「う……ん?」
バージルが目を覚まし、最初に見たのは天井だった。
自分はさっきまで戦っていたのは別荘の外、擬似戦闘が終ったから目にするのは空の筈。
なのにここにいると言う事は。
(闇の福音に拾われたか……)
自分の状況を理解したバージルはベッドから起き上がり、近くに置いてあった服を取って着替えた。
服と言っても、バージルに取っては身動きがしやすい戦闘服、その上市販されているものとは強度が桁違いに特別製。
近右衛門がバージルにここ麻帆良にいて貰う際に渡しておいた服なのだ。
しかし、11着になるこの服もバージルの修行の為にボロボロとなり、殆ど布切れとなっていた。
そんな事など気にも止めず、バージルはズボンに足を通して一通りの身支度を済ませ、扉を開けて通路に出た。
取り敢えず、飯を食いに行こう。
食堂に向かえばエヴァンジェリンの従者であり茶々丸の姉達が何かしらの料理を出してくれる。
それに、今この別荘には近衛木乃香もいる。
彼女の料理をおにぎり以外で食べられるのかと考ると、バージルのお腹から腹の虫の雄叫びが鳴り響いた。
「近衛木乃香は……こっちか」
バージルは一時食堂から木乃香へと標的を変え、彼女の匂いと氣を辿って別荘の中を歩き始める。
まだ完全ではないし匂いに頼る事はあるが、バージルは最近人間や生命から発するエネルギーを微弱ながら感じられる様になった。
切っ掛けは、以前修行で鼻を折った時だ。
あの時は荒療治で手で折れ曲がった鼻を無理矢理治したが、お蔭で血が大量に吹き出し、自分の血で匂いを嗅ぎ分ける事が難しかった。
バージルにとって嗅覚は重要な五感の一つ、視覚や聴覚でも充分だが旅の間嗅覚を一番頼っていた時期があった為、随分もどかしい思いをした。
そんな時、バージルは視覚や聴覚といった五感の他に、別の感覚があると気付いた。
それは、人間から感じ取れるエネルギー。
つまり、自分と同じ氣を感じ取れる事が分かったのだ。
それから暫く、バージルは別荘ではなく鼻が治るまでの間、外でこの感覚を鍛える事に決めた。
如何にも武術をやっている厳つい男、しかしその男よりもヒョロリとした優男の方が氣が大きかったり。
中には子供なのにそこら辺の大人より氣が強い者もいたりなど、様々な人間がいる事を知り、バージルは氣による探索を着実に鍛えていった。
しかし、まだまだ荒削りなのもまた事実。
この学園の外からは殆ど氣が感じられないのだ。
故に最近のバージルは氣による探索術を鍛える事に決めた。
それに、いつかこの術が完全なものになれば、千の呪文の男を探し当てる事も可能かもしれない。
自分の目的の為にも、バージルは更なる修行に挑もうとした時。
「ここか……」
足を止めて目の前の扉に向き直り、バージルは片手で扉を開けて部屋に入った。
すると。
「「「っ!?」」」
明日菜や刹那、高音や木乃香が驚いた様子で此方に振り向いていた。
「ふむ、もう起きたか。その分だともう大丈夫のようだな」
「闇の福音、俺はどれ位寝ていた?」
「一時間も経っていないさ、お前に例の薬を飲ませたらあの部屋に放置しとおいたからな。因に傷の手当てはそこの一般人がやっておいたぞ」
「?」
エヴァンジェリンに言われ、バージルはシルヴィに視線を向ける。
すると、シルヴィの顔は真っ赤に染まり、頭から湯気を立ち上らせて俯いていた。
「う、うん……」
「! ネギ!」
その時、ベッドから聞こえてきた呻き声に視線を向けると、そこには痛々しい姿のネギが寝かされていた。
「明日菜さん? あれ? 僕は?」
目を覚まし、自分に何が起こったかを思い出そうと、動かない体に力を入れて起き上がろうとする。
「ま、まだ無茶しちゃダメよネギ」
「そ、そうや。まだ寝とった方が……」
「は、はぁ……」
明日菜と木乃香に押され、ネギは再び横になろうとするが。
「っ!」
ふと、バージルの姿がネギの視界に入り、ネギは横になる直前で起き上がった。
「いえ、やっぱり起きますよ」
「で、でも……」
「僕なら大丈夫ですよ明日菜さん。茶々丸さんの時と違って今回は怪我はしていませんから」
明日菜や木乃香の制止を振り切り、ベッドから起き上がるネギ。
その際、ネギはバージルに視線を向けるが、対するバージルは此方を見てはいない。
そんな彼に若干悔しそうな表情を浮かべるネギに、エヴァンジェリンは楽しそうに口端を吊り上げた。
「さて、まずは坊や、お前の再試験の結果だが……」
「………」
「ま、結果的に見れば合格だな」
「っ!」
アッサリと告げられる合格通知に、ネギは一瞬呆然となる。
しかし、エヴァンジェリンからの合格の言葉に実感を感じると、ネギは拳を握り締めてやったと呟く。
エヴァンジェリンがネギを合格にした理由、それはバージルの擬似戦闘の中にあった。
別に今のネギにバージルの動きを追え等と、流石に言えない。
だが、次第に変わるネギの目付きにエヴァンジェリンは感心を持った。
明日菜や木乃香は何が起きているか分からない状況の中、ネギはバージルとその“相手”を見つめ続けていた。
そう、ネギはバージルが一体誰と戦っているのか見えていたのだ。
それに、最後は気絶したとは言えネギはバージルの修行で起きる衝撃波に耐えきった。
故に、エヴァンジェリンはネギを自分の弟子にする事に決めた。
それに、千の呪文の男の息子を自分好みの魔法使いにするのも面白い。
若干黒い笑みを浮かべながら、エヴァンジェリンは喜びを露にしているネギを見つめた。
すると。
「おい、近衛木乃香」
「え?」
「腹が減った。すぐに支度しろ」
腹が減り、苛立ちを露にするバージルが、木乃香に飯を作れと言い放ってきた。
バージルにとってネギの合格通知などどうでも良い事。
バージルは早く飯が食いたくて苛々していた。
「え? で、でも……」
いきなり飯を作れと言われ、動揺する木乃香。
バージルはそんな木乃香を見て更に苛立ちを募らせる。
「同じ事を何度も言わせるな、お前が言った約束だぞ」
少し口調を強め、バージルは木乃香へと詰め寄ろうとする。
すると、バージルの前に刹那が立ちはだかり、バージルの行く手を遮った。
バージルは舌打ちを打って額に青筋を浮かべる。
腹が減った事により一気に積っていく苛立ち。
滲み出てくるバージルの気迫が見えない刃となり、部屋の内部に亀裂を刻んでいく。
いきなりの一触即発の空気、誰もが息を呑んだ時。
「まぁ、そんなに焦るな小僧。今から行く」
バージルによって張り詰めた空気を、エヴァンジェリンによって宥められて行く。
「………」
バージルにとっては真に遺憾だが、気迫を消して先に食堂に向かい、部屋を後にした。
「ほら行くぞ。あんまり待たせると今度は暴れだすやもしれん。そうなったら洒落ではすまないからな」
エヴァンジェリンに言われ、バージルの後に続く木乃香と刹那。
ネギは明日菜に抱き止められたまま、自分なりにゆっくりと歩き出して部屋を後にし、シルヴィもそれに付いていく。
エヴァンジェリンが全員が出ていったかと確認していると、部屋の隅っこで立ち尽くしている高音が視界に入った。
俯き、肩を震わせている高音に、エヴァンジェリンは特に何も言わず扉を閉めようとする。
「……教えて下さい」
「ん?」
ふと、掠れる程の小さな声がエヴァンジェリンの耳に届いた。
何かと思い振り返ると、そこには酷く落ち込んだ様子の高音が、すがる様に問い掛けてきたのだ。
「どうして、どうして彼は……あぁも」
小さく、耳をすませなければ聞き取れない小さな声。
それを聞いたエヴァンジェリンは、笑みを溢し。
「さぁな、私も良くは分からん……ただ、これだけは言える」
「え?」
「奴は……バージル=ラカンは、悪でもなければ善でもない。ただ純粋なんだよ」
「純……粋?」
「あぁ、どこまでも……な」
それだけを言うと、エヴァンジェリンは先に食堂に向かったネギ達を追い、部屋を後にする。
残された高音はただ一人、部屋の中で。
「純粋……か」
ポツリと、呟いた。
夜。
別荘の広場で、食事を終えたバージルは暗鬱な表情で曇った夜空を見上げていた。
原因は、エヴァンジェリンから言われた暫くの別荘の使用禁止。
今回の一件で別荘はボロボロとなり、修理を必要となってしまった。
もしこの状態で今回の様な擬似戦闘を行えば、間違いなく別荘は使え物にならなくなる。
快適な修行場を失うのはあまりにも痛い、バージルは渋々ながらエヴァンジェリンの要求を呑み、暫くは外での修行に専念する事にした。
「……まぁいい。それならそれで鍛え概がある」
そう自分に言い聞かせ、バージルは立ち上がり、就寝しようと別荘の中へと向かおうとした時。
「?」
ふと、前に佇む人影に足を止めた。
「高音=D=グッドマン……」
「……貴方に、聞きたい事があります」
「何だ?」
「貴方は、一体何の為に戦っているのですか?」
「は?」
目の前の少女、高音から聞かれる戦いの理由。
何の為に戦うのかと問われたバージルは、目を丸くさせて僅に戸惑った。
「別に……ある奴を超える。ただそれだけだ」
それがどうしたと、バージルは高音に逆に問い掛ける。
すると。
「超える為、その為に……あれだけの修行を?」
「当たり前だ。そうでなければ意味がない」
バージルの戦いの理由を聞いた高音は、何故そこまでするのか分からなかった。
誰の為でもなく、ただ目標を超える為に戦う。
分からない。
ただ立派な魔法使いになる事だけを考えていた高音には、バージルの考えが分からなかった。
すると。
「そいつはな、壁なんだよ」
「壁?」
「あぁ、それもとびっきりにでかく、恐ろしく分厚い壁だ。どんなに叩いても壊れないし、どんなに飛んでも越えられない」
握り締めた拳を掲げ、空へと睨み付けるバージル。
「だから、俺は戦う。戦って強くなって、いつか壁を粉砕して、飛び越えるまで、ずっとな……」
だから、俺はこれからも戦い続ける。
そう言って空を見上げるバージルの瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。
(あぁ、そうか……漸く分かった)
そんなバージルを見て、高音は一つだけ分かった事がある。
この少年、バージルはどこまでも負けず嫌いなんだ。
喩え負けても立ち止まらず、ただがむしゃらに突き進む。
子供。
エヴァンジェリンの言っていた純粋という言葉の意味を何となく理解した高音は、どこか嬉しそうに微笑んでいた。
しかし。
(それは、きっと誰にも曲げられる事は出来ない)
純粋、故に折れ曲がる事はない。
それはまさに、信念と呼べるものだった。
バージルには、悪も善もない。
ただひたすら壁を超える為に戦い続けるのみ。
それはある意味では、誰にも出来ない事。
高音は羨ましかった。
ただ魔法使いの家系に産まれ、言われるがままに立派な魔法使いになるよう言われてきた。
確かに、かの千の呪文の男のような立派な魔法使いになりたいと思っていた。
だが、そこには自分の信念など無かった。
義務付けられた価値観、ただ目指すだけの日々。
高音は、本当にこれで良いのかとずっと考えていた。
それを、この少年が気付かせてくれた。
「……話は終りだ。俺は寝るぞ」
バージルは自分で何を言っているんだと突っ込みながら、別荘の中へと入っていく。
その際。
「あの!」
「?」
「ありがとうございました!」
「…………」
ありがとう。
いきなり言われた高音からの言葉に、バージルは一旦足を止めるが。
「……ふん」
バージルは振り返らず、自分の部屋へと向かっていった。
まだ自分は、世界の事など知らない未熟者。
だから、高音は自分だけの信念を持つ事に決めた。
誰かに言われた事や義務でもない。
自分だけの……信念を