ウチは何も出来なかった。
皆が命懸けで戦っている最中、私だけが何も出来なかった。
夕映がいなければウチはバージル君を見殺しにしていた。
あんな気持ちはもう嫌だから。
だから……。
「お嬢様、お嬢様」
「んぅ?」
「大丈夫ですか? お嬢様」
「あ、ウチ、寝てもうたんか?」
周囲が本に囲まれた部屋、エヴァンジェリンの別荘にある書庫で近衛木乃香は目を覚ました。
机の上には幾つもの本が所狭しと積み重なり、木乃香は本に埋もれる様に眠っていた。
「アカン、涎を本の上に垂らしたらエヴァちゃんに叱られる」
まだ眠いのだろうか、木乃香は寝惚け眼で涎を拭き取り、枕代わりにしてしまった本を丁寧に拭き取った。
彼女がこの別荘の書庫に籠って数ヶ月。
木乃香は必死になって医療に関する本を片っ端から読み漁った。
エヴァンジェリンの書庫には魔法関係だけではなく、他にも長年掛けて集めてきた数多くの書物が完全な状態で保管されている。
しかし、医療関係の書物は外国語で書かれているものもの多く、分からない文章がある度に辞書を開き、その国の言葉とその意味を理解しなければならなかった。
その為の成果か、木乃香はこの数ヶ月で10ヶ国にも及ぶ言語を理解し、理解出来るようになっていた。
……何故、彼女がここまでしなくてはならないのか?
それは……。
「お嬢様、そろそろ休みましょう。もう二日も何も口にしていないではありませんか」
刹那の心配の言葉に木乃香は表情を曇らせる。
困らせるつもりはなかったが、実際刹那は心配で仕方がなかった。
何せ書庫に入った当初から、風呂に入らないのは勿論、碌に食事や睡眠を取らず、ただひたすら書物を漁る毎日。
刹那が常に見ていなければ、恐らく木乃香は倒れていただろう。
髪はボサボサ、目元には真っ黒な隈が出来上がり、その表情は疲労に染まっていた。
「ごめんなせっちゃん」
「何を仰いますか。お嬢様をお守りするのが我が役目、この程度何ともありません」
「せやけど、せっちゃんウチに構ってばっかで自分の修行に手を付けていないんじゃ……」
「ご心配には及びません。こう見えても合間を見付けては鍛練を続けておりますから」
そう言って笑みを浮かべる刹那。
刹那からすれば木乃香に余計な心配をさせないようにした自分なりの気配りだが。
木乃香にとってはそれが堪らなく嫌だった。
木乃香は刹那やネギ、皆の顔を見る度に胸が張り裂けそうになっていた。
皆が命を掛けて戦っていたのに自分だけは何も出来ずにいた。
ただ血が流れていくのを呆然と流れるバージルの姿が、木乃香の瞼に焼き付いて離れない。
自分の力では、誰も救えない。
去り際に漏らした月詠の言葉が、木乃香の心に呪いの楔となって打ち込まれた。
もうあんな思いはしたくない。
木乃香はまるで逃げ込むかのように医療の勉学に励み、ネギ達とも殆ど顔を会わせずにこの別荘で過ごしてきた。
皆の顔を見れば、またあの光景を思い出すから。
「………」
無言となり、刹那と目を合わせようとしない木乃香。
そんな木乃香に刹那はどうしたものかと悩むが。
「そうだ。お嬢様、たまには皆で食事にしましょうよ」
「え? で、でも……」
「明日菜さんの話だと、千雨さんとハルナさんも来ているみたいですし、少しは顔を見せて上げないと」
「え、ええよ! ウチの顔ちょっとアレやし……お風呂にだってもう一週間も入ってないから……汚いし」
最後のは殆ど掠れて聞き取れはしなかったが、刹那はお構い無しに木乃香の背中を押した。
「大丈夫ですって、ネギ先生だって同じようなものですし、皆気にしませんよ」
「せ、せやけど……」
「そうだ。なら序でにお背中もお流ししますよ。体も洗えばスッキリするでしょうし、ご勉学の方も身に入りますよ」
「で、でも……」
刹那の申し出に中々素直に頷こうとしない木乃香。
しかし勉学ばかりで外に出ず、体力が落ちた木乃香に刹那の押す力には敵わず。
別荘のラウンジに繋がる魔法陣に足を踏み入れた。
視界が白に染まり、次に彼女が目にしたのは。
青い空と白い雲、緑で生い茂る大地。
そして。
「これが、以前言っていた新しい修行場か。成る程、悪くない」
「ば、バージル君……」
不敵な笑みを浮かべ、腕を組んで仁王立ちをしているバージルが木乃香の視界に入った。
何故彼がここに?
フェイトと呼ばれる少年達に連れていかれたバージルが目の前にいる事実に、木乃香は思考が混乱に陥った。
「ほぅ、地球を救った大英雄様が我が居城に一体何の用かな?」
「? 誰の事だ?」
皮肉の混じったエヴァンジェリンの言葉にも全く理解できず、辺りをキョロキョロと見渡すバージル。
そんなバージルの挙動が面白いのか、エヴァンジェリンはクックックと笑みを溢していると。
「あの!」
「ん?」
「バージルさん……ですよね?」
「ネギ……スプリングフィールドか」
背後から呼び止める声に振り返ると、ネギが表情を強張らせてバージルを睨み付けていた。
ネギがバージルに対する疑問は一つ。
「貴方は、フェイト=アーウェルンクスとどういう関係なんですか!?」
修学旅行では木乃香を拐い、先日の事件でも現れた謎の少年フェイト。
何故奴がバージルと知り合いなのか、ネギは知りたかった。
しかし。
「他にも色々あるが……見ていくか?」
「案内しろ」
バージルはネギよりもエヴァンジェリンの提案に興味が引いたらしく、ネギの質問に答えはしなかった。
「ちょ、無視しないで下さーい!」
「てか何であの二人あんな仲いいの?」
「悪……だからじゃね?」
肩を並べて歩く妖艶の女性と無垢な少年。
しかし、ネギ達から見ればそれは吸血鬼と悪魔が並んでいるようにしか見えなかった。
次の修行場に向かって歩を進めるバージルの後ろ姿に木乃香が見つめていると。
「あ、あの! 私もご一緒しても宜しいでしょうか!?」
「あ?」
再び呼び止めの声にバージルが気だるそうに振り返ると、高音が一緒に行きたいと申し出てきた。
「今日のお前の修行メニューは既に終っている筈だが?」
「ご迷惑は掛けません。私の事は捨て置いて結構です」
高音の体は既にボロボロ、なのにその目はやる気に満ちていた。
「どうする? これから向かう地帯は極寒の所だが……」
「……好きにしろ」
迎え入れる訳ではなく、しかし拒絶する事もない。
素っ気ない返事だが一緒に来ることを許された高音は、途端に表情を明るくし。
「あ、有り難うございます!」
バージルの後ろ、三歩程離れた場所を歩く。
「あ……」
遠退いていくバージルの後ろ姿、木乃香は一瞬呼び止めようとしたが、直ぐにそれを諦め、伸ばした手を止めた。
(ウチ何かが話し掛けた所で……バージル君の迷惑になるだけやもんな)
木乃香は自嘲な笑みを浮かべ、踵を返して城の中に戻るとした。
自分はバージルを見殺しにしようとした。
いや、事実見殺しにしたのと変わらない。
治癒魔法もマトモに使えず、ただ消えていく命を見ているだけしか出来なかった自分。
そんな自分が話し掛けた所でバージルにとって迷惑でしかないだろう。
だとすれば、自分はここにいるべきではない。
木乃香は後ろから呼び止めてくる声を振り切り、書庫に繋がる魔法陣に足を踏み入れようとした。
その時。
「近衛木乃香」
「!」
突然自分の名前を呼ばれた事にビクリと反応した木乃香は、魔法陣に入る一歩手前で踏み留まった。
「戻ってくるまでに飯を用意しておけ」
「え?」
たったそれだけの言葉。
木乃香が振り返る頃には既にバージルの姿はなく、ラウンジには呆然としているネギ達と腰を抜かしているハルナと千雨が残されていた。
「……どうして?」
木乃香の疑問の声、それは誰にも答える事なく消えていった。
「どういうつもりだ」
暗い暗い漆黒の闇に包まれた空間、一つの灯火だけが明かりとなっているこの場所でデュナミスの低く、それでいて憤怒の色に満ちた声が響き渡った。
「何の事かな?」
「惚けるな! 貴様がバージル=ラカンを助けたという情報は既に分かっている! 答えろ! 何故奴を助けた!?」
仮面を被ったデュナミスのの叫びが、漆黒の空間へと消えていく。
そんな彼と対峙する人影、フェイトは相変わらずの無表情で佇んでいた。
「彼がいなければ、旧世界は間違いなく滅んでいた」
「だが、その為に奴という特異点は未だ健在し、“門”の侵食を早めてしまう結果に繋がってしまった。見るがいい!!」
デュナミスの叫びと共にモニターが表れると、画面にある映像を映し出した。
人の目を模したデュナミス達が呼称する“門”。
その大きさは更に肥大し、宇宙を侵食する様に広がっていたのだ。
「………」
「奴が現れてから10年間、“門”は広がり続け今では小惑星並みの大きさとなってしまった。このままでは宇宙そのものが消えてなくなってしまう!!」
「………」
「この不始末、どうケジメをとるつもりだ? テルティウム」
「!」
テルティウム。
デュナミスから告げられるその名前に、フェイトは僅に表情を強張らせ、デュナミスを睨み付けた。
無言で対峙するデュナミスとフェイト、緊迫とした空気が張り詰め灯火の火が揺れる。
「よさんか」
一触即発の空気に第三者の声が割って入る。
二人の間に現れるフードを被った人物。
その人物を前に二人は殺気を消し、互いに視線を外した。
「我々の計画の為の準備も間もなく終りを向かえる。フェイト、調にそろそろ戻るよう連絡を入れておけ」
「…………」
「よいか、我々の役目はこの救われぬ世界を救済する事。計画さえ成就すれば喩え“門”が更なる広がりを見せても問題は起こらん。それをゆめゆめ忘れるな」
「……了解」
「ふん」
フードの人物の言葉にフェイトは静かに、デュナミスは荒々しく答える。
すると、それを最後にデュナミスとフードの人物は姿を消し、暗闇の空間にはフェイトだけが残されていた。
その表情は無色透明、何の色も着いていない様に見えるが。
「バージル君、自分のせいでこの宇宙が終りを向かえると知ったら……君はどうする?」
宇宙を蝕む巨大な“門”、それは僅ずつ広がり続け、今もその動きを止めようとはしない。
「いや、きっと君なら……」
それだけ言うと、フェイトも暗闇の空間から姿を消し、同時に残った灯火も消えていった。
〜あとがき〜
また随分と空きが出来てしまいました。
申し訳ありません。
最近スランプなのか、文章におけるモノの表現が上手く出来ず、四苦八苦していました。
チラ裏にまだプロローグだけですが新たにレスを立てて見ましたので、もし宜しければ見てください。
では、また次回に。