものの、世界で二番目にカエルの顔を見たいと心底願った。この胸の高鳴りはもしかして……恋!?
 非生産的だなあ、と内心で締めて心持ち強く足を前に出しながら、雪の中を進んだ。
 慣れはしないと言ったが、人間が凄いのか私が凄いのか、死の山の吹雪き過ぎる環境にも耐える事が可能となってきた。適応とでも言うのか。辛い事に変わりはないので些か語弊が生じるが。
 魔物対策として魔力を温存する心積もりだったが、その甲斐無く魔王が蹴散らしてくれるので遠慮なく足の豆や霜焼けといった気になる程度の症状に治療呪文を使えるようになった事もその理由に当たるだろう。敵数が六を越えた辺りで魔王が取り逃がすこともあったが、そうそうそんな数の魔物が襲ってくる事は無い。一、二匹の魔物ならば、声を上げる前に魔王が葬ってしまう。見ているだけで身震いするような、残酷な強さ。誰かに「彼一人で一国を潰せる」と言われても、「分かってるよそんな事」と答えそうな位に圧倒的。単純に『強い』と言う事が陳腐に思えてしまうほどに。


(……私が思う事じゃないんだけど)


 想像上で、魔王とカエルが戦う瞬間を夢想してみる。格闘戦、剣戟の結果ならカエルにも分があるだろう。『にも』という言葉で分かるだろうが、有利という事では無いが。魔法戦では同じ土台に立つ事も許されない。状況判断力は? やはり魔王が一歩先を行っている気がする。では精神的な強みは? 適応力は? それらを総合すれば? ……勝負になるのかどうか、怪しいものだ。
 これはつまり、カエルが極端に弱いという訳じゃない。カエルは魔王を除いたメンバーならエイラと同じ……むしろカエルに分配が上がるのでないかと思う。と言っても、私が彼女の強さを見たのは数少ないので、これはクロノの評なんだけど。彼が「まともに戦り合えばカエルは今まで見てきた人間で一番強いさ」と答えていたから。私は「あの魔王も?」と聞くことはしなかった。無粋だし、その時はまだ魔王の言葉を出すのは憚られる気がしたから。
 あくまでも、ジールでの戦い振りだけを切り取った結果になるが(魔王城でも戦いを共にしたがいかんせん時間が短すぎるので割愛する)、私も無理は無い評価だと考える。なんせ、頑強な鎧を着た硬い肌を持つ魔物を一振りで三体切り裂いていた時は眼を疑った。豪傑、英雄といった響きが似合う姿だった。しかし……それでも魔王は桁が違う。
 実在する人物の呼び方として用いられた言葉、豪傑、英雄。それは人間というカテゴリー内で考えれば飛び抜けて優れているという事だ。魔王はその域に無い。カエルは全身を動かし渾身の力で三体の魔物を切り裂く。魔王は片手で五体の魔物を燃やし砕く。比較対象が余りに悪い。いうならば、どれだけ常識外に大きなミミズでも、象よりも大きいという事は在り得ないという事実と同じ。伸ばしても背伸びしても届かない領域なのだ。


「……現時点では、だけど」


「何だ」


「別に。何でもない」


 他意は無かったのだが、無意識に私は魔王を睨んでしまう。悪意あってじゃない。決意あっての事だ。
 人間は成長する。それこそ、無限に。私はそれを実感してきたし、この眼で見てきた。証明された。誰より弱かった筈のクロノが良い例だ、彼が強くなれて私がなれないなんて認めない。悔しいし。つまりは、カエルに勝てない……かもしれない私でも、魔王に勝つことが出来る時が来る、という事。同じ論でカエルも魔王に勝つ時が来るという帰結。乱暴だけど、目標と言うのはそうでないといけないのだ、うん。
 魔王とて万能じゃない。戦いに置いても必ず隙が……隙……が。


「ねえ、魔王って弱点とかある? 下段からの攻撃に弱いとか戦闘中は魔力がすぐ切れるとか」


「……真意を知りたいものだな、貴様の発言の」私はぱたぱたと手を振り、そんなの無いよー、と笑って見せた。少しの間向き合っていると、肩を竦めて魔王が口を開く。「私より強い者が弱点だ」と悠然と仰られた。思わず尊敬語になるくらい、様になっていた。


「……ずるくない?」私は口を尖らせる。


「ならば、問い返そう。強いとは何だ? また弱いとは何だ?」


 まるで禅問答のような問いに、貴方の質問の真意は何だ? またその理由は? と同じように返したくなったが、あまりに無為なものとなりそうで諦めた。と言うより、それを言ってしまえば短気にしか見えない彼が呆れて私を無視しそうだったから、が最も大きい要因であろう。


「強いっていうのは、勝つ事じゃない? その逆に弱いっていうのが負けるって事かな。言葉にしてみると、無情だけどね」質問が質問だけに、答えもまたシンプルになる。


「それもまた然りだろう。愚直な思考は間違いを遠ざける。だが、例えば……そうだ、喧嘩があったとしよう。六対一だ。数の不利を覆せず一の側が負けたとしよう。そいつは六人で戦った誰よりも弱いと断ずるか?」


 私は首を振って否定する。多対一という時点で、私は多の負けを主張したい。それは戦い(喧嘩に大袈裟な、と思うけれど敢えてこう言わせてもらう)ではなく、正に数の暴力なのだから。
 ……そうか。状況によって変わるなら、答えとしては不明確だよね。じゃあ、強いって何なの? 眼で魔王に答えをせがむ。


「然りだ、と言ったように、答えは単純だ。つまり、負けなければ強いのだ。弱いとは負ける事、それに異を挟むつもりはない」


「何それ? 違いが分からない」まるでとんちか言葉遊びじゃないか。怒るよりも呆れてしまう。「響きの違いか? そうではない。より分かり易く言うならば、認めるか否か、という事になる」


「えっと、それって『自分はまだ負けてない! 次こそ決着をつけてやる!』っていうよくある捨て台詞みたいな感じ?」


「……俗物め。だがまるで見当外れではない。下らぬ言い回しを頼るなら……要は気の持ちようという事だろうな」


 何処かで聞いたような気がする台詞を置いて、魔王は歩く事を再開する。諦めないことが大事なのだ、という格言だか名言だかの存在を知っているが、つまりはそういう事なんだろうか? でも、その言葉に真っ向から喧嘩を売る形で世に出回っている『諦めが肝心なのだ』という言葉もある。どちらが正しいのだろう? 沈殿物が浮上するように疑問が思いついて、魔王に聞いてみる。答えは「一般的には多数派の意見が勝つだろう」と今までの発言をぶった切るような、どっちらけのものだった。そんなの、数の暴力だ。


「それ言ったら全部終わりじゃん。ちゃんと考えてよ、まお……」


 あんまりな答えに文句を出そうと彼の前に回りこむと、風に乗ってとても聞き覚えのある声が届く。魔王も気付いたか、表情に変化が生まれていた。何かの鳴き声? それとも……泣き声?
 視界を反転させる。耳を澄ませると、やはり雪が音を吸い取っている為、物音の類は拾えない。谷風の音や、何処かで積もった雪が落ちる音を聞き間違えたという可能性は無い。答えは明瞭、私でも魔王の声でもない、それ以外の何かが作る木霊は……声は。言葉を発する事が出来る生き物は、今死の山に一人しかいない。


「……山頂? 山の天辺から聞こえる! 魔王!」


 私に言われる前に、彼は文字通り飛び去って行く。遅れないように、私も足を鼓舞して走り出す。今まで特に気にもしていなかった纏わり付く雪が鬱陶しい、いっそ辺り一面氷の床に変えてやろうかと思うほど。詠唱している間に一歩でも前に出るのが先決と分かっているので、わざわざそんな馬鹿な真似をする気は起きないが。
 ……溜息が出る。本当に、虚脱感すら感じてしまう。呆れるとか、もうそんな事じゃなくて疲労までどばっと顔を出して私に停止を求めてくる。思う言葉は唯一つ。馬鹿じゃないの?
 あれだけ威勢良く飛び出しておいて、言い方によっては裏切ったとさえ言えるような事をしておいてさあ、泣いてるとかどんな我侭。そんなのでクロノを弟子とか、私を子供扱いしたの? 頭にくる。やっぱりダメダメだ彼女は。分かってた事なのになあ、彼女を心の中でも褒めるとすぐに突き落としてくるってさ。エイラと同じくらい強いとか考えたから作動しちゃったんだ、スイッチが。
 良い年してるんじゃないの? 少なくても三十近いって聞いたよ? 精神年齢は。なのに、わざわざ山を登りきって泣いてるの? 自己主張が強過ぎやしないだろうか? そんな自分に悦に入ってるとかならぶっ飛ばす。
 ──でも、そんな怒りが霞んでしまうくらいに……


「もう……! 放っておけないお姉ちゃんだよね……!!」


 私は、彼女が心配なんだ。泣いてる彼女を想像して、涙が顔を塗らす程度には。






「私を……助けてよ」


「私じゃ、力不足かな、カエル」


 久しぶりに、魔王以外の人に声を出した気がする。












 星は夢を見る必要は無い
 第三十五話 クロノ・トリガー(後)












 向こう側に丁度太陽が見える美しい山の頂。近くの岸壁に寄りかかるようにしてカエルは項垂れていた。両手を頭に置いて、怒られる時間を耐える子供のように体を丸めて。しゃくり上げる時に揺れる体は小さくて、とても前に出て勇敢に敵を打ち倒すようには見えなかった。勇者ではない、普通の女の人……女の子がそこにいるのだ。付けた革の手袋は涙で光を反射している。マントを毛布のように、これだけが自分を守るというように体に巻きつけて、それは外界と遮断するみたく顔まで覆っている。靴はすでにボロボロ、履物としての用途を失っているように見えた。
 近くに倒れている人影……それは人ではなく、動かない人形。鎧を着ているように見えたそれは鎧ではなく布に赤銅色の彩色を為しただけのもので、背の高い、大人びた表情を浮かべたその人形は、ドッペル人形。カエルの家で見た写真に写っていた男性、サイラスさん。
 やっぱり……カエルはサイラスさんを。
 見計らったように、滞りなく降り注いでいた雪が止まった時カエルは驚きを含ませて慌しく声を荒げた。


「おっ……お前ら!!」立ち上がり、反射だろうか刀に手をやる彼女は虚勢でしかないとすぐに分かるものだった。急いで何か声を掛けろ、と背中を突かれる様な感覚を覚えてカエルの言葉に重なるか否か、というタイミングで私も「来たよ」と三文字の言葉を投げかける。出来るだけ軽快さを求めたそれは彼女の追い詰められた表情とは不似合いで、だからこそふさわしいと思える。


「あ……っ……」


 結局、『お前ら』しか言う事が思いつかなかったのか、そのまま声を曇らせてまた俯いてしまう。だろうなあ、という感想とそれだけ? という意地の悪い思いが両立している。案外底意地悪い私は後者を選んだ。「それだけ?」


「いや…………うっ……」


 ……しまったか。だろうなあ、では何も始まらないし、そもそも会話にならないと考慮したのだが失敗だったようだ、責めるつもりは『まだ』無かったのだけれど。
 ちょっとした交渉気分である私を無視して、魔王がずかずかと前に進みカエルに向かって行く。無遠慮に見える距離の縮め方は、無遠慮そのままだったのだろう。今の私たちの物理的な距離はカエルの保てるぎりぎりのラインだったのだから。


「ちっ、近寄るな魔王!!」思った通り、カエルはひきつった顔で剣を抜き魔王を牽制する。近づくな、という威嚇なのか、近づかないで、という懇願なのか、その境は曖昧だけれど。


「……卵を渡せ」


「貴様が離れるのが先だっ!! とっとと消えろ!!」


 癇癪を起こしてるカエルは、血走った目で叫んでいる。これ以上刺激すれば、どんな行動に出るのか分かったものではない。魔王も今の彼女が危険だと気付いただろう、それ以上近づくことは無かった。
 しかし、近づく足を止めてもカエルは尚も魔王に離れろと言う。対抗するように魔王は頑としてそれ以上の譲歩は許可しなかった。近づく事を止める、それが彼の最大限だった。
 次第に、カエルの言葉は変わっていく。「離れろ」は「消えろ」に変わり、「来るな」は「死ね」という乱暴なものに変化し……最後には「返せ」へと集束した。体を振って全身全霊を体現するように精一杯の声で彼女は魔王に迫っていた。例え、自分から近づく事は無くまた近寄らせないとしても、心は魔王の襟を掴み怒鳴っているのだ。


「返せ!! 今すぐ返せ! お前が取ったんだ、奪ったんだ! 大切だったんだ、掛け替えの無いものだったんだ!」


 ああ、嫌だ。この状況下で幻聴まで聴こえてきた。だって、カエルが返せでなく返してと言っているように聞こえるのだから、これは末期だと思う。彼女が遜るような言葉を用いる訳がないのに。


「最近になって……ようやく決着も着いてきたんだ! 自分なりに整理出来たんだ! でも無理だ、手を伸ばせば届くと言われたら、そんな覚悟も納得も全部消えた! 忘れられる訳無いんだ! 今でもずっと覚えてるんだ! サイラスの声も顔も温もりも! どんなに優しくしてくれたか、どんな言葉をくれたのか、どれだけ俺が救われたかも全部!!」


 ……なんて言ってあげたら良いのだろう。私には分からないし、持ち得ない。だって私はサイラスさんを知らない。話した事も会って彼を見た事も無い。どんな声なのか、どんな性格なのかどんな人が好きでどんな雰囲気でどれだけ……カエルが慕っていたのか。想像しか出来ない。なら、ここで私が慰めてもそれは嘘偽りでしかないじゃないか。同情の涙を流せば良いのか? 違う、だってそれは同情ですらない。同じ感情になるから同情なんだから。悪いけど、私は帰ってこれないサイラスさんを想って悲しむ事は出来ない。私の仲間に関わった事がある、架空よりも少し近い登場人物に過ぎないのだから。私、マールの物語に関わっていないから。


「なのに……こいつは動いてくれない。いっそ嘘なら良い! こんな卵はただの卵で、人が生き返るなんて嘘っぱちだと誰かが断言してくれれば、そうしたら……!!」嘆きながら、カエルは時の卵を取り出した。


 ……そっか、彼女はサイラスさんを呼び戻せなかったのか。その理由が亡くなってから時間が経ち過ぎているから、と推測したが、時を跨いでいる私たちからすれば関係無い事だろう。となればそれは……そういう事なんだろう。彼女はサイラスさんともう一度会いたい。でも多分、それと同じくらいに……それが私たちの事を想った上で、だとしても。
 だとすれば、私は彼女を慰める前に、励ます前に言ってやらなければならない。一歩、足を踏み出す。


「なんだかなあ」


 多少、腹に力を込めた、ぼやきと言うには少し大きい私の独り言はカエルの耳に届いたらしい。視線を上げていた。


「ちょっと食傷気味なんだよね、そういうの。私もそうだったんだから、棚上げだけどさ」


 いつだって、そうだ。私たちの旅は何処かで誰かがこんがらがって、思い詰めてそして……いざという時を狙って爆発させる。まるで見計らったみたいなタイミングで。私だって、クロノだって、ルッカだって……いよいよカエルだって。エイラや魔王、もしかしたらロボもそうなるかもしれない。前に進む。
 旅ってさ、そういうものだっけ? そりゃあよくある冒険譚を描いた小説や伝記なら見ているだけで怒り狂う場面や嘆くシーンがふんだんに散りばめられているのだろう。でないと、売れないし。でもこれは現実なんだ、誰も悩まず誰も悲しまず……なんて、それこそ現実なんだからありっこないんだけど。前に進む。
 だけど……現実ならではの夢を見てもいいじゃないか。前振りも伏線も知ったことじゃない。ホラーよろしく最後の最後でどんでん返しなんて無くていい。少しでも悲しかったら相談して、ぶちまけてもいいじゃないか。それだけ辛いなら……自分の行動を悔いる位なら最初から泣けばいいじゃないか。前に進む。
 仮に、カエルが私を頼ってくれたなら──そうならなかったんだから、そんなイフの話は無意味だけど──私はせめて、彼女の話を聞くくらいなら出来たんだから。それで心が晴れるなんて大言壮語を言うつもりは毛頭無いけれど、何かが変わった筈なんだから。そうして私はカエルのすぐ目の前に立った。


「……マール?」近寄るな! と怒鳴るでもなく、剣を振るうでもなく、カエルは捨てられた子供のように目を細めて、閉じかけられた瞳から、また新たな水跡が産まれていた。
 さて、何て言ってやるべきだろう? 大丈夫? 辛かったね? ……まさか。知らないくせに分かった振りをするつもりなんかない。だって私は悲しくない。サイラスさんが生き返らなくても、涙は生まれない。クロノやヤクラさんとは違う。会ってないんだもん。それをさも自分の痛みのように悲しむのは同情でも偽善的行為でもなく、自分を良く見せようとする利己的な、いやらしい考えだ。
 だから私は泣かない。泣かないし、彼女に優しい言葉をかけない。そう、私が彼女に言えるのは……


「一人で頑張りすぎでしょ馬鹿ーーーッッ!!!」


「ッッッ!?!?!?」


 言わせて貰うが、これは決して『一人で頑張る姿に心打たれて、その感動を隠す為に悪し様に言ってしまう』といった可愛いものでは無い。そもそも、カエルが一人で山に登った事よりも嫌味な魔王と二人で山を登った私の方が辛い気がしないでもないし。つまり、私がカエルに言いたいことを要約すると、『勝手すぎるじゃないかボケェ』だ。
 勝負だ! とか言って正々堂々を気取ったつもりか知らないが、いきなり斬りつけて卵を奪って一足先に走り出して……そんなの酷い。もうなんていうか、正気を疑うよ。


「サイラスさんを生き返らせたいなら言えばいいじゃない! 皆の前でさ!? そしたらちゃんと相談したよ!? カエルが一人で悩まないでもさ!」


「そっ……そうは言うが、お前やルッカたちが賛成したか!? する筈ないだろう! 所詮俺だけの願望なのだから!」


「うん、サイラスさんより私たちはクロノを選んだと思うよ、だって友達だもん」私は胸を張って言う。
 私のあまりの正論に言葉が出ないのか、カエルは口をパクパクさせた。それは実に両生類の蛙らしい動きだった。身も心も蛙になったのかな?


「ふざ、ふざけるな! お、俺は!」


「分かってる! サイラスさんが大事なんだよね!? でも私とエイラとルッカとロボと魔王はクロノを望んでるから駄目。世の中数の暴力が強いって魔王が言ってたから」正確には言ってないけど。
 どうだ! と宣言してやると、すぐ後ろで魔王が「私は特にクロノを生き返らせたいとは思わん」と憎たらしい。素直じゃないね、見るからに十代ではない風貌で素直だったら気持ち悪いけど。
 カエルを見遣れば、どうやら不満らしく鼻息を荒くして顔を真っ赤にしている。どこが鼻なんだか分からないけど、雰囲気だ、雰囲気。


「怒った? カエル」瓢瓢とした口振りを向けると、当然だ! と憤怒を露にする彼女は既に剣を抜いていた。なんだ、分かってるんじゃない。これからどうすればいいのか。


「だったら……力づくで謝らせてみなよ。その後サイラスさんを蘇らせればいいじゃない。私たちは邪魔しないからさ」


 私は単純であんまり頭が良くないから、勝負っていえばこういうものしか知らない。追いかけっこで逃げ切るか追いつくかで勝敗が決まるなんて、そんなの勝負じゃなくて遊びじゃん。原始のまよいの森でやったみたいな、鬼ごっこと一緒。そんなチープなもので人の生き死にを決めるなんて礼儀がなってない。戦いが礼儀正しいのかと言われれば困るけど。
 ……仮にこれでカエルが勝ってもサイラスさんが生き返ることは無いだろう。でも私はクロノを生き返らせない。私はサイラスさんを選ぶのだから。ルッカたちに何て言えば良いのか分からないけど、カエルとの約束を破ってまでしてクロノを取り戻しても、クロノは喜ばないだろう。
 そうだ、約束。カエルとする多分初めての約束。たかが口に出しただけの、吹けば飛ぶような軽い約束。それと同じくして勝負。賭け金は金銭の代わりにクロノとサイラスさんの命を置いて。いくら約束が軽くても賞金がそれなら破る訳にはいかないだろう……負けないけど。


「力づく……? マール、本気なのか?」疑りながらも、カエルの目は嘆きから徐々に獰猛な色に染まっていきつつある。吐き出したいのだろう、腹の底に溜まって泥濘と化した化け物を。その感情を。私は頷いて肯定した。冗談だよ、と言ったところで聞く耳持たないくせに、妙な儀礼的確認は必要無いよ。


「……で、カエルはどっちと戦うの? 流石に二対一は厳しいでしょ? 決着は一対一でつけようよ。気兼ね無いように、さ」


 カエルが誰と戦うことを望むか、答えは分かっている。背中の弓の状態は悪くない。油を塗ったし、少し弛んだ弓を張り替えたのもつい最近だ。拳は痛めてない、疲れた足は治療呪文で誤魔化した。射れるし殴れるし蹴れるし……勝てる!!
 指をカエルに向けて、次に私に向ける。はしたないけれど、掛かって来いという合図だ。調子は万全。負けは無い、それが例え中世に生まれた勇者であっても!!
 私の気迫を受けたカエルはゆっくりと口端を上げて腕を伸ばし、私と同じように指を突きつけた。


「ならば……決着を着けるぞ、魔王!!」私の後ろにいる魔王に。
 ──だよねー。そりゃあ宿敵の魔王を対戦相手に指名するよね、どこの馬の骨とも知らないたかだか生まれが良かっただけの王女様なんて相手にしないよね。はいはい分かってたよ分かってた。でも私がこうもやる気を見せて格好付けたのに無視とか。どんだけ恥ずかしいか分かってるんだろうかこのヤロー。行く手を見失う私の震える指先を見て何も感じないのかこのヤロー。
 とはいえ……ここで駄々を捏ねればそれこそ醜悪の極み。後ろを振り向き、カエルから離れていく。その際、両手を組む魔王を通り過ぎる瞬間、魔王にちょっとした作戦を話して、脇に引っ込む。


「蛙如きが私に挑戦か? 大人しくそこの小娘で手を打っておれば良いものを……死ぬぞ」


「……二度マールに手を上げては、申し訳が立たんからな」


 カエルは誰に、とは言わなかったが、謝るべき相手が誰を指しているのか明白だった。つまり、彼女はもう半ばは諦めているのだろう。サイラスさんの事を。
 ただ……納得がいかないだけで、所謂落としどころを見失っているのだ。このまま「生き返らせることが出来なかったから時の卵を返す」と口には出来まい。ならどうするか? 例え形だけでも勝負の結果、その末に、とせねば止まる事は出来ないのだ。
 全く素直じゃない。面倒な人だと思う。そして、それと同じくらいに頭が下がる。色々と名目を並べても、この勝負は芝居に過ぎない。カエル自身が勝利時の賞品を諦めかけているのに、ゴングを鳴らす理由は無いのだから。譲ることも託すことも出来ない故の、三文。死の山での最終決着はいとも下らないもので幕が下る。そんな稚拙なもので……終わらせてくれると彼女は了承したのだから。彼女が自分でもそれに気付いているのか、怪しいけど。


「女なんだろうなあ、カエルは」


 結局彼女は女らしいのだろう。切っ掛けが無ければ諦める選択を出せない、実に女性心理らしい行為。男が諦めが良いのかと言われれば閉口するが、女性は良くも悪くも執念深い。自分だけで決着をつける事を躊躇う程度に。ざっくばらんに言えば……そうだな、甘えとも言える。
 これは戦いじゃない。そして、因縁絡みの復讐だとかそういう小難しい類のものでも無いのだろう。カエルの溜め込んだ様々な想いを、僅かでも吐き出して平静を装えるくらいに戻すだけの作業。魔王が気乗りしないのも無理は無い。それでもなんだかんだで付き合ってあげるんだから、案外に彼はカエルを気に入ってるのかもしれないなあ、と夢想する。だと素敵だなあ、とも。
 戦えカエル。勝ち負けに意味が無くても。出し切れカエル、全部無くす事は出来なくても。膿のようにじくじくと蝕む痛みや悲しみなんて、言葉にすればするほど安くなる感情を吐き散らして……もう一度剣を振るおうよ。次はきっと綺麗な剣舞が見れるだろうから。


「……行くぞ!!」


 カエルが先手を取り、駆け出した。バネのように曲げた両膝を解放して、飛び出す速度はいつもながらに見ることも困難な速さ。トリッキーというには及ばない、正攻法と言うには無茶な距離の縮め方は見る者を混乱させる動きだった。大幅に反復横とびをしながら近づいてくるような感覚、それが近いかもしれない。勿論、そう単純なものでは無いのだろうけれど、彼女の動きが速過ぎて全容の分からない私にはそう例えるしか無かった。離れている私でそうならば、間近に見る魔王はさぞ動きを掴めない事だろう……なんてね。そんな訳ないか。
 彼は魔王。力も早さも魔力でさえも常人を逸している彼にとって、混乱するなんて事態はまず在り得ない事なんだろう。線でしか捉えられないカエルを左手一本を振るう事で止めた。カエルの右腕を掴んでいたのだ。それも、剣を振るう前に。


「よもや、その程度か? まだ魔王城で戦った時の方が楽しめたが」


 挑発と言うよりは見下すように告げる魔王に、カエルは慌てる事無くただ、笑った。「見くびるな」と。
 掴まれていない左手に集めた水泡を魔王に叩き込む。破裂音と衝撃に微かに魔王の体は揺れる。だが、当然致命傷には至らないし戦闘に不備は無さそうだった。カエルの御世辞にも強いとは言えない魔法で魔王が倒れる事は無い。ただ体勢を崩しただけ。
 それだけで充分と、カエルは体を反転させて無理やりに右手を自由にさせる。回転しながらの横薙ぎは魔王に鎌を出現させるに至った。火花が散り、それから幾度も金属音が鳴らされた。突然の格闘戦に、押されているのは魔王だった。勢いを止めないカエルは前に前にと足を進め、魔王はゆっくりと交代しながら防戦している。今や冷笑は消え、いつも通りの無表情に変わっていた。


「調子に乗るな、出来損ないが!!」


 苛立ちを露に、魔王は周囲に火炎を放出する。広がりゆく炎はカエルの体を包むが、難なくグランドリオンで切り裂き再度剣戟を始める。流石の魔王も少々驚いたのか、防御が間に合わず肌に一つ線を刻んだ。舌打ちを残して。
 ……強い。炎だけでなくその後凍り、電撃水撃冥撃と重ねてもカエルはダメージこそ負っても止まる事無く意地のように全身を続ける。それは、気迫からと言うよりは機械染みているように思えて不気味ですらあった。


「あ、危ないっ!」


 見ていることしか出来ない私は、もどかしく思いながら静かに戦いを見ていたのだが、思わず声を上げてしまう。魔王の鎌先がカエルの喉元を通り過ぎたのだ。一瞬カエルの首が跳ぶ幻影を見てしまうほどに、刹那の差だった。僅かに体を後ろに傾けた為首は健在だが、見ているこっちが心臓を躍らせ冷や汗を掻く、ぎりぎりの攻防。
 ……訂正する。これ、勝負でも試合でもないじゃん。殺し合いだよ。カエルは勿論魔王も本気になってない? ちょっと追い詰められて真剣になってるように思える。いやいや、これで魔王もしくはカエルが死ぬとかになったら最悪だよ? 提案したの私だけど、出し切れとまで思ったけど、止めたほうが良いかなあ? それとも……


「まっ、魔王!!」私は先ほど話した作戦を行うように声を掛ける……が、魔王はこちらを見ることも無くただ首を振る。やばい、あの人本気だ。カエルを殺す気満々だ。


「止めるな小娘。こいつに身の程を教えるまで貴様の言う方法を取るつもりは無い」


 身の程を教えるって……死体となったカエルに説教を垂れるつもりだろうか? 馬鹿なんじゃないだろうか?
 頭を抱えている今も戦いは続いている。魔王の作り出した氷柱を切り倒してカエルが特攻を仕掛けているのは目を見張ったが、それすら予測していたのか魔王はすでに鎌を大きく振り払い牽制していた。牽制だけの攻撃には見えなかったけれど……ていうか的確に心臓部分を狙っていたように見えたけど!
 カエルの胸当てを吹き飛ばした後、魔王は笑った。攻撃が当たったからでは無くこの勝負が楽しいと、そういう感情が透けて見える笑みだった。対してカエルは形相を変えない。睨む以外の表情形成を忘れたというように魔王の顔を凝視している。
 一層高く飛びあがり、カエルの振り下ろし。半歩右に魔王は体を寄せて避けるが、カエルの剣気によって舞い上げられた雪が視界を遮り反撃はしなかった。距離を開けようとする魔王にさらなる追撃としてカエルは剣で突く。引く動作と突く動作が同時に見えるほどの猛攻に魔王は状況を変える手段を模索しているようだった。単純に放つ魔法ではカエルの勢いは止められないだろう。容易くグランドリオンの一振りで掻き消されるのなら、ほぼノーモーションで行う魔法すら劣勢に繋がると踏んだか、魔王は肉弾戦のみで戦っていた。
 ……そうか、魔王の弱点が少し分かった気がする。答えは愚直な攻めに弱いだったんだ。充分に魔術を練られない距離で攻撃を畳み掛けていれば理不尽に凶悪な魔法の洗礼を浴びることは無い。とはいえ、魔王は近距離でも充分戦えるのだから、有効手か? と言われれば首を傾げるけど。
 想定外だ。魔王が本腰を入れていることは元より、カエルの強さもまた想定外。強いことは知っていた。けれど……まさかこうも魔王に肉迫するとは思っていなかった。確か、聞いた話ではクロノとルッカを合わせた三人がかりでも勝てなかったらしいが……覚悟の違い? まさか、そんなあやふやなもので力量を埋められるなんて信じられない。力量とは力の量。思念だけで増やせるなら世の中皆成功者だ。魔王と戦った時から、何度も魔物と戦い技が磨かれた? それも違う、カエルは人間の姿に戻っていた期間があり、碌々戦闘はこなしていない。私にはカエルが強くなった理由が分からなかった。


「お前が……お前が、お前がぁぁぁ!!!」


 怨嗟に近い叫びで犬歯を見せるカエルは、ただ怖かった。
 私はこんなカエルが見たくて勝負しようと言ったんじゃない。ただカエルの、行き場の無い感情を発散させたくて言い出しただけなのだ。決して……彼女を狂わせたかったんじゃない。彼女に戻ってきて欲しいだけだったのに。


「こうなったら無理やりにでも…………魔王!!」きっと彼女はこんな形で終結するのを望まないだろう。納得だってする訳ないし、文句も垂れ流すに違いない。いいよそれでも、魔王とカエルが死なないならそれで良い。


「邪魔するなと何度言わせる! 次は無いぞ小娘!!」折角の楽しみを邪魔された怒りか、魔王はカエルと同じように私を睨み、鎌を振る。命を刈り取る事しか考えていない一振りはカエルの腕を浅く裂いた。時間は無い、私は早口で、願いを込めて言葉を発した。


「魔王が我侭だって、サラさんに言いつけるよ!!」


「……気が変わった。貴様の考えに乗ってやろう」いとも簡単に、私は賭けに勝った。嬉しいけど、馬鹿ばっかりだ、私の周りの男って。喜びと同時に黄昏てしまう。
 まだ距離を詰めて来るカエルに魔王は掌を向けて風を起こす。飛ばされるのを踏みとどまるカエルを他所に魔王は鷹揚に背中を向けて離れていく。一瞬では近づけない距離にまで。


「逃げるか、魔王!!」


「黙れ、茶番は終わりだ」パチ、と指を鳴らし魔王が聞いた事の無い言葉で詠唱を始めた。それを攻撃呪文発動の一環と考えたのか、カエルはもう一度足を曲げて大砲の弾さながら飛び込んだ。剣を前に突き出して突っ込む様は、重ねられた両手から祈りのようで、勝利の為に突き進む姿は閃光染みていた。
 ……そう、閃光。その言葉を受諾したみたく、カエルの体から光が溢れ出す。その事に気が付かないのはカエルだけ。迷い無く宙を飛ぶ彼女は空を掻き分け、そして……


「……何?」瞬間、人間の女性へと変貌し、急激に飛び込み速度が緩んだ彼女は魔王に剣を弾かれて、勢いを止める事が出来ず両手を魔王の背中に回していたのだ。恋人達の仲睦まじい行為のように。


「……不愉快だ、離れろ」言われて、カエルは慌てて離れると、両手を前に出し、振りかぶる。そこでようやく自分が剣を持っていない事に気付いたのだろう。一瞬の動揺を滲ませて、自分から離れた地面に倒れているグランドリオンに駆け寄った。そのスピードは蛙状態の時と比べ見る影も無い。のたのたと走る姿は産まれ立てのダチョウの歩行のようだった。
 背中を曲げて剣を拾い……いや拾おうとして、今更にカエルは自分の異常を知覚した。両手で持ち上げようとしてそのまま背中に倒れこんだのだ。その姿が哀れで、さっきまでの考えを捨てて(もう少しあのまま戦わせても良かったかな)と反省する。


「何だ? 俺の姿が戻ったのか!?」自分の体を見回して、わなわなと震え出す。その顔は人間に戻れて嬉しいという感情は一切浮かんでおらず、憎しみを沸々と湧き上がらせていた。
 きっ、と魔王を睨み「元に戻せ外道が!」と怒り狂う。魔王は呆れたように「それが貴様の元の姿だ」と本当の事を言う。


「それはそうだが……おのれ卑怯な! 今この時に戻さずとも良いだろうが!」


「卑怯とはな。まさか戦いの最中にそのような戯言を抜かす者がいるとは、正直驚いている」流石だな、と続けて、カエルを煽る姿はいつもの魔王で、私は本当にカエルには悪いんだけど、ほっとしてしまった。
 ともあれ、これでカエルの負けは確定した。後味の悪さは最高だけど、殺し合いなんかして欲しくない私としてはこういう結果になるのが一番なんだから。カエルに近づき戦いの終わりを宣言しようと口を開くが……「まだ終わっていない!」と私が近づく事を拒否した。まさか、蛙の姿でなくとも戦うと言うのだろうか?


「そのまさかだ。例え身体能力が落ちようと、グランドリオンの輝きは鈍らん! 奴を殺すまではな!」言って、前進の力を使って剣を両手に持ち魔王に向き直る。
 それからまた凄惨な戦いが……繰り広げられることは無く。今までに無い位に眼光を鋭くしているカエルの手前、笑う事は無かったが、正直……愛らしかった。
 うんうん言いながら剣を振るってこけるのも、勝手に走っている最中に足を絡ませて背中から地面に落ちるのも……最後には振り回した剣がすっぽ抜けて崖の下に落とし、戦いは終わった。その後、私から頼んで魔王に回収してもらった。






「……マールゥゥゥ!!」


「ごめんってばカエル……仕方ないでしょ? いくらなんでもここで二人のどちらかに死なれたら嫌だよ、私」


「俺は奴を殺すために剣を取ったのだ! それに、勝負とは言ったがこれはあんまりだろう!」勝負内容に不満があったカエルは(まあ、当然だよね)魔王から標的を変えて私に愚痴を漏らす。愚痴が多いのも女性的……ってこれは差別かな。愚痴って言うよりは、これは不平不満だし。


「だからごめんって言ってるじゃん……機嫌直してよカエル」私にはひたすら頭を下げることしか出来ず、平謝りしても彼女から許しの言葉が出ることは無い。「大体だな、お前はいつも……」とか「まず戦いの何たるかを心得て……」とか今それ関係なくない? と言いたくなる様な事を延々続けた。小さくなる私は魔王に助けを求めるべく視線を向けるが、彼は馬鹿らしいと言わんばかりに目を閉じていた。


「あの、あのさカエル」手を上げて発言権を貰おうとすれば、カエルは不機嫌丸出しに「何だ!」と声を荒げる。


「……ちょっとは、すっきりした?」これが一番聞きたかった。
 カエルは眼を白黒させた後、さっきまでと何ら変わらぬ声音で「すっきりする訳あるか!!」と怒鳴る。その調子が、いつもと変わらなくて、私を説教したり、甘えさせてくれた時と同じで。
 私は俯きながら、怒られているのも関わらず、くす、と笑ってしまったのだ。それを指摘されて反省してないだろ! と言われた時は困ってしまったが。何だか立場が逆転しちゃったな。勝手な行動に出たのは彼女の方なのに。
 不満も多々あれど、彼女が帰ってきてくれた事を思えば、それも良いかな、と思ってしまうのだ。
 ……いや、私に不満なんか無い。不満があるのは……それを抱いて良いのは。
 何も解決なんかしてない。彼女がサイラスさんを想う気持ちも変わらないだろう。ただ問題を遠回しにしただけかもしれない。解決するようなものじゃないし、うやむやにしただけだと言われれば頷こう。実際その通りだ。私は馬鹿をやって、彼女の決意に水を差しただけ。横槍を加えただけ。茶化すから、それに便乗して元に戻ってくれない? そういう事だ。彼女は今度こそ私の立てた茶番に乗ってくれたのだ。
 ……なんて酷い行為だろう。真面目に、切実に悩んでいる人に対して最低のアイデアだ。馬鹿にするにも程がある。けれどカエルは……そんな私の考えに、従ってくれた。
 私だって、ちゃんと話し合ってカエルと私たちの考えの違いを明確にして、その上で互いに納得できる方法を探す……そんな事が出来れば最善だと分かってる。でも、出来る訳が無い事はそれ以上に分かってる。
 カエルもそれは分かっているんだろう。平行線でしか在り得ない意見を同一させる不可能を。だから……彼女は私に怒る。サイラスさんを選ばない事ではなく、さっきの戦いを。それで手打ちにしてるんだ。それは別に上から目線で『許してやる』という事じゃない。むしろ……彼女は許して欲しいんだと思う。私に文句を言う事で『自分はもう大丈夫だから』と言外に告げているんだ。その証拠に、カエルはさっきから言葉を途切らせない。呼吸を置く暇すら恐ろしいと、口を動かし続けていた。


「お前の戦い方も俺はおかしいと常々思っていた! 後衛であるべきお前が何故俺たちと同じように……」


 膝に置いている手は震えている。これでサイラスさんに会うことは出来ないという決別の悲しみと、自分の行為の恐ろしさから。
 彼女が言葉を止めた時が、彼女が決意した時なんだろう。サイラスさんと本当の意味でのお別れを告げた時なんだろう。そして、その時はきっとすぐに違いない。
 女は諦めが悪くて、愚痴も多くて、強い生き物だから。
 ──カエルは言葉を止めた後、今までの勢いは嘘のように消えて、その時には両手どころか全身を震わせながら、小さく「ごめん」と呟いた。誰に言ったのか、その誰かは一人なのか複数なのか、多分私が知る必要はないんだろう。けれど、私はその誰かの代わりに「いいよ」と頭を撫でてあげる。彼女の涙は、彼女の大きな眼から溢れたにしては小さく、消え入りそうな滴だった。












 時の卵を返して貰い、私はそれを手に山の頂に立つ。前面に見えるのは世界が荒れ果てても変わりなく燃え続ける太陽。照らす光に力を貸してもらう気持ちで、時の卵を空に掲げた。正しいやり方なんか分からない。これで正しいと思う根拠なんかこれっぽっちも無い。頂上に登れと言われた訳でも、時の卵を掲げろと説明された事も無い。
 ただ、分かるのだ。なんとなくの領域を出ないけれど、その程度の根拠とも言えないものだけど。クロノが近くにいる気がする。私の行動を見守ってくれている気がするのだ。正しいよって、語りかけてくる幻聴。幻聴と理解している時点で、気のせいではあるんだろうけど。
 両手を目一杯伸ばす。高く、高く、と幻聴が聞こえる。もっと強く、と幻聴が告げる。願え、願え、と誰かが教えてくれる。叫べ、叫べ、とクロノが応えてくれる!


「帰ってきて……クロノーーー!!!」


 ……反応は、無い。
 それならそれで、まだ続けるだけだ。両手を伸ばす。お願いするんだ。何処にいるかも分からない、今まで祈ったことも無い神様に。頂戴って。いや、違うか。返してって。
 ペンダントが、急に輝き出す。私の想いを後押ししてくれるように強く。私は内心で「分かってるよ」と囁く。誰に言われるまでも無く、私は手を伸ばすしかないと知っている。今こそあの暗い闇の中から彼を引きずり出すのだ。私がそうしてもらったように。彼が私を助けてくれたように。
 ……不思議だなあ。こんなにクロノが欲しいと想うなんて。まだ会って一ヶ月も経ってないよ? 一週間も経ってないかもしれない。それなのに私こんなにクロノが欲しいと願ってる。
 そんなに素敵な男の子じゃないよ? 見た目も悪くないけど良くも無い。これは人それぞれの感性だけど、性格は優しいかと言われれば優しいとは思う。けれど良いかと言われれば微妙だ、さらっと嘘つくし、女の子が相手でも虐めるし、いつもスケベな事考えてるし。明け透けとは言わないけれど……いやあ、結構臆面無く言うなあクロノは。
 ──私の好みってそんな男の子だっけ? おかしいなあ。
 彼といて胸がどきどきした事は無い。異性として好きだと思った事もないし、むしろ対抗心の方が強かった気がする。
 最初の頃は感謝だった。次に覚えたのは、失望。だらしないなあ、と思ったり酷い人だなあと非難したり、それでも目を離さなかった。私はこの感情を何と呼ぶのか分からなかった。まあ、手の掛かる弟に向けるようなものだと結論付けていた。
 ゼナン橋を越えた辺りでそれは友情へと変わる。心強い友達として、また誇れる人間として想っていた。その期間は案外に短い。あっという間に友情は対抗心へ。彼にだけは負けたくないと思いだしていた。戦いでも人間性でもそれ以外のありとあらゆる部分に置いて彼を上回りたいと想ってた。正直、彼の行動全てに感化されていた。彼の為す事やる事全部が正しいのでは、とすら考えた。
 ……そして、彼が消えて、私は考える時間が増えた。自分を省みる時間を持てたのだ。こういう機会でも無ければ……というのは不謹慎だが、気付けなかった事。
 対抗心なんて建前。彼の行動が全部気になる? なんだそれ。そんなの対抗心じゃない、勿論感謝から来るものでも失望や友情なんてものでも無い。
 ……ベタ惚れじゃないか、私。馬鹿みたい。


「死ぬなら、私が好きって伝えてからだよ、クロノ!!」


 カエルや魔王に聞こえただろうか? 聞こえただろうな。でもいいや、恥ずかしい事じゃないもの。私がクロノを好きだという事は。好きになったという事は。なんなら世界中に触れ回ったって良い。考えたくないけど、私がふられたとしてもそれをおおっぴらに話してやる。私はクロノが好きだという事を誰しもに教えて回ってやる。私が好きな人はこんな人だと懇切丁寧に教えてやる!


「だから……帰ってきてよ、私の人生計画プランは、始まったばかりなんだからさあ! クロノってば……早く起きてよクロノーーー!!!」


 ペンダントが輝く。音を立てるくらいに強く、強く。


「約束はどうした小僧……! まだ貴様は果たしておらんぞ!!」


 私の掲げた手を包むように、魔王が横から手を伸ばし呼びかける。
 そう、呼びかけるんだ。クロノはすぐそこにいるんだから。出てくる瞬間を心待ちにしているんだから!


「……今更だろうな。俺がお前を求めるのは……それでも、もし許してくれるなら」


 カエルが沈んだ声のまま近づき、魔王と同じように反対に立ち私の手を包む。目線はただ、太陽に向けて。


「帰ってきてくれ……やっぱり俺は、お前の声が聞きたいから!!」


 ……分かってるよ。カエル。
 貴方はサイラスさんに会いたかった。でもそれと同じくらいクロノと会いたかったんでしょう? だから……貴方は泣いてたんでしょう? 誰かに止めて欲しいから。
 なら、クロノを求める資格はあるよ。クロノは意外と心が広いよ? 素性も分からない女の子を助けに来るくらいは、ね。


「きて、きて、きて!!」


「来い、来い、来い!!」


「戻れ、戻れ、戻れ!!」


 それぞれに、クロノを呼ぶ。長々しい呼びかけは終わり、ただ望む言葉を空に投げる。端的な言葉は力を帯びて、声を出すだけで私たちは大粒の汗を流し始めた。カエルは髪を顔にへばり付かせて、魔王もまた彼に似合わず額に汗を浮かばせて。
 ここにはいないけど、きっとルッカもロボもエイラも祈ってる。誰よりも彼の帰還を祈ってる。皆彼が好きだから。各々に好きの意味が違っても、彼を望んでいる事に変わりは無い。彼が大切だという事実に寸分の違いも無い!






『良いですよ。その代わり……』





「えっ?」


 誰かの声が聞こえて、私は疑問符を上げた。何処かで聞いたような、けれど一度も聞いたことが無いような不思議な声。
 辺りを見回す前に、私は手の中にあった感触が崩れていく事に驚き、確認することはしなかった。
 指の間から、ぼろぼろと破片が落ちてくる。認めたくない、認めたくない、と頭が嘆いている。恐る恐る腕を戻し、目の前に持ってくる。心臓の鼓動が静まってきた。ともすれば、今にも止まるんじゃないかと思う位に小さく。


「……嘘だ」


 掌を開くと──時の卵は無残に砕けていた。これはつまり……これは……つまり……


「……終わり、なの? これで」


 自分でも驚くくらいにその言葉は辺りに響き渡っていた。
 ああ、駄目だ。震えちゃ駄目だよ私の手。震えたら時の卵の欠片が落ちちゃうじゃない。今からまたくっ付けるんだから。大丈夫すぐ元に戻るよ。どうやってくっ付ければいいんだっけ? そうだ今から時の最果てに戻ってハッシュに聞けば良いんだ。あれ、ガッシュだっけ? いやいやそうじゃなくて監視者のドームに行ってガッシュに聞けば……いやいや彼がハッシュだっけ? ああ、そんな事を考えているうちにまた破片が落ちてしまう。ああ、破片が破片が破片が破片がハヘンがハヘンがハヘンがはへんが……はへんって何だっけ? ていうかこれ、何の『はへん』だっけ?


「……人を生き返らせるなど、無理な話だろ言うのか……?」


 隣のカエルが愕然とした表情で膝を落とす。人を生き返らせる? ……そういえばそういう目的だったよね。そうだったそうだった。無理って? 無理だったの? それは可哀想だなあ、とても悲しい話だなあ。後でカエルを慰めてあげよう。どうやって励まそうかなあ、お城でパーティーでもやって気を紛らわせてあげようかなあ……あれ、私は何で城にいないんだっけ? そもそも、何で私はここにいるんだっけ? ……この人誰だっけ? 私ってマールだっけ? ええと、マールって何だっけ?


「……無駄、だったか。所詮、人間など……」


 あはは、その所詮人間って言い方誰かに似てるなあ、もしかしてこの人は私の知っている人かもしれない。この人ならマールって誰か分かるかもしれない。聞いてみようかな? でも口が動かない。何でだろう? 聞きたいのになあ、マールって誰なのか。私の知ってる人なのか。私の名前も聞いてみたい、私の名前私の名前……ああ、思い出した。私の名前はクロノだ。だって、その名前だけは淀みなく思い出せるもの。そうかクロノかクロノ。良い名前だなあ、私クロノって名前好きだなあ。クロノって好きだなあ。クロノ好きだなあ。
 ……クロノかあ。クロノ、クロノ、クロノ……


「クロ……ノ……」


 私はクロノだから、今すぐ会わないといけない。誰だか知らないけどマールって子に会わないといけない。それも今すぐ早急に会って話さないといけない。おはようって言って待たせたねとか言って抱きしめないと駄目だ。そうじゃないとマールが泣いてしまう。寂しいと言って泣いているのだ。クロノである私は泣いている子を見過ごすわけにはいかないので今すぐ会って涙を止めなければその為には会って話さないと会わないと会って涙を止めないと会って話して涙を止めて話して会って話した後会って涙を止めて……忙しいなあクロノは。


「私は、ここにいるよ? クロノ……」


 ああ、間違えた。私はクロノなので呼ぶのはマールであるべきで……これでは私は自分の名前を呼んだに過ぎない。言い直さないと……「クロノ……」あれえ、どうして私は自分の名前を呼ぶのだろう? おかしいな、あはは……もういいやクロノで。早く来てよクロノ。クロノ。あはは面白い。何で自分の名前を呼んでいるだけなのにこんなに面白いんだろう? 何でこんなに滑稽に感じるんだろう?
 ──何で、こんなに涙が出るんだろう?


「あはっ……うう、あはは……うえ、は、はは……ひぐっ、うああああ、うわああああ!!!」


 豪快な泣き方だな、と呆れる。ほらマールが泣いてるよ? クロノは今すぐ出てこないとこの子はいつまでも泣いてるよ? みっともないなあ、近くに人がいるのにこんなに泣き喚いて、実にみっともない。酷くみっともない。
 ……みっともなくて良いから、早く来てよクロノ。もう立てないよ私。
 涙で滲んだ視界が映したのは、黒く染まりゆく太陽。私はそれを見ても、何の感慨も湧かなかった。何がと言われても答えられないが、終わっちゃうような光景を見ても私は崩れた両足に力を入れることはなくただ嘆くことに専念したのだ。






















 それから先のことは良く覚えていない。誰かが歓声を上げたような気もするし、悔しがっていた気もする。
 とにかく私が言える事は、正常に意識を取り戻した後、私が見たのは白い太陽でも、黒い太陽でもなく、赤く輝く、太陽のような人だという事。















 中世ガルディア城にて


 王族のみ利用できる浴場、湯船に身を浸し吐息を零しながら王妃は目を閉じた。ここ最近、考えるのは唯一人の男性。と言ってもそれは想い人ではなく、自分にとって父親に近い、それでも大切な人。正確には人では無かったが、自分にとってはそれは些事ですら無かった。
 ようやく、と言って良いのか分からないが、しばらくぶりに王妃はその男性以外の人間を思い浮かべた。それは、今から何年も前の、雨が降る日の出来事。魔王と勇者が戦い、人間の希望が絶たれたと国中が嘆いた悲劇の一夜。それでいて、一人の人間にとっては始まりでもあった日の事。
 王妃は何の気無しに自分の脇腹を擦る。そこには自分が自分であるという証明の証が刻まれていた。
 湯船を上がり、御付の者の手を借りて、体を洗う。自分的には自分の体くらい一人で洗えると不満に思っているのだが、様式だかなんだかでそれは出来ないのだそうだ。同姓とて裸を見られるのは気分が良いものではないと王に進言しても彼は取り合ってくれなかった。それが尚更に不満である。自分の言う事を何でも聞いてくれた男性の顔を頭に浮かべた。


「……王妃様!? そ、それは……!」


「え? ああ、これですか? 何という事もありませんよ、もう痛くも無いですし」


 そういえば、今日の御付の女性は働き出して日が浅かったか、と反省する。そういう人間が初めて己の体を見た時の反応は分かっていたのに、と。どうやらまだ自分は参っているようだと分析した。
 良いから、早く洗って下さいと言われ女性は躊躇いながら、また困惑しながら湯に浸けた布で王妃の背中を擦り始める。
 王妃の脇腹と背中には、まるで剣で貫かれた跡のような古傷が残っていた。


(……どうしているのでしょうか? グレンは)


 あの日の出来事以来、妙に自分に懐いてしまった妹分を想い、王妃は溜息を吐いた。暇があれば花束や気取った本を贈り物として持参する彼女に幾度「お菓子を持って来なさい!」と言ったか分からない。いつしかこれは嫌がらせではなかろうか? と疑い出した事もある。


(慕ってくれるのは良いのですが……時々グレンの目が怖かったですね)


 深夜皆が寝静まった頃に気配を消して寝室に現れた時は、王妃は少しだけ処刑してやっても良かったかな、と思ったのは城の人間にとっては公然のなんとやらだった。


「まあ……今も無事なら良いんですけどね」出来れば甘い物を持って来てくれれば言う事はない、と心の中で付け足した。


「どうしましたか? 王妃様」


「何でも無いですよ。前は自分で洗いますから、もう下がってください」


「いえ! 是非に前も洗わせてください! いや、不純な動機ではなくですね!」


「……どうして私の周りの女性は危険な香りがするのでしょう?」


 助けてヤクラ、という呟きは女性が聞き取る事は無かった。


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