固定化。
酸化・腐敗を防ぎ、物質の状態を維持する魔法である。現代のハルケギニアの社会になくてはならない魔法のひとつだ。この魔法の誕生にはある伝説がある。
昔々、とある国にルーシーという王妃がいた。ルーシーは家柄や政治的理由でなく、その美しさだけで王妃になった女性だった。きんいろの髪と青い瞳。彼女の美しさは国中のどんな宝物よりも価値があると言われていた。
各国からルーシーの姿をひとめみようと客人がたくさんやってきた。最初は身分のない王妃にしかめ面をしていた大臣たちも、各国の要人たちがルーシーの美しさを褒め称えるのを見てとても喜んだ。
当然、ルーシーは自分の美しさが何よりも自慢だった。自分に見とれる客人たちの顔が大好きで、ぎっしりと詰まった会食や夜会も喜んでこなした。働き者の王妃に、大臣たちはまた喜んだ。
王妃になって二年ほどたったとき、ルーシーは女の子を産んだ。ルーシーと同じきんいろの髪と青い目をした、とてもかわいらしい子だった。女の子はマリーと名付けられすくすくと成長した。ルーシーと同じようにマリーのかわいらしさも王室の自慢となった。マリーが三歳になったころ、ルーシーはもう一人子供を産んだ。今度は男の子で、王室も安泰だと喜ばれた。
そんなある日、ルーシーは自分の美しさが衰えてきていると気づいた。今でも自分はもっとも美しいが、過去の自分のほうがもっと美しいと分かってしまったのだ。あのころの肌はもっとなめらかだった。あのころの髪はもっと艶やかだった。ルーシーは鏡の前で老いという事実に恐怖した。
その日から、ルーシーは自分の美しさを保つためにあらゆることをした。豚の肉が良くないと聞けば一切口にしなかったし、逆に白ワインが良いと聞けば一日中でも飲んでいた。老いを止める魔法が出来ないものかと、自分自身でも魔法の研究を始めた。
王妃のそんな噂をどこからか聞きつけ、王室には怪しい商人やメイジがたくさん訪れるようになった。高名な水メイジが作った不老の秘薬だとか、東方から仕入れた美容の秘薬だとか、うさんくさいものを次々と売りつけた。中にはちゃんとした薬もあったのだが、そのほとんどがいんちきな代物だった。ルーシーはいんちきな薬を買いまくった。公務をほとんどしなくなった上に無駄遣いが増えた王妃に、大臣たちは顔をしかめた。
だが、ルーシーの老いは止まらなかった。むしろ、ルーシーの美貌はどんどんと崩れてきていた。過剰な健康法や美容法、いんちきな薬の使いすぎだった。日に日に醜くなっていく自分に耐えきれず、ルーシーは自分の部屋から鏡をなくした。自分の美貌を鏡で見るのが大好きだったのに。
それでもルーシーは美を求めることをやめなかった。美容法や薬が足りなかったのだと、よりいっそうのめり込むようになっていった。王も大臣たちもルーシーの行動に頭を悩ませるようになっていた。
少しずつ老いていくルーシーとはうらはらに、マリーはどんどんと美しくなっていった。その美しさはかつてのルーシーの生き写しだった。髪も、目も、鼻も、成長するごとにルーシーに似てきていた。
いつしか、ルーシーは自分の娘に自分を重ねてみるようになっていた。自分が老いたとしても、自分にそっくりなマリーの美しさを守ることができれば、自分の美しさが保たれたのと同じことだ。そんなふうに考えるようになっていた。
この頃には、ルーシーは美容法やいんちきな薬にこりていた。自分のような失敗をマリーにさせてはいけないと、経験などから確実なものだけをマリーにさせていた。
その一方で、魔法の研究は相変わらず続けていた。老化を止めることはできないかと、高名な学者やメイジを交えて呪文や秘薬の開発を進めていたのだ。不老の呪文はいくら研究しても完成しなかったが、その過程でみょうな呪文が生まれていた。その呪文は世間的にはものすごい価値のあるものだったのだが、ルーシーたちは気がつかなかった。
そんなある日、悲劇は訪れた。
マリーが病に倒れたのだ。王国に蔓延していた流行り病だった。これといった対処法がみつかっておらず、本人の体力が勝つことを祈るしかない病気だった。国中から医者が集められたが、これまで見つかっていない治療法が急に見つかるわけもなかった。
ルーシーは娘の回復を祈った。教会に毎日行って祈りを捧げた。その姿に国民や大臣たちは心打たれた。だが、それがマリーの命を惜しんでのものだったのか、マリーの美しさを惜しんでのものだったのか。どちらかはルーシー以外には分からない。
マリーは一週間ほど眠り続け、そのまま短い一生を終えた。美しい王女の死を国中が悼んだ。国葬が執り行われ、マリーは王家の者が代々眠る丘へと葬られた。
マリーの棺が埋められる前に、ルーシーはマリーの遺骸に向けて何かの呪文を唱えたという。だが、何も起こらなかったためほとんどの者は気づくことはなかった。
娘を亡くして一年ほどたったころ、ルーシーもまた同じ流行り病に倒れた。ルーシーは病床で、自分が死んだら火葬にして欲しいと願った。死してなお自分の身体が醜くなるのが嫌だったのだろう。
ルーシーは娘と同じように、一週間ほどで眠るように息を引き取った。彼女の望み通り遺骸は荼毘に付され、白く美しい骨だけが王墓に埋められた。
さて、ルーシーの死後、彼女の部屋からある魔法の研究書がみつかった。その魔法をかけられた物体はさびることや腐ることを止め、あらゆる劣化から守られるというものだ。不老の魔法を開発する副産物だったらしい。この呪文は人々の生活を一変させるほどの大発明で、やっかいものだった王妃の評価は死んだ後でものすごく上がった。
だが、この呪文が世の中に広まっていくと同時に、一つの噂が囁かれるようになった。ルーシーがマリーの遺骸に唱えた謎の呪文。それはこの、劣化を防ぐ魔法だったのではないだろうかという噂だ。
ルーシーが晩年、マリーの美しさに固執していたのは宮廷では誰でも知っている話だった。ルーシーはマリーの美しさを永遠にするために、遺骸に魔法をかけたのではないだろうか。だれともなくそう囁きあった。
だが、いかなる噂が立とうとも王墓を暴くようなことは許されない。噂の真偽は確かめられることはなかった。
数百年の時が流れ、王国は潰えて王墓のあった場所も定かではなくなってしまった。もはや国の名前を覚えているものもいない。
しかし、伝説だけは残っている。どこかの丘で、美しいままのマリーが眠り続けているのだと。
あとがき
ネタが思いついたけど『魔法学院でお茶会を』にはどうしても組み込めそうになかったので短編にしてみました。
本編には一切関係ない作品ですが、ふたつ作品を転がしておくのも悪いと思ったのでここに置いておきます。