気温が常に氷点下を行く極寒の雪山。
バージルとの修行で準備運動代わりに巨大な雪崩に追われていた明日菜は、今、自分が生きている事を泣きながら神に感謝の祈りを捧げていた。
「生ぎでる。私、生ぎでる」
いつの間にか吹雪は止み、小降りになった雪が降っている中、明日菜は全身汗だくとなって生きている事を確認していた。
山の頂上付近から麓へ一気に下山、時間にしてみれば一時間と数分……登山者からすれば脅威的な記録を叩き出した明日菜だが、それは全てネギから送られる魔力供給のお陰である。
自分の体力だけでは間違いなく雪崩に呑み込まれて死んでいた。
麓まで逃げ切った事で雪崩は勢いが落ち、明日菜はバージルの下した準備運動をやり遂げる事が出来たのだ。
「やった。私、やったわよ!」
明日菜は鼻水と涙でグシャグシャになった顔を服の袖で拭き取るとハリセンを掲げ、高々と吠えた。
すると。
「随分遅かったな」
「っ!」
横から聞こえてくる聞き覚えのある声、その声に明日菜は火照った体が一気に冷えていくのを感じた。
恐る恐る声の方向に振り返ると。
「準備運動に時間を掛けすぎだ」
今回の修行の臨時講師が不満顔の仁王立ちで待ち構えていた。
準備運動、本気で死ぬ思いをしてやり遂げたのがウォーミングアップでしかないと改めて思い知った明日菜は、目の前が真っ暗になる錯覚を覚える。
次は何をやらされる?
バージルの予期せぬ行動力に明日菜は顔を真っ青にして後退る。
「さて、次は……」
「…………」
ゴクリ。
唾を飲み込んで喉を鳴らす音がイヤにハッキリと聞こえてきた。
そして。
「組手だな」
「っ!?」
キタッ!
バージルから告げられた次なる修行内容に、明日菜は今度こそダメだと悟った。
組手? んなのパンチ一発当たっただけで粉微塵になるわ!
最早修行ではなくただのリンチではないか。
明日菜は笑いながら涙を流し、片想いの高畑に内心で別れの言葉を並べていると。
「さっさと来い」
あぁ、遂に死刑が執行される。
(木乃香、葬式には朝倉から買った高畑先生のブロマイドを私の墓の中に埋めといてね)
心中で親友に遺言を呟くと、明日菜はハリセンの柄を握り締め、バージルに向き直る。
が
「何……のつもり?」
直径40cm程の小さな円を描き、その中で片足で佇んでいるバージル。
理解し難いバージルの行動に明日菜は混乱した。
「闇の福音から言われてな、格下相手に組手の修行をする場合、ソイツとなるたけ同レベルに合わせろといわれている。本当ならこの腕輪がもう一つあれば話は早いんだが生憎それはない。だから俺なりに解決策を考えてみた」
「な、何よ。解決策って……」
「まずはこの円から出たら俺の負け、もしお前が俺をこの枠内からだしたらその日の修行は無しにしてやる。無論、空を飛ぶのも無しにしている」
「…………」
「使うのは左手だけだし目も閉じておく、どうだ? やれそうか?」
つまり、バージルは自分にこう言っている。
お前程度、どんなにハンデを負おうが全く以て関係ない。
見下している訳でも馬鹿にしている訳でもない。
ただ純粋にそう思っているだけ。
悪気も悪意もなく、ただ当然に。
そんなバージルの提案を聞かされた明日菜は、ハリセンの柄を握り締め。
「えぇ、いいわ。やってやろうじゃない」
「なら来い」
バージルが指でチョチョイと挑発すると同時に明日菜は雪の上を駆けて。
バージルの顎を目掛けてハリセンを振り抜いた。
「あ、アーニャ!? どうしてここに!?」
祭りで賑わう麻帆良学園、人々で活気付いている龍宮神社の前で、一組の幼い男女が激しく言い合っていた。
「どうしてもこうしてもないわ! アンタがいつまで経っても連絡一つ寄越さないから心配して様子を見に来たんじゃない!!」
いや、訂正しよう。
言い合っていたのではなく、アーニャと呼ばれる赤い髪の少女が物凄い剣幕でネギに組み掛かっていた。
「ネカネお姉ちゃんも口には出さないけど、アンタの事を心配して……御飯も祿に食べてないのよ!」
「! ご、ごめん……」
「全く、まだ交通機関が麻痺している所があるから手紙は無理かもしれないけど、電話くらいしなさいよね!」
「ごめん……」
アーニャの剣幕に圧され、押し黙るネギ。
シュンとなって縮み込むネギにアーニャは言い過ぎたかと思うが。
「あの、アーニャさん……でしたか?」
「あ、はい」
「私はこの学園の者で高音=D=グッドマンと言います。失礼ながら貴方はネギ先生とどういう間柄で?」
ネギが押し黙り、何となく場の空気が悪くなってきたと感じた高音は、話題を変えるべくアーニャにそれとなくネギとどういう間柄なのか問い掛けた。
アーニャも我に返り、落ち着きを取り戻すが。
「っ!?」
高音の服の上からでも分かる胸の膨らみを目にした瞬間、雷に打たれた様な衝撃が全身に走った。
(ま、まさか……ネギがウェールズに帰って来なかった理由って……)
アーニャの脳内でネギが故郷に帰って来ないでいた理由を勝手に解釈していく。
(乳、乳なのね!?)
とんでもない原因を結論付けたアーニャは、先程とは違い高音に向けて敵意の視線をぶつけた。
いきなり目付きが変わるアーニャに、高音はいきなり何だと引くと。
「オー、皆やはり先に来ていたアルか」
「遅れてすまんでゴザルよ」
「お、来たな楓姉ちゃん、古老師」
「私もいるんだがな」
「おろ? 龍宮隊長も一緒だったんか?」
「真名も先程巡回任務が終って、丁度そこでばったり会ったアルよ」
「私は別に構わないと言ったんだがな」
「ええやないか折角の祭りなんやし、気にする事ないて」
「ふふ、そうか? ならお言葉に甘えるとするかな」
「それよりも、ネギ坊主と一緒にいるあの御仁は?」
「っ!?」
途中から割り込んできた三人の女性。
その内の二人は高音以上の巨乳の持ち主、アーニャは巨大な乳を持つ女性二人に視線が釘付けとなり。
「こ、ここここ……この」
「あ、アーニャ?」
「バカネギィィィィィィッ!!!!」
「あぷろぱぁっ!?」
炎を纏った乙女の鉄拳が、ネギの顔面へと叩き込まれた。
「ネギッ!?」
「ちょ、ネギ先生!?」
吹き飛び、地面に倒れ伏したネギに小太郎と高音が駆け寄る。
一体何をする。
高音がいきなり暴力を振るうアーニャに問い詰めようとするが。
「ふ、ふふふ……どう? ネギ、少しは目を覚ましたかしら?」
「あ、アーニャさん?」
ザワザワと髪を逆立たせて鬼の顔を晒すアーニャに、気が付いたネギは小さな悲鳴を漏らした。
「ま、まさかアンタが……ち、ちちちちちお乳に拐かされるなんてね、丁度いいわ。ウェールズに連れていくついでにアンタを此処で粛正してやるわ! 歯を食い縛りなさい!」
「いきなり何を言っとるんやコイツ」
「アーニャさん、兎に角落ち着いて!」
「ほぅ、ネギ坊主の幼馴染みとな?」
「まだまだ未熟だが、素質はあるな」
「どの程度か見てみるネ」
「そこのお三方、何を悠長な事を言っているのですか!?」
拳に炎を纏わせて一歩ずつ近付いてくるアーニャ。
武道四天王の三人は呑気に観戦し、助けようとしない。
(仕方ない。こうなったら私が……)
我を失っているアーニャを絶影で以て、背後から当て身で気絶させようとアーニャ自身の影を使おうとした。
その時。
「ようこそ! 麻帆良生徒及び学生及び部外者の皆様、只今よりまほら武道会の説明を行います!!」
「え?」
「葉加瀬……さん?」
突然割って入ってくる少女、葉加瀬となる人物の声にアーニャは正気に戻りネギ達も呆然となっていた。
「う、う……ん?」
エヴァンジェリンの別荘、レーベンスシュルト城内にある大食堂。
暗くなった部屋に時計の針が刻む音で、近衛木乃香は目を覚ました。
「アカン、もうこんな時間」
食堂内に飾られた骨董品の時計台。
その針は既に12時を過ぎており、辺りは静寂に包まれている。
「ご飯、冷めてもうたな」
巨大なテーブルに並べられた料理の数々、しかしそれらは全て冷えきっており味と鮮度は格段に落ちていった。
深い溜め息を吐くと、木乃香は隣の席で寝息を立てている刹那とシルヴィに気が付く。
全ての料理を作り終えてから数時間、二人は何も言わず付きっきりで自分の側にいてくれた。
「ごめんな、二人共」
そう呟き、木乃香は二人に風邪を引かせまいと予め部屋から持ってきておいた毛布を体に被せる。
「本当、ありがとうな」
二人を起こさないよう静かに呟くと、木乃香は途端に表情を困らせる。
「やっぱり、ウチなんて唯のお荷物なんやろか?」
刹那やネギ、皆は戦える力を持っている。
喩え小さくても、それを乗り越え大きくなろうとする強さがある。
だが、自分は違う。
力を蓄える事も出来ず、ただ魔力が人よりも多いだけ。
だが、それすらも扱いきれていない自分が、とても滑稽に思えてきた。
もう、自分に出来る事などないのかもしれない。
木乃香の頭に諦めの文字が過った時。
「ング、冷めてるが中々イケるな」
「っ!?」
突然、聞こえてきた声に我に戻ると、いつの間にか食堂内には灯りが灯っており。
上半身裸のバージルが冷えきった木乃香のご飯にかぶり付いていた。
「ば、バージル君!? 一体いつの間に……」
「むぐはぐもぐばく……」
「って、それより戻って来たなら声くらい掛けてぇな。ビックリするやないの」
突然現れた事に咎める木乃香だが、バージルの耳には全く届いていない。
余程お腹が減っていたのか、バージルは冷めているにも関わらず、一心不乱に目の前の料理を食べ尽くしていく。
気持ちが良い食べっぷりに表情が和らぐ木乃香だが、バージルの所々の傷痕に再び表情を曇らせる。
「バージル君は凄いなぁ、一人で何でもできるんやもん」
「?」
「ウチなんて……全然ダメダメや。皆の様に戦える訳でも救える訳でもない。魔力があっても唯のお飾りや」
自嘲気味に笑う木乃香、その瞼からは虚しさか、それとも悔しさからか、一粒の水滴が溢れ落ちる。
「……この玉子焼き」
「?」
「この玉子焼き、フワフワでぽかぽかしているな」
「え?」
「あの時と……同じだ」
バージルの箸に啄まれる一つの玉子焼き。
他の料理と同様、既に冷めきって味は落ち、食感もまるで違う筈なのに。
バージルはフワフワぽかぽかすると言って口に運んだ。
ターレスに二度目の敗北を味わい、その直後に感じた力の嵐。
その力の波が押し寄せてくる直前、一瞬だが確かに感じた。
暖かく、それでいて包み込むような温もりを。
それと同じものが、この玉子焼きから感じてくる。
つまり。
「俺は、お前の料理を……結構気に入っている」
「っ!?」
小さく、ぶっきらぼうに呟くバージルの一言。
その言葉に木乃香は体の内側からジンワリと込み上げてくる何かに押し上げられ、笑ったまま涙を溢す。
もしかしたら、バージルは誰かの何かを認めたのはこれが初めてかもしれない。
だが、バージルにはそれを素直に表現する術を知らない
故に、バージル本人も何故こんな事を口走ったのか理解出来ずにいた。
しかし、木乃香は知っている。
バージルは不器用なだけでただ純粋なのだと。
つまり、そういう事なのだ。
バージルがテーブルに敷き詰められた料理を完食する数十分の間、木乃香はその隣で以前と同じ笑顔で見つめ続けていた。
一方、雪山地帯では。
「だ、誰か……助けて」
再び吹雪いてきた雪山で、ボロボロとなった明日菜は、一人壁に磔にされた状態で放置されていた。
〜あとがき〜
明日菜がクリリン的なオチになってしまった(汗