数時間前、麻帆良学園大通り。
空は曇っているが、まだ雨は降っていない筈の通りに、不自然な水溜まりがあった。
そして水溜まりはグニャリと歪み、徐々に形を作り始めていた。
やがて、水溜まりのあった場所には水があった跡だけが残され、その上には……。
「周囲に人影なシ」
「侵入成功だナ」
半透明の体をした三人の小さな女の子が佇んでいた。
一人は聡明な印象を持つ眼鏡を掛けた女の子、一人はショートヘアの強気な少女、最後の一人は冷静沈着な雰囲気を纏ったロングヘアーの少女。
だが、彼女達は人間ではない。
水を操り、召喚者の命令に従う魔物。
それが彼女達の正体なのだ。
「さて、ヘルマンさんも直に行動を起こすでしょう。私達も動きマスヨ」
「はいヨ」
少女達が自分に課せられた任務を全うする為、移動を始めた。
すると。
「ん?」
「どうしたんですかすらむぃ?」
ショートヘアの少女、すらむぃが何かを見付けたのか、ある方向に視線を向けていた。
「なぁ、あのガキ何してんだ?」
「あのガキ?」
すらむぃの指差す方向へ、眼鏡のスライムあめ子が振り向くと。
ご機嫌そうに袋を持つ少年が自分達の前を400メートル程の先で歩いていた。
そして、少年が袋の中から一個のシュークリームが取り出すのを見ると、すらむぃは悪戯な笑みを浮かべる。
「なぁ、少しあのガキを脅かさネ?」
「はぁ? またですカ?」
「そんな暇はないと思う」
すらむぃの提案にあめ子とロングヘアーのプリンは呆れた様に溜め息を吐く。
「いいじゃねぇカヨ、どうせまだ時間には余裕があるんだかラ」
長い間一緒に行動してきた為、こうなっては止められない。
やれやれと肩を竦めるプリン、あめ子は眼鏡を掛け直して。
「ほどほどにネ」
「分かってるって、少し背中を軽く押すだけだヨ」
そう言ってすらむぃは自分の悪戯心に従い、少年の背中を軽く押すのだった。
……後に、それが地獄への入場料代わりになるとは知らずに。
一段、また一段とバージルは観客席の階段を降りていく。
大きく開かれた目は血走り、口元は愉しそうに歪ませている。
一歩ずつ近付いてくるバージルに、初老の男性の……ヴィルヘルムヨーゼフ=フォンヘルマン伯爵は、目の前のネギではなくバージルに視線を向けて、おぞましく感じる悪寒に身を震わせていた。
ヘルマンだけではない。
ネギや小太郎、捕われている明日菜達も異様な雰囲気を持つバージルに言葉では表せない何かに怯えていた。
そして。
「クヒッ!」
「「「っ!?」」」
バージルはグルンと小太郎達の方へ振り返り、ケタケタと不気味な笑みを浮かべながら向きを変えて歩き始めた。
小太郎は動けなかった。
身体中の細胞が逃げろと叫んでいるのに、指一本動かす事が出来ない。
どうにかして動かそうとするが、叶わない。
そして、そうしている間にもバージルは小太郎へと近付き。
「ククク……」
「…………っ!!」
バージルは、小太郎の横を素通りしていった。
生きた心地がしなかった。
生まれの境遇で否応なく裏の世界で過ごす事になった自分でも、何度か危ない場面を経験した事がある。
場合によっては死に掛ける事もあった。
だが、これは何だ?
まるで心臓が直接握られている様な息苦しい感覚。
今まで感じた事のない殺気。
生きていく上で様々な輩と相対したが、こんなのは初めてだ。
小太郎は、自分に目もくれず横切っていくバージルに悔しい感情を抱くが。
それ以上に自分が生きていた事に対する安堵感が大きかった。
「よう」
「「「っ!」」」
そして、歪んだ笑みを浮かべて、バージルが目を付けたのは半透明の姿をした三人の小さな女の子。
自分が探していた輩が見付かり、バージルはより一層口元を歪ませる。
「お、お前……」
「さっきはどうも……お陰で頭の血管がブチ切れそうだ」
ざわつく髪が逆立ち、辺りの塵粒が舞い上がる。
握りしめられた拳からメキメキと音が鳴り、両腕には血管が浮かび上がり。
今にも爆発しそうだった。
バージルが拳を握り締めたその時。
「ヌォォォォッ!!」
「?」
ヘルマンが背後からバージルの後頭部へ拳を叩き込んだ。
仲間を助ける為か、それとも体が咄嗟に動いたのか。
バージルに一撃を入れたヘルマンは、振り抜いた拳を震わせながら様子を伺っていた。
「…………」
そして、バージルがゆっくりと振り向き、ヘルマンの手を掴んだ。
瞬間。
「…………え?」
明日菜達は、我が目に映る光景を疑った。
噴き出す血飛沫、響き渡る断末魔。
地面に膝を着き、悶えながらあった筈の肩を抑えるヘルマンの姿。
そしてそれを見下ろし、先程とは違い、無表情のバージルが佇み。
その手にはヘルマンの手腕が握られていた。
ヘルマンの肩口からボタボタと血が滴り落ち、辺りを血で染めていく。
ヘルマンは額に雨の混じった汗を浮かべ、迫り来るバージルを見上げると。
「ぬ、ヌゥゥ……」
その光景を前に、誰もが絶句した。
引きちぎられたヘルマンの腕、バージルはソレにかぶり付き。
ぐちゃぐちゃと音を立てて噛み締めたのだ。
「ぺっ、……不味いな、毒の材料にもなりゃしねぇ」
吐き出した肉片、それを目にしたのどかは気を失い、夕映と朝倉は気持ち悪さに嘔吐し。
明日菜と古菲は想像を絶した光景に顔を真っ青にしている。
「そうか、思い出したぞ。“魔獣を喰らう者”、“魔を以て魔を滅する者”、そして“悪魔を泣かせる者”……君の事だったのか」
自分の腕が喰われる様を見て、ヘルマンは震える足を何とか支えて立ち上がる。
対するバージルはヘルマンの腕を無造作に投げ捨て、口元から流れる血を拭い。
「言いたい事は終ったか?」
「っ!」
「安心しろ。唯では死なさん」
ゆっくりと一歩踏み出すバージルに、ヘルマンはビクリと肩を震わせた。
しかし。
「ヘルマンのおっさん!」
「援護するです!」
スライム三姉妹がバージルに向かって飛び。
「?」
バージルの顔部分に水の塊をぶつけた。
水の塊はバージルの顔に留まり、息が出来ないよう包み込んだ。
ガボガボと空気の泡を吐きながら、バージルはスライム三姉妹に振り返る。
「へっ! ざまぁみろ! そうやって余裕ぶっているからアッサリとやられるんだよ」
「その水は私達の魔力を媒体とし、尚あの少女達とは別の効力が発揮しています。貴方がどんなに力を行使しても、離れる事はありません」
「本当なら無益な殺生は控えろと依頼主から言われていますが……貴方が相手なら仕方ありません」
「自分の油断に溺れて溺死しなっ!!」
ケラケラと愉快そうに笑うすらむぃ。
辺りは雨が降り、喩えバージルが水の牢獄から抜け出しても、また閉じ込めれば良いだけの事。
勝った。
三姉妹は動かないでいるバージルに自分達の勝利を確信した。
しかし。
「…………」
バージルは何も語らず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
その時。
「「っ!?」」
突然、三姉妹の背後に一瞬にして回り込んだバージルは、プリンとあめ子の頭を掴んで持ち上げた。
「な、何をするつもりです!?」
「私達は軟体、幾ら貴方の力が強くても通用しませんよ」
そう、自分達はスライム。
その軟体が故に打撃技は一切通用せず、喩え砕けても他の魔物とは違い直ぐに再生する事ができる。
追い詰められて遂に自棄を起こしたか?
理解できないバージルの行動に、すらむぃは不敵な笑みを浮かべる。
しかし。
「あ、あぁぁぁ……」
「アァァァァァァァァッ!!!!」
「あ、あめ子? プリン?」
突然、悲鳴を上げる二人にすらむぃはビクリと体を震わせた。
酷く苦しそうに顔を歪める二人、一体何が起きているのかすらむぃを含む誰もが分からなかった。
すると。
「っ!?」
バージルが掴んでいる二人の頭から、モクモクと煙が上がっている。
いや、それは煙ではなく水蒸気だった。
氣によって熱されたバージルの手が、二人を捉えて離さない。
「熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱いっ!!!」
「いや、いやぁぁぁっ!!」
自分達の頭を掴んでいる手を放そうと、必死に抵抗を試みるあめ子とプリン。
蹴ったり殴ったり、高圧水流を叩き付けたり、様々な手段で抵抗するが。
二人の頭を掴んだバージルの手は、全く微動だにしなかった。
遠退く意識、最期に二人が見たものは……。
――どうだ? 体が蒸発していく感覚は?――
ニタァッと不気味な笑みを浮かべ、心底愉しそうなバージルが口パクで呟いていたのが見えた。
恐怖と共に息絶えた二人は、軈て水蒸気となってその姿を消した。
そして。
「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
残されたすらむぃは目の前で二人が殺されるのを見ると、怒りよりも恐怖が先立ち、一目散と逃げ出した。
怖い。
二人の仇を討つよりも、身の安全を優先するすらむぃ。
水の転移を使い、この場から離脱しようとする。
が。
「何処に行くんだぁ?」
あと少しで水の扉へと飛び込めたその時、すらむぃはガッシリと頭を掴まれて身動きが出来なくなってしまう。
恐る恐る振り向くと、そこには水の牢獄から逃れたバージルが、口元を歪めてすらむぃの頭を掴んでいた。
術者である三姉妹の内二人が死に、残された一人は既に逃げる事だけしか考えられない為、再びバージルの頭をを水の牢獄で包み込むという作戦は出来なくなった。
「た、助けて……」
ガタガタと震え、すらむぃは目から涙を流して許しを乞う。
しかし。
「そう言えば、お前達の故郷は魔界だったな。いつかは帰れるといいなぁ」
「え?」
バージルの一言にすらむぃが呆然となった瞬間。
バージルはすらむぃを空高く放り投げ、その手に緑色の光を集束させ。
圧縮された光の玉を、すらむぃに向かって投げ飛ばし。
閃光が、夜に染まる日本の空を照らした。
目の前で起こった光景に絶句するネギ達。
「ンフフフ……フハーハッハッハッハッ!!」
何の躊躇いもせずに、命を奪うバージル。
愉快に、愉しそうに命を殺すその姿を前に。
「あ……悪魔だ」
ネギは誰もが思ったその一言を口にした。
そして、バージルの笑いが収まると、今度はヘルマン向き直り。
「次は、お前を血祭りに上げてやる」
ヘルマンに指を差した。
瞬間。
「む?」
目の前にいるのはヘルマンではなく、黒い翼を持った怪物がバージルに向かって口を開き。
一筋の閃光を放った。
軈て光が収まると、石像となったバージルがあった。
「………これで、終ったか」
「ば、バージルさん?」
「ネギ君、君ならば知っているだろう? こうなれば彼はもう助からないと」
元の初老の男性に戻ったヘルマンは、落とした帽子を広い踵を返す。
ヘルマンの石化は強力、一度喰らえば永遠に解ける事はないとされる永久石化。
故に、全身を……それも直撃を受けたバージルはこれで終わったとヘルマンは思った。
しかし。
――ビシッ――
「っ!?」
何か皹の入る音に振り返ると。
「ば、バカな……」
石となったバージルに亀裂が入り。
砕けた石の中からバージルが飛び出し。
ヘルマンの顔を掴んだ。
「どうした? 何をそんなに怯えている?」
あり得ない。
自分の石化魔法は、完全にバージルを捉えた筈。
治癒呪文も無しに力で打ち破ったというのか?
「怖いのか? 悪魔の癖に、俺が」
「や、やめ……」
ギリギリと握り締められるヘルマンの顔。
ヘルマンは最期に口を開こうとしたその時。
バージルに掴まれたヘルマンの顔は、潰れた赤いトマトの様に。
脳髄をブチ撒けた。
〜あとがき〜
はい、今回も色々ネタ満載でした。
すみません。
それと、今回は【片翼の天使】を聞きながら書きました。