「待っててね、皆……」
時の最果てより降り立ったのは、象牙色の絨毯に足を着けシャツをへその下まで捲り上げ、頭の帽子を半ば外して焦燥とした顔をしているルッカだった。何やら重そうな機械を抱えて走る様は見るだけで必死さを窺わせる。
時折機械を床に置いて休を取り、もう一度抱えて走り出す。まるで主人に怒鳴られぬよう精一杯働く奴隷のような姿だが、それを見咎める者はいない。三度目の休憩を入れた時、ルッカはふと空を見た。別段、理由など無い。深呼吸をするついでに上を見ただけだ。その時に、どうにも気になることが、一つ。
「あれ? あの星、太陽……な訳無いわよね?」
太陽の隣に爛々と輝く赤い星。見間違いでないなら、それはどんどんと大きくなっている気がする。ルッカは少し考え込み、赤い星の正体を思いつくと、機械を背中に背負い全速で走った。現代で読んだ歴史の本。その内容から推測される常識を思い出したのである。例えば、何故恐竜は滅んだのか? 氷河時代とは? それらのピースが揃ったとき、答えは出た。
彼女が、クロノたちが闘う渡り廊下への扉を開けるのは、もう少し後の話となる。
マールの自製した氷塊をクロノは難無く切り裂き剣先を彼女に向ける。遅れて伸びるソイソー刀をマールは床に沈んで、サマーソルトのように下から蹴り上げ、そのまま後転し逃れた。立ち上がりざまに一本の短い槍を作り、下手に投げる。魔刀の持ち主は小さな抵抗を鼻で笑い、迫る脅威を空いている左手で掴み取った。飽きたおもちゃをそうするように、彼は床に叩きつけて、氷の槍は澄んだ音を鳴らす。
息の荒いマールに比べ、クロノは肩を揺らす事無く、悠然と立っていた。優劣は既に決まっている。
(ずるいなあ……伸縮自在の刀なんて、規格外でしょ)
真剣勝負と決めたこの戦いにずるいなどと言えるはずの無いマールだからこそ、心の中で愚痴を呟いた。回避運動の為に動き過ぎた体を冷気で誤魔化し、もう一度構える。このままでは、余りに情けない。せめて一矢報いねば、と考えたのだ。
マールの攻撃を止めたクロノは電力を発生させて、周辺に散らばる激しい戦いに砕けた石畳の破片を操りマールに打ち出した。体を貫くほどの速さではないが、当たれば悶絶する程度の速度。飛来する石々に両手を前に構えて待つ。拳、肘、膝を円の動きに回してクロノの石つぶてをかわし、叩き落した。
口笛を吹いて賞賛するクロノに舌打ちした後、何度目かも分からない突撃を敢行する。進路上の床を磁力で浮かせる等の妨害を見極めて並行に飛び、また前方に大きく跳躍するといった不規則な進行リズムで徐々に距離を縮めていく。
「すっげえ身体能力。でも、これで終わりだな」
両手を地に着けて、膨大な電流を床に流す。これで、マールとクロノを繋げる床は、上を歩くだけで気を失うほどの電力が充溢した。本来、空気中に電気を浮遊させるだけで良いのだが、丁度いいことに床にはマールの作り出したアイスにより水がばら撒かれており少ない魔力で充分な電力を与えることが出来たのだ。
これでもう自分との距離は縮められないだろうと満足気に相手を見ると、大きく目を見開くこととなった。いつのまにか、湾曲状の氷の道が目の前に作られているのだ。そして、その氷の道の上を走るマールの姿。床を走ることが出来ないと分かったマールは魔法の氷で道を作り、クロノへ続く障害を潰したのだ。
しかし、それを呆然と見ているわけが無い。彼は魔力の消費を厭わずもう一度サンダーをマールに向け発射、ばぢばぢと弾ける音を紡いで直線にマールへと電気の道を作り出していく。されども、一本道に作られていた氷の道にもう一つ右側に曲がった道を作り出しマールは悠々と襲い掛かる電流線を避ける。
「くそったれ、その道ごと切り崩してやるさ!」
斜め上段から切り落とすように伸ばした刀を振り下ろす。風を切り舐めるような光沢を放つ魔刀が落ちてくるのは、まるで聳え立つ建物が崩落してくるような圧力を与えていた。
けれど、彼女は止まらない。分かっているのだ、その刃が自分の頭上を掠めることすらできないと。
マールが防御体勢に移らない事を不審に思ったクロノはぞくり、と体が震えていることに気がついた。即座に剣の長さを戻して後ろに飛ぶ。彼が見たのは、今まで自分がいた空間を氷の道から突き出た先端の尖る柱が貫く瞬間。
「……なんだよそれ、あいつの魔法って、自由自在じゃねえか!」
「ようやく気づいた? 私の魔法は回復魔法が主じゃないんだよ」
声が思いの外近傍より聞こえて、はっと顔を上げる。そこには、朗らかに笑う少女の顔と、細長いくせに、処刑人の持つ斧のような印象を与える脚。
弓なりに曲がった脚が自分の顔と衝突した時、クロノは宙を舞い、自分の負けを悟った。
(ああ……油断しすぎたか……まあ、頑張ったほうだよな? 多分)
健闘振りを自分自身で称えて、満足気に笑い、耳鳴りのする中、目を閉じていく……けれど、
(……いや、まだか)
意識が途絶える寸前に、己が家族と認めた女の子が、困惑している姿を目視して、やるべきことが残っていることを知った。
小中大の岩石を作り出し、上下前後左右に打ち出して、時には極局地的砂嵐で視界を奪おうとも、相手は立ち上がる。テレパシーを用いて混乱を誘うものの、思考を読めばそこには喜び以外の感情を読み取れず乱すどころかもう乱れきっている。今までに、こんな人間……いや、こんな生き物をアザーラは見たことが無かったし、相対したことなどあるはずがなかった。となれば、彼女が取る行動は一つ。
「何で? 何で笑うのじゃ!? もうボロボロのくせに、弱いくせにっ!」
怯えることだけだった。
そこかしこに巨石を投下させて辺りは破壊音が響いている。目にも止まらぬ速さで散らばる欠片は弾丸のように散らばっていき、戦争のような様相となっていた。その中を縦横無尽に駆け、アザーラを混乱させているのは、エイラ。大の男でも悲鳴をあげてともすれば気絶しそうな痛みの中、彼女は嬉しそうに目を綻ばせて、美しい笑い声を音色に変えていた。彼女だけを見れば、それは心温まる、平和の象徴ともいえそうな姿。けれども、砕ける床、破砕する音、アザーラの叫び声をバックに据え置けば、それは異形の何かと推測できよう姿だった。
笑う、笑う。彼女は笑う。威嚇行為でも敵対の意思表示でもまたその逆でも無く、彼女は笑う。どうして? と問われれば、彼女は答えるだろう。嬉しいからだと。
嬉しい、また楽しいという感情は人を笑顔にする。勿論その限りではなかろうが、理由としての模範にはなる。抽象的ながら確固たる理由だ。彼女が嬉しいと思う理由はそれはそれは微笑ましい、乙女のもの。好きな人が自分を信じてくれているという単純な事で、彼女は心の底から昂ぶろうという気持ちになっていた。いわば、今の彼女がアザーラの攻撃を避けているのは、回避行動ではなく、喜びの舞を踊っているようなものだ。動かずにはいられない歓喜にエイラは浸っていた。
「アハハハ、エイラ、強い! 誰にも、負ける、無い!」
力強い自分の言葉を背に乗せて、エイラは走り出す。落石を避ける為ジグザグに曲がりながら走っているのに、風を越えるような速さでアザーラへと迫る。
「ふん! 私が近接戦闘を出来ぬと思ったか馬鹿め!」
アザーラがその小さい背中に手を伸ばし、何かを掴みだした。それは、四十センチ弱に折りたたまれている何か。それを力一杯振ると、がきがき、と金属音を鳴らして一本の鎚に変わった。ただ、通常の鎚とは少し違う。ハンマーのような先頭部に恐竜を模した金型が貼り付けられている。長さは一メートル六十前後、長大とは言えぬ長さだが、彼女の伸長体格と照らし合わせれば不似合いな武器といえた。
鉄槌を右手に持ち替えて肩に預け、左手を前に出す。それは、もうサイコキネシスやテレパシーといった超能力に頼らないと教えているようなもので、エイラは僅かに笑みを深くした。ありがたいと思ったのではない。その態度を潔いと取り、何よりこれでこそ自分たちの戦いにふさわしいと考えたのだ。
エイラとアザーラの距離が十尺を切った時、先に動いたのはアザーラだった。鉄槌の持ち方を水平に変えて、エイラのわき腹を狙う。空気の音が変化し、その音はとても小さな体で出せる音ではなく、また振る速度も人間のそれではない。エイラは急停止して鉄槌の顎から逃れる。一拍の時間を置いて飛びかかろうとするが、アザーラは勢いそのまま、コマのように体を一回転させてこちらを見据えた。踏み込ませない為の、単純な戦法。されども、徹底すれば隙を作らせることは無い。
恐れるべきは、戦法の類ではない。大きくは無いといえど、武器として最重量級の鉄槌を小さな体で操っていること。例えば、現代の屈強なガルディア騎士団にここまで鉄槌を軽々しく扱える者はいないだろう。
(──飛び蹴り、駄目。飛ぶ時、やられる。風を起こす? 駄目。大きい隙、作る、やられる……)
いつもは思うがままに戦っているエイラが、不器用ながら初めて戦略を練り始めた。それは、相手も同じ。
(こちらからは飛び込めぬ。狙うのは、エイラが攻撃してくるその一瞬。迎撃に全てを賭けるのみ!)
いつも、手を振れば相手を潰してきたアザーラが初めて『敵』を認識し、最適な行動を考える。我侭に生きるアザーラにとって攻撃ではなく専守防衛の構えを取るのは恥ずべきことだと感じたが、彼女はそれ以外に勝ちのビジョンが浮かばなかった。
鋭い眼光をたたえた両名の睨みあいは続き、その均衡はエイラによって破られた。突然足元の石をアザーラに蹴り飛ばしたのだ。アザーラは……彼女の行動に、絶望した。
(まさか、それが貴様の策か? つまらぬ)
次々に飛んでくる石をアザーラは視線の動きだけで操り、構えを解くまでも無くエイラの攻撃を止めた。それがしつこいほどに繰り返されて、彼女の失望は色濃くなるばかり。この場面にきて、選び取った攻撃法が投石とはあまりに情けない。一度でも相手を敵と認めた自分にすら同情してしまう。
こうなれば、自分から鉄槌を叩き込んで頭蓋を破裂させてやろうか、と思い出した頃、もう一度目の光を取り戻した。とはいえ、微かに、だが。
エイラは彼女の二倍、つまりアザーラの三倍はある大きな岩石を持ち上げて投げたのだ。その怪力には確かに賛嘆の感情を隠せないが、結局は同じこと。アザーラは投げつけてきた岩石をサイコキネシスで軌道を変え、左に受け流した。
「────っ!?」
退けた岩石の後ろに、太陽が照らす金色の怪物の姿に、アザーラは息を呑んだ。
振りかぶった拳を受けることも出来ず、彼女は床を這い、びくびくと体を震わせる。言うことを聞かない体を放棄して、アザーラは首だけを動かし、荒い息を吐いて中腰になるエイラを見た。
人間のサルらしい、乱暴な戦略。視界を遮るほどの岩石を投げて、そこに身を隠し特攻する。もし意図が読まれれば反撃は必至、命を落としかねないリスクの大きすぎる博打戦法。だが、それを選んだことで彼女は己に勝ったのかと、そうしなければ勝てぬ相手だと思ったのだと、アザーラは負けた事に悔恨の意は無かった。
頭を落として気絶したアザーラを見て、エイラは足の力を抜き座り込んだ。勝ったという喜びは現実味を帯びない。くしくしと顔を拭って顔に付いている血を拭う。ばた、と倒れこみ空を眺めると、空を浮遊している怪鳥たちが主人の敗北に驚き奇声を上げていた。
もし、アザーラがサイコキネシスを使い続けていたら、そもそも戸惑う事無く冷静に自分と戦っていたら? もしもの場合を考え続けて──エイラは頭を真っ白に変えた。頭の悪い自分に難しい考えは出来ないと放り投げたのだ。
(勝ったよ、キーノ)
ここで気を失えたら楽だろうな、とエイラは思う。今更になって痛み出した傷のせいでそういう訳にもいかないのだが。
想い人は一度体を起こさねば見えない位置に倒れているため、今の脱力した体では視界に収めることは出来ない。しかし、彼女にはそれでも良かった。離れていても、彼の温もりを感じられるから。そんな甘い想像を広げていくと、痛みが薄れていく気がした。
(少し、目瞑る。そしたら、寝れるかも)
疲れた体を癒す為、ほんの少しだけ張り詰めていた気を緩ませていくと……
遠くから聞こえる猛獣の咆哮に、まどろみは全て吹き飛ばされてしまった。まだ、戦いは終わらないのだ。
マールに蹴倒されて、俺は自分の無力を知らされて眠りに着こうとした。予想はしてたし、悔しくはあるものの、今までの俺じゃあ考えられないくらい善戦したのだ、誰も俺を責めたり出来ないだろうと自分で結論付けて。
ただ……良くない。非常に良くない。俺が見た光景はとても良くない。劣勢のアザーラの様子は……まあいいさ。エイラなんていう強力無比な人間を相手してるんだ、そういう時もあるだろうさ。それから結局負けちまったのも仕方ない。なんだかんだ言って、俺も心の底では人間側が勝って欲しいしさ。いや、今更過ぎるけど。
しかし一つ問題がある。これが良くないんだ。俺はアザーラを妹と呼んでしまった。恐竜人の味方をすると言ってしまった……だから負けるわけにはいかないんだっ!! なんて寒い台詞言う気はないぞ、言っとくけど。
では何が問題なのか? それは簡単。今俺が意識を保っていること。一度言った約束を破るわけにはいかない、ってな事をいうつもりもさらさら無いけれど……全力で応えることは、しなくちゃいけないだろう? 全てを出し切って、思いつく手段を全て試してこそ全力で応えたってもんだ。
俺はおもむろに立ち上がって、マールに宣戦布告をする……訳も無い。戦えば負けるとは思わないけれど、エイラと同時にやって勝てるなんて自惚れは無い。傷だらけでも、マールが回復魔法を使えばはい、元通り。今は倒れているキーノだってそれは同じことだろう。魔力消耗の激しいだろうマールだって二人を回復するくらいの魔力は残っている筈だ。
じゃあどうすればいいのか? 答えは簡単、単純明快。
──味方を増やせばいい。
「出番だぜ、ティラノ爺さん」
「クロノ、目が覚めたの? 残念だけど、もう全部終わったよ。これから……」
マールの声は、ティラン城中に響くような轟音に掻き消されて、最後まで聞き取ることは出来なかった。
(悪いな、俺はお前と違って恐竜人と人間の戦いに首を突っ込む気満々なんだ)
目を瞑り耳を押さえているマールに心中で謝罪しながらも、俺は中指を立てて、言い捨てる。
「せいぜい気張れよマール。前哨戦は終わりだぜ?」
言い残して、俺は渡り廊下の先。アザーラの私室とは逆方向に位置している建物に走っていった。扉の右側にあるレバーを引いて、豪快な音と共に扉が開かれていく。鈍重にその姿を現していくのは……全長十メートルを優に超える本物の恐竜。正式名称、ブラックティラノ。動きは遅いが、その肌は並みの恐竜人とは比較にならない、ニズベールよりも、いや鋼鉄、鋼よりもなお硬い。顔の半分を占めている口から吐き出す炎は魔王の放つ火と遜色ない業火。ぎらぎらと牙を光らせて、主人を傷つけ自分の領土を侵している侵入者に殺意と怒気を見せている。狂気を孕む目玉はぎょろつき、俺を見る。
「グルゥアアアアア!!!!!」
「ああ、お前と俺が最後の砦だ。やりきろうぜ?」
放心したように座り込むマールとエイラを、ティラノ爺さんの肩に乗って見下ろした。こうしてみるとつくづく思うね、悪役ってのは良いよなって。切り札があるんだからさ。
俺が右腕を下ろすと、ティラノ爺さんが燃え滾る豪炎を放ちマールたちに襲い掛かった。間近にいるとその熱量に辟易するが、これを直接当てられる側にとってはそんな感想も出ないだろう。少しは我慢するのが男の余裕ってもんだろう。
「あ、アイス! シールド展開!」
曲線を描いた氷の壁を前面に作り、炎を空に逃がすマール。直接受け止めるんじゃなく受け流すってのは悪い方法じゃない。でも、
「俺を忘れんなよ、マール」
炎によって薄くなった壁をソイソー刀が貫き、マールの右腕をざっくりと切り裂いた。痛みに精神を乱されたせいで、氷を精製している魔力が薄れていく。このまま行けば、洪水のような炎は彼女たちを包み全てを塵に変えるだろう。さあ、どうする!
相手の出方を観察していると、苦渋の表情を浮かべるマールの横から、エイラが飛び出して炎の中に飛び込んだ……え、まさかここで自殺? と少々うろたえていると、彼女の飛び込んだ着地点付近で炎の竜巻が現れて、ティラノ爺さんの炎を巻き込み天に昇っていく。昇竜のような光景に俺は「そんな無茶苦茶な!?」と驚愕の叫びを出してしまった。物理学に反してるだろ、そんな荒業!
俺とティラノ爺さんが呆気に取られていると、すかさずマールがエイラに回復魔法をかけて傷を癒していく。急いでソイソー刀の切っ先を向けたが、時既に遅くエイラはこちらに走り出していた。彼女にソイソー刀を向けるも、俺の運動神経ではエイラを捉えることができない。そう、今の俺では。
「痛いからやりたくねえっつーのに……『プラグイン、トランス』!!」
自製神経作業完了。視神経を割り増しした今なら……見える!
格好付けてティラノ爺さんの肩に乗ったものの、飛び降りて迫るエイラに肉迫する。ソイソー刀の伸縮速度は遅くはないが、今のエイラに当たるとは思えない。直接斬りかかるのみ!
しかし、運動神経動体視力を上昇させて、筋肉への伝導指令を無視した俺に出来る最速の切り払いはエイラの肩を薄く斬っただけだった。調子に乗っているでも自惚れでもなく、人間が動ける限界に達しているはずの俺の切り払いが避けられるのか!? 今まで冗談気味に人間じゃねえとか言ってたけど、本物だったのかよ!
本来極々短い時間しか発動できないトランスだが、今ここで解く訳にはいかない。解いた瞬間、俺はエイラにぶっ飛ばされて戦線離脱となってしまう。ティラノ爺さんを信用していない訳ではないが、奥の手である炎がエイラに通じない以上分が悪い戦いになるのは目に見えている。
豪速の拳を突き出すエイラの手を握り、目一杯の電流を流し込もうと魔力を溜めるが、トランス中に迅速な魔力形成が出来るわけもなく、隙の出来た俺の腹にエイラは難なく膝を入れることに成功した。
「……っ!」
「クロ、少し寝てる、良い」
肺にある酸素を全て吐き出したため、呻き声を出すこともなく、俺は崩れ落ちた。エイラはそれに構わず通り過ぎてティラノ爺さんに向かい走っていく。
炎が効かないと分かった爺さんは懸命に爪を振り、噛み付こうと口を開けるが今の彼女のスピードに追いつくわけもなく、体力をすり減らしていった。腹を押さえてうずくまる俺の横をマールと、治療されて意識を取り戻したキーノが通り過ぎていく。
(待てって、まだ終わりじゃねえ……!)
痛む鳩尾を無視して、立ち上がり、振り向きざまに刺突。伸びるソイソー刀は照準を合わせる事無く繰り出した為、見当はずれな方向に向かって床に刺さるが、二人の足止めには成功した。
追撃を嫌ってか、マールとキーノは俺に向かい合い、マールは弓を構えて射出した。その場に這い蹲り難を逃れるも、自分の行動に舌打ちする。これでは、俺は魔力残量が無い、または少ないと教えているようなものだ。
今まで俺はマールの弓矢を魔力による磁力発生で受け止めてきたのに、回避を選択するということはつまり魔力を消費したくないということ。事実、今の俺には少量の魔力とて惜しい。無意識にそれを感じ取った俺は反射的に避けてしまったのだ。
(……とはいえ、それはマールも同じこと……か?)
俺に飛び道具は効かないと分かっていて、魔法でなく弓矢での攻撃を選択したのは、彼女もまた残り魔力量が少ないということだろう。そう考えて、一縷の光明を見出すも、かぶりを振って自分の浅慮な考えを捨てる。
馬鹿か俺は。単純に、俺の魔力量を測るための布石かもしれないじゃないか。俺が魔力で防御すれば警戒が必要、でなければ魔力による攻撃は無い、そう判断する為の飛び道具とも考えうる。
……だからといって、マールの魔力に余裕があるとも思えないが……くそっ、結局手札を晒したのは俺だけということか。
救いがあるとすれば、キーノが俺に攻撃を仕掛けずただ様子を窺うにとどまっている点か。ニズベールに猛攻を仕掛けたことは決して安い代償では無かったのだろう。ケアルで治療しても、体の痛みは継続しているはずだ。その証拠に、体中から溢れる汗が止まっていない。我慢すれば攻撃が出来ないでもなかろうが、ブラックティラノ戦における前座の俺にわざわざボロボロの体を酷使するのは旨くないと踏んだのか……舐められたもんだ。
……明らかに、絶対的に不利なこの状況、どう打破する?
そもそも、ティラノ爺さんの火炎がエイラの体を回転し竜巻を発生させるわざ……尻尾竜巻とでも呼称しようか(服についてある尻尾のようなアクセサリー? が大きく舞っていたので)、に無効化されるとは思っていなかった。爺さんの火炎は俺たちの大きな武器だったからだ。人数及び俺の負傷具合をも覆せる唯一の武器。それを難なく攻略されたことでアドバンテージは一気に相手に傾いてしまった。
(なんとか、爺さんの火炎を上手く活かせないか? 例えば、俺の魔力で火炎を操るとか……出来るわけないか。仮に出来たとしても、俺に火炎を吹いてもらわねばならない。操る云々の前に俺が焼け死んでしまう……なら……)
再度弓を構えるマールを見て、一度思考を消して本能で横転する。かろうじて避けることができたが、このまま俺の体力をじりじり削られていくのがオチだ。俺と違って、マールは魔力消費はともあれ、体力はほとんど減っていないのだから。
大体、魔力量の限界が俺とマールでは雲泥の差なんだ。俺の倍は魔法を唱えても、マールは俺のさらに倍は魔法を唱えられる。キャパシティというか、ステータスの時点で俺を抜き去っているのだから。
絶対的に不利? そんなもんじゃないな。正しく絶望的な状況に俺は思わず一瞬だけ空を見上げた。何かの作戦と受け取ったのか、キーノは身構えるが、マールは首を振ってエイラの加勢に向かう。どこまで勘が良いんだ、あいつは。俺が打つ手無いと分かったのか。
……待て、空? 空か……それなら。
思いついた策に、笑みがこぼれる。いいじゃないか、どうせ負けるにしても──
「一発、でかい花火をあげようか」
考えを形にして、俺はエイラたちとティラノ爺さんの戦場にソイソー刀を投げつける。戦う力の残っていない脱落者が負け惜しみに得物を投げた、と思うだろうか? それならそれでいい。けれど、唯一、爺さんだけには気づいて欲しい。でないと、もうここで俺たちは終わりだ。起死回生の最後のチャンス。頼むから、俺の考えを読み取ってくれ!
たった五日間だけど、欠かさずあんたに話をしに行ったのは無駄じゃないよな? 短い間だったけれど、無意味じゃなかったよな? そう願いを込めて。
果たして、爺さんはエイラたちの猛攻を裁きつつも……俺を、見た。
……ありがとう、爺さん。
小さく溢して、俺は力ある言葉を吐き出した。
「サンダガ!!!」
「っ! 嘘!?」
もう大技を使えないと決め付けていたマールから狼狽の声が漏れる。放射状に伸びていく電流の渦はエイラたちを振り向かせるのに充分な活躍をしてくれた。マールは残り少ないだろう魔力を防御壁に変換しようとして……止めた。気がついたんだな?
見た目だけは派手な、威力の無い電流に気を取られている隙にティラノ爺さんは空に向けて盛大な炎の息を噴出した。山の噴火にも似た炎は雲を焦がし高く高く上っていく。それで……準備完了。後は俺の一番単純で得意な魔法を唱えるだけで良い。
「サンダー!!」
体から電力を作り出すサンダーではない。空から雷を落とす、俺が最初に覚えた魔法。威力はそこそこ、コントロールはまあまあ、速度は並以下という出来の悪い、お粗末な魔法。でも、空から落ちてくるという性質が、今は何よりの武器となる!
天空より振る一筋の落雷は、ティラノ爺さんの膨大な炎を巻き込み、内に秘め、特大の火炎電流となりエイラたちに落ちていった。
「────!」
誰かの叫び声が聞こえた気がしたけれど、鼓膜が破れそうな轟音が鳴り、誰の声か判別はできなかった。俺のサンダーは床を突抜けて遥か下のマグマまで落ちていき、威力が強すぎたか、ティラン城の下にある山が噴火活動を開始したようで、溶岩がティラノ城に届くほど跳ね、気を張らねば立っていられない程の地震が始まった。
上空を飛行する怪鳥たちや、それを操る恐竜人たちのざわめく声。天災を越える魔術に驚嘆の呻き声。それら全てが俺を称えているようで、気分は悪くなかった。からっけつになった魔力残量のせいで良くも無かったけれど。
衝撃によって発生した煙が晴れていくにつれて、ようやくエイラたちの姿を見つけることが出来た。と、同時に自分の口から喘ぐような声が出たのも分かる。所々に火や電気の名残が残っていたが……彼女たちは、まだ意識を留めて、俺と向き合っていたから。
「……あのさ、どうやってあれ、やり過ごしたんだ?」
俺の問いかけに答えたのは、マール。ぼろぼろに焼け爛れた服を押さえながら、少し誇らしそうに話し始めた。
「キーノとエイラが二人で竜巻を起こして、私がその竜巻に魔力の氷を足したの。相殺は出来なかったけど、逸らす事と衝撃を緩和することはできたんだよ」
どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てて、口でえへん、と言う彼女はどことなくアザーラに似てるな、と思った。
「そっか。あーあ、最後の切り札だったんだけどなぁ」
「本当だよね? まだあるとか言ったら怒るよ?」
疑い深いマールがなんだかおかしくて、俺はそんな場面でもないだろうに笑いだしてしまった。きょとん、と目を丸くするマールと、頭を打ったとでも思ってるのか、オロオロするエイラとキーノ。敵に回った俺を心配するなんてお人よしもいいところだな。
「ハハハハ……あー、止めとけティラノ爺さん。もう、俺達の負けだ」
後ろから火を吹こうとしているティラノ爺さんに制止の言葉を出して、俺は敗北宣言を出す。不意打ちなんて通じるわけが無い。マールはともかく、エイラとキーノは俺を見ながら、爺さんも視ていたから。
「……これで、終わりか。短い反抗期だぜ、なあおい?」
遠くで倒れているアザーラに、届かないと分かっていても言わずにはいれなかった。
星は夢を見る必要は無い
第二十三話 絆、掟、そして永別
俺とティラノ爺さんが降参して、しばらくの時が経った頃、アザーラとニズベールが意識を取り戻した。二人とも、俺が両手を上げてティラノ爺さんが頭を下げ項垂れている様子を見て事の顛末を悟った。「我らの、負けか……」とニズベールは諦観の表情を作り、アザーラに膝をつき礼をした。
「申し訳ありません、アザーラ様。私、ニズベールが不甲斐ないばかりに……」
「良いのじゃニズベール。私たちはよくやった。 負けても、決して不甲斐ないとは言えぬものだった筈。そうであろう?」
原始人たちの酋長、エイラに問いかけると、彼女は深々と頷き、「ギリギリ。エイラたち、幸運」と言葉少なに恐竜人の健闘を称えた。
「だそうだ……いや、よくやったな、サル共。本当に、そう思う」
未だに信じられぬ、とエイラたちの命を賭けた奮闘振りに笑顔で賞讃するアザーラは、いつもの甘えんぼで、子供っぽいところは微塵も感じられなかった。
「ふむ……一件落着だな!」
「クロノがそれ言うのおかしいよね」
「なんとでも言え。俺なりに考えて、頑張った結果だ」
「確かに、クロノ凄かったよ。もっと形振り構わなければ、私が負けてたもん」
「? 俺、かなりマジに戦ったけど?」
マールは呆れたように手を顔に当てて、「手加減してるの、気づいてない訳ないじゃん」と不満を漏らした。勝手に俺をフェミニストにしてくれるのはありがたいが、本当にそんなつもりは無かった……と思う。多分。
次は本当に本気でやろうね! と念を押してマールは話を切り上げた。次もあるのか? と口にしようとしたが、その前に、キーノが厳しい面構えでアザーラたちに近寄ってきた為言葉を飲み込んだ。
「……大地の掟、知ってるな」
──まただ。どうしてこうも、ここの世界の人間はそれに固執するんだ。
つまり、キーノはこう言いたいんだろう。『お前たちは負けたから、死ね』と。そこまで侮蔑したような言葉では無いにしろ、内容は同じ。そればっかりは許せない。
「それ従う。今ここで、キーノ、お前ら裁く」
「キーノ、キーノよい」
堅物な顔で物騒な事を抜かすキーノの肩を叩いて振り向かせる。不快そうに俺を見る目は、邪魔をするなと暗に語っていた。
「あのさ、もういいだろ。人間側が勝ちました。だから、恐竜人は悪さをしません。それを約束してもらえば文句ないじゃんか、な?」
出来るだけ明るく努めて話す俺を、皆黙って見つめている。エイラも、キーノも、アザーラやニズベール。周りの空気に合わせてか、マールも一言も口にしなかった。
「大体、あれだよ。お前ら怖いよ、裁くとか殺すとか皆殺しとか、もうちょっとフレンドリィな生き方って出来ないのか? 手と手を取って生きていくってな選択が出来ないもんかね?」
分かってる。この場の雰囲気が少しづつ冷めていくのを肌で感じている。突き刺さるような視線は四対。原始人代表の二人と、恐竜人の親玉と右腕。庇う形になっている恐竜人二人も、俺に敵意を向けていた。
「それに……そうだ、恐竜人たちも悪い奴らばっかりって訳じゃない。二つの種族が手を組めば、生きていくのも楽になるぜ? 技術力だって凄いし……ああ、分からないかな……とにかく! 大地の掟だかなんだか知らんが、そんなもん忘れろって!」
……その言葉が引き金となり、キーノは今までの表情を一変させて、楽しげに笑い出した。そう、楽しげに。
笑い声は続き、幾度か咳込みながらキーノは笑顔で俺の手を取った。
「それいいクロ! 掟、忘れる。皆仲良くなる! 凄い、クロ!」
「……だろ? だから」
唐突に、キーノが押し出すような蹴りを放ち、俺の腹が爆発したような衝撃を覚える。後方に転ばされ、喉の奥から込み上げるものを吐き出し、床を汚す。胃袋に穴でもできたのか、血が混ざる色合いは見るだけで気分が悪くなった。無様に立ち上がる俺を起こしてくれる人はいない。唯一マールが近づいて治療しようとするが、それをキーノが立ちはだかり止めて、俺に凍るような目を向けた。
「クロ、余所者。それに、友達。もしお前、村の住人なら、殺してる」
「……げほっ……」
「大地の掟、これ、皆背負ってる。へらへらして、それ否定するお前、もう友達でも、仲間でも、ない。消えろ」
「……言ってろ。俺は諦めねえぞ」
刀を立てて立ち上がり、もう一度キーノに近づく俺を、今度はアザーラが止めた。見た目には険しい顔を見せていたが、目の奥が揺らいでいる。きっと、助けを呼んでいる、他の誰でもない、俺に助けてくれと語っている。
「やめろ、クロノ。分からんのか、これは私たち恐竜人と人間の、共通の誓いなのだ。部外者が口を挟んで良い理由は無い」
アザーラは心を捨てたような声で、俺を諭すよう語りかける。
それは、どう解釈したらいいんだ? 関係ないんだから引っ込んでろと言いたいのか? 俺にはそう聞こえない。よく我慢してたけど、お前語尾が震えてたじゃないか。助けて欲しいなら、もっとはっきり言えよ。
「……俺は部外者じゃない」
「部外者じゃ。お前、この前言っておったろう? その時は信じておらなんだが……遠く未来よりやってきたと。今なら信じよう。でなければ、大地の掟を忘れろなどと言えるわけがない」
今度は言葉が揺れなかった。今すぐ良くやった、と褒めて頭を撫でてやりたいが、それを掟とやらが邪魔をする。そのたかだか七文字のルールがわずらわしくてしょうがない。
「郷に入れば郷に従えと言うだろう? ……今すぐここを離れよ……楽しかったぞ」
楽しかった、という部分を発音する時だけ、彼女は小さく笑った。なるほど、これが彼女の今生の別れ、そのやり方という訳だ。
俺は背中を見せてゆっくりと闊歩してこの場を離れる。そしてアザーラは涙を溜めながら心の中でありがとうと呟き、原始の戦いに決着がつく。陳腐なストーリーだ。今に上映した劇場は潰れて閑古鳥が鳴くだろうぜ。
俯いて寂しそうな笑顔を見せているアザーラを力一杯抱き寄せる。「ううっ!?」と困惑した声が腰の辺りから聞こえるけれど、喋るな動くな! と言ってやりたい。お前が少し動くだけでその振動が腹に響くんだ。辛そうな笑顔見せやがって、それなら思いっきり泣いてくれた方がマシだ。夢に見るだろうが。
「郷に入れば郷に従え? 聞いた事ねえなそんな言葉。この時代特有の方言か? 偉そうなんだよ。従えって、何処の誰に向かって言ってやがる」
戦闘前に香る緊迫感の匂いが充満していく。キーノは覚悟を決めたか、足を肩幅に広げて戦闘スタイルに移行する。エイラもまた、迷いながら辛そうに拳を握り締めていた。体力共に魔力もガス欠。そんな状態での連戦、大いに結構! 妹が泣いてるのに立ち向かわねえ奴は兄貴じゃねえ!
「よく聞けよお前ら。郷に入ればなぁ、郷が俺に従えってんだ!!!」
「……言いたいこと、それだけかクロォォォ!!!」
アザーラを背中に回しキーノと対峙する。背中の裾が引っ張られるが、気にしない。背中から声が聞こえるが今は忘れる。感謝の言葉は、泣きながら言うものじゃねえぞ、アザーラ。
その状況で、ニズベールはやはり武人らしい気性のため、表立って掟とやらに逆らえないのだろう。しかし、確かに「すまぬ……」と涙ながらに俺に声を掛けてくれた。あんたの主人は守りきってみせるから、安心してろ。
一触即発。どちらかが呼吸をしただけで飛び出すだろう状況で、それを乱すのは……驚くことに、満面の笑みの王女様。
マールは真っ二つに分かれたキーノたちと俺の間に垂直の氷壁を作り戦いを遮った。
「私もその諺知ってるよ」
トントンと跳ねながら彼女は楽しそうに俺の隣に立ち、ケアルをかけてくれる。それはつまり──俺の味方、ということか?
ふにふにと俺の頬をつつきながら、胸を張って口を開く。
「だって、私たちのパーティーのリーダーはクロノだもん。やっぱり従うならクロノに、だよね!」
「……偉そうに。最初は敵に回ったくせによ」
「だって、いきなりだったし。あの状況でクロノ側に寝返るってどうなの?」
「んー、確かに。まあいいか」
助けて欲しいときに助けてくれるなら、文句を言える立場じゃねえか。
「……二対二、丁度いい、覚悟いいな、クロ、マール!」
「おお、かかってこいや! 貧弱野郎!」
詠唱と刀を抜く動作を同時に行い、キーノはさせまいと飛び込んでくる。エイラと時間差の攻撃か? エイラの追撃対策はマールを頼るとして、俺はこの石頭を叩き潰す!
俺の抜き払いと、キーノの飛び蹴り。どちらが先に当たるか? それが全ての要……!!
「クロノーーーーーっ!!!!!!!!!!!」
戦いの決着は俺の幼馴染の手……いや、声によって想像を遥かに、遥かに凌駕する速さで終結を迎えた。
「ああいたクロノ! 見てよ、五日間寝ずに作業してて、今さっき開発できたのよこれ! ゴムのように体を伸び縮みさせるという名づけて『人体ゴムゴム改造マシン』! これであんたの捕まってる城に乗り込む事が出来るわ!」
アザーラの私室から飛び出てきたルッカは怪しさマックス限界突破、天空を突き破り尚も上り続けるコウリュウの如しな名称の機械を床に置いた。見た感じ、人の四肢を縛り付けるような形状のそれは、「拷問器具ですよ」と言われれば「やっぱり」と言ってしまいそうなものだった。ルッカはなおも血走った目で訳の分からない会話を続ける。
「最初はあの城にプテランっていう動物を使って乗り込もうとしてたんだけどね! それが頓挫しちゃったからこうしてマグマを越える為の機械を作ってたのよ! 凄いでしょ!? ようやくあんたの所まで行けるわ!」
見た目以上にテンパっておられるルッカはどう紐解いても理解の出来ない話を熱の入った口調で語っている。語り続けている。スタンピードした機関銃みたいな速さで、押し寄せる波のように。
「じゃあ早速この機械を使うわね! マウスで実験したから人体に影響は無い筈よ! ちょっとカエルは何処なのよ!? ああもうしょうがないからクロノ、そこにいるんならクロノを助ける為にこの機械に乗りなさい! 早くしないとクロノの貞操があのちびっ子に取られてロリペド開花ぁぁぁ!! ってことになるわよクロノ!」
……どうしよう、これ。
何を言ってるのか一ミクロンも分からないが、多分きっともしかしてもしかするに、夢想妄想想像の類で推測すると、彼女は俺を助けようとしているのだろうか? マグマに囲まれたティラン城に向かうためにこの怪しげな機械を作り出したわけだ。 今まさにそのティラン城にいて、助けるべき俺が目の前にいることを理解していないのだろう。頭が極限に回っていないな、今のルッカは。
そういえば昔、四日徹夜したというルッカに新しい女友達を紹介したときにこんな風になったなあ。あの時は釘打ち機片手に俺を追い回してきたっけ。
「こんなことならやっぱり小さい頃に捕まえて地下室に閉じ込めておくべきだったのよ! そうすればクロノが他の女の子の目に晒されることなく永遠に私という女しか異性を知る事無く着々とそう逆光源氏的な素敵空間が生まれて天道虫のサンバを絢爛な協会で歌われながら赤い絨毯の上を……あれ?」
「気がついたかルッカ。ここはティラン城で、俺はここにいる。その機械は要らない。それから、後でお前の企てている恐ろしい計画の内容を教えてもらうからな」
「え? え? ええ? あれ、何で?」
機械に寄りかかりながら、ルッカは座り込んでしまう。目の中に星が見える彼女のステータスは『混乱・重度』となっているだろう。末期かもしれない。
そして俺以上に状況を理解できないのは現代パーティー以外の四人だろう、キーノとエイラは口を半開きにしたままルッカを見ていたし、ニズベールは頭を傾げていた。アザーラは異質な空気を振りまいて早口に捲くし立てているルッカに怯えて俺の背中にしがみついていた。なんだか、ランドセルを背負っている気分だ。
「……ええと、再開していいか? キーノにエイラ」
「……いい、思う」
いつまでも喋らないキーノを見かねてエイラが答えてくれる。はっきりしない口調なのを責めるのは酷だろう。ここでもう一度さっきまでの雰囲気を持ってこられたらちょっと引くし。俺。
ノロノロと刀を構える俺と矢を背中から取り出すマール。そこでようやくキーノも覚醒する。こんな事言う立場じゃないけど、ごめんな、本当に。
「そうよそれどころじゃないわ! ちょっと聞いて皆!」
「………………」
たどたどしくも戦いの場を再構築して「いくぜっ! てめえら!」と檄を飛ばす算段だったのに、ルッカの超弩級のアホがまた空気をゆるーくさせる。大空に舞い上がる程の馬鹿っぷりが苛立たしくてしょうがない。
「急いで逃げないとヤバイのよ! どれくらいヤバイかって言うと……ほら、とんでもなくあれよ! ていうか……あんたら何してんの? 怖い顔して向かい合っちゃって。夕食の献立かなんかで揉めてるの? 私的には宴の時に食べた焼き豚が一押しで……」
「後生だからルッカ、今だけ死んでくれないか? 今皆真剣なんだから」
「いきなり何よ酷いわね! 真剣って、食べ物のことでそんなにムキになることないじゃない」
「何で食事関連だと確定してるんだよ」
「違うの?」
おお、頭のよろしくない我が妹ですら嫌悪感を乗せた視線を送ってらっしゃる。ぽかんとしてたキーノなんか俺を見ている時以上の敵意をルッカに見せているのに、何故気づかないのだろうか? 五日間徹夜してるからといってこれは酷い。エイラさんは苦笑いへと移行した。マールは悲しげに眉を伏せて同情している。だろうなあ。
「……ぬ?」
何かに気づいたのか、ニズベールは状況に流されない真面目な声で疑問符を上げる。何か効率の良い黙らせ方を思いついたのか、と俺は期待の篭った視線を向けた。
ニズベールは険しい顔になって、静かに上に指を向けている……どういうことだ?
「……赤い、星?」
エイラの声に一番早く反応したのはアザーラだった。電撃を帯びたように俺の背中で震えて、皆と同じように空を見上げる。そこには、星というには大き過ぎる赤く、燃え滾るような巨大な物体が。
──大き過ぎるんじゃなく、近過ぎるのか?
不吉な考えがよぎった時、アザーラが俺の背中を降りて、ぽつぽつと、何かに取り憑かれたように話し始めた。
「始めに、炎を纏う大岩が降り、万物を焼き尽くす」
「アザーラ?」
その言葉が、悟ったような諦めたような……意思の感じられないものに思えて、不安になった俺は堪らず声を掛けた。けれど、アザーラの独白染みた台詞は途切れることは無い。
「焼き尽くされた大地は次第に凍てつき、動物も、魚も、人も……恐竜人も、全てが凍る……果てなき地獄がやってくる」
空を見ることを止めたアザーラの目は、俺たちを映しているようで……何も見ていなかった。希望も、絶望も、歓喜も悲しみも。ただあるがままを受け入れるような瞳は何もかもを内包して、膨れ上がった感情を連想させる。
忌憚のないことを言わせて貰えば、彼女の目は直視しがたいもので、薄気味の悪い、背筋の凍る、まるで死刑を待つ囚人のようなものに見えた。
声を出さなくては、そう思って息を呑んだ瞬間、アザーラは単調にそれを告げた。
「……我らの時代の幕引き……悪くは無いじゃろう、なあ?」
一呼吸の間を置いて、彼女は(妹は)笑いながら(泣きながら)聞いてきた(縋ってきた)。
「クロノ?」
──止めてくれ。
何が言いたいのか何を言ってるのか全然分からないけど、止めてくれ。お前言ったじゃないか。ありがとうって、俺がお前を庇った時言ったじゃないか。それって、死にたくないってことだろ? 何諦めた顔してるんだよ。ひっぱたくぞ、それで……その後、思い切り抱きしめてやるんだ。
「ラヴォス……」
「ラヴォスって……え? どういうことルッカ!?」
エイラの溢したキーワードを拾い、マールは混乱した頭でルッカに説明を求めた。
「……ラヴォスってのは、初耳だし、よく分からない。でも……アレが、落ちてくるのよ。もうすぐ、ここに」
その場にいる、恐竜人以外の人間が金縛りにあったような顔で、固まる。あまりに信じがたい話だけど、聞いたことがある。つまりあれは星ではなく隕石だということか。
誰もが知っている歴史。その中でも随一に有名な出来事。太古の昔に栄えていた恐竜たちが何故全滅したのか? それは、宇宙と呼ばれる空よりもずっと高い超超高度にある空間から、高速で落ちてくる大きな、大きな石がこの星に降ってきて、その爆発と、それによる衝撃で舞い上がった粉塵が空を覆い、氷河期と呼ばれる時代に突入したことが原因。寒さに弱い恐竜たちは見る間に息絶えていき、そして……絶滅した。
「ラヴォス、キーノたちの言葉。ラ、火を示す。ヴォス、大きい、いうこと……」
キーノが呟く台詞に、俺は寒気がした。ラヴォスとは……原始の時代から生まれていたのか?
「エイラ、キーノーーー!!!」
何がなんだか理解できない俺が頭を抱えた時、空から声が聞こえた。見ると、三匹の怪鳥……恐竜人たちの駆るものとは違う、恐らくアレがプテランだろう……に乗った原始の人間。イオカ村の人だろうか。彼は俺たちに早く乗れ! と声を掛けてくる。ラヴォスはもう間も無くこのティラン城に降ってくると形相を変えて急かしている。確かに、早くこの場を離れなければ俺たちは潰れ……いや、消滅してしまうだろう。でも……
「皆、プテラン乗る! 急ぐ!」
キーノが先導してマールとルッカ、エイラを先に乗せていく。その後俺の手を握り乗り込ませようとするが、その手を振り払ってしまう。ごめん、気持ちは嬉しいけど、その前に乗せなきゃいけない奴がいるんだ。
「アザーラ! ニズベール! 乗れ、早く!」
項垂れて見送るアザーラとニズベールに怒鳴るように搭乗を勧めると、二人は驚きながら立ち上がった。驚いてる暇があればさっさと走れって!
ふらふらとプテランに近づこうとするアザーラは、キーノの顔を見て呻くように「うう……」と声を曇らせた。しかし……
「……この決着、不本意。だから、良い。お前ら、乗れ」
キーノの言葉を聞いて、深く息を吐き、アザーラは「ニズベール!」と嬉しげに誘う。それを見て、複雑そうにエイラが見つめるが、結局は嬉しそうにキーノを見ていた。きっとエイラもそうしたかったんだろう。良かった、これでキーノが反対すると、ぶん殴って黙らせる所だ。結局、キーノもまた幼い(ように見える)アザーラを憎みきれないのだろう。
問題は山積みだけど、生きてればきっと何かが変わる。恨みや掟を消すことなんて出来ないけど、必ず落とし所は見つかるんだから。
これからのことなんてまるで考えていないんだろうアザーラは、死ぬという重責から解放されて、この危機的状況にも関わらず嬉しそうに跳ねながらニズベールの腕を取り、引っ張る。その声にはさっきまでの重苦しい雰囲気は感じられない。俺までにやけてしまいそうになるから、もうちょっと落ち着けばいいのにな。
……そう、ここまでは、そんな事を考えていられたのに。
「……私は、行けません」
「……ふえ?」
ニズベールは、自分の腕を握る主の腕を大事そうに掌に包んで、優しく押し返した……何で?
「おい! ニズベール、早く乗れって! 大地の掟のことは分かった、でもそれなら人間の手で裁かれるべきだろ!? ラヴォスなんて関係無い奴に終わらされるのはおかしいじゃないか!」
「そ、そうよね。クロノの言うことが正しいよ、うん! 今は難しいこと考えないで、プテランに乗って!」
「二人の言うこと、正しい! 早く、来る!」
俺やマール、エイラが説得してもニズベールは頭を縦に振らない。こうなったら力づくでも、と考えた時、俺を止めたのはキーノ。
ここまできて、ニズベールは駄目だってのか!? ふざけんなとさか頭!
拳を握り、顔に叩きつけるとキーノはたたらを踏んだが、それでも俺の手を離さずじっと俺を見つめていた。そして開かれる口。そこから出てくるのは『恐竜人だから』とかそんな単純なものよりも、もっと単純で、当たり前の現実。
「……プテランに、ニズベール、乗れない……」
「……は?」
「……そういうことだ、友よ。俺の体重は貴様ら全員を足して、なおも上。プテランに乗って飛ぶことなど出来ぬ」
……え? ちょっと待てよ、言ってること分からねえ。何言ってるのか全然理解できねえ。
きっと当たり前のことを、誰でも分かるようなことを言ってるんだとは理解できる。でも、今の俺にはどうしてもニズベールやキーノの言うことを理解できない。乗ることが出来ない? 何で? だって、乗れなかったら、ニズベールは……
「それにな……いくらかは怪鳥に乗っているとはいえ、大半の恐竜人たちはこのティラン城に残っているのだ。俺は奴らを見殺しには出来ぬ」
「そ、それは……」
「良いから、早く行け! アザーラ様を頼んだぞ、クロノ」
俺が何か言う前にニズベールは遮って、放心気味のアザーラを押し付ける。その腕は僅かに震えていて……俺に全てを託す為の力強さもあって。
分かる。ニズベールは死ぬことが怖くて震えてるんじゃない。己が主人を誰かに託さねばならないことに悲しんでいるのだ。一生全てを使って守り抜くと誓った主人を他人に渡さねばならぬということは、どれほどの苦痛なのか、俺にはきっと分からない。武人の境地を垣間見ることすら、俺には出来るはずもない。
中々言葉を作れずにいると、腕の中にいるアザーラが場違いに明るい声を出した。その内容も比例して、場違いなもの。
「いかんぞ、ニズベール。よく思い出せば、私はまだお前に林檎パイを作ってもらっておらん!」
「は? あ、アザーラ様?」
「いかん、いかん。今すぐ作れ! 仕方ないから、今日は私も手伝ってやろう!」
それはまるで出来の悪い、ままごと染みた劇。文脈の繋がりも、演技力もなってない。頭に浮かんだ台詞を感情をバラバラに込めて適当に放り出しただけの芝居みたいで、ニズベールは勿論、マールもルッカも、エイラもキーノも何事かと目を丸くしていた。
──俺を、除いて。
分かってしまったから。アザーラが、彼女が今から何をしようとして、どうやってこれを締めくくろうとしているのかが、分かってしまったから。
彼女は選んだのだろう、光栄にも、恐竜人のリーダーアザーラではなく、俺と生活した、その中で見せてくれたアザーラとしての終わり方を選んでくれたのだ。それは……あまりにも、身に余る事で。だから、俺が悲しむのはお門違い……なんだよな?
「ふむ、今日は趣向を凝らして、他の奴らも呼んでやろう。皆でパイを頬張るのだ! きっと天にも昇る味となるだろう!」
「…………そう、ですね。アザーラ様。きっと、美味しゅうございますよ」
「ふふん、そうだろう! しかしクロノ! お前は駄目じゃ!」
……それでいいんだな、アザーラ? それで後悔しないんだな? なら……俺も乗ってやるよ、その三文以下の芝居に。
鼻が鳴らないように、喉が震えないように、涙がこぼれないように……これから先、絶対に後悔しないように、精一杯明るい自分を作って問い返す。
「ええ? 何でだよ! 俺だってニズベールのパイ食べたいんだぜ!?」
「駄目じゃ駄目じゃー! お前、この前私のパイまで食べたじゃろう? じゃから、今度はお前の分は無しじゃー! もうお前みたいな食いしん坊で、嫌味で、ずるくて、意地悪な奴は、何処へなりとも行ってしまえ!」
「はあ!? 上等だよ! 二度と帰らないからな! ていうかお前だって食いしん坊じゃん! 昨日も俺の魚の丸焼き取ったしさ! もうお前みたいな我侭で、馬鹿で、甘えんぼで──」
抑えろ、抑えろよ俺。情けねえな、妹がこうまで頑張ってるんだぜ? 根性無しにも程があるだろ。
言い聞かせても、感情のダムから、ずぶずぶと水が漏れ始めていくのが止まらない。
鼻は鳴るし、喉も震えるし、涙は現実的じゃないくらい溢れ出す。後悔しない? ……そんなの、無理に決まってるじゃないか。
「──可愛くて、笑顔を見れば元気になって! 一緒にいるだけで心が温かくて、幸せになれて! 自慢げに話すのに少し突っつくと泣きそうになって喚きだして、危ないことしてたら注意して、その後抱きしめたくなって、小さいくせに心は誰よりも大きくて、部下に尊敬されて無いくせに、世界で一番大切にされてて、俺もそう思えるようになって!!!」
「クロノ……お主……」
アザーラがどんどん泣き顔になっていくけど、もう止まらない。止まるわけないんだ、ブレーキなんか、お前を一緒に暮らすようになってからとっくにぶっ壊れてるんだから。
「今もこうして馬鹿な芝居に乗ってるけど! 最後にはお前を置いて俺はここを離れるって筋書きなんだろうけど! そんなの全然認めないし、無理やりにでも連れて行きたくて……恨まれてもお前には生きていて欲しくて……それこそ世界で一番幸せになってほしいから!」
「わ、私だって、クロノと一緒なら楽しかった! メンコって遊びは知らなかったけど、とっても楽しかった! ええと、ご飯を食べる時、私の苦手なものも食べてくれたし、夜に寝れない時傍にいてくれて嬉しかったぞ! 鬼ごっこも朝から昼ごはんまでずーっとやったし、それに頭もよく撫でてくれた! 抱きついた時、嫌そうな顔してたけど、絶対離したりしなかったよな!? ほんとにほんとに、い、はあ、はあ……いっぱい、楽しかった! 本当に、お兄ちゃんみたいに思ってた!」
二人とも、馬鹿みたいに泣きながら、馬鹿みたいに大きな声でわんわん本心をぶつけ合う。でも、言葉だけじゃ足りないんだ。
川に魚を釣りに出かけたとき、竿に付ける餌が気持ち悪いって、毎回俺に付けさせたよな? 自分でも出来るようになれって言うのに、絶対笑いながら俺の所へ駆けてくるんだ。山にピクニックしに行った時も、「これは私が作ったのじゃ!」ってやたらと塩辛いおむすびを差し出してくるんだ。最初ははっきりと不味いって言おうと思ったんだ。でも、目をキラキラさせて期待してるから、何でか笑って「美味いよ、凄いなアザーラ」なんて言っちまう。どうしてかな、俺、今までこういう事で嘘ついたこと無かったんだけどな。
それから……そうだ、ニズベールとアザーラと俺で一緒に海へ泳ぎに行ったっけな。水着なんてものはこの世界に無いから、下着だけで海に入ろうとするアザーラに驚いたっけ。海に入ったら入ったですぐに「足が吊ったー! 痛いよー!」と助けを求めるから、俺とニズベールはすっげえ焦ったんだぞ? そしたらお前、浅瀬で叫んでるだけだから、思わず脱力したなあ。足着くぞ? って指摘すれば赤くなって歩いてきたんだ。可愛かったなあ、あれは。その日の夜はニズベールとその話で盛り上がったぜ。
──これで、終わりなのか? 本当に?
「はあ、はあ。はあ……」
「はあはあ、ずずっ、はあ……」
「おいおい、鼻すするなよ、き、汚いなあ」
「う、うるさいわい! ちょ、ちょっと風邪気味なんじゃ!」
「ははは……そか。体に気をつけろよ」
「……うん。ありがとう」
急に素直になるのは反則だな。と小さく言って、俺は黙ってこちらを見ているキーノに声を掛けてプテランに近づく。
……結局、俺は何にも出来なかったんだ、と強く言い聞かせて。
何の意味があった? 大地の掟がどうとか言って、キーノたちと対立して、アザーラがでこぼこだけど作り上げた覚悟をへし折って、啖呵切ったあげくが……これだ。だったら、最初から引っ込んでれば良かった。半端にアザーラに希望見せて……ただの自己満足じゃないか。アザーラたちを守ろうとしたっていう免罪符が欲しかっただけだろ!
いつまでたっても。
俺は馬鹿で、考え無しで……救いようの無い屑野郎だ。
「……ん?」
プテランに乗ろうと足を掛けた時、アザーラにズボンが引っ張られて、俺は振り返った。
まだ、アザーラと話せるのは勿論嬉しい。けれど、これ以上別れが辛くなるのがごめんだった俺は、少し、気落ちしてしまう。
「今度会う時は、もっと遊ぼうな!」
「……ああ」
ほら、別れが辛くなるだけの、悲しい虚勢。
アザーラには悪いが、振り向かなければ良かったと思い、今度こそプテランに乗り込む。
曇天とした気分のまま、プテランを操るエイラが鞭を叩き飛び上がる。
──寸前、のこと。
「……ああ。そうか」
微かにしか聞こえなかったけど。聞き逃しそうになるような声量だったけど。しっかりと俺の耳に届いた。聞こえた、確かに聞こえた。
アザーラが……俺が離れる寸前に教えてくれた言葉が。これだけ心が離れても、きっちり楔を打ち込んでくれた。これでもう、忘れない。例え、悲しい記憶でも、辛い別れでも……俺はアザーラたちを忘れない。最愛の妹を、忘れたりしない。
────これからもクロノといる毎日を、私は夢見てたぞ。
下手すれば、後悔の念にも取れるその言葉は……一切の負を感じない清涼な響きで伝えられた。上手く言葉に出来ないけど……彼女は心の底からそう思ってくれたんだろう。
……意味は、あった。俺が彼女を守ろうとしたことは、絶対に無意味じゃなかったんだ。そこに結果はなくても、そこにハッピーエンドが続いていないとしても、俺はその言葉を貰うことができた。世界中のどんな宝石や景色よりも美しくて、富とか力とか権力よりも価値がある言葉を貰えた。
あったんだ。例え万人が無駄だと批判しても、神様なんてものがあって、それは勘違いだと断定しても、意味はあった。彼女は笑ってくれた。今この瞬間にも彼女が泣いているとして、彼女は笑ってくれたんだ。
俺は、間違ってなんか、無い。無かったんだ。
──そう思うより、ないじゃないか。
「クロ……」
前に座りプテランを御しているエイラが、心配そうに俺を振り返る。悲しそうな顔は俺を気遣ってくれているのか。
だから俺は、大丈夫だ、という意味も込めて、一つ自慢してやろうと思う。エイラにするのはおかしいのかもしれないけど、どうしても言っておきたいんだ。
「エイラ。俺の妹は可愛いだろ?」
とびっきりの笑顔で、当たり前のことを聞く。彼女はちょっとだけ驚いて、少しだけ悲しそうな顔になって、最後に微笑んだ。
「……うん。可愛い」
その時のエイラの顔は儚くて、美しかったけれど。
やっぱり俺は妹馬鹿だから、アザーラの方が可愛いな、なんて思ってしまうんだ。
きっと、これからもずっと。
クロノたちが飛び去って、その姿が小さな点になった時。俺の頭上に迫る赤き星はすぐそこまで迫っていた。落下は時間にして五分と無いだろう。クロノとの最後の別れの際は笑顔であった我が主は、今は不安そうに俺の腕の中で震えている。
それでも、泣き言は漏らさない。ずっと、赤き星の啼く音が聞こえているのに、主は強がって「次の次にパイを食べる時は、クロノも呼んでやろうな!」と笑っている。笑っていると、思っておられる。
次々に、怪鳥に乗っていた恐竜人たちもティラン城に降りてきた。予想はしていたものの……感動と感謝を禁じえない。奴らは、いや、我々は己が主と共に死にたいのだ。主無くして生きてどうするのか、不器用と言われても我々恐竜人には分からない。分かりたくも無いが。
「……ニズベール?」
「はい、何ですかアザーラ様」
「私な……」
そこで口ごもってしまうアザーラ様の顔を見ようと、腕の力を緩めて……後悔した。主は、顔をくしゃくしゃにして泣いていたのだ。俺に気づかれぬよう、声を殺して、何でもないと思わせるような言葉を選び、耐えていたのに、俺が見てしまった。主の極限の努力を、俺が台無しにしてしまった。
アザーラ様はすぐに俺の胸に顔を埋めて、なかったことにしようと努める。俺もまた、もう二度と努力を無駄にさせぬよう、強くその小さな体を抱きしめた。
「ニズベール、私、私……」
「はい、アザーラ様」
「──やっぱり、死にたくない」
「……そうですね」
「まだ嫌だ。折角お兄ちゃんが出来たのだ。ニズベールと三人で……いや、恐竜人皆も合わせていっぱい遊びたいのだ」
「きっと、クロノも大はしゃぎとなりましょう」
「クロノの話をまだ全部聞いてないのだ。それに、私も話してない。もっと……私の事を知って欲しい。もっともっと好きになってほしい」
「たくさんアザーラ様の話を聞けばクロノの奴、アザーラ様から離れられませんな」
「それから、それから……」
「アザーラ様、続きはまたにしましょう。今日は些か遊びすぎましたな。もうお休みの時間です」
これ以上続ければ、アザーラ様が壊れてしまう。最後まで、他の恐竜人たちには聞かせまいとしている悲鳴を、泣き言を叫んでしまう。何より……この俺自身も、耐えられぬ。
どうか、どうかこの人だけは。
億とも兆とも京とも知れぬ可能性で良いのだ。神よ、おられるかどうかも分からぬ神よ。そなたが人間を守るのか我らを守るのか全ての生命を愛するのかはたまた嫌うのか分からぬが、神よ。
助けて欲しい。彼女だけは、この小さくも気丈に我らを導き、今まで碌に友達なぞ作れなかった、最近になってやっと兄と呼べるほどの誰かを愛せたこの小さな主を助けてくれ。願いが適うなら俺の命などいらぬ。地獄の底で永久に苦痛の極致を味わおうと一向に構わぬ。むしろ諸手を挙げて歓迎しよう。
だから、どうか。
俺の命を捧げる代わりに小さな命を守ってくれ。
そのような矮小な願いも叶えず、何が神か!? 全能を司るなら、俺の一生で一度の願いを聞き届けてくれ!
かくて、恐竜人という名前は、歴史の中から消えることとなった。
彼の小さな願いを、神という偶像は叶えることはなかったのだ。
一つの種が滅び、一つの種は生き残る。
過去という膨大な流れの中では、それすら些細な出来事。
原始における戦いは、幕を閉じた。