「治す……ってどうやって」 カトレアの病を治す。 それはラ・ヴァリエール公爵家の悲願である。 その悲願成就を仄めかしたウード・ド・シャンリットを前に、血臭溢れる戦場で、カリーヌとルイズの“ハルケギニア最強(暫定)母娘”は、固まっていた。 普通なら、即座に否定しただろう。こういった詐欺師のたぐいは、幾百と相手にしてきているから。 カトレアの病は、もう十数年も治療を続けてきて、水系統の優れた使い手であるラ・ヴァリエール公爵にすら、原因の一端も分からないのだ。 だが、それは、言い出した相手が普通のメイジならばの話だ。 言い出したのは、あの悪名高き叡智の蜘蛛――千年教師長ウード・ド・シャンリット。決して普通の相手ではない。 否定するには、分が悪く、そして希望を捨て切れない相手だ。ハルケギニア一番の学者集団の長にまで、“打つ手無し”と言われてしまえば、一体何を希望に生きてゆけばいいというのか。 実際、公爵家の内部でも、昨今はカトレアの病について、クルデンホルフに渡りをつけてシャンリットの先端技術を頼るべきだという者が増えていた。 しかし嫌な予感がする。 蜘蛛の頭領が、まともな解決策など提示するはず無いのだ。 奴は、倫理を遥か彼方に置き去りにしてきた狂科学者集団の首領なのだから。 カリーヌの魔力によって吹き荒れていた大嵐は、既に凪いでいる。 雲の切れ間から、陽の光が何条も降りてきている。 嵐の後の不気味な静寂を、ウードの言葉が切り裂く。「え。そりゃ、手っ取り早く、ミ=ゴの技術で脳みそ缶詰にして――」「「却下ー!!」」◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 外伝.10 ヴァリエール家の人々(3)◆◇◆ 「えーー?」「『えー?』じゃないわよ!! “心底理解不能なんですけど?”みたいに首傾げんな!」「心底理解不能なんですけどー?」「何? 何なの? 巫山戯てるの!?」「至極真面目なわけだが」「きぃー!!」 ルイズが杖を折らんばかりに憤慨する。カリーヌは、ミ=ゴについては分かっていない様子だが、“脳みそ缶詰”のフレーズだけでお腹いっぱいである。 一方の蜘蛛男は、何が悪いのか分かっていない様子。 首を傾げる蜘蛛男の足元で、シャンリットから出てきた戦死者回収用のゴブリンたちが跳梁跋扈している。着々と屍体の山が減っていく。屍体たちは、脳髄を吸い出され、その戦闘記録を次世代へと還元させられるのだろう。「何だ何だ。そんなに不満か? 何か減るわけでは無し」「減るわよ! ゴリゴリ減るわよ! 脳缶なんて、ちぃ姉さまの正気がもたないわ!」「ふむ。そうかね? 君の姉だから案外平気だと思うのだがね」「アンタ私を何だと思ってるの」「最終鬼畜兵器『虚無』。まあそこまで言うなら、他に手段もあるが……」 ぱん。 と、ウードが一仕切りというばかりに手を叩く。「まあ、いい。適当に場がおちゃらけた所で、交渉と行こう。詳しくは交渉の席でだ。――待ち人も到着したようだしな」「なっ!?」「きゃぁっ!?」 ぐるりと、景色が入れ替わる。 血の錆びた戦場の景色から、白銀の何処かを通り抜けて、赤絨毯の会議室へ。「っ……。ここは……?」「何、都市内の適当な会議室だよ」 もし元からこの会議室にいた者が居れば、三人が天井に開いた白銀のゲートから、急に落ちてきたように見えただろう。 ウードとゴブリンが使った『念力』によって、<ゲートの鏡>に放り込まれて移動させられたのだ。 小さな円卓に、ウードとカリーヌ、ルイズは座らされていた。 彼女らの服や肌は、いつの間にかこの赤絨毯の小会議室に相応しい、淑女然としたものに変わっていた。 ゲートを通る間に、ウードかゴブリンが『錬金』で肌や髪を清め、服を変形させたのだろう。 その彼女らの視線が、一点に集まる。「――あ」 「――と」「……」「そうそう、私も反省しているのだよ。ルイズ嬢を連れ出すにしても、手続きが不足していた、とね。 シャンリット流に本人の諒解さえ取れば良いと思っていたのだが、そういえば貴族社会では、そういう訳には行かないんだったと、ね。 何しろもう何百年か、そういう上流社会の政は部下に任せっきりにして、私は離れていたから、すっかり忘れていてね」 いやいや申し訳なかったと、全く申し訳なく無さそうに告げるウード。絶対嘘だ。 その正面には、4人目の人物。 その金髪の壮年である“彼”を見て、カリーヌとルイズは、口を半開きにして動きを止めてしまっている。 見事なブロンドの髪と口髭、そして左眼にはモノクルを掛けた、貴族の男が視線の先には居た。「こういうことは、当然家長の決定を経なくてはならない話だと、そんな事、思い寄らなかったのだ。許してくれると嬉しいのだが、なあ、ラ・ヴァリエール公爵?」「……そうだな、以後気をつけてくれたまえ。シャンリット一代子爵、“黒糸”のウード」「おや、随分懐かしくてかび臭い肩書きを知っているね。しかし、その肩書きはもはや意味を成さないよ。私は既にトリステイン貴族ではないのだから」「言われなくても分かっておる。いつもの遣り取りではないか、蜘蛛の教師長」「ん、そうだったかな?」「そうだ。毎度の遣り取りだ。長生してボケたか」 4人目の人物。 それは、トリステイン王国の重鎮、ラ・ヴァリエール公爵その人であった。 カリーヌが飛び出していった直後に、ラ・ヴァリエール公爵には外交チャンネルを通じて、シャンリットからの呼びかけ(“おたくの『烈風』が攻めてきたんだけど、宣戦布告と取って宜しいか?”)があったため、急いでシャンリットまで駆けつけてきたのであった。 その割に何故か公爵は、割りと千年教師長と親しそうであった。◆◇◆「あ、あなた」「カリーヌ。お前らしくもない。無断越境、無断戦闘……“鉄の規律”はどうした。まるで昔に戻ったかのようだ」「それは――」「まあ、娘を想って飛び出していく、それはそれで、可愛らしくて良いが」 のろけか。 顔をほんのり紅潮させて見つめ合う、中年夫婦。 末娘は置いてけぼりな感が否めない。「それに、私とて、ルイズが居なくなったと聞いたときには、一軍率いて探そうと思ったくらいだ」「父さま……」 「あなた……」「いわんや、風の“遠聴”で割り出した居場所がシャンリットともなれば、カリーヌが焦って突撃するのもわからんではない。何せ、シャンリットだからな」「くふふ。ひどい言い草だね。公爵殿?」「間違ったことを言ったかね? 教師長」「いや何も。君は正しい」 さっきから気になるのは、公爵と教師長がやけに親しげに見えることだろうか。 水のスクウェアである公爵に限って有り得ないとは思うが、魔法か何かの外法で洗脳されたのではないかとすら思える。 本当に、目の前の公爵は、ラ・ヴァリエール公爵本人なのだろうか。偽物の可能性は?「随分仲が宜しいようですけれど、一体、どういう経緯で?」「あー。まあ、昔にちょっと、な」「口を濁すのは良くないな、公爵閣下。まあ、簡単に言うと彼がダメ人間だった頃に、少ぅしばかりお金を融通してあげたことがあるのですよ」「ちょ」 言いにくそうにするラ・ヴァリエール公爵に代わって、ウードが答える。 慌てて公爵が止めるが、もう遅い。「父さま、ダメ人間?」「ぐはっ」 おおっと、つうこんのいちげき。 ルイズが小首を傾げながらラ・ヴァリエール公爵に問うと、公爵が思わず崩れ落ちそうになる。 久々に会った愛娘からの無垢な口撃は、随分堪えたようだ。「なるほど」 一方のカリーヌは、得心がいったようだ。 家長としての威厳を砕かれそうで、精神的に瀕死となったラ・ヴァリエール公爵を尻目に、ウードはしゃべり続ける。「我々シャンリットの眷属は、常に、いろんな貴族に対して恩を売る機会を虎視眈々と伺っているのだ。若き日の公爵――灰かぶりの騎士(サンドリオン)は、それに引っ掛かったというわけさ」「な、る、ほ、ど。毎日飲み歩くお金が何処から出ていたのかあの頃は不思議に思っていたのですが、そういう事だったわけですね」「い、今は、そんな事はないぞ。ラ・ヴァリエールがシャンリットから借りているモノは、何も無いぞ」「ええその通り。公爵閣下の卓越した領地経営と政治的手腕によって、ラ・ヴァリエール公爵家への、シャンリットやクルデンホルフ大公国からの貸付はありません。先祖代々の借金も、全て返して頂きました」 慌ててラ・ヴァリエール公爵が、公爵夫人カリーヌに弁明する。 ジト目で公爵を睨むカリーヌを宥めるように、ウードが補足する。 和やかそうな談話の雰囲気に、ルイズは戸惑う。さっきまで、命のやり取りをしていたはずではなかったか?「貸し借り無しと言いたいところですが――ま、それは今からの交渉次第なのですね。何せ、こっちは10万の兵を虐殺されていますから」「……っ」 ウードの一言を皮切りにして、再び場の空気が凍結する。 戦争の第二幕が、切って落とされた。◆◇◆ 本当はこのような交渉は苦手なのだが、と前置きして、ウードは語る。 こういったことは、専門の知識を先天的に植えつけられた部下に任せてきたのだ。 彼が、部下の描いたシナリオ無しにアドリブで交渉の場に立つのは、本当に何百年か振りであった。「こちらからの要求は、そこのルイズ・フランソワーズの身柄を、シャンリットに正式に預けてもらうこと。 それによって、この度の不幸な行き違いは、お互いに無かった事にしましょう。 カトレア嬢の治療もオマケに付けましょう。如何です?」 だが、特に気負うこともなく、ウードは要求を口にする。 気ままに喋っても許されるだけの、絶対的な差が、クルデンホルフ首都シャンリットと、トリステインのラ・ヴァリエール公爵領との間には存在する。 現に、最高戦力たる『烈風』すら通用しなかったではないか。千二百年の間ずっと一つの意思のもとに練磨を続け、蒐集し蓄積してきた蜘蛛には、人の身で抗するには分が悪過ぎる。 敗北は決して恥ではない。 実質的に、ウードの提案を断ることは、公爵にはほぼ不可能である。 それでも、公爵は思案げにし、疑問を口にする。「ふむ……そう、そこだ。何故、貴様はそこまでルイズに執着する? そこが疑問でたまらない」「それは本人に訊くのが一番でしょう。ねえ、ルイズ・フランソワーズ?」「……」 公爵はルイズに向き直る。「おお、私の可愛いルイズや。どうか、父に教えてはくれないか。一体、お前の魔法に、どんな秘密があるのだ? シャンリットではなく、ラ・ヴァリエールで学ぶのでは、いけないのか?」 私たちは、ルイズが魔法を使えずとも、責めたりはしないというのに。 ――ほんとうに?「私は。私が、もう、耐えられないのです。父さま、母さま」「何?」「限界なのです……。魔法の使えぬ娘と誹られるのは」 彼女は涙ながらに語る。「私のせいで」「私が魔法を使えぬせいで」「私だけでなく、一族郎党が侮られます」「欠陥品だと」「不良品だと」「出来損ないだと」「もう嫌です」「もう嫌です」「もう嫌です」「愛されているのは、知っています」「私も、愛しています」「父さま、母さま、エレオノール姉さま、ちぃ姉さま」「みんなみんな、私は、愛しています」「でも」「それでも」「いいえ、だからこそ」「私は貴族になりたかった」「自分を誇れるように」「皆が誇れるように」「誇りのために」「尊厳のために」「愛されるに、値するように」「だから」「そう。だから」「そのための、シャンリット」「信じてもらえないかも知れないけれど」「私の系統は、虚無」「第零系統」「失われた伝説」「そして、虚無を学べるのは」「私の魔法を確実に手に入れられるのは」「とても忌々しいことに、この邪神塗れの背教の地――いずれ消毒されるべき邪悪の坩堝――」「――シャンリットにおいてのみ」 切実な決意を胸に、泣き崩れ無いように必死に堪えながら、ルイズは語った。 虎穴に入らずんば虎子を得ず。 どんな邪悪の顎が口を開けていようとも、ルイズにとって、シャンリットで学ばないという選択肢は、既に無いのだった。 悲痛な沈黙。 公爵も公爵夫人も、末娘が、齢8にして、ここまでの思いを――歪んだ闇を抱えているとは、想像だにしなかった。 何が彼女(ルイズ)をここまで追い詰めたのか。夫妻は自責の念に囚われる。 暗い顔をする父母に、ルイズは儚く笑いかける。「父さま、母さま。気にしないで。これは誰のせいでもないの」「そうだな。誰のせいでもない」 その言葉を、ウードが引き継ぐ。「敢えて言うなら、虚無の覚醒に七面倒な条件付けやがったブリミル某――いや、伝承を失伝・独占したロマリアの連中を恨むが良い。個人的には、初期ブリミル教の礎を築いた墓守フォルサテが最大戦犯なんじゃないかと疑ってるがね」「……ウード・ド・シャンリット、ルイズが虚無だというのは、本当なのか?」「本当だ。じゃなきゃ拉致同然に学術都市に勧誘したりするか」「いや、拉致同然じゃなくて、拉致だ、紛れも無く。反省しろ」「反省したから、今度は公爵にきちんと外交チャンネル通じて呼びかけたんじゃないか」「完全に事後承諾だがな。それにアレは呼び掛けではなくて、恫喝というのだ」 皮肉の応酬をするウードと公爵。「はあ。公爵も、そんなに疑うなら、『烈風』殿にも確認すると良い。彼女も、先ほどルイズ嬢の力の一端を目の当たりにしたのだから」「……確かに、あれは中々強烈な魔法でしたね」 つい先程の、空中を埋め尽くす無色の『爆発』を回想しながら、カリーヌが呟く。「まあ、火の系統でも似たようなことは出来そうですが」「そりゃ『烈風』殿並の才能と修練を積んだ火メイジが居ればな」「ならばルイズは火の系統という可能性も――」「たった数日の座学で、10にもなってない幼子が、歴戦の『烈風』と同じ位置まで登れると? “魔法”の業とは、そこまで甘いもんではあるまい」「……そうですね」「ならば、それを覆す『反則』があるのさ。――それが『虚無』だ」 反論するカリーヌを、ウードが説得する。 ルイズもそれに乗じる。 シャンリットで学ばなくては、ルイズの魔法は身につかないから。「父さま、母さま。お願いです。シャンリットに留学させてください!」「彼女を留学させてくれたら、今回の『烈風襲来事件』は、あくまで私の胸のうちにとどめておこう。これを口実にトリステインに攻め入って滅ぼしたりはしないと誓おう。ついでにカトレア嬢の病も治そう」 頭を下げるルイズと、それを補足するウード。「ふむ。良いだろう」「あなた!?」 あっさり承諾した公爵に、カリーヌが混乱する。「こんな得体の知れない蜘蛛の所に娘を預けるだなんて、正気ですか!?」「ルイズ本人が承知しているのだ。それに、これほどの好条件も中々あるまい。本来であれば、10万の兵卒の仇討ちに、ラ・ヴァリエールを攻められても文句も言えないところだ」「た、確かにそうですが……」 領土と領民があってこその貴族だ。 それを護るために、娘を人質に差し出すことくらいの条件は、いくら親馬鹿な彼とはいえ、呑み込める。 その程度には、公爵は貴族であった。「カトレアの病も、正直私たちではお手上げだったところだ。カリーヌ、お前も、カトレアがこれ以上苦しむところは見たくあるまい」「ええ……そう、ですね」「カトレアの病と、ルイズの魔法。両方の難題が片付くなら、それに越したことはあるまい」 公爵がカリーヌを諭す。「じゃあ、父さま!」「ああ。お前の好きなだけ学んで来なさい、ルイズ。出来れば毎日――少なくとも週に一度は連絡を寄越すのだぞ?」「ええ、勿論ですわ!」 目を輝かせるルイズ。 公爵は、嬉しいような、誇らしいような、困ったような、寂しいような、複雑な表情をしている。 一足早い親離れに、公爵の心中は複雑だろう。「千年教師長、もちろん、お互いの連絡のための手段は頂けるのであろうな?」「勿論だよ、公爵。その程度はサーヴィスで付けようじゃないか。サーヴィスで」「ならば良い。では、次はカトレアの件だな」 割とすんなり話が進む。 カリーヌも、家長の決定ならばということで、これ以上口を挟む気は無さそうだ。 ルイズも同様。……ちょっと落ち着きがないのは、早く虚無の指南書の続きを読みたいからか。早くも知識の魅力に取り憑かれてしまったようだ。「どうするもこうするも、取り敢えずシャンリットまで連れてきて貰うしかあるまい」「やはりそうか」「そりゃそうだ。診察しないことには、始まらん。 一週間後くらいに、ラ・ヴァリエールに<ゲートの鏡>を開いてやるから、それを通じて来ればいい。 そうすれば、カトレア嬢の身体にも、移動の際の負荷はかかるまい。だが、同行人数などは条件を付けさせてもらう。ゲートを繋ぎ続けるのも結構、大変なんでね」 実際は、ゲートをそのままラ・ヴァリエールとシャンリットの間で繋いでおくことも可能だ。 だが、ウードは敢えてそのような方法は取らない。 折角、虚無の娘を育成する機会が来たのだ。邪魔は入らないようにしておきたい。ラ・ヴァリエールからの直通の経路を残すだなんて、論外であった。「ゲートを通り抜けてこられるのは、カトレア嬢と、あと一人だけにしよう。合計二人だ。それだけ通せば、ゲートは消滅する」「付き添いが一人では、少ないだろう」「かといって大名行列させる訳には行かないな、ここはトリステインではなく、クルデンホルフのシャンリットなのだから。 それに場合によっては、治療にあたってシャンリットの秘奥とされる術式を用いるかも知れぬ。そういった場合、目撃者は少ない方が良い。だから、本人合わせて二人だけ寄越せ。看護師はウチの者にやらせることになるが、そこは信用しろ。 お付きの一人は、公爵の信頼できる者で、かつカトレア嬢の不安を和らげられる者を付けて欲しいな」「私自身が付き添いになるのは?」「場合によっては年頃の娘の下の世話までしてもらうのだぞ? 公爵自身が付き添うのは、避けた方が良いだろう」 デリケートな年頃の娘の付き添いに、父親というのは不適当だろう。「では私が」「公爵夫人は駄目だ。街中で癇癪起こされては堪らない。いくらシャンリットでも、内側から崩されれば、多少の被害は出る」「そんなことは致しません」「どうだか。つい先程の屍山血河を思い出したまえ。前科持ちは、ご遠慮願おう」「むむむ……」 ならば私が、と立候補するカリーヌを、ウードは拒否。 確かに先ほどのカリンちゃん無双を考えれば、ウードの懸念はもっともだ。人間台風(ヒューマノイド・タイフーン)なんか、誰が自分の街に入れるものか。 渋々、カリーヌは引き下がる。それなりに反省しているらしい。それ以上に、アレだけ虐殺の限りを尽くして、表面上は平然としているように見えるのは大したものだ。「であれば、姉のエレオノールを付けよう」「……確かに、一番信用できる人間で、カトレアの身の回りの世話もできて、しかも私たち夫婦以外となれば、残りはエレオノールしか選択肢がないですわね」「エレオノールもルイズに会いたがっていたしな。ラ・ヴァリエールを出るのも、エレオノールの良い経験となるだろう。……シャンリットは、劇薬すぎる気がしないでもないが」 という訳で、カトレアの付き添いには、エレオノールが来ることに決まった。 その決定を聞いて、ルイズは微妙な顔をしていた。 優しい次姉は大好きだが、厳しい長姉はちょっと苦手なのだ。 ◆◇◆ 約定の一週間後。 ゲートをくぐり抜けて、二人の美少女がシャンリットの地にやって来た。 言わずと知れた、ラ・ヴァリエールが美人三姉妹の長女エレオノールと、次女カトレアである。「へえ。便利なものね。<ゲートの鏡>って。アカデミーとラ・ヴァリエールの直通経路でも作ってもらえないかしら」【お金を払えば、作ってもらえるそうですが】「へえ。物知りね、トゥルーカス」 長いブロンドの髪と、『烈風』譲りのきりりとした勝気な美しい顔は、長姉のエレオノール(19歳)だ。 肩にはフクロウを乗せている。それは母の使い魔であるトゥルーカスだ。人語を解す賢い使い魔である。使い魔はゲート通過の人数にはカウントされないので、カリーヌがお目付け役として同行させたのだ。 エレオノールは、つい先日魔法学院を卒業し、トリステインの魔法研究所(アカデミー)に研究員として就職したばかりである。 彼女の表情は、少し強張っている。 無理もない。 これから先は、敵地なのだ。 愛する妹カトレアの不安を紛らわせ、父母に代わり姉として、家族として、カトレアを守らねばならないのだ。 決意も新たに、エレオノールは、傍らで魔法機械に乗ってふよふよと浮かぶカトレアを見る。「ここが、シャンリット……。不思議な場所……。明るいのに、こんなに光に溢れているのに――仄暗い」 シャンリットから貸与された魔法機械――浮遊椅子と言うらしい――に乗った、カトレアは、周囲を見回して不安気にしている。 この浮遊椅子は、内蔵された小型風石機関によって地上20サント程に浮かんでおり、搭乗者の意志によってゆらゆらと自在に動くのだ。 これならば、カトレアの体力を消耗すること無く、自由に都市内を移動できる。「エレオノール姉さま! ちい姉さま!」「「ルイズ!」」 そんな二人のもとに、パタパタと駆け寄る少女が一人。 ラ・ヴァリエール三姉妹の末妹、ルイズ・フランソワーズである。 久方ぶりに会った末妹を、エレオノールは抱きしめる。 カトレアも、浮遊椅子を降りて、ルイズを抱きしめる。 感動の姉妹再会である。「ちびルイズ! 急に居なくなるから心配したのよ?」「ごめんなさい、姉さま」「そうよ。私も心配したんだから」 カトレアがルイズを抱きしめて撫でる。 ルイズは、温かい家族の絆に思わず涙が出そうになるが、この魔境シャンリットで学ぶ決意は揺らがない。領地(うち)には、帰れない。 虚無のこと、そしてこの世界のことを知るにつけ、彼女の中では途轍もない使命感が大きく膨らんでいた。 特異な才能を持った技術者には、それに応じた追うべき責任というものが――業(カルマ)というものがあるのだ。 すなわち、邪悪を滅するという、使命が。「それで。家出の効果はあったんでしょうね? 魔法は使えるようになったの?」「勿論ですわ! 『幻影(イリュージョン)』」 もろもろの経緯を知っているだけに、さすがのエレオノールもルイズに対して強くは出れない。 ルイズがそこまで『魔法』に対して思いつめていたのは、厳しく当たっていた自分のせいでもあると思っているからだ。 でも、元気そうな――領地に居る時よりも格段に朗らかになったルイズを見て、安心する。同時に少し寂しくもあったが。 ルイズは姉に見てもらおうと、爆発以外の魔法を行使する。『爆発』では、今までの失敗魔法とエフェクトが変わらないから、本当に魔法を身につけたのか進歩が分からないだろうと思ったからだ。 使うのは、虚無の『幻影』。 それは使用者の望む通りの景色を映し出す。 とはいえ、ルイズも浮かれていたのだろう。 焦ってイメージも曖昧なままに唱えた魔法は、直近の最も印象的な風景を再現する。 ――再現してしまった。「ひっ、きゃああ!?」 「ふぅっ……」「エレオノール姉さま!? ちい姉さま!?」 『幻影』が効果を表すのと同時にエレオノールが叫びを上げ、カトレアが気を遠くにやってしまう。 それほどまでに、鮮烈で、衝撃的な光景であった。 『幻影』のミニチュアとはいえ。 ――『烈風』による10万虐殺の光景は。 小さな幻影の中で『烈風』が吹き荒れ、黒雲から白雷が地面を舐めるように駆け、鋭利な氷柱が雹のように降り注ぐ。 流血が地面を赤く染め、矮人たちが木の葉のように竜巻に舞い上げられて踊り、千切れ、潰れていく。 矮人たちの抵抗もない訳ではない。巨大な炎の蛇が現れたり、局所的に風を打ち消したりしているようだ。だがしかし、そんな抵抗など、鎧袖一触。『烈風』は全てを薙ぎ倒す。 正視に耐えない、虐殺の光景。「ああ、しまった! つい――」 流石にあの屍山血河は、ルイズの心に深いトラウマを残していたようだ。 そのせいで、『幻影』の魔法で再現してしまったのだろう。抱え込むよりは、吐き出してしまったほうが良いのだから、これはこれで正解であろう。 ただ、『幻影』の屍山血河は、彼女の姉たちにもトラウマを刻んだ。 “やっぱり、母さまは、怖い”と。◆◇◆ 次にカトレアが目覚めた時、そこは見慣れぬ白い部屋であった。 清潔な寝具に包まれ、自分はベッドに寝かされていたようだ、とカトレアは現状を認識する。 ベッドの横には、浮遊椅子が、所在無さ気に浮いている。主人をある程度追尾して来る親切機能が内蔵されているため、待機状態で浮遊しているのだ。「えーと、ここは、どこかしら?」「シャンリットよ、カトレア。貴女はルイズの魔法を見て気絶したの」 声に引かれて窓際を見れば、そこには、しょりしょりと林檎を剥くエレオノールの姿が。 窓の桟では、トゥルーカスが眼を閉じてまどろんでいる。梟のトゥルーカスは、今はオネムの時間のようだ。 ベッドサイドのチェストの上に皿が置かれ、そこにエレオノールが剥いた林檎が並べられていく。うさぎ林檎である。 ――エレオノール姉さまがこんな家庭的なスキルを持っているとは思わなかった。「カトレア。何か失礼なことを考えなかった?」「い、いえ、そんなことはありませんわ、姉さま」 いや、実際、意外過ぎる。 花嫁修業でもしたのだろうか? と思うが、別に貴族の婦人に家庭的スキルは必要ない。 必要なのは、女性的なうじうじした側面から宮廷を牛耳るための、そういう陰険スキルだ。 人間の感情の機微、人間関係の微妙な均衡……それを見つけて、尖兵たる夫を操るための、そういう極度に人文系なスキル。それについて、エレオノールは熟達していなかったはずなのだが。 と言いつつ、母さま――『烈風』カリンは、別だけれど。別次元だけれど。むしろ別種族なまでに隔たっているけれど。 『烈風』は、凛々しい魅力で、王都の貴族婦人たちを悉く堕としているのだった。男女構わずに。魔法衛士隊時代の経歴を隠していても、溢れ出る『烈風』のオーラに、人々はひれ伏さずにはいられない。 まあ、強き者に惹かれるのは、貴族のサガであるから仕方ないのかも知れない。「まあ、いいわ。折角剥いたのだから、食べなさい。ここ三日、点滴で栄養補給されていたとはいえ――いえ、それだからこそお腹は空いているはずだから」「はあ、いただきます――って、え? 三日?」「そう。三日よ。おはよう――おそようかしら、カトレア」 と言われても、まるで実感は湧かない。 どうやらずっと眠っていたらしい。 その割には――いや、三日も眠っていたからだろうか? 身体がとても軽い。「さっきまでルイズも一緒に居たのだけれどね。勉強の時間だからって、教師役の同い年くらいの銀髪の娘に連れられて行っちゃったわ」「まあ。それは残念」「ルイズったら、自分の魔法で貴女を気絶させてしまったから、とても気に病んでいたわ。だから、貴女が目覚めたと知ったら、喜ぶでしょう」「……確かにちょっと、ルイズのあの魔法は、心臓に悪かったですわ。夢に見そうなくらい」「私も同感。というか、ここ二三日、矮人の血で濡れた鉄仮面を被った母さまが『フライ』で猛スピードで追っかけてくる夢、見てるわ」「ふふふ、大丈夫ですわよ姉さま。本物の母さまなら、そんな悪夢の中の幻影を打ち砕いて、エレオノール姉さまを守って下さいますもの」「本当にそうかしら。貴女はいつもそう言うけれど……」「本当ですって。母さまは、エレオノール姉さまのことも、ルイズのことも、深く愛してますもの。表面上は、厳しげな母を演じてらっしゃいますけどね。でも、そんなの私にかかれば全部お見通しです」 カトレアの手が自然と、林檎に伸びる。そして、一口。 シャクシャクした感触と、上品な香気、仄かな甘味と酸味が口に広がる。 美味しい。次々と皿の上の林檎がなくなっていく。まあお腹が空いていたのだから、仕方ない。「そうだ、カトレア。体の調子は?」 エレオノールが訊いてくる。「とっても良い感じ。今までにないくらい、調子が良いですわ。三日も寝込んでいたなんて嘘みたい」「……そう。シャンリットの治療は効果を表したみたいね」「治療?」 身体が軽くなっているのは事実だから、ナニカサレタヨウダいうことは分かるのだが。「本人が気を失っていたから、出来るのは対症療法だけだって話だったけどね。水の秘薬の風呂に浸けて、治療に特化した矮人が悪いところを治していくってことを、延々とやったのよ」「秘薬の風呂? お風呂の水に秘薬を混ぜたんですの?」「いいえ。水の秘薬そのもの。バスタブいっぱいの、水の秘薬よ」 カトレアは絶句する。それは、凄い。 いくらラ・ヴァリエールでも、それだけの秘薬を用意することはできない。 しかも聞けば、一時凌ぎの対症療法のために、それだけの秘薬を用いたのだという。 全く、この街には常識が通用しないらしい。「本当に、この街は、私達の常識が通用しないわ。異種族も平気で街中に居るし。翼人やエルフなんて、私、ここで初めて見たわ」「まあ、私もお会いしたいですわ。屋敷の動物たちから、話だけは聞いてますけど、まだ本物には会ったことがなくって。でも、そうすると、姉さま、とても吃驚されたのでは?」「……そーでもないわ。だってそれより、貴女の治療をするパーティションの直ぐ隣に居た人――ヒト? の方が印象的だったもの」「どんな方だったんです?」「背中から羽の生えた、下半身触手の、矮人。何を思ってそんな姿になったのか知らないけど、とってもインパクトが強かったわ。キメラ技術の応用で、身体のパーツを替えたり増やしたりするのは、この街では割とメジャーらしいけど、……アレは無いわ」「……それはそれは……」「危うく卒倒しそうになったわ」 等と話していると、 ――コンコン と、病室のドアがノックされる。 カトレアが目を覚ましたのを察知して、医者がやって来たのだろう。 エレオノールが入室を促す。「目を覚ましましたか。おはようございます、カトレアさま」 入ってくるのは、褐色の肌をしたワインレッドの赤髪が綺麗な、白衣の少女だ。 大きな烏揚羽蝶のようなバレッタで、髪を纏め上げている。「初めまして、カトレアさま。私、コレット・サンクヮム・レゴソフィア・0795201号と申します。カトレアさまの主治医を拝命しております」「ぜろななきゅうごーにーぜろいちごう?」「ああ、お気になさらず。ただの番号ですので。コレットとお呼びください」「そうですか。では、改めて初めまして、コレット先生」「よろしくお願いいたします、カトレアさま。このコレットに、ずずずいっと、全てお任せ下さいませ」 小さなドクターとカトレアはがっちりと握手を交わす。「エレオノールさまとは既にお話させて頂きましたが、カトレアさまのお身体の現状と、今後の治療プランについて、改めてお話させていただこうと思います」 それを聞いて、僅かにエレオノールの身が強張る。 姉の様子を見て、カトレアは訝しく思う。 ――姉は、この小さなドクターから、一体何を聞かされているのだろうか?「まずは、カトレアさまのお身体の不調ですが――心筋症、慢性腎不全、慢性肝不全、軽度の肺水腫、それらに伴う全身の衰弱、その他症状は数えきれないほど……と、非常に危険な状況でした。 今まで命数を長らえてこられたのは、ひとえに公爵閣下とラ・ヴァリエールの治療団が施した水の国でも随一の治療と、カトレアさまご本人の忍耐と気力の賜物でしょう。 幸い神経系は侵されていませんでした――痛覚を始め感覚神経は正常でした――のですが、逆に言えば痛覚だけは正常だったということ。その苦しみは、想像を絶するものだったでしょう……」 ドクター・コレットは、カトレアの手を握り、真摯な笑みで微笑みかける。「今までよく頑張りましたね」「……っ、はいっ、先生」「頑張ったわね、カトレア……」 今までの苦しみを思い、カトレアが涙をこぼす。 エレオノールも、そっとカトレアの隣に立ち、肩を抱く。 しゃくりあげる声と共に、暫くそのまま時間が過ぎる。「ううっ、ぐすっ。みっともないところを、お見せしました」「いえいえ」「それで、ドクター。今は病状も落ち着いてますけど、カトレアの身体は、治るのですか?」「勿論です。私にお任せ下さい。きっちりかっちり、ずずずいっと、隅の隅まで、健康体にして差し上げますとも。 とはいえ、現状は小康状態なだけで、根本的な解決はしていませんが。 水の秘薬を浸透させて、この建物に張り巡らせたマジックアイテム<黒糸>によって、リアルタイムに体調を監視し、無理矢理に健康体と同じように整えているに過ぎませんので」「つまり、この建物の内部に居る限りは、発作が出る心配はない、と?」「そういうことですね。あとは、一日一度は、水の秘薬風呂へ一時間浸かっていただくことも必須です。本日も後で入浴して頂きます。 それを欠かさず、かつ、この建物内に居れば、<黒糸>の作用によって、自動的に復元作用が働きますので、発作は出ないでしょう。 ですが、完治したわけではありませんので……」「ラ・ヴァリエールに戻れば、再発する、と」「ええ、そうです。ご理解が早くて助かります。それにいつまでも、カトレアさまを、ここに閉じ込めているわけにも参りません。ですから、ここで完治させます」 カトレアの体調は、水の秘薬とマジックアイテム<黒糸>の作用によって、常人と同じようにエミュレートされているに過ぎない。 今は安定して見えるが、それは外部からの魔法による高度な体内操作のおかげである。 細胞ひとつひとつのレベルで作用している、無駄に高度で繊細な治癒魔法なのだった。「それで、カトレアの身体が悪い原因は、分かったの? 何やらたくさん調べていたようだけれど」「原因不明です」「本当に? 嘘じゃないのよね?」「原因不明です」「本当に、分からないの?」「そういうことになります」 ニコニコと笑みを崩さぬまま、コレットは聞き捨てならないことを宣った。 原因が分からないのに、病を治せるというのだろうか? というか、何故そんなにも笑顔なのだろうか。 病気の原因が不明ということを告白するのは、医師にとって結構勇気が要る苦渋の事のように思えるのだが、まるでこの矮人のドクターは『分からないからこそ楽しいのだ』とでも言わんばかりに、満面の笑みだ。「今一度確認するけれど、カトレアは治るのよね?」「治しますとも。蜘蛛の叡智にかけて」 無い胸を張って、小さなドクター・コレットは請け負う。 それは確かに、頼り甲斐のある医者の姿だった。 ――それ以上に何か悍ましい未知への好奇心に駆られた異端の研究者のように思えたが、カトレアとエレオノールはその印象を封印する。きっとそれは気づいてはいけないことだから。「まあ、原因不明とは申しましても、どうすれば良いのかというのは分かっているのです。 この三日間、じっくりとカトレアさまの身体を調べさせて頂きましたから。ある程度の仮説は立っています。 恐らくは始祖の血がびみょーにマズいバランスで発現したのでしょう。妹君のルイズさまは虚無遣いですし、カトレアさまも始祖の血が濃いのでしょうね」「……? なんで始祖ブリミルの血が発現して、病弱になるの?」「そりゃあ――」 そこまで言って、コレットは口を噤む。「……な、何よ。早く言いなさいよ」「……あー、えー、そのー」 それに妙な迫力を感じ取ってエレオノールが先を促すが、コレットは歯切れ悪そうにして答えない。「……コレット先生、教えていただけませんの?」 言えない。 まさか始祖ブリミルが半分は邪神の血を引いてる(※あくまでシャンリットの仮説だが)とは言えない。 そのせいで半端に血が濃いと生まれた時の星辰の位置によっては異形化するとか、どうも肉体に現れている種々の兆候が遥か昔にウードが初めて異形化しそうになった時のものに似ているとか、身体の一部分の発育が他の姉妹に比べて宜しいのは急速成長する半神半人の特徴ではないかとか色々と仮説があるのだが、ここは口外しないのが正解だとコレットは判断した。 インフォームド・コンセント? いやいや。 この世には決して語るべきではない、知るべきではない知識があるのだ。「ま、まあともかく! カトレアさまのお身体は少々、この世界と相性が悪いようですので、そこをすっぱりさっぱり綺麗にバランスを取って差し上げれば、普通のメイジと変わらなくなるのです!」 慌てて誤魔化すが、コレットは、カトレアには全てバレているような気がして、冷や汗を流す。 ……もっとも、常時『読心』の魔法を使っているように勘の鋭いカトレアはカトレアで、コレットから読み取ってしまった、混沌で不浄で邪悪なイメージによって、絶賛正気度チェック中であった。 勘が良い(アイデアロールに成功しやすい)のも、考えものである。「……どうやって?」 正気度チェックを何とか成功させ、狂気の縁から戻ってきたカトレアは、これ以上ドクター・コレットの心情を読み取らないように気を付けつつ、尋ねた。 薄々回答には見当がついているが、恐る恐るといった様子でカトレアは尋ねる。 そう、彼女は既にその回答の一端を、既に姉から聞いている。「それはもちろん、“入れ替えて”ですよ」 エレオノールの脳裏には、秘薬風呂に浸かっていた、異形を組み合わせたキメラ矮人たちが浮かぶ。 シャンリットでは、身体のパーツを入れ替えることくらい、朝飯前なのだ。 そして、カトレアの脳裏には、やっぱり思わずコレットの心から読み取ってしまった、凄惨な唾棄すべき光景が再生されてしまう。 ――眠ったように羊水の中に浮かぶ、胎動する未熟な胎児。様々な動物の様々なパーツを出鱈目に生らす、キメラバロメッツの母樹。癒合する肉と骨、現れる異形の合成獣やヒトモドキ。融合の失敗、後遺障害、拒否反応、暴走増殖、積み重ねられた失敗作と知見――。 悍ましく生々しい光景を幻視してしまい、カトレアの瞳から輝きが失せる。 はい、再び正気度チェック入りましたー。 コレットはそれに気づきつつ、エレオノールはそんなカトレアの様子には気づかず、治療方針についての会話を続ける。「首から下を、世界に対する拒否反応が起こらないように調整したクローン体と入れ替えます。既にカトレアさまの細胞から、調整済みのクローン体の培養は終わっておりますし」「却下よ。何度も言っているでしょう?」 エレオノールは即座に却下。 そんな事は認められない。 認めてなるものか。 認めた瞬間に、カトレアの身体は、この世のものではない別のナニカにされてしまうに決まっている。 ……そしてこればかりは、あながちエレオノールの被害妄想とも言えないところである。流石は信頼と実績のシャンリット。千年異端は伊達じゃない。「何度も? ですか、姉さま」「そうよ。何度も何度も、何度もよ!」「手早く、かつ、カトレアさまに負担を掛けずに治すには、さくっと健康体に載せ替えるのが一番良いのですが」「だ、か、ら! 絶対ダメよ! その新しい身体にどんな改造が施されてるか分かったもんじゃないじゃない!」「だいじょうぶですヨー、信用してくださいヨー」 漸くカトレアが復帰。今回も運良く、正気度チェックは成功したらしい。そして何か考えこむようにして、目の前の二人の口論を眺める。 カトレアが問うた通り、エレオノールとドクター・コレットがカトレアの治療について話をするのは、これが初めてではない。 カトレアが気絶している間も、何度となくエレオノール(&ルイズ)とコレット女史は、意見をぶつからせてきたのだ。「ですから! カトレアさまの為を思えばこその提案なのです! シャンリットの技術で調整すれば、現在のお身体から不具合のみを取り除いた“新しい肉体”を提供できます!」「ダメよ! 親から貰った身体を捨てろというの? そんな事は、認められないわ。大体、無理に“首の挿げ替え”なんかやらなくても、もっと穏便な方法があるのでしょう!?」「そりゃあ、治療期間を区切らず言えば、他に幾らでも手の打ちようはありますが……」「じゃあさっさとそれを一覧にして持って来なさい。それを見てから、カトレアや実家と相談して決めるわ」「その時間すら惜しいと、申し上げているのです。正直申し上げまして、星辰の具合によっては、カトレアさまの容態が、急激に変調することもありうるのです」「何で星の動きが関わるのよ。やはりまだ隠していることがあるのね? 全部話しなさい。それが、医者の誠意というものでしょう!」 あーだこーだとエレオノールとコレットは、物凄い剣幕で議論している。 その姦しさに、トゥルーカスがぴくりと瞼を震わせるが、また直ぐに羽毛の中に首を埋めて寝入ってしまう。これではお目付け役の意味が無いような気もする。 カトレアは、深呼吸を一つ。 そして、二人が息を吸い込んで、口論が一瞬止んだ空隙を狙って、口を開く。「私、その手術、受けます」「ちょ!?」 「はへ?」 横合いからの当事者の、予想外の発言に、流石に口論していた二人も動きを止める。「ちょっと、カトレア! 正気? 何言ってるか分かっているの?」「勿論です、姉さま。悪い身体を、良い身体と、取り替えるのでしょう?」「そうよ、それがどういうことか――」「でも、心を取り替えてしまうわけでは、ありませんわ」「……っ!」「それに、こんなに自由が効かない身体、自分のものって感じがしませんもの。いいじゃないですか、新しい身体。ねえ先生? 少し聞きたいことがあるのですけれど」 他人より心というものに対して、非情に強い感受性を持っている彼女だったからこそ出せた結論なのだろう。 肉体よりも、精神や魂について、カトレアは強いシンパシーを持っている。 彼女の妹ルイズの精神が、肉体を離れて遙か次元を隔てた幻夢郷(ドリームランド)で存在の強さを発揮したように、姉であるカトレアも、肉体から離れた所での自分の魂について、強い確信を持っているのかも知れない。「ねえ、先生。新しい身体になっても、私は私のままよね?」「そうです。今回の手術では、魂までも削るわけではありませんから」「そう。じゃあ、先生。その新しい身体は、赤ちゃんを生むことは出来るの?」「勿論です」「生まれてくるその子は、ちゃんと、ラ・ヴァリエールの血を引いている?」「当然です。どんな検査をしても、正真正銘、カトレアさまのお子さんだと証明されますし、当然、ラ・ヴァリエールの血脈を受け継いでいます。今ご用意している新しい身体は、カトレアさまの悪い部分のみを、我々の最新技術で調整して取り除いたものですから」「じゃあ、問題ないわ。私だって、早く健康になって、ラ・ヴァリエールに帰りたいもの」「……カトレアが、そう言うなら……」 渋々、エレオノールも了承する。 カトレアは、極力コレット女史の方を見ないようにして、そっとため息をつく。 ――ルイズには悪いけれど、この悍ましい蜘蛛の館(シャンリット)にこれ以上居たら、どうにかなっちゃうわ。 一刻も早く、この街から離れたい。カトレアは彼女には珍しく、苦々しくそう思う。 しかし、治療はここでしか受けられない。そんなジレンマ。 ……ならば、さっさと治療を済ませて出ていけば良い、というわけである。 勘の鋭いカトレアにとって、このシャンリットでの生活は、地雷原を歩くようなものだ。 至る所に、暗黒の知識の入口が開いており、手ぐすね引いて哀れな犠牲者を呑み込もうと待ち構えているに違いないのだ。 それを、目覚めてからまだ数時間と経っていないが、目の前のドクター・コレットとの会話から、カトレアは実感していた。「ルイズは、大丈夫かしら……」 主に正気度的な意味で。 はあ、とカトレアが再びため息をつく。 視線の先では、トゥルーカスが目を閉じて眠っている。 その後何度かコレットとカトレアは打ち合わせを行い、数日後には無事に手術は終了した。 ちなみに。 新しい肉体の方は、遺伝子の許す環境誤差の範囲で、カトレアが思い描く“理想的に成長した私”に調整してもらったことは、完全な余談である。=================================ゼロ魔二次創作でありがちな、カトレア治療回。スパッと外科的に解決。脳缶よりは幾分マシなはず。脳缶にしても良かったけど。カリンちゃん無双終了。もはや戦略級兵器。一種の災害現象。ヒューマノイド・タイフーン。ルイズパパは親馬鹿分が若干少な目かも。エレオノール(19さい)。この件で下の妹二人の件が片付けば、重荷も無くなって性格も多少は丸くなるはず?カトレアは、シャンリットでは頻繁に正気度チェック発動。身体の発育が良いのは、治療前→異形化寸前のある種の奇形、治療後→理想成長させた肉体に首から下をすげ替えたから、という解釈。治療せず放置したら、下手したらウェイトリー家の弟みたいな異形化ルートも在ったかも。2011.11.05 初投稿次の更新こそは、本編の続きを書きます。次回:アルビオンの失墜。