<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[20613] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:075d6c34 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/16 01:18
 そう言えば、暗い真夜中に泣いていた時に。
 お姉ちゃんは、手を差し伸べて、助けてくれた。
 滅多に態度の変わらない、けれどもほんの時々怯える僕を、優しく慰めてくれた。
 あの時の温かみは、もう存在しないのだ。


 ――――昔の親と、同じ様に。


 水面の底で、その身を流れに休ませながら、微かに『彼』は、そんな事を思った。
 記憶に残ってもいない、遥か昔の、残滓だった。






 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』

 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』






 空気を震わせて進軍する、単体の兵器が有った。


 ――――夜は、嫌だ。

 何もない、何も見えない事を、知ってしまいそうになる。

 ――――闇も、嫌いだ。

 その中に、自分を誘いこんで、逃がさない何かが、住んでいると考えてしまう。
 誰しも有るだろう。真夜中に目を覚まし、寂しさと不安感から温もりを求めた経験が。
 図体に似合わぬ初な幼心を、彼は抱えている。


 轟、と空気が動く。その巨体に空気が押され、暴風が通り過ぎるかのように。
 嵐よりも小さく、破壊力では圧倒的な災害が、直進している。
 人工的では無い、何処か獣臭い有機的な動き。
 濡れた衣服と肌は、体内放射と振動で蒸気を立ち昇らせている。
 牙の向かれた口から漏れる吐息は、白く。
 暗闇に輝く、唯光る瞳は赤く。
 漆黒の怪物は、目的を求め、唯、走る。


 分かった事が有る。
 例えば、効率よく走る為には、右手と右足は同時に出さない方が良い。両足の動きと連動させると同時に、しかし前に出した足の反動を打ち消す様に、反対側の腕を奮うと、走り易いという事実だ。

 まるで亡霊か、悪魔の様に、落日の川沿いを動く影が有る。
 人間には有り得ない巨体を有する、その怪物は、人間の形をしているだけの、何かとしか言いようのない存在だった。
 ザシュ、と巨体の重量で地面が僅かに経込み、その身体を支える様な、巨木の根の様な足の指が、地面に食い込み、足跡を刻んでいく。
 太い、超重量を支える脚が、間接と筋肉と共に前に出され、怪物を大きく前進させていく。
 その速度は、人間を軽く超えていた。


 夜が怖い。闇が怖い。気持ち悪い生物が怖い。
 乱暴はいけない。人間を傷つけてはいけない。約束は守らなくてはいけない。
 漠然とした思いと、幼いが故に純粋な心が、存在する。
 何も知らず、余りに単純すぎるが故の――――行動理念。
 人格は善良だった。しかし、経験と常識と知識が、足らな過ぎた。
 故に、その思いが、他者に通じる事は、なかった。


 全力で走ってはいけない。曲がれない自分がそんな事をすれば、止まれなく成ってしまうから。
 歩いてもいけない。闇夜の中で相手を追って動くと、昨晩と同じ二の轍を踏む事に成ってしまう。
 方向を変える為には体を前に倒し過ぎる事に気を付け、重心のバランスを上手く取れば良い。曲がる方向に体を倒し、遠心力を使う。それでも大変ならば、腕で無理やりに反対側を弾く。
 速度は落ちるが、直進に限定されない動きが出来る。
 完成されたフォームには程遠いが、二足歩行の生物の走り方を、『彼』は自然と習得していた。
 慣性に引っ張られながらも、唯の猪突猛進では無い、滑らかさが其処には有った。

 (……さっき、ハ)

 大橋の近くで、強い臭いを感じ取っていた。
 あの大橋から、其れほど遠くない所に、自分の会うべき相手がいる事を、覚っていた。
 流されてしまった今、戻るまでにどれ程に時間が懸かるだろう。
 日が暮れ、視界が効かなくなる前に、何とかして元の場所に戻ろうとする。

 (早ク)

 急がなければ。急がなければいけない。
 お姉ちゃんの言葉の通り、言われた通り、鞠川静香に出会わなければいけない。
 如何して、合わなければいけないのか、理由は知らない。
 けれども、自分を愛してくれた彼女の頼みならば、それで十分だ。

 (……早ク!)

 何故、急ぐのかも、曖昧だった。
 発達していない感情の、子供だったが故に――――何も考えず、そう行動する。
 その裏に有る理由を、考える事は無い。
 しかし、そう思い、動くだけで――――その身は、より怪物へと、進化する。

 全力では無い。僅かに速度を抑えたまま、『彼』は走る。

 走る。確かに、行動とすれば「走る」だったのだろう。しかし、其れが人間に見えたかと言えば、違う。
 解き放たれた砲弾が飛ぶように。戦車か重機械が進む様に。人間の範囲で一番近い表現を、アメフトかラグビー選手の疾走だろうか。しかし、その身は低く、獣や大型爬虫類の疾走方に近付き始めていた。

 得物を捉える為に獲得された幾体を持つ、俊敏性と攻撃力に優れた化物。
 口の中から覗く牙や舌は、肩口からの捕食器官は、まるでそれ自体が一種の生き物。
 そして、無限の生命力を有する暴君。

 生物災害をモチーフにした、彼の有名なサバイバルホラーゲームならば、きっと、こう呼称されるだろう。

 アレは、ハンターにしてリッカーにしてタイラントだった、と。




 太陽の落ちた、死の蔓延する街へと、暴君は乱入する。




     ●




 終わりから二日目の夜が、訪れる。

 大橋の喧騒は既になく、昼に放送をしていたテレビクルーも姿を消していた。たった一体の異形の出現で、辛うじて維持されていた秩序は雪崩のように消滅し、唯、鈍く光る街灯が並んでいる。
 明滅する光の下には、戦場の如き光景と、その合間合間で蠢く死人が有るだけだ。

 隣の御別橋に集っている警察達も、既に集団を維持したまま自衛行為をする事で精一杯なのだろう。装甲車両とパトカーでバリケードを築き、迫りくる《奴ら》へと対処しているだけだ。一般人に被害も出ない、もとい一般人を気にする余裕も無い。
 時折、必死に亡者から逃げていた市民が、命辛々に助けを求め、内部で介抱される事も有るが、多くを助ける余裕はない筈だった。何れ数の暴力に押し切られるだろうし、守るにも人手がいる。そして、対処する為の絶対数が、少なすぎた。

 秩序は、一回崩壊すると、脆い。
 再度構築する為には、何もかもが、足りない。

 日本全国に点在する警官や自衛隊員が優秀であり、練度が高くとも――――命令系統が混線し、各個撃破されては真価を発揮する事は難しいのだ。大きめの地方都市である床主でもこの惨状。大都会でどんな状況に成っているのか、それを想像する事は容易かった。

 「なあ小室。『地獄の黙示録』、って映画、知ってる?」

 「――――いや。名前をどっかで耳にした位だよ。どんな話なんだ?」

 遠くに小さく見える警察官達を、双眼鏡で覗いた平野コータは、隣にいる小室孝に聞いた。
 その双眼鏡に映る光景は、まさに人間の欠点を示している。

 「ベトナム戦争期を舞台にした話でね。陸軍兵士の主人公は、数多くの功績を立てた軍人だった。彼は妻と離婚して、戦場に戻って来るんだけど、ベトナムで上層部から命令を受けるんだ。軍の命令を破って暴走する、グリーンベレーの大佐を暗殺せよ、って。大佐はカンボジアの奥地に潜んでいる。主人公は大佐の思想を分析しながらも、目的地へと大河を遡行して行く」

 そして、主人公は地獄を見るんだ、と平野は言った。

 「彼が見た物は、狂気だった。戦争によって発生した狂気。集落を己の為にヘリで攻撃する司令官を見る。指揮官不在の状態で、只管に任務を続行に縋りつく兵士を見る。同行した部下達は麻薬に溺れて正気を失っていく。そして主人公も、心の平衡を徐々に崩して行く……」

 ――――現状に似ているだろう? と、平野は言った。

 己の為に周囲を厭わない人々。命令を実行するしか出来ない警察。そして環境に順応し始めた自分達。
 心の均衡こそ崩れていないが、狂気に蝕まれていると否定する事は出来ない。

 「心の均衡を崩した人間は、如何なると思う?」

 「――――如何なる、って」

 暫し考えて、小室は口を開いた。

 「……何かに縋りつく、のか?」

 彼の脳裏には、別に一般に限った話では無い結論が浮かんだ。
 何せ、彼自身が体験しているのだ。親友の死後、自分と共に居る事に過剰に反応し始めている、宮本麗の事を。……それを邪魔だとは、思っていなかったが。

 「正解だよ。……見てみると良い。人間っていう生き物の厄介さが、良く分かる」

 遠く、隣橋の光を目印に。
 ほら、と言って渡された双眼鏡を覗くと、其処に見えたのは――――。

 「……看板と、横断幕?」

 看板と、プラカード。そして横断幕。其れを抱える人々がいた。彼らは何かに取り憑かれた様に一団と成って、警官達へと向かっていく。警察は警告を発しているが、其れを無視しながらだ。
 遠く、何を言っているのかは届かないが、手に持っている品々には、一様に同じ言葉が書かれていた。小さく、遠目なので苦労するが、読む事は出来る。即ち。

 「……政府の陰謀と、殺人病患者の人権侵害を許すな……? ……――馬鹿か、あいつ等は!」

 冷静さを失って思わず怒鳴った声に、道路向こうの《奴ら》が微妙に反応した。慌てて小室は口を押さえて窓から距離を取るが、内心の憤りは消えない。

 「っと。……平野、あいつら!」

 「そ。この現象が政府や国家の陰謀だー、って騒いでる。典型的な左翼的思想って奴。別に右翼も左翼も差別する気はないけどさ。何時でも何処でも居るんだよね、あーゆう設定マニア」

 「……正気かよ」

 吐き出す様に、孝は其れだけを言う。

 「正気さ。正気だからこそ“ああ“してる。彼らにとってね、この事件は「解決されるべき事件」なんだよ。世界各国を見てもそうだけど、この事件は人為的な物じゃない。人為的じゃないってことは、つまり――――例え巻き込まれたとしても、自分は一切悪くない、ってことさ。自分は悪くない。自分に責任はない。悪いのは政府だ。この事件に対処が出来ない国家だ。だから自分達には、解決を願う権利が有る……」

 「……言うだけならば自由で、国家は主張を聞く義務が有るから、ってか」

 「そ。自分達は何も出来ないくせに、何かをしようと言う努力もしない。ただ権利を望むだけさ。何かを望むと、何かを自分から得ようと行動すると――今を、壊してしまう。現実を見ないで、甘い逃避の夢の中に浸っていられる。彼らの頭の中には、現実を認識するっていう感覚はない。自分を誤魔化し、頼ってるだけ。――――別に平和な時ならば、それでも良いんだけどね」

 それが出来る状況にない事を理解できないから、本当に厄介なんだよ、と付け加える。

 左翼的思想の中でも、今、ああして騒ぐのはかなり極端な連中で、まともな感性を持つ者は逃げるか籠城かを選んでいる筈、とも思ってもいるが、それでも彼らに嫌悪を感じざるを得ない。
 小室が取り落とした双眼鏡を拾うと、平野は再度、御別橋を見た。

 ご丁寧な事にシュプレヒコールの団体は、拡声器で騒ぎたてていた。
 警察官達がなるべく騒音を減らそうと努力をしながらも、逃亡して来た市民を守り、《奴ら》と今後へ対処をしているというのに、親切な事だった。徐々に《奴ら》の数が増え始めた事に、警官は諸悪の根源を抑える事にしたのだろう。
 視界の中、一人の警察官が彼らへと動いていき、そして、徐に腰の拳銃を引き抜き、そのまま――――。

 ――――テレビ放映がされていなかった事が、幸いだろうか。

 遠く銃声が響いた事を、目では無く耳で情報として入手して、平野は呟いた。

 「……狂気、か」

 電灯の消えた部屋の中、思う。

 誰も彼も変に成っている。自分もメゾネットの面々も、多分、同じだ。適応している事こそが異常の証明みたいなものだろう。

 人間を捨てる事は簡単で、人間で居続ける事は難しい。
 そんな言葉が頭に浮かんだ。

 非日常は理性を狂わせる。
 非常識は正気を失わせる。

 それは正しい。けれども、全てが正しい訳ではない。

 手に馴染むアーマーライト狙撃銃と、腰に指した自作の釘打ち機。これを使用する事に。そして人間に向ける事に、困惑を覚えなくなっている。それは、耐性や、慣れではないだろう。
 心に抱える、心の中で封じていた枷が外れた証明だ。

 平野コータだけでは無い。こんな緊急事態だからこそ、個人の中に秘めたる資質は性癖が開花し、発揮される。多かれ少なかれ誰もが有している仮面が、外れているのだ。

 かつて存在した日常など、既に価値はない。
 普通など、何の意味も無い。

 そんな詰まらない事は、世界が平和に成って初めて考えられる。
 穏やかな春の風の中に、粘りつく様な冥府の声と、血に塗れた死臭が混ざっている。必死に逃げる生者が、また一人眼下で喰われていた。彼を見捨てた事を、心は納得している。助ける事の難しさを。
 理屈を自分に言い聞かせて、納得させない限り、自分が死ぬ。

 だが、其れは一歩間違えれば、獣だ。自分以外の全てを見捨てても、尚も生き延びる事に全力を尽くす行動は、生命体としては正しくても、人格を持つ人間の所業からは、外れている。
 利口に生きる事と賢く生きる事と、人間らしく生きる事は、全く別の問題だ。

 自分が何時まで、獣では無い、人間として生きていけるのか。
 誰にも、――――自分にも、分かりはしない。

 「平野」

 「ん?」

 「集合と打ち合わせの時間だ」




     ●




 闇が地獄を覆っている。

 太陽の沈んだ世界の中で、息をしない者の数が、圧倒的に多かった。
 何処からか手に入れた猟銃を撃つ青年がいる。放たれた散弾は何体かを倒し、しかし響く音でそれ以上に誘き寄せ、そのまま中に引き摺りこまれた。
 家の中に逃げ込もうとする人間がいる。だが、日が沈む前に避難できなかった時点で、殆どの命運は尽きていた。生者は家に閉じこもり、死者は外の哀れな得物を追う。

 それは、世界中で起きる、今と成っては有り触れた光景だった。

 各国政府の中枢が辛うじて難を逃れる中、民衆の被害は止まらない。
 あらゆる宗教組織が、この事件を取り上げ、話題に乗せ――――そして議論を呼び起こし、結論が出ないまま、沈黙へと陥って行く。

 希望よりも絶望が支配する世界。
 生者よりも死者が蔓延する世界。
 人間よりも人外が跋扈する世界。

 床主の物語も、所詮は有り触れた一幕に過ぎない。

 だが、それでも。
 それでも、尚、諦めない人間は居る。

 人間を止める事が遥かに簡単な世界で、それでも人間であり続けようとする者達がいる。




 街の中、遠く、音を生む三つの対象が存在した。

 吠えながら駆ける子犬と。
 標的を狙う『追跡者』と。
 娘の手を引く、一人の父親と。

 物語は、川沿いのメゾネットへと集束していく。




     ●




 「出発の準備は終わっているわ。荷物の入れ替えと、ハンヴィーへの積み込みは完了。マイクロバスは――――便利だけど、置いて行くしか無いわね。運転出来る人もいないし。……バリケードの役目を果たしてくれているだけ、マシと思いましょ」

 そう言って、メゾネットの入口を見る高城沙耶。其処には、入口を完璧に塞いでいるマイクロバスが有った。斜めの門に直角に成る様に、道路に斜めに駐車されている。
 ハンヴィーの出入り口も塞ぐ事の無い向きだが、道路を完全に封じている訳では無い。丁度《奴ら》が“一人ずつ”通る隙間だけを空けて有る。停滞を生み出す訳でもなく、集団に襲われる訳でもない形だ。

 「今夜は待機。明日、太陽が昇ったら、各個人の家族の探索へ向かう。最初は一番近い私の家。次が、小室と宮本の家。小室、それで如何?」

 「ああ。其処は、決定で良いと思う」

 暗い室内に、六人が揃っている。そして、明日への確認をしている。指針に決定を出すのは、小室孝だ。彼に方針決定を任せ、許可を求める事は、最早、この場の他の五人にとっての不文律に成りつつあった。

 信頼と暴走への恐怖があったのだろう。
 個人では死ぬかもしれないが、六人で協力すれば助かるかもしれないという、微かな期待と共に。

 睡眠時間を多めにとった鞠川静香の意識は覚醒しているし、宮本麗の体回りには警棒を初め幾つもの武装が纏っている。毒島冴子は木刀に加えて包丁や鐇等を装備しているし、高城沙耶も銃を保持済み。平野コータに至っては銃が己の手足の様だった。

 一通りの銃の扱い方を、小室、宮本、高城の三人は平野から習っていた。空き時間を利用しての講習で、撃ち方を初め、マガジン交換等、練習可能な事は練習をしてある。無論、本当に発砲してはいない。しかし、手元に重火器が有り、扱える武器になっているという事実が有ると無いとでは、安心感が違う。

 日が沈んでから、やっと数時間が経過している。日が昇るまで、あと六時間は必要だろう。昨晩もそうだが、太陽が沈んでいる時間が、妙に長く感じるのだ。

 「……それで、一つ忠告だけれど」

 高城沙耶は、表向きは顔色を変えずに。




 「部外者は見捨てる。……良いわね?」




 冷酷とも言える言葉を告げた。

 部屋の中に、沈黙が下りる。
 こうして灯りを絶っている事実も又、その行動の一環だった。

 灯りは生者を呼び寄せ、生者は亡者を呼び寄せる。事実、この部屋の蛍光に助けを求め、その過程で喰われたのであろう人間もいた。其れだけ必死だったのだ。
 死から遠くへ逃げようと、延ばした手を掴んだ相手は死神だった。その絶望と、苦痛に覆われて群がられて消えて行った人間の目が、未だに脳裏から離れない。
 日が沈み、完全なる闇に覆われる前に気が付いて電灯を落としたが、仮に煌々と灯されていた場合、この家の周りには生者と亡者が大挙して押し寄せていたのだろう。

 そうすれば、間違いなく、この部屋の六人は死んでいた。
 そして、外に犇めく数多の《奴ら》の仲間入りを果たしていただろう。

 現実は非常で、仮定は無意味だった。

 「……他と、同じ様に、か」

 「――――そうよ」

 そう、表情を消したまま、彼女は頷いた。

 「今、生きてる連中は、皆、そうしてるのよ」

 語る彼女自身も、決して十全に納得している訳ではないだろう。逆行の眼鏡と無表情がその証拠だ。しかし、何よりも其れをするべきだと、彼女は理解しているのだ。

 頑丈に扉を施錠し、窓を塞いで家の中で震える者がいる。
 闇夜の中、心許ない武器で、人気のない方へと逃げ続ける者がいる。

 日が暮れた今、どちらが賢いのかを、敢えて比較するまでも無いだろう。

 「我々に、……全てを救う手など無いのだよ、小室君」

 答えを出せない彼に、教える様に毒島冴子が言った。

 「私とて現状を好んではいない。だが、現実は変えられんのだ。この地獄と、それでも生きる為の気概を持ち続ける事を、我々は己に化さねばならん」

 腕を組み、壁に寄りかかる格好の彼女は、勇ましい。腰には木刀。何処からか拝借して来たらしい蛮刀と、包丁やナイフを、重心に偏りが出ないように括りつけている。毅然とした態度も、その冷静さも、この地獄でも生き延びれるであろう風格が有った。しかし、彼女も、気楽では無かった。

 「小室君。君は確かに、昨日と今日の二日間。厳しくとも男らしく私達を引っ張ってきた。其れは間違いが無いし、皆、君に感謝をしている。しかし、今は其れだけでは生き延びる事が出来ないのだ」

 そうだろう、と言い聞かせる様な口調だった。
 無論、小室とて、十二分に理解しているのだ。だが、理解していても歯痒かった。

 学校での態度が良いとは言えなかった小室孝だが、元来の性格は決して悪くない。優先順位を把握し、実行に移す行動力は、チームの中で最も優れていると言っても良いかもしれない。そして、思春期に特有の青さと、必死さと、そして熱を持っている。
 だが、だからこそ、目の前に居て何も出来ない事が、辛かった。

 冷酷な現実に対して、無暗に動く事が出来ない。

 握った拳を奮う事が出来ない事が、苦しかった。
 己の中で、現実を噛み締める事しか出来なかった。
 そして、現実を非情に割り切るには、彼は、若すぎたのだ。

 「……くそっ!」

 小さく、誰に言った訳でもない悪態が、部屋の中に消える。




 遠くで、犬が啼いていた。




     ●




 「      」

 獣よりも深い、亡者よりも強い、呻き声がした。

 異形の悪魔が、遥々と距離を越え、戻ってきたのだ。

 既存というよりも、人工と言った方が納得出来るだろう怪物。
 人知を越えた想像外の、しかし人間にも似た生命体。
 しかし、確かに意志を持っていた『彼』。

 その身体を人目から隠しながら、周囲を睥睨し、そして、視界に入れた。
 己が追うべき、対象を。
 写真の中で見た、その顔に一致する存在を。

 空気を奮わせる、聞く者の心を縛る様な低い声で。
 呟く様に、確かに、名前を呼んだ。




 「――――ア、あr……ハ !  a、ア、――――ォ――――! ――――ア、ァ、リィ……、スゥ……ッ!」




     ●




 「パパ。ママは……?」

 涙目で、自分を見上げる娘の手を引きながら、地獄を駆け抜ける。音を立てない為の小走りだが、相手の脚は遅かった。より人混みの多い橋へと引き付けられているからか、他の理由が有るからか、亡者の数が少ない道路を選び、動いて行く。
 小さな手を、今度こそは離さない様に、しっかりと握りしめながら。

 「ママは、後で会える。――――さ、こっちだ」

 ――――嘘だ。自分でもよく知っている。自分の目の前で死者達の群れの中に消え、そして同じ様に動きだした事を覚えている。脳裏に焼き付いて離れない。余りにも残酷なその光景を、娘に見せない様に、抱え上げ、後ろを振り返らずに逃げるだけで、精一杯だった。

 逃げながら、覚った。
 昨日までの日常は、もはや壊れてしまったのだと言う事を。

 新聞記者として海外へ渡った時に経験した、突如に発生したクーデターや、突発的な凶悪犯罪とは違う、世界という枠組みそのものが、壊れ始めている事を、覚らざるを得なかった。

 ――――私は、一人では無いのだ。

 言い聞かせる。
 自分一人ならば、呆然とするだけだったかもしれない。けれども、自分には娘が一緒に居た。偶然に巡り合えた、手をもう一度取る事が出来た、愛する娘だ。彼女の為にも、父親の自分が呆けている訳に行かなかったのだ。

 逃走の経路で、携帯に連絡が入っていた。仲の良かった隣人からだった。外資系企業に勤める彼は、自分と同じ位の妻と、娘・ありすと同じ年の娘を有していた。だから、気が有ったのだ。彼ら家族は、田舎の実家へと向かい、そのまま人気の少ない場所で籠城する事を選んだらしい。幸運を祈る、と言う文面が最後だった。
 もう二日も前のメールだった。たった二日なのに、酷く、時間が長く感じられた。

 ――――私達も、生きなければ。

 心に誓うが、言うほど簡単では無かった。

 安全な場所を確保しようにも、娘が共にいる身では、簡単な事では無かった。僅かな生存者は皆、扉を閉ざし、余所を当たってくれと追い返される。娘だけでも、と頼んでも、答えが変わる事は無かった。

 何処かに隠れようにも、数少ない安全そうな場所は、既に別集団に占拠されていた。危険を冒して内部に入り込む事も、幼子の手を引く自分では出来なかったのだ。

 自宅は窓が多く籠城には不向きだった。会社は既に死者の巣窟だった。渋滞と混乱で、遠くへ逃げる事も不可能だった。八方塞がり。それでも、必死に行動した。
 父親として、それが娘を守る義務だった。

 しかし、既に太陽が落ちて、二時間は経っている。

 今日の夕刻から、安全な場所を求め彷徨って、三時間。小学生の割には運動神経の良い娘でも、流石に疲労の色が濃い。時々背負ってもいるが、限界は近いだろう。

 ――――何処か。

 安全な場所は、無いだろうか。そう思って、細い路地を動き続ける。虱潰しに行動するしか、残された手段はない。車が有ればよかったのだが、既に手遅れだった。戻っても死ぬだけだ。

 諦めた時が、終わりだ。
 心を必死に振い立たせ、己に鞭を打つ。

 ――――何処か、無いか……!

 そう思って、橋方面に脚を向けた時だ。

 少し離れた道路の途中に、マイクロバスが斜めに止まっている光景を見た。停止されたバスは、誰かが乗っていた証拠だろう。巧みに道路を――――それも、この辺りの路地では一番大きな道路を塞ぐバスは、死者たちの流入を防いでいる。

 ――――近くに。

 人がいる。それも、かなり賢い人間だろう。バスが有ると言う事は、人数も一人では無い筈だ。成人男性の自分は無理でも、娘ならば助けてくれるかもしれない。今迄とは違う、自分でもよく分からない確信を覚えて、彼はそちらに脚を向けて。



 「   ァ   ――――s  !!」



 彼は、声を聞いた。
 絶望を孕んだ、悪鬼の如き、声だった。




     ●




 懐の中に有った写真は二枚。

 大きめの財布と共に仕舞われた、棟形鏡と言う女性の写真。
 可愛らしい写真入れの中に有る、死した少女が、親友と撮った写真だ。

 狩人が、得物を決して逃さぬように。
 『彼』も又、追うべき相手を、忘れる事はない。




     ●




 豪奢な門と頑丈な扉を持つ家を叩いた時だ。

 それは。

 唐突に。




 “其処”に、現れた。




 その刹那――――思考が麻痺をして、体が凍りついた。それは、現実を受け止めていた筈の、希里章であっても、同じだった。娘を周囲から庇う事すらも、思考の外に追い出された。

 異形がいた。
 何処から出現したのかも分からないほど、突然に。

 怪物がいた。
 其れなりに背の高い自分が見上げる程の、数多い亡者達を寄せ集めた様な肉体の。

 大鬼がいた。
 古来より人間が恐れた災害そのものが、顕現したかのようだった。

 悪魔がいた。
 人類を滅ぼすかのような様相の、御伽噺にも登場しない生々しすぎるモノが。

 今日の夕暮れ時まで。身動きが取れなくなった渋滞と、多発する暴徒の襲撃から逃れるために、安全と引き換えに乗り捨ててしまったが――――衛星テレビ付きの自動車に乗っていたから、その時の映像は見ていた。

 昼間の街中、大橋に突如として出現した、巨大な“何か”。

 それは、まさにこの地獄が形に成ったかのような存在だった。
 それが、数の暴力を物ともせずに容易く、生ける屍を屠っていた事を。
 彼らを食し、彼らを蹂躙し、そして姿を河に堕ちて行方を晦ました事を。
 この地獄の中で唯一、自在に行動が可能な、暴君なのだと、言う事を。

 思い出す。
 正真正銘、あの時と同じ。いや、それ以上に醜くなった化物が、今、目の前に居た。

 そして、其れは、此方に意志を向けている。
 その事実を、知ってしまった。

 ――――ああ。

 その瞬間、己の中の何かが、折れた様な気がした。
 必死に耐えていた心が、砕かれた音だったのかもしれない。
 今迄、辛抱していた心が、ついに悲鳴を上げた音だったのかもしれない。

 ――――すまない。

 娘に侘びる言葉は、声に成らなかった。
 死者達だけならば、まだ、何とか、逃げられる可能性が有った。
 けれども、何故かは知らないが、この怪物は、自分達を標的にしている。
 それを、感覚で悟った。
 手にしたレンチが、地面に落下する音が、遠かった。
 自分のズボンの裾にしがみ付く娘の腕を感じ取っても尚、動けない自分がいる。

 ――――助けられそうに、無い。

 命を賭して向かって行っても、相手は微動だにするまい。むしろ簡単に殺すだろう。
 こうして、この場に居るだけで、存在する圧力に押されている状態だ。
 生命体としての、種族としての、格が、位が、違う。
 己の非力を嘆く間もなく、死ぬ。
 其れを、理解した。

 ――――僕は、父親、失格だ。

 蛇に睨まれた蛙の様に、足が竦んで動けない。
 怪物の背後に、レンチの音と扉の音を聞き付けて、亡者達が集まっていた。
 手詰まり。行き止まり。そして、終わり。希里章と、ありすは、既に亡き妻の後を追う事と成る。
 背後に隠した、愛する娘と共に、この場で命を落とす事は、避けられない運命なのだと、その時、彼は覚悟をした。

 ――――いや、あるいは、幸福なのかも、しれない。

 確かにその時、そう思った。一瞬の迷い。走馬灯と共に。
 普段ならば決して思わない、世迷言だった。
 今迄感じた人生の幸福と、数秒の後に来訪する無を受け止めて。
 大事な家族と死ぬ事が出来る。それは、この地獄の中で終わる命の最後の救いなのかもしれない。そう思って。

 怪物が、此方に手を伸ば――。








 その頭の角度が、ドン! と、言う音と共に、曲がった。






 斑模様の髪の名残と、暗闇でも輝き続ける炎の如き瞳と、牙と舌のみを示す口と、浮き上がった血管と筋肉に彩られた顔面が、首を起点に、角度が変わった。
 それは、予期せぬ方向から打撃を喰らい、首が曲がった格好に似ていた。

 殴ったのではない。もっと早くて小さな物が、その頭部を強制的に、弾き飛ばしたのだと、理解するまでに時間が懸かる。

 何が有ったのか、その情報を頭が処理するまで。実際はほんの数秒だったが、まるで永劫。
 モノクロの風景の中、その刹那に全てが停止した。

 そして。

 時間が動きだす。喧騒が戻る。春の空気と冥府の匂い。血と人間と呻く死者達。呼吸すらも止めていた己。そして、自分の背後に居る娘。

 先程門を叩いた家の住人は完璧に外部の推移を無視する事に決めたのだろう。音と気配が消えた家を見た。掌に汗が湧く感覚を知った。乱れた呼吸で酸欠になったようだった。自分を呼ぶ娘の声が、遠くなり――――そして、強引に意識を支え、引き戻す。

 ここで倒れたら千載一遇の生きる機会を失う!
 親と男と人間の意地として、其れだけは避けなければいけない。

 「――――っ!」

 息を飲む彼の目の前で。




 そして、続けて響く、二発目の音。




 完璧な軌道を描き、父親の前で飛来した弾丸は、空中で静止した怪物の腕に直撃し、その威力に僅かに相手が、呻いた。頭部への一撃も相まって、その足が僅かに下がる。

 感覚が戻ると同時に、意志が戻ってきた。先程の己を叱咤し、過去の経験をもとに、状況把握に努める。火事場の馬鹿力。唐突過ぎる展開に、それでも体が息を吹き返す。

 再度、放し掛けていた娘の手を、掴む。

 「パパ!」

 「……今の、は!」

 鈍器で殴った音とは違う。日本では決して聴く事の無い、しかし海外派遣先では耳にしたその音は、紛れもない銃声、それもかなり大口径の、発砲音と、着弾音だった。

 「何処からだ!?」

 それは。

 それは、少し離れた民家のベランダから、放たれた、物だった。






 「平野! 悪い! ――――行って来る!」

 「謝るなよ小室! ……文句は帰って来てからだ!!」

 視界の中に見える巨体に、7,62ミリ弾をぶち込みながら。
 階下に降りるその手には、装填済みのイサカを持ちながら。
 賢くない彼らは、それでも行動を止めなかった。




 「高城。……覚悟を決める事だ。私は決めたぞ?」

 「分かってるっての! 分かる! アレは、……『私達』を、“追って来た”のよ! 学校から! しつこく! 逃げても無駄なんでしょ!? だったら、――――逃げる為にも迎撃するしかないじゃない! ……ああもう! 作戦、考えるわよっ!」

 半ばヤケクソ気味に、しかし何処か素の表情を覗かせて、彼女達は走る。
 四の五の言わずに相手を倒す手段を考えるのだ。


 「嬉しそうね、宮本さん」

 「はい。……嬉しいんです。私達は、まだ、人間だって事が、分かったから、……行きましょう! 脱出の準備を!」




 二回目の接触。

 追われていた実感と、その脅威に怯えながらも。
 生きる為に、そして父娘を救う為に、彼らは『追跡者』に銃を向けた。




 愚かな行動と、人は嗤うかもしれない。
 けれども、人として彼らは、動く事を選んだ。
 それは、誰もが羨む、強さだった。




 夜の激闘の幕が開く。


















 自分等への追跡を防ぐ為には、此処であの化物を倒すしかない。覚悟を決めた孝達だが、怪物の戦闘能力は予想を遥かに超えていた。それでも活路を見出そうと足掻く一向ら。果たして彼らは、『追跡者』を乗り越え、無事に明日の朝日を拝む事が出来るのか!
 スタイリッシュ学園アクションは、後半へ続く!

 ――――なノリですが、このまま行きます。
 さて、盛り上がってまいりました。実は、ここで小室達と主人公がぶつかる事は、最初にプロローグを書いた時から決定済みでした。やっぱり味方に成る前に、一回は本気で激突させないと。
 本当は後半も一緒に投稿するつもりだったのですが、凄く長くなりそうなので分割します。燃える展開に、映える情景描写、文章表現で“危機感”を出すのが大変で……。でも、山場の一つなので頑張ります。

 あ、ありすへの呼び方は『S.T.A.R.S……!』のイメージでお願いします。直接目の前で言われれば、そりゃ怖いって。心も折れるって。
 しかも、ガソリンで燃やされた影響か微妙に進化して、スーパータイラント風ネメシスに、リッカーとハンターの長所が混じりかけです。こんなのゲームにも居ないよ。その内、Gとかになりそうだよ。

 次回、主人公の化物っぷりをお楽しみに。同時に、小室達の活躍もお楽しみに。

 そろそろ、少~しだけ、救いの手を差し伸べてあげようかな……?

 (11月16日 投稿)


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.023370981216431