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No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
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[20613] 第十話 『The “Tyrant” way home』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:21a4a538 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/02/07 00:58
 ※久しぶりの更新ですが、今回は紫藤のターン。裏で普通に悪い事しているなーという、原作裏話的な話です。『追跡者』の陰も薄いですが、どうぞ。










 特別な材料は必要ありません。
 誰でも持っている、何処にでも有る物で十分です。



 人間の積み重ねて来た知恵。
 必死に手に入れた技量。
 親族が生み出した権利。
 他者を踏みにじる為の地位。
 要求される社会的立場。
 抑圧から逃れようと手にした知識。
 壊せない檻に封じられた体験。
 負を抱かせた喪失。
 傲慢さに抑圧された精神。
 従順を取り繕う仮面。
 煮詰まり続ける私怨。




 それらを、一つの舞台に投げ入れれば良いのです。




 倫理観が狂い始めた世界に劇場を構築し。
 邪魔されない環境を舞台として。
 自分を信じる人形を役者に。
 疑う無意味な雑魚を観客に。
 歪んだ性根と。
 優しい狂気と。

 そして最後に、スプーン一杯の悪意を加えて演出すれば、それで完璧です。






 カチ、とスイッチが押され、画像が浮かび上がる。
 それは外部の様子を記録した物だ。

 十数分程前まで撮影されていた、御別橋周辺で活動していた警官隊。パトカーの中には保護した民間人が乗せられていて、群がる死者の魔の手から必死に守護すべく奮闘していた光景だ。

 画面に映るその数は、明らかに少ない。死者の数も少ないが、それ以上に、今尚も現場に留まって使命を全うしていた者が、少なかった。
 有る者は己の頭を撃ち抜いて自殺をし、有る者は恐怖に駆られて逃げ出し、有る者は職務よりも私人の感情を優先し、今尚も留まっているのは、家族や身内の心配が無い、留まる事しか無い人々だった。

 彼らも、積極的に活動は出来ない。他の場所に移って行った《奴ら》も多いとはいえ、今尚も周りには数えるのも面倒な程に犇めいている。下手を打って呼び寄せれば数に飲まれる。
 いっその事、逃げれば良かったのだ。しかし、車両に乗せた一般人を含め、周囲には大量輸送に適さない車種ばかり。警官隊を運んで来た護送車は、床主大橋での爆燃で使用不可能。ほうほうの体で何とか形にしているが、砦としては陥落寸前だろう。
 無線は沈黙し、上からの命令は一向に降りて来ない。状況を呑み込めずに唯解決しろと不満を募らせる者も出る。彼らに出来る事と言えば、留まり、何とか場を収める事だけ。しかし解決する筈も無い。

 貴重な人的資源が、時間と共に失われて行く。
 画像は、状況を解決に導く誰かを、求めていた。




 カチ、と画像が変わる。
 次に画面に映ったのは、一台のマイクロバスだ。

 車体には藤美学園と書かれたバスは、軽めに見積もっても二十人以上を搭載できる。上手い具合に周囲に死者の姿は見えなかった。運転席から眼鏡を懸けた身形の良い青年が下りて来ると、彼は警官に向かって、笑顔を向ける。
 会話の後に、警察は彼を驚いた顔で見つめ、そして……やがて頭を下げた。
 青年の合図と共に、バスからは七、八人程の学生が下車する。そして、丁寧な仕草で徒歩のまま、乱す事無く動いて行く。自分達よりも他者を優先する姿は、立派だった。立派すぎて、まるで演出に思えるほどだった。

 画像が代わり、今度はバスの中に、警察で保護されていた人々が乗り込んでいく様子が映る。――――青年は学生達と共に、バスを他の人々に譲ったのだ。
 青年に何かを話し、学生の一人がバスと警官を助ける為に残ってもいる。
 バス一台が有れば、彼らは皆、ここでは無い何処かに避難する事が出来る。安全な場所を探すのは難しくとも、留まる必要はなくなったのだ。移動を選択して当たり前だった。

 彼らは皆、バスを譲ってくれた藤美学園の教師と生徒に、感謝をしている事だろう。
 そして、その選択を取った彼らを、映像は美化している事だろう。




 カチ、と更に映像が切り替わる。
 そして、次に移った物は――――。






 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』

 第十話『The “Tyrant” way home』






 紫藤浩一は、他人も、そして自分でも共に認める優秀な人間である。

 父親が紫藤一郎という地元出身の代議士である事を差し引いたとしても、評価は変わらない。最高学府を卒業する頭脳。一流には及ばないが高い運動能力。判断力や統率能力も優れている。外面だけ見れば、完璧と言っても差し支えの無い存在だろう。

 しかし、世の中に「完璧」は無い。才色兼備と言っても、表に出ない欠点が存在するのが、当たり前。紫藤浩一も例には漏れなかった。
 彼は確かに優秀だった。問題が有るとすれば、唯一つ。その内心は、余りにも鬱屈しすぎていたと言う事に限るだろうか。

 気の良い信頼のおける青年の仮面を被った、その裏では、煉獄の如き狂気が渦を巻いている。
 人間が持つ、人間だからこそ持てる様な、心が産む澱を、その裡に宿している。
 誰もが持つ負の感情や、囚われる衝動や、緊急時に露わになる本性や――何処までも、人らしい精神が、抱えられている。

 無論、彼も元からそんな性格だった訳ではない。子供の頃は良い子だった、と言う事は簡単だろう。しかし、彼の人格形成に如何なる理由が有ろうとも、今の彼が歪んでいる事は誰にも否定が出来ない。
 彼自身、自分が歪んでいる事は自覚している。
 彼の中に有る感情は、二つだけ。




 己をこうして生み出した紫藤家を終わらせる事。
 そして、その為にはどんな非情な手段でも使用し、生き延びると言う事である。




 『何が悪かったのか』を議論するのは無駄と言う物だ。彼の親かもしれない。彼の出生かもしれない。彼の人間関係かもしれない。あるいは彼自身かもしれない。運命や人生といった概念的な品かもしれない。

 結果として彼は、ある意味、とても正直に行動するようになった。
 現代社会の闇の縮図を、そのまま集めて煮詰めて固めたかのような、本質と成った。
 他者を蹴落とし、甘さを削ぎ取り、他者を裏切り、仮面の裏で全てに興味を無くし、利用し、利用され、権力中枢に食い込みながら、徹底して制御した理性と、途切れる事の無い感情で――――目的を実行に移すようになった。

 そして、世界がこうして終焉を迎えても、彼の性根は変わらない。
 突き詰めて言ってしまえば、それは、他者への悪意と自己保身だった。




 丁度、小室孝一行が河を遡上し、高城沙耶の家へと向かっていた頃の話だ。




 視界に映る光景は、普段ならば目を疑う物だ。

 まさに廃墟、と表現が相応しい。
 重機に解体される途中で放りだされたかのような、半壊したメゾネット。屋根は潰れ、窓は割れ、壁は罅が入り、地面に広がるのは家に繋がる電線だ。丈夫な筈の門は壁から叩き壊され拉げ、外部と地続きになった玄関は空虚な内部空間を晒している。まるで暴風雨の後か。

 (いやいや、これはまた)

 凄い状態だ。道すがら、荒れ果てた家は結構な数を見て来たが、此処まで酷い家も無い。
 どうしてこうなったのか? その答えを導くヒントは、目の前に置かれていた。
 置かれていたというか、放置されていた。

 道路を塞ぐように、一台のマイクロバスが駐車されている。フロントガラスには罅が入り、塗装は焦げて剥げかけている。しかし、多分、まだ動く。……バスに書かれている文字を見るまでも無い。自分達が乗っている物と同じだ。藤美学園保有の、部活遠征に使用される代物だった。
 彼の知る限りでは、このバスを此処まで運転して来れた人間で、該当するのは一人だけ。
 養護教諭・鞠川静香だけだ。

 (……ふむ)

 時計の針を見る。既に太陽が昇った、午前十時前。

 二日前に学園を抜け出し、慎重を期して行動し、途中で何か“邪魔だった怪物”を跳ね飛ばし――――その後、遠回りをしながら安全な場所を探して来た。後部窓ガラスは罅が入って穴が開いたままだし、明らかに事故車として扱われるのに相応しい状態だろう。
 学園下の最寄りのコンビニは、既に自分達が付く前に目ぼしい物は盗られていた。まあ、街中を抜ける最中に多少の食糧は確保して(泥棒して)生徒達に分け与えて有るが、このまま乗り続けるのも不味い。

 この二日間、飴と餌と言葉を利用して牽引してきたが。
 ここらで、もう少し手綱を握らないと、不味い。

 性欲を利用して彼らを操るのは、もう少し先だ。快楽は一種の逃避行動。故に、適当に与えるのでは――――“終わった後に”支障が出る。安全な場所の目星が付くか、あるいは確信が持てるか。

 いざという時に行為の最中だった、では困るのだ。
 自分自身が生き残る為にも、従順な人形は数多く確保しておいた方が良い。

 (利用させて貰いましょうか)

 静かに、考え込む様な態度で、彼は運転席で沈黙する。
 無駄なアイドリングも止めた、完全なる停車だ。生徒達の方も、この二日間で学習している。つまり、音を立ててはいけない。そして、生き延びる為には紫藤先生の邪魔をしてはいけない、だ。

 紫藤浩一は確かに優秀なのだ。
 学園から生徒を脱出させ、食料や雑貨を入手し、二日間の間死の街を彷徨って生き延びている。時には乱暴に、時には慎重に、時には大胆に、出来る限り生存確率を高めつつも行動して来た。南リカの家周辺に辿り着いたのが、小室孝らより丸一日遅かったのも其れが原因だ。
 だからこそ、生徒達も今は大人しく従っている。元々彼が担任だったクラスの生徒達である事もそうだが、彼の持つ手腕や才覚に依存するように――――思考を誘導して来た。

 人間の考えを誘導する事は、実に単純だ。
 緊急事態である事を認識させ、混乱している間に正しく思える指針を示してやる。説得でやる気を出させ、安心感と共に依存心を高める。納得出来るだけの材料と、偽善で心を守ってやることも忘れない。別に思考が逃避しようが構わないのだ。仕方が無かった、と納得させるだけの道具で、心が壊れずに使えれば良い。使えなかったら捨てれば良いのだし。
 手段と、利用方法を、纏める。

 「さて皆さん」

 にこやかな、学園生活で浮かべていた爽やかな笑顔の仮面を被りながら、彼は生徒達に告げた。

 「人助けをしようでは有りませんか」

 その言葉が、此処まで胡散臭く聞こえる男も、そうはいなかった。






 紫藤浩一は、バスを見て確信していたのだ。

 あの怪物。自分達が轢き、跳ね飛ばし、逃走に成功した『障害物』は、少なくとも鞠川静香の運転するバスを追って行ったという事。そして、昨日から今日に掛けての間、あの家の前で、怪物との大きな戦闘が有ったと言う事だ。
 この現状では。学園の鉄門を叩き壊し、速度の乗った車で轢かれても支障なく動ける「化物」以外――――あんな惨状を生み出す事は出来ない。手持ちの携帯電話のテレビ機能で、大橋での中継も視聴していた。異常っぷりは良く、この上なく、把握出来ている。

 直接、視認してもいる。紫藤浩一は、自分の行動を覚えている。名もなき少女と一緒に行動していた『奴』を、彼の運転するバスが躊躇せずに轢いた。あんな化物と一緒に居る時点で、少女が普通の筈が無いと判断をして、実行した。それは別に、其れだけの話。誰に聞いても、常識的だと言うだろう。

 誤算が有るとすれば、怪物の生命力と身体能力。まさか加速したバスに――――跳ね飛ばして速度が落ちていたとはいえ、追い掛け、しがみ付くとは、考えられなかった事だ。しかし、結局それも、振りきれた。

 (そう、つまり)

 「南」と書かれた、既に役目を果たしていない表札を遠目に見て、紫藤は確信した。
 あの怪物は、このバスよりも、鞠川静香らの方を、優先しているのだ。

 怪物を轢いた。これは両方のバスに言える。いや、単純に被害を与えた、という部分ならば紫藤達の方が大きいだろう。何せ“怪しい少女”を巻き込んでいるし、加速と遠心力で引っぺがして適当な外壁に叩き付けてもいる。
 しかし、それでも化物は自分達では無く、もう一台を狙った。怒りこそすれ、執念深く追ってはこなかった。紫藤達がこの二日間で見かけた物と言えば動く亡者と逃げる生者。そして落日世界だけだ。

 これは明らかに、一定以上の知能が有る生物の行動だ。外見からすれば、野生の獣並みに執念深くても良い筈なのだ。しかし、そうではなかった。なぜならば――――『彼』(性別不明だが、多分、男だろう)にとって、自分らより彼らの方が、より重要だったからだ。

 もう一つ。
 『彼』が意識を向けているのはバスでは無い。バスは追跡のヒントではあるが、目的では無いのだ。だからこそ、南家に放置されたバスに、拘泥する事無く、姿を隠している。では、何に意識を向けているのか、と考えれば、自ずと答えは出る。
 その答えは、バスの乗客以外には有り得ないのだ。

 (恐らく……)

 紫藤は、一連の流れを、推測する。

 あの『彼』は、藤美学園に出現した時、狙う相手を定めた。そして、対象を最も高い優先順位に指定した。鞠川静香ら一向の中の“誰か”を追う事にしたのだ。音や匂いを初めとする材料と、学園保有のマイクロバスを負えば、可能だろう。
 その途中、自分らと遭遇し、追いかけても来た。しかし、少なくとも『彼』は怒りや人間の死より、“誰か”を追いかける事の方を優先するのだ。だから、自分達を追ってはこなかった。アレから一回も遭遇していないのがその証拠だ。

 自分達が動いている間、二日間を懸けて『彼』は、目的の相手へ到達した。しかし途中、大橋で大騒ぎを発生させてしまい、その為に――――バスの乗客達に迎撃準備をさせてしまった。細かくは分からないが、高城沙耶、毒島冴子といった、この状況下に頼りになりそうな人材が、鞠川静香と一緒に居る事は、学園で遠目で見えている。
 恐らく、大橋の一連で、彼女達も――――『彼』が、己らを追っている事に気が付いていたのだ。

 そして時間的にはおそらく夜。『彼』と、藤美学園生徒との戦いが発生する。結果は、なんとドロー。圧倒的に不利だと思われたが、しかし結局は引き分けに持ちこまれた。両者共に死ぬ事は無く、また戦場を変えて再戦する事と成るのだろう。
 南家には生徒の死体が転がっている様子はなかった。家を一つ犠牲にして、また事前の準備も含め、かなり手を尽くしたのだろう。倒れない筈の電柱を(電信柱が倒れても、電線で支えられるのが普通だ)倒している事や、焼け焦げたアスファルト、焦げたバイク、悲惨な家の様子からも伺える。

 (ならば、)

 ……生徒達は撤退に成功したと仮定する。一時では有るが怪物を足止め出来たとする。
 地面には、何か大きな物を引き摺った後が有った。それは、惨劇の中心から伸び、道路の真ん中を通り、何処へと続いている。これは十中八九、怪物の足跡だ。歩き方を見るに、怪我か障害を負っている。血の乾き具合から見ても、まだ遠くへは行っていない。

 まだ遠くへ入っていないという事は、自分達が襲われる可能性が若干ながら出現するという事。
 そして、負傷を癒している今ならば、多分、直ぐに行動すれば――逃げ切れるだろうという事だ。

 驚くべき事に、このような思考で、紫藤は昨晩の事件の全貌を、ほぼ、推測し、そして的中させていた。
 そして彼は、最終的に、こう結論付ける。

 (……利用、出来ますね)




     ●




 大橋の下で静かにしていたら、如何やら眠ってしまったらしい。

 そう言えば、白い世界を抜け出した後、殆ど睡眠をとっていなかった。真っ暗な中、一人で寝るのが怖かった、という事も有るけれども、やっぱり温かさが無いと眠れない。体に流し込まれる薬で眠る事も多かったのだろうけど、常にお姉ちゃんの感覚が有ったから、何処か安心していたのだと思う。

 体を休める前に僕が渡した写真と財布を、あの子犬さんは、届けてくれたのだろうか?

 (……届クト、良イナア)

 ついつい頑張って犬の鳴き声を真似したら、思った以上に大きな咆哮が出てしまって、自分でも驚いた。お陰で、夜中だって言うのに、周りの犬は反応するし、迷惑だっただろう。外の世界は良く知らない僕でも、静かな中で大きな声を出すのはいけないだ、と言う事は分かる。

 何故か猫とか、鳥とか、虫とか、そういう生き物が挙って逃げて行ったけれども、一体何故だろうか。

 物真似に反応した犬の皆も、親しく、と言うよりは怖がっている雰囲気だった。あの子犬さんだけは、目の前にいたせいか、逃げる事も無く、頼みを聞いてくれたけれど。

 (……意志ダケハ分カル)

 思った。言葉は通じない。けれど、何を如何して欲しいか、という此方の意志は通じる。相手が、何を求めているかも、なんとなく読みとれる。人間が言葉を操れるように、動物が啼き声を使用する。その仕組みを、取り入れていた。
 犬と会話が出来る時点で、色々と変なのだが、それには気が付かない。

 (ア、デモ……)。

 あの子犬さんは、果たしてしっかり届け物を完遂出来ただろうか。子犬に無理をさせるのは良くなかったかもしれない。途中で落し物をしている可能性もある。はたまた、河に落ちて流された、とか言ったら、困るではないか。

 自分が渡してと頼まれた写真に、子犬さんの命も、危ない。

 頭の中で、一つの光景が浮かんだ。ふらふらの状態で、必死に足を奮って進む子犬だ。まだ若く、小さいのだが、瞳の中に強い意志が浮かんでいる。その子犬が、何処かに向かって一生懸命なのだ。
 目的地はまだ遠く、広がるのは長い道のり。そして助けてくれる者もいない。

 (……泣ケル?)

 少し、悲しくなった。頼まなければ良かったと思った。無論、『追跡者』の外見として見れば、想像も不可能な表情だ。二メートルを軽く超える気色悪い巨人が、『フランダースの犬』を見ると泣いてしまう位に純情だとは誰も思うまい。

 『彼』は、悲しいお話は嫌いだった。母親の寝物語の記憶が残っている訳ではないが、何時か誰かに何処かで語られた痕跡は残っている。序に言えば、怖い話はもっと嫌いだった。

 要するに、苦手な物は子供が苦手な物と等しいのだ。そして、性格も純情その物。常識はないが、仮に日常で生きていたら、さぞかし可愛がられただろう人格だった。仮に誰かが、『何よりもお前の外見が怖い』と言い、それを聞き付けたら、ショックの余り、布団の中に引き籠ってしまう。

 (……良シ、起キヨウ)

 兎に角、一度、思ってしまうと気に成って、もう一回眠る気には成らなかった。幾ら春先で温かかったとしてもだ。実は心配性の気も有ったのかもしれない。

 よっこらせ、と体を起こすと、その身体は既に万全に近い状態だった。鞠川静香の匂いを辿る事は難しいが、子犬の匂いは追跡が出来る。そして、街中に多く潜むイヌ科の哺乳類は、自分一人では到底にえられない程の、多くの情報を伝えてくれる。
 別に急ぐ必要も無い。普通に動けば、それで追い付ける。仮に追うのが難しくなったら、また真似をして訊ねれば良いのだ。今度は……そう、ゴミの代わりに死体を漁る烏とか、虫とか、爬虫類に。

 ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをする。

 それは、寝起きの一動作というよりも、倒した筈の怪物の再復活、とも言うべき光景だった。
 大量の銃弾を叩き込み、失神させた筈の異形が、目の前でもう一回起き上がった様子を想像すれば良い。

 「――――  」

 欠伸をしただけなのだが、如何見ても咆哮だった。

 ゆっくりと体を動かし、暖かな太陽の日差しを浴びて、お散歩気分で橋下から出る。草は若緑。河縁の小花が可愛らしい。今日も穏やかな、白い雲が漂う平和な天気だ。岸辺の花の周りには蝶々が飛んでいる。
 そんな中を、死者と死体が放置されたままになっている事だけを除けば、何も問題が無い光景だった。
 風と共に、春の香りを感じ取る。

 (……ン)

 おや、と思った。吹く風の中には、自然の匂いと血の匂い。更には腐敗した肉の匂いも混ざり、表現し難い薫りの渦を生み出している。しかしその中に、“嗅いだ経験のある”匂いを感じ取った。
 それは、何日か前に嗅いだ、優先順位故に、敢えて追う事を止めていた相手の芳香だった。

 (……アア)

 ふと意識が鋭くなった気分がした。酷く精神を刺激する、理性が解き放たれる様な薫りだ。
 己の血と、道路に広がった血の、拭っても拭いきれない、鉄の匂い。
 先程までの穏やかさを感じたまま、しかし頭の一部が、冷えた様な感覚を得ながら、彼はそちらに足を向ける。

 近い。間違いが無い。




 己と少女を轢いた、あのマイクロバスが傍に有る。




 咆哮に近寄った、生ける屍を退かしながら、彼は静かに――――ゆっくりと、歩き始めた。




     ●




 『彼』が預かり知らぬ所では有るが、『彼』の存在は、衝撃を持って受け入れられていた。

 民放のテレビで、所詮は日本の関東の一角での出来事。確かに情報として伝わったが、放送されたのは唯一、一回だけ。この混乱の中、遠く離れた場所に正確に伝わるまでには時間が懸かる。
 だから、幸いにも――――国家や政府といった機関から、大きく目を付けられていた訳ではない。……今は、“まだ”と言う言葉が付くが。

 しかし、直ぐ傍にいた生者達にとってみれば、何時、自分達に襲い掛かって来るかも分からない、一つの災厄そのものだ。その衝撃は、良くも悪くも、多くの人間に影響を与え、そして少しずつ行動を狂わせていた。
 ますます籠城を決め込む者。自暴自棄に成って心中する者。衝撃に後押しされヤケになって撃って出る者。そして感覚を研ぎ澄ませ、“冷静さ”を得た、数少ない者。

 それは紫藤浩一と共に、学園内から脱出した面々にも言えた。彼が率いる学園生徒の生き残りは七人。保身の為の本能か、目敏く紫藤から離れない事を選んだ夕樹美玖を除くと、残りは六人である。

 六人の中、幸いにも冷静さを得たのは――――。






 「君、良かったのかい?」

 制服に身を包んだ初老の警察官に声をかけられ、山田脩は振り向いた。
 御別橋に辛うじて残っていた生者。警官と僅かな民衆。十人もない集団を纏めているのが、二日間で自二十は老けこんだ様にも見える、この人だった。

 「さっきの皆と、一緒に行かなくて」

 その声は、疲労がにじみ出ているが、優しい。上司は左翼団体を銃殺し、同僚は娘の写真を手に自決し、後輩は逃亡し、それでも職務を遂行していた、根っからの警察官だった。
 彼と共に居るのは、山田少年を除けば僅かだ。警官が一人。女性と子供が二人ずつ。老人が一人。何れも、逃げる気力の無い、この場で動かない事が精一杯の、か弱い民衆たちだった。

 「……はい」

 良いんです、と彼は頷く。

 「なんか、こう……あのバスの中、少し、変だったんです。最初は僕も気が付かなかったんですけど……。宗教、というか。紫藤先生に従わない人は、その内に捨てられるような、そんな気がして」

 「そう、……なのかい?」

 多分、と彼は答える。
 極限状態の緊急事態、とはいっても、紫藤浩一の言動や態度は――何処か、少し変だった。
 脱出したり、あるいは逃亡したり……興奮状態で、まるで熱狂しているかのような状態では、まるで正論の様に感じられた言葉が、一歩冷静になってみると、何かが変に、何かが異常に感じられた。
 それを言わなかったのは、皆、疲れていてストレスが溜まっていたし、喧嘩や口論の原因を生みだして、輪を乱すのも良くないと思ったからだ。

 「それに、良いんです。――――僕は両親を、探しに行きたかったので」

 「……それは」

 山田少年の言葉に、警官は言葉を濁した。勿論、彼らは互いに理解している。この状況で、探し人が無事で有るとは、誰も確信を持って言えない。

 この警察官は幸いにも独身貴族だった。交際していた女性も居ない。両親は亡くなっている。だから仕事に全力で打ち込む事が出来た。そして運良く、こうして生き残っている。
 故に警官は、覚えている。一縷の希望に縋り、結局希望ではなく絶望を得た者の姿を、覚えている。そして、それでも尚――――縋らずにはいられないのが人間だった。
 少年は、とても真っ当な、普通の男子高校生だった。小室孝の天性の行動能力とも、平野コータの特殊な技能とも、あるいは紫藤浩一の変わらぬ狂気とも違う、ごく普通の、一般民衆としての思考であり、行動だ。

 「……良し、分かった。けれどもまずは、この場所から移動しよう。良いかい?」

 話題を変える。これ以上に思索をしても、今は無駄だ。

 窓の外には、数多くの死者が動いている。大橋の騒動も有って、近場に居た数百人の死者は一時的にだが片付けられている。だが、それでも尚、動く《奴ら》の数は余り有った。
 視界に入るだけで大凡、三十。それが途切れる事無く続いている。脚が遅く、各パーツが動けないほどに欠損している物も多いおかげで、まだ突破口を開く事は可能だが―― 一ヶ所に留まっている訳にも、いかない。

 「はい……」

 頷いた山田少年の肩を軽く叩くと、彼は覚悟を決めてエンジンを懸けた。
 鳴り響いた音に、死者達が一斉に顔を此方に向ける。そして、歩み寄り始める。襲われる前に、移動しなければならない。




 彼らがいるのは、嘗て藤美学園の生徒達が乗り、紫藤浩一が運転し、そして今、数少ない警官と市民の乗った――――バスの中だった。






 『人助けをしようでは有りませんか』

 そう言った紫藤の言葉に、何か危ない物を感じ取ったのは、決して山田脩の気のせいでは無い。
 非常に稀有な事に、彼は、紫藤浩一の言動の中の、何か怪しい部分を感じ取った。感じ取る事が出来たのだ。だから、場を見て、時期を呼んで、彼から離れようとした。

 山田脩は、良くも悪くも他人と強調するタイプだった。事を荒立てない。波並を立てない。大多数に付き、意見を同意で返す。典型的で保守的な思考の、良くいる普通の少年だった。その彼が、カリスマ性を持つ紫藤から逃げようと思えたのは、幸運以外の何物でもないだろう。
 仮に、彼が此処で離れなければ、恐らく近い内に、“協調性が無い”という理由の元、死者の中に落とされたに違いない。

 (……そう、これで良いんだ)

 あの紫藤という人間は、確かに凄い。何かは分からないが、兎に角、普通とは違う才能を持っている。危険になって初めて発揮されるカリスマ性が有る。それに惹かれなかったと言えば、嘘だ。

 けれど、本当に――――運が良かった。




 まさか、移動用の車を乗り換える、等と言いだすなんて。




 紫藤が、如何して乗り換えようとしたのかは、彼には分からない。件の教師は『このバスは危ないですから』と言っていたが、何処まで本気か分かった物では無い。

 (……多分、人助けをした事実が、目的なんだ)

 そう思う。非常時に他人を助けたと言う事実を、免罪符にして思考を誘導するのが、多分、目的だった。
 良い事をした自分達は正しい。間違っていない。だから何をしても許される。そう思わせておけば、言葉で自由に動く傀儡の兵隊の出来上がりだ。何時か紫藤に見捨てられたとしても、見捨てられた事を理解する暇も無く、そして最後まで信じて終わっていく。

 あの大橋で暴れた『怪物』を見てから、頭の一部が冷えたのだろう。考えずに従っているだけでは、何れ身内の毒で死ぬ事を、感じ取った。

 『良いですか皆さん! この世界で最も大事なのは、強調と、庇い合い助け合う心です! 外を見なさい。死しても尚、自分勝手に行動する、醜い亡者を! 皆さんは、アレとは違う。いいえ、私が同じには、決してさせません!』

 マイクロバスの中、両手を広げ、まるで教祖の如くに言い放った紫藤浩一に、疑いも持った者は、山田脩以外には、いなかった。
 誰もが目を輝かせて、聴き惚れていた中で、彼は一人――――その言葉の中の異常さに、気が付いた。
 狂騒や混乱が、複数重なったお陰で、逆に冷静になってしまった。

 『このバスは、まだ大勢の人を乗せる事が出来るでしょう。それは私達は、多くを“助ける”事が出来ると言う事に他なりません! ――――さあ皆さん、降りる準備を、しておいて下さい』

 普通の神経をしていたら、変だ、と、そう思えただろう。一見耳触りは良いが、良く聞いて考えれば、論理もかなり怪しい。言っている言動に矛盾が有るし、理性的に聞こえても最善手を出している訳ではない。けれども、バスの中でまともな感性や、神経を持っている者は、もういなかった。

 今迄が今迄過ぎたのだ。学校を脱出して、丸二日。紫藤浩一の言葉や行動で、確かに彼らは此処まで生き延びて来れた。従っていれば。従ってさえいれば、それで全く問題が無いと脳裏に刷り込まれていた。
 彼の勢いと、無駄な演出能力に、皆が籠絡されていた。

 (……怖い)

 正直、そう思った。何かは知らないが、紫藤浩一と共に居ては危ないと覚った。だから、山田脩は、一人、残りたいと告げたのだ。紫藤も止める事はしなかったのは――――多分、邪魔だったのだろう。己に迎合しない人間が、邪魔だったのだ。向こうも。
 だから、山田脩は、彼らから離脱した。

 高校生とはいえ、男手が増える事に警察官も感謝をしてくれた。既に彼には、家の近くまでで良い。乗せて言って欲しいと伝えて有る。
 両親が生きているならば合流する。合流出来ないならば……せめて、生まれ育った家で死にたかった。
 自分は、長生きの機会を不意にしたという意味では、馬鹿だろう。けれど、自分の意志で行動出来た。あの紫藤と言う人間の枠から抜け出せたという面では、賢かったのだ。

 (……家に付いたら、何をしようか)

 ゆっくりと、進み始めたバスの中で、彼はそう見えぬ未来を夢想した。




     ●




 今の世の中で動く事は非常に難しい。

 《奴ら》と呼ばれている、動く死者。オカルテイストに言えばゾンビなる種族は、一対一ならば特に怖くはない。筋力のリミッターが外れていると言っても、基本的に動きは鈍いのだ。武器が有って覚悟が有れば、女子でも簡単に倒す事が出来る。
 《奴ら》最大の脅威は数だ。数とは力であると伝えられる通り。一体でも残っていれば増殖していく怪物の群れ。大量破壊兵器を持って来ないと殲滅出来ない所が、何よりも生ける屍の恐ろしさだろう。

 ……最も、人間にしか適応されない理屈なのだが。

 「――  g、マ」

 ゴシャグシャグチャッ! と、近場のブロック塀に群がる怪物を押し付け、圧殺する。意外と簡単に潰れてしまった。飛び散る骨と内臓と澱んだ血を無視して、『彼』は、随分と良い感じになった体を動かして、周囲を見た。今ので、近い亡者はあらかた片付いている。

 殺人事件現場でもこうはならないだろう血の池を通りながら、その身を前へと動かして行く。その身は真っ赤だが、瞳の意志に揺らぎはなく、歩む足取りはぶれない。




 全身血塗れの、ただゆっくり、しかし確実に歩み寄る、醜悪な『追跡者』。
 『彼』の外見を説明すれば、そうなる。




 歩き始めて、一時間程か。
 ゆっくりと大橋から河上流へ動いていた『彼』だが、妙に道中に《奴ら》が多かった。道すがら始末した連中の数は、二十や五十では効かない。このペースで行けば、一週間もすれば街中の《奴ら》を始末出来るだろう。

 一時間に百体。一日続ければ二千四百体。一週間でなんと一万六千八百体だ。これは不可能でも何でもない。実際、床主市全人口の一パーセントを始末できるポテンシャルを秘めている。
 こうして『彼』がゆっくり歩いている間にも、首元から背中、肩口に生まれた触手が、ガッショガッショとご機嫌に顎を動かして“食事”をしているし、そのお陰で肉体も万全に近い。この世界で、最も自由に生き、自由に生活できるのが『彼』だった。

 ただ、苦労が無い、訳ではない。
 呼吸を殺せないので息が荒い。時々うっかりして側溝に足を踏み外す。足元ばかりを見ていたらカーブミラーに頭をぶつけた事も有った。この『彼』、意外とドジっ子なので有る。

 最初に体を得た時から、結構な時間が経った。以前は出来なかった、歩く事も、走る事も出来る。泳げないでも浮ける。ジャンプも出来るようになった。
 この辺り、不思議な物で。頑張って歩いていた内は、歩く事に集中していたから問題が無かったのだ。しかし今は、余裕が有る分、注意力が散漫になった。あるいは逆に前進に集中しすぎて、思わぬミスを生みだしている。

 要するに子供。半日前に毒島冴子に指摘された通り、体を初め、諸々の使い方がなっていないのだった。
 力技で排除できる《奴ら》には圧倒的だが、技と知恵で戦える人間に不覚を取るのは、だからだった。

 常識を知らなかったのは、幸か不幸か。

 『彼』にとって、一向に学習しない相手など、怖くもなんともない。障害物にもならない。大きく腕を振れば飛んで行くし、思い切り掴めば捻じ切れる。向こうの攻撃は通用しない。しかも、美味しいご飯にもなるのだ。恐れる筈が無い。

 そもそも通常の平和な世界、という概念が、『彼』にはもう怪しい。彼にとっての世界は他者に閉じられていた。だから、死者が闊歩していようが、常識外れだろうが、“知識と比較して異常”だから他者に恐れられる物は、彼には全然怖くない。

 彼が怖いのは、即ち子供が怖がる物だ。暗闇であり、苦痛であり、孤独で有り、親しい相手の消失であり、人からの悪意でもある。誰にでも体験は有るだろう。しかし、記憶を失った彼には無い。残っていても、記録でしかない。実感は失われている。

 仮に、最強の肉体と言う物を得た代価を、『彼』が払うのであれば――――人間ならば経験して来ただろう“それら“になるのかも、しれなかった。






 (……チカイ、ナ)

 クン、と、既に崩れた鼻孔で匂いを感じ取った。爬虫類などが使う「ヤコブソン器官」の働きによるものだが、勿論『彼』にそんな認識はない。嗅げる物は嗅げる。それだけで十分だった。

 自分を轢いたバスが近い。自分の匂いと、あの時一緒だった少女の血の匂いが有る。如何やら、動いていない。遠ざかっていないのだ。しかも、何か音がする。

 (……オソワレテ?)

 襲われているのかもしれない。確かに、自分を轢いて少女を傷つけたあの人達には、怒りを覚えている。けれど、襲われている人を助けないのは、何か違う、と思う。助けてと言われたら、助けてあげるべきなのだ。きっと。

 お姉ちゃんは何時も優しかった。だから僕も優しくした方が良い。中々難しいけれど、分かってくれた人もいたのだ。だから、きっと、……大丈夫だろう。

 『彼』の進む先に《奴ら》が多かったのも当然だった。彼の行く先に追う対象が有って、そして対処が音を発していた。だから、相手に近寄れば近寄る程、亡者の数は多くなる。

 (……アレ、カナ?)

 人一倍背が高い『彼』は、川沿いの大通りの中に有る、一台のマイクロバスを発見した。

 グジャアッ、と藪を掻き分ける様に、群がる死者を押しのけ、前に前にと進んでいく。雑草を引き抜く感覚で千切っては投げ、圧力で斃れた《奴ら》を踏み砕き、戦車の如く突き進む。まさに蹂躙が相応しい光景だが、本人は至って真面目にバスへ近寄っているだけである。
 近寄って、詳細を確認する。

 (……イナイ?)

 ほんの僅かだけしか見ていないけれども、自分を轢いた人達と違う事は、分かる。
 扉の前で斃れる警官も、苦悶の表情を浮かべて死んでいる乗客も、あの時とは違う人達だ。




 ツン、と目や鼻、喉に染みる、嫌な空気がした。

 『彼』が数日前に割った窓はテープで塞がれ、亡者達を誘き寄せる様に、鳴り続ける携帯電話がべったりと一緒に付着していた。

 エンジントラブルか、バスは、既に動いていなかった。




 中の乗客は、既に唯の一人も、生きてはいなかった。




     ●




 「せんせー、実は性格悪い?」

 「何の話ですか、夕樹さん?」

 助手席に座る夕樹美玖に話しかけられ、紫藤は冷静に返した。

 この夕樹美玖という少女。学園内でも何かと不穏な噂が絶えなかった。高校生離れした肉体と美貌を存分に利用し、その身体を捧げて取り巻きを囲い、権力を手にしていた。紫藤は蔑んでいたが、何と教師の中でも籠絡されていた愚図がいたほどだ。
 成績が特別良い訳でも無い、出席日数や内申も問題が有るのに、色々言われつつも、しっかり己の権力を確保している抜け目の無さも有していた。

 「なんとなく思っただけよ。……私と似ている気がしたから」

 「謙遜も甚だしいですよ、夕樹さん。貴方と私では、同じ立場に有る筈が有りません。貴方は生徒。私は教師。皆を率いる立場に有る私を、如何して疑いますか?」

 穏やかな口調だが、紫藤の中には既に、捨てるか、という意識が働いていたりする。
 人形に勝手に動かれては困るのだ。役に立たない奴は、捨てて来る方が良い。現に先程、既に山田脩を下ろしている。下ろす様に仕向けたとも言うのだが。
 降りても良いですよ? と言ったら素直に降りて行った。馬鹿な男子だと思う。

 緊急事態に置いて、役に立たない人間を、簡単に命ごと捨てる事が出来る非情さは確かに大事だ。だが、向ける方向が徹底的に自己に向かっているのが……この紫藤浩一と言う男だった。

 「…………そうね。大丈夫、疑ってるわけじゃないわよ」

 うん、と納得した様子で、彼女は何も言わず、外を向いてしまった。言葉の中に嘘は見られない。紫藤を疑っているのではない。しかし妄信している訳でもなさそうだ。

 注意が必要ですね、と冷静に。あるいは冷酷に考えながら、彼は車を運転して行く。
 バスよりも遥かに駆動音が少ない、他の生徒が乗る後部に、情報発信機材を詰め込んだ、一台の大型車。




 彼らが今乗る車は、テレビ局が保有していた中継車だ。




 昨日の昼は床主大橋で。そして夜以降は御別橋で情報を流していた中継車は、乗り捨てられたように置き去りにされていた。無論、車として十分に使用する事が出来る。
 最後まで職務を全うしたテレビクルーは、ほぼ全員が死亡していた。昨夜のテレビ放送を、最後まで見ていた人間は知っているだろう。放送の最後が、如何なったのかを。

 昼間に出現した怪物の大暴れと、河へと転落した光景。
 夜半に発生した、警察官が騒音を生みだす左翼団体を射殺した光景。
 それに対して発生した暴動と――――大きな音に集まった《奴ら》による甚大な被害。

 テレビカメラが、迫りくる彼らを移し、そしてクルーの悲鳴が響いた所で、カメラが転がって止まった。

 運転はテレビ局のスタッフが行っていた。彼らはまず死んでいる。そして、紫藤が大橋に着目したその時にも、誰一人、中継車を盗んでいない。……だから車は、動くのだ。まさかあの緊急事態に、何時でも車が発進出来るよう、報道人がしていなかったとは思っていなかった。

 警察が乗って来た装甲車があった。四人乗りのコンパクトカーも有った。中型セダンも有った。荷運び中のデコトラもあった。
 けれども、紫藤は此れを選んだのだ。助手席の片方に夕樹美玖が。中継機能を維持している機材が乗った後部に、残った生徒達が乗った。

 車は、《奴ら》の少ない道を選び、進んでいく。マイクロバスより操縦は面倒だが、頑丈で車高が高く、しかも防音性に優れている。かなり優秀な車種だ。

 紫藤浩一は、“乗り換えられれば”中継車でなくても良かったのだ。鍵が付いたままの車の中で(影の薄い、黒上という生徒に言って、しっかり確認を取らせておいた)、様々な用途に使えるから、中継車を選んだだけだ。
 すぐ近くにいるだろう、匂いを辿って来る“あの化物”を捲く為にも、バスを捨てておきたかった。
 おまけに、生徒達に“良い事をした”という錯覚を植え付ける事も出来る。

 「先生、後ろの生徒から質問。――――『積荷の中に有った二リットルボトルの清涼飲料水が、何本か消えてるんだけど、知ってる?』だって」

 「ええ。……知っていますよ」

 紫藤浩一は、笑いながら――――さも親切をしたかのように、“正直に”答えた。

 「バスと一緒に、置いてきてあげました」




 紫藤がバスを引き渡す前にしておいた小細工は、些細な事だ。



 ガソリンの中に清涼飲料水を数リットル混ぜておいたとか。

 後ろのタイヤを少しだけ刃物で傷つけておいたとか。

 音量設定を最大にした携帯電話を、アラームをオンにして割れた窓硝子に張り付けておいたとか。

 不安定なバスの片隅に、封を開けた洗剤と漂白剤をセットで置いておいたとか。




 たったそれだけの、小さな行動である。




 (さて、もう随分と離れましたが……)

 マイクロバスの乗客は長生き出来ないだろう。エンジントラブルと塩素ガス、そして音による《奴ら》の襲撃で死ぬ。まず間違いなくだ。自分から逃げ出した賢い、しかし所詮は小僧でしかない山田少年には、精々哀悼の意を示してやろう。

 紫藤浩一にとっては、生者も死者も関係が無い。己の目的の為に全てを利用する男にとって、怪物の一体や二体、道具と違わない。

 (……後は、折りを見ての、編集と研究ですかね?)

 紫藤浩一が、この中継車を望んだ本当の理由。
 それは、昨晩の映像記録を利用しての、情報の発信と解析だ。

 上手に扱えば、一角千金になるだろう『追跡者』の映像を手に入れる為だった。

 その為だけに、態々、バスに余計な小細工をしたのだ。情報は、独占してこそ価値を持つのだから。




 繰り返し世間に流して、自分の救出や、地位の向上に、使わせて貰いましょう。




 そして、生き延びて、紫藤家を消す。
 心の中で、彼は歪んだ、狂気にも似た笑みを浮かべた。
















 「紫、藤――――――――――ッ!」

 バスから離れた何処かで、その悪意から必死に生き延びた、山田脩が憎悪に駆られて叫んだ事も、知らず。
















 お久しぶりです。

 今回は、本編の裏の御話。原作主人公勢は影一つ見えません。主人公を虐めるのでは無く、普通に他者を殺した紫藤のお話です。もっと非道で残酷な事をさせて、もう少し皆に殺意を湧かせたかったなあ……。第三話並みのインパクトが欲しかったかもしれません。
 この後も、高城家、床主第三小学校と、害悪を撒き散らして、盛大に外道っぷりを見せつけ、最後の最後に死ぬ予定です。それまで紫藤が原因で何人の死者が出るかは、作者にも分かりません。
 でも今回、紫藤死亡フラグが一つ立ちました。

 序に初登場の夕樹美玖。他の紫藤の生徒達と違って彼女も死にそうにありません。要領の良い悪女っていう言葉が似合うかも。原作に色を付けつつ、良い仕事をして貰います。

 さあて、そろそろ主人公に一回、人間に絶望して貰おうかな……。

 次回から、高城家篇に入ります。


 (2011年2月7日 投稿)


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