闇の中を一人の男が息急き切って走る。 密林の悪路が彼の行く手を阻む。 障害となる下生えを彼は軍刀で切って捨てる。「はあっ、はあっ、はあっ、」 時は丑三つ時。 南海の密林の中を、軍服の男が走っている。 片腕には厳重に布に包まれた、何やら一抱えもある卵のような、あるいは少し大きなラグビーボールのようなものを持っている。「はあっ、はあっ、はあっ、」 息を荒らげて男は走る。 抱えたものにどれほどの価値があるのか、彼は正確には理解していない。 皇国の命運がかかった非常に重要な宝物である、としか知らない。 だが、小隊の皆が命懸けで託してくれたものだ。 何としても内地にまで持って帰らなくてはならなかった。 何としても、だ。 密林の闇が彼の精神を圧迫する。 その闇のどこに猛獣が潜んでいるか分からない。 ここは異国。 内地から遥かに離れた南海の孤島。「はあっ、はあっ、はあっ、」 彼は走る。 右手に握った軍刀を振りかざして、藪を切り開く。 切られた植物を辿って、追っ手に跡をつけられるだろうが、構うものか。 早く、早く、早く、この忌まわしい島から離れなければ。 ボートを使って、早く、早く早く、早くはやく疾く。 ボートは入江に止めてあったはずだ。「はあっ、はあっ、はあっ、」 だがそこで、異国の密林が彼に牙を剥く。「うわっ!?」 罠のような木の根に躓いた彼は、そのまま小川によって削られてできた崖へと落ちてしまう。 しかしそれでも、腕に抱えた大きな『卵』を砕かないように、自分の身体で抱え込んで、衝撃を流す。 ゴロゴロと彼は斜面を転がる。「ぐ、うぅ、ぅっ!?」 滑落した彼は、全身を激しく打ちつけて、崖を転がり降りたときには気を失ってしまっていた。 これまでの緊張が途切れてしまったのだ。 加えて、慣れぬ土地での疲労もあった。 如何な帝国軍人といえども、限界が来ていた。 気を失った彼が抱えた『卵』は、内側から甲高いホイッスルのような音を規則的に鳴らしている。 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。 彼が抱え込むように身体を丸めて守った『卵』が、仄かに発光し包み布の間から燐光が漏れる。 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。 その音に呼応するように、『卵』を抱えていた彼の姿が薄れていく。 まるで彼の身体が、何か異次元のものに連れ去られるように。――――とおりゃんせ とおりゃんせ 異国の密林にて意識を薄れさせる彼の脳裏には、故郷のわらべ唄が何処からとも無くこだましていた。――――ここはどこの細通じゃ――天神さまの 細道じゃ――――ちっと通して 下しゃんせ――御用のないもの 通しゃせぬ――――この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります 歌声に従って、彼の姿が薄らいでいく。――――行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ 意気揚々と密林に分け入った彼は、その帰り道を全うすることは出来なかった。 こだまする「とおりゃんせ」のわらべ唄に連れ去られるように、彼はこの世界から、『卵』ごと消失した。 日本帝国陸軍南海支隊特務小隊はこの時を以て、最後の一兵までも全滅したことになる。 彼らの任務は、原住民が持つ秘宝『夢の卵』を奪取し、天皇陛下に奉じること。 日本帝国の呪的構造強化、及び、『夢の国』から物資を現実世界に結晶化(クリスタライズ)して連合国の物量に対抗するという計画の要となる装置、それが『夢の卵』――『夢の結晶化装置(クリスタライザー)』であった。これが実現出来れば、空襲で焼かれた街も一夜で復興できるし、事によっては失われた人員すらも夢の世界から招聘することが出来る。あるいは、あるいは、実際には存在しないものすらも現実化(クリスタライズ)出来るかも知れない。『ぼくのかんがえたさいきょーへいき』や物語の中にしか存在しないような超人や英雄たち、そして神そのもの。天皇家の血脈に眠る神格――太陽神・天照(アマテラス)や軍神・武甕槌(タケミカヅチ)――を具現化することすらも可能かもしれなかった。天皇家の神威によって、神州日本は不滅と化し、八紘一宇の字のごとく、日本は世界を統べる神の国となっただろう。 だがしかし、西暦1943年、南海の孤島にて実行された『夢のクリスタライザー』奪取作戦は、失敗に終わった。 原住民の祠から『夢の卵』を奪取したものの、それに気づかれて原住民に小隊は追われたのだ。 一人、また一人と、捨て奸(すてがまり)で原住民に対して遅滞戦術を仕掛けた。 数に勝る原住民を相手に、彼ら小隊は、瘧(マラリア)やデング熱、飢餓で消耗していたにも関わらず善戦し、何とか原住民を振り切って一人の隊員に奪取した宝物を託すことに成功していたが――。 最後に『夢の卵』を託されたのは、小隊の中でも熱病などにやられていなかった歳若い少尉、佐々木武雄その人であった。 しかし運命は彼に牙を向き、『夢の卵』の呪力によって、彼は文字通り夢路を辿ることとなる この世界から消失した彼は何処へと行ったのか。 『夢の卵』は彼を一体何処へと誘ったのか。 ――彼の行く先は幻夢郷(ドリームランド)。 全ての夢が集まる場所。 夢の中へ、夢の中へ、捜し物は何ですか――捜し物は遥けき故郷。 だが彼は故郷への細道を見つけることは出来なかった。 夢の国を彷徨った帝国軍人が、最後は何処に辿り着いたのか。 彼が辿り着いた先は――。◆◇◆ 蜘蛛の巣から逃れる為に 18.ああ麗しのタルブの草原よ◆◇◆――――とおりゃんせ とおりゃんせ 遠くから子供たちが遊ぶ無邪気な声が聞こえる。 タルブの草原を渡った風が、ルイズのピンクブロンドを吹き流す。 彼女の可愛らしい唇が言葉を紡ぐ。「良い草原ね」 一面の草原を前にして、ルイズが、思わずといった様子で声を漏らす。 彼女の後ろには従者であるサイトと、侍女であるシエスタが付き添っている。 草原を渡る風が、まるで海原のように草の緑に濃淡を作り、三人の頬を撫でる。「ええ、この見渡す限りの草原は、タルブの自慢です。ひいおじいちゃんは、ここを一面の稲田にして、稲穂で黄金色にしたかったそうですけど」 もっとも、この辺りは田圃を作るのに向いていなかったから、ひいおじいちゃんは代わりに葡萄作りに入れ込んでました。 そう言って、シエスタは柔らかく笑う。 きっとその曽祖父のことが大好きだったのだろう。 いつものように学院を“自主休講”したルイズは、サイトとシエスタを連れてガーゴイルに乗って、シエスタの故郷であるタルブ村にやってきていた。虚無の『世界扉』では無くてガーゴイルを使うのは、精神力の節約のためだ。トリステイン国内くらいなら、余程の急用でない限りはガーゴイルに乗ったほうが効率が良い。 タルブ村に在るという『夢の卵』というアーティファクトを確認するために彼らはこの辺境の村までやってきていた。 あまり大人数で押しかけても迷惑だろうということで、今回はクルデンホルフ組は連れられていない。「じゃあ、その『夢の卵』が在る場所に案内してもらって良いかしら」「はい、ルイズさん。あ、でも先ずは母に挨拶してからで良いでしょうか?」「そうね。それと一応村長にも面通ししときたいわね」 草原に降り立った天馬型のガーゴイルを待機モードにさせて、ルイズたち一行はタルブの村へと向かう。「稲穂って言っていたけど、稲ってこっちの世界にもあるのか」「南部のある地域では栽培されているわ。二毛作をしてたりとかね」「へえ。そういえば地球でもイタリアでは米を食べてたな。でもインディカ米なのかな」「ん~。まあこっちの米は、パラッとしてるわね」「ジャポニカ米じゃないのかー。そろそろモチモチした米の飯が恋しいんだよなぁ」「クルデンホルフから取り寄せできるとは思うけど。あそこには大体何でもあるから」「考えといてくれ。米は日本人の魂なんだ」「考えとくわ」 シエスタを先導に、ルイズとサイトが並んでその後に続く。 たわいない遣り取りを繰り返すうちに、集落の建物が見えてくる。 三人は色々と会話を交わす。「あと醤油も欲しい」「たしかタルブにはショユっていう調味料がなかったっけ? 発酵調味料の」「そうなのか、シエスタ?」「はい、ひいおじいちゃんが造り始めたものです」「へぇ、ちょっと楽しみだな。大豆由来か魚醤かでだいぶ違うけど」「やっぱりハルケギニアとは色々と食生活とか風習とか違うのね」「まぁなー。それにしても、ここの村は何か懐かしい感じがするな」「学院塔の外に作っている大きな竈みたいなものもサイトさんの故郷のものなんですか?」「あれは五右衛門風呂って言うんだ。風呂だよ。湯船に浸かるんだ」「魔女の釜茹での刑みたいね」「まあ実際釜茹でにされた大泥棒の五右衛門さんから名前をとってるんだけどな。五右衛門さんの処刑はお湯じゃなくて油で、一族郎党皆殺しだったそうだが」 やいのやいの言いつつ、三人はシエスタの生家へと向かう。 村のあちこちには、井戸から水を汲み上げる手押しポンプや、鉄製の農具が見られる。 鉄製の器具が普及しているところを見るに、タルブ村は、なかなか裕福な村なのかも知れない。 それらの古き良き昭和的な小道具が、サイトに一層の郷愁を呼び起こさせる。 いやサイトが農村育ちというわけではなく、ジブリのアニメなどくらいでしか昭和期の農村の様子は知らないが、それと同じような印象をうけるのだ。「大泥棒というと、巷では、ニコラス・フーケ卿が話題になってるわね。『国家に対する大泥棒、ニコラス・フーケ逮捕!』って見出しが新聞に書いてあったわ」「公金横領で捕まったんだっけか。その金でずいぶんでっかい邸宅を立てたとか。泥棒といえば泥棒だな」「大スキャンダルですけれど、お姫様の婚約の方が大ニュースですから、埋もれてるんですよね」「もうすぐ結婚式だっけ、アンリエッタ姫様」「そうね。式はゲルマニア首都のヴィンドボナで挙げるそうよ」「結局ウェールズ王子との仲はどうなるんでしょうか」「不倫関係か?」「結婚した途端にゲルマニア皇帝が姫様に暗殺されなきゃいいけど。そしてトリステインとゲルマニアの合併を経て、ウェールズ王子と結婚してアルビオンへ出兵して、アルビオンも併合するとか」「うわー、帝位簒奪? アンリエッタ姫ってそんなキャラなの?」「殺るときゃ殺る人よ。幼なじみだから言わせてもらうけど」「その当て字でいいのか問い質したい」「犯るときゃ犯る人でも可。ウェールズ王子の貞操的な意味で」「不敬罪に問われますよ?」「あはは、真実だから別に良いわよ。私と姫様の仲だし」 そんな事を話しているうちに、シエスタの生家が近づく。 家の前では子供たちが輪になって「とおりゃんせ」を歌って遊んでいる。――――とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細通じゃ――天神さまの 細道じゃ――――ちっと通して 下しゃんせ――御用のないもの 通しゃせぬ――――この子の七つの お祝いに お札を納めに まいります――行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ その中の一人が、シエスタの姿に気がつく。「あ、姉ちゃん!」 それを皮切りに他の子供達も駆け寄ってくる。「シエスタ姉ちゃん!」「どうしたの? お仕事は休みー?」「そっちの兄ちゃんと美人さんは誰ー?」 シエスタの弟妹と、その友達なのだろう。 シエスタは彼らをあやす。「こちらの方は私がお仕えしている、ルイズ様よ。とても誇り高くて、素晴らしいお方。それと同僚のサイトさん。みんなは今日のお勉強は終わったの?」 タルブ村では、週に二、三回、午前中には村の子供達を集めての勉強会が開かれている。 これは、シエスタの曽祖父が提案して始めたものだ。 「読み書き算盤くらい出来んでどうする!」と一喝したらしい。 村の手押しポンプや鉄製の農具も、シエスタの曽祖父が何処からか持ってきて、村人に提供したものだとか。 村人たちは、ほとんど着の身着のまま村にたどり着いたはずの彼が、一体どこからそんな膨大な量の物資を持ってきたのか、首を捻ったが、彼はその出所を決して明かさなかった。「今日の分は終わったよー」「そう、それならいいわ。よく遊びなさい。母さんは家に居る?」「居るよー」 ルイズたちは村の子供達と別れて、シエスタの生家へと入る。「ただいまー。母さん」「あら、シエスタ。帰ってくるなら事前に知らせてくれればよかったのに」 そこで優しそうな中年女性が出迎えてくれた。 何となくシエスタに面影が似ている。「ごめんなさい。急な話だったものだから」「まあ、元気そうでよかったわ。……そちらの方たちは?」 女性は土間で炊事をしていたようだ。 夕飯の準備中だったのだろうか。 炊事の湯気と混ざった土づくりの家独特の匂いと、味噌か何かの発酵調味料のものらしき香ばしい匂いがサイトの鼻孔をくすぐる。 ルイズとサイトはそれぞれに自己紹介をする。「初めまして、おばさま。私、シエスタの現在の雇用主のルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールと言います」「サイトです。シエスタの同僚で、主人ルイズの従者を務めています」「という訳なの。ホントは帰る前に連絡したかったんだけど、ルイズ様が一刻も早く『夢の卵』を確認したいとおっしゃるから」 ……。 え、ちょ、大貴族のラ・ヴァリエール家のお姫様がいきなりお宅訪問て。 シエスタの母の動きが固まる。「さて、じゃあ一応、タルブ村の村長にも挨拶に行きましょうか」「おう」 「はい、ルイズ様」 そして固まるシエスタの母をさておいて、一行は村長の建て家に向かう。「ちょ、シエスタ!? そんなあっさり流すのは無礼じゃ!? というか何のお持て成しの準備も――」「おば様、私は別に気にしませんわ。本当に『夢の卵』を見に来ただけですから」 そう言ってルイズは慌てるシエスタ母を尻目にスタスタと歩み去ってしまう。 シエスタは母と一瞬でアイコンタクト。――このお嬢様はいつもこんな感じ?――――ええ、ルイズ様はこういう方です。 シエスタは、だから気にしないで、と眉を下げて力なく微笑み、タルブ村を先導案内するためにルイズの後を追う。 サイトはシエスタ母に軽く一礼し、二人の後を追う。うちの主人が傍若無人ですみません。「もし『夢の卵』が私の思っていた通りのものなら、是非譲ってもらいたいのだけれど、それは誰と交渉すればいいのかしら」「順当に行けば、村長か、それを相続したであろうシエスタの家の家長じゃないか?」「そうですね、父に話を通してもらえば良いと思います」「でも、その曽祖父さんの遺言があるんじゃなかったっけ?」「ええ。ひいおじいちゃんの出身は、実はここ(タルブ)じゃないんですが、ひいおじいちゃんの出身地の文字を読める方になら、条件付きで『夢の卵』を譲っても良いと言い遺されています。村の人はだれも読めなかったんですけど、多分ルイズさんなら読めちゃう気がします」「まあ、読んでみないと分からないわね」「でもきっと読めると思いますよ。そんな“夢”を見ましたから」「あら、いつの間に夢見の巫女のスキルを獲得していたの?」「ふふ、よく当たるんですよ」「へえ。是非ともシエスタを私の“夢の王国”に招きたいわね」 ルイズさんマジ人材ハンター。 彼女はサイトも彼女自身の夢の国に招いているところなのだが――。(そういえばサイトの魂は未だに私の“夢の王国”には辿りつかないんだけど、一体全体何をしているのかしら……?) サイトの魂を連れてくるために遣わせたルイズの分霊が、夢の世界で要塞に立てこもりつつサイトと死闘と蜜月を繰り広げていることには、まだ彼女は気づいていない。 朱鷺色の羽を持つ一ツ目翼蛇(ククルカン、ケツァルコアトル)は順調に、サイトと共に魂を高めあい、力をつけている。 しかし、怖い鬼に怯えて、かくれんぼするのも今日までのことだ。 運命の巡り合わせは、遂にこのタルブで、ルイズと蛇を相見えさせることになる。――行きはよいよい――――帰りは怖い――怖いながらも――――とおりゃんせ――とおりゃんせ わらべ唄が、聞こえる。 遂に故郷には帰れなかった男が広めた歌が。 任務を果たせなかった、無念の歌が。――行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ◆◇◆ ルイズたちは恐縮する村長への挨拶を済ませ、シエスタの父や祖父にも会って遺品や遺言を見せてもらい、彼らの許可を取り、『夢の卵』が奉ってあるという場所へ来ていた。 村から北東の艮(うしとら)の方角にある小高い丘は、周囲の草原とは打って変わって、季節が狂ったとしか思えないような南国風の鬱蒼とした密林に囲まれている。 その森の麓に、丹塗りの丸太を組み合わせた門のようなものが設けてあった。「鳥居だ……」 サイトの呟き通り、明らかに場違いな南国風の植物群に覆われた丘に立っているのは、まごう事無き鳥居であった。 京都の伏見稲荷のように、無数の朱い鳥居が、丘の中を蛇のようにうねって、頂上まで並んでいるようだ。 結界。神域。侵すべからざる場所。そんな言葉がサイトの脳裏をよぎる。 艮の方位の鬼門を塞ぐようにこの丘があることからも、その思いは強くなる。 実際、丘の周囲のある一定範囲以上には、異常な南国の植生は広がっておらず、明らかな境界を示している。 異様な威容を誇る朱鳥居の圧力に、サイトは及び腰だ。 村の方からは、子供たちが歌う無邪気な歌が聞こえてくる。――――とおりゃんせ とおりゃんせ――ここは何処の細道じゃ――――天神さまの細道じゃ それが一層の不気味さを煽る。 だがそんな気味の悪さを感じているのはサイトだけらしい。 シエスタとルイズは固まる彼を置き去りに、既に密林の鳥居結界の内側へと足を踏み入れていた。――――ちっと通して 下しゃんせ――御用のないもの 通しゃせぬ 遠くからわらべ唄が聞こえる。 サイトは忌避感を抑えこみ、思い切って、朱鳥居の内側へと入る。 その途端に、むっとする湿気と熱気、植物の匂いがサイトの鼻を突く。 だが、目につくのは植物ばかり。 小動物も、鳥も、爬虫類も、虫の一匹さえこの密林には存在していない。 常緑の密林。生者の居ない、それでいて青々とした生命力に満ちた、死者の森。 ルイズとシエスタは、既に丘の中腹に差し掛かりつつあった。「手の込んだ場所ね。これも全部シエスタのひいおじいさまが作ったの?」「ええ、そうなんです。頂上にはお社もあって、そこに『夢の卵』と神刀と、ひいおじいちゃんの遺体が安置してあるんです」「……遺体?」「ひいおじいちゃんの遺言で。『死んだあとは祠に安置してくれ。そうすれば村の守り神になろう』と」「ひいおじいさまは、このタルブ村では信仰されているの?」「それほど大げさなものではないですよ。ひいおじいちゃんは、真面目で働き者で、タルブの発展に非常に大きく貢献して、それが私たち家族の自慢ですけれど、同時に変人でした。こんな不気味な祠を作ったりして。確かに『夢の卵』や神刀を拝んでいたり、祟りを恐れている人は年配の方に居ますけれど……」「そうなんだ。畏れられているなら、もし譲ってもらえることになればだけれど、その時に一悶着起きそうね」「さあ、どうでしょう。村の人達でも、この祠を邪魔に思っている人は居ますし、ひいおじいちゃんも遺言で『譲っても良い』と言い遺していますから。……もちろん、何かしらの補償があるならそれに越したことはないですけれど」「……抜け目ないわね、シエスタ」「ええ。何と言っても、私、ルイズさんの侍女ですから。例えば、タルブのワインをヴァリエール家の御用達に加えてもらうとかどうでしょう? とっても美味しいんですよ」「考えとくわ」 そこにサイトがようやく追いつく。「お前ら、よくこんな不気味なジャングルの中を平然と歩けるな」「そんなに不気味かしら。私は寧ろ安らぐのだけれど。まるで夢のなかにでも居るみたい」「私は昔から慣れていますから。子供の時に、七歳の祝いに、厄災避けの形代を納めに行って以来の付き合いですし」「『この子の七つのお祝いに』ってやつ?」「そうです、サイトさん。まあそんな事をやっているのは、村の中でもウチだけですけれど。でも、そのお陰か兄弟姉妹八人全員が欠けること無く丈夫に育ってますし、案外ご利益があるのかも知れませんね」「そうなのか」「でも私も『夢の卵』を直接見るのは初めてです。ひいおじいちゃんの遺体と神刀と一緒に、いつもは祠の奥扉の向こうに安置してあるそうで、入っただけでは見えないようになってますから」「遺体……」「即身仏的なナニかか?」「さあ、とにかくそこに葬ってくれとしか言い残されてないので……。そういえば遺体は腐らないどころか若返ってるという噂もありますねー」「シエスタのひいおじいさんは妖怪変化か何か?」「変人とは呼ばれましたけど……」――――この子の七つの お祝いに――お札を納めに まいります わらべ唄の声はもはや遠く微かにしか聞こえない。 シエスタが、手に持った祠の奥扉の鍵をジャラリと鳴らす。 シエスタの父と祖父に挨拶したあと、シエスタの祖父から預かったものだ。「ひいおじいさまの遺言書も、サイトが問題なく読めたし。ちゃんとシエスタのお祖父様やお父様の諒解が取れたのは良かったわ」「何故か日本語だったからな。少しばかり旧い文體(文体)だったが」 この村に着いた時から薄々そうじゃないかとサイトは感じていたが、どうやらシエスタの曽祖父というのは日本人だったらしい。 シエスタの黒髪黒目がどこか懐かしく感じたのはそのせいなのだろう。 どういう経緯でこの村まで辿り着いたのか定かではないが、彼の旧日本軍の軍人がタルブに『夢の卵』をもたらしたのだというなら、おおよその想像はつく。 幻夢郷を通り抜けて、迷い迷ってさまよって、アトラク=ナクアの寝所を抜けたか、夢の階段七百七十段を駆け上がったのか知らないが、最後にハルケギニアにまでやって来たのだろう。「遺言は『陛下に夢の卵を奉じてくれ』だったかしら。でも陛下って一体誰のことなの?」「俺の故郷をおよそ2700年の永きに渡って統治する万世一系尊き家系の天皇陛下さ。6000年級の王室がゴロゴロ在るようなハルケギニアじゃインパクトは薄いかも知れないがね。シエスタの曽祖父さんと俺が同郷なら、陛下というのは、その天皇陛下のことだろうさ」 丘の頂上からは、鳥の声のような、奇妙な清澄な音が聞こえる。 ピッ……、ピッ……、ピッ……、ピッ……。 朱鳥居をくぐるたびに、その神聖音は存在感を強めていく。「何かしら、この音。とっても気分がイイわ。本当に、とてもイイ音色」 ルイズが陶然と呟く。 彼女の目は、あるいはココにある景色を映していないのかも知れない。 夢の奇笛に導かれて彼女の目に映るのは、幼い頃から慣れ親しんだ心象風景。 風渡る巨大な湖と、湖底の王都、逆しまの湖影に揺らぐ天空王城、そこで働く彼女のためだけの夢の世界の臣民たち。 自然、ルイズの足は早くなる。 夢の国を現実(こちら側)に持ち出す手段が、きっと、おそらく、すぐそこに。 先導するシエスタと殿を務めるサイトは、ルイズの変化を敏感に感じ取っていた。 ハルケギニアの虚無遣いであるルイズは、元から圧倒的な存在感を周囲に放射していたが、それが更に強くなっている。 彼女のもう一つの側面、夢の国を統べる女王としての威風が、漏れ出してきているのだった。 鳥居が表すのは境界。 鳥居をくぐるたびに、世界は彼岸に近づく。 俗から聖へ。 ケからハレへ。 日常から非日常へ。 そして、現実から夢幻へ。 百を超える朱鳥居をくぐり抜けて、三人は頂上の祠に到着する。 回りから押しつぶすように迫る密林も、そこだけはポッカリと空白になっており、手入れされていないという境内は何故かまるで掃き清められたかのようだ。 異常な密林結界と百八の鳥居結界、その更に内側には、それらの結界を上回る神聖さを湛える境内と祠。 ピッ……、ピッ……、ピッ……、ピッ……。 祠の奥からは、『夢の卵』が奏でるのだという、笛のような、鳥の囀りのような音が聞こえる。 木と紙でできた祠の引き戸を開け放ち、幾つもの絵馬が掲げられた中を奥に進むと、祭壇を守る扉が見える。 預かった鍵で奥の扉にかかった錠前を開き、かんぬきを上げる。 いよいよ『夢の卵』が安置された最奥部だ。 まず目につくのは横たえられた木製の棺。これに佐々木武雄氏の遺体が安置されているのだろう。 その上には注連縄が渡されている。佐々木氏の遺体は、奥の御神体を守る護鬼ということだろうか。 次には両脇に蝋燭が置かれてぼんやりと照らされた軍刀拵えの日本刀が掛けられた祭壇。 神刀の奥には、榊が生けられた榊立ての間に祀られた御神体がある。 御神体とは『夢の卵』に他ならない。 黄色い水晶玉のような巨大の卵型の『夢の卵』が、伊勢神宮か何かを象った宮形(みやがた)の中に祀られている。 断続的に笛のような音を響かせるそれは、それ自体にも注連縄が巻かれている。 それは御神体を祀るためというよりは、見ようによっては、厄災を封印するためのようにも見える。 『夢の卵』を目の当たりにしたルイズは、驚愕に目を見開き、そして顔を綻ばせる。 喜びのあまり小躍りしそうになる身体を、抑えつけるのに非常に大きな意志の力を必要としたのは内緒である。 『夢の卵』は、ルイズが思っていたとおりに、『夢のクリスタライザー』その物であったからだ。「あは♪」 黄金のように、黄水晶のように、琥珀のように輝く卵円形の結晶に、ルイズは魂を奪われる。 遂に。遂に、遂に、遂に! 遂に彼女は宿願と邂逅した。 『ああ、あれが夢じゃなければ』、『夢が現実に成れば良いのに』というのは誰しも思うこと。 しかし、ルイズという少女ほどに夢に恋焦がれた者はかつて居なかったかも知れない。 魔法を覚える前は逃避として。公爵家の血筋の重圧、厳しい父母や姉、何時まで経っても上達しない魔法。それらからの逃避としての夢の王国。 学術都市にて魔法を覚えたあとは、理想として。ヒトを弄ぶヒトデナシどもへの憤怒、邪神蔓延る世界を改変したいという願望、力の足りない自分が抱く力への憧憬。それらあらゆる理想としての夢の王国。 幼い彼女の呪いじみた願いは、その才能の後押しもあって、幻夢郷に巨大な王国を築くに至り――遂にそれを現実世界に“クリスタライズ”する装置と巡り合ったのだった。「あははははっ! 凄い凄い凄い! 本物だわ! あはははははははは――」「ちょいストップ」 『夢の卵』に駆け寄ろうとしたルイズの肩を、サイトが掴んで引きとどめる。 不機嫌そうに口を尖らせてルイズが振り向く。「何よー」「ここは神社だ。一応それなりの礼儀ってもんがあるだろ。御神体を譲り受けるんだったら尚更」「む~、めんどくさぁい」「誇り高い貴族なら、その程度の礼儀は弁えろって」「……分かったわ。でも、礼儀っていっても、どうするのよ。まさかそこに横たえられてるご遺体に向かって『申し訳ありませんが貴方が護る御神体を譲っていただきたく』とでもお伺いを立てるの?」「確かひいおじいちゃんの遺言書に、その為の手順も書いてあるんじゃありませんでしたっけ」「書いてあったよ」 そう言ってサイトは遺言書を取り出すと、該当箇所を読み上げる。「『棺に向かって、『夢の卵』の音に合わせて、ノックしてもしもーし』」「……」 「……」 間。「サイトさん、こんな時に冗談を言うのはどうかと」「そうよ、空気読みなさいよね。この駄犬。だいたい、死体に話しかけてどうするのよ」 ルイズとシエスタがジト目でサイトを睨む。 それを見てサイトは慌てて否定する。「いやいや、書いてあるんだって! ほら!」「いや見せられても、私読めないから」「私も読めません。古文書解読スキルはありませんし」 遺言書を見せてくるサイトを、二人は切って捨てる。 遺言書の内容は旧仮名旧体漢字で書かれており、サイトを『読心』して多少は日本語を齧っているルイズや、両親から簡単な日本語を教えられたシエスタには読めなかったのだ。 読めたのは暗号解読や古文書解読のスキルが高かったサイトだけであり、さらにサイトの口から発せられたときに、使い魔のルーンの効果でハルケギニア語に自動翻訳されているために、よく分からない文章になってしまっている。 ちなみに原文は『棺に向かひて呼び掛けるべし。その際に夢の卵の音色に合はせて木棺を叩くべし』となっている。 だがそれをするまでもなかったようだ。 こつ、こつ、こつ。 木棺の内側から音が。 サイトたちが一斉に振り向き、木棺を見る。 ほら、五月蝿くするから。 こつ、こつ、こつ。 鬼が目覚める。 こつ、こつ、こつ。 死して尚、自らを括り、護国の鬼となった英霊が。 こつ、こつ、こつ、……ず、ずずず。 その神宝を託すに足りる相手かどうかを見極めるために。 棺を敲く音が止み、木棺の蓋が、徐々に横にずれていく。 ずず、ずずずず。 息を呑むルイズたちを他所に、遂に木棺の蓋が落ちる。 が、こん。 そして、棺の内に眠っていた守護者が、木棺の縁に手をかける。 ずるり、と燭台の灯に照らされて出てきたのは、黒光りする甲冑の手指。 白木の柩の縁が、篭手の重量と圧力に負けてミシリと軋む。 ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ。 不気味な金属が擦れる音と共に、木棺の縁に掛けた両手を支えにして、奇妙な生物的な丸みを帯びた甲冑が、地獄から黄泉帰るかのように上体を起こし―― どかん。 先手必勝とばかりに振るわれたルイズの『エクスプロージョン』によって吹き飛ばされた。 半ば起き上がっていた甲冑は、それによって強制的に再び柩に寝かしつけられて沈黙する。 ぱらぱらと甲冑を構成していた金属の欠片が舞い落ち、爆風で蝋燭の炎が揺らぐ。「ちょっ、おま、ルイズ! 何してくれてるんだ!?」「そうです、ルイズさん! ひいおじいちゃんの遺体に何かあったらどうするんですか!?」「訳の分からないものは取り敢えず吹き飛ばしておくに限るわ」「大雑把過ぎるっ!」 「短気過ぎます!」 サイトとシエスタが絶叫するのと同時に、彼らの背後、鳥居の方に、怖気だつ気配が満ちる。 ぎょっとして振り返れば、登ってきた鳥居の柱の後ろから、高さ2メイル程の幽霊のような影が無数に現れていた。 鳥居に括られていた存在が、解き放たれたのだ。 滑るようにして、それぞれの鳥居の根本から解き放たれた異形たちは、スッと参道に揺らぎ出る。 猫目石のように妖しく『夢の卵』と同じような黄金色に輝く二つの目は、知性を宿してはいるものの、頑として他者の影響を受け付けない忠勇なる兵士のあり方をしていた。 靄とも影ともつかない半物体のクラゲのような形の胴体からは、ゆらゆらと蠢く半物質の触手が長く束になって生えている。 地面から浮いて、猫目海月の異形たちは、亡霊のようにするすると整然と参道を登って境内に押し寄せてくる。百八の鳥居の足元から発生した、二百十六の異形の“夢のクリスタライザーの守護者”たちが。 それに対して三人は祠の中から飛び出して、ルイズを護るように▽状の陣形を敷く。 サイトはデルフリンガーを抜き放ち、シエスタはメイド服の四次元ポケットから猟銃を取り出し、ルイズは杖とマジックカードを構える。 臨戦態勢。 どうやら幸いなことに、あの猫目海月の異形たちは、細い参道から外れることは出来ないらしい。 参道と境内の境目さえ押さえてしまえば、恐らく包囲されることにはならないだろう。 歌が聞こえる。 遠くから、あるいは近くから。 前から、あるいは後ろから。 周りの密林から、あるいは自分の内側から。 鳥居の向こうから、あるいは祠の中から。――行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも とおりゃんせ とおりゃんせ ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ。 戦いに赴くルイズたちの後ろで、祠の中の棺に再び篭手が掛けられる。 軋る音と共に、甲冑が起き上がる。 ルイズたちの後ろで、護鬼が再々起動。――――とおりゃんせ とおりゃんせ だがルイズたちはそれに気づかない。 異形の大軍を前にして、他のことに対する余裕を失っている。 他のこととは、例えば、後ろで起き上がる甲冑の護鬼。 あるいは、何故、猫目海月の異形どもは、鳥居参道の細道から外へと広がらないのか――いや、広がれないのか、その理由。――ここは何処の細道じゃ 護鬼・佐々木武雄を中心に敷かれた幻夢郷の呪法が、密林結界と鳥居結界を維持し、この参道の細道に、半物質の異形たちを拘束しているのだ。 佐々木氏は御神体『夢の卵』を、天皇陛下に奉じることによって、それは天皇陛下の物であると定義した。 つまり、この結界内部に於いて、『夢の卵』は天皇――天神・天照大御神――の延長であるとみなせる。つまりこの参道は――――――天神さまの細道じゃ 祠の中で起き上がった護鬼の頭部甲冑は『エクスプロージョン』で失われており、その下の素顔があらわになっていた。 そこにあったのは、老人の皺のある顔――ではなく、色白の細面の青年の顔。 甲冑の中身は、シエスタの曽祖父の佐々木武雄ではなかったのか。 いや、彼の顔は、正しく佐々木武雄その人であった。 正確には、在りし日の若き佐々木武雄の顔。 『エクスプロージョン』によって抉れて焼け爛れた彼の額は、彼が手で拭うと、跡形もなく復元された。 他に人が居れば、彼の復元と同時に『夢の卵』が燐光を放ったのに気づいただろう。 復元作用は、『夢の卵』による、夢時空の存在を実空間に結晶化する作用によるものなのだろうか。――――ちっと通して 下しゃんせ 同時に、吹き飛ばされていたフルフェイスヘルメットのような頭部甲冑(兜)も何処からとも無く召喚され、彼の顔を覆う。同時に、やはり『夢の卵』が発光。 兜は再生復元したわけではなく、新生したものだ。 その証拠に、吹き飛ばされた兜の破片は未だに床に転がっている。 新たに、何処か――夢の彼方から『夢の卵』の作用によって呼び出され、現実世界に結晶化したのだ。 完全装備になった彼は、祭壇に置かれた軍刀拵えの神刀を握ると、境内の方に向き直る。 顔面を完全に覆う鉄仮面のような兜から、青年・佐々木武雄のくぐもった声がする。「やれやれ。せっかく人が封じておいた“夢のくりすたらいざーの守護者”どもが、さっきの衝撃で逃げてしまいおった。全く、うちの家内といい、こっち(ハルケギニア)の女子は乱暴で参るわ」 どうやら、鳥居の陰から参道に現れた異形たちは、この護鬼の仲間ではないようだ。 外の猫目幽霊クラゲたちは、『夢の卵』を狙って集まるのだった。 むしろ、彼が封じていたクラゲのような“守護者”どもが、彼が吹き飛ばされたせいで封印が外れて、呼び起こされたものらしい。 今回ばかりはルイズの手の速さが裏目に出た格好だ。「――――御用のないもの 通しゃせぬ」 そうやって歌の文句を呟いて、起き上がった護鬼・佐々木武雄は、助走をつけて境内へと飛び出し、大跳躍。 ルイズたちの頭上を飛び越え、百八の朱鳥居と境内の境目、今にも猫目幽霊海月――“夢のクリスタライザーの守護者”が殺到せんとしていたその場所へと着地する。 全身を隙間なく奇妙なそれでいて美しい有機的で優美な曲線で構成された甲冑に包んだ護鬼が、驚愕に固まるルイズたちを置き去りにして、クラゲのような異形へと斬りかかった。「七生報國! 黄泉の向こうの夢路より若き日の我が身を“くりすたらいず”して、護鬼・佐々木武雄特務少尉、推参!! ええい、控えよ、異形どもめ! 陛下に奉じるまで『夢の卵』は渡しはせぬぞ!! それでも来るというのならァ――」 甲冑は大上段に軍刀を構えて啖呵を切る。 全身甲冑の各部が金属音を立てて攻撃的な鋭角に変形し、その身を尚更威圧的なものに変える。 彼が身につけるのは、夢想の産物にして、無双の鎧。 展性チタン合金複合装甲によって構成された、一騎当千の意志ある鎧。 神武の超鋼にして英霊を内に秘めし生きた護国の鎧。 護鬼・佐々木武雄の夢から結晶化(クリスタライズ)された想像上の戦術兵器――その名を、強化外骨格『雹』。「――当方に迎撃の用意あり!! 鋼我一体! 膾(なます)にして、喰ろうてくれるわ! クラゲども!」◆◇◆ 所変わって、アルビオンの隠れ里、ゴーツウッド村。 新生アルビオン、ステュアート朝の国王チャールズ・スチュアート(元モード大公)の妃シャジャルと王女ティファニアが暮らすのが、この隠れ里である。 街道から外れたところにあるこの村は、決して余人に見つかることはない。 何故か。 実はゴーツウッド村を囲むこの森、ただの森ではない。 当然、系統魔法や精霊魔法で十重二十重に防御混迷錯乱の結界が敷かれている。 のみならず、魔法が一般に普及しているハルケギニアにおいてすら超常と捉えられる魔術による防御が取られているのだ。 樹を見よ。 それはただの樹ではない。 蠢く枝葉が見えるだろう。 いや、それは枝でもなければ葉でもない。 触肢と触手が絡み合い、そこに申し訳程度のカモフラージュとして、ヤドリギのようなエアプラントを生やしているに過ぎない。 ザイクロトルの肉食樹と黒い仔山羊によって、このゴーツウッドの森林は形成されているのだった。 そんな狂気の森の中に、ゴーツウッド村はあった。 外から何者も入ることの出来ない絶対の結界。 そして、中からは誰も出ることの出来ない、堅牢な檻……というわけではなかった。 獰猛で悍ましい偽植物群は、村に住むエルフの親子や、それを世話する人々の妨げにならないのだろうか。 答えは、否。触手の森の内側に暮らす人々は、化け物たちの被害を受けない。 何故なら――「はいはーい、まだまだ餌は沢山ありますからねー。順番に並んでくださいねー」【ぎぃー】 【がぁー】 【びぃー】「じゃあ行きますよー、そーれ!」 ――彼らは餌付けされているから、大丈夫。 ナニかの肉を、触手蠢く異形の群れに向かって放り投げるのは若草色のゆったりめのエルフの民族服に身を包んだ巨乳ハーフエルフ、ティファニア。 投げられた肉片に五指が付いているように見えたような気もするが、それに喰らいつく黒い仔山羊とザイクロトランたちによって、直ぐに確認は不可能になる。 彼ら超常の存在たちは、基本的には【従属存在】であり【奉仕種族】であるため、然るべき魔術で拘束して手懐けてやればよく、そしてそれはさして難しいことではない。 スチュアート朝国王チャールズの愛娘ティファニアは、嬉々として彼らに餌付けを行っている。 ティファニアの傍らには、山と積まれた肉塊たち。どれも血抜きされ、綺麗に処理されている。 人肉――ではなく、アトラナート商会から買い入れている量産型食肉用ゴブリンの肉である、らしい。 蜘蛛商会から卸されるときには、既に切り身の状態であるため、その元がなんだったのかは確認できない。 ……ひょっとすれば人間牧場で殖やされた人間の肉だったりするのかも知れない。 アトラナート商会はハルケギニアでも有数の商会であり、当然ながらその取引先にはアルビオン王家も含まれる。 残念ながら、テューダー朝の債権は、王党派がニューカッスルごと吹き飛んでしまったため、ほぼ回収不能になってしまっている。 本来であれば全滅前に王党派全員を拉致して頚斬って人面樹に喰わせて細胞という細胞を刻んで魂の記憶を遡行して貸金の代わりに総合的な情報という対価を頂戴する予定であったのだが、それはあのピンクブロンドの傲慢虚無遣いによっておじゃんである。 テューダー朝の担当をしていたゴブリンはその責を負って実験体コース行きであった。南無。 まあそれでも、ワルド某とかいうレアな風魔法使いの脳髄をニューカッスルの瓦礫の中から回収できたし、一応テューダー朝最後の生き残りであるプリンス・オブ・ウェールズもトリステインに居ることだし、最悪というわけでもない。 恒星間規模の経済活動体であるアトラナート商会にとってみれば、たかだか小国一つ分の貸付が焦げ付いたとて問題ないレベルであるし。 新アルビオン政府スチュアート朝との取引も、現在進行形で貸付が膨らんでいる状態である。 アルビオンへの貸付について、回収の見込みがあるかどうかということだが、実はアトラナート商会(というか会頭ウード・ド・シャンリット)は、『グラーキの黙示録全巻セット(最新版)』とその運用ノウハウが詰まったオリヴァー・クロムウェルの脳髄さえ回収出来れば、一国まるごと買ってもお釣りが来るくらいに巨額の債権を帳消しにしても良いとも考えている。 大邪神イゴーロナクについての知識にはそれだけの価値があると考えているのだ。 情報は万金に価するなり。 今は、クロムウェルの脳髄内部で知識が更に熟成し魂に定着し汚染しきるのを待っている状態である。 あとは個人的にシャルル・ドルレアンにも、ガリアからの亡命の際の手引きをしてやった際の料金とか、まあその他もろもろの貸付が存在する。 シャルル自身は知らないが、実は彼の娘にして虚無遣いの予備と目されるシャルロット・エレーヌ・ドルレアンの身柄が、アトラナート商会の担保リストに加えられていたり。 いざとなったら彼ら商会は、シャルロット・エレーヌ姫を拉致して、蜘蛛商会が保持する聖人グレゴリオ・レプリカと掛けあわせるなり何なりするつもりである。 ゴーツウッドの森の中、六本の扁平な葉を持ったザイクロトランが、放り投げられた肉塊を幹の頂上に開いた大きな口で受け止める。 次に投げられた肉塊は、巨象のような蔓植物然とした黒い仔山羊の幹に開いた歯の生えそろった口に呑み込まれる。 飛び散る緑のヨダレが少女に跳ねる。 彼女は可愛らしく「きゃっ」と嬌声を挙げて、まるで嬉しさ余って飼い主に飛びついた犬のヨダレを拭う程度の気安さでそれを拭き取る。 まるでそれが彼女の日常であるかのように。 正しくそれが彼女の日常であるかのように。 ティファニアにとって、ゴーツウッド村を取り巻く彼らは、既にペットのような、家族のような存在なのだった。「ティファニア! 探したわよ!」「あ、お母さん」 ティファニアの餌付け場に、彼女の母であるシャジャルが顔を出す。 シャジャルはティファニアと同じような若草色の服に身を包んでいる。 尖った耳は彼女がエルフであることを示している。 並んでみれば、ティファニアとシャジャルはその金髪と整ったは顔立ち、タレ目なところがよく似ていた。 違うところと言えば、その胸元であろうか。 シャジャルは、エルフらしいスラリとしたスタイルであり、まあ、端的に言うと胸も慎ましやかなのであった。 巨乳因子はチャールズ・スチュアートの家系のものらしい。「マチルダさんも探してたし、もう戻りましょう。夕飯の準備も出来てるわよ」「はーい、お母さん」 手に手をとりあって、母娘は村――村とは名ばかりで実際は貴族の豪華な隠れ家と言ったほうが良いのだが――に足を向ける。 村ではサウスゴータ太守の娘であるマチルダ・オブ・サウスゴータが手配してくれた、美味しい夕飯(アルビオン基準で)が待っているはずだ。 マチルダ嬢は、婚期が来て結婚した後も、ティファニアの側にずっと仕えている。 それはエルフの母娘の秘密を知る者をできるだけ少なくしたいという、レコンキスタの思惑とも一致していたし、マチルダ嬢の夫となった者と彼女の夫婦仲が良好でないためでもあった。「あなたたちは、森に戻りなさい」【ぎぃー】 【がぁー】 【びぃー】 シャジャルの言葉に従って、触手の森が移動する。 真珠の名を冠するサハラのエルフが、この異形たちを縛っている使役者(マスター)なのだった。 彼女はサハラに居た頃はシュブ=ニグラスに仕える神官でもあったのだ。 エルフの中も一枚岩ではなく、主義思想や信仰の違いによって派閥争いが絶えないのだ。 現在は蜘蛛の眷属と同盟を結んで権勢を増した千年長寿の統領テュリュークを筆頭とする、風のハスター信者たちが宗派としては最大派閥である。 若手のホープであるビダーシャルという老評議会議員は、風の魔神の加護を得て、巧みに魔風を操って堅牢な空間干渉術式を構築するそうだ。 だが大地母神シュブ=ニグラスを信仰する一族たちも少なからず存在している。 あと猫の神バステトを奉ずる者たちも実は相当な数が隠れ派閥として存在しているのだとか、あるいは、かの暗黒ファラオ・ネフレン=カの復活を目論むカルトがあるとも言われる。 まあ、故郷のそういう派閥関連のあれこれに嫌気が差して逐電した身であるシャジャルとしては、もはや関係ない話であるが。 振り返って手を振って、ティファニアが彼ら悍ましい肉食の触手生物たちを見送る。「ばいばーい。またねっ」【ぎぃ!】 【がぁ!】 【びぃ!】 その声に答えるように触手たちが身を捩らせる。 彼ら使役される生物にも全く感情がないわけではなく、マスターたるシャジャルからの刷り込みも相まって、ティファニアに非常に懐いていた。 ティファニアたちの目には、悍ましく触手を振り乱して去っていく彼らの姿が非常に頼もしく映っていた。 地母神の加護を受けのではないかとすら思えるティファニアの大きな胸が、歩くたびに弾む。 それは視覚的なフェロモンと言っても過言ではない。 絶妙なる美を顕現した彼女の肢体の誘引効果は計り知れない。 昔、マチルダ・オブ・サウスゴータの色々と性癖的にアレな感じでかつ野心に溢れた婚約者(現在のマチルダ嬢の夫)がうっかりちゃっかり王女ティファニアを手篭めにしちゃおうと尾行してきたときも、森の奇怪な仲間たちはパーフェクトに防衛しきった。 異形たちは忠実で頼れるガードマンだ。味方でいるうちは、非常に心強い。 ……その不埒な彼はどうなってしまったのか? 今は元気に真面目に人が変わったかのようにシャンの半物質の脈翅をうさ耳のように生やして擬神機関(Azathoth-Engine)の建設の陣頭指揮をとっている。 配偶者のマチルダ嬢曰く、『昔よりも随分マシになった』とのことである。 人外に憑依された方が人間的だと評される彼の元の人格も気になるところではあるが、それを知る術はもはやない。 拷問好きのシャッガイからの昆虫によって、惑星シャッガイが崩壊する悪夢を見せられ続けてとっくの昔に完膚無き迄に壊れてしまっているだろうから。 彼ら夫妻の夫婦仲が冷え切っているのは、夫の方が最早人間ではないための、当然の帰結であった。 マチルダ嬢は、配偶者のその人外じみた様子を見ても特に感慨を抱くことはなかった。 もともと親に決められた結婚相手であるし、それほど思い入れもない。 というかティファニアを襲おうとしたという時点で、マチルダの中では死刑確定であったので、シャンに狂わされようが何されようが構わないのだった。 しかも処置後の方が人格的にマトモに見えるのなら、それ以上に言うことはない。 あとは妻である自分が上手く立ちまわって、なんとかあの拷問マニアの異星の昆虫に拷問されないようにスケープゴートを用意しておけば問題ない。 マチルダは、妹のように思っているティファニアのことが関わらなければ、かなりサバサバした性格であった。 もはや狂っているのが当たり前。 異常が日常と化した天空魔大陸。 今日もアルビオンは平常運行であった。◆◇◆ トリスタニアの王城にて。「マザリーニ、私決めました」 唐突にアンリエッタ姫がマザリーニ話しかける。「はあ、何でしょう?」 マザリーニは怪訝そうに聞き返す。「ゲルマニア皇帝との婚姻は避けられない、とのことでしたね」「ええ。そうです。姫様も溜息を二百九十――」「二百九十二回」「そう、二百九十二回溜息をついてようやく御理解いただけましたか」「ええ、理解しました。つまり私はトリステインのために『ゲルマニアと婚姻し同盟する』、『ウェールズ王子とも結ばれる』という両方をやらなくてはならないのですよね」「……いえ、ウェールズ王子のことは諦めていただかなくてはならないと、もう既に百二十五回は申し上げたはずですが」 マザリーニが眉を顰める。 だけれどアンリエッタはそんなマザリーニのことは眼中にはないようであった。 心なしか瞳孔が散大しているように見える。 マズイ兆候だ。 疲労か、精神的な緊張か、いずれにしても殿下は平静ではない。 御殿医を呼ぶべきだろうか、とマザリーニは考える。 最近グリフォン隊からアンリエッタ殿下のお付きに取り立てられたアニエスとか言う女性隊士が、この部屋の前で警護をしていたはずだ。 グリフォン隊と言えば、隊長のワルド子爵のアルビオンでの功績にはどうやって報いるべきか。公には出来ないし。 とにかくアニエスに至急侍医を呼んできてもらうべきだろう。「ならば、ちょっとさくっとアルブレヒト三世を閨の中で殺してゲルマニアを簒奪して、ウェールズさまと結婚して、ゲルマニア・トリステインの全力を持ってアルビオン大陸を奪還すれば良いだけですわよね?」「……姫様。姫様は随分とお疲れのご様子でございますな」 マザリーニは溜息をつくと、表で待機する女性隊士アニエスを呼ぶためのベルに手を伸ばした。 急変する国際情勢の中、小国トリステインの受難は続く。 ……アニエスの受難も続く。=================================作者です。生きてます。感想をいつもありがとう御座います。読んで励みにしています。今後あまり感想返しは出来ないかも知れませが……。管理人の舞様、こんな中でもArcadiaサーバを動かして頂き、頭の下がる思いです。誠にありがとうございます。佐々木武雄氏については海軍から陸軍に変更。さらに地震で揺れて落ちてきた『覚悟のススメ』を読み返していたら何時の間にかあんな感じに。夢のクリスタライザーはチートアイテムです。ウェストウッド村は、ゴーツウッド村に改変。シャジャルさんと一緒に地母神を讃えましょう。いあ、しゅぶ=にぐらす。ルイズの分霊翼蛇さんは次回予定。2011.04.01 初投稿