長谷川千雨。
ロボットや吸血鬼、忍者といったとんでも生徒がいるクラスの中で、最も常識を持っていると自負している人物。
そんな彼女は現在、自分の中にある常識と現実感が崩れそうになる事実に、酷く苛まされていた。
自分の目の前で戦い始めたクラスメイト。
必死に戦っているクラスメイトを尻目に、必死に足を動かし、その場から離れていった。
本土と繋いである陸橋に向かって走り続けている最中。
まるで自分を囲んでいるように、様々な方向から断末魔の悲鳴が聞こえてきた。
助けてと叫ぶ命乞いの声、その直後に聞こえる肉と骨を砕く音。
何だこれは。
何なんだこれは。
今までの日常とはかけ離れていた事態に、千雨は耳を両手で塞いで逃げ続けた。
どれくらい走ったのだろう。
何度も心臓が破裂しそうになり、何度も地面に転がり、自前のノートPCも唯の鉄屑に成り果てた時。
彼女が目にしたのは、先程の怪物とその怪物と同じ雰囲気を纏った化け物達が、担任を囲んでいる場面だった。
がむしゃらになりすぎて方向性を失った千雨は、陸橋ではなく化け物達の巣へと迷い込んでしまっていた。
担任の周辺に転がっているクラスメイト達。
彼女達の体から大量の血が流れ出ているのを見付けると、千雨は激しい嘔吐感に襲われる。
そして、リーダー格らしき男が掌から光を放った瞬間。
そいつは現れた。
「貴様は……」
渦巻く煙の中から現れた少年、クウネルが変身した人物と全く同じ人間が現れた事に僅に驚いたターレスは少年に何者だと問い掛けた。
すると、少年……バージルはフッと軽く笑みを溢し、ヤレヤレと肩を竦めると。
「人を散々勧誘しておいた割には記憶力はないんだな」
「何?」
どういう事だと眉を吊り上げると、スカウターが表示する数値に目がいった。
スカウターが示した数字、それは以前バージルを示していたものと殆ど同じだった。
その事に気付き、ターレスは目を見開く。
「まさか……ピクルか!?」
バカな。
あの男はこんな子供の姿などしてはいなかった。
しかし、スカウターの数字はピクルと同じ数値を差している。
この星には自分達以外にこれ程の数値をだせる者はいない。
だとすれば……本当に。
「……どういう事だ?」
何故奴が生きている?
何故あんな子供の姿に?
尽きる事はない疑問に、ターレスが頭を悩ませていると。
「どうでもいいだろうが」
「何だと?」
「どうして俺が生きていたのか、何故こんな姿をしているのか、そんな事はどうでもいい……」
まるでターレスの考えを読んでいるかの様な口振り。
それを指摘するバージルの一言は、ターレスの癪に触れるには充分のもの。
「俺はこうして生きている。そして、再びお前に挑んできた。……その事実だけで充分だろうが」
フンッと鼻を鳴らし、バージルは不敵な笑みを浮かべる。
そんな少年の態度が気に入らなかったのか、ターレスはビキリと額に青筋を立て、バージルを睨み付ける。
一方、ネギは愕然とした表情バージルの背中を見つめていた。
六年前、業火の中で現れた父の背中。
目の前の少年は父とは違う。
背格好は勿論、体格、髪型、何もかも違う。
当然だ。
彼はバージル。
父はナギ。
存在そのものが違う。
しかし。
彼には、ネギ=スプリングフィールドには、バージルとナギの後ろ姿が同じに見えていた。
「あまり調子に乗るなよ。死に損ないが」
「っ!?」
怒りを露にしたアモンドの声が、ネギを我に返させる。
ハッとなって顔を上げると、そこには自分達を散々に渡って痛め付けていた五人が、バージルの前に立ちはだかっていた。
「ひぅっ!」
不意に声に出した短い悲鳴。
しかし、そんな声も聞こえていないのか、バージルは此方に振り返る事なく、ターレス達を睨み付けている。
そして。
「退いてろ。邪魔だ」
「頭に乗るなぁ! 糞ガキィィィィッ!」
小柄の怪物、レズンの雄叫びと共に五人はバージルに向かって一斉に攻撃を加えた。
もうダメだ。
ネギは迫り来る怪物達に自分の最期を確信した。
あの怪物は一人一人が京都でのバージルと同格の強さを持つ。
そんな怪物達を前に相討ちは出来ても勝つことは不可能だと。
そう“思い込んでいた”。
しかし。
「………え?」
一瞬。
ネギが瞬きする間には、既に勝負は決していた。
有り得ぬ方向に首を曲げられているレズン。
体を左右に引き裂かれているラカセイ。
四肢を引き千切られ、鉄骨に突き刺さっているダイーズ。
上半身が吹き飛び、下半身だけとなったカカオ。
そして、身体中の至る所に空洞のあるアモンドが仰向けになって倒れていた。
何が起こったと、思考が追い付かないでいるネギ。
そして、一瞬で部下を倒したバージルにターレスは険しい表情で睨み付けた。
バージルの表情。
まるで勝ち誇っている様な不敵な顔付きが気に食わないターレスは、その怒りを掻き消す様に言い放った。
「まさか……勝てる気でいるのか? 神精樹の実を喰らい続けてきたこの俺に」
「神精樹? このバカでかい木の事か?」
「あぁそうだ。本来ならば神のみに食べる事を許された果実。俺はこれまで幾多の星を苗床にその果実を喰ってきた」
故に!
そう言ってターレスは両手を広げ、背後にある神の樹木を掲げた。
「そんな俺に、お前程度の奴が本気で勝てると思っているのか?」
いきなり、周囲の空気が重くなった。
ターレスから放たれる威圧感。
まるで巨大な岩に押し潰されそうな感覚に、耐えきれなくなったネギは地面に倒れ伏す。
(な、何だよ……これ)
理不尽なまでの力。
不条理という言葉では生温すぎる力。
あの怪物達とは比較にならない程の力の波を発するターレスに、ネギはただ悔しさにまみれるしかなかった。
その時。
「……はぁ」
緊迫したこの状況に、不釣り合いな溜め息が聞こえてきた。
押し潰される圧迫に抗いながら、ネギは何とか首だけを動かすと。
ターレスの威圧感をものともしていないバージルが、呆れた様子で溜め息を吐いていた。
「お前、自分で言っていて気付かないのか?」
「……何?」
「それ、自分で限界だって言っているみたいなものじゃねぇか」
これ以上は強くなれない。
だから、神精樹の実という方法を用いて最強を目指す。
誇りも意地も捨て、どんな手段を使ってでも強くなろうとしたターレス。
……誰もその事に対して責める事は出来ない。
誰にだって限界を感じる時はあるし、ここまでが自分の力だと知っておくのもある意味では強さの一つでもある。
しかし、それでも諦めたくはないという気持ちを持つのも、また強さ。
故に、そう言う意味では誰もターレスに対して意見を言うことなど出来はしない。
――ただ一人を除いて。
「限界を悟ったならばその上で超えればいい。ただそれだけの事だろうが」
限界、これ以上は伸びない。
そんなもの、バージルからすれば唯の言い訳、自分を正当化する為の言い逃れに過ぎなかった。
目の前に壁があるのならばブチ壊す。
それが自分の限界という壁ならば尚更。
限界を知った。良いだろう、ならばその壁をブチ壊す。
一度も試さず、挑まず、なのに何故勝手に決め付ける?
限界など、更なる努力という名の力で打ち砕く。
自分で悟るな。
悟った気でいるな。
泥にまみれても突き進め。
それがバージル=ラカン。
純粋で素直で、それでいて超が付くほどの愚か者。
故に、彼には何かに頼って得た力など許せはしなかった。
しかし。
「ま、それがお前のやり方だって言うのなら、構わんがな」
そう。
所詮それはバージル自身にしかない理想(いじ)。
他者に理解を求めるつもりも、理解されようとも思わない。
だから、バージルは許す事はなくても否定する事はない。
それが、自分と戦う上で必要な手段であるならば。
その上で叩き潰せば良いだけの事。
「……小僧」
バージルに好き放題言われた所為か、すっかり怒り心頭のターレス。
「……喋り過ぎたな」
対するバージルは、饒舌な自分に舌打ちを打ち、表情を引き締めて構えを見せる。
低く、野生の獣を思わせる構え。
「さぁ、始めよう」
バージルが求めるのはより強く、高みへ昇る為。
そして、その先にいるあの男を超える為。
故に負けない。
互いに相手だけを注目し、一時の静寂が辺りを包み。
そして、一つの瓦礫が音を立てて崩れ去った。
瞬間。
――ドォォォッ――
二人の姿が消え、ネギの頭上の遥か上空で、空気の炸裂音が轟いた。
「ネギ先生達はまだ戻って来ませんの!?」
麻帆良学園から離れた本土。
陸橋の向こう側に聳え立つ超巨大な樹木を尻目に、雪広あやかの叫びが、避難所に響き渡る。
雪広財閥が用意した簡易的な避難所、怪我人や支援物を提供する施設を設置し、取り敢えずの処置は終了していた。
一通りの手順を終えたクラス委員長の雪広は、ネギ達が再び学園に戻り、そして未だに帰って来ていない事に酷く焦りを見せていた。
「ど、どうしよういいんちょ。ネギ君達もう一時間は帰って来ないよ」
「しかも、さっきから爆発が止まないし……」
「空から何か降ってきたし……」
担任とクラスメイト数名が未だ帰還していない事実に、雪広だけではなく生徒全員に不安を広ませていく。
「こ、これって……やっぱテロなんかなぁ?」
サッカー部のマネージャー、和泉亜子の涙混じりの声がより一層不安感を煽らせる。
動揺するクラスメイトに、雪広はハッと我に返り自分のするべき事を思い出す。
「……兎に角、他の先生方と連絡取れない以上、我々はここに待機。宜しいですわね?」
「そんな! 助けに行かないのいいんちょ!? あそこには明日菜が……ネギ君だっているんだよ! このまま放ってなんか……」
「お黙りなさい!」
助けに行こうと明石裕菜の叫びに対し、雪広は凛とした声でこれを遮る。
「私はネギ先生から皆様の安全を頼まれました。先生からの……いえ、クラス委員長として、そのような行動は許しません」
震える体を抑え、自分の感情を押し殺しながら、多数の人間の安全を守り抜く。
そんな彼女の確固たる意志の前に、裕菜や裕菜の意見に賛成する者は何も言えなかった。
しかし、この時彼女は気付いていなかった。
雪広あやかが、まだ避難所の設置で各所を回っていた頃。
二人の少女と一匹のオコジョが、戦禍が渦巻く麻帆良へと侵入していた事に。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「大丈夫か? このか嬢ちゃん」
「う、ウチなら平気」
「わ、私もです」
瓦礫の中を走るこのかと夕映。
彼女達の安否を気遣いながら、オコジョのカモは瓦礫の道を先導していた。
「本当に済まねぇ。嬢ちゃん達をここに連れてくるのは気が引けるが、兄貴達が今かなりヤバイんだ」
「分かっとる。ウチの魔法が役立つんなら何でも言って……それよりも」
自分には治癒の魔法がある。
しかし、後ろの夕映には何の力もない。
何で着いてきたのかと、視線で訴えてくるこのかに夕映は伏し目がちになる。
瞬間。
「っ! このかさん危ない!」
「へ? きゃっ!?」
突如、頭上から降ってきた巨大な瓦礫。
それに気付いた夕映はこのかを抱き抱えて前方に跳躍する。
擦り傷や泥にまみれるが、間一髪瓦礫から免れた二人に、カモはホッと胸を撫で下ろした。
「あ、ありがとう夕映」
「いえ、……さ、急ぎましょ」
「うん」
このかの手を引っ張り、瓦礫の上を駆けていく夕映。
そんな彼女の背中を見つめながら、二人と一匹はネギの下へと走り続けるのだった。
〜あとがき〜
次回から漸くバトル。
そしてあまりのアッサリ&急展開ですみません。