ここはハルケギニア星系の第四惑星(火星相当)と第五惑星(木星相当)の間に広がる小惑星帯。 青き星と双子月を遙か彼方に置いて、ここまでも蜘蛛の糸は伸びている。「ていこくはー、とってもーつよいー。せんかんはーとってもーでかいー」 宇宙服を着て某星戦争な鼻歌を歌いつつ作業を行うのは、もはやお馴染みの感がある新興種族、樹から生まれるハルケギニア産ゴブリンである。 因みにこんな3Kどころじゃねーぞって職場環境に居る彼女――オルガ・ヴァンデュジエム・ルインは、やっぱり犯罪者。 具体的には先の大規模なイベントで私怨丸出しで戦場放棄して私闘を行ったのがチクられて上層部にバレたため、懲罰として社会奉仕活動中である。 因みにその時の私闘の相手の方は、これまた懲罰で、現在は火星辺りで腐臭漂う煙を纏った“イヌ”とステゴロで死闘を繰り広げているはずだ。 何だかんだで、時を越える猟犬相手には一番勝率の高い人格を搭載しているし、“イヌ”相手にはそれ以上の適任も居ないだろう。 では、小惑星帯に居るオルガは何をしているのかというと。 小惑星の軌道を変更して一箇所に集めるための、ロケットエンジン替わりをさせられているのだ。 オルガは棍を小惑星に突き刺し、そっと手を添えて荒地のような小惑星の地表に腰掛ける。 茫っと彼方を見つめる。彼方に見える銀河の星々が眩しい。 棍に魔力を流し、地表の粒子を土魔法と火魔法で分解→イオンビーム化して推力にする。 あと30分加速させたら別の小惑星で同じことをやらなければならない。気の遠くなるくらいのノルマが残っている。残りの人生掛けても終わるかどうか。 ふと寂寥感が胸にこみ上げる。一体何でこんな事になったのか。【激情に駆られて決闘に臨んだ挙句に決着が着かずに魔力切れでダブルノックアウト。その後、敵前逃亡で軍法会議に掛けられたせいでしょう……】 傍らの地面に突き刺さる棍から思念が伝わる。 オルガの体内に張り巡らされたカーボンナノチューブネットワークの杖〈黒糸(個人用)〉を宇宙服にも傍らのインテリジェンス・ケインにも侵食させているお陰で、真空の宇宙でも会話ができる。 宇宙作業をする者には、相棒となるインテリジェンスアイテムが支給されている。もしくは犯罪者の中でも最初からインテリジェンスアイテムを持っている者が、この小惑星帯域の作業者に選ばれる。 作業者が孤独で狂わないようにするためということもあるし、作業に必要な複雑な軌道計算をインテリジェンスアイテムに肩代わりさせるためでもある。「それはあの女がシブトイから悪いのよ? さっさと消し炭になれば良いものを、しつこくしつこく再生しやがるから?」【あれはもう相性が悪かったとしか……】 オルガは今の相棒と出会った戦場での初戦闘を思い出す。 〈97号〉と呼ばれる棍型のインテリジェンス・ケインと彼女は、先の大規模な対人間の戦争“シャンリット防衛戦”で出会ったのだ。 出会い頭に『いい拾い物しましたわ?』とか言ってあっという間に〈黒糸(個人用)〉を〈97号〉に侵食させて強制的に従属させたのも記憶に新しい。 そこで出会った因縁の相手。焼き尽くしても焼き尽くしても再生して突っ込んでくる女――アネット・サンカンティアニエーム・バオー。 どこのリジェネレーターだ、畜生め。欠損した質量を、周囲から『錬金』でタンパク質なんかに変換して補うとか何処の変態が考えたんだか。彼女はあの時の戦闘を思い出して心の中で悪態をつく。 最終的にはオルガの精神力切れと同時に、アネットもオルガの最後の一撃で受けた損傷を再生した際に精神力が底を衝いたようで、決闘は両者相打ちとなった。「思い出したらまたムカッ腹が立ってきましたわ?」【注ぎこむ魔力は乱さないでくださいよ。軌道計算やり直しとかヤですからね……】 彼女のような宇宙空間の作業者らによって一箇所に集められた小惑星の塊は、適当な大きさになればハルケギニア星と繋がる〈ゲートの鏡〉が設置される。 そのゲートを通じてハルケギニアの惑星規模ネットワーク状インテリジェンスアイテム〈零号〉と接続され、その端末 兼 人工衛星都市として開発されるのである。 数百時間かけて数百人が作業した結果、漸くまた一つ大きな岩塊が出来つつあった。 そして、亜光速で突っ込む何者かによってブレイクショットされた。◆ 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝6.ビヤーキーは急に止まれない ◆「またビヤーキーですか!? サハラの連中、少しは自重しやがれです。特に木星あたりまでは徐行運転して欲しいものですね!? 或いは飛行ルートを変えるとかしないんですかね!?」【あーあー、玉突きみたいに小惑星が広がっちゃって……。これは〈零号〉さんの方での軌道計算のやり直しを受けないと迂闊に作業できませんよ……】 遠目に岩塊が蹴散らされる様子を目撃してしまったオルガと〈97号〉がボヤく。 時々星間を渡る化け物たちによって彼女らの作業が妨害されることがあるのだ。【それより、さっさと祝詞唱えないとこっちに襲いかかってきますよ、ビヤーキー……】 巨大な岩塊があった辺りに、耳長エルフを乗せた奇っ怪な生き物が見える。 頭・胸・腹の三つの節から成る身体に大きなコウモリのような翼。 アリとコウモリを混ぜたような、あるいはハチとハゲタカのキメラのような、よく分からない生物だ。 あれが小惑星の塊にぶつかったのだろう。「はいはい。“いあいあ はすたー、いあいあ はすたー”。これで良いかしら?」【投げ遣りですけど、大丈夫じゃないですか? 多分……】 名状し難きハスターの下僕であるこの宇宙飛行生物は、このような出会い頭にはハスターの信奉者であることを示さねば襲いかかってくることがあるのだ。 星間に満ちるええてるの波に乗って光速に迫る勢いで飛来する彼らの突進を止められる者が居るだろうか? 否、居やしない。気づけばバラバラにされているだろうことは想像に難くない。 真空なのに祝詞が伝わるかどうかは分からないが、この一工程を行うことで、荒ぶるビヤーキーの犠牲者が出ることが劇的に減ったのだから、ええてるを伝わって聞こえているのだろう。「なら良いですわ。それより、軌道計算のやり直しの為に情報収集が必要なのでしょう?」【そうですね……。幸い激突の瞬間は記録出来ましたのでそこから詳細な各破片の軌道も分かるでしょう。後で〈零号〉さんに記録を提出しましょう……】「じゃあベースに戻らないといけませんわね?」 さあ、ベースとなっている近場の人工小惑星都市に戻ろう、と精神力を棍――〈97号〉に流そうとしたところで、オルガは異変に気が付く。 右腕が無い。 〈97号〉も傍らに無い。 ビヤーキーはいつの間にか居なくなっている。 そして次の瞬間には、オルガの視界は糸を引く勢いで回っている。 星々の光は白い糸となり、まるでオルガ自身が世界の中心に居るかのようだ。 自分の体が何者かにぶつかられた勢いで高速回転しているのだ、と理解できた所でオルガの意識は途切れた。◆『以上が小惑星中を漂う〈97号〉とオルガ・ヴァンデュジエム・ルインの頭部から回収された事故時の様子についての記憶および記録である。 これにより、オルガ・ヴァンデュジエム・ルインはエルフが駆るビヤーキーに遭遇した後に、その突撃を受けたものと推察される。 同様の事故を防止するためには、 ①ビヤーキー遭遇後の祝詞をもっと完全なるものにしてビヤーキーを宥める あるいは ②サハラのエルフ達に我々の小惑星開発宙域の情報を提供するなどして彼らの星間飛行ルート選定上の注意を促し、そもそもビヤーキーの進路と工事宙域がぶつからないようにしてもらう ということが望まれる。 ①については〈レゴソフィア〉氏族に対して、発狂した知識を保持している人面樹群やエルフの死体から得られた記憶から、ハスター崇拝の祝詞をサルベージすることを要請する。 あるいは〈ウェッブ〉氏族に対して、エルフの集落に浸透拡張させた〈黒糸〉を通じて、エルフのハスター崇拝の祭祀を盗聴盗撮して祝詞を盗み出すことを依頼する。 勿論エルフの拉致や略取など非合法的な手段に訴えずに、友好的に完全な祝詞を聞き出せるならばそれに越したことはないだろう。 ②についてはエルフへ提供する小惑星帯工事宙域の情報や、過去の事故発生データについての草案は作成してあるので、適宜修正を加えてエルフとの交渉に活用していただきたい』 ――小惑星宙域開発 事故報告 第1056号より抜粋――◆「それで、私にこれを老評議会に伝えろというのか?」「えェ、お願いできませんかねェ、ミスタ・テュリューク」 サハラ付近のアトラナート商会支店の迎賓館にある一室にて、エルフの美丈夫と背の低い卑屈な笑みを浮かべたゴブリンメイジが向かい合っている。 二人の間の机の上には小惑星宙域における事故発生件数とその原因に占めるエルフが駆るビヤーキーとの衝突件数などの資料と、ゴブリン側からエルフへの要望書が置かれている。「困ってるんですよ、我々もねェ。あの小惑星帯の開発には膨大な時間と労力が注ぎ込まれています。それをそっちの不注意の事故で何度も台無しにされちゃあですねェ」 そう言って卑屈そうな矮人は幾つもの資料を読み上げる。「これまでに完成間近な人工小惑星都市に激突すること10回、集積中の小惑星群を蹴散らすこと139回、二次的な作業遅延や人的被害は数えきれません。 こちらとしても外交上の何らかの対策を取れと言われているんですよねェ」「フン、そっちが勝手にビヤーキー達の進路上に割り込んできているのではないか。自業自得だ」 エルフの男、テュリュークはゴブリンの訴えを一蹴する。「その進路を教えて頂ければこちらとしてもバッティングしないように対策を取れるんですがねェ。でも、教えてはくれないんでしょう?」「ああ。これまで何度も言っているように、私にはその権限が無いし、知っていたとしても他種族の者に星間飛行の航路なんか教えられるものではない」 沙漠に住む彼らエルフの一部は名状し難きハスターを信奉し、かの神性の強力な加護を得ている。“風”を司るハスターの加護を得た“行使手”は“反射(カウンター)”などの空間力場系の術に対する適性が高く、強力無比である。 その加護を継続させるための巡礼に、あるいは知識を得るためにセラエノの大図書館へ赴くのに、エルフたちは頻繁にビヤーキーを呼び出し、遙か星辰の彼方へと旅行を行っているのだ。 その旅路を押さえられるということは、ハスターの御下への巡礼旅行を邪魔される可能性があるということだ。 或いは魂を閉じ込めてしまう檻などの悪辣なトラップが航路に仕掛けられるかも知れない。信用できない相手には教えることは出来ないだろう。 まあ、トラップの危険性という意味では現状でもゴブリンたちがその気になれば、いくらでもトラップを仕掛けられるのであるが。 実際に交渉が決裂するようなことになれば、最終的にはゴブリンたちは宇宙にアトランダムに様々なトラップを仕掛けて拿捕するなど、エルフに対して実力行使に出るつもりでいる。 ただこの場合、エルフ以外の星間種族も敵に回す虞(おそれ)もあるから積極的に執りたい手段ではないが。「だからコチラも譲歩しているじゃあないですかねェ。こっちの工事中の宙域を教えるから、ビヤーキーに乗るときはそこを避けて飛ぶように指導して貰えないかって話なんですよ」 一方エルフのテュリュークはアトラナート商会の駐在員から詰め寄られて内心非常に困っていた。 何せ、セラエノへの星間飛行の航路なんて決まったものは存在しないのだ。 そもそもからしてビヤーキーの背に乗っている間は精神と身体は凍りついており、乗騎にまともに指示できる状態ではない。 飛行はビヤーキー任せなのである。 更に言えば、よしんばビヤーキー達の航路がエルフ達の手でコントロール出来たとして、今度はアトラナート商会から提供されるという“工事区域の宙域図”を解読して運用するだけの技術力がない。 宇宙の何処そこを工事中なのでそこは通らないで下さい、と言われても、その“何処そこ”をリアルタイムで把握してその領域とぶつからないように航路を構築するなんて芸当は到底不可能だ。 目の前に居る駐在員のゴブリンは、エルフの技術力を過大評価しているのではなかろうか。 プライドの高いエルフとしては決して口に出して言える話ではないが、殊、複雑な処理能力や精霊を介さない技術に関してはアトラナート商会はエルフの一歩も二歩も先を行っているようなのだ。 黙りこくっているテュリュークの様子を見て、交渉役のゴブリンは溜息一つ。 「分かりました、ミスタ・テュリューク。 そういう事でしたら、こういうのはどうでしょうかねェ?」 ゴブリンは取っておきのカードを切る。「今現在、既に完成している小惑星帯の人工小惑星都市の一つを進呈します。 コチラをセラエノへ向かう際の玄関口として使って頂けませんかねェ?」 勿論、インフラはそのまま残しますし、サハラから直通の〈ゲートの鏡〉も付けますよ、とゴブリンは言う。 これにはテュリュークも耳を疑った。人工小惑星都市と言えば、少なくとも10リーグ四方の小都市に匹敵する人員を収めるくらいの大きさはあったはずだ。 確かにそこをエルフの宇宙港として用いれば、ビヤーキーが小惑星帯域を通ることも無くなり、ゴブリン側の事故は減るだろう。現在無秩序に召喚しては飛行しているビヤーキーについて、宇宙港で発着するようにその召喚を統制出来れば更に事故は減るだろう。 しかしこんな大層なものをこうも軽々しく“進呈する”だなんて、一体何を見返りに求められるのか。テュリュークの背中を冷たいものが走る。「そんなものを貰う訳には行かないな。第一、それは丸っきり賄賂じゃあないか」「賄賂だなんて! 人聞きの悪いことを言ってはいけませんねェ。我々はそれだけ現在の事態を憂慮しているということなのです。 現場の安全とこれ以降に失われるかも知れない貴重な時間というものを買うと考えれば、都市の一つくらい安いものですからねェ」 生の短いゴブリンにとって、時間というのは本当に何物にも代え難いものなのだ。「しかしだなぁ……」「それに我々はミスタ・テュリュークとこれからも良いお付き合いをしていきたいのですよ。 ……ミスタ・テュリュークが統領になるまで、ねェ?」 延命の方法なんていくらでも有りますし、韻竜並みの長期政権なんてのも良いんじゃないですか。などとゴブリンは続ける。 瞬間、テュリュークの頭の中で様々な憶測や打算が走る。 元来から、テュリュークは権力志向の強い人間なのだ。 現在はアトラナート商会付きの連絡官という閑職に追いやられているが、小都市にも匹敵する人工小惑星都市を手土産に出来たとすれば? 老評議会議員、ゆくゆくは部族の統領となるのも可能なのでは? そういった思いが後から後から湧き出してくる。「持ちつ持たれつ、上手くやっていけないもんですかねェ? ミスタ・テュリューク」「……良いだろう、星の彼方の都市を一つ。それを対価に、貴殿らの小惑星帯の宇宙開発の邪魔にならないように手配しよう」 満足いく返事がもらえたということだろう。ゴブリンが喜色を浮かべてテュリュークに握手しようと手を差し出す。 テュリュークもそれに応える。「流石、ミスタ・テュリューク。では、コチラの契約書に早速サインを。これであなたは一都市の主ですねェ。これをどう使って行くかは貴方の才覚次第ですよォ。 しかし、我々は貴方を非常に高く買っていますゆえ、あまり心配はしておりません。貴方の手腕を信じていますからねェ」「フン、任せておけ。せいぜい私も貴殿らを利用させてもらうこととしよう。そちらこそ覚悟しておけよ?」◆ 以降、ビヤーキー発着用の宇宙港を運営するテュリュークの出世にともなって、エルフ社会の内部にもアトラナート商会は深く食い込んでいくこととなる。 小惑星帯の宇宙開発を邪魔するようなビヤーキーとの衝突事故も殆ど起こらなくなり、ゴブリンたちの小惑星帯の宇宙開発は順調に進むようになる。 そして当然ながら、ここに至り、火星-木星間の人工衛星都市においてエルフとゴブリンの技術の混淆が進むこととなる。 神秘的に秘匿された崇拝儀式やその為の材料の作成は、一般化され、部分的には工業化された。 エルフたちはゴブリンたちに対して要望や提案――つまりはある種の可能性を提示すれば、ゴブリンたちは彼ら生来の知的好奇心に基づき勝手にそれを実現していくのだった。 また遥かセラエノからエルフたちが持ち帰る知識をゴブリンたちは積極的に買い入れた。 牡牛座のプレアデス星団(およそ400光年の彼方)に位置するセラエノは、余りに遠すぎて〈ゲートの鏡〉によって行き来することは不可能であり、また短命なゴブリンたちではセラエノで学ぶ時間が少なすぎてあまり多くの知識を持ち帰ることが出来ないためである。 エルフは長命を活かして知識を持ち帰り、ゴブリンは短命ゆえの知的な瞬発力を用いて開発を行うという相互関係が出来上がったのだ。 お互いに信頼しきっている訳ではないが、利害が一致する間のパートナーとしては信用していた。 エルフはゴブリンたちが知的欲求に対して率直過ぎるきらいがあるものの、理性的であることを評価していたし、精神的な群体としての長命さに羨みを覚えるものも居た。中には自ら進んでゴブリンたちの人面樹のネットワークの中へと死後の自分の記憶と経験と人格を託したものもいただろう。ただ、ゴブリンたちのあまりの見境の無さに嫌悪を覚える者も少なからず存在していたのは確かである。 ゴブリンたちは単なる取引相手としてしかエルフを見ていなかったが、それはエルフたちが基本的に敬虔なる“大いなる意思”への信仰者であることを充分に――人面樹に取り込まれたエルフの記憶から――理解していたからである。 敬虔なエルフに限っては、欲を出して更にゴブリンの技術や資産を得るためにと、ゴブリンたちに対して戦争を仕掛けたりなどはしないだろう。 しかし果たして今後も穏便な関係が続いていくのかどうか……。◆ 人工衛星都市の中の大通り。 1層は30メイルほどの高さとなっており、重力偏向魔法を常時発生させる機構によって床の方向が規定されている。 大通りは人通りが多く、50メイルほどの幅の通りの左右には、オフィスや居住区として用いるための建物が床から天井まで伸びている。というより人工衛星都市の内部構造を支える壁や柱の中に、ビルが一体化されていると言った方が正しい。 出来る限りサハラの建物に近づけるように、建物の壁は白い塗り壁によって構成されていた。もちろん見た目だけであるが。 そんな中、一人の切れ長の目をしたエルフの男が歩いていた。 エルフは皆切れ長の目と長い耳が特徴なのだが、この男はそれよりももっと怜悧で鋭角な印象を与えてくる。 それはあるいは彼自身の魂の鋭さから由来しているのかも知れなかった。 男はムウミンという名前である。彼らの言葉で“信仰に篤き者”という意味だ。 彼がここに来たのは遥か星の彼方へと風の神の加護を受けに赴いたその帰り道であり、星辰の彼方のセラエノからサハラへと帰るためである。「全く、息苦しい街だ。精霊の力が薄くて仕方が無い」 ムウミンはそう言って苛立たしげに周囲の建造物を見回す。 実際はエルフからのクレームを受けて、ゴブリンたちは通常自分たちが使用する人工衛星都市よりも遥かに多量の精霊石を使用して空間に満ちる魔力を上乗せしているのだが、それでも初めてこの街に来るエルフにとっては不快で息苦しいものとなるらしい。 彼らにとって精霊の力は空気のように親密で不可欠のものであり、この人工衛星都市はまるで空気の薄い高山地帯のように感じられるのだという。 その上、人工衛星都市全体がゴブリン式のインテリジェンスアイテム(物理的なハードに依拠しており、よりアストラルな存在に近いエルフ式インテリジェンスアイテムとは区別される)の制御下に置かれており、その影響で、人工衛星都市のフレーム部分や外壁部分は、よほど強力な“行使手”で無い限りは精霊と契約できないようになっている(勝手に構造物と契約して、機構を変形させられたらたまったものではないという事情もあるし、そのような行動は条例でも禁止されている)。 これによって、エルフたちは精霊と契約できない場所に居続けることから来るストレスにも晒される。 エルフから「せめて居住区は精霊を呪縛から開放して契約フリーの状態にしてくれ」とクレームが相次いだため、現在では、出来るだけ多くの建物を、人工衛星都市の管制人格の支配下から外すように建造様式が変更されている。 この人工衛星都市は名前を『トゥライハ』と言う。 『トゥライハ』とはエルフの言葉で“アカシアの木”という意味で、精霊力が希薄な宇宙空間に於いて、沙漠のアカシアの樹の如く生命を保つ様から名付けられたそうだ。 いくら宇宙空間よりましとは言え、初めて訪れたムウミンにとっては非常に息苦しくて仕様がない場所だ。 そう、“初めて”。 セラエノから帰ってきたムウミンが、このトゥライハ衛星都市に初めて訪れるとはどういう事か。 帰ってきたなら行きの時にもこのトゥライハの宇宙港を通って行くのではないのか? 復路なのに何故初めての来訪であるのか。 それは彼がセラエノに行っている間に、この人工衛星都市が出来てしまったためである。「ああ、全く。余計な物を作りやがって。しかも防疫検査で3日も足止めとは」 そう言いながら精霊力不足による高山病のような症状でフラつく足取りで近くの軽食屋の扉へと向かう。 扉をくぐって中に入ると、幾分か周囲の空気に精霊の力が多くなる。 ここの店主はエルフに配慮してか、独自に精霊石を仕入れて店内に精霊力を満たしているのだろう。「店主、水を頼む。冷えたやつをな」「はーい!」 ムウミンが店内に設えられた机に突っ伏しつつ注文をすると、奥からパタパタと子供がやって来る。 金髪の巻き毛と褐色の肌が特徴的な少女だ。ウェイトレスか何かだろうか。「“樹木の民”か?」 “樹木の民”とはエルフたちの間では、野蛮なゴブリンからここ十数年のうちに進化してきた種族のことを指す。 樹の実から生まれて殖えることからエルフの間では“樹木の民”と呼称されている ゴブリンメイジとか、あるいは新ゴブリン、矮人とも言う。「そうですよー、エルフのお兄さん。はいお水です。良ければ何か他に注文をどうぞ? こちらメニューです――って、ぁぁぁあああああっ!!」 途中まで流暢に話していた樹木の民の少女はムウミンの顔を見ると急に大きな声を上げた。 少女が急変して上げた大声に、ムウミンは思わず耳を塞ぐ。 そしてワナワナとこちらを指さして身体を震わせる褐色の少女へと、ムウミンは切れ長の鋭い目を向ける。「何だね急に。私の顔がどうかしたのか――」 途中まで問いかけたムウミンを遮って少女が叫ぶ。「轢き逃げ犯!!」「――い?」 余りに唐突な物言いにムウミンの刻が止まる。 一体何のことやらという顔をしたムウミンに対して、ウェイトレスの金髪巻き毛の少女は言い募る。「惚けるつもりですの!? セラエノへの行き道の小惑星帯で、ビヤーキーで思いっ切り跳ね飛ばしたでしょう!?」「うん? いやそう言われても」 ビヤーキーに跨っている間は乗っている者の精神は停止している。 途中で何かにぶつかったとしても、セラエノに着くまでは意識不明状態だから気づきようがないのだ。「やっぱり惚けるつもりですのね!? くぅう! でも証拠がないから何とも出来ない! 悔しいですわ!?」「はあ。何だ。まあ、取り敢えずこのランチセットAを頼む。ドリンクはココナッツで」「あ、はい。畏まりました、ランチセットA。ドリンクはココナッツで。――って、違う! いや違わない、ああもう、兎に角、後できっちり話つけますから覚えてらっしゃいまし!?」 反射的にムウミンの注文を復唱して、小柄な少女は錯乱したように頭を掻きむしり、捨て台詞を残して厨房の方へと去る。 そんな制服と思われるエプロンを着けた少女の愛らしい後ろ姿を見送って、持って来られたグラスを手にムウミンは考える。 一口飲む。よく冷えた水だ。美味い。市街地を走りまわって汗を流した身体にはよく染み渡る。「何だったんだ? 一体。大体、ビヤーキーに轢かれたとして、無事で居られるとも思えないが」 仮にさっきのウェイトレスの少女が言っていた事が本当だとして、ムウミンが考えるように、亜光速で飛行するビヤーキーに突っ込まれて無事な筈がないのだ。 そもそも“樹木の民”の寿命では、ムウミンがセラエノにいる間に命数が尽きて死んでしまうはずだ。さっきの少女は、吸血鬼の下僕たるグールのような死人には見えなかったし……。 そこまで考えて、ふとある可能性に気がつく。「そう言えば“樹木の民”は死体から記憶を受け継ぐ事が出来ると、噂で聞いたことがあったな。ひょっとして彼女が言っていたことは、彼女の、あー、なんだ、“前世”の話ということか?」 口に出してみて、その可能性が非常に大きいということに気がつく。 非常識的な話であるが“樹木の民”が斃れていった先人の記憶を本当に引き継げるというのであれば、先程の彼女の態度もあり得ないわけではない。 そして全く身に覚えが無いことではあるが、彼女の言うとおりにセラエノへの往路上においてビヤーキーで轢き逃げをしたのであれば、そして彼女がその被害者の記憶を引き継いでいるのであれば、一応先程の彼女の態度にも理屈は通る。 ……だがそうだとすれば、やはり彼女の前世――つまり直接に被害に遭った者――は死んでいる訳であり、死者からの賠償請求が成立するのか、という問題がある。 常識的に考えれば、その当時には生まれていなかっただろう先程のウェイトレスの少女に対して賠償する必要はないはずだ。エルフと“樹木の民”の間で結ばれた条約にも依るが、恐らくは。 そうしないと、賠償を請求する権利を持った者が際限なく増えてしまうではないか。 そうこう考えているうちに先程の金髪ロールの少女が食事を持ってくる。「ご注文のランチセットAをお持ちしました。こちらココナッツドリンクでございます」 非常に気不味い。「気不味いな……」 思わず口に出したムウミンを少女が片眉を釣り上げて睨んでくる。「私もそう思っていましたけれど、口に出さないで頂けます?」 涼しい顔でムウミンはそれを受け流すと、運ばれてきたドリンクに口をつける。 うむ、甘くて美味しい。「なあ、考えていたんだが、もし、仮に私が君を――いや、君の前世を、かな? 轢き殺していたとしよう。 その場合、君に賠償請求権というのはあるのか? ずっとセラエノに居たものだから詳しくなくてね」 ムウミンは自分の中に生まれた疑問をぶつけてみる。 他に客も居ないようであるし、少しくらいウェイトレスと話し込んでも仕事の邪魔にはなるまい。「え? そんなのある訳ないですわ? 死んだら、ハイそれまでよ、という事になってますから」 けろりと悪びれる風もなく少女は答える。 それを聞いてムウミンは非常に理不尽な気持ちになった。 言い掛かりじゃないか。「言い掛かりじゃないか」 口に出ていた。「例えそうだとしてもですね! あなた――ミスタ……えーと、お名前は?」「ムウミン。“篤信の徒”というような意味合いだ」「なるほど良い名前ですね、ミスタ・ムウミン。私はオルガ・ルインです。本当はミドルネームに“第67家系の(ソワサントセッティエーム)”とか付きますが」「はあ、ミス・オルガ、ね」「例え、言い掛かりだとしてもですね、ミスタ・ムウミン。私としては断固として謝ってもらいたいのですわ! そうじゃないと気が済みませんわ?」 精一杯胸を張って言い切るオルガに、こめかみを押さえてムウミンは訊ねる。「……あー、ミス・オルガ。先ず以て、私が犯人だという証拠が無いじゃないか。それに仮に君に何か賠償したとして、別の“ミス・オルガ”――つまり君と同様に事故死したオリジナルの“ミス・オルガ”の人格を引き継いだ者――が、また賠償を請求してきたらどうするんだい?」「……いいから償いとしてセラエノで学んできた知識をご開陳なさいまし? さあさあさあ」「目を逸らしたな。というか目的はそれか」 “樹木の民”が知識を蒐めるのに貪欲だというのは有名な話である。 こうなると少女が言っていた“ビヤーキーに轢かれた”という話もただの口実――当たり屋みたいなものだ――とも考えられる。 ムウミンは眉間に皺を寄せる。 傍らでは金髪巻き毛褐色肌の少女が「ハリーハリーハリー」と何故かアルビオン語で急き立てている(ちなみに二人の会話はエルフの言葉で交わされている。エルフの所有する人工衛星都市のエルフ向けの店だから当然だが)。 取り敢えずムウミンは喚く少女、オルガを無視して昼食を摂ることにする。 冷めてしまっては勿体無い。「むう。無視するつもりですわね? じゃあ謝罪とか賠償はともかく、世間話に何を学んできたのかお話しませんこと?」 ころりと態度を変えて柔和に話し掛けるオルガ。 勝手に向かいの席に腰掛けると、ランチを食べるムウミンを見つめる。「……」 見つめる。 見つめる。 見つめる。「……ミス・オルガ。そんなに見つめられると食べづらいのだが」「じゃあ話して下さいまし? ミスタ・ムウミン。何を学んできたんですの?」 諦めてムウミンは、昼食を食べる傍ら話し出す。 どうせ無視しても付きまとわれるだろうから、ある程度は話してしまおう、と言う魂胆だ。 それに食事を早く済ませないと、いつ追っ手に追いつかれるか解らない。「私がセラエノで学んだのはね、ミス・オルガ」「わくわく」「――“イースの偉大なる種族”の作る精神交換機械の理論と構造についてなのだよ」 ムウミンの言葉を聞いたオルガは、顔色を一瞬で真っ青に変えると席を立つ。 ――しまった、地雷だった! これ以上聞いたら巻き込まれる!「お話ありがとうございました、ミスタ・ムウミン」「『呼気よ、我が手となりて掴め』」 立ち去ろうとしたオルガの制服が、ぐい、と引っ張られる。 見えない空気の手だ。 いつの間にかムウミンは周囲のある程度の空気――口語詠唱から察するにムウミン自身が吐き出した息――と“契約”をしていたようだ。 そうかこれは吐息かと、オルガは微妙な気分になる。 その次の瞬間、店の入口が開き3名ほどエルフの一団が入ってくる。 彼らは何れも、目に鋭い――鋭すぎる理性の光を宿している。 その彼ら――イーシアンに精神を乗っ取られたエルフたち――が入ってきたのを確認すると、ムウミンはオルガを離す。 そして席から立ち上がる。 イーシアンたちはムウミンの顔を確認すると、彼に向かって歩を進める。電気銃を取り出すためか、彼らは懐に手を伸ばす。「うむ、話を聞いてくれて有難う、ミス・オルガ。渡した“図面”は速やかに持ち帰ってくれたまえ」「ちょっ!?」 ムウミンの台詞を聞いて、イーシアンたちはオルガに剃刀よりも鋭い視線を向ける。 オルガとイーシアンたちの目が合った。一瞬のアイコンタクト。 ――このエルフに精神交換機の秘密を探るように依頼した黒幕はお前か。 ――――絶対にノゥ! ですわ!? ――“図面”というのは精神交換機の図面だな? そうだろう。君たち蜘蛛の眷属の新興ゴブリン種族はずっと欲しがっていたものなあ? ――――違います! 誤解ですわ、そんな図面なんか受け取ってません! 陰謀です! いや欲しいのは確かにそうなんですけど……。 ――精神交換機は我らの秘中の秘。その秘密を知ったからには生かしてはおけない。 ――――だから知りませんって!? イーシアンたちはお互いに視線を巡らせ頷き合うと、懐から電気銃を取り出した。「きゃあああ!? 不幸ですわーー!?」 位置関係的に、入り口に陣取っているイーシアンたちからは、ムウミンとオルガが居る席と更に奥に厨房が見える。 オルガは咄嗟に厨房に飛び込み、ムウミンもそれに続く。「うむ、土地勘がなくて困っていたところだったんだ。一番良い逃走経路を頼む。案内してくれ」「言われなくてもそうしますわよ! よくも巻き込んでくれましたわね!?」 オルガは厨房の鍋などを手当たり次第に後ろに投げながら逃げる。ムウミンも見えない空気の手でそれらを投げる。 厨房のコックたちは異常を察知して伏せている。良い判断だ。 背後からイーシアンが放った電撃が迫るが、金属製の鍋などに散らされてしまい、オルガたちには届かない。「話を聞きたがったのは君じゃないか」「“図面”なんて受け取ってませんわ!?」「何、お詫びに逃げ切った暁には本当に精神交換機の図面を渡そうじゃないか」 ムウミンのその言葉にオルガはゴクリと唾を飲む。「……本当に?」「約束しよう」 オルガが先導して厨房の裏口から出る。 裏口の扉を電撃銃の光線が貫く。「任せてくださいまし。必ず逃げきってみせますわ!」「ありがとう。これで一蓮托生だな。頼むよ、ミス・オルガ」 急造コンビの逃走劇。 彼らは果たしてイーシアンから逃げ切れるのか!?================================続かない。でも多分ムウミン&オルガの行く末はバッドエンド。南無。オルガさんのキャラクターイメージ的には何となくゴスロリっぽい感じ。薔薇乙女?2010.09.04 初投稿2010.09.05 追記/修正2010.09.10 人工小惑星都市の最小の大きさについて修正2010.10.30 修正