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No.20613の一覧
[0] 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』[宿木](2010/09/12 16:55)
[1] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』[宿木](2010/07/26 11:17)
[2] 第三話 『Running of the “Tyrant”』[宿木](2010/07/28 23:53)
[3] 第四話 『Democracy and the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 22:37)
[4] 第五話 『Street of the “Tyrant”』[宿木](2010/09/14 23:43)
[5] 第六話 『In the night of the “Tyrant”』[宿木](2010/11/12 22:06)
[6] 第七話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 1/2』[宿木](2010/11/16 01:18)
[7] 第八話 『Dead night and the luck of “Tyrant” 2/2』[宿木](2010/11/21 17:48)
[8] 第九話 『“Tyrant” in the Wonder land』[宿木](2010/11/25 12:32)
[9] 第十話 『The “Tyrant” way home』[宿木](2011/02/07 00:58)
[10] 第十一話 『Does father know the “Tyrant”?』[宿木](2011/08/07 16:44)
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[20613] 第二話 『Escape from the “Tyrant”』
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:075d6c34 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/07/26 11:17


 学園黙示録 in 『追跡者(ネメシス)』
 第二話 『Escape from the “Tyrant”』






 丘の上に、一つの学園が有った。

 街の権力者と密接に関わる理事長が、潤沢に資金を投入し、広大な敷地と設備を兼ね備えた、裕福な学校は――日々の生活を過ごし、日々を送り、学生生活を満喫するには、十分だった。
 顧問の揃った部活動、教養豊かな教師人による勉学、固いが厳し過ぎない規律に、有る程度の自由な恋愛――青春に明け暮れ、楽しい高校時代を過ごすには、相応しい学校だった。

 “十分だった”、“相応しかった”。

 ――――そう、全ては過去形だ。

 入りこんだ《奴ら》に教師が齧られ、齧られた教師が《奴ら》に成り、鼠算的に被害は拡大した。

 常識的な対応は、常識的だったからこそ初動の遅れを産み、パニックを生み出した。無理も無い。警察に連絡する事、保険医を呼ぶ事、門の前にいる不審者を“捕まえる”事。それらは、どれも世間一般での正しい対処方法だったのだから。

 ただし、常識は、何の役にも立たない緊急事態だったと言うだけの話。
 常識は足枷にしか成らず、論理や理屈が一切に通用しないのが《奴ら》だったというだけの話。

 出来るだけ穏便に解決を図ろうと言う、この国特有の性質だったからこそ、最初で被害を止める事が出来なかった。

 仮に初動の段階で、学園を完全封鎖し、徹底した行動を取る事が出来れば、籠城もあるいは、可能だったのかもしれないが――――しかし、意味の無い仮定だろう。

 結果として悲鳴が連鎖し、状況の把握も出来ないまま混乱が誘発され、その混乱の中、一握りの人間を除いて、皆、成す術無く喰われ、死して《奴ら》と同じ場所に堕ちて行った。




 「部活遠征用のマイクロバスはどうだ? あれなら全員が乗れるだろう」

 「あ、バス有りますよ。無事です」

 「それは良いけれど……それから、如何するの?」

 「まず家族の無事を確かめます。それから、安全な場所を探して、何処かに避難しましょう」

 「警察や自衛隊も動いている筈。……災害時みたいに、避難所とか」

 「……待って。――――見て、皆」




 あるいは、この街だけならば。
 仮にもう少し範囲を広げたとして、この周辺地域だけならば。
 もっと極論を言えば、この『日本』という国家だけならば、まだ、この状況に対して何かしらの手の打ちようは有ったのかもしれない。

 しかし『地域流行(エンデミック)』や『流行(エピデミック)』では無く『世界的大流行(パンデミック』の時点で、世界は既に手遅れの状態だった。

 米国大統領がホワイトハウスを破棄し、モスクワと通信が途絶し、北京が大火に見舞われ、パリやローマで民衆が暴走し、世界の名立たる大都市に、今この学校で起きている事と同じ現象が発生していた。

 フェイズ6を軽く凌駕した――――WHO(世界保健機構)の“最悪”を超えた大災害に、辛うじて抗えているのは、海を挟み、同時に初動が早かった英国だけだった(因みに、これに関して『王立国境騎士団』なる秘密組織が動いたと言う流言飛語があったりするが、此処では関係が無いので割愛する)。

 軍隊が出撃し、絨毯爆撃が始まり、戦術核が使用され、其れが各国の戦争の火種になるまで、もう時間の猶予は無いも同然だった。




 「大丈夫そうな場所……有るわよ、ね?」

 「無いわね。――――パンデミックよ? インフルエンザの脅威は知っているでしょう? スペイン風邪なんか、世界中で死者五千万人を超えたのよ?」

 「病気と違って、死んだ奴らは動いて襲ってくるよ……?」

 「黒死病みたいに、感染すべき人間が居なくなっても、この拡大は止まらない、って事よね。――――あ、二十日位、放っておけば、腐るかもしれないかも」

 「不確かだな。医学では語れん。……何れにせよ、何時までも此処にいる訳には行くまい。家族の無事を確かめた後、何処に逃げ込むかが重要だ」




 『動く死体』を目にした時、何よりもその被害を拡大させる原因は、生きている人間に有る。

 第一に、今まで生きていた相手が、周囲と同じ様に亡者と成り、襲い掛かるという現実を認める事が出来るかどうか。
 第二に、知人・友人・家族・恋人――――誰でも良いが、兎に角、『この人だけは、きっと大丈夫だ』という、命を賭すには余りにも不確かな希望を、手放す事が出来るかどうか。
 第三に、動く彼らを相手に、容赦無く、躊躇わず、『自分の命の為に』彼らを廃し、全力で足掻く事が出来るかどうか。

 世間一般に置いて、其れが出来る人間は多く無い。大抵は何処かに、引っかかる。そして、その代償に自分の命を差し出し、より大きな被害を生み出す事に成る。

 仮に条件をクリアし、最初の被害からは逃れる事が出来たとして、其処から先を、生き延びる事が出来るとは、限らない。
 内部不協和。一時の気の迷いによる衝動的な行動。人情と非情の取り違え。常に推移する状況を捉えた的確な判断。多くの障害を越え、生き延びると言う確固たる意志を、保ち続けられるか。

 該当する者など、数えるほどだ。数百人に一人もいないだろう。それが当然なのだ。常に生き残る為に最適な判断を下せ、助けを求める息有る者を身捨て、冷静沈着に行動出来る者など、まず居ない。

 しかし、否、だからこそ――――か。

 それが実行できた時、その個体は大きな力を発揮する。
 全てに該当する人間は存在せずとも、その内の『幾つかの要素を持った人間』が集まれば、其れで形に成る。唯の無意味な集団が、集団以上の力を発揮出来るようになる。

 彼らは、まさにそんな集団だった。




 「好き勝手に行動しては生き延びれまい。チームを組むのだ。協力して、この学園から脱出する」

 「経路は? どうするの?」

 「駐車場に一番近いのは、正面玄関よ」

 「出来る限り、生き残りを拾っていこう」




 そして彼らは、動きだした。

 何よりも、この地獄から生き残る為に。




     ●




 (少し、は、マ、シ)

 自分の肉体の変化に伴って、『彼』の衣服は唯の布と化していた。羞恥心を持っていた『彼』は、既に店員が逃走し、荒らされた一軒のブティックから適当な服を身繕った。着るまでに四苦八苦し、途中で異形と化した店員に襲われたが、如何にか、衣服を身に付けた。

 丈夫で、頑丈そうで、体格に有った衣服を選んだ。血と共に床に散らばっていた雑誌のあるページに、ハリウッド映画の宣伝広告が挟まれており、其処には体格の良い俳優がスタイリッシュに銃を構える光景が有った。だから、其れを参考に身に付けた衣服が、まるで『彼』の異形を引き立てる様な格好になってしまったのは、仕方が無かったのかもしれない。

 (格好、良イ?)

 上半身を包む厚手の黒皮服に、複数のポケットが付いた厚手のズボン。登山や野戦に使えそうな固く重い靴。入りきらない両袖は爪と骨で破けている。まるでプロテクターで覆った様な格好だ。

 両腕は白と赤、紫の斑に変色し、嘗ての肌の美しさを見る事は出来ない。それなりに整っていた顔も、肌が消え、剥き出しの唇と傷跡で醜悪だ。白髪も返り血で赤く塗り替えられている。

 体格の良さを利用した、威圧感を兼ね備えた衣服。その衣服だけは“まとも”で、その中身が余りにも不釣り合いだった。

 否、ある意味では釣り合っていた。目の前の邪魔する者を拗ねて壊し、只管に一途に行動する――。
 まるで、暴君を形にした様な存在感を、示していたのだから。




 『彼』は、辛うじて歩く事には慣れた。慣れたと言うよりも、自分のかつての感覚と繋がったと言うべきだろう。幼い頃に大地に立っていた感覚を、もう一回、把握して、歩行能力を完成させた。

 無論、歩く事しか、今は出来ない。何かに乗る事は愚か。泳ぐ事も走る事も出来ない。

 (でも、……行け、ル)

 しかし、歩くだけでも、何も問題は無かった。

 『丘の、上の。……藤美、学園に……っ。私の、友達が、いるか、ら。――――彼女に、合いなさい』

 その言葉と写真を受け取り、かつて×××と呼ばれていた『彼』が、藤美学園に到達したのは、学校での騒動が始まってから、大凡、三時間程後の事だ。

 学園は丘の上に築かれていた。距離と相まって、学園敷地内への《奴ら》の侵入も、そして『彼』の到着も、市街地よりも遥かに遅かった。

 悲鳴と逃走に惹き付けられる亡者達を尻目に、市街地での被害拡大と混乱に紛れて『彼』は動いた。誰も『彼』に注目する事は無かった。そんな余裕を誰も持たず、逃げるか暴れるか、だけだったからだ。

 歩く事には、自分の肉体感覚の同調作用も合ったのだろう。坂を登る頃には既に重心が安定し、ぎこちなかった上半身の動きも随分と滑らかに成った。無論、その身体能力を引き出すには至らず、動かせるだけの状態だったが――それでも、嘗ての不自由な肉体は一新されていた。

 学園まで、病院から数キロの道程が有った。嘗てならば、百メートルを歩く事すら困難だった。しかし、最早『彼』は病院で寝たきりの患者では無い。淡々と足を進め、途中に塞がる障害を、まるで害虫のように駆除して、結果として汗一つ掻かずに『彼』は目的地に到達する。

 桜並木を抜けると、其処には優雅な佇まいの校舎が見えた。

 春と言う季節を感じさせる穏やかな風と、その中に混ざる血の匂いが不釣り合いだ。

 (……ここ、カ)

 誰かが閉めたのだろうか。それとも、元々開いていなかったのか。学園入口の格子は鎖されていた。洒落た紋様を鋼鉄製で描いた門の向こうには、学生服に身を包んだままの《奴ら》が犇めいている。

 逃げ出す事も出来ず、彼らの餌食に成った学生達の数は、百人や二百人では収まらない。校庭や校舎の中にも並んでいるのだろう。元々人が少なかった駐車場には、数が少ない。
 見える範囲では、この門から、玄関前まで、只管に亡者達が並んでいる。

 (で、も、……行ク)

 しかし、その程度の群れで『彼』の侵入を防げるはずが、なかった。




 『彼』は唯、自分に告げられた言葉を守る為に。
 その鉄門に対して、指をかけた。




     ●




 その音は、静かに行動していた彼らにも届いた。

 全員の動きが、一瞬停止する。

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 全員、者音に対して敏感になっていた。音さえ立てなければ、大抵の危険はやり過ごせる事を既に学んでいる。無言のまま、互いに目配せをした。一行の中心となって歩く六人では無い。そして、背後から付いてくる、途中で合流した生存者達でも無い。

 一向の先陣に立って歩いていた毒島冴子が、素早く周囲を見回した。行動中の面子が発した音では無い事を確認出来た以上、他の発生源が有るのは当たり前だ。
 しかし、廊下にも、近場の教室にも、音を生み出す原因は無い。この近辺から発せられた音では無かった事に、全員の緊張が和らぐ。直ぐに襲われる心配はなさそうだ。

 「……何、この音?」

 宮本麗が小声で発した疑問は、全員に共通していただろう。
 響いて来た音は、まるで金属を鳴らす様な、高く響き渡る音だった。

 「……何処から?」

 “だった”では無い。今も響き続けている。ガシャン、か。バキャン、か。耳障りな、高い音だ。硝子の割れる音では無い。むしろもっと固い、金属を打ち鳴らすか、銅板を捻り折る様な、音。屋上の金属網を揺らした時に。出るガチャガチャとした音が、重く、固くなった様な音だ。

 校庭や、校舎外にいた《奴ら》が音に反応している。だらりと首を向け、名状し難い呻き声と共に、足を引き摺って歩く姿が、眼下に見えている。

 「校門の方ね。――――此処からじゃ見えないわ」

 しかし、音の発生源は見えない。窓から様子を伺った高城沙耶が告げた。正門が建物の陰に隠れている。音の発生源を見るには、正面玄関まで出て様子を伺うしかないだろう。

 「生存者、でしょうか?」

 「……多分、違うわ」

 平野コータの疑問に、冷静に周囲を伺いながら、彼女は答える。

 「悲鳴も叫び声も聞こえないのに、音だけが響いている。……今、生きている人間ならば、こんな事はしない筈よ。だから多分、何か別の物だと思う。何かを契機に鉄格子に腕が絡まって、その衝撃で発生した音に《奴ら》が引き付けられての繰り返しが続いているとか」

 「……どっちにしろ、良い機会だ」

 高城の言葉が終わったと同時に、再度、剣士は言った。

 「《奴ら》が門の方を向いている今の内に逃げよう。校舎内さえ気を付ければ、多少の音を立てても発見され難い。……音が消えさえ、しなければな」

 逆に言えば、移動中に音が消えたら、其処からは速度の勝負だ。相手が此方に気が付き、追い付くよりも早く、その場を離れる必要が有る。校門は見えないが、駐車場は視界に入っている。見える範囲には《奴ら》の影はまばらだった。

 「行こう」

 全員を、小室孝が促した。
 それに同意して、全員が再度、静かに、しかし速度を若干上げて歩き始める。

 玄関は直ぐそこに迫っていた。






 この時、彼らが校門の前にいる相手を目視出来なかった事は幸いだった。

 甲高い、金属を響かせる音を生み出していた『モノ』を見れば、間違い無く、行動意欲が減っただろう。意識を焦らせ、余分な失敗を引き起こし、貴重な時間を無駄にしたに違いない。否、ひょっとしたら、この校舎から外に出る作戦すらも、立て直していたかもしれない。

 事実、別校舎から、彼らの脱出に便乗しようと画策していた『三年生のとあるグループ』は、門の前にいる相手を見て、時間を失った。彼らが得たのは恐怖と躊躇。そして、校舎の外に出る事への、戸惑いだったのだ。例え、他者に便乗した方が間違い無く命の危険は少ない事を理解していても尚、今にも内部に侵入しようとする怪物を見たと言う衝撃が、行動に“慎重さ”を生み出す事に成ったのである。




 明らかに周囲の倍はある巨体で、まるで支配するかのような格好だった。




 鋼鉄で編まれた校門に対して、獣の様な指を、格子に絡ませる。

 太い腕は、腕に縋りつく《奴ら》も、噛みつく牙も、リミッターの外れた怪力も、全てを意味が無いと言う様に、そのまま門へと剛力を込める。

 ゴボリ、と異常な音と共に、肩周りの筋肉が膨れ上がり、一層に膨張した格好になる。

 そして、一瞬の後。

 ガギャンッ! と言う金属音と共に、鉄格子が、“壊れた”。

 曲がるのでも、歪むのでもない。常識外れの力で、門を構成する鉄棒が、引き千切られた。

 自分の体を入れるだけの隙間を生み出す為にだろう。無理やり、門を構成する格子を、しかし確実に破壊していく。縦棒も横棒も、強制的に折られ、退かされる。幾本かは外れ、幾本かは耐え切れずに折れ、既に、小学生ならば通り抜けられそうな穴が生まれていた。

 一撃一撃で、容易く、簡単に。

 自分の周囲にいる亡者達を、紙かハリボテかと言う様に、完全に無視をしながら。

 まるで鋼鉄が、実が飴細工だったとでも以下のように、容易く門を破壊しながら。

 中に入ろうとする、怪物が、其処には居た。






 「……何だよ、アレ……」

 別校舎の別グループから遅れる事、数分後。

 「何なんだよ、アレは……っ!」

 玄関前にて、一行も、その光景を見ていた。
 喉から絞り出す様な、渇いた、引き攣った声で、そう叫んでいた。
 それは、この場にいる全員の代弁をしていたに違いない。



 校門の前に、怪物が居た。



 宮本麗は鉄棒を、高城沙耶と鞠川静香は鞄を、背後から来た一般生徒達は護身用の武器を、其々取り落とした。毒島冴子と平野コータですら、武器を取り落としこそしなかったが、同じ様に言葉を失っていた。

 毒島冴子を除いた女性陣は青ざめ、口元を押さえている。《奴ら》とは違った、別の怖さが有った。生理的な嫌悪感を引き起こす気味悪さと、生物的な気色の悪さ。他者を圧倒する存在感が有った。

 《奴ら》が周囲には居ない。各人の道具が落下した音も、門の前から響く音に比較すれば、小さい物だ。だから、困惑した声も、周囲の注目を集めるには不足だったのが、幸いと言えば幸いだろうか。

 ――――玄関を、無事に通れたと思ったら……っ!

 慎重に進み、玄関前の扉を開けた。外から響く金属音に、《奴ら》が全員引き付けられていたから、苦労は無かった。《奴ら》の誰もが外に向かった後、鍵を開け、扉を開き、全員で駐車場を目指して走る予定だった。



 しかし――――その目論見は、簡単に、頓挫した。



 いや、頓挫をしている訳ではない。実行までに時間が懸かっているだけだ。



 校門の前に。
 《奴ら》よりも遥かに、此方に威圧感と、恐怖を与える、まるで巨人の様な生物が、見えた。

 上半身と下半身に、まるで戦争に行くかのような服を纏い。
 二メートルを軽く超える巨体は、鋼の様な、変色した筋肉に包まれ。
 それ自体が武器にも成りそうな巨大な掌には、鋭い爪と、付き出た骨を有し。
 皮膚を失った顔の中に、瞳が爛々と光っていた。

 この絶望が始まってから初めて見る、《奴ら》以外の怪物に、全員の思考が麻痺をしていた。

 いや、《奴ら》はまだ、人間の形をしていた。けれど、怪物は違ったのだ。
 外見から既に、人間以外の何かに、成っていた。

 理性では動くべきだと理解出来るのに、肉体は動く事が出来なかった。
 逃げ出す絶好の機会である事すら、頭の中で固まってしまった。

 《奴ら》の様な、唯の怪物とは違う。明らかに、他とは一線を画す存在感と、行動力を有していた。

 ――――ガキャン! と、鉄の格子が、更に強引に、千切れる。

 その音と共に、ついに、正門には大きな穴が開いた。
 付き出た邪魔な鉄棒を握力で捻じ曲げ、怪物が通り抜けるのに丁度良い、入りやすい様な、歪な円穴が、出来た。

 そして。
 其処に至って。
 グシャッ――――と、目の前にいた一体を踏みつぶし、蹴り飛ばし、中に入った光景を見て。

 ようやく。
 ようやっと。

 あの怪物が、門を破って入り込んで来る事。
 そして恐らく、此方を見ているという事実を認識して。



 「――――――っ――全員! 走れ!」



 理性に、肉体が、追い付いた。



 「走るんだ! 早く! ――――走れ!」



 小室孝と、毒島冴子の声に、全員が我に返った。
 誰よりも早く駈け出したのは、声を上げた孝本人だった。




     ●




 バスに到達するまでの間に《奴ら》は居なかった。不幸中の幸いと言う奴だろう。あの怪物が、全てを引き付けていた。恐らく歩いても、容易く移動が出来たに違いない。

 怪物が門に穴を開けた事で、響いていた金属音は消えた。金属音が消え、静寂が戻った後に、小室君が叫んだ事で《奴ら》が反応を見せたが、全力で走る私達に追いつける程、足は速く無かった。

 それでも、全員が必死に走ったのは、あの異形が其れほどに、凄まじかったからだろう。

 嫌悪感を呼ぶ容貌。ホラー映画やパニック映画から抜け出して来た様な格好。そして、破壊と暴力の権化のような印象を持った巨漢。木刀で立ち向かうには無謀だ。私ですら出来れば逃げたい。

 先頭を彼に任せ、宮本君に鞠川校医を任せ、校舎から共に逃げ出した生徒達の殿に着く様に、私は場所を変える。走りながら速度を調節し、念の為に背後を見ながら、遅れないように。




 視界の中で、怪物が、学校の敷地内に入った。



 幸いにも、あの怪物と自分達の間には、百では効かない、嘗ての同級生達がいる。此方に間に合うとは思えない。それでも、足を緩める者はほとんどいなかったが。

 バスまでの距離は、精々が数百メートル。たかが数百だが、されど数百だ。私や職員室で出会ったメンバーは、まだ心の何処かに適応能力が有るが、一般生徒には地獄のように長い距離だったに違いない。

 「……っぐう!?」

 目の前を走っていた男子が倒れる。そのまま地面を滑り、足首を抑えて蹲る。突然に全力で走ったせいで、何処かを痛めたのだろう。自力で起き上がる気配が無い。感情が焦り過ぎたのだろう。

 「落ち付け! まだ《奴ら》との距離は有る! 立てるか?」

 素早く近寄って、助け起こす。苦痛に呻いているが、私の言葉で僅かに安心したのだろう。脂汗を流しながらも片足で立ちあがる。彼の前を走っていた女生徒が、「卓蔵!」と、名前を呼びながら駆けより、肩を貸して、支えながらバスへと向かっていく。

 如何やら大丈夫そうだ、と安心し、再度、背後を振り返る。




 そして、私は、その光景を見た。




 巨人が、《奴ら》を蹂躙していた。

 門から入った怪物が、《奴ら》に囲まれていた。まるで飢えた魚が、投げ入れられた巨大な餌に群がる様に、怪物に迫っていたのだ。無論、数が数だ。数百の内、五十程度は此方に迫っている。だが、残りの二百と数十が、あの怪物へと襲い掛かっていた。

 《奴ら》は、今迄と同じ様に、リミッターが外れた怪力でしがみ付き、相手を地面に引き倒し、噛みつこうとしていた。そう、“していた”のだ。しようと思って、出来ていなかった。大木を倒そうと奮戦する蟻にしか見えなかった。

 群がる《奴ら》の一体の頭を、掴み、其のまま引き剥がす。

 体重八十キロは有りそうな、体格の良い男子の体だった。それを、其のまま掴み上げ、右腕で軽々と持ち上げ、周囲にいる《奴ら》に、叩きつける。

 骨と肉がぶつかる音と共に、血と脳漿が噴き出すのが見えた。男子の体は二人の元女生徒を巻き込み、下に敷き潰した。男子の頭部は、握力で潰されている。

 それと並行して、周囲を振り払う様な左腕が、噛みついたままの一体ごと、宙を舞い、側面にいた幾人かを薙ぎ倒した。剥き出しの肌に傷は無く、噛みついていた一体は勢いに口が外れ、そのまま宙を飛んで地面に落下した。

 それはまるで、暴風雨に巻き込まれ、容易く宙を舞う人間を見ている様な、気分だった。

 災害と言う存在が具現化したら、きっとあんな怪物かもしれないと、場違いな事に考えてしまった。

 ゆっくりと、緩慢に、怪物が前に進む。

 周囲を取り囲む《奴ら》は、一種の防波堤の用ですらあった。それも、生きた欲望の防波堤だ。しかし、その防波堤を軽々と壊し、大災害の様に崩しながら、怪物は一歩、前に進む。

 重戦車を彷彿とさせる、機械仕掛けの兵器のように、目の前にいる《奴ら》を弾き飛ばし、前に。

 既に武器の一種と成っている鋭き爪と、異常発達した両腕で、周囲を握り潰し、引き裂き、前に。

 何者も、邪魔する者はいないとでも、示すかのように。

 自分に向かって殺到する、数十の亡者を、其のまま押し返した。

 唯、一歩、前に出る。それだけだ。そして、周囲に《奴ら》を取り囲まれていて、其れがどれ程に有り得ない事なのか。

 その小さな一歩は、群がる中の何体かに、限界以上の加重を与えた。怪物に向かう《奴ら》と、怪物が気にせず進む圧力に挟まれ、その身体を屈し、潰される者が続出する。

 その亡骸を踏みつぶし、巨人は前へと進む。

 まるで、何かを探すかのように。



 ――――アレは。



 その光景は、余りにも周囲と隔絶していた。脅威である筈の《奴ら》が、まるで雑兵にしか見えなかった。私も一対一ならば苦戦するとは言えないレベルに有るが、私とも、全く違う生物だった。

 《奴ら》と、あの怪物は、どんな関係なのか、其れは不明だ。明らかに他とは違う怪物で有る事しか分からない。だが、敷地内に入った怪物を見て、確信した事が有る。



 ――――アレは、強い。



 私が木刀で屠った《奴ら》とは、全く違う。根本的に違う。握る掌に汗が滲んだ。最も冷静でいる自覚と、同時、雑魚を屠る快楽を得ている私でも、渡り合う事は出来ないと確信していた。頭の中に有った高揚感に、氷柱が突き刺さった。

 アレは、まさに異形だ。怪物だ。決して弱者では無い。むしろ、破滅的に、圧倒的に、強い生命体だ。

 この世界の終末に相応しい、災厄を形にした様な、化物だった。

 「毒島先輩! 全員、乗りました! 早く!」

 その声で、現実に引き戻される。見れば、小室君が顔を見せている。
 バスの手前で止まっていた私が意識を引き戻すと、此方に向かって来る《奴ら》も、随分と近くなっていた。素早く目の前のタラップを上がり、扉を閉める。そのまま、一番手近な席に着く。

 「行きます!」

 既にエンジンは温まっている。
 鞠川校医の声と共に、踏みこまれたアクセルに、バスが急発進した。




     ●




 車体が加速する。回転数が上がった動力音に《奴ら》が惹かれている。だが、車の方が圧倒的に早い。進行方向を遮る学生だったモノの間を抜け、正門へと。

 正門から僅かに離れた位置に怪物が居る。このバスの音に惹かれた《奴ら》が、先程駐車していた周辺にいる。怪物と《奴ら》の隙間に上手く車体を入れれば、其のまま勢いで突っ走れるかもしれない。

 握ったハンドルが湿っぽい。緊張しているのだ。幾ら大人でも、医者として死体を見た経験が有っても、元々神経が太い方でも、この学園に赴任した時に幾つかの決意を持っていても。

 怖い物は、怖い。

 マニュアル車は不慣れだ。仕組みは理解していても、乗りなれたコペン程には扱えない。けれど、そんな泣き言を、言っていられない。今現在、この中で運転が出来るのは自分だけで、唯一の大人なのだ。戦力として役に立たない事は、鞠川静香は、誰よりも自分で承知している。

 「……人間じゃない」

 言い聞かせる。自分は大人で、教師だ。背後の生徒達を守る義務が有る。医者として死者を悼む以上に、生者を救う義務が有る。覚悟を決めなければ、誰も助からない。

 「もう、人間じゃ、ない!」

 叫んだ。誰かに悪態を付く様な叫び声だった。そのまま、駐車場周りにいた亡者を、撥ね飛ばす。まるでボーリングの玉がピンを転がす様に、人間の体を弾き飛ばす。

 その時。

 音に、怪物が、動いた。音に反応したのか? それとも、バスに興味を持ったのか? それは不明だ。けれど、確かに怪物はバスの方向を見た。バスと、その中にいる人間達を観察しようとした。まだ距離が有る中で、確かにその視界が、此方を向いたのだ。

 そして。



 ――      ォ――――



 怪物が、“咆えた”。
 まるで怪獣か、野生の獣か。自分が目的の物を見つけた時の、雄叫びを、上げた。
 バスの中に有っても、乗客達に、何かを見た様に。



 ――ミ   k   ――――



 それが、人間の言葉に聞こえたのは、きっと錯覚に違いない。人間の声量では無く、出せる音域では無く、何よりも人間には持ち得ない質量を感じさせる咆哮だったのだから。

 そして、怪物は、前に出る。

 獲物に向かって一直線に進む獣の様に、先程までは緩慢に動いていただけだった筈の動きが、途端に変わる。亡者達を振り払い、速度は余り変化が無いが、まるで目的を持ったかのように、前にと進んだ。
 《奴ら》が獲物に群がる様な、しかし遥かに野性的な動きで、標的へと進むように。

 何処か? 何を見たのか? それは、運転席にいた彼女だったからこそ悟れた。怪物が足を向けたのは、このバスの進行方向。正門へと至る道路の真ん中。そして、捉えた獲物は。


 ――――自分だ。




 その巨人は。
 窓越しに、自分を見て。
 確かに、視線を交差させて、笑った。




 「~~~~!!」

 その瞬間、頭の中に有ったのは、何よりも恐怖だ。しかし、このまま突撃する恐怖では無い。撥ねる事よりも、目の前にいる怪物に対する恐怖感が、勝った。

 だから、足を、より強く踏み込んだ。

 急激な加速に車体が揺れる。それを驚異的なハンドル捌きで受け流し、緩慢に此方に向かって歩く怪物に対して、一直線に向かっていく。背後で生徒達が息を呑んでいる。
 容赦など無い。自分が見上げる程の巨体で、常軌を逸脱した怪物が、まるで悪魔の様に、得物を捉えたかのように、唇の無い口で、歯をむき出しに、嗤いかけられた。その恐ろしさに比較すれば。

 「――――そこ、を――――ッ!」

 《奴ら》は既に人間では無い。人間の形をした動く怪物だ。けれど、視界の前、門に至る道の、進行方向に立ち塞がる暴君は“それ以上”の存在だ。心に言い聞かせる暇も無く、其れを悟った。だから。

 「退きな、さ――――、い――――……ッ!」



 そのまま、巨人を撥ね飛ばした。



 ドン! という鈍い音と共に、巨体が宙を舞う。

 幾ら相手が大きくとも、加速したバスの直撃だ。巨体は一直線に宙を飛んだ。自分が開けた門の穴のすぐ傍に背中から激突する。そして其のまま、ズルズルと重力に惹かれて落下し、依り懸かる様に両足を“地面に着く”。

 一瞬、その状況が分からなかった。けれど、視界の中。再度、両足で動く相手を見て理解する。
 倒れてすらいない。そう、着地をしたのだ。まるで門で衝撃を受け止めたかのように。撥ねられ、背中から門にぶつかったにも拘らず、そして門に大きな凹みが生まれているにも関わらず、撥ね飛ばされた怪物に、大きなダメージが無い事に、戦慄した。それは自分だけでは無いだろう。

 「ちょ、嘘、でしょう!?」

 状況把握に努めていた高城沙耶が叫ぶ。自分だって叫びたい。けれど、そんな余裕は無かった。ギリ、と歯を噛み締め、震える体に激励を発して、そのまま、更に加速する。相手が生きていようが死んでいようが、最早、自分達の逃走経路は、目の前の門しか無い。止まれば終わった。唯一の逃走経路が、其処だった。

 「――――――――!!」

 再度の追突まで、二秒も無かった。傍から見ていれば、バスが巨人を吹き飛ばし、其のまま門に挟みこむように突撃した光景しか見えなかっただろう。乗っていたからこそ、相手の状態が見えた光景だった。

 ダン! ダガッ! ドガッ! と、断続して、校門前にいた、嘗ての人間達を撥ね飛ばす。吹き飛ばす程に加速しなければ、何れ相手を踏みつけて横転だ。それは終わりを意味している。だから勢いを殺さない。一切の速度を緩めず、一直線に、門へと突き進む。

 まるで砲弾の様に駆けるバスは。

 「――――――!!」

 そのまま、門と怪物に、突貫した。






 法定速度を大幅に無視して加速したバスは、既に疲労を蓄積させていた門を、撓ませ、鍵を破壊し、幾本かの格子を叩き割り、そして強引に叩き開けた。
 弾かれた様に開いた門は、其のまま、車体を僅かに空中に浮かせ、敷地外へと放り出す。

 門とバスに挟まれた巨人の体が、フロント一面に映った。
 人間からは懸け離れた容貌の巨体と、肌を失ったオゾマシイ容貌と、付き出た骨や歯や筋肉や、頭部に残った白髪と、まるで悪鬼の如き眼光が、画面一杯に広がった。誰かが息を呑む。誰かが悲鳴を上げる。運転手だって同じ反応をしたかった。する暇が無かっただけだ。

 視界を席巻した異形は、一瞬の後に、離れて行く。

 門を抉じ開けたバスの勢いに、其のまま体を慣性で飛ばされ、道路へと落下する。しかし、其れを見る余裕は無い。着地に僅かに車体が揺らぐ。傾き、側面の車輪が浮く。
 だが、倒れる事は、なかった。

 制動とタイヤの向きを絶妙に操作し、そのまま車体を横滑りさせ、今吹き飛ばした巨人の目の前で、九十度の方向転換をする。路面と擦れたタイヤの音。懸かる遠心力で何人かが椅子から投げ出される。
 それでも、車体は倒れなかった。

 後輪を地面に付け、側面からの勢いを殺し、受け止め、直線運動に転化して、一気に坂を下る。




 バスと、その乗客達は、親しんだ学園から。
 そして、何故か自分達を捉えた、怪物からの逃走に成功したのである。




     ●




 それから、数分の後。



 大の字に成って転がる『彼』の指が、ピクリ、と動いた。ほぼ同時に、唸り声の様な呼吸の音が戻る。

 『彼』は、地面に転がっている。けれど、勿論、死んではいなかった。体に襲った衝撃。そして揺れた意識を回復させるまで、多少の時間を必要としていただけだ。バスに二回も撥ねられたのだが、その影響は、全く見えない。
 異常なほどに頑丈で、現実離れした、身体能力だった。

 (……いた、い)

 痛覚は死んでいない。ただ、非常に鈍くなっている。修復能力も凄まじい。何本か骨が折れ、多少の血も出たようだが、寝転んでいた五分十分で、その怪我は完治していた。驚異的なまでの生命活動だった。
 むくり、と上半身を起こす。腹筋だけの動きだったが、容易くやってのける。《奴ら》には決して不可能な動きだった。

 顔面からバスに追突したせいだろうか。来た服が汚れてしまった。しかし、破けていない。着続けても問題は無い。丈夫そうな服を選んで来た甲斐が有った。

 (……い、た)

 痛いのではない。確かに、居た。見つけた。学園の中にいると言う、写真に映った女性を発見した。小型のバスを運転していた彼女は、間違い無く、語られた友人であり、鞠川静香と言う女性だった。
 《奴ら》から逃げる途中で、自分には気が付けず、そしてバスを止める事も出来なかったようだが、其れでも、自分の存在は見えただろう。自分が彼女を発見し、硝子越しに確認した様に。

 バスは、桜並木を抜け、坂を下り、既に消えていた。しかし、追跡は、可能だ。

 (追いかけ、よう)

 両足は動く。立ちふさがる障害は、簡単に壊せる。何も心配は無いし、支障は無い。
 『彼』は、立ち上がり、再度自分に群がり始めた亡者を無視して、歩き始める。

 幼い『彼』の頭の中に有るのは、相手を追うと言う、ただ其れだけだった。




 無人の荒野を行くが如くの歩みが、既に人間で無い事を、『彼』が知る筈も無い。


















 ファーストコンタクトは、バスに轢かれました。

 さり気無く、モブの死亡フラグをぶち折った主人公。恋人と一緒に食われたタオルの彼とかね。
 まあ、主人公の今回一番の功績は、結果として紫藤グループを、バスに同乗させ無かった事です。でも、これで死んでくれる様な人では無いので。……ま、その内に、出てきます。あの人は。

 ではまた次回。


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