ミッドチルダのとある街の繁華街が一角に、小さなバーがある。
地上4階という中途半端な位置にあるにも関わらずその店内には窓が一つもなく、薄暗い。
見渡せばカウンターに始まりテーブルに椅子、床までが全て木製で、どこかヨーロッパの地下にあるバーをそのまま転移させたようなイメージを受ける。
客の数も疎らで、時折店内のどこかから上がる小さなタバコの煙が天井のプロペラに攪拌され、消えてゆく。
店の端には客の誰一人として使われた所を見たことの無いピアノがポツンと置いてあり、音楽はもっぱら、その横に置いてあるレコード盤再生機によってい流されていた。
時折聞こえる話し声も、その再生機のスピーカーから流れるジャズに掻き消されてしまう。
大酒飲みが来る所では無く、高級な酒が置いてある場所でもない。
ただ、少し疲れた大人が自分1人になりたい時、もしくは誰かに胸の内を打ち明けたい時に使う、そんな店だった。
そんな店内にまた1人、客が現れた。
キィ、と小さく鳴ったやはり木製の扉が開く音は店内に薄く伝播し、消えてゆく。
聞こえるが気にならない、また待ち合わせしている者が気づく程度の音量で。
現れたのは一人の、まだ少女と言って良い年齢の女性だった。
いつもはツインのポニーにしているオレンジの髪を肩口よりやや先、肩甲骨のあたりまでバッサリと下ろしたティアナ・ランスターが其処に居た。
彼女は店内を見渡す事無く一直線にカウンターに向かい、一番奥に座っていた男の隣の席に座る。
「キールロワイヤル」
「はい」
キールロワイヤル、"生前"に名前がどこかのマンガで見た事があったので頼んだら思ったより旨くてハマった酒だった。
確かに飲みやすいのだが、カシス酒を白のスパークリングワインで割るという、酒を酒で割るカクテルのためアルコール度は高い。
所謂「飲みやすいカクテルは意外と強い」を地で行く酒だ。
最も、アルコールの味もかなりするので飲めば度数が高い事は一発で判るのだが。
ティアナが頼んだのはそのモドキだった。
カシスはノンアルコールカシスジュース、ワインの代わりに白ぶどうの炭酸ジュース。
いつの日か本物を飲む日を楽しみにしているティアナだった。
つまり、彼女は酒を頼んでも初老のバーテンダーが黙ってモドキを出す位にはこの店に良く来ていた。
(そういえば今日で確か……初めて来た日から7日連続かぁ……)
「どうぞ」
「ん、ありがと」
今まで冷凍庫に入れていたグラスに注いだのだろう、触ると指先が凍ってしまうような鋭い冷気が伝わってくる。
ティアナはそれを目線の高さまで一度持ち上げ、カランと中の氷を揺らす。
しばらく見つめ、やがて桜色の唇はグラスに触れ、少量を口の中に含んだ。
カシスジュースと言っても本来ジュースメイカーの原液に使われるような濃い液体を使っていた。
強烈な酸味と芳醇なカシスの香り、後味はブドウの風味と炭酸がさっぱりさせてくれる。
舌の上に流れ込んできたソレはグラスと同様にその冷たさで口内を鋭く刺激し、やがて体温が移り、口の中に馴染んで行く。
温度の違いによる舌触りと味の違いを十分に楽しんだ後にようやく飲み込み、グラスをテーブルに置く。
気付けば置こうと思った時にはグラスシートが手元に置いてあった。
いつ置いたなんて気にならないし、気にしない。
それは、きっと野暮ってものだから。
ふぅ、と息を吐き出して目を閉じて余韻に浸る。
こうやって一杯のジュースをダラダラと飲むのが、最近この店でよく見られるティアナ・ランスターの飲み方だった。
「こうして見ると、まるで酒だな」
ティアナが第一口目の余韻を楽しみ終えた頃に、隣の男が肩を竦めてそう呟いた。
体も顔も前を向いているが、メガネの奥から目線だけがティアナを捕らえている。
「だったらいいんだけど……ね」
そしてティアナも、目線だけで男を見返して応えた。
「しかし、乾杯くらいしないか?こっちは待ってたんだぜ」
男はウイスキーのロックが入ったグラスの上を掴むと持ち上げて見せた。
中の氷は消えては居ないが少々小さくなっている気がする。
出てきてから10分位だろうか?
「情緒が無いわねぇ……ま、いいけど」
ティアナもグラスを上から掴むとつい、と持ち上げてみせる。
そのままお互いのグラスを近づけ、両者が手首を軽く動かした事で底同士がコン、と低い音を立てた。
カランと揺れた氷の音と同時に男は乾杯の言葉を呟く。
「転生と」
ティアナはその言葉を継いで返す。
「憑依に」
そう言って共にグラス傾けるを2人の魂は、この世界の物でもこの次元の物でも無い、全く違う場所を元に発生していた。
互いの存在に初めに気付いたのはティアナの方だった。
アレは確か、3年程前の事だろうか。
闇の書事件を解決した高ランクのエースとして名を馳せ、さらに順当に手柄を立て続ける原作メンバー。
そんな中高町なのはとフェイトTハラオウンの活躍はやはり目覚しく、メディアに取り上げられる事が多々あった。
特になのははその幼さと容姿とランクの高さから、フェイトは悲劇の過去を持つエースとして広告塔として都合がよかったと言う点は勿論ある。
その分八神はやてのニュースは取り上げられる事が少なかったが。
勿論管理局にはさまざまな部署があり、多種多様の任務がある。
取り上げられるニュースは他にも沢山あるのだが、ティアナは原作メンバーが報道された時だけは特にしっかりとニュースを見ていた。
そしていつの日か、とある違和感にティアナは気付いた。
なのはと一緒にニュースに取り上げられた男がいた、これはいい。
1人で部署を運営してる訳じゃない、同僚だって先輩だって上司だっているだろう。
フェイトと一緒にニュースに取り上げられた男がいた、それもいい。
クロノと一緒にニュースに取り上げられた男が居た、それもいい。
だが全部の男が同一人物というのは頂けない。
部署という概念が無いのか、この男には。
ランクはシングルA、才能はあるが主役の座を奪える程じゃない。
現にニュースでは一緒に報道される事はあってもインタビューのマイクが彼に向く事は稀だった。
どうも助っ人やバックアップとしての参加がメインのようだ。
管理局の内部枠に囚われない神出鬼没、ただ唯一の関連付けは"原作メンバー"と関わっているか否か。
そして六課のメンバーとの初顔合わせに彼が居た瞬間、ティアナの中の予想は確信に変わった。
彼は、ここ数年ニュースでよく見かける彼ケン・ミヤザワは、転生者だと。
ケンはその3日後にティアナが憑依者だと気付く。
正確には遠まわしで教えてもらったのだが。
ティアナが願望実現型ロストギアであるジュエルシードに絡めて昔聞いた御伽噺に出てくるロストギアの話をしたのだ。
1から7までのナンバリングがされた7つのオレンジ色の玉を全て集めると神龍と呼ばれるドラゴンが現れ、どんな願いも1つだけ叶えてくれるロストギアがあると。
ちなみに、リリカルの世界にはジャンプは無い。
『あぁ、その御伽噺は僕も聞いたことがあるな。確か……ドラゴンボール……Zだっけ?』
それが、彼と彼女の本当の出会いだった。
その日の夜からケンとティアナはこのバーに通っている。
唯一にして無二の友人と呼べる仲になるのに時間は掛からなかった。
このリリカルの世界で、ある意味ずっと1人ぼっちだった2人がようやく出会えた同胞。
会話のネタに困る事は無かった。
前世の世界にあってリリカルの地球には無いもの、名前が微妙に変わったチェーン店、そもそも存在していない店。
あぁ、アレが食べたい、それならこっちの地球にも、それ本当?
好きだった音楽の話、ゲームの話、アニメの話。
前世の年齢は?何処に住んでいた?
それこそ、一度会話を始めると無尽蔵に話題は出てきた。
寂しかったのかもいしれない。
本当の事を打ち明けた人は確かに他にも居る。
だが、本当の意味で自分を理解する事ができるのは、今目の前に居る相手しか居ない。
そして2人の話はついに、此方に来てからの話に移る。
「え?ティアナってTSだったの?」
「うん……まぁ……ね」
「それじゃあ大変だったろうに……」
ケンは天井を仰いでグラスの中身を口に滑り込ませた。
女の体になるのはまぁいい。
だが男に言い寄られるのは絶対に耐え切れない。
体験した事が無いので他にも色々と不都合があるのかもしれないが、それだけはケンにも容易に想像が出来た。
「口調が女言葉なのはキャラを被ってるからかい?」
「ううん、【ティアナ】がそうしろってうるさいから……」
「ティアナが?」
「あぁ、言ってなかったよね。この体にはオリジナルのティアナ・ランスターの魂がちゃんと入ってるのよ。むしろ主導権はアッチで、ティアナの許可が無いと私は外に出てこれないわ」
「じゃあ今も?」
「うん、中に居るけど全部聞いてるよ。元々全部話してるし」
「なら、ティアナが中に居る時で2人だけの時はせっかくだしさ……」
ティアナは一瞬何の事か理解できないという顔をして……気付いた。
「うん。2人の時は元の名前で呼んでくれると嬉しいかな」
そう言って笑ったティアナの笑顔は、それこそ一点の曇りさえ感じさせない心の底から嬉しそうな表情だった。
「あ……あぁ……その……ユーリ」
「なぁに?」
ユーリことユウリ・ヨシオカはまたしても満面の笑みを浮かべた。
一体何年ぶりだろうか、オリジナルのティアナ以外に自分をその名で呼んだのは。
悠里
吉岡悠里として生きて居た頃には女みたいな名前だと余り好んでいなかった筈なのに、何故これ程までに胸に響くのだろう。
ただ、嬉しかった。
「っく、調子狂うな……えぇと、何の話だったか……」
「ケンのお爺さんが魔導士だったって話からだよ?」
「あぁ、そうだった。俺は地球生まれだし家も普通だと思ってたんだけど――――――」
今夜も遅くなりそうだ。
また明日の朝スバルにぶーぶー言われちゃうかな?
そのシーンを想像してクスッと笑うユーリと、そのユーリを見て顔を赤くするケン。
2人の話は今夜も長くなりそうで、明日からも続きそうだった。
死んだ記憶は無い。
ただ、気付いたら来世だった。
僕が生まれた家はごく普通の中流家庭。
駅から5kmほど離れた場所に庭付きの一軒家がある、そんな何処にでもある家庭だった。
僕の名は宮沢 件(みやざわ けん)。
漢字を見て判る通りかの宮沢賢治とは全く関係が無い。
名付け親はおばあちゃんで、本当は件と書いて「くだん」と読みたかったとか。
なんでも牛の頭、人の体を持つ妖怪で、回避可能な不幸を忠告してくれる親切な妖怪の名前らしい。
当時はまだ「リリカル世界」に転生したなんて知らなかったから解らなかったけど、言いえて妙な名前だと思う。
でも両親が「くだん」は無いだろうと三日三晩親戚会議を開き、ようや件と書いて「けん」に落ち着いたらしい。
件の字を死守したのはおばあちゃんの意地だろうか。
僕としては「くだん」がよかったのだけど。
まぁでも目立つ名前とか辺な名前だと小学校とかで陰口の原因になるし、何事もやっぱり無難が一番なのかな?
小学校に上がるまで、僕は無難に過ごした。
ウチは金持ちと言える部類では無かったので公立以外に選択肢は無いし、奨学生や特待生は僕も御免だった。
無理をせず、無茶をせず、優秀になりすぎず、勉強もやり過ぎず。
小学校は勿論私服だったけど、僕はいつも似たような格好だった。
黒いジーンズにカッターシャツ、変わるのは上に着るトレーナーかジャケットくらい。
両親はいろいろ進めてきたけど、僕としてはキャラモノや子供過ぎるデザインは遠慮したかった。
だって短パンにサスペンダーとか……ねぇ?
だがそんな僕の擬態を……一緒に住んでいた母さんのお父さん、つまりお爺ちゃんは見抜いていたようだった。
僕が小学生に入ったその日、お爺ちゃんに呼ばれて庭に出た僕を待っていたのは実は魔法使いというカミングアウト。
そして僕は、デバイスという単語から初めてここが「リリカルな世界」だと知ったのだった。
だって晴海って地名は実在するんだから海鳴って地名でも違和感なんて覚えないじゃん。フツー。