ロンドン。
イギリスとイングランド、二つの国家の首都である都市。
ローマ人が造ったとされる美しい街並みであるこのロンドンも、神精樹の根によって汚されていた。
橋も、時計台も、歴史に刻まれていた重要文化財も、英国王室も、巨大な根に呑み込まれ、瓦礫の山々へと変わろうとしていた。
そんな都市から離れた場所に政府によって避難所が設けられ、人々はそこで事の顛末に怯えながら過ごしていた。
誰もが不安で過ごす中、寒さで震えている老婆に一人の少女が湯気が立ち上るスープの入った椀を手に駆け寄って来た。
「はい、お婆ちゃん。暖かいスープでも飲んで元気を出して」
「あたしゃあ別に平気じゃよ。それよりもアーニャちゃんの方が……」
「私ならさっき食べたわ。お婆ちゃんが最後だから」
「だったらアーニャちゃん、あたしの分も食べて……」
「あーもう! いいからつべこべ言わず食べなさい! お婆ちゃんはウチの常連さんなんだから、倒れたら私が困るの!」
ウガーッと吠え、殆ど無理矢理にスープを食べさせる少女。
アーニャと呼ばれる少女の気迫に押され、老婆は戸惑いながらスープを飲み干した。
「どう? 暖まった?」
「あぁ、ありがとうアーニャちゃん。お陰で良くなったよ」
「また何かあったらいつでも言って、私ならあそこ辺りにいるから」
そう言ってアーニャは、支給品を配っているトラックに老婆に手を振りながら向かった。
その途中。
「なぁおい、聞いたか?」
「何がだ?」
「今回の大規模テロ、どうやら日本に原因があるみたいなんだ」
「はぁ!? どうして!?」
「バッカ! 声デケェよ!」
「あ、あぁ……悪い」
「ったく、……何でも日本のある場所に途轍もなくバカデカイ木があって、その根が世界中に張り巡らせているらしいんだって、軍の連中が話しているのを聞いたんだ」
「世界中って……そんなのあり得んのかよ」
「分からん。が、軍がこれだけ手を焼かされてるんだ。あながち嘘って訳でもないだろうぜ」
「どうなっちまうんだよ……これから」
「…………」
不安げに語る男性達の会話を偶然耳にしたアーニャは。
「……ネギ」
日本にいる幼馴染み、ネギの安否を気にかけ。
無事でいて欲しいと、曇った空に祈りを捧げた。
麻帆良学園。
神精樹に蝕まれ、瓦礫となったこの地で二つの巨大なエネルギーがぶつかり合う。
「オラァッ!」
「無駄ぁっ!」
激突する拳と拳。
バージルとターレス、二人の男の拳がぶつかり合った瞬間、大気が震え、周囲の瓦礫が衝撃波によって舞い上がる。
バチリと二人の周囲に稲妻が迸り、次いで空気が爆ぜる音が響き渡る。
そして。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄っ!!」
拳の弾幕が二人の間に行き交い、拳圧が嵐となって吹き荒れる。
バージルの拳はターレスの脇腹を。
ターレスの拳はバージルの頬を霞め、それぞれ肌と鎧を引き裂いていく。
すると、二人は弾かれたのかの様に跳躍し、互いに距離を開け。
二人が地面に着地しようとした瞬間。
二人はシュンッと、小さな音を立てると同時に姿を消し。
その場所から数キロ離れた地点、神精樹の付近にて姿を現し。
「おぉぉぉっ!!」
ターレスはバージルの顔に目掛けて蹴りを放ち。
バージルは体を屈ませる事で回避し。
「デァッ!!」
下半身のバネを最大限に活かし、握り締めた右拳でターレスの顎をカチ上げる。
「ハァッ!」
バージルは追い討ちを仕掛けようと、残った左拳を放とうとするが。
「……ダァァッ!!」
「っ!?」
ターレスは捻った体勢を利用し、そのまま勢いを付けてバージルの脇腹に蹴りを叩き込む。
「ぐっ」
口から血を漏らし、瓦礫の中を吹き飛んでいくバージル。
その最中、バージルは体を回転させ、体勢を整えるが。
「っ!?」
既に目の前には、ターレスの拳が迫っていた。
「シャラァッ!!」
「ヌンッ!!」
バージルは両腕を交差し、ターレスの拳を受け止める。
衝撃がバージルを貫き、交差した腕の間から血を吹き出す。
ターレスはしてやったりと口元を歪める。
しかし、交差した腕の間から見えるバージルに表情に目を見開いた。
鼻から血を吹き出しながらも、尚失っていない瞳の中にある光。
それを見たターレスは咄嗟に防御の体勢を取るが。
既に遅かった。
口元を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべたバージルは、全身に緑色に燃え上がる氣を纏い。
「だらっしゃぁっ!!」
推進力を利用し、ターレスの体に体当たり仕掛け。
「がはぁっ!?」
バージルの突進をマトモに受けると鎧に皹が入り、ターレスは口から血を吐き出した。
バージルの体当たりを受けたターレス、二人は推進力に流されるまま吹き飛び。
一般市民や学生達が避難した場所へ目掛けて、そのまま突っ込んで行った。
「ね、ねぇ、何か此方に来てない?」
「え?」
学園の方から流れてくる流星。
それを目にした夏美が指摘し、千鶴が振り向いた。
その時。
「きゃぁぁぁあっ!?」
避難所に流星が飛来し、地面に落ちた瞬間、テントや周囲にいた人々が吹き飛んでいく。
何が起こった?
突然起こった出来事に混乱しながらも、雪広あやかは市民と生徒の安否を確認する。
幸いにも、吹き飛ばされた人々は掠り傷や軽い打ち身、悪くても気絶程度で済んだだけだったので雪広はホッと胸を撫で下ろす。
しかし。
「このガキィィィィィッ!!」
「っ!?」
煙の中から聞こえてきた雄叫びに身を震わせると、二つの影が上空へと姿を現した。
皹の入った鎧を身に纏い、酷く興奮している男。
そしてもう一人は――。
「ち、ちづ姉ぇ! あれって!?」
「バージル……君」
男に相対するように空中で佇む少年、バージルに千鶴と彼を目撃した事のある学生達は目を見開かせて驚愕していた。
何故彼がここに? しかも傷だらけで。
尽きることのない疑問に誰もが絶句していたその時。
「死ねぇぇぇっ!!」
「ふっ!!」
男、ターレスとバージルは同時に空を翔け、互いの間合いに入り込み。
「シャラアッ!!」
「ヌンッ!!」
互いに体を回転させ、回し蹴りを同時に放った。
遠心力を付け、勢いを増した蹴りはぶつかり合い、その際に起こった衝撃波が周囲の建物を揺るがせる。
ビルに張られた窓ガラスは砕け、地上に向かって降り注がれる。
それにより逃げ惑う人々。
混乱に陥った人々を建て直させようと、雪広は財閥の人間と学園の教師と共に避難誘導を開始させる。
「ちづ姉! 早く私達も!」
「バージル君、どうして……貴方が」
千鶴は夏美の声に気付かず、戦っている少年、バージルを呆然となりながら見つめ続けていた。
楽しそうに、嬉しそうに戦っているバージル。
年相応の子供の表情をしているバージルに、千鶴はどこか胸が苦しくなる思いで、その顔を曇らせていた。
軈て、呆然としている千鶴に我慢出来なくなった夏美は彼女の手を引っ張り、強引にその場を後にした。
残されたバージルとターレス、二人は再び距離を開けると同時に、互いに緑と紫の炎を全身に纏い、大空を翔ていった。
雲の彼方まで飛び去っていく二人、その様子を一人の少女は眺め、そして祈る様に手を組んでいた。
シルヴィ=グレースハット。
「……バージル」
バージルの監視役としてこの地に赴いた彼女だが、今は彼が心配で仕方がなかった。
彼が監視対象だから? いなくなると困るから?
違う。
シルヴィは自分にも分からない焦燥感を抱き、それを少しでも誤魔化す為に、バージルの無事を祈っていた。
すると。
「流石だ。流石がはかの英雄の息子、と言った所かな?」
「あん、フェイトはん、そう言うのは野暮と言うものですえ。こう言う場合は素直に彼自身を誉め称えるべきどす」
「そんなつもりは無いんだけどね」
「っ!」
ふと背後から聞こえてきた懐かしい声に振り返ると。
「ふ、フェイト様!?」
主であるフェイトが月詠を引き連れ、自分の後ろに佇んでいた。
思わぬ人物に目を見開いて驚くシルヴィ。
しかしフェイトは、そんな彼女の反応にやぁっと軽く挨拶だけ済ませ、彼女の隣に並び立つ。
「ど、どうしてフェイト様が?」
「なに、大した用事はない。僕は唯この世界の行く末を見物に来ただけだよ」
「世界の……行く末?」
「言葉通りの意味さ」
そう言うと、フェイトはバージルが飛び立った空を仰ぎ見て、シルヴィもその視線の先を目で追った。
大気圏内。
世界を見渡せる程に高く飛翔した二人は、音速を超えながらも更に速度を加速させ、ぶつかり合っていた。
拳が交差する度に、二人の間から鮮血が舞い散る。
しかしそれでも、二人は力を弱めず、ひたすら相手の命を奪い合っていた。
そんな中、二人の間からある変化が起こった。
最初は、相討ち当然だった。
しかし、徐々にそれは明らかになってきた。
ターレスが攻撃を仕掛けてきた僅かな合間、バージルは無駄な動きを最小限に抑え、ターレスが一発の拳を放つ間にバージルは二発の拳を打ち込んでいた。
最初は相討ち、次は不完全ながら防御し、その次はより確実に。
それから三度打ち合った時は、完全にバージルが接近戦に於てターレスを上回っていた。
「チィッ!!」
バージルの小さくも鋭い攻撃に耐え兼ねたターレスは、舌打ちを打ちながら距離を開けた。
「どうしたターレス? 随分苦しそうじゃないか?」
口元から血が流れ、打たれた胸元を抑えるターレス。
対するバージルも額や腕から血を流し、相応のダメージを受けている。
互いに呼吸も乱れ、体力も残り僅かになっている。
だが、二人の間には決定的な違いがあった。
呼吸を乱し、眼前にいる敵を睨み付けているターレス。
しかし、バージルはターレスと同じく呼吸を乱しているが、それでも不敵に笑みを浮かべていられる余裕があった。
――バージルは、自分よりも強い人間を知っている。
そいつを超える為に力を磨き、強い奴と戦える事の楽しさを見出だした。
だが、ターレスは違った。
偶然手にした神精樹の種を頼りに、数多の星を蹂躙してきたが。
……それだけである。
強い奴と戦おうとも、力を高めようともしなかった。
バージルが培ってきた経験と鍛練、そして戦いを楽しむその性格が、ターレスとの間に合った差を埋め尽くし。
今、それを超えようとしていた。
「……認めるものか」
「?」
「認めて……なるものかぁぁぁぁぁっ!!」
雄叫びと共にターレスの両手に膨大なエネルギーが収束されていく。
それを感じ取ったバージルもまた、右手に力を収束させる。
「貴様の様なガキが、この俺に!!」
「エクストリーム……」
「勝てる筈がないっ!!」
「ブラストッ!!」
同時に放たれた力。
紫と緑の閃光が激突し、地球上空を震わせる。
「おぉぉぉぉっ!!」
勝った。
ターレスは確信した。
このエネルギーの放出に関しては、自分の方が一枚上手。
接近戦ではなくこの手に持ち込んだ時点で、ターレスは自分の勝利を確信していた。
しかし。
「エクストリーム……」
「?」
ふと、大気が揺れを感じた。
揺れは軈て嵐となり、バージルを中心に吹き荒れる。
「何だ。何が起こっている!?」
何が起こっているのか理解が追い付かないでいるターレスは、バージルに視線を向ける。
すると、バージルは閃光を放っていた手の形を拳に変え。
ありったけの力を右拳に集めていた。
「バァァァストォォゥゥッ!!」
全ての力を拳一点に収束させると、バージルは自ら放った閃光の中を突き進み。
そして、ターレスの放つ閃光を粉砕し。
「こ、こんな、こんな事がっ!?」
その一撃を叩き付けた。