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No.20619の一覧
[0] 星は夢を見る必要はない(クロノトリガー)【完結】[かんたろー](2012/04/28 03:00)
[1] 星は夢を見る必要はない第二話[かんたろー](2010/12/22 00:21)
[2] 星は夢を見る必要はない第三話[かんたろー](2010/12/22 00:30)
[3] 星は夢を見る必要はない第四話[かんたろー](2010/12/22 00:35)
[4] 星は夢を見る必要はない第五話[かんたろー](2010/12/22 00:39)
[5] 星は夢を見る必要はない第六話[かんたろー](2010/12/22 00:45)
[6] 星は夢を見る必要はない第七話[かんたろー](2010/12/22 00:51)
[7] 星は夢を見る必要はない第八話[かんたろー](2010/12/22 01:01)
[8] 星は夢を見る必要はない第九話[かんたろー](2010/12/22 01:11)
[9] 星は夢を見る必要はない第十話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[10] 星は夢を見る必要はない第十一話[かんたろー](2011/01/13 06:26)
[11] 星は夢を見る必要はない第十二話[かんたろー](2011/01/13 06:34)
[12] 星は夢を見る必要はない第十三話[かんたろー](2011/01/13 06:46)
[13] 星は夢を見る必要はない第十四話[かんたろー](2010/08/12 03:25)
[14] 星は夢を見る必要はない第十五話[かんたろー](2010/09/04 04:26)
[15] 星は夢を見る必要はない第十六話[かんたろー](2010/09/28 02:41)
[16] 星は夢を見る必要はない第十七話[かんたろー](2010/10/21 15:56)
[17] 星は夢を見る必要はない第十八話[かんたろー](2011/08/02 16:03)
[18] 星は夢を見る必要はない第十九話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[19] 星は夢を見る必要はない第二十話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[20] 星は夢を見る必要はない第二十一話[かんたろー](2011/08/02 16:04)
[21] 星は夢を見る必要はない第二十二話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[22] 星は夢を見る必要はない第二十三話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[23] 星は夢を見る必要はない第二十四話[かんたろー](2011/08/02 16:05)
[24] 星は夢を見る必要はない第二十五話[かんたろー](2012/03/23 16:53)
[25] 星は夢を見る必要はない第二十六話[かんたろー](2012/03/23 17:18)
[26] 星は夢を見る必要はない第二十七話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[27] 星は夢を見る必要はない第二十八話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[28] 星は夢を見る必要はない第二十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[29] 星は夢を見る必要はない第三十話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[30] 星は夢を見る必要はない第三十一話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[31] 星は夢を見る必要はない第三十二話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[32] 星は夢を見る必要はない第三十三話[かんたろー](2011/03/15 02:07)
[33] 星は夢を見る必要はない第三十四話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[34] 星は夢を見る必要はない第三十五話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[35] 星は夢を見る必要はない第三十六話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[36] 星は夢を見る必要はない第三十七話[かんたろー](2011/08/02 16:08)
[37] 星は夢を見る必要はない第三十八話[かんたろー](2011/08/02 16:07)
[38] 星は夢を見る必要はない第三十九話[かんたろー](2011/08/02 16:06)
[39] 星は夢を見る必要はない第四十話[かんたろー](2011/05/21 01:00)
[40] 星は夢を見る必要はない第四十一話[かんたろー](2011/05/21 01:02)
[41] 星は夢を見る必要はない第四十二話[かんたろー](2011/06/05 00:55)
[42] 星は夢を見る必要はない第四十三話[かんたろー](2011/06/05 01:49)
[43] 星は夢を見る必要はない第四十四話[かんたろー](2011/06/16 23:53)
[44] 星は夢を見る必要はない第四十五話[かんたろー](2011/06/17 00:55)
[45] 星は夢を見る必要はない第四十六話[かんたろー](2011/07/04 14:24)
[46] 星は夢を見る必要はない第四十七話[かんたろー](2012/04/24 23:17)
[47] 星は夢を見る必要はない第四十八話[かんたろー](2012/01/11 01:33)
[48] 星は夢を見る必要はない第四十九話[かんたろー](2012/03/20 14:08)
[49] 星は夢を見る必要はない最終話[かんたろー](2012/04/18 02:09)
[50] あとがき[かんたろー](2012/04/28 03:03)
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[20619] 星は夢を見る必要はない第二十八話
Name: かんたろー◆a51f9671 ID:9726749e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/02 16:06
 刀を左手から右手に持ち替えて、刺突。前にいる牛の図体と頭を持ち鹿のような角を掲げた三匹の魔物──ドロクイの内二匹を同時に貫いた。残る一匹が走り出し俺に突撃してきたので、そのまま刺さった魔物の体ごと右に払い阻止する。たたらを踏んで急停止する瞬間を見計らい練り込んだ電撃を発射。熱量は然程では無いが、衝撃に特化させたサンダーは重量のあるドロクイを吹き飛ばした。壁に叩きつけられて悶絶するドロクイに近づき、刀を刺す……大体三十秒弱、か。
 刀を鞘に入れて他の面々に振り返るとロボとマールが固まってこちらを見ていた。何だよ、俺だってそれなりには強くなってるさ。
 ……今まで碌に戦かっていなかった俺が何故単独でモンスターを相手取っていたのか? それは俺のつまらないプライドが起因していた。
 最初、ドロクイの巣に足を踏み入れてから、俺と何故かついて来たサラは戦いには参加せずロボとマールに任せていた。前にも言ったが、俺は狭い空間で戦うのは苦手なんだ。さぼってる訳じゃない。だというのに、サラが「やはり赤い人は役立たずなんですね。なのにリーダー気取りとは片腹痛いです、私の靴を舐めて下さい」と戯けたことを抜かし始めた。
 別に自分の力量が高いと思っているわけではないが、少しカチンときてロボたちに「しばらく俺一人で戦う」と断言してしまった。思い出すだけでも後悔が止まない。
 しかし、ここに生息するドロクイは気性が荒く体力も多いが攻撃は単調動きもエイラに比べれば子供のようで、俺一人でもそう手こずる事も無い。嘆きの山に入ればそうも言ってられないのかもしれないが……
 顔に飛び散ったドロクイの血を拭っていると、サラがハンカチを取り出し俺に渡してくれた。どういう風の吹き回しだと丁寧にハンカチに罠が無いか調べるも極々普通の白い生地。訝りながらも顔と手を拭いた。


「……動きは目を見張る程でもありません」微かに沈んだ表情でサラはぽつりと告げる。


「何だよ、まだ俺が役立たずだって言うのか? まあ、否定はし難いが」


 サラは首を振って、俺の左胸に手を置き鼓動を数える。なんか照れるから止めてくれないか? それとも金剛でもぶつけるのか?


「貴方は……きっと沢山泣いたのでしょうね」


 サラの言っている意味が分からず反応を返せないでいると、彼女はそのまま歩き出した。いつも馬鹿みたいなことを平気でやらかす彼女に似つかわしくない顔つきで。
 返しそびれたハンカチを手で遊びながら、腑に落ちないまま俺も彼女の後ろを追う。分かり易すぎる言動に難解なことを混ぜられたら戸惑うものだ。
 首を捻りながら歩く俺の袖を追いついてきたロボが引っ張った。このまま黙って進むのは気が落ちると思っていたところ、少し快く「どうした?」と返す。


「クロノさん……いつからそんなに魔力操作が上手くなったんです?」


「はあ? いつからって……そもそも俺よりもマールやルッカの方が断然上手いだろうが」


 手を振って否定するも、ロボは引き下がらずじっと俺の目を見つめる。何だというのか? いきなりレベルアップなんてイベントは一切起きてないんだ、自分で言うのもあれだが魔力だろうが何だろうがそこまでの進化は無いと思う。
 ……いやそうでもないのか? 思えばトランスの制御が格段に上手くなった気もする。小刻みに発動、解除をスムーズに行えた。電流の性質を変化するのも苦ではない。魔法を覚えてすぐの頃に比べれば天と地だろう。


「魔法の力は、心の力……だっけ。スペッキオが言ってたよね」


 自分の力を省みているとマールまでもが俺の隣に並び懐かしい台詞を思い出させてくれる。単純に言えば、俺の魔法操作技術が向上したのは心が強くなったからか? ……うわ、言ってて凄い恥ずかしいな……
 そも、俺の心なんてえらく脆いものだ、すぐ折れるしすぐ諦めるし……心の力というなら、マールやルッカの方が強いだろう。そう言うとロボは「最初はそうでした」と前置きした。


「マスターの心は激しく燃える力強い何かがありました。と同時に何かの切っ掛けで消えるような、不安定な力。安定感と言えばマールさんが顕著ですね。揺らがずブレず、一定の方向をずっと指している。理想的と言えるでしょう……対して、クロノさんの心はそれは不安定で崩れやすいものだった……僕はそう思っていましたね」


 ……まあ、何をするにも面倒臭い、怖いと逃げ腰だった俺の心の強さなんてそんなものだろうさ。メンバー随一に弱い精神だと理解している。


「……けれど、今のクロノさんは唯一無二に心が強くなってます。恐らく勇者であるカエルさんよりも」あまりの過大評価を笑い飛ばそうとするも、ロボは真摯な表情を崩さず俺をじっと見つめていた。肩を落として持ち上げるのも大概にしろと諌めれば、やはり首を振る。


「きっと……嬉々と話すことでは無いので明言は避けますが、クロノさんは何度も心が壊れそうになったことはありませんか? そしてその度に立ち直ってきた。特に……」


 ロボが先を続ける事を躊躇う。……原始のこと、アザーラたちとの別れを言いたいのだろうか。
 確かに壊れかけた、いや一度壊れたのだろう。そういえば、あの頃魔術を唱えなかったので気にはしてなかったが、自分の中を流れる魔力を全く感知できなかった。湧き出ていた泉が涸れてしまったように。
 魔力量や操る技術が心の力と繋がっているのなら、なるほどあの頃の俺に扱える訳がないよな……


「マスターの不安定さ、マールさんの決め手に欠ける部分、カエルさんのどこか迷うような感情……それらの弱点が、今のクロノさんには見えません。言わば、揺らがぬ心と言いましょうか。それは素晴らしいのかもしれませんが……悲しい事でも、あるんですよね。心が強くなる原因なんて、基本的には悲劇しかないんですから」


 泣いて、起き上がって折れて直して傷ついて誤魔化して。そうして頑強に変わる心。筋肉の成長に似てるな、と思考を飛ばした。
 ……悲劇か。そんなんじゃない、そんなんじゃないよロボ、ただ俺は……自分の弱さが気に入らないだけだ。逃げたり、命乞いしたり、助けられなかったり、そんな事が積み重なって弱い自分を認識しただけだよ。


「……やたらと褒めるじゃねえかロボ。肩車でもしてやろうか?」


 そう言ってようやくロボが顔を赤らめて慌て出した。この微妙な空気が壊れたのだ。マールもそれに便乗して「私もロボに肩車したい! あ、でもクロノにしてもらうのも良いなあ!」と騒ぎようやくいつも通りの俺たちになる。別にどうでもいいじゃないか、誰が強いだとか弱いだとか。俺は一番弱い役立たず、このポジションを案外気に入ってるんだ。単純な弱い強いで人の価値が決まるわけでも無し、つまらないことだろう。


「かっ、肩車ですか!?」


 急に振り向いてサラが目を輝かせた。どうしてそこに食いつくのだ、今迄で一番声が弾んでいる。手をわきわきさせているのはどういう魂胆なのか。いやそもそも俺が誰かを肩車するのは確定事項なのか? うわ、滅多なこと言うものじゃないな……マールに肩車するのは色々誘導させられて疲れそうだし、ロボは単純に重い。サラ? 除外する。
 何度か冗談だと言ってみるものの、三人は耳を貸さず結局じゃんけんで勝った奴が俺の肩に乗ることとなった。おかしいよね、ここ魔物が生息してるんだぜ?


「うわー、肩車なんて何年ぶりだろ。ありがとねクロノ!」


「ま、マールさん! 五分で交代ですからね! 次は私が赤い人の上に立つのです!」


「駄目です! 次にクロノさんの肩に乗るのは僕だと天啓が下っています! 逆らえばソドムの雷が僕らの額に獄紋を刻む事となり……ていうか僕が名指しされたのに!」


 交代も糞もない、俺が誰かに肩を許すのはこれっきりだ。だって面倒臭いんだもの、重いとは言わんが。
 ……もしかして、今この状態をモテていると言うのだろうか? だとすればなんて適当な切っ掛け。肩車云々で始まるラブコメディ……安っぽすぎて買い手がつかん。インフレが起きるわ。
 こういう時に限って魔物が全く出てこない。いや正確には何度か鉢合わせているのだが、目を合わせず去ってしまう。力の差が分かったのか? モンスターが? ドロクイは思ったよりも知恵が回るらしい。獰猛なモンスターを聞いていたので拍子抜けしてしまう。
 サラが言うには、昔はドロクイをジール宮殿で飼っていたこともあるそうで、凶暴化したのは環境の変化が原因なのだとか。ペットとしても扱えるのか、牛みたいな外見だから食えそうだとは思ったが。放牧でもできそうだな。
 環境の変化というところから話は繋がり、この地上を襲う吹雪も自然のものでは無いと言う。ジール女王の命令で嘆きの山が出来てから、山の持つ魔力で地表を凍らせているとか……
 何の意味があってそのような事を? と聞いてみれば一言、罰のためだと言う。地上に住む人々は皆魔力の素養を持たないという理由だけで人非人扱いを受けているのだ。その為浮遊大陸を追い出され、生きていく事が困難な環境に追いやられていると、サラは言った。わざわざ大掛かりな仕掛けを作ってまで追い込むとは、正直ジールこそ人としておかしいのではと思ったが……仮にもこいつの母親、目の前で悪く言われるのは良く思わないだろう、胸の内に留めておいた。


「母様は……変わってしまいました。昔は私が『やーい変な頭』と言っても気にしてないようで影でこっそり泣いてしまうだけでしたが、今では躊躇無く剣を振り下ろしてきます」


 一国の王に娘とはいえそんな事言ってたんかいと一ツッコミ。それ以上に自分の子供にからかわれただけで泣いてしまうのは王としても母としてもどうなんだろう? まあ斬りつけるのはどうかと思うが……いや普通に不敬罪か。
 それからもサラはいかに自分の母が変わってしまったかを話し、気分を落としていく。国民に笑いかける事は無く、失敗ともいえないことで裁き、理不尽な刑を執行させる。自分の身の回りには人語を解するモンスターを置き、人間と相対する事すら稀になったのだとか。今では会話が成立するのはサラとダルトン、最近になって現れた預言者を名乗る男だけだと。サラの弟であり自分の息子であるジャキですら目を合わせることも無いらしい。


「……通りで暗い子供だと思ったぜ」


「ジャキは本来明るい良い子です。なんせ、私の部下第一号ですから」


 弟に対する悪口と思ったのか、サラは顔をしかめて人差し指を伸ばし注意をした。いやあんた部下て。


「参考までに聞くが、お前の部下は総勢何人いるんだ?」


 サラは胸を揺らしながら腰に手を当てて(眼福っす)満足そうに答えた。


「五人です! ええと、ジャキにアルファドに婆やにダルトンに貴方で私の帝国は成り立っています。ちなみに、貴方は一番地位が低いです。精進なさい」


「なるほど、一人と一匹か」


「誰と誰と誰を無視したのですか!」


 婆やとダルトンと当然俺だ馬鹿者。婆やと言われている人物はただの御付の者という奴だろう、恐らくダルトンは俺と同じで強制的に部下にされただけだ。妄想の産物が現実に影響する事は無い。
 にしても、たかだかその程度のメンバーで帝国とは頭が下がる、俺はトルース町の子供十七人でのサッカーを指揮したことがあるから、俺は大銀河公国の皇帝だな。カイザーと呼べ。
 きゃんきゃん詰め寄るサラを堂々と無視しているとロボが俺とサラの間に立ちはだかり勝利の笑みを浮かべた。


「サラさんは五人ですか。でもクロノさんは僕とマスターとマールさんとエイラさんとカエルさんとアリスドーム全住人を味方にしています! その数は二百に迫るでしょう! 僕たちクロノパーティーの勝ちですね! 破れたりサラ帝国!」


 いつのまにそんなだっさいネーミングが付いたのか。訂正したい。
 しかしロボの言葉にサラは大打撃を受けたようで、膝の力が抜けてその場に座り込んだ。まさか、私の負けだと言うのですか……!? と項垂れているのは笑えばいいのか笑えばいいのだろう。勝ち負けの問題じゃないと思うが……まあいいさ。
 右手で顔を拭いサラはすっくと立ち上がる……え、まさかそんな事で泣いたんじゃあるまいな?


「ジャ、ジャキとアルファドは一人で百人の敵を倒せます! そして言わずもがな私は一騎当千! つまりサラ帝国の兵力は千二百で六倍差で勝利です! 圧倒的ではないですか私の軍は!」


 が、ガキ以下の理屈だと……!? 鬼ごっこで鬼にタッチされた奴が言う「俺の命は十個以上あるから一回触られても交代せえへんし!」というネジのぶっ飛んだ発想と同等だと!? 後子供と三味線の原料に期待しすぎだ! 後者の表現については色んな人に怒られそうで怖い!
 トンデモの五乗くらいの理論を高速展開されてさしものロボもたじろぐが、援護射撃がマールから送られる。


「今は勘当中だけど、私これでも王女だから二千人くらいなら動かせるよ。サラ帝国爆砕だね」


「そ、それなら私も王女ですから三万人……一万……三千人くらい動かせます! サラ帝国爆誕です!」


「ええー、お前どう見ても尊敬されてないじゃん。集まっても子供が十人くらいだろ。サラ帝国にダイレクトアタック」調子に乗っているようなので俺もサラ包囲網に参加。ぐにゃあ、とサラの顔が歪んでいく。
 それでも彼女は諦めない。歯を食いしばり果敢に攻撃を繰り返す。


「その集まった子供たちもジャキとアルファドレベルの豪傑なので合計兵力二千二百! ミラーフォース発動! サラ帝国に攻撃は通りません!」


「元騎士団所属のカエルさんとクロノさんたちの尽力によって中世の城から兵士派遣。魔王を退けた英雄なら百人は遣してくれるでしょう。サラ帝国は灰燼と消えました」聞き分けの無いサラにロボもさらなる追い込みを開始する。至極どうでもいいことなのに、何故か皆興に乗っている。まあ、こいつで遊ぶのちょっと面白いしね。
 新しい切り口を開拓できないのか、サラの反撃が止まった。もごもご口を動かしては黙るを続けて、耳を赤くしながら叫んだ。


「あな、貴方たち三対一とは卑怯じゃないですか! ぶし……そう! 武士の川上にも置けません!」


「お前自分で一騎当千って言ったじゃん。後、武士の風上な。川の上流に置いてどうする」


 自分で言った事を忘れた上に誤字を指摘される。これは恥ずかしいだろう。「むううううううう!!!」と大人の女性にあるまじき呻き声を上げてパンのように顔を膨らませる。良いなこれ、カエルに近い属性なのか。真面目属性ではないからからかいやすいという訳でもないが……あ、弄りやすいのか。
 結局上手い返しも作れずサラはむうむう言いながら俺たちの後ろからついてくる。サラさん現代に越してこないかなとはマールの言葉。実は天然気質を持っているマールも弄られっ娘属性を持っているのだが、サラはその上を行っている。無意識にいじめっ娘属性を開花させるとは……侮れぬ、サラ。
 これは後になって聞いたのだが、この時ロボがサラに突っかかっていったのは「クロノさんが負けていると思われるのが嫌だったんです」との事。もう本当、いつか俺がロボに陥落されそうで怖いよこの子。
 とりあえずは俺への好意でサラの理屈に反発したというロボの話を聞いて、ふとマールもそうだったのかな? と頭上にいるマールを窺い見るも、彼女の笑顔からは何も見つけることが出来なかった。まさか、な。
 ドロクイの巣を歩き続けて、三十分も経っただろうか? 今まで感じなかった冷たい風が体を通り抜ける。出口が近いということだろうか? そういえば今までざらついていた地面が硬く凍っている。雪が入り込むほどではないにしろ、気温も段違いに寒い。話に夢中になっていて気が付かなかった。一度意識すると氷点下に晒されている体が震え出した。肩に乗るマールも体を縮こまらせて俺の頭にしがみついている。
 ロボはアンドロイドだけにある程度の体温調整が可能だと、平気そうに歩いているが……いざとなればこいつを抱きかかえながら歩こう。重くても湯たんぽ代わりにはなるだろう。
 果たして出口はすぐそこに見え始めた。出口と言っても天井に空いた穴を人二人ぶんの横幅がある鎖が通っているだけだったが……よく考えればこの安定性の無い鎖を伝って山に登るのだろうか? 猛吹雪の中を渡るには随分安全性に欠けると思うのだが……?


「ああ、ようやく見つけましたね。あの太く頑強な鎖に捕まって登れば嘆きの山に着きます」


 やっぱりか、と肩を落とす。それしか方法が無いとはいえ気分が乗らない。ちょっとでも手を滑らせれば遥か下に落ちていくのだ、ここにカエルがいなくて良かった。いたら間違いなくUターンしていただろう。高所においてのあいつの臆病加減は類を見ないものだからな。
 流石に人を乗せたまま鎖を伝う訳にもいくまい、不満を垂れるマールを降ろして一番に鎖に近づく……が、登りはしない。まずは誰かの後押しをするべく待機する。


「ほらロボ先に行け。次にマール、サラの順番で登るんだ。俺は最後に登り出すから」


 この取り決めには意味がある。ロボを先頭に任せたのは何かあったときにこいつが一番身体能力が優れているからだ。万一の事があってもロボならばやり過ごせるだろう。二番目にマールを選んだのは、単にサラを三番目に据え置く為。いかにも鈍臭そうなサラが落ちかけた時に俺がフォローする為である。決して下からローブの中を覗こうとかそういうアレは無いので睨まないで下さいマールさん。


「私が鈍臭い? 面白い冗談です赤い人。私はジール肉弾戦最強決定大会で準優勝になった程ですよ」


「どうせ参加者が二人とかだったんだろ。いいから俺の言うとおりに下着を晒せ」


「馬鹿にしないで下さい! 三人です! ジャキとアルファドと私です! 惜しくもアルファドに負けましたが!」


 どこまで狭範囲な最強決定大会なのか。
 呆れながら背中を押すと、サラが弾かれたように右手の方を見る。何か受信したのか? と問いかける前に……遅れてその気配に気付いた。岩陰から、その図体に似合わぬ小さな足音を立てて砂を蹴るドロクイが二匹。しかし、その体格は今まで見てきたドロクイの比ではない。目測五メートルは優に達していそうだ。体皮の色も鼠色の汚いものではなく、燃えるような赤と凍えるような青、頭部から伸びる角は捻じ曲がり凶悪なイメージを見せている。それぞれ瞳の色は体の色と同じ、ルビーとサファイアのようと言えば聞こえは良いがぎらついたそれは到底美しいとは言えなかった。二頭の間に人間に近い丸頭のモンスターが片手に鞭を持ち撓らせている。サーカスの調教師みたく、何度かドロクイの頭を撫でて何かを呟いている。
 ……ドロクイの親玉と、その主人と言うところか。楽には倒せそうに無いと刀を抜き牽制するが、サラが一歩前に出て手を伸ばし、俺の前進を止める。


「……丁度良いですね、貴方の実力は見せてもらいました。今度は私の戦い方を見せてあげます」


「馬鹿言うな。お前の魔法じゃ当たりっこねえよ、いくらこいつらが鈍いからって、あんたの魔法放出速度はそれ以下だ」


「もしかして、宮殿で見せたファイアのことを言ってるんですか?」思い出すように顎を指に乗せて笑う。続けて「あれは私の十八番ではありません。高貴な身分である私は直接攻撃に繋がるものを好まないのです」と慇懃に髪を撫でて、舞い上げた。
 俺たちのやり取りを見て、鞭を持つ魔物が音を鳴らして床を叩いた。それに呼応してドロクイ二体が四足で地面を踏みつけて爆発したように飛び出してくる。ぎらぎらとした角は、サラの華奢な体など軽々吹き飛ばしぼろきれの様にズタズタに引き裂いてしまうだろう。
 それだけで暴力になりそうな咆哮と共に肉迫する狂牛にサラは面白がるような顔を変えない。マールとロボも危ないと思ったのか得物を片手にサラの前に躍り出た。これだから温室育ちの王女様と冒険なんかしたくないんだよ……マールは別だけどさ!
 緊迫した状況でありながらサラは慌てて避けるでもなく、しゃがみ込むでもなく、優しく優雅に手で空をかき混ぜて、ゆっくりと合掌した。祈りのような動作は、聖母のように緩慢で……力に満ちていた。


「私の真価は……封印魔法及び、この結界魔法。確実に、誤り無く時を止めて動きを終わらせる。止めるのではなく、破られる事なく終わらせるのです」


 流麗な言葉を紡ぎ終わった後、その通りに魔物の動きが止まった、いや終わったのか。
 ドロクイの全身を覆い被すように突如現れた立体の三角錐。中の空間を生きるドロクイは力走する姿そのままに宙に浮きながら微動だにしない。鞭を持つ魔物は事態が飲み込めずおろおろと自分の操る魔物の異常に気を乱していた。
 ……完全無欠のバリアー、それがサラの操る真の魔法ということか。通常の防御魔法と違うのは、守るのではなく攻める為に用いられていること。行動を止めさせて、相手の戦闘を強制的に封印する。一方こちらは自由に行動が可能、位置を変えて敵の混乱を誘うも良し、充分な魔術詠唱を作るでも良し。正に極悪な魔術。直接的攻撃を嫌う? 言ってる事は素晴らしいかもしれないが、その実彼女の魔法は蹂躙を許す無敵に近い魔術だった。
 ……ダルトンの召喚魔法を思い出す。確かに並の魔法を遥かに凌駕するものだったが、使いどころを間違えなければ彼女の魔法はさらにその上を行く。それもブッチギリで。魔法特性だけに焦点を合わせればジール最強というのも伊達では無さそうだ、サラと一対一を申し込めば、間違いなく勝てる自信はあるが、サポートとしての彼女は最凶だと理解する。
 調教師の魔物はようやく自分の状況を理解して、動かないドロクイを置いて逃亡した。あいつ自身の戦闘力は低かったのかもしれない。指示する立場の魔物は総じてそういうものなんだろう。
 正直、何も出来ないアホ女だと評価していた俺たちはサラの特殊にして強力な魔法を見て何も言えなかった。魔法王国の王女とは、生まれ育ちだけで頂けるものでは無いということか……


「どうです? 私の力を思い知りましたか赤い人。私の力なら貴方なんか耳垢を取るくらい簡単に倒せますよ」


「どんな例えだよ……まあなるほど、凄い力を持つ馬鹿だってのは理解したよ」


「…………馬鹿を削除するわけにはいかないのですか?」


「そこはまからん。俺の尊厳に賭けても」


「………………」


 ともあれ、サラが役立たずとは言い切れない、侮れない力を持っていることが分かりこれからの戦闘が楽になりそうだ。少なくとも、今のカエルの四百倍は使える。援護役としてこれほど心強いものは無い。はっきり言って卑怯とも言えそうな魔法だし。いや卑怯と断言できるな、ほぼ無敵に近いのだから。
 得心のいかない顔をしたサラを流して、俺たちはドロクイの巣を後にした。ちなみに、一番先に登るのが俺に変更になったことは言うまでもない。見られるのが嫌ならスカートなんか履くなというのだ。そもそも、風呂場に突入するくらいなら羞恥心なんか持ち合わせていないだろうに。
 とにかく、俺たちは命の賢者救出に一歩近づく事になった。








「クロノ……私ね……多分もうすぐ死ぬんだと思うの……」


「人間はそう簡単に死なん。寒いのは分かるが我慢しろマール、氷属性のお前より俺の方がずっと寒いんだから!」


 嘆きの山に着いたとき、俺たちの限界はすぐそこまで迫っていた。やたらと長い鎖を登り、その間嫌がらせなのかと思うほど横殴りに吹雪かれて、やっとついた山も鼻水が瞬時に凍る極寒地獄。明確な死が見え始めていた。
 山は白に押し潰されて草花が姿を消している。細い葉を付けた木々だけが揺らぐ事無く立って自然の力を教えてくれた。それに励まされる事は無いけれど。考えれば分かる事だ、地上よりも遥かに高度な場所にある嘆きの山が寒いなどと。ただ寒いの度合いが尋常でなく上回っていたのは予想が外れた。


「クロノさん……僕はね、今とっても良い気分なんですよ……」


「やめんかって! お前が言うと絵になるから冗談でも一層怖い!」


 体温調節機能があるロボですらこの様だ。何度かルッカと交代させようかと時の最果てに連絡をしても一向に返事が返ってこない。何してるんだよあいつら! (前話おまけ参照)……まあ、火属性のルッカにこの氷点下はきついだろうし、カエルはここに来てその高度を知った瞬間発狂するだろうから交代しても意味が無いのだが……
 前方からの風を避けるため、マールロボサラの三人は俺の後ろで小さくなりながら進んでいる。これつまり俺が一番辛いという訳で。どうしてお前らが先に弱音を吐くのか。男は女よりも寒さに強いから我慢しろとでもいうのか。言っておいてやるが、どれだけ強い人間でも殴られれば痛いのだ。


「ロボさん、小さいので抱きついてもあまり暖かくありません! 位置を変わって下さい! もう本当お願いしますから……」


 最後尾を歩くサラが傲慢なのか懇願なのか微妙な事を言い出して、無理やりマールに抱きつこうとしている。確かに、身長の低いロボに抱きついて暖を取るのは無理があるか……


「それなら僕とマールさんの位置を代えましょう……僕がクロノさんに抱きついてサラさんがマールさんに抱きつけば良いじゃないですか……」


「絶対嫌だよ。クロノの体温高いから、ここ離れると私死ぬ。ていうか下手に動いて風に当たりたくないし」ロボの提案をサラのお願い事ぶった切る。俺だってマールやサラの後ろから抱きつきたいのに、俺のお願いは聞いてくれないのか? マールに抱きつかれてる現状に不満があるわけではないが……少なくともロボに抱きつかれるより万倍良い。サラに抱きつかれるのなら尚のこと歓迎する。巨大マシュマロを所望する。


「はあ、はあ、はあ……赤い人、今だけ私は貴方の存在を許します、だから私に体温を分けて下さい」


「……いや、今さっき俺もそう思ってたし、お前の頼みは願ったり叶ったりなんだが……なんだか言い方がいやらしくて、ちょっと戸惑うし、止めとく」


 自分から動いたり言ったりするのは気にしないが、どうも俺は受動になると拒む癖があるようだ。ヘタレでは無い、断じて。
 息を吸うだけで肺ががしがしと痛む。酸素が薄い事もあり、そもそも呼吸が困難なものとなり始めた。今迄の旅で一番辛い行進なのは間違いないだろう……原始の熱気が恋しい……
 何処かに横穴らしきものが無いか見回すが……駄目だ、それらしきものが全く見つからない。今魔物に出くわせば戦闘なんて出来る気がしない。体温を取り戻さないと冗談でなく行き倒れになるぞ……
 体温で思い出したが、サラはファイアを扱えたんだった。早速彼女に火を作ってもらい気休めにも気温を上げてもらおうと頼んでみたが、「放つ事は出来ても私たちの周りに火を作る事は出来ません」とのこと。単純に飛ばすことは出来ても待機させるといった操作はできないということか? やるじゃないかと評価を上げればこれだ、俺の出会う女はエイラを除きがっかりさせないと気がすまないのか? マールは能力面に文句は無いが性格面に難がある。一生口にはしないけど、尿漏れとか。
 しかし、寒いというだけでも充分な脅威だが……疲労も無視できない。アルゲティを出てそう時間は経っていないが未だに慣れない雪道に鎖を伝う肉体作業、疲れない訳が無い。風が無い場所で休むだけで良いんだが……


「……そうだ、穴を掘るのはどうだ?」ふと思いついた案を口にしてみる。


「穴ですか?」


「そうだ、魔法を使えば大きな穴くらい作れるだろう、そこに入って火を熾せば休憩するなら充分だろう」


 言うが早いが、俺は小高い丘になっている林に入り丘の横手に貫通性を上げた電撃を放つ。同じようについてきたロボも太目のレーザーを放出し手伝ってくれた。威力だけなら弱くないサラのファイアも手伝い見る見るうちに洞穴が作られた。全員飛び込んで、マールが入り口に氷壁を作り風を遮断する。空気穴として、小さな隙間を作って簡易キャンプが完成。一酸化中毒にならないように心持ち大きめに。多少風が入り込むが、外とここでは段違いだ。俺は持っている乾木を全部取り出して火を点けた。床が濡れているので多少時間は掛かったものの、皆で念入りに火を煽ったので消えずに燃え上がらせる事ができた。後は機を見てサラに加減したファイアを叩き込んでもらえば数時間は持つだろう。幸いにも、洞穴の天井から垂れる木の根っこなどが薪の代わりにもなる。
 中の気温が上がってきたので、俺たちは仮眠を取る事にした。見張りとして俺が起きておく事にして、皆を寝かせる。俺の体力は寝るほど減っていない。暖まればそれで充分だ。自分の起きておくと言ってくれるマールとロボを抑えて、たき火の側に座る。折れない俺を相手に、感謝の言葉を告げて二人は丸まった。
 火の揺らめきを眺めて、しばらくの時が経つ……三人の寝息が聞こえ始めたのが少し前。やはり、皆消耗が激しかったのだろう、すやすやと聞いているだけで安らぐような声は睡眠を取らずとも俺の体を癒してくれた。


(よくよく考えれば、マールもロボもまだ子供なんだよな)


 ロボがアンドロイドだということは知っている。それでも言葉遣いや泣き易く拗ね易い彼が自分よりも年上とは思えない。マールと自分はそう変わらないと思うが、何と言っても外出することすら少ない王女である。元気があっても、この厳しい旅路は辛かっただろう。本当、良くやってくれる奴らだ。


「……それは、貴方もそうじゃないんですか?」


 急に声を掛けられて、少しだけ驚く。そうか、三人に聞こえた寝息は二人だったか。
 たき火から向き直り、何故か正座している彼女に体を向けた。


「……何で俺は他人に心を読まれるかね?」


「声に出てましたよ、赤い人」笑いを噛み殺すようににやけるサラ。恥ずかしいんだから、聞こえてても無視してくれればいいだろうに、性格の悪い奴だ。
 そうかよ、とぶっきらぼうに返して、少しの間どちらとも言葉を口にしない時間が流れる。たまには、こういうのも悪くないものだ。
 外からは猛るような吹雪の音。入り口にある氷壁に雪が当たって弾け鳴るのは薪が爆ぜる音とマッチして、コンチェルトを演奏する。ぼんやり上を見上げれば無造作に飛び出た植物たち。目の前には至高の造形を持つ白い女性。黙ってれば、良い女過ぎるよな……なまじっか肌が白いせいか、場所が場所だけに雪女と対面している気分にもなるが。


「……サラはどうしてついてくるんだ? 俺たちに任せておけば賢者様は助けてやるぜ? それとも、まだ信用無いか?」


 サラがふるふると頭を揺らす。その際に、絹糸のような髪から絡まっていた雪と水が飛び散った。


「貴方たちなら、きっと命の賢者を助けてくれるでしょう。でも、私は誰かに任せっぱなしというのは嫌なんです」


「はは、本当王女らしくないな」


「固定概念で何かを語るのは滑稽ですよ、赤い人」


「……いい加減俺の名前を覚えろよ。俺はクロノだ」


「む、子分が親分に命令とは良い度胸です」


 部下から子分になったのは格上げなのか、格下げなのか。まあどちらでもいいけどさ。
 喉を鳴らして愉快だと表明すると、サラもすっ、と透明な笑顔を作った。いつもの彼女からは考えられない綺麗な笑みに、俺は考える事を忘れて思った事をそのまま口に出してしまった。


「……すげ……滅茶苦茶綺麗だ」


 我を取り戻して口を押さえるけれど、一度出したものは戻せない。ああ、顔が熱い!
 怯えているのを自覚しながら静かにサラを見ると、ぽかん、という擬音が似合う表情で口を半開きにしていた。その後、面白くて仕方が無いという顔に。


「そうでしょうそうでしょう。ふふふ、何とも恥ずかしがりなのですね赤い人は」


「うるさい、早く寝ろよ」顔を逸らしたら負けだと分かっていてもそうせずにはいられない。際限無しに顔が赤く染まっていくのだから。耳なんか焼けどしたみたいに熱をもっているのが分かる。雪に顔を突っ込みたい気分だ。


「ふふふー、赤い人は結構面白い人なんですね、と言ってみます」


「あーもう! 何だよその喋り方! 寝ろったら寝ろよな!」


「ふふふー」


 それから二十分くらい、俺はサラにからかわれ続けた。不覚だ……何故俺が弄られる側になるのか……精神的な弄りなら俺の右に出るものがいないと自負してきたのに……! この恨みは必ず晴らしてくれる!
 ようやく俺の頬を突っつく作業を止めたサラが大きく伸びをして「面白かったです!」と笑う。こいつ、本気で寝る気無いな……何の為に俺が見張りに立候補したと思ってるのか。こんなことならすぐに寝れば良かった。
 手の甲を額に当てて熱を冷ます。その意味もお見通しだとニヤニヤ笑うアホがひたすらにムカついたが、ここで起こると肯定しているようでさらに腹立たしい。忍耐という文字を頭の中でなぞって精神安定に努めた。
 ……ここに入って五十分って所か? 予定休憩時間の半分弱が経過した事になる。嫌に時間が過ぎるのが早い。認めたくは無いが、サラと話していたからだろうか? 少しは感謝しても良いかな、と思い「ふふふー」という業腹な笑い声を思い出して胃がムカムカする。こいつが今からでも寝てくれたら入り口の氷を削って背中にインしてやるのだが。どんな声を上げるのか楽しみで仕方が無い。
 ゲボハハハ……と正常ではない笑い声を漏らしていると、いつのまにかサラが立ち上がり俺の隣に座った……きゅ、急展開来訪! 急展開来訪ですぞ!


「……母様の話をして良いですか?」俺のオーバーヒート目前の頭とは違い、分かりづらい程度に痛みを孕んだ顔でサラはぽとりと言葉を生んだ……真面目な話、なんだろうか?
 そのまま何も言わずにいると、良いと取ったサラが口を開く。


「昔は母様も優しい人だったんですよ。ジャキのことも、中々相手しなかったけど、あの子が熱を出した日なんか冷静な顔して飲み物を三回もこぼしたんですよ?」


 その時の情景を思い出してかサラはクスクスと笑う。本当に大切な思い出を、彼女は語っているのだろう。俺は口を挟まず話の続きを待った。


「近くを通る人に必ず『今日の天気は良いのお』なんて言ってから、『ところでジャキの具合はどうじゃ?』なんて言うんです。本当はいの一番にそれを聞きたいのが丸分かりなんですよ。最初に関係ない話題を振って、誤魔化せてると思ってるんでしょうね。それがあんまり続くようだから、今日の天気を聞かれた人が『ジャキ様の熱は下がり始めたようです』って本題を先に答えちゃって。その時の母様、いつもお面を被ったみたいなのにかーっ、と赤くなっていって、面白かったです」


 サラの思い出話を聞いて、話の中のジールと実際に会ったジールを比べてみる。お面を被ったよう、と言うが俺の見たジール女王はいつも壊れたような笑顔だった。それも面のようなものと言えるのかもしれないが。息子の為に心を煩わせるとか、想像が出来ない。ほとんど会話もしてないけれど、気に喰わない相手はすぐに処刑すると言われてなるほど、と頷きそうな狂気を持っていた。
 そこまでの話をしている時のサラはとても楽しそうで、何度も膝を叩いたりして機嫌が良さそうだった。この話をしているだけで、楽しくなるような、そんな笑顔。それがふっと影を潜めて、心なしか声の音量すら小さくなっていった。


「……ある日、母様が病気に罹った時です。その病は重く、医者をして助かりようが無いと判断されました……私もジャキも泣きついて、『死なないで、置いていかないで』って母様から離れませんでした。私たちの父様は小さい頃からいないから……私たちだけ取り残されるようで本当に怖かったんですよ」


 水滴が落ちるように、独特のテンポで単語を作る。
 ……そうだな、いくらはちゃめちゃでも、俺だって母さんが死にそうになれば泣き喚くし、縋りつくだろう。いい年してようが何だろうが、家族の死に泣かない奴なんていないんだから。


「結局、奇跡的に母様は治りました。医者も吃驚して、魔法科学を超えている! と驚いてましたよ……でも、それから母様は変わりました。不老不死について調べ始めて行き……ついには世界を壊すとされるラヴォス神に目をつけたんです」


「……死に直面して、性格が変わったってことか?」ここで初めて俺が口を挟む。サラはゆっくりと頭を縦に振り、「恐らくそうでしょう」と短く切った。


「私は、母様が助かって嬉しかったし、二度とこんなことが起きて欲しくなかった。でもそれは不老不死になってほしいわけじゃないのです、ただ……ただ……」


 それから先は声にならず、サラは嗚咽を漏らしていった。
 ……どうして俺にこんな話を? ……それを聞く気にはならない。簡単なことだ、俺にほんの少しでも気を許してくれたという事だろう。鈍感な俺でも、その程度の機微は弁えてるつもりだ。
 ただ、それが嬉しくて、彼女の話が辛く悲しくて。俺はどんな想いを抱けば良いのか分からないまま、入り口の氷越しに映る雪を眺めていた。
 ……きっと、この山の名前である『嘆き』という言葉は偽りではないだろうな、と意味のない事を胸に刻みながら。









 星は夢を見る必要は無い
 第二十八話 唯一凡庸平和的主人公格









 全員の体温と体力が回復し、洞穴の中から這い出る事にした。気持ち穏やかに感じる降雪は縁起の良さを思わせる。今の内に命の賢者を探さねばとマールは息巻いて大股で雪を踏み鳴らしていく。
 サラの話では、命の賢者は山頂部に幽閉されているのだとか。強大な魔物が見張りをしているとのことだが……引くわけにはいかない。
 ──ちょっと、スイッチ入ったしな。
 それから人間大の怪鳥や、ガーゴイルと称される魔物、花弁から毒粉を撒く厄介なモンスターが雑多に襲ってくるも的確に動きを封じるサラの魔法の力もあり、大した障害には成り得なかった。零下にあるここではマールの魔術が冴え渡り氷柱に貫かれ、ロボが氷ごと魔物を粉々に砕いていく。俺も使い慣れ始めた電撃を操り攻撃をさせない。ソイソー刀を伸ばして空に飛ぶ怪鳥を切り落としていった。
 やはり戦闘があると、体が温まり良い塩梅となるな。戦い始めてから一時間が経過してもまだ体を動かすのに不自由は無い。良い意味で寒さが気にならない。
 登山という形ではあるが、鎖を這い登るのに比べて、山の傾斜はなだらか。八合目付近につくまでさしたる疲労は感じなかった。山に着いた初期の地点には雪が積もり足を取られたが、ここまでくると地面は滑り凍っているが、山雪は山風に飛ばされているのか体力を奪われる事はなかった。寒さは耐えがたいが……体を動かしている間は忘れる事もできる。
 山道の左手にある木々の枝からぼとぼとと雪が落ちていく音に気を取られ驚いたマールがひっくり返り雪塗れになるハプニングがあったが、思ったよりも楽な登山道になっていた。


「そういえば、赤い人はジャキに会ったのですね? 暗いとか無礼な事を抜かしてましたし」


 白い息を両手に当てながら、もう涙の跡は見えないサラが笑いかけてきた。ですます口調の割りに抜かしてたとか、ちぐはぐな言葉遣いだな。


「会ったよ。下手に騒ぐ子供も苦手だが、陰気すぎるのも考え物だな」


 下手に騒ぐ、の部分でロボを見やると「……僕はクールな性格ですよ」とぶっ飛んだ自己評価。お前がクールならどんぐりを齧るリスはアナーキズムの極致だ。パンクの塊と言い換えても良い。


「むう。ジャキは少々気難しい所もありますからね……今迄ほとんど無かったことですが、あの子が泣いた時は私でも手を焼きました。三日間延々鼻を鳴らしていたこともありますからね」


「おいおい、何で今弟の話しなんかしてるんだ? お見合いかっての」


 他意の無い軽口だったのに、彼女は「おやあ? やっぱり私を意識しているようですねおませな赤い人?」といやらしいったらないニヤニヤを見せる。もう忘れろと言ってるのに、何故こいつはまぜっかえすのか……! 谷底に突き落としてやりたい気持ちが八十パーセントを超えた。もう一声なんだが。
 ガルル……と舌を震わせて威嚇しても、サラはおどけたように体を揺らして離れていく。道化師のような、愉快なタンゴを踊るような、そんな足取りで。


「別に意味はありませんよ。ただ、貴方は子供の扱いが上手そうだなと思っただけです」笑顔のまま先に進む。俺はそんな彼女の背中を早足で追いかけて通り過ぎざまに頭に手を置いた。


「自慢じゃないが、あやすのは得意だぜ。ごねる子供を泣き止ますのは特技だ」


 むしろ、それくらいしか得意な事が無いのかもな。
 言って、サラを見ずに山道を進む。一度くらいなら、こいつと何処かに遊びに行くのも悪くないな、とこいつに対する気持ちを改めながら。
 ふわふわして、あっけらかんな空気を近くに置くサラは疲れることもしばしばあるけれど……というよりも、大概がそうだけど。楽しくないわけじゃないし、背負うものが無いただの馬鹿というわけでもない。消極的にでも歯を食いしばり努力している人間は嫌いじゃないさ。
 柔らかい気持ちになって、口角を上げて笑う俺をいつの間にか隣を歩くマールがじっと覗き込んでいた。ああ、雪に埋もれて出来た顔の霜焼けちょっとマシになってきたな。


「……もしかして、クロノってば今ラブ状態?」


「馬鹿、見当違いだ」


 右手で頭を掴み前後に揺らしてやる。楽しそうに笑うマールが面白くてそのまましばらく遊んでやった。もしかして、こういうところを見て子供の扱いが上手いと思われたのか? ……いなすことに長けているんじゃないかなと自分でも思うが。
 ……見当違いだっつの。
 遊ばれているマールを指を咥えて見ているサラを横目で見て、頭を掻く。嫌いでは、無いけどさ。恋愛じゃないよ、そんなに簡単な人間じゃないんだから。
 もうすぐ、山頂。緩みかけた気分を張り直すためマールの頭を持つ手とは逆の左手で胸を叩く。今は余計な感情を外に出して、戦いの予感を滾らせた。






 今迄に無い急勾配の道のりを上がりきり、山のいただきに辿りついた。不思議な事に、幕の中に入ったみたく雪風は肌に触れず静かな空間が広がっている。歩いてから気付いたのは砂利の擦れる音。地面に雪が積もるどころか、凍ってすらいないという事実に魔法の力が働いていることを確信した。
 自然の力を捻じ曲げる、無機質で傲慢な魔力……渦巻くようなそれに包まれ、囲まれて歪んだ光を反射しつつ、底の知れない崖を背にして、円形の台座の上に一人の老人が氷付けになって鎮座していた。場所は山頂、老人、幽閉と言う言葉……まず間違いなく、この哀れな男が命の賢者その人だろう。息を切らしながら俺と同じ光景を目にしたサラが見開いて悲鳴を上げたことから間違い無い。遅れてやってきたロボとマールも荒れる呼吸に高度ゆえ薄い酸素をねじ込み整えた。陰鬱な気配が迫ってきたからだ。


「早く助けなくては……捕らえる事が目的の魔力の氷とはいえ、あのままでは死んでしまいます!」普段のように悪ふざけの類を口にせず、狼狽とした雰囲気すら滲ませながらサラは囚われた老人に走り寄った。


「……待てサラ! 行くな、罠だ!」離れていくサラの腕を取ろうとして、俺の手が空を切る。走って追いかけようとしたのに、だらしのない俺の足は勢いに負けてもつれ、その場に腰を落としてしまう。


「待ってて下さい、今すぐ私が封印を解いてあげますから……」


 大切な物を触るようにサラが氷の表面を撫でる。良くない、絶対に良くないものが近づいているのに、サラは気配を感じていないのか、目の前の老人を助けるのに夢中なのか、無防備に詠唱を開始した。その姿に全身の毛穴から噴出すような大声を上げて「戻れ!!!」と警告する。
 一瞬だけ、疑問符を投げてサラがこちらを振り向く。鼓動がやかましい、手が震える。魔力を使おうと精神を安定させるのに、そう努めるのに、冗談みたいな時間がかかった……間に……合わない!!
 ……風の音が、止んだ。後を追うように崖の底から尖端とした魔力が溢れ歪に震える鳴き声が木霊する。異常な事態にサラは発生源に目を向けて、予備動作も無く右に『吹き飛んだ』。
 考える事ができないみたく、ただサラに声を掛けた時のまま口を開けてラグビーボールのように跳ねていくサラの体を見送った。彼女の強制的な跳躍運動は、途中の岩に頭を強くぶつけて終わる。頭蓋から、雪を染めていく液体をだくだくと流していく瞬間までじっくりと見送って。
 彼女が飛んでいった道筋には点々と染みが出来ていた。幅広いものから、指の先でつついたようなものまで万別に。流石に万の染みは無いかもしれないが……少なくとも俺にはそう見えた。
 それが……彼女の華奢な体が叩き付けられるのが、(おじさんに殴られるルッカと)色んなものと(魔物に食い殺される兵士たちと)重なって(血まみれで沈むヤクラと)赤い衣服が(魔王に赦しを乞う俺と)もう戻れない(見捨てざるを得ない友達たちと)と言っているようで。
 頭が痒い、もう寒さなんて感じないのに歯が震えているのはどうしてだろう? いつのまにか爪と爪を擦りあわせていたら、右手の親指の爪が剥け始めていた、寒さで麻痺しているからか、痛みは感じない。マールたちが呻吟に近い声を出して、すぐさま「サラさん!!」と叫び声を上げた。ただ立ち尽くしている俺と違って、随分と素早い反応。混乱しているだけでも、何かのアクションを起こしている分ずっと俺よりも現実を見ている。俺はまだ……そこに戻れそうに無い。


(死んだ? いやまだ分からない……でももしかしたら。では誰が? サラだろう。サラとは誰だ、俺の何だ? 友達か? 違う、では恋人? 違う知人だ、知人に過ぎない。なら良いじゃないか。良いわけないだろ、友達とするには接した時間が短いだけで仲は良かったんだから。少なくとも、あいつの話を黙って聞いてやるくらいには。関係をからかわれて不快になるくらいには)


 何かが煮える。何かが燃えていく。またかまたなのか俺は、また誰かが死ぬのを見ているだけか? 女の子だぞ。男女差別なんか説く気は無い。女が怪我をしてはいけないなんて、男よりも死ぬのは悲しいとか、そんな綺麗事は俺が最も嫌うもののはずだ。でも彼女は女の子だった、綺麗だった、美しいと思った、下心無く、触れてみたいと思えたんだ。
 彼女の見下すように笑う嫌味な笑顔、してやられて膨らむ彼女、自身ありげに何かを語る活力のある動作、リベンジを誓う不敵な口元……大切な物を教えてくれた時の優しい目と、無くした過去を憂う涙。これだけ綺麗なものなら、俺でも触れば綺麗になれると思ったんだ。
 ……視界の隅で、マールとロボが倒れたサラに駆け寄り回復呪文を唱えているのが見えた。凄いな、なんて冷静な行動。
 悪い意味じゃない。感服してるんだ、俺は……回復呪文を使えないからというだけでなく、ちょっと堪えられない。こっちを見てない二人には意味が無いけど、謝罪の意味で頭を下げた。本当にごめん、俺にはやらなきゃいけないことがあるから。


「…………覚悟は良いか? とか言えば格好つくんだろうけどさ。無理だわ、さっさとバラバラになってくれ」


 吹けば消えそうな軽い口調を唱えつつ、鞘から刀を抜いた。万全でも無いんだけどな、電撃は結構使ったし、空ではないけど満タンには程遠い。心許ない魔力量のはず。なのに、今の俺は空に浮かぶ雲全てから落雷を落とせそうな気分だった。
 音も無く、目の前に(崖下から立っていると仮定して)山の半分くらいありそうな、大き過ぎる魔物がこちらを見据えていた。甲殻ばった紫の体から抑えきれない魔力の蒸気が浮き上がっている。人形みたいに動かない口から酸素を欲する印として白い息が溢れて、目玉の大きさに合わぬ小さな黒目が両共に俺だけを捉えている。丸太を十本くらい縛り上げたような太い腕と、人間なんか触れるだけで裂きそうな鋭い爪。掌には帯電する稲妻が舌を出している。見た限り……そうだな、魔王のサンダーと同じくらいか? それとも、それを超えるものかもしれない。
 なるほど、強敵。魔法王国であるジールが番人として置いているだけのことはある。その迫力は今まで会ってきたモンスターとして疑う事無く最強。開け広げた口からだらだらと零れていく唾液が落ちると、地面の氷は瞬時に消え去り、酸性特有の融解音が唸りを上げている。特殊能力も豊富、と。


「うん、良く分かった。ところで何で動かないんだお前。自己紹介気取りか」


「…………ブア……ブア、ブアッ、ブアブアブアアアアッッッ!!!!」


「それ、鳴き声か。ユーモアがあるな、それだけは印象に残してやるよ」


 魔物は両手を前に出し溜めに溜めた電流の嵐を飛ばした。地面には大蛇が通ったような跡が刻まれて徐々に近づいてくる。間近で見れば、それは相当な圧力となって襲ってくる。


「圧力だけは凄かったな」


 右手に集めた魔力を解放。磁力最大、目の前の電力を全て吸収。次いで、凝縮。でかければ良いってことじゃないんだ。弾みで服の袖が弾け飛ぶが、気にするような事じゃない。精々、帰りが寒そうだってくらいだ。
 魔物は己の自信ある魔術をこうも簡単に奪われ驚いている。顔の変化が無いから、確証は無いけど。次の攻撃動作に移ることはなかった。勘弁しろよお前。体は動かさずに掌だけを揺らしてさ、状況を掴めてないと宣言しているようなものじゃないか。
 ……魔物の出現と同じく現れた黒雲が頭上に見える。恐らく、この魔物の魔法を補助する役割があるのだろう。フィールドを効率的に使うとは賢いじゃないか。俺も活用させてもらうが。
 刀を持つ手を変えて、右手を空に掲げる。やべえ、面白い。何が面白いって、目の前のこいつが黒焦げに成る様が浮かんできて集中が途切れてしまう。絶対に失敗なんかしないけどな?
 手の中に作った球状の集電体に雷雲を這う雷が応えてくれる。見てろよ不細工、御雷鎚ってもんを見せてやる……一発で粉々になるなよ、それじゃ面白くないからさ。
 ……最高潮にはなってないけど、この辺りで良いだろう。あんまり本気を出せば本当に一撃で死んでしまうかもしれない。サラは何度も床に叩きつけられた。ならお前はその倍苦しむべきだ。


「……まずはレアだ。生焼けになれ……!!」


 右手を振り下ろし、千雷を呼ぶ。雷鳴は一度鳴り、三度鳴り、万雷の怒りを見せて荒れ狂う。無作為に踊る電気の光が俺と魔物の間に現れて姿を見せた。
 そこで魔物は同じく電撃を作り盾とするように目の前に作り出し両手を交差させる。防御か、正しい判断だ。馬鹿の割には頭が回るんだな、これがどれだけの威力を誇るか、想像できたか……とすれば、直接落とすのは無しだ。期待通りになんてしてやるものか。
 十二股に分かれる落雷が集まり、魔物に落ちる……事無く、全ての電力が俺に降り注いだ。


「…………ブアッ!?」魔物は想像外の出来事に戸惑い前傾の体勢になる。何が起こっているのか、しっかりと確かめようとしているのか。


「がっ……!! ……そう焦るなよ、飴玉ならまだ残ってるぜ……!」


 目の前がチカチカ光り体が沸騰する。血液は体から出たいと暴れ網膜からあふれ出した。命令を無視して四肢が震え、肺に入れるべき空気を吸い込む前に焼いてしまう。右手首の動脈が破裂、目を背けたくなるような血が噴水のように飛び出る。
 騒げ騒げ、招待したのはこっちだ、好きなだけ俺の体をいじくれば良いさ落雷ども。その代わり……分かってるな?
 一つの境を越えて、体の自由権が譲られる。俺が、御しきったという事だ。
 ……用意は出来た。後は、この有り余る、膨大な、自然の力全てを消費して、留め金を砕くだけ。


「……トランス」


 身体機能が限界を優に超えて体を構築。反射神経の向上により今なら風すら避けられるだろう。動体視力、降雪の一つ一つを視認して見分ける事も可能。そこまで進み尚も俺を変えていき、進化を止まらせない。
 ……ブチ切れろ、三下もどき。
 自分のものとは思えない脚に力を込めて、跳ぶ。跳躍距離は、一歩で魔物の顔に捕まった事から二十メートルという所か。手早く刀を顔に刺して足場にする。一瞬痛みに呻く声が聞こえたが、まずは無視。目前には俺の体と同じ大きさの眼球。そこに優しく拳を入れてこねくり回す。眼窩の深くまで手を伸ばして、先にある粘ついた視神経を掴み取った。


「ブアアアアアァァァァッッ!?」


「痛いか? でも面白いだろ、楽しいだろ!?」


 顔を振り回し俺を落とそうとする。折角面白い遊びに加えてやったのに、なんだその反応は。でもいいや、他にもいっぱい考えてる事はあるんだから。
 手に持ったものを離さずに刀を抜き後ろに飛ぶ。じゅるじゅると伸びていくのはさっき握った視神経。あれだけ大きいと、神経も長いのか、勉強になった。流石に地面に降りる前にはちぎれたけど。
 片目を押さえて喚く声が癇に障る。ちょっとした冗談じゃないか、大げさなんだよモンスターの癖に。お前は自分よりもっと小さな人間を殴っただろうが。


「次はどうしようか? 耳を剥ごうか、それとも役に立たなくなった眼球に入って暴れてみようか? 目玉の中って暖かいらしいぜ? 蜂蜜みたいにどろどろしてるって聞いたことがある」


 言葉が分かるのか、魔物はぶんぶん頭を振って拒否している。でも駄目だよ、お前が俺の遊び相手を壊したんだ。無駄につっかかってくるあいつを壊したのはお前なんだ、だから代わりに遊んでくれよ、なあ。
 怯えたように震えていた魔物がやけくそのように腕を振り上げて叩き落す。もしかして撫でてくれようとしたのかと勘違いしそうな遅さ。半身を逸らして刀を振る。五指の内親指を残してぼとぼと落ちていった。
 気が狂ったように魔物は叫び残る左手で右指を拾おうとした。俺が切ったんだから俺のものだ、勝手に取るな。
 上に跳んで空中で半回転、右踵をでかぶつの左肘に落とした。あらぬ方向に曲がった自分の腕を見て舌を出し酸性の唾液を撒き散らす。汚え、マナーも何も無いな。食事の礼儀から教えてあげようか。
 ソイソー刀を伸ばして指を団子状に突き刺し持ち上げる。聴くに耐えない鳴き声を漏らす口に跳んで近づく。その目に浮かぶのは恐怖、今から何をされるのか本能的に悟ったか?


「ほら食えよ。これが欲しかったんだろ? 返してやるから食えって」


 無理やりに四本の指を口の中に入れていく。何だ、口は閉まらないかと思えば、ちゃんと閉まるんじゃないか。歯を閉じて抵抗するのが気に食わなかったので、ソイソー刀をさらに伸ばし歯茎から全て切り落とす。遮るものの無くなった口内に今度こそ指を放り込めば、「ア、ア、ア、ア、アアアア!!!!」と爆音。口の近くに人がいるんだから、でかい声出すなよ。
 あまりの騒音に耐えかねてまた距離を置く。ちょっとムカついたけど、やっぱり面白い。このまま続けば、こいつもサラ程とはいかないけど面白い人材に育つかもしれないな。ああ、人じゃなかったか。


「ひひっ、次は何が食いたい? 鼻か? 耳か? 腕を輪切りにして焼いてやればステーキにもなるな。それか、もう一度指を落としてスナックにするか?」


 まだまだ、遊び続ける事が出来そうだ……舌なめずりをして、返り血を舐め取った。悪くない、食い応えもあるとは、バリエーションが豊かじゃないか。
 もう一度刀を構えて、次は何処を切り落とすか勘考した。








 根底から間違っていたのだ。
 ドロクイの巣にて、僕は少しの感動の気持ちさえ持ちながらクロノさんにこう言った。
 ──マスターの不安定さ、マールさんの決め手に欠ける部分、カエルさんの迷うような感情……それらの弱点が、今のクロノさんには見えません。言わば、揺らがぬ心といいましょうか──
 何て馬鹿。安定している? 決め手がある? 迷わない? ……まるで見当外れ。クロノさんはただ、怯えていたのだ。
 クロノさんの年齢を聞いたことはない。ただ、二十にならない、場所が場所ならばまだ学生であろう年なのは分かっている。今迄生死を賭けた戦いなどとは無縁な、平和な町で暮らしていた事も。
 ……この旅は、そんなクロノさんにとって余りに酷。マスターたちの話を聞けば、元居た世界では反逆者として扱われ、中世では相当の人数の死人を見たという。その時自分を救ってくれた友人と永別したとも。圧倒的な実力差のある魔王とも戦い死ぬ一歩手前の怪我をしたことさえ。未来に置いては、幼馴染であるマスターが怪我をして怒り狂ったそうだ。
 ……極めつけが、原始で大切な人を置いて生きて帰った事。
 それが悪いなんて口が裂けても言えない。僕にとってクロノさんは大切な、多分この世で最も尊敬する男の人だから、その時一緒に死んでいればなんて思わない。でもクロノさんにとってそれが良かったのか、良い事だと思えたのか。それはクロノさんにしか分からない。
 ……良くも悪くも、僕達のパーティーは何処か特殊な人が集まっている。マスターはクロノさんへの異常な執着心、それがマスターを形作っている。マールさんは否定するだろうけど、王女としての誇りが彼女を支えている。僕は荒廃した世界を知り、カエルさんは歴戦の戦士。今はいないけど、エイラさんだって恐竜人との戦いは日常茶飯事だったはずだ。
 クロノさんだけが、違う。彼だけは誰にも依存せず、担うべき肩書きも無く命のやり取りも知らない。だから誰からも許されるし、自分を許さない。
 ……クロノさんは怯えているのだ。誰かが死ぬということに。自分に近しい誰かが傷つく事を、酷く恐れているのだ。彼は知らないから、人が死ぬという事に慣れていないから。きっと今でも死ぬなんてことは現実と遠いものだと認識しているのだろう。
 それはきっと尊ぶべきもの。人によっては甘いとか、覚悟が足りないと貶すこともあるかもしれない。僕は断固として反論しよう、命とは……そう軽々しく語れるものではないと。記憶は無いけど……多分、幾人もの死を見取った僕が言っても、説得力は無いのだろうけど。とにかく、クロノさんは特別な事なんかではなく、一般的な思想として他人の死を恐れている。
 クロノさんの魔力は強い。でもそれは揺らがぬ心なんてものとは全然違うんだ。張り詰めて張り詰めて……弾ける寸前に溢れる力がクロノさんの魔力の根源となっていた。皆の為に気を張って背伸びをして、ペースを考えず走っていただけ。ランニングハイなんて爽快感は無い、ただ苦しいだけの戦いを続けて……多分、今壊れた。サラさんが倒れた時に臨界点を超えたんだ。


「僕は……何をすればいいですか? クロノさん……」


 サラさんの治療が終わり、後は脳に異常がないことを祈るだけ。可能性は五分五分だろう、あれだけ強く打ち付けたのならば何らかの障害が起きても不思議は無い。
 でも、もしサラさんが目覚めなければ……例えば、植物状態なんてものになれば、どうだろう? 悲観的かもしれないけど、無くは無いんだ。運命がクロノさんを見捨てることは、ありえない事じゃないんだ。
 ……クロノさん、きっと貴方は今辛いんでしょうね。ぎこちない笑い声を出しているけど、本当は泣きたいんですよね? もう嫌だって誰彼構わずぶちまけたいんでしょうね?
 ──でも、自分の大切な人が辛い時、何も出来ない僕は、なんなんでしょうか?
 今僕がクロノさんに走り寄ってもどうにもならない。僕が居ます! なんてことを言っても誰も助からない。僕自身が『行動はした』という結果が欲しいだけ。見ているだけしか出来ないという無様な結果を残したくないだけ。エゴが過ぎる。
 誰か、この耳に入り込む悲鳴を止めて下さい、お願いですから……彼を許してあげて下さいよ?
 ダーツゲームのように刀を伸ばし的を貫いているクロノさんは、確かに泣いていた。涙の代わりに血を目から流して、その心はきっと膝を抱えてせつなそうに、寂しそうに。


「……ロボ。サラさんを見ててくれる?」


「……え?」


「多分、私じゃ無理だから。悔しいけど、今のクロノは止められないから」


 何を言ってるのですか? と聞き返す前に、マールさんはクロノさんたちに近づき、何も話しかける事無く落ちていた光る物を手に取り、姿を消した……多分、クロノさんが落とした時の最果てとの通信機だと思う。マールさんはそのまま姿を消したから。
 マスターを呼ぶのか? 確かに、マスターなら今の狂ったクロノさんを止める事ができるかもしれない。分の悪い賭けだと思うけど……
 いつものマスターなら、きっと何とかできたと思う。でも今のマスターは、古代についてからのマスターは少し様子がおかしかった。表面上は笑ってクロノさんを小突いていたけど、どこか怯えたような……いつかは戻るだろうけど、些細な違いが見えた。
 ……果たして、今のクロノさんを止める事ができるだろうか……?
 胸に残る心配を他所に、時の最果てから、マールさんと交代で女性が姿を現した。


「…………どうして?」


 僕の声は、山の結界が弱まったせいか、再度吹き荒れる吹雪に消されてしまった。
 彼女は、疲れたようにため息を吐いて、歩き出してしまった。
 こうなれば、僕が願うのは一つ。どうか意地悪だけど本当は優しい照れ屋のクロノさんを返してください、と。








「凄いな! こんだけ血が出てるのにまだ死なねえんだ!? すげえ! 楽しすぎるぜおい!」


 両腕が無くなり、額に穴が空いているのに頭突きを敢行する魔物の顔を上に跳んで避けて、首に着地する際後頭部に深く刀を刺した。ぎりぎり死なない所まで加減しないと。もっと遊びたいからな。
 ついでに刺さったままの刀に電流を流すと大きな体が痙攣したので、山の中腹付近で雪崩が起きていた。それでも、今一つ面白みが無い。やはり魔物が叫ばなくなったからだろうか? どんな声を出してくれるのかとか、結構楽しみだったのに。
 仕方なく頭部にある角を叩き割っていくと久しぶりに腹の底に響く鳴き声……いや泣き声か? を漏らし活動を再開させる。そうか、そこにも痛覚はあるのか。なら今度はそこを集中して狙ってみるか!


「ブアアアアァァァ!!!!」


「おいおい泣いてるよコイツ! 良く分かんねえけど、結構いい年してるんじゃねえのお前!? 恥ずかしくないのかよ!」


 粉砕音を撒いて砕けていく角の残骸を見て、魔物は悲しそうに泣き出した。潰れていない眼から滝のような涙が。もう使えない目玉からはどろどろした液体がべたべた地面に落ちていた。
 もう角が無くなり、次はどこを斬ろうか壊そうかと悩む。もう指は残ってないし、耳も片方取った。口を見れば生え変わりのようにまた歯茎と歯が並んでいたから、もう一度切り取ってみるのも面白い。
 ……あれ、俺は何でこいつと戦ってるんだっけ? ああ命の賢者を助けに来たんだ。でもそれなら何で誰も加勢しないんだ? 確かロボとマールがいた筈なんだけど……他にもいた気がする。まあ、いいか。今凄い楽しいし、達成感というか、充実してるし。むしろ今邪魔をされたらちょっと腹が立つかもしれないな、誰だって遊びを中断されたらいらいらするだろう。
 ──だから、来るなよ。何でお前なんだ、お前は今ここにいないはずだろ? 早く帰れよ。今お前と話したい気分じゃない、だから近づくな。不快な足音を立てるな、血まみれなんだぞ俺。近寄りたくないだろ……ああお前は血なんか見慣れてるのか? とにかく、


「来るなよ。今俺、すげえ楽しいんだから」


「仕方ないだろう、今のお前を宥めるのは、どうやら俺の役目らしい」


 どうやら、楽しい時間は一時中断らしい。


「……急なんだよ登場が」


 何でお前がここにいるんだ? できることなら、誰にも見られたくないし、関わって欲しくないのに……
 ……宥める、か。なんだか分からんが、えらく気に障る。子ども扱いするなっての。
 カエルはあーあ、と肩を落としながら虫の息の魔物を眺めて悪趣味な、と溢した。胃の底がキリキリと痛む、沈殿物が湧き上がってきそうだ。


「宥める……? 一度くらい俺がお前を頼ったからって、今度も言い聞かせる気か? 今回の俺は別におかしくなってないぞ、ただ強くなっただけだ、敵で遊ぶくらいにな」


「なら、この残虐な行為が正しいお前か?」


「たまにはあるだろ、お前だってトンボの羽を毟ったことくらいある筈だ。一緒だよ……それとさ」


「トンボは耳につく悲鳴を上げはしない」間を置かず被せるように返球する。


 打てば響くが、鳴る音は期待のものではない。今のカエルはそういったものの典型だ、直接的に言わないものの、つまりは俺を否定したいらしい、今の俺はおかしいと結論を下したいらしい。なんて身勝手。俺の事を理解したような口ぶりが苛立たしくて、何様のつもりだとその細首を絞め取ってやりたくなる。
 ……それは良いな、この傲慢な女がどんな声で鳴くのか、気にはなってたんだ。上目遣いに見やるとその衝動は強くなっていくばかり。
 妄想が膨らみ、その瞬間を情景を思い浮かべ笑みを深く変えていく。ぼんやりした想像が輪郭を帯びていくにつれて甲高いスタッカートを刻みながら喉が鳴る。そんな俺をつまらなさ気に見ていたカエルは短い間に積もってしまった雪を頭から落とし、長い前髪を耳に掛けた。


「どうにもな、前にした説教が意味を成してなかったようだ。クロノもう一度だけ、お前に教えてやろう」


「は? 何を教えてくれるって? 今から俺と戦って、戦闘を教えてくれるのか?」


 カエルが首を横に振り、グランドリオンを鞘から抜き放った。俺もまた多分に脅しの意味を踏まえて、体勢を横に向けながらソイソー刀を突きつけた。
 ……今やただの運動音痴と化したお前に何が出来る? 強くなければ、何も出来ない。万理の理じゃないか。そもそも、何でちょっと怒ってるんだ? 俺は間違ってない、誰かに責められる様なこともしてないだろうが。ただ魔物を倒していただけだ、その過程をとやかく言われる筋合いは無い。俺は正しい事をしてるんだ、褒められるべきことをしてるんだ。仲間の皆が戦わないから俺が一人で戦ってるんじゃないか、何もしてなかった奴に後から来て文句を言われるなど我慢がならない。


「今からお前に教えるのは……殺し合いだ。遠慮なく来いクロノ」


「どうにも話が見えないな、意味分かんねえ……けどさあ、吐いた物を拾い漁ることは出来ないんだぜ?」


 いつもみたいに、笑って誤魔化されると思うなよ。カエル女。
 さて、戦闘の結果に絶対は無いと言うが今の俺は絶対に負けない自信がある。今まで遊んでいた後ろのでかい魔物相手にも目の前の見た目も存在感も小さい女は手も足も出ないだろう。相性というものがあり、自分は誰々に勝てるから、誰々に負ける何々よりも自分が強いという理論は成り立たない。それは分かっていても、限度があった。一人で五人の男を叩きのめすプロボクサー、それに勝ったプロレスラーが、一般人に負けるはずが無い。そして、それ以上の差が俺とカエルにはある。例え、身体能力が戻っていても極限トランスモードである俺が負ける気はしないのだから。
 ……つまり、何の策も無く俺の前に立つ筈が無いということ。いつだって、弱い奴は回転の悪い頭を使ってくるものだから。少し前までの俺と同じだ、考える事無く、力で粉砕すれば話が早いのに、それが出来なかった俺は文字通り役立たずだったんだろう。しかるに、先制するにはもう少し時間が欲しい……あくまでも時間の問題だが。
 役立たずか、そのポジション今この瞬間こいつに送り込んでやろう。力量的にも、精神的にも。


「……来ないのか? 怯えるなクロノ、強くなったんだろう? 御大層にも、相手を嬲って楽しむくらいに」


 ……なるほど、そう来るか。乗ってやろうじゃないか……前言撤回、策があろうと知ったことか。今すぐ啼かせてやろう。
 腰を落とし、愚直に前に走りこみ……刀を振る。カエルに防御は無い、回避も無い。見えるはずが無いのだ、念のためにカエルの眼球運動を見ていたが、今まで俺が突っ立っていた位置からまるで動いていない。脳も認識してないんだろうな、俺が動いたという事を。今の速さなら、加速したロボも俊敏に駆けるエイラでさえも俺の動きを追うことはできない……!
 両手両足に軽い切り込みを入れて通り過ぎる。俺が刀をしまうと後ろで鮮血が舞った。動けないほどの深手じゃない、それでも力の差は歴然であると分かっただろう。
 どれだけ驚いただろうか? もしかして、半泣きにでもなってるかもしれない。軽く心が弾んでいる事を自覚しつつ、カエルの顔を窺った。


「……ちっ」


 振り向いた先には顔に飛び散った血液を物ともせずにグランドリオンを薙ぐ姿。体を後ろに逸らしブリッジの要領で避けてそのまま後転。
 泣く? 流石に馬鹿にしすぎた。いくらなんでも相手は勇者。精神力は並じゃないだろう。けれど剣速は遅いに尽きる。まともに振る事ができても、当たるわけがないのんびりした切り払い。未だに体の動かし方を覚えていないのは明白だった。


「おいおいカエル、策も何も無いようじゃないか。そんなので俺を倒すのか? 面白い冗談だ、とっとと傷を治療してそこら辺で座ってろ。邪魔なんだよ」邪険に手を払い呆れながら追い払う。それでもカエルは気にした様子も無くグランドリオンを構え直し、


「敵の怪我を心配するのか? 流石だな、到底マトモとは思えん」と笑った。


 そうか……骨の何本か折らないと駄目みたいだ。残念だ、残念だよ。カエルは信用できる人だし、尊敬する武人でもある。大切な仲間なのは間違いない。
 ──でもそれ以上に面白い。


「……綺麗な声で笑ってくれよ?」


 脚に力を入れるのに瞬きの時間。力加減を誤らないよう調整、思考の間も無く完了。大きな一歩を踏み出す、鼻の先がぶつかりそうな位置まで肉迫。直角に曲げた肘から先を射出。臓腑にダメージ、破裂はしないよう加減はしても、穴の一つは空いただろう。うぼえ、と吐瀉物を服に浴びせられそうになったので顔面を殴り地面に伏させた。自分が吐いた物の三分の一程が顔にかかったカエルは芋虫見たく這いずりながら、何度も崩れ落ちつつも立ち上がろうとして、結局また横になった。
 胃液がからみついて息が出来ないのか、かろうじて仰向けから体勢を変えて口から粘着な唾液とともに外に出す。溺れるような苦しみだったか、生理的な涙を堪えて時間をたっぷり掛けながら剣に寄りかかり立ち上がった。見るも無残な姿に、何故回復呪文を使わないのか不思議でならない。深い傷はまだ付けてないのだから、ヒールで充分持ちこたえられるはずなのに。


「ここまでだカエル、さっさと退け。そんで座って自分の怪我を治療しろ、出来ないなら他の奴に頼めば治してくれるだろ」


「ごほっ……優しいな、クロノ? 子供にしては上出来だ」


「……だから、子供扱いするなって、言ってるだろうが」言葉に力を入れすぎて、所々詰まってしまう。


「子供だ、癇癪を起こして自分を見失うなど、人間が出来ていれば有り得る事ではない、そうだろう?」


 馬鹿だこいつ、真性の愚者だ。挑発とは、反撃を狙う為の、戦える者同士が行って初めて戦略に昇華する手札。奇策(ジョーカー)だけじゃ場を抜けれないんだよ。
 ……気候による恩恵、人体の負荷を度外視する魔術により初めて可能となった長時間身体能力向上により産まれた技、単純明快それ故に避けがたい。耐えられるか? カエル。
 刀を抜き差しして鍔と鞘を当てる。カン、カンと金属音が鳴り、カエルに攻撃のタイミングを教えてやる。しばらく俺の動きを眺めていたが、気だるそうにグランドリオンを横に構えて迎撃らしき姿勢を取った。まさか、この期に及んでまだ斬りあえると自惚れたのか……出鱈目だ、出鱈目としか思えない。どう解釈すれば、どう楽観視できればそうなる? 耳垢を取るくらい簡単に俺はカエルを殺せるのに。


 ──この例えは、何処で聞いたんだっけ?


 頭を振ってつまらない思考を振り飛ばす。慈悲として、唯一つの宣言を。


 強く金属同士をかちあわせて、高く澄んだ音が山々に鳴り響く。彼らが木霊の準備を始める前に、疾く駆ける。
 一足で剣を抜き、二足で背後に回りこむ。一刀目に背中を斬り、カエルが痛みに振り返る前に横手に並ぶ。下手に構えた剣を上に持って行きついでとばかりに右上腕部に深い切れ込み、返す刀で右肩から腹まで振り下ろす。倒れる前に襟を掴んで脇腹に突き、急所は外れるよう狙う事だけが手間がかかった。そのタイムラグさえ、相手にとっては瞬き以下の時間でしかないだろう。体から刀を抜き左回転。勢いに乗り左手首に刀を下ろし、半分ほどに分ける。骨は断っていない、治療が迅速なら何の問題も無いはず。仕上げに、面前でしゃにむに刀を振りまばらな傷を付ける。顔面首筋胸部胴周り脚部に至るまで満遍なく痕を刻み、靴先を腹部に押し付けて飛ばす。手加減は施した、それでも……これで全部終わるはず。
 ゆっくりと、紙のように吹き飛んでいくカエルを見送り、地面に背中から落ちる様を見てから鞘に刀を納める。


「……乱れ斬り」


 なんの捻りも無い、そのままの名前。技と言えるのか、それすらあやふやであるただ斬りつけることに特化した猛攻。道徳的に人に放つべくものではない悲惨な結果を生む奥義。直接攻撃というカテゴリの中ではまず最強に近いと自賛できる。
 受けて立ち上がれる道理は無し。見て立ち向かおうとする気力、その条理は消える。今俺が使える全ての力を注いだ傑作乱れ斬り。回復呪文を唱える喉も体力も残してやった。後は、こうして仲違いをしているにも関わらず攻撃に移る力の残っていない魔物を殺すだけだ。いや、まだ楽しめるだろう。


「……もう分かっただろカエル。まだ言葉を作る力はあるはずだ。ヒールを使え」最後とばかりに忠告を残しておく。


「…………俺の……勝手、だろう?」なのに……まだカエルは立ち上がる。まだ負けてないと、自分自身を克己させて。


「もう意地を張るなよ、見ただけでも不味い出血量なんだ、致死量に近いって、お前なら分かるだろうが!!」


「お前も随分と血を流しているじゃないか、貴様を濡らすそれは、返り血では無いだろう? 奴の体液は薄透明色のようだし、な」


 顎を魔物に向けて、俺の怪我を指摘する。


「これは怪我じゃない。トランスの際に流れ出しただけだ。今は自分で筋肉組織を操り傷口を無理やり塞いでる。これ以上血を流す事はない」


「そうか……えらく便利だな……」


 気温のせいか、血を流しすぎた為かカエルは身震いして声を揺らした。既に呂律は正しく回っておらず、雄雄しく見えた彼女の体は徐々に小さくなっていく。そんな幻覚を見た。


「…………治療しろよ」カエルに足を向けて、近づいていく。


「何故お前が俺の心配をする? 放っておけ、そこに倒れている女性を放って魔物と戯れるお前だ、難しい事じゃないだろう」


「……違う」


 遊んでたんじゃない、戦ってたんだ。嘘じゃない、嘘じゃないんだ。確かにすぐ倒せた気もするけど。魔物の攻撃も恐れるほどじゃ無かったけど。今カエルの言う『そこの女性』の名前も思い出せないけど、ちゃんと彼女を思って戦ってたんだ。本当なんだ。遊んでいるなんて思った事も無い。嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない嘘じゃない!!!


「…………怪我やばいって。早く治さないと、本当に死ぬぞ?」倒れている彼女の側に座り、眼を見つめる。弱っていても、その瞳は強く輝いていた。
 いくら言っても彼女が魔法を唱える気配を見せず、力無く笑っているから思わず首根っこを掴み持ち上げていた。抵抗する力すら、残っていないのだろうか……?


「だから、俺は回復手段を持ってないんだって!! アイテムは無いし、呪文も覚えてない! 分かるだろ!? 俺じゃお前の怪我は治せない! どんな意味があるのか知らないけどさ、死にそうになってるんだ、折れろよ!」


 何故傷を癒さない? マール程じゃなくても立派に治療呪文と銘打ってる魔法を使えるのに、剣だけで闘うつもりだったのか? それは違う、俺は魔法を使ってる。カエルがわざわざハンデを背負う理由が無い。
 こうして説得している間も、時と共にカエルの体から生気が失われていく。俺が忌むべきことだと思った事態を他の誰でもない俺が引き起こしている。その事実が発狂しそうなほど辛く圧し掛かる。重圧を帯びた時に現れる体の重みや、頭痛、吐き気が浸透し始めた。


「ち……おえ……治療、しろよ」


「……優しいな、クロノは」


「やさ……ウッ、あ。優しく、無い……!」


「優しいさ」


「優しく無い……大体、お前の怪我は俺が、やったことだろうが……」


 そして……俺がこうなったことの引き金が今も気を失っている彼女──サラ、だ。思い出した。サラが攻撃されたことだとしたら、次に俺を変えたのは、カエルの言葉。俺を肯定してるのに、俺の本質を否定する台詞。
 強調するように間を置いて、カエルは大きく息を吸った。


「今までもこれからも、お前は優しいだろう?」


 まるで、呪いの様な言葉。呪詛に近い。『優しい』ってなんだ? どの基準から見て優しいになる? 誰の目線でどの状況でどんな世相の中なら優しいになるのか。小難しい事をぐるぐる考えて、出た結論は……無いということだけ。
 その気も無いのに、許してもらおうとするわけでも、そんな場面でも無いのに、どうしてか涙が止まらなくなった。荒れる息は嗚咽に、震える肩は何かに打ち震えるように。


「優しくなんか、無いんだ。俺は、我侭なんだ」


 カエルは、ごり押しするでもなく、じっと俺の顔を見つめていた。くしゃくしゃになっていく顔を見ているだけなんて趣味が悪いなあと思うけど、その反応にならない反応が今は何より嬉しい。


「本当は、サラの為に怒ってた訳じゃないんだ。あの魔物に恨みがある訳でもない。そういう役割なんだから、侵入者を撃退するのも、おかしい話じゃないって、頭では分かってるんだ。ただ俺が誰も守れないって言われてるようで……悔しかっただけなんだ」


 声帯の振動が激しくて、きっと聞き取りづらい事だろう。ただでさえ辛いはずの彼女に無理をさせてしまっている。なのにカエルは一言一句聞き逃さぬよう、真摯な瞳を変えることはなかった。


「アザーラの事も、自分に都合の良いように悲しんだだけだ。きっと心の底では、悲しんでいる自分に酔ってただけなんだ。置いていったあいつを恨んでさえいるんだ!」


「……それは、違うぞ、クロノ」


「違わない! 俺は……もう嫌なんだよ、何もかも全部! そうだよ今分かったよ合わないんだよ俺にはこんな旅! 碌な正義感なんて持ち合わせてないくせに、変に首を突っ込みたがるから傷つくんだ! 意味なんて無いくせにさ!? なのに……誰かに、褒めて欲しいんだ、多分」


 顔に近づくカエルの手を振り退けて、頭を抱える。頭が痛くて、痒くてしょうがない。頭皮を削り頭蓋を割れば、治まるかもしれないと爪を立てて強く掻き毟る。光を求めて洞窟を掘るように、自分と同じくトンネルを作っている対面の誰かと手を握る為、砂山を掻き分けるように。もう全部おしゃかにする為に。
 髪が抜けて、頭から血が溢れていく。爪の間に髪と皮膚がへばりつき出した。


「俺頑張ってるんだって! 他人から見れば遊んでいるように見えるだろうけど、これが俺なりの真剣なんだって! これ以上なんて無いんだって! 結果がついてこなくても……一生懸命やってるのに!」


「…………お前……」


「最低だ……良いよ分かってる。皆だって頑張ってる事なんて百も承知だよ。分かったろ、どんだけ卑怯で都合の良い事を考えてるか……俺は優しくなんか、」


 最後の言葉を言い終える前に、脳漿を見せる為に動いていた俺の両腕が、止まった。それと同調して、俺の告白もまた泊まる。
 ……ほっぺたが暖かい。柔らかい物に触れている気がする。目の前には血がこびり付いていても尚綺麗な緑髪。鼻をすすると、鼻水と一緒に優しい香りが鼻腔をくすぐる。汗と血の臭いをかき消してふんわりとしたそれに鼓動が大人しくなっていく。つられて、微振動を繰り返す体も。


「……そうだな、お前は優しくないよ。自分勝手だ」


 それは俺を称えるでも褒めるでも何でもない、むしろ悪口となるものなのに、それでいいのだと許してくれるようなものだった。
 息が耳にかかってむずむずする感覚を押し殺し、彼女の言葉を逃さぬよう力を抜く。いつのまにか、両手は地に落ちて指先に触れる氷の地面から体温を奪われていると自覚できた。今さっきまで寒い暑いの感覚なんて、触覚から切り取られていたのに。


「クロノは自分勝手だな、だから勝手に人を助けたり、他人の不幸に涙したり……敵討ちの手助けをしたりする」


「……俺は、」


「止めたいか? この旅を。別に良いさ、皆分かってるはずだ。お前が限界なのは、もう皆知った。遅くなってしまった事を謝る。すまんな」


 遮られて、言葉を呑み込む。いや、呑み込む言葉なんて無かったけれど、そのつもりになる。
 ……旅を止める? 自分で口にしたくせに、いざそうなった時の展望がまるで見えない。ルッカはどうか分からないけれど、マールはきっと旅を続けるだろう。それはロボもカエルも、きっとエイラも同じはずだ……いやルッカだってそうだろう。あいつは途中で投げ出す事を絶対に良しとしないから。
 ……嫌だ、旅を止めたら皆いなくなるのか? そんなのは嫌だ、皆と一緒が良い。そんなことはゼナン橋の時に分かってたはずだ。
 でも怖いんだ、また誰かがいなくなる。また誰かを失ってしまう。マールが、ルッカが、ロボが、カエルが、エイラが死んでしまう。サラとか、出会った人と別れなくてはいけない時もあるだろう。別れってなんだ? もう会えないということ。それは……辛い。


「俺は……どうすればいい?」出した答えは結局委ねるという自分というものが無いもの。


「……旅を続けた場合か? それとも、旅をするしないの問題か?」


 本当は後者の答えが聞きたかったけれど、前者の部分について聞いてみる。旅を続けるにすれば、俺はどうやって乗り切ればいいのか、全く分からないから。
 カエルは「そうだな……」と考えを巡らした後、たった今思いついたように小さく指を鳴らして、体を少しだけ離す。それでも、眼と鼻の先にいるのは変わらないけれど。


「生きれば、良いんじゃないか?」


「──それが、答えになるのか?」


 質問に質問で返すと、苦笑いの後カエルはようやくヒールを唱えた。俺の体の傷も同じく治りはじめて、不思議な事にここに至って初めて痛みを覚えた。怒りとも悲しみともつかない乱雑な感情に振り回されて、自制が出来ていなかったことを知る。
 立つ事ができるくらいに回復したカエルは今更に血で濡れた自分の服を嫌そうに掴んで、「洗濯はお前がやるんだぞ」と不機嫌に呟いた。
 まだ本調子でないのは一目瞭然だけれど、その立ち居振る舞いは堂々たる物で、これもまた一つの美しさなのだと理解した。
 ……まだ納得できたわけじゃない。きっと一生できなくても不思議な事じゃないんだと思う。でも誤魔化せた。そう遠くない過去にも、一度俺が壊したものをカエルは誤魔化してくれた。今回もまた立ち上がらせてくれた。魔王戦で俺の命を助けてくれた事を含めば、恩は三つ。軽いものでは一つに数えられないくらい大き過ぎるそれの返し方を、俺は知らない。だからせめて、小指を出して恥ずかしい約束を交わした。普通に生きていれば誰でも可能な、でも生きている限り困難な約束。生きるという事。勝手な自分と向き合い、人の死について考えて、投げ出す事無く恨む事無く戦うのは難しいだろう、だからこそ、守り続けて価値のある契約。


「……頑張ってみる」


「ああ、頑張れクロノ」


 思う事がある。
 カエルの説得は、説得ではない。不貞腐れて、もう疲れたと喚いた俺をただ包み込んでくれただけだ。~しろ! といった強制めいた立ち直らせ方をしたことが無い。俺がそういう類の言葉を嫌うと知ってるわけでもないだろう。ただゆるやかに、滑らかに言葉を拾い手渡してくれる。
 ──彼女がいてくれて、良かった。口先だけじゃなく、そう思う。そう思える自分を嬉しく思う。頑張れと言われた俺が、『クロノ』という自分が誇らしい。こうまで期待が軽くて喜べるものだとは。


「……危ないクロノ!!」


 急に形相を変えて俺を突き飛ばしたカエルに疑問を抱く間も無く、頭上に大きな影が圧し掛かってきた。横っ飛びに飛ばされながら見上げると、大きな牙がのったりと落ちてきた。牙の尖端から、のっぺりと滴る唾液。確か……酸性の強いもの。それらがカエルに降り注いでいる。あの魔物、傷を押して最後に特攻を試みたのか!?
 トランスは!? ……いや、もう時間切れだ、あの時ほどの素早さは無い! いや、仮に超人的な動きが可能としても今この体勢からカエルを救い出すのは不可能だ。では磁力を発生させれば? もう魔力は残っていない! ソイソー刀でどうにかできる訳も無い!
 ……俺が、おかしくなっていたからか? ちゃんと冷静に考えて、速く敵を倒していれば良かったのか? それとも……俺がいなければ良かったのだろうか? そうすれば皆で協力してこんな事態になる事は無かったのか?
 体中が溶けていくカエルを想像して……頭の上から暗幕が降りていく。そういえば、俺だけが約束して、カエルは約束をしてなかったなあと思いながら。


「なにヒロイックな顔してるんですか? 赤い人」


「…………?」


 聞き覚えのある、少々怒りを孕んだ声に意識を戻すと、魔物の顔と唾液全てを包んだ薄桃色の三角系が形を為して取り囲んでいる光景。推測するまでもなく、それは巨大な結界だった。それを扱えるのは、俺が知る上で唯一人。
 腕を交差して防御しようとしていたカエルが不思議そうに時が止まった空間を見つめている中、俺は倒れこんだまま、自分を見下ろしてくる女性を見ていた。


「……おかえり」


「それは、私の台詞じゃないですか?」


 俺が正常に戻ったことを言っているなら、違いない。とすると、結構前からこいつ起きてたのか? 恥ずかし過ぎるだろ、馬鹿みたいな言動して笑ってた事を知られたとか、首を吊りたい。生きるって約束したから、やらないけど。
 のっそりと熊みたいに起き上がり、彼女の目線に立つ。すぐに治療したお陰か、傷跡は目立たずいつものサラと同じに見える。頭を打った後遺症なんかも無さそうだ。無意識に顔や頭に触れてみると、嫌がる素振りは見せても痛がってはいない。
 頑張ってくれただろうロボとマールにお礼を言うのも変だけど、よくやってくれたと声を掛けようと見回す。マールはカエルと交代したから姿は見えなかった。代わりにロボが無表情のままこちらに歩き出していた。


「ロボ、ありがとな」


 いつもなら、「朝飯前ですよクロノさん。なんせ僕は銀河史上頂点を極める究極生物ですからね!」と良く分からないことを自信満々に言ってのけるのだが……今回は何も言わず、すっと懐に入り腰に手を回してきた。
 戸惑いながら引き離そうとすれば、確かに震えている小さな肩。いつものように大声で泣き喚くではなく、意味の通じない愚痴を吐くでもない。ロボは静かに泣いていた。苦しそうに、息を漏らして、声を出さず心底悲しそうに呻いている。「クロノさんが何処かに行ってしまうと思った」と、俺の身を、心を案じて涙を流している。
 ……そうか、よく泣く奴だと思っていたけれど、それは違ったのだ。ロボは今まで本当の意味で泣いたことが無かったのだろう。涙を流すだけで、ちょっとした痛みを感じた時や思い通りに行かない時、彼は叫びまわった。それらは全部駄々を捏ねていただけなのだ、と。
 まいったな。子供の相手は得意だと思ってたのに、一番初めに泣かしたのが俺だなんて笑えない。苛めっ子にしても度が過ぎている。何より……聞いていて辛い。


「……子供をあやすのは、得意なんでしょう?」


 そう言うサラの眼は挑戦的で、これも『貴方の仕事』なのだと、俺がここにいる存在意義を教えてくれているようで少し嬉しかった。
 どうやら今俺がやるべき事は、狂ったように刀を振るう事でも、何かについて思い悩むでもなく、俺に縋りつく愛しい弟分を泣き止ませる事のようだ。


















 短すぎる閑話休題




 交代の理由も告げられず、ただ戻ってきただけのマールを見やってルッカは静かに膝を抱えて頭を埋めていた。特に辛い事があったわけではない。単なる彼女の楽な姿勢がそれなのだ。竹を割ったような性格である彼女にとってそれはアンバランスな特徴となっている。


(最近髪伸びたかしら? でもロングヘアーも捨て難い……いやいや確かショートカットが良いってクロノが言ってたし…………はっ!?)


 飛び起きるように立ち上がり、ルッカは辺りを見回す。それに驚いたマールと老人が鼻ちょうちんを出しているだけの景色。特に変わりようのないもの。
 しかしルッカは自分が感じ取った何かを確かめるように自分の胸を押さえる。激しくなる一方の鼓動は息苦しいほどにまでなっていた。


「ど、どうしたのルッカ?」


「……今、なんか出し抜かれたような気分になったの。これは……何というか、寝取られ感が凄いわ……っ!」


「……寝取られ?」


「性知識の希薄さをアピールしなくても良いわマール、貴方何か心当たり無い? 例えるならクロノに近寄る女豹というか泥棒猫の存在というかそんなニュアンスのあれ。あくまで例えなんだけど、どうよ?」


 あからさま過ぎてうわーお、と間延びした声を上げつつも、マールはしっかりと顔を逸らした。
 自分の知りたい事を知っていると確信したルッカは淡々と銃を取り出し銃口を女友達に向けた。躊躇い等、一変も存在しない素振りで。


「ねえマール? 私たちってばお互いに理解しあうことが必要だと思うの。噛み砕いて言えば、貴方恋してない? 許されざる恋をしてるでしょう?」


 自分に向けられている疑惑を解くのは、マールにとっていとも簡単な事だった。ただ一言、カエルが犯人ですと言えば済むのだから。現場を見ていないマールにも、上手く行けばクロノとカエルがちょっと良い雰囲気になってもおかしくはないと想像できる。ルッカが受信したのは多分それだよと言えば良いのだ。
 ……だが、彼女はロマンチストだった。折角の山場において真実を知った空気を読まない彼女が乱入するのはどっちらけ甚だしいものとなるのは確定。
 結果、マールは自分の不幸を選ぶ事になる。


「……そうねルッカ。貴方の疑いは、当たらずとも遠からずといったところかひいっ!」


 好戦的な眼差しではったりをかますマールにルッカは眉一つ動かす事無く引き金を引いた。かろうじて命中は避けたが、自分らしからぬ悲鳴を上げたことにマールは羞恥を感じた。


「ちょっと、ルッカ!!」


 マールの呼びかけに応える事無く、紫髪の女性は銃をリロード、さらに魔法詠唱開始という完全戦闘思考になり標的を討つ覚悟を七ミクロン秒で終わらせていた。
 自分の顔が極限までに引きつっていくのが分かり、マールはスペッキオの部屋に閉じこもろうとする。
 しかし、扉に近づきノブを捻ると固く、動かない。気付けば老人の姿も外灯の下から消えていた。詰まる所、スペッキオは老人を匿い自分を拒否しているということになる。そこまで考えてマールは痛烈な舌打ちをした。


(落ち着くのよ私。大丈夫、ルッカは私の友達だもん。話せばきっと分かってくれるはず……)


 覚悟を決めて、マールは今正に怒り狂っているであろう友人と対面した。気分は、物語に出てくるドラゴンに許しを請う村人のよう。


「ねえルッカ? 私思うんだけど、」


「キエロ」


「まだ何も言ってないよぉ!?」


 しかるに、女の恋心とは燃え盛る烈火よりも熱く、その焼餅は太陽の核に勝るものだと、未だ恋を知らぬマールは学習すべきだったのだろう。
 古代において、クロノが試行錯誤してロボをあやしている最中、マールの恥ずべき悪癖が悪化したとかしないとか……


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