……何が起こった?
奴が妙な赤い木の実を口にした瞬間、エヴァンジェリンは神精樹の幹に磔のように叩き付けられていた。
朦朧とした意識、ボヤけた視界の中で彼女が見たもの。
それは――。
「中々面白い術を使うなぁお前、まさかこちらの攻撃が通用しないとはなぁ……」
「ぬ……く」
バージルとなったクウネルがターレスに首を掴まれ、苦悶の表情を浮かべていた。
世界樹の魔力によって幻影を生み出したクウネルは、肉体的痛みは無い。
クウネルの苦悶、それは悔しさからのもの。
他人の力を使ってでも、目の前の怪物に打ち勝ちたいと思い、挑んできた。
しかし。
「キティ……」
もう、限界だ。
世界樹から放たれていた淡い光、それら全てが消え失せ。
同時に、クウネルの体は透明になると共に。
「逃げ……なさい」
その呟きを最後に、クウネルは……アルビレオ=イマは姿を消した。
「アルビレオ=イマ!」
漸く意識が回復し、アルビレオの名を叫ぶエヴァンジェリン。
しかし既にアルビレオの姿は消え、エヴァンジェリンの叫びは虚空へと消えていく。
「奇妙な奴だ。すり抜けると思えば攻撃をしてくるし、姿形も変えてくるし……ある意味では今まで相手にしてきた奴等より一番厄介な相手だったな」
しかし、そう付け加えるとターレスはエヴァンジェリンの方に向き直り。
「この俺には、届かなかったなぁ」
愉快そうに口元を歪め、その表情は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「チィッ!」
エヴァンジェリンはターレスから距離を空け、その右手に魔力を収束させ。
「闇の吹雪!」
漆黒にそまる闇の嵐を、ターレスに向けて射ち放った。
嵐はターレスを呑み込み、神精樹の葉を揺らし。
学園の上空の全てを呑み込む程の闇が、ターレスを喰らった。
――だが。
「中々心地良い風だ」
「っ!?」
ターレスはエヴァンジェリンの最大限に高めて放った魔力の渦を、何事も無かった様に、彼女に向かって空中を歩き進んでいた。
「くっ!」
エヴァンジェリンはすぐにまた距離を開き、呪文を唱え。
黒い塊、奈落の業火を取り込み全身を闇色に染め上げる。
そして。
「ぬぁぁぁぁっ!!」
ターレスに向かって、渾身の右拳を打ち下ろす。
しかし。
「おっと」
「っ!」
ターレスはエヴァンジェリンの全力の一撃を難なく片手で受け止め、手首を捻らせてエヴァンジェリンの体を吊り上げる。
「いい加減思い知っただろう? お前達程度が幾ら刃向かっても、俺には勝てないと」
「ヅァッ!」
手首を強く捻られ、身動きの取れなくなったにも関わらず、エヴァンジェリンはターレスの首下に蹴りを放つ。
だがやはり、それでも聞いていないのか、ターレスは目をスッと細め、エヴァンジェリンの手首を掴んでいた手に更に力を込め。
そして、ゴキリと骨が砕ける鈍い音がエヴァンジェリンの耳元を貫いた。
「っ!!」
痛みを堪えようとする声が、彼女の口から僅に溢れる。
「どうした? もう蝙蝠になって逃げ惑う体力も無くしたのか?」
「くっ!」
ギリギリと締め上げ、屈服させる様に語り掛けるターレス。
しかしエヴァンジェリンは未だその目に光を灯し、抵抗の意思を示していた。
それを見たターレスはフンッと短く鼻息を飛ばし。
「そう言えば、お前は不老不死だったな」
「……」
「楽しみだな」
エヴァンジェリンの腹部に、掌を当て。
「果して、一体どこまでが本当なのか……確めさせてもらうぞ」
ターレスはそう言うと、愉しそうに口元を歪め。
掌に光を収束させ。
「く、くそ……」
エヴァンジェリンの胴体を、光の閃光が貫いた。
「雷の斧!」
一方、アモンドと戦う事になったネギ、明日菜、刹那の三名は。
「何だぁ? こんなピリッとするだけの電気が攻撃のつもりか?」
「くっ!」
「攻撃ってのは、こうやるんでっせい!」
「うわぁぁぁぁっ!」
オレンジ色の巨体に成す術なく圧倒されていた。
体を捻り、独楽の様に回転した状態から繰り出される円盤状に固められたエネルギーの刃。
それはネギの放つ光の矢を紙くずの如く切り裂き、彼の頬を掠めていった。
「そっちから仕掛けて来たんだ。もっと楽しませろよ」
両手を広げ、余裕の態度を示すアモンド。
その態度にカチンと来たのか、明日菜はハリセンを握っていた手に力を込め。
「こ、のぉぉぉぉっ!!」
アモンドに向けて振り下ろした。
しかし。
「だからよぉ……」
「っ!」
「攻撃ってのは、こうやるんでっせい!!」
「あぐっ!?」
パンッと軽い音がアモンドの肩から響くと、アモンドは呆れた様に溜め息を吐き。
明日菜の腹部に、拳をめり込ませた。
背後にあった瓦礫に叩きつけられ、血を吐き出す明日菜。
痛みと衝撃に視界がボヤけ、ガラガラと瓦礫と共に地に落ちる。
砂と泥、そして血と傷に刻まれた明日菜。
「明日菜さん!」
ネギは倒れ伏してしまった明日菜に駆け寄ろうとするが。
「おっと、どこへ行くんだ?」
「っ!?」
アモンドがネギの前に先回りし、それを遮った。
腕を組んで、余裕の顔で見下ろすアモンド。
「あ、……ああ」
ネギはアモンドから放たれる強烈な圧力に、尻を地に付けてしまい、恐怖で体を動かせずにいた。
「ネギ君っ!」
「ネギ先生!」
そんなネギに、高畑と刹那がそれぞれの全力で以て、アモンドを迎撃しようとするが。
「邪魔でっせい!」
「うぐっ!?」
「あうっ!」
腕の一振り、そこから発せられた突風により、二人は吹き飛び。
瓦礫の中に叩き付けられ、その衝撃に意識を刈り取られていた。
刹那や高畑は明日菜と同様、いや、それ以上のダメージを受け続けて尚、戦い続けていたが。
それも限界。
どういう訳か比較的に傷の浅いネギは、何とか立ち上がりアモンドと向き合うが。
(ど、どうしよう……どうすれば!?)
その思考は、焦りと動揺で混乱しきっていた。
明日菜や刹那も一撃でズタボロにされ、高畑さえも戦闘不能に陥っている。
残されたものは自分のみ、カモは他の魔法教師に助けを求めて一時離脱しているが。
正直期待出来ないだろう。
「う、うぅ……」
ネギは震える膝を支え、杖を前に構えるが。
勝てる見込みは勿論、この場から逃げ出す算段も皆無。
挑むべきではなかった。
関わるべきではなかった。
エヴァンジェリンの下で修行を積み、何かの役に立てるのではないかと思っていた。
しかし、実際は違った。
目の前の怪物は、刹那の斬撃や高畑の攻撃も全く通じなかった。
恐怖。
ネギの中にある過去と、今目の前で起きている光景が重なり、より一層恐怖とトラウマにより心身共に蝕まれていた。
ガクガクと全身が震え、心臓の音が五月蝿い。
思考がマトモに正常しない最中、それでもネギはこの状況を打破できる術を無意味と解りながら模索していた。
その時。
「何だ何だぁ? まぁだ遊んでたのか?」
「ったく、これなら俺達ももう少し遊んでいるんだったぜ」
「全くだ」
「ンダ」
ネギを囲う様に、上空から現れるダイーズ達。
その口元は愉快そうに歪め、各々の手にはある人物達が捕まれていた。
「っ!?」
小太郎、高音、楓、真名、古菲、近右衛門、超、自分の生徒と自分と関わりのある人物達が血塗れとなっている事に、ネギは絶句した。
「どうだ? 治癒術が使えそうな奴はいたか?」
「いや、それはまだ分からん。取り敢えず目ぼしい奴はコイツらの他にも生かしてはいるが……」
「殺したのか?」
「仕方ねぇだろ? コイツ等予想以上に脆いんだからよ。一人や二人問題ないだろ」
「そう言うお前は随分手間取ったみたいじゃねぇか? え? ダイーズ」
「チッ、このガキ、いきなり現れたのかと思えば消えたりして得体のしれない術を使うからよ」
忌々しげに表情を歪め、超の髪を引き上げる。
するとアモンド達は無造作に投げ、生徒達は何の抵抗もないままに地面に倒れていく。
生気の失った瞳、僅に上下する体。
死を間近にしている生徒達に、ネギは助ける一心で駆け寄った。
しかし。
「終わったか?」
上空から現れるターレスによって、その足を止めてしまう。
「そいつが、治癒術を使う奴か?」
「いえ、ですが候補が何人かいますので……」
「ふん、まぁいい。こちらはそれよりももっと面白いモノを見付けたからな」
ニヤリと笑みを浮かべて、ターレスは何かを掴んでいた左手を掲げると。
ネギはその光景に目を見開かせた。
無くなった左腕、引き千切られた右足、抉られた脇腹、髪を掴まれ、壊れた人形のように項垂れているエヴァンジェリンに、ネギの頭は真っ白に染め上がった。
すると。
「小僧、コイツはお前の仲間か?」
「っ!?」
「返すぞ、受け取れ」
投げて寄越すエヴァンジェリンに、ネギは反射的に反応できた。
そして、エヴァンジェリンがネギの手に抱えられようとした。
その時。
「!?」
自分の眼前に降り注いだ一本の槍が、エヴァンジェリンの体を貫いた。
「が、あ……が」
槍に貫かれた衝撃と痛みにより、意識を取り戻すエヴァンジェリン。
「これは驚いた」
「まさか本当に不老不死とは……」
「だろう? だがこれで分かったろ? コイツから不老不死になる為の方法を聞き出せれば……」
「あのフリーザにだって余裕だぜ!」
ピクピクと動いているエヴァンジェリンに、高々と笑い声を上げるターレス達。
(何が……可笑しい? コイツ等は、どうして笑っているんだ?)
何故目の前の奴等は笑っている?
ネギの真っ白だった思考に、一つの疑問が浮かび上がり。
(高音さんや、小太郎君、龍宮さんや超さん、皆アイツ等にやられた)
何もしていないのに。
生徒達は、何も悪い事はしていないのに。
何故傷付けられなければならない。
意味もなく蹂躙され、意味もなく殺されるのか?
――ふざけるな。
(ふざけるなっ!)
真っ白だった思考の中に浮かび上がった疑問は、理不尽に対する怒りが燃え上がり。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「「「「っ!?」」」」
ネギの雄叫びと共に、風が吹き荒れる。
「お前達は……お前達だけは!!」
鋭い眼光で、眼前の敵を射抜くネギ。
力の差、戦況、そんなものは全て頭の中から消し飛び。
燃え上がる怒りの炎が、ネギを奮い立たせる。
そして。
「絶対に、許さないぞぉぉぉっ!!」
自分の中にある全ての魔力を使い、ターレスに向けて射ち放った。
荒れ狂う雷の暴風はターレスを呑み込み、周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。
軈て、全ての魔力を使い果たしたネギは膝を着き、立ち込める煙りに向かって睨み付けている。
すると。
「驚いたな。まさかここまで戦闘力が上がるとは」
煙りの中から現れるターレス。
驚いたと口にしながら、まるで利いた様子のない目の前の男に、ネギは歯を食い縛り立ち上がろうとする。
「そこまでして抗う貴様の気概に報いる為、楽に死なせてやろう……」
最後まで抗おうとするネギに対し、ターレスは自ら手を下そうと掌に紫色に輝く光を収束させる。
悔しい。
悔しい。
ネギの中に渦巻く悔恨の念。
(僕は……死ぬのか?)
行方不明の父も見付けられず、立派な魔法使いにもなれず。
何よりも……。
(教師として……何も出来ないまま)
全身を震わせ、目の前の光に立ち尽くすネギ。
そして。
「じゃあな。一足早くあの世に逝ってな」
ターレスがネギに向かって紫色の閃光を放った瞬間。
上空から一筋の光が、ネギの前に降り立った。
爆発し、吹き荒れる風によって吹き飛んでいくネギ。
何が起こったと、ネギは立ち上る煙りに向かって凝視していると。
一つの人影が徐に立ち上がり。
「ラウンドつぅ〜〜」
煙りの中から、黒目黒髪の少年。
バージル=ラカンが姿を現した。