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No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
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[20613] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:075d6c34 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/12 22:06
 何に対して、衝動を向けるのだろう。
 栄養補給の為の餌としてか。
 理解が及ばない相手を排除する為か。

 それとも、復讐者の名の通り――――目的等、存在しないのか。

 ネメシス。
 その意味を《復讐者》。

 暴君にして災害、暴風雨にして最強固体。
 そして、何よりも『追跡者』。


 その事実は、主人公らに、情報として襲い掛かった。






 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』

 第六話 『In the night of the “Tyrant”』






 「どうだ、様子は?」

 「変わらないよ、小室。……あの怪物の影響で、封鎖が強引に解かれて、それきりだ」

 南リカの邸宅。川沿いのメゾネットの中で、二人の男子高校生が会話をしていた。片方は双眼鏡を手に大橋の様子を伺い、もう片方は室内からベランダ越しに外を見ている。
 小室孝と平野コータだ。ベランダの椅子の上に陣取り、ペットボトルに狙撃銃を携えている小太りの少年が平野コータ。室内から声を懸けたのが、小室孝。両者共に、壊滅した藤美学園の生き残りであり、そして共に生き残る為に協力し合うチームの一員だった。

 「女性陣は?」

 今度は、平野が訊ねた。既に最低限の一通り、すべき仕事は終え、ローテーションを組んで交代に休息を取る時間に成っている。今現在の見張りは男子二人で有り、残った四人の女性達は、宮本・高城ペアが睡眠時間、毒島・鞠川ペアが自由時間だ。

 「麗と高城は寝てるよ。……休息したくても出来る状態じゃない、って言ってたけれど、疲労が溜まってたんだな。鞠川先生はさっき見つけた手紙を読んで、毒島先輩は明日以降のお弁当を作ってるよ」

 「手紙。……ああ、家主の部屋で、銃と一緒に見つけたアレ?」

 「ああ。何でも先生の友達が残していったみたいだ。随分、真剣な顔で読んでて、話しかけられる状態じゃない。……平野。変化は無い、って言ったな」

 その言葉に、再度、彼は、ああ、と頷く。SR-25風アーマーライト狙撃銃が、肯定の言葉と共に揺れた。

 「……相変わらず、床主大橋は沈黙さ。幸か不幸か、封鎖は解かれたから、生者は通り抜ける事が可能だけど。――――誰も近寄ろうとしない。警察だって撤退して、今は御別橋方面で体勢を立て直してる。それも、相当におざなりに、ね」

 逃走した警察官も結構な数。拳銃を持った同僚と居れば、少しは安全だと考えた連中が中心みたい。――――そう付け加えて、彼は再度、双眼鏡を通して数百メートル先の、既に人気の無くなった大橋の方を見た。

 鉄筋コンクリートを基盤に、アスファルトで舗装された橋自体は、平穏だった二日前と変わる事無く、其処に存在している。だが、今、この大橋を渡る者は皆無だろう。そもそも渡れる状態では無いからだ。
 床主大橋は、廃墟と化している。
 橋が廃墟と化す、そんな表現は変だろう。しかし、その言葉が大橋の状態に相応しいのだ。新しかった筈の大橋は、まるで戦争の後の様相を示している。

 立ち上がる黒煙。鼻に着く揮発したガソリンの臭気。小さく燻る赤黒い炎は、死体を焼いている。風にたなびくその隙間に見えるのは、フロントガラスの割れた自動車だ。放射状に割れた硝子と、割られた窓。飛び散った破片に付着したのは、血痕。今尚も滴り落ちる血が、焦げたアスファルトに広がって池を造っている。衝突で折れた欄干。折った原因は、玉つき事故を起こした自動車で、重なった自動車の幾台かは、既に河川に落下して無残な残骸を晒している。

 そして、そのどれもに。全ての場所に。人間だった物の破片と、千切れた肉片。破けた衣服に、散乱した雑貨。そして、既に動かない死体を、見る事が出来た。《奴ら》なのか生者だったのか、判断は不可能だ。

 良く見れば、自動車の隙間は存在する。その間を縫って、大橋を横断する事は可能だろう。無論、車が通り抜けられるだけの感覚は無い。徒歩で、ならば多少苦労するだろうが、橋を通過する事は行える。事実、平野コータは既に何回か、大橋を通り抜ける集団を目撃していた。
 その顔は皆、一様に恐れ、必死に――全速力で通過していった。何かに追われている訳ではない。周囲に《奴ら》の姿が有る訳でもない。ただ、大橋を通過する事を、恐れている様に、駆け抜けて行った。

 そして、其れは間違いではない。

 「……アイツは」

 「さてね。少なくとも、視界には入って来ない。――――あのまま流されたとも思えない、けれど」

 二人の脳裏に、あの怪物の姿が蘇った。

 まるで地獄か冥界か、あるいは墓場から蘇ったかのような異形。人間の面影は、既に直立歩行と頭部の髪、そして申し訳程度の衣服だけにしか、見る事が出来なかった。目も、鼻も、口も、両腕も、両足も、胴体も、全てが別の存在にしか見えなかった巨大な化物。

 幼い子供が想像する、悪夢の中の怪物。凶暴で残虐な巨人。そのイメージに、亡者と獣と悪魔を組み合わせた様な、圧倒的なまでの存在感と生命体としての格を与えられた『暴君(タイラント)』。






 大橋の上に、その姿は無い。

 川面に、姿を消していた。






 南リカの家の周辺も、決して安全だった訳ではない。既に《奴ら》の姿は見えていたし、出入り口の周辺に存在した者達は、小室達一向の音を聞き付けて動き出していた。しかし、一先ずは休息が可能な――――堅牢な拠点が目の前に存在して、物怖じする彼らでは無かったのだ。

 より安全な場所。より安心して今後に備える事が出来る場所。その為に、彼らは、世界の終末が始まって初めて、自分達から《奴ら》に喧嘩を打った。目的の為に、全力で攻めに出た。其れを行えるほどに、彼らは変化をしていた。いや、元々己等が内に抱えていた物を、抑制されずに発散出来る様になった結果かも知れない。

 学園所有のマイクロバスで道路に屯していた《奴ら》へと突貫し、出入り口前に車体でバリケードを築く様に横付けし、既に《奴ら》と化していた近隣の住民を殲滅し、内部に保有していた全てを運び込んだ。バス自体は道路に止めっぱなしだが、いざとなったらいつでも発進が出来る様に、なっている。

 ともあれ、彼ら六人は、南リカ――――鞠川静香の親友にして、警察特殊部隊の隊員たる、彼女の家に辿り着き、一息を入れる事が出来た。

 情報を得ようとテレビを付けたのは、決して不自然な流れでは無かっただろう。学園で見た時と同じ様に、相変わらず世界各国、日本全国で崩壊が終了している事をより強く実感した。チャンネルを適当に変え、折よく、大橋の対岸から衛星中継をしている番組に接続した。勿論、その時は未だ、渋滞と徐々に増えて行く《奴ら》の数の増加を伝えているだけだ。

 『全員で呆けている訳にもいくまい。……休息と、今後の予定を行おう』

 全員が動きだしたのは、やはり、こんな時に話題を出す毒島冴子の言葉によってだった。やる事は山ほどあったのだ。バスから降ろした多くの物を再度、纏める事。周辺の警戒を絶やさないまま、ハマーの中に幾つかの物資を搭載しておく事。食事と風呂もそうだ。南リカの違法な私物を拝借する事に、今後の移動プランを経てる事。

 そんな事をしている間に、時間はあっという間に浪費された。一通りの目処が付き、全員が気を抜く事が出来る様になったのは邸宅到着から数時間は後の事だ。リビングに集合し、二時間ずつ交代で休憩をしようと言う事に成った時。

 床主大橋から、咆哮と、銃声と、絶叫を聞いた。
 今迄以上に大きな、まるで悪魔を眼にした時の様な悲鳴だった。




 そして、彼らは、点けっ放しにしていたテレビ画面から、事実を知る。

 即ち――――自分達が学園で盛大に轢き飛ばした怪物が、自分達のすぐ傍にまで迫って来ていたと言う事を。




     ●




 その瞬間。

 発生した事を一言で示すのならば、即ち“狂乱”だった。

 辛うじて維持されていた秩序と、安全権を求めて移動する人々と、襲い掛かる亡者達の全てが、一斉に、騒乱の渦に巻き込まれた。

 渦中に有る存在は、異形。
 既存のどんな生物よりも優れた、しかし常識外の巨体を持つ、怪物。

 逃げ惑う人々。悲鳴を上げる住人。それを追う亡者。動けぬ民衆。混乱を鎮める警察。鳴き声、怒声、悲鳴、僅かに聞こえる冷静な声をかき消し、焦燥へと引き摺りこんでいく。
 僅かに聞こえる発砲音は、恐怖に駆られた若い警官の物。隣に居た上司が直ぐに止めさせるが、放たれた銃弾は《奴ら》のみならず、一般民衆に被害を与えて行った。それが混乱に拍車を懸け、己を守る警察官に攻撃されたと言う事実のみが、さらなる暴動へ発展させる。

 ガシュ、ガショ、ガッシャ、と、肩口から伸びた食腕で食事を終えた蛇が、その身を休ませようとして。

 混乱が加速度的に広まり、人々が狂騒に駆られる中、泰山と聳える化物は。



 万全に戻った腕を、ふるった。



 片方の、辛うじて人間の原型を留めていた腕。
 肥大化し、類人猿よりも分厚い皮と、血で真っ黒に変色した爪と肌を宿す、片腕が、ただ、奮われる。



 そして、周囲を薙ぎ払った。



 精々が、半径一メートル。己の体が邪魔し、片側のみが効果範囲内。しかし。
 その空間内の全ては、排除されていた。
 排除か。削除か。消去か。何れの表現でも同じだろう。彼が奮った左腕の範囲内に有った全てが、強引に、強制的に、除かれていた。
 格闘ゲームで言う、ただの単純な一押し。一つのコマンドを叩くだけの単調な動き。腰回りから、子供が腕を回す様に、大きく、――――振り抜く。
 フルスイング。
 格好も何もない、ただの児戯にも似た、一撃。

 それだけで。

 轟、と空気が震え。
 軌道上に有った亡者は、そのまま叩き潰されて、宙を舞う。
 肉が潰れる音。骨が砕ける音。四肢が千切れる音。体液と血液が散乱し、肉体は原型を留めない。

 「――――――ォ」

 口が開いた。どんな獰猛な生物ですらも退ける炯々と光る眼光と、人間の名残を留めるだけの造形の中、唇を失った醜い口蓋が、開き、そして。

 「――――           !!」

 吼えた。オオ、と空気が震える。其れは鳴き声。獣の声。猛獣の咆哮。悪魔の、冥府の底から響く叫び。
 人間には出せぬ領域の重低音は、その一瞬で混乱を“止め”、そして動いたのは《奴ら》だけだった。

 背筋を奮わせ、凍り付き、恐怖で失神や失禁をする人間の中、連中だけが、動いた。
 隙を逃さず得物を手にする者がいる。喰われて絶望する者と、気を失って喰われた運の良い者と、その中を縫い、封鎖を抜けだした要領の良い人間と、落日の光景の中、生へと縋りつく人間がいる。

 そして、人間の意志を持たない者だけが、変わらない。

 再度。



 ――――グッシャアアァ! と、人間の形をした何かが、空を舞った。



 人間大の、人間の重量を持った物も、簡単に飛ぶのだと言う事実が、この時、鮮明に映った。
 屍の群れ。車を越え、倒れた人間を越え、固まる生者に牙を付き立て、しかし、より目立つ悪鬼へと、死者が殺到する。既に秩序など、何処かに消えていた。

 辛うじて保たれた社会行動を叩き潰し、『追跡者』は睥睨する。
 視界に入る物の多くは、色の違う人間。
 何とかして足掻いている人間は、必死な形相の、しかし、まだ問題の無い、人間。

 「    !!」

 何を、言ったのだろう。其れを知る者は居ない。唯一つ、確実だった事は。

 『彼』は、周囲が、邪魔だった。

 肩口から生えた捕食器官は役目を終えて消えている。満腹の体に、満ち足りた活力は発散場所を求めている。新たな既に体に戻され、彼が持つのは、両方の腕のみ。

 けれども、それで十分だった。
 たった二本の腕が有れば、これ以上無く、完膚なきまでに、役目を果たす事が出来る事を、彼は今迄の行動で学習していた。

 ギジリ、と。
 左手が、目の前に有る頭を掴み、其れをそのまま、“引っこ抜く”。
 顔を包みこむ掌が、握力で頭蓋を砕きながら、数十キロは有るだろう成人男性の体を持ち上げ。
 其れを武器として、周囲の《奴ら》へ叩きつける!

 ドグチャッ! と、音が響いた。

 壊れた人形の様な形で投げられた体。その頭部はドロリと何かを飛ばしながら他の一体の顔面を陥没させ、その胴体が周囲を巻き込み、絡まった脚と腕は行動を阻害させる。

 右腕が、延ばされた。

 有る場所は白く、有る場所は灰色く、そして有る場所はどす黒い、骨と爪と皮と肉の塊の、それ自体が兵器か切り札にも見える、その腕が、下がる。
 弓の弦が引き絞られる様に、肩周りが撓み、腕が絞られ、ただ純粋な、思い切り腕を振り抜くという行為のみが完遂されようと、下がった武器は。

 そして、放たれる。



 車が、舞った。



 重量弾が直撃してもこうはならないだろう音と共に。
 比喩では無い。殴られた先の自動車。何時変形したのか、腕を守る手甲の如き骨と、金属の如き剛腕と、唯の単純な馬鹿力で、拳の着弾先の自動車が、跳んだ。

 軋みながら持ちあがった車体は、非常識なほどに軽々と踊る。

 フロントガラスが放射状に割れ、細かく飛び散り、バンパーと前輪とホイールと扉と運転席を纏めて陥没させ、まるでクレーターの如き痕跡を残しながら、大重量が持ち上がり、虚空を舞う。
 それは、奇跡的に生者を殺める事無く、ヘッドランプを外縁として回りながら、地面に接触する事無く吹っ飛び、《奴ら》と、激突先の欄干を纏めて叩き潰しながら、橋を越える。
 金属製の欄干と、アスファルトと、車の表面塗装と、衝撃で飛び散った小さな破片を煌めかせながら。

 自動車は、河に堕ちた。
 流れる川へと、その身をダイブさせて行った。

 ズン、と腹に響く音と共に、衝撃が伝わる。
 数百キロを超える自動車すらも、唯の障害でしか無い。
 それも、貯めの入った腕の一振りで場所を譲る程度の物でしか無い。
 全てが、力づくで退かされる。
 僅か、たったの四発の腕の動きで、其れを周囲に知らしめた。



 理解が出来ないのは、音に惹かれる《奴ら》だけだった。



 今尚も、対処を取れるほどに優秀な人間がいた事は、幸か不幸か。

 一発。

 纏わり付く数十の亡者が、纏めて、まるで雑草でも引き抜かれるかの様に、根こそぎ排除される。

 一撃。

 大橋に有った、乗り捨てられた自動車が、転がって死者を潰して行く。

 一振り。

 恐慌に陥った生者を止める事は、封鎖していた警察官にも、到底、不可能だった。

 一奮い。

 逃亡する一般市民の中、逃げ惑う民の流れを押し留める事は、無駄でしかない事を、幾人かが悟る。

 蟻か、羽虫か、砂の小山か、塵芥か、仁王立ちのまま、唯、排除する。
 稼働する異質な肉体を、思う存分に、使用しながら。

 殴り、殴り、投げ飛ばし、振り払い、殴り、殴って、ふっ飛ばし、殴り、殴り、引き抜き、打ち払い、薙ぎ払い、殴って、殴って、殴って、殴りまくった。

 圧政を引く皇帝か、弾圧を繰り返す政府が、無辜の市民に重圧を懸ける様に。
 グシャッ! ドッキャッ! グギャ! と、断続する音の全てが、破壊を示していた。

 世が世でなければ、国家が着目するだろう程の、戦闘力を示しながら。
 大橋を征服するかのように、『暴君』は君臨した。



 ――そして。



 気が付けば、亡者は一掃されていた。
 ただ、先程までは存在した痕跡を、其処彼処に残すだけ。大橋へと来訪した《奴ら》と、音を聞き付けた《奴ら》と、占めて数百体。それらが、完膚なきまでに、排除されていた。
 遠くから戦いの喧騒を聞き付け、押し寄せる死者は確実にやってくるだろう。しかし、今は、何も見えない。もう数時間の猶予は有るに違いない。

 転がった自動車からガソリンが漏れているのか。ポタリ、と何処かで水が滴る音が響いた。まともな嗅覚を持っていれば、気分が悪くなる様な匂いだろう。死者の匂い。血の匂い。液体燃料の匂い。

 『彼』は別に、生者へ攻撃するつもりは無かった。ただし、其れを他者に理解させるには、彼の外見は恐ろしすぎ、彼の行動は恐怖でしか無く、そして被害に有った全てが《奴ら》だった事に気が付ける人間は、誰もいなかったという事実に尽きる。

 テレビカメラが写したのは、圧倒的な暴力を持って暴れる、災害と言う名の怪物でしかなかった。
 難を逃れる事に成功した人間が見たのは、異常を越えた異常の証明でしかなかった。



 ――――銃声が響く。



 遠くから様子を伺っていた、橋を封鎖していた警察官の一人が、『彼』へと発砲したのだ。
 既に撤退をしていたのだろう。大橋に見えるのは『彼』一人。生者も死者も、周囲には何もない。有るのは、車から漏れた液体と、所々で散乱しているパーツだけだ。横転した自動車は火花を散らし、優雅な橋の外観は無残な状態になっている。

 その中で屹立する化物へ、発砲した者がいたとして、如何して責められようか。

 無論、彼らとて十分に理解していただろう。銃を向け、攻撃を加えると言う事は、『彼』が自分達へとその腕を向ける可能性が有ると言う事を、判らなかった筈が無い。
 しかし先んじた。其れは、あのまま目の前の異形が何もせずに帰る筈が無い、というある意味当然の思考と、そして大橋の環境を十分に知った上での、発砲だった。

 断続的に響く銃声。遠く響く音は、遥かな《奴ら》を呼び寄せる餌になろうだろう。しかし、後の脅威よりも目先の危機。あの化物が自分たちへ向かってきたら、止める術がない以上――遠くからの銃撃で倒すと言う選択肢以外は、無かったのだ。

 勝算は、皆無では無かった。

 何故ならば、大橋は、普通ならば決して立ち入る事の出来ない、危険な状態に成っていたからだ。
 架橋には罅が走り、欄干は圧し折れ、地面には――――漏れだした多量のガソリンが、撒かれている。
 空気中に気化して、飽和する程に。






 銃弾は自動車に命中し、僅かな火花と共に、小さな炎を起こした。
 そして焔は、数キロ先まで響く、花火の様な大音量と共に、爆発を引き起こした。






 長く人間社会と常識を知らない『彼』が、ガソリンが危険な物だと知っている筈が無かった。
 ただ、立ち昇る紅蓮の炎に目を奪われ、同時に感じる猛烈な熱風に、身を屈めるだけだった。顔を覆い、太い腕で上半身を反射的に守る。

 (…………熱、イ!)

 その熱さを耐える事は、不可能ではなかったのだろう。しかし、持ち前の判断力は、耐えるよりも確実に安全な、炎から逃亡する方法を、その脳裏に生み出していた。
 すぐ傍。真下に、河が流れている。

 (……あの中、ナラ……!)

 炎と熱は届かないと、そう判断をした。
 そして、その通りに、行動した。



 そして人々は、衣服と体を燃やしながら、橋から落ちる大柄な怪物を見た。



 そうして。
 爆発が治まった時には、橋は、ただの建造物でしかなかった。戦場の跡地もかくやという状態だった。
 警察達も、彼が飛び降りた光景は目にしている。しかし、揚がって来る様子も無い。

 不審に思ったが、体勢を立て直す為にも怪物に拘泥していられなかった。大橋の拠点は撤退し、別の拠点を構成する必要が有った。新たなる亡者達の接近も直ぐだろう。

 其処から、大凡、一時間。
 未だにその姿は、確認されていない。
 安全な筈だ、という根拠のない結論に落ち着き、そのまま放っておかれている。
 誰もが、アレが死んだとは思っていなかったが、忘れたいと思っていた事も、事実だった。




 『彼』が炎と熱から逃亡する為に飛び込んだ行為で、間違いを上げるのならば。

 泳ぎ方を知らなかったという点に、尽きるだろうか。




     ●




 あの怪物が川面に消えて、もう随分と建つ。
 最初は不安だったが、暫くは大丈夫だろう、というのが、一同の見解だった。

 ふう、と息を吐く。

 空気が陰鬱だった。天気だけは快い。しかし、漂う空気は死臭と焦げた匂い。視界の中に映るのは気色の悪い死者の群れ。唯、人間として生きる事が、薄情な程に難しい。
 まるで落日の風景を見るかのようだ、と毒島冴子は思った。現代に築かれた空中庭園は崩れ落ち、全てを無価値へと変化させていく。この世界に置いて価値が有るのは、己を生かす道具と、己が生きる為の性根。そして己を生かしてくれる人間だ。

 例えばそれは、宮本麗にとっての小室孝の様な存在だ。最も頼りたい時に、己の責任を転嫁して背負ってくれる存在。己の弱さを抱え上げてくれる存在。己にとってのそんな相手は、未だ見つかっていないが、……しかし、彼女には、そんな存在は、いたらしい。
 何が書いてあるのだろうか、と思いながらも、冴子は何も言わずに黙っている。



 彼女の視界の中には、一心不乱に手紙を読む、鞠川静香の姿が有った。



 簡素な椅子の上で、只管に手紙を読んでいる。読み、視界をスクロールし、最下段まで行った所で、もう一度、冒頭に戻る。其れを既に、三、四回は繰り返している。何回も、まるで自分の読んでいる内容が間違いで欲しいと祈る様な態度で、縋る様な空気で、読んでいた。

 手紙は、この邸宅のダイニングテーブルの上に置かれていた。郵送された物では無い。恐らく、置手紙……それも、書き置きという形が一番近いだろう、手紙だった。流石に広告の裏紙と言う事は無かったが、時間の無い中で書き連ねられたのだろう文書は、適当な紙への記述だった。

 何が書いてあるのか、其れを伺い知る事は出来無い。しかしその内容は、決して良い物では無いのだろう。読み進める彼女の顔は険しく、口元を押さえる彼女の顔は歪んでいる。けれども、涙を見せる事すらしない。気丈な態度を保ったまま、彼女は手紙に目を通している。

 「……先生、そろそろ良いだろうか?」

 そろそろ、宮本・高木ペアと交代する時間だった。休息をする為の時間。生存能力を上げる為に、無理やりにでも体を解放し、弛緩させる事が必要だ。言いかえれば、義務だと言っても良い。
 天然な鞠川静香だが、その辺りを理解できていない筈も無く。

 「……ええ」

 そう言って、手紙を畳む。指先が震えている事を、見逃さない。

 「……何が書いて有ったか、尋ねない方が、良さそうだな」

 「――――良いわよ別に。読みたければ、読んでも。……友達からの、遺言、っていうだけの話だから」

 置手紙を“遺言”と言った鞠川静香だった。
 恐らく、この手紙を書いた相手が、既にこの世に居ない事も、きっと何度も己に言い聞かせたのだろう。

 静香に行った彼女の顔に、悲しみと涙が浮かんでいた事実を、冴子は敢えて無視した。






 「……先生も、かなり疲れてたみたいね」

 「無理ないわよ。ずっと運転しっぱなしだもの。――――音楽家やアスリートと一緒ね。集中して行動している最中は良くても、いざ横に成ると疲労が襲ってくる。それに、毒島さんも、口には出さなくても疲れているわ。……無理させても、悪いわよ」

 毒島冴子と鞠川静香。その二人と交代をした宮本麗と高城沙耶は、小声で会話をしながら大広間にいる。
 両者共に、食欲を満たしている。彼女達の机の上には、賞味期限と品質保持期限が近い食料が置かれていた。コンビニから奪った食事の中で、優先順位が低い物から消費しているのだ。惣菜パンに野菜ジュースという取り合わせが基本だった。

 それ以外にも、机の上に置かれている物が有る。

 手紙だ。

 鞠川静香の友人が、このメゾネットを訪れ、態々残して行ったという手紙。
 興味本位と、現実逃避と、好奇心と、情報収集を込めて、中身を彼女達は読んでいた。

 「……良いのよ、別に。本当に読まれたくないのならば、仕舞って自分の懐に隠すべきでしょう? 置いて行ったって事は、読んで欲しい、読んで慰めて欲しい、っていう、鞠川先生の一種の甘えよ。――――無理も無いけどね」

 そういった高城だったが、彼女の琴線に触れる情報は無かった。書き手の名前が引っ掛かった位だ。

 なんでも、この手紙を書いた棟形鏡と言う女性。看護師か医療関係者だったようで、頭も良かったのだろう。《奴ら》に関する考察には目を見張るし、文章の流れも(字は汚いが)彼女の聡明さが読みとれる物だった。

 しかし、目新しい情報は、無かった。

 書かれていたのは、彼女達でも把握している《奴ら》の特性と、自分が誰かを迎えに行く、云々という内容だ。騒動が始まって数時間もしない内に、此処まで《奴ら》を解析したならば、その頭脳は優秀だったに違いないが……恐らく、既に《奴ら》の仲間になっているだろう。意味は無い。

 そう考えていると、小室が部屋に入って来る。女性陣と交代するまで窓際でスタンバイしている平野に促され、小室も又、風呂に入って来たのだ。流石に女性陣の残り湯に体を浸ける勇気は無かったようで、シャワーで済ませたらしいが。

 「調子は?」

 「あ、うん。大丈夫。休めたから」

 「そうか。……何話してたんだ?」

 「別に、大したことじゃないわよ。……鞠川先生と、手紙の話。このメゾネットに隠れないで、自分の為に行動した人の話ね。……気持ちは、判るけれど」

 自分達が何かを言う事は出来ないだろう、と顔に浮かべた高城だった。
 自分達の両親を求めて放浪している身。安全には程遠く、メゾネットに隠れ続ける訳にもいかない。

 出入り口は乗ってきたバスでバリケードの様に封じて有る。ハンヴィーと手荷物に、当座の必需品は仕舞ってある。けれども、確実に生き延びれると、断言も出来ない。

 そんな中で、自分の大事な人間を探しに行く行動は、当然だと思う。
 死ぬ前に一目で良いから会いたい人間は、誰にでもいる物だ。
 三者三様に、今後の行動について、心内で覚悟を確かめた、その時。

 「あ、思い出した」

 ふと、宮本麗が言った。




     ●




 「棟形、って。――――確か、国家公安委員会の、一員だった人だ」

 お父さんの調べていた事件で、名前を聞いた事が有る、と付け加える。
 性格に言えば、幼かった彼女が勝手に父親の書斎に侵入して、其処に有った書類を盗み見ていたのだが、それは置いておこう。

 「公安……?」

 「公安警察とは違うわ。行政組織の事よ」

 小室の訝しむ声に、高城沙耶が口を挟んだ。

 「公安警察は、警察庁警備部の組織。対して国家公安委員会は、警察が正常に機能しているかを監視する、民間から発足された行政組織よ。公安警察は、各組織――例えば警察とか、検察とかからの優秀な人材の出向が多いんだけれど、国家公安委員会は違うの。どちらかと言えば、地方行政や政治に詳しい、地元の名士なんかが付く名誉職的な意味を持っているわね。――――私も思い出したわ」

 棟形、って珍しい苗字だし、と付け加える。
 少なくとも、床主の土地で『棟形』と言う名前から連想される人間は多くない筈だ。
 絶対数の少なさ以上に、有名だった事を、高城は思い出す。

 「ええと……確か、私達が小学生か、もっと小さい頃、ね。その当時の国家公安委員会が、棟形拝(むなかた・おがみ)っていう男だったのよ。先祖代々、っていう程に床主に住んでいた訳じゃないけれど、かなりの“やり手”で、関東地方の行政にも顔が効く、って話だったわ」

 父さんも、意気投合したらしいわ、と付け加える。
 明治期の右翼思想家を地で行く高城家とも仲良く成れる、という辺り、相当に立派な人間だったのだろう。

 「でも、その立派さが仇に成ったらしくてね。国家公安委員会として、真面目に動き過ぎた? って言うのかしら。紫藤の家を始め、周辺地域や地方政治からも厄介者扱いされて、最後は四面楚歌。仕方なく辞任したのよ。まあ、元々資産家だった事も有って、生活に困りはしなかったようだけれど……」

 でも、表舞台に出なくなった事は確かね、と才媛は言う。

 「――――それは判ったけど」

 小室が、口を挟んだ。

 「その棟形さんと、手紙と、どんな関係があるんだ?」

 「さあ? ……でも、全くの無関係でも無いと思うわよ。この手紙の人、棟形の名前に、名前が“鏡”でしょ? 父親が「拝(おがみ)」で、娘が「鏡(かがみ)」だったら、別に不思議じゃないし。直接の親子じゃなくても、親戚か関係者って線は有るわね」

 まあ、唯の偶然で、無関係な関係って線も十分に有るしね、――――と補足して、話しを纏める。

 手紙で結構に盛り上がってしまったが、重要な話では無いのだ。例えば、この『棟形』邸が今尚も存在して、其処に何か役に立つ道具が有る、と言うならば話は別だが、そんな情報は無い。
 この時点では、全ては推測と、其処から発展した社会システムの解説に過ぎないのだから。

 「さ、戻りましょ。今度は私達が見張りをするから。小室、アンタらも少し休みなさい。平野も呼んできて?」

 軽く手を叩き促す高城沙耶に、小室が納得し、そうだな、と動き始める。
 だから、つい、宮本麗は言いそびれてしまっていた。




 「……確か、棟形家は、事故で途絶えた、らしいよ? お父さんが調べてたから、なんか不審な点が有ったんじゃないかなあ。……交通事故だったと思う。運転手と、棟形夫妻は死亡。唯一残ったのは、後部座席で眠っていた、当時小学生にも成らない男の子で……。結局その子も、事故から一週間で体調を崩して、死んじゃったらしい、けれど」



 そんな、瑣末な、しかしもう一人の主人公にとっては、大切な情報を。


 もう時期、一日が終わる。
 新たな試練が、襲い来る夜へと。




     ●




 日が沈んでいく。

 地獄を映し出す太陽は、普段と何も変わる事無く、当然の様に水平線へ姿を隠そうとしていた。
 夜の帳に覆われる世界は、視界を妨げ、地獄を覆い隠す。
 いや、闇夜の中で、より酷い地獄が展開されるだけなのかも知れない。

 そんな、夕刻。
 床主大橋から、十数キロ程離れた、下流の岸辺で。



 「――――着イ、タ」



 ザバア、と水音を立てて。
 『彼』はまるで漂着物の様に、大地へと帰還した。

 その身から、無数の水を滴らせる格好は、御世辞にも水中に適応した生物には見えなかった。……いや、今でも適応出来ているとは言い難い。流される間、辛うじて立ち泳ぎを習得した程度である。

 焼け焦げた衣服が体に張り付き、肌の上の治癒した火傷の後は、一層に醜悪さを齎している。
 顔面の皮は、まだ再生途中なのだろうか。筋肉が露出し、血管が走っている状態。最新鋭のホラーハウスでもお目に掛かれない気色悪さが、其処にはある。

 ザバ、と水を書き分け、歩き難そうに、彼は両足を大地に付ける。

 かなりの距離を流された。
 随分と、遠い。
 日が沈みかける今、走っても明るい内に大橋まで戻れるだろうか?

 ぶるり、と大きく巨体が震え、冷えた体を温めようとシバリングが始まる。
 その猛烈な振動は、衣服の水滴を蒸気として立ち上らせ、体の稼働を始める。



 そうして、再度、自分の追うべき相手の為に、動き始めた。

 目標に到達するのは、夜半の事に、違いない。














 主人公、生物的にチートです。飽く迄も生物学的に超優秀なだけですが、多分、地球上の生物の、肉体を模倣すると言う点で右に出る者はいません。

 感想でご指摘にあった通り、実は赤外線も視認可能です。瞳で感知出来るのは短赤外線で、暗視スコープに活用可能。進化の理由は、精神年齢故に暗がりを怖がっていたので、其れを補う為です。

 熱源探知で死者と生者を見分けていたのは、発達途中のピット器官の方ですね。確実に体の一部なったのは食事の際。盲目の蛇(空腹時に自動で出現します)に併用され、餌をより迅速に見分ける事が可能に成りました。わお。

 ”泳げない“を始め、弱点はまだまだありますが、其れは今後の成長に期待して下さい。

 次回は、原作主人公と主人公との、真夜中の超大暴れです。ありすも出るよ!

 ではまた!

 (11月12日 投稿)


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