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No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
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[20613] 第五話 『Street of the “Tyrant”』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:075d6c34 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/09/14 23:43
 ※注意! 今回、これでもかと言う位に化物です。人によっては非常に嫌悪感を得る可能性が有るので、ご注意ください。










『彼』の嗅覚が、捉えた物が有った。

 それは酷く本能を刺激する、匂いだった。






 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』



 第五話 『Street of the “Tyrant”』






 世界中で同じ現象が起こっていた。

 それは、洋上の空港でも、変わらない。

 『――――床主管制塔。こちら089便。離陸準備完了した』

 『――――089便。こちら床主管制塔。滑走路端で待機せよ。……我々には、問題が生じている』

 機長とパイロットが管制塔と会話をしている中、滑走路上の亡者を狙い撃つ女性がいる。

 バスン! バズッ! バスン! バズッ! と連続して放たれた銃弾が、何れも一撃で標的の頭部を吹き飛ばす。銃声が響くが、亡者の群れが彼女達へ向かうより早く、狙いを変えた銃口を向けられ、全てが排除される。空港内の一角には、其処だけ大量の屍が転がっていた。

 「風良し。進路上に障害物は無し。……射撃許可、確認」

 言葉とほぼ同時に、ドイツ製7,62ミリ口径の狙撃銃が再度、火を吹いた。穏やかな風を弾丸が切り裂き、滑走路上の一体の頭部を貫通する。警察用で射程が短いとはいえ、彼女の手に掛かれば、障害物の無い平地だ。屠る事は容易く出来る。

 「ヒット」

 相方の言葉に、頷く。狙撃者は、相手を狙い撃つ為に、スコープを覗く。それはつまり視野が狭くなると言う事だ。広い視野の確保と、効率良い標的の排除。そして狙撃者の周辺警戒を怠る事が無い、息の合った相方がいなければ、優秀な狙撃者といえど十分に力を発揮する事は出来ない。

 「此方へ向かう対象は沈黙。……狙撃先を変えます。対象を滑走路上へ」

 「オーケイ。――――次、行くわよ」

 再度、スコープを覗く。朝から打ち続けているが、弾丸は、未だ相当数が有る。勿論、手持ちが尽きる前に帰還する必要があるし、全ての弾丸を消費しても全員の始末は不可能だが、それでも安心感が違う。

 手に感じる重さは、慣れた感触だ。ボルトアクション式ライフル――――つまり、銃身を引いて弾丸を再装填する必要のある従来のライフルと違い、彼女の使用するPSG-1は、弾丸が自動で装填される仕組みになっている。本来ならば狙撃銃には向かない筈だが、内部構造の改造と複雑な制御の元、軍用G3として使用される程に狙撃機能が高い。

 優秀な武器に優秀な人材。両方が揃っているからこそ、障害物を容易く排除する事が可能になっている。

 「……見覚えのある顔ね」

 スコープを覗いて、南リカは言った。

 社会現象にまでなったドラマの、主役を演じていた男性が見えていた。中高年のご婦人方に大人気だった、韓国の美形俳優だ。死して既に異形と化していても、生前の面影が有った。下手に原型を留めている分、今の世界をまざまざと見せつけられる。

 「床主に公演に来ていた俳優ですね。……避難途中に関係者から感染したんでしょう」

 「私が殺した事を知ったら、お隣の国は怒るかしらね?」

 「怒る程に秩序が回復出来るとは思えませんがね。今の所、イギリス以外は何処もヤバイです。そのイギリスだって、何時まで平和か見当もつきません」

 なるほど、と言葉を返して、引き金を引く。頭部を穿った弾丸の影響で、その顔が一瞬だけ笑みの様に歪む。そして、其のまま倒れ伏す。死者に対しての感慨を抱くよりも先に、そのまま滑走路上の亡者を一掃する。

 「お見事」

 「如何ってことないわ。この程度で音をあげてちゃ、全国五指の名が泣くわよ」

 「確かに、そうですね」

 相棒(バディ)の田島との遣り取りをしながら、よっこらせ、と腰を上げる。一日中、只管に引金を引き続けていたせいで、腰も肩も胸も凝っていた。胸のプロテクターをずらし、肩を伸ばして、風を受ける。こんな状態だと言うのに、風も空も嫌になる位に良い天気だった。

 「にしても、まさか洋上の空港まで発生するとは……。船でしか来られない筈だってのにな。要人や技術者、あるいはその家族の中に、紛れていたんかね?」

 同じ様に緊張を解いたのだろう。先程までの公人としてではなく、素の口調になって田島は言った。

 「でしょうね。――――化物の被害が増える原因は其処。逆に言えば、人間が情を持たなければ、駆逐は簡単よ。野生の獣みたく『過去はどうであれ、今は自分に害を与える存在』を見放す事が出来ないから、拡大する。拡大して連鎖的に悲劇が繰り返される。……私も例には漏れないわ」

 「……と言うと?」

 「――――私だって、理性で理解出来ても、感情で理解出来ない……そんな相手だっているわ」

 幾ら安全を掴み取るだけの実力が有り、人材がいるとは言っても限界はある。今はまだ良いが、弾丸も無限ではない。ゲームのマグナムでは無いのだ。洋上の空港だから亡者の流入が無いとはいえ、殲滅するのは非常に困難だろう。

 限界を迎えての逃亡か、要人救出に駆り出されるか。それとも空港内に有る程度の安全を確保した上での、補給物資の調達か。何れにせよ、期を見て街に向かう事は、必須事項だった。リカとて床主に未練を覚えている。

 「男でもいるのか?」

 「……そんなんじゃないわ」

 否定と言うよりも、懐古に近いのだろうか。軽く肩を竦めて、懐かしそうな口調で語る。今でも一月に何回かは顔を合わせる間柄だが、この緊急時に置いて、あの平穏が酷く輝いて見えた。

 「大事な相手がいるのよ。大事な親友が二人。――――今頃、何処で何をしてるのか……」

 頭に浮かぶのは、二人の顔だった。部屋の掃除をしてくれる優しい医者の顔と、事有るごとに自分に協力してくれる国家公務員の顔だ。二人とも簡単に死ぬような人間では無い。きっと何処かで生きている事を、彼女は信じていた。いや、信じていたかった。

 彼女達が生きているのならば、南リカも生きていなければならない。

 そんな風に、思うのだ。






 リカの胸元には、一枚の写真が入っている。

 古くは無い。数年前に撮った物だ。少しだけ色が落ちているが、未だに鮮明な写真は、其々が進路を決めた後の写真だった。絶えず、と言えるほど、リカは写真を携帯している。勿論、ペラで持っているのでは無く、丁寧に畳んで財布の御開に同封してあった。学生時代から仲が良かった彼女達だ。勿論、当時の記念写真も大事に取ってある。リカと同じ様に、親友達も大切に保管している事だろう。

 映っているのは三人の女性だ。


 南リカ。

 鞠川静香。

 棟形鏡。






 最後の一人が、既に亡い事を、南リカは知らない。




     ●




 日の昇る中を、一体の異形が歩いている。

 春の快い日、と聞いて誰もが思い浮かべる、色鮮やかな世界の中を、唯ゆっくりと歩くのは、『彼』だ。青い空と白い雲。鮮烈な花と、舞い踊る蝶々。心が安らぐ暖かな日。そんな中を動く異形の怪物は、しかし、何処か億劫そうに見えるのは、何故だろうか。

 周囲に人気は無い。小さな商店街だ。閉じられたシャッター。引っ繰り返ったポリバケツ。地面に広がる血の池に、一本だけ落ちている、指輪の着いた薬指。野良猫が鳴き、ゴミを漁り、何処かに駆けて行く。其れを追う者も、見送る者も、誰も居ない。

 異常だった。周囲は不気味なほどに静まり返っている。人間の姿も、亡者の姿も見えない。ほんの僅か、身を潜めて様子を伺う視線が有る。しかし、其れを無視できる程に『彼』は憔悴していた。

 体調の不良、では無い。心身ともに到って健康だ。確かに動きは緩慢で、その性根が未発達である事、長い病院生活で己の肉体を把握出来ていない事、それらが合わさり、本来のポテンシャルに程遠いだけだ。しかし、彼の体は不調を訴えている。

 昨晩からこんな調子だった。昨晩、『彼』がバスのルートを追跡し、途中で亡者の群れを蹴散らして以来だ。其れまでは何の支障も無く肉体の修復が可能で、鈍重とはいえ確実に行動出来た。

 しかし今は違う。体の動きが呪い。関節が錆びついた様な、筋肉が硬直した様な、体の中に倦怠感が支配している。そのくせ、味覚・嗅覚などの感覚器官は鋭い。通り過ぎた家の中に、恐らく大人の女性と事もが二人、隠れている事を把握する。しかし、意識がそちらに引き寄せられもしない。

 (……何、ダロウ?)

 本当に、『彼』は理解できていなかった。無理も無い。只管に寝ていた彼にしてみれば、その『行動』を取っていた記憶は殆ど無かったのだ。普段の寝ている最中に全ては終わっていた。病院で管理される以前の事は既に霞みと成っている。

 苦しい、辛い、そんな感覚が感じられる。何処かが悪いのではない。それは衝動であり、あるいは言いかえるならば欲求と言う言葉に成る。

 『彼』は、知識として知っていても、しかし、其れを行動として理解しては居なかった。過去に感じた感覚を反芻しても尚、その『衝動』を満たす方法を、己の理性で把握出来ていなかった。そして何より、『彼』は己の仲の、その衝動が何であるのかを、実感として感じるには、経験が少な過ぎた。




 その『衝動』は『食欲』と言う。




 彼が知る由も無い事だが、病院で寝ていた頃の食事は、悲惨以外の何物でもなかった。常に点滴から栄養を注入され、薬と共に出される僅かな流動食を嚥下するだけ。食事とは一種の楽しみである筈が、『彼』にとっては作業ですら無かった。己で食事をする記憶すらも、数えられない程に、少なかった。

 『彼』の『お姉ちゃん』こと、棟形鏡。彼女が、その状態を改善しようとしなかった訳ではない。しかし改善する事は出来なかったのだ。味覚を楽しませる事が出来ないと言う事実も又、せめて嗅覚だけでも、という思いと成って、香水を使用するという形に現れた。

 身体の真価を発揮する事。《奴ら》を蹂躙する事。僅かな傷を修復する事。標的に向かい追跡を行う事。唯でさえエネルギー摂取量が少量だった『彼』の肉体は、今は巨人程の大きさに成っている。全てを賄える筈がない。そのエネルギーを消費しきっていたのだ。

 故に、体が空腹を、訴えていた。

 食料を摂取し、肉体を稼働させる餌を、要求していた。

 (……う、ア)

 飢餓状態に陥ると性格が豹変する。それは、哺乳動物の本能だ。幸いだった事に、『彼』の精神は豹変できるほどに成熟していない。否、もっと正確に言えば……そもそも己の感情すらも知りきれていない。辛うじて喜怒哀楽と、僅かな感情が存在するだけなのだ。だから意識は、普段と変化は少なかった。

 この感覚を如何にかしたい。この衝動を抑え込みたい。そんな事を、脳内で求めただけだ。其処に『彼』の考えは無く、まして人間に対する悪意を初めとする、他者を害する感情は一切存在しなかった。

 しかし。

 飢餓状態を解消する為に、性格以上に変化した物が有った。

 それは、昨日の夕刻。自分と共に居た少女を撥ねたバスを追撃した時に、肉体が疾走能力を手にした様に。




 その肉体が、変化した。




 『彼』のその身は、何処まで異常であるのか、『彼』自身も把握していない。そもそも考えも及ばない。良く言えば真っ直ぐに。悪く言えば、盲目的に、己の役目を全うしようと動くだけだからだ。

 より直接的に言い換えるのならば、その身は、彼の想いに則した行動を取れる様に――――変化する。

 其処の『彼』の意志が何であろうと、求める事を実行するように、その身が変化をする。

 既に太陽は随分と高く昇っていた。真夜中に休まず歩き、太陽が昇った後は僅かに速度が上がっていたお陰だろう。迂回した道中も含め、両足で移動した距離は三十キロ以上に成る。そして、渋滞に巻き込まれたマイクロバスとの距離を、確実に詰めていた。小さな商店街を通り過ぎ、混乱の市内に足を踏み入れるまで、もう後二時間も、懸からなかった。




 誰もがその事実を知る事無く。

 そして体は、標的を捉えて動き出す。




     ●




 路肩にマイクロバスが止まっていた。

 傍らを車が通り抜ける。随分と速度を出していたが、如何やら車体は無事らしく、中には生者が乗っていた。随分と血走った眼のまま、彼女達に目を向ける事無く、街を抜けようと躍起になって加速する。

 そして暫く先で大きなブレーキ音と共に、蛇行した。視界の先に進んだ乗用車は、街の大通りに入り、発生したままの、暴動を起こす民衆の幾人かを撥ね、そのまま突っ切って行く。遠目に見える光景は、通り抜けた自動車に向けて銃を向ける男性だった。

 「あのまま進めば、無事じゃ済まなかったわね」

 銃声。バスの中に居ても聞こえる音に、彼女は顔を僅かに顰めた。今の一発で、また誰かが倒れたに違いない。倒し倒され、狂乱と混乱に踊らされ、昨日前までの秩序など既に崩壊し始めている。幾らバスとは言え、そんな中を進んで被害を受けるのは確実だろう。市街地に入らずに待機して正解だった。

 運が良かった、のだろう。昨晩、緩慢に進んでいたマイクロバスは、太陽が昇った時には未だ市街地にあった。嫌味なほどに快い太陽は、街の中央部から立ち昇る、火災以上の噴煙をバスの面々に伝えてくれたのだ。不味い気がする、とバスを道路脇に止め、危険を覚悟で様子を伺いに行ったのは毒島冴子だった。

 数分の後に帰還した彼女から伝えられた情報は、簡潔に言えば、こうなる。

 『酷い。誰も彼も同じだ。頭に血が上っている。……人間同士で殺し合って、血と死体の山だよ』

 その口調が余りにも冷静だったからだろうか。最初は懐疑的に成らざるを得なかった他の面々も、バスに帰還した後で、携帯電話に撮影された画像を見せられれば、受け入れざるを得なかった。否、より強く実感したと言うのだろうか。

 世界は既に壊れ始めている。
 世界は既に終わり始めている。

 そんな中を通り抜けるのはリスクが高い。しかし何本か道を抜けた先には、今度は渋滞が待っている。闇雲に行動しても益は無い。故に、バスを停車させ、今後の方針を話し合っている。

 「でも、ずっとここに居る訳にも行かないよね」

 「そうだな」

 逐一、窓から様子を伺い、《奴ら》の姿が無いかを確認する宮本麗に、出入り口傍の個人席に座る毒島冴子が同意した。誰かがバスを奪うとも限らないし、《奴ら》に追い付かれるのも時間の問題だ。ストレスも溜まるし、体をしっかりと休める事も出来ない。移動の必要性が有り、しかし手段や経路も不明確だ。女子にしては異常に鋭い眼光を沙耶に向け、彼女は訊ねた。

 「高城。この中では一番、君が優れた戦略眼を持っているだろう。其処で、一番に君に訊くが……。君が一番良いと考える、今後の計画は何だ?」

 学年主席の少女は、暫く目を瞑り、数十秒の後、極力、客観的な視点で語り始めた。
 「――――安全で、快適な場所の確保。でも、これは飽く迄も、出来る限りね。最悪、音さえ経てなければ、今日の夜はこのバスの中で一晩を過ごせるわ。《奴ら》は視界が効かないから、此処に潜んでいれば襲われない。……でも、寝心地は悪い。見張りは必要だから、全員の疲労回復も難しい。朝起きた時に取り囲まれている可能性もある。それに、敵は《奴ら》だけじゃない。人間もいるわ。……安全性を考えれば、堅牢な拠点が、必要」

 「ふむ……」

 バスは喧騒が届く位置にある。何かの拍子に襲撃を受ける可能性は有った。勿論、自衛手段を有しているが、この期に及んで人間に襲われるのは、正直、勘弁して欲しい。毒島冴子“単体”ならば何も問題が無い。むしろ襲い掛かる相手を嬉々として殴り付けるが、他の生徒を危険に晒すわけにもいかない。

 個人の力では、生きるのに限界がある事を、彼女は知っている。

 「平野君。君は?」

 「僕も高城さんと同じ意見です。バスは移動には便利ですが、籠城には向いていません。この人数じゃ守りきるのも難しい。――――今は良いですが、特に夜中は危険ですし」

 確かにな、と毒島冴子は考える。彼女の意見も同じだった。視線を向ければ、小室孝と宮本麗も、なるほど、確かに、と頷いている。彼らも同じ意見だったようだ。

 ずっと運転をしていた鞠川静香は当然だが、疲労が重なってもいる。何処かに拠点を確保し、明日まで――――最悪、明日の朝日が昇るまでの七・八時間の期間だけでも良いから、休憩をした方が良いだろう。無論、バスは確保しておいたままの方が良い。きっと何処かで役に立つ。

 「……誰か、良い場所を知らないか? 私はこの辺りの地理には疎くてな」

 そう言って見回すと、各自が考える表情に成った。高城沙耶、小室孝、宮本麗の三者は、確かにこの土地で育っている。しかし、何れも川の向こうだ。川の向こうに渡れればいいのだが、目の前の大通りは戦場に通じているし、交通規制から生まれた渋滞も続いている。時間を懸ければ今日中に中心部に入れるかもしれない。しかし、入れなかったら――――今晩も、バスの中での一泊を覚悟する必要が有るのだ。

 ならば、今の内に拠点を確保して、その上で行動をするべきなのだ。

 「あ、それなら」

 運転席から顔を出した鞠川静香が手を挙げた。

 「私の御友達の家が有るの。川沿いのメゾネットなんだけど、見晴らし良いし、近くにコンビニも有るし、なんか大きな車も置いてあるから、バスも止められるかもしれない。――――後」

 其処まで語って、全員に視線を向けて、小声に成った。人目を憚る様な口調だ。自然と、全員が何か、と意識を向ける。

 「言おうと思ってた事なんだけどね。お友達ね、空港の警備をしてるんだけど……警察の、特殊部隊員なの。それで何時も忙しくていないから、私が掃除とかしているんだけど……」

 「校医。それは今、必要な事か?」

 「うん。此処の中の方が良いから。聴いてね? ……それで、大きな声で言えない話なんだけど。……ある時に頑丈な金庫を見つけたのよ。鍵が懸かった。で、何かな、って思って、後で話を聞いたら……なんでも、こっそりパーツを輸入して……組みたてた、らしいわ」

 「何がだ? 鞠川校医?」

 「輸入した、……銃」

 途端に、全員の表情が険しく成った。声を顰める理由も分かった。大きな声で言える内容では無い。持ち主が特殊部隊と言う事は、扱いには慣れているのだろうが、しかし法律に違反している可能性は高い。

 しかし、同時に酷く魅力的な提案でも有った。建物は確認した後でも変えられるが、重火器を手に入れられる機会はそうそう無い。死亡した警官から銃を奪うか、あるいはクレー射撃や狩猟用の銃を手に入れるかだ。

 拳銃。武器と聞かれて誰もが思い浮かべる、簡単にして効果的な武器。無論、音を発すれば《奴ら》に気が付かれる。しかし、銃と聞いてその有効性を知らない物は、現代の高校生にはいない。

 「詳しくは、判りますか?」

 平野コータの質問の勢いに少し驚いた様な顔をした鞠川静香だったが、その視線に押される様に、ええと、と思い出そうとする。顎に指を当て、考える格好のまま、十秒ほど。

 「名前は分かんないけど……話からすると、マシンガンみたいなのと、ショットガンみたいなのは、有るみたい。銃弾も有るようだし、使えるんじゃないかしら。リカ……あ、お友達ね? は、『違法だから秘密にして置いてね?』って言ってたし」

 「――――決まりだ。まずは其処に行こう」

 銃、つまりは強力な武器が入手できると聞いて、小室孝が言った。全員の視線が向けられる中、普段の迷う空気から一歩抜けた雰囲気で、全員を促す。

 有る程度の情報が出揃った後、方針を決定するのは自然と彼の仕事に成っていた。彼の性質がそうだと言う事も有るが、毒島冴子も高城沙耶も、敢えて決定を避けている。仮に彼女達が話題を振り、彼女が決定権を有しているとなれば、チームが分断する可能性が有る事を理解しているのだ。無論、其れは口には出さない。

 「先生。その家は此処から近いですか?」

 「ええ。……そうね。車で十分、懸からないわね」

 「今から移動しよう。取りあえず其処で休憩をする。……この辺は、まだ若干、安全に余裕が有る。上手く行けば、今日を丸一日、有効に使える。暫くしたら橋周辺の様子を見に行けるだろうし、なるべく音を経てない様に動けば、多少の行動も出来る。――――細かい事は、行ってから考えよう」

 やる事は多い。御別橋から先に入る事が可能なのかどうか。今現在の状況が如何なっているのか。電気が通っている内に確保出来るものは確保する必要があるし、鞠川静香の言葉が本当ならば銃の確保という問題も有る。其々の親兄弟の救出に、安全な場所の確認。とても無駄に過ごす余裕は無い。

 「……ええ。そうね」

 小室の言葉を頭の中で検討し、高城沙耶も頷く。毒島、平野、宮本と全員が納得し、鞠川静香もまた、頷いた。動く方針が定まった以上、時間が大切だと言う事は誰もが理解出来ている。切られていたエンジンが掛けられる。周囲に《奴ら》がいない事を確認し、タイミングを見計らって車が発進する。

 そうしてマイクロバスは進路を変え、南リカの家へと向かって行った。




 『彼』がその場所に到達する、僅か一時間前の事だった。




     ●




 僕の持っている写真には、三人の女の人が映っている。一人はお姉ちゃんで、一人は、今僕が追いかけている、お友達のお医者さん。最後の一人は、健康そうな体の、癖のある髪を持った人だ。

 此れは、僕がまだ白い世界で過ごしていた頃の話だけれど、お姉ちゃんは、この人達の事に着いて、色々と話してくれた。勿論、その時は、話している相手が誰であるのかを知らないでいたし、女の人なのかも不明だった。唯、お姉ちゃんの友達で、大事な相手だと言う事だけしか分からないでいた。

 『もしも貴方が外に出る事が出来たら、貴方もきっと、友達が出来るわ』

 何時だったのか。お姉ちゃんはそんな風に言ってくれた事が有る。

 『友達』。……正直に言えば、僕には良く分からない言葉だ。寝たきりになる前に、そんな関係の相手が居た様な気がしなくもない。けれど、両親の顔だって既に覚えていない、過去を失った僕にしてみれば、『友達』と言う存在は架空の産物でしか無かった。

 儚げな、朧気な、幼稚園か保育園に通っていた記憶はある。真っ白な容姿だったせいで、夏に出歩く事も、屋外プールで水泳をする事も出来なかった。そして、変わった容姿が原因で、虐められてもいた。けれども、其れが自分だと言う感覚が無いのだ。

 まるで、他人の記憶を覗き見ている感覚しか存在しない。他人の記憶を外側から眺め、知識として集積しているだけにしか、感じる事が出来ない。僕の中に有る、僕の物だと実感が出来る記憶は、お姉ちゃんと過ごした、あの白い世界の中だった。

 『……大丈夫。貴方は、未来も過去も、ちゃんと持っているから』

 僕の言葉に、お姉ちゃんはそう答えた。

 『貴方は忘れているだけ。貴方は――昔から、凄く利発で、賢い子だったから。きっと、何時か貴方は思い出すわ。……今の貴方はこんな状態だけれど、何時の日か。外に出て、世界を見れば。……きっと。――――私と違って、ね』

 だから、何も不安に成らなくて良いわ、と言ってくれた。『今』しか存在しない僕を、抱きしめてくれた。徐々に、徐々に、終盤になればなるほどに、お姉ちゃんと関わる時間が減って行ったけれども、それでも僕は不満を持つ事は無かったし、お姉ちゃんに心配を懸けるつもりも無かったのだ。

 お姉ちゃんの最後の言葉は、一体どんな意味だったのだろう。僕には解らない。その時のお姉ちゃんは、僕を見る瞳の中に、言い様の無い感情を浮かべていた。僕に対する、愛情の籠った優しい、けれども悲しい瞳では無かったと思う。むしろ、自分に対して何かを思っている様な、そんな表情だった。

 『あの二人はね、とても良い連中よ。……私に全幅の信頼を、絶大な信用を、寄せてくれる。勿論、私も同じ様に、同じだけの感情を返すつもり。でも、中々、難しくてね』

 その時の言葉は、意外と頭の中に残っている。僕は身体的な意味で動けない、動く事が出来ない立場だったが、お姉ちゃんはその立ち位置故に――動く事が難しい、そう語った。

 僕は、お姉ちゃんが一体何をしているのか、本当の所は知らなかった。そしてそもそも、“本当に看護婦さんなのかな?”と思った事も有る。けれど、僕は訊ねた事は無い。何か余計な事を言う事が不味い事だと、僕は幼心に理解していたし、其れにお姉ちゃんが何者で有っても、僕には関係が無かった。僕に愛情を持ってくれていたのだから、其れだけで良かったからだ。

 『――――昔から、自分の思う通りに行動したくても、行動出来ない事が多かった。だから、私は家を出たの。……自分の為に。自分自身で、自分の思う通りに行動して、結果を掴む為にね』

 そう言ったお姉ちゃんの眼は、とても遠い所を見ていた。何を見ていたのか。何を思っていたのか。その心の中を、結局、お姉ちゃんが僕に語ってくれる事は無かった。最後の最後の時。死んでいる人間に襲われて、死ぬ寸前に成りながらも彼らを全滅させて、眼を覚ました僕に言ってくれた事だけが、お姉ちゃんの数少ない、はっきりとした内心だった。

 だから、お姉ちゃんの真意は、僕は理解出来ない。

 けれども、お姉ちゃんは僕を愛してくれていたし、僕の為に動いてくれていた。お姉ちゃんの本音は見えないけれども、僕敵も曖昧だけれども、其れでも心の根元は、僕の為だった。それは、理屈や言葉で無く、感覚で理解が出来る。

 だから僕は、お姉ちゃんの言葉の通り、写真に映っていた鞠川静香という医者のお姉さんを、追いかけるのだ。

 それに、お姉ちゃんの言葉は覚えている。病院内での、起きて寝るを繰り返すだけの生活の中で、お姉ちゃんの会話だけは、耳と脳にしっかりと、多くが残っているのだ。忘れてしまった事よりも覚えている事の方が多い。

 お姉ちゃんは、女の友達二人の事を語った最後に、こう言ってくれた。






 『覚えておいてね、×××。……人を動かすのは、自分自身の意志と言う事を。己が望めば、世界はいくらでも形を変えると言う事を。形を変え、可能性を広げ、己の望む未来を引き寄せるのは、何時だって自分にしか出来ない事だと言う事を』






 その言葉の意味を本当に理解するには、今はまだ『彼』は幼すぎた。

 しかし、その言葉は―――――『今』“直接的な意味”として、形に成った。

 彼が無意識の内に、本能として望んだ行動が、発生したのだから。




     ●




 その刹那の瞬間を視認出来た人間は居なかった。

 昆虫を蛙や爬虫類が捕食する一瞬か、身を顰めた魚が餌に食いつく一瞬か。人間には不可能な、野生の生命体だからこそ可能な、その動き。人間が視認するには不可能な速度で行われた行動。それは。

 ただ、結果だけを、示した。

 しかし、その結果だけで、何が発生したのかは、誰もが理解が出来た。

 音とすれば、それはガショ、と言う音だったのだろう。新鮮な果実を丸ごと齧った時の様な音だ。鰐や鮫の様な、巨大な顎を持つ動物が、相手を噛み砕く様な音よりも、静かな音だ。もっと鋭利な刃物で、抵抗をモノともせずに噛み裂いた、あるいは切りながら砕いた、そんな表現が相応しい音だった。

 誰もが、息を呑む事しか出来なかった。

 己の眼を疑い、脳裏に絶望を浮かべ、恐怖に委縮する事しか出来なかった。




 有ったのは、顎だ。

 巨大な蛇か、古代の首長竜、それらから眼を省いた様な、顎だけが、有った。

 その顎は、そして繋げている首は、数メートルの長さに生え、宙に蠢いていた。




 音は、意外なほどに大きく響いた。その場で音を発する原因、即ち生きた人間の誰もが、音を発する事を止めていた。聞こえるのは、無線の先からの通信声と、動き続ける自動車のエンジン音位だ。泣き声すらも停止した。

 鋭利な音に《奴ら》の進路が変わる。全てではないが、有る程度の数が引き寄せられる。音の発生源へと向きを変えた。その先に居たのは、一体の巨漢だ。体長は二メートルを軽く越え、全身が斑に変色し、頭部に僅かな白髪を残した、異形の怪物。

 悪鬼の如き眼光。唇の無い口。発達し膨張した胴体からは、爪と骨が組み合わさった凶器を生やす腕と、ズボンの名残を留めた足。そして。




 顎を有する捕食器官が、怪物の背中から生えていた。




 顎の中に生え揃うのは、不揃いな、しかし鋭利な歯だった。顎の力もさることながら、対象を容易く咀嚼する為の開閉度に、いざとなったら丸呑みを可能にするだけの伸縮性を叶えた、食物摂取に関する利点を全て兼ね備えた口蓋が、其処には有った。

 それは、固まった人間達を尻目に、再度、餌を捕食する。先程と違い、優雅に、悠々と。まるで泳ぐ蛇の様に空中で身をくねらせた大蛇は、ガショ! っと、今度も勢い良く顎を閉じ、餌を口の中で切り裂き、ごくり、という音が響きそうな嚥下し、蠕動運動が開始され、怪物に吸収していく。

 同時に、怪物の背後でも。側面でも。一度に複数の音と共に、対象が捕獲され、齧り取られる。顎は一つでは無かった。両肩から生えるその数は、大小を合わせて十は超えていただろう。まるで別の腕を生やしたかのように、『彼』の肩から生まれ出ていた。




 足を失った一体は、よたよた、とよろめき、やがて重心を崩し、地面に倒れ伏した。千切れた足から血が流れ、周囲に池を造って行く。その赤黒い液体が周囲に広がる中、再度、口蓋が開く。

 捕食されたのは、《奴ら》だった。


 
 
 その光景は、余りにも。未だに現実にしがみ付く人間にとっても、既に異常な世界に変わってしまったと理解している筈の者にとっても、余りにもかけ離れ過ぎていた。

 死んだ死体が動いて人間を襲う。それ以上に、その死者を捕食する怪物がいる。それも、一目で怪物と理解出来る容貌の、余りにも有り得ない格好の、悪夢の様な形を取って。

 空を滑る様に飛んだ数本の触手は、今尚も動く《奴ら》に牙を付き立て、行動不能へ追い込んでいく。その速度は、空腹の人間の前に食事を置いた時のような勢いを感じさせる様に。

 同時に、一撃が致命傷で有るかの様に、食い千切るという行動で、確実に亡者の数を淘汰しながら。




 その中心に『追跡者』を置きながら。




 無論『彼』には人間を襲っている感覚は無い。異形の怪物にしてみれば、死んだ人間は殺しても良い物でしか無い。何よりも『死んだ人間』を、如何して『食してはいけない』のかを、知らなかった。

 普通の人間の思考ならば、そんな事は考える事が出来無い。いや、それ以前に、同種族を食す行為は、本能的に忌避すべき行為だと大抵の動物は知っている。無論、『彼』が人間の身ならば、その理屈は通用したのだろう。知識で知っていなくとも、本能的に避けていた、筈だった。

 しかし、今の『彼』は、“意識を除き”全てが人間とはかけ離れている。仮に、真っ当に育った人間が『この状態』に成っていたのならば、理性で肉体を操り、亡者への捕食行動を禁じる事が可能だったかもしれない。しかし、その意識すら、余りにも多くが欠如しすぎていた。

 そして何より、最も重要な点として――――その『肉体』が、亡者達を欲していた。

 故に、本能と衝動で変化したその異形の身は、最も己が必須とする対象を、捕獲した。

 《奴ら》が人間を襲う様に、『彼』の肉体は――――『彼』の意識がなんであれ、《奴ら》を餌と定めたのだ。




 巨体が震えた。その枯渇したエネルギーが、補給された事への、肉体の歓喜の躍動だった。

 干乾びたスポンジに水が吸収される様に、春の到来と共に草木が一斉に開花する様に、その身体の不調が解消され、生命体として万全の活動を再開する。


 「――――          !!」


 それは、背筋を凍らせる怪物の遠吠えだった。それは、喜びを示す喜悦の叫び声だった。それは、己が不調が改善された事への安堵の吐息だった。そして其れは、硬直した人間を動かす合図だった。




 ぐぢゃっ――! っと言う音と共に、己の体に群がる亡者を薙ぎ払った。

 一メートルを越えるだろう肩腕が、変形してその身体を突き破った骨と爪、その両者を武器として、取り囲む異形の怪物を、強引に、力任せに、振り抜き――吹っ飛ばす!

 まるで野球のボールをバットで引っ叩いた時の様に、その勢いに肉体が潰れ、首が外れ、精肉店の店頭に並ぶ挽肉の様に成りながら、巨体の半径一メートル内の《奴ら》が、飛び散った。

 最早、武器は両腕だけでは無い。その振う剛力を補う様に、細い触手が対象を排除して行く。

 怪物たちが宙を舞う。吹き飛ぶように待った死者は、そのまま“川の中に”落下する。

 完全に、戻っていた。病院の管理棟で生み出された時よりも、遥かに強く。遥かに恐ろしく。エネルギーを回復したその身体が、本来のポテンシャルを発揮し始めていた。

 この場が、仮に数時間前に居た――――あるいは、昨日に居た学園の様な場所だったのならば、周囲の亡者を一掃出来たに違いない。怪物を回復させるエネルギーこそが標的なのだから、《奴ら》が消滅しない限り、永遠と戦い続ける事が可能だった。




 だが、何よりも、この状態に置いて、『彼』にとって最悪だった事。

 それは。




 今の一連の行動が発生したのは、白昼の人混みで有った事。



 その場所は、警察が封鎖した橋の真正面で有った事。



 そして、その姿が、テレビカメラで生放映されていた事だった。










 銃声と悲鳴が響いた。
















 これ、表現的に、年齢制限必要かなあ……。

 『追跡者』に捕食能力と消化器官が追加されました。《奴ら》を倒し、不足したエネルギーを《奴ら》から摂取し、更に動く。食料の心配はありません。生命体の単体では最強。多分、人間が絶滅しても寿命(多分、数百年以上は確実)まで生きられます。でもこの話では何の意味も有りません。

 もう一つ。何回も言う様に、主人公に悪気は有りません。体が勝手に動いているだけです。

 皆様の予想通り、前話の体調不良は、空腹(という状態も理解出来てませんでしたが)によるエネルギー切れです。叫び声は「オナカガスイタ」でした。しかし、何より、エネルギー補給方法が、これ以上無く不味かった。一応、フォロー出来る理屈はあるんですが……。

 華麗なるテレビデビューを飾った主人公ですが、この先ますます酷い目に会うでしょう。最強の代価です。超無双シーンは次回か、次次回です。もう少しだけ耐えて下さい。

 さて、『お姉ちゃん』。やっと出た名前は、棟形鏡(むなかた・かがみ)と言います。この人は物語のキーパーソンです。色々と伏線も有るので、期待していてくれると嬉しいです。

 ではまた次回。

 (9月14日投稿)


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