ライン以上の生徒には後期から専用のカリキュラムが組まれている。彼らはメイジという優性種の中でも抜きんでた存在であり、将来を嘱望される優等生だ。上級の呪文を習得するための授業が用意されている。ドットの生徒にもラインの概念を理解させるための授業は行っているが、足の遅い者に速い者が合わせるわけにもいかない。才能に見合った教育を受けさせるのが魔法学院という場だった。
当然、ザザもライン専用の授業を受けている。普通の授業よりもずっと人数が少ないので一人一人に対してみっちりと教えてくれる。長所はのばし、不得意な分野も克服させる。
「では、ミス・ベルマディ。前に出てやってみせてください」
「……はい」
教師に言われて前に出る。教壇の上に用意されているコップにはなみなみと水が満たされていた。深呼吸をしてから呪文を唱え、杖をふる。
「……失敗ですね」
しばらく待ってもコップになんの変化もないのを見ると、教師はそういった。成功していれば氷が出来ているはずだった。教室の中から小さな失笑がもれる。いつものことで慣れてはいるが、恥ずかしさに耐えながら席に戻る。ルイズはいつもこんな感じなんだろう。
ザザは風のラインにも関わらず、水と組み合わせるのが苦手という偏ったメイジだ。教師たちはこの欠点を克服させようと熱心に教えてくれる。ザザも氷系の魔法が使えるようになりたいと思っているが、才能がないのかまるで上手くいかなかった。
ザザの代わりに他の生徒が指名される。白銀の髪をもつ少女が壇上に上がった。指名された少女は、コップではなく空中に向けて杖をふる。すると、キンと甲高い音とともに氷の塊が空中に出現した。氷塊をつまむと、コップの中に落として何も言わずに席に戻る。
空気中の水分を固めて氷を作る高等技術だ。トライアングル級なら普通だが、ラインではそれなりに訓練のいる技術だった。教室にざわめきが起こる。半分は感嘆、もう半分にはそれ以外のものもまざっていた。コップに水が用意されているのに、わざわざ自分の実力を見せつけるような真似をしたことに対する不快感である。
才能の方向性が違うだけのことと分かってはいたが、さすがに自分のすぐあとにああいう真似をされるのはザザも気分がよくなかった。
冷たい面差しの少女はそんな視線を小馬鹿にしたように受け流す。
彼女の名前はノエル。二つ名は霧氷。水のラインとしては飛び抜けた実力を持っており、将来的にはトライアングルにも届くかと言われている秀才だ。ザザが砂に特化した才能を持っているように、ノエルは氷に特化した才能に恵まれていた。ノエルは今のように、ことあるごとに自分の才能を見せつけるような振る舞いが目立つ。他の生徒からはよく思われてはいない。そのため、友人も派閥や取り巻きといったものもない孤高の存在だった。
彼女に限った話ではないが、ライン以上の生徒は自分の才能を鼻にかけているものがとても多い。家族やまわりのドットメイジを凌ぐ才能が、過度に自信を持たせてしまうのだ。それはときに無意味な虚栄心に変わってしまう。ノエルのようにむやみに自分の力を誇示するようなことも珍しいことではない。
「ふん、調子にのって。魔法しか取り柄がないくせに」
誰かがつぶやいたそんな負け惜しみが、ザザの耳にしばらくのこっていた。
ノエルはいつも一人でいる。魔法の実力は飛び抜けているので、取り込もうとするところはちらほらとある。ノエルはそんな、愛想笑いで近づいてきたものたちを冷笑と共に一蹴してしまう。孤独が自分の誇りだとでも言うように、ノエルは誰も寄せ付けない。
「ここ、いいかな」
ザザはノエルの前に腰掛けた。テラスのテーブル。周りのテーブルは全て埋まっている。一応は顔見知りのノエルとザザが相席になるのはおかしい話でもない。だが、他の誰もここに座ろうとしないのは、ノエルが嫌われているからだ。
「何? 貴女、この前のことがそんなに気にくわなかったの? ライン資格をもっていても、器は小さいのね」
最初からこの物言いだった。予想通りの反応にザザは涼しい顔で答える。
「別に、他にあいていなかっただけだよ。それに、この前は氷の授業だったけど、風の授業なら立場は逆だろう?」
「ふん。じゃ、ヴァリエールにわたしを懐柔するようにでも言われたのかしら? ヴァリエール派は落ち目だものね」
「はは、そうだね。君をお茶会に連れてったらみんなはびっくりするかもね」
冗談っぽく言うと、ノエルは少し警戒を緩めたようだった。もってきたカップに口を付けたあと、少しだけ意地の悪い顔になってつぶやく。
「でも、君はそういうの嫌いだろう?」
「……別に。面倒くさいなれ合いが嫌いなだけよ。なれ合わないとダメな子には分からないでしょうけどね」
あざ笑うようにザザのことを見下す。
「いや、ちょっとは分かるよ。むしろ、外にいる君より分かってるかも」
「へえ?」
「爪と牙を隠さないと、羊の仲間には入れてもらえないからね」
ノエルだけに聞こえるように、そっと囁く。小さな囁きにノエルの冷たい瞳が薄く笑った。
「突出した人間を弱者は嫌う。強者がこれまでしてきた努力を才能のひとことで片付けて、自分たちとは違うものだと押しやろうとする」
「言うじゃない。大貴族にへつらってるだけの優等生かと思ってたわ」
「優等生は決闘のまねごとなんかしないさ」
「ふふん。そうかもね」
それが、授業以外で初めて交わした会話だった。
もちろん、この出会いは偶然でもなんでもない。ザザにはノエルに声をかける理由があった。
ザザは新しく人脈を作るつもりだった。ルイズの派閥とは別の、ザザだけの人脈だ。これからの学院生活、そして将来でも助け合えるような関係が理想だった。
ザザはいつの間にか、嫌っていた父と同じように権力ごっこをしていた。昔の自分なら考えられないことだが、そんな自分が嫌いではなかった。むしろ、父を理解できるようになって嬉しかった。
さて、学院にはどこの派閥にも属していない生徒がまだまだいる。色々な事情で派閥に入りそこねた子が多いが、中には自立心が強く派閥を拒むタイプもいる。魔法の実力が強い生徒ほど、この傾向は強い。ライン以上の生徒の半分は派閥と距離を置いている。
そういった、自立心と向上心の強い生徒とつながりを持ちたかった。だが、ヴァリエール派の看板の一人であるザザが近づけば、どうしても派閥を意識させてしまう。そんなことも意識させないような、派閥に入るはずもないというような人物が必要だった。
まず男子は除外する。ザザは恋愛の機微がまだよく分かっていないので、また不要な誤解を生みかねない。そして女子の中でそんな存在感がある者は数名しかいなかった。
学院でも数名しかいないトライアングルであるキュルケとタバサ。この二人は実力的には問題ないが、人脈の要にするにはどちらも大問題だった。キュルケは攻撃的過ぎるし、タバサに至ってはまともに話したことのある生徒のほうが少ない。ザザはタバサとそれなりに交流があるが、あれは二人だけだから成り立っている関係だと思っていた。留学生という外部の力は魅力的だが、扱いづらさを考えるとこの二人はなかった。
そんな中、ラインの実力者で孤高を貫いているノエルはやはり難物ではあるが、前の二人と比べればまだマシだった。
実力を鼻にかけて周囲を見下すその態度は、嫌われて当たり前だ。誰かが言った陰口のように、魔法しか取り柄がなく人付き合いもろくにできない者に、できることなど限られている。ザザはそんなノエルを見ていると、どこか恥ずかしいような感覚におちいることがある。
それはきっと、ザザがノエルに似ているからだ。魔法の実力という強固な砦に閉じこもった彼女は、学院にきたばかりのザザなのかもしれなかった。クラウディアやルイズと出会っていなければ、ノエルのように孤高を気取っていたのだろう。
ノエルに言った言葉は、半分くらいはザザの本心だった。正確に言えば、自分が言って欲しい言葉だった。自分のことを正当化してくれる、心地よく甘い言葉。理解してくれる誰か。少数派だと思っている自分の同類。
自分と似ているからこそ、ノエルが欲しているものが、して欲しいことが手に取るように分かった。
ザザは少しずつノエルに声をかけた。一気に距離を詰めようとがっつかず、ちょっとだけ相手に甘い蜜を吸わせるのだ。彼女の自尊心と孤独に、愛撫するように優しくふれる。
誇り高いノエルはなかなか近づいてこなかった。それでも、ザザを意識しているのは分かった。視線がよく重なるようになった。授業では近すぎず遠すぎない位置によく座っていた。まるで、早く声をかけて欲しいと言わんばかりに。
そして、ある授業で同じ班になったのをきっかけに、ノエルはザザによく話しかけてくるようになった。孤高を気取るノエルにはきっかけや口実が必要だったのだ。
「法学院……へえ。貴女、そんなこと考えてたの? ヴァリエール派にいるのもそのためかしら?」
「ま、そんなとこ。実家のつきあいもあるしね」
「領地持ちは大変ね」
「ノエルのとこは製氷の仕事だよね。組合のつきあいとかないの?」
「親戚だけでやってるような小さな組合よ。学院にも関係者はほとんどいないわ」
食糧や秘薬を保存したり、夏に涼をとるのに使ったりと、製氷業は一定の需要がある。だが、氷は誰でもつくれるものではないので組合自体は小さなものらしい。
「やっぱり、将来は実家の仕事を継ぐの?」
「どうしようかしらね。うちは分家筋で、あまり力が強くないのよ。本家にあごで使われるくらいなら、貴女みたいに進学するのも手かもね」
少し照れたように言う。
二人はお互いのことをたくさん話した。とくにザザが将来のことを話すと、ノエルはものすごく興味を持った。自立心の強い女生徒なら、そんな可能性に惹かれずにはいられない。
ノエルはザザに夢を語った。氷はもっと色んな利用法があるはずで、もっと生活を便利にできるはずだと言った。製氷の組合は小規模で家の力が強いので、ノエルの意見は取り入れられないそうだ。
ザザにとっても、ノエルと話をするのは楽しかった。同じような立場で、同じようなことを考えられる友人というのは嬉しかった。これまで、違う考えや立場の人間ばかりとふれあってきたからかもしれない。打算からはじまった関係だが、ザザはそこまで割り切って人とつきあえるほど大人ではなかった。
同じものを感じた二人は近づいていったが、ノエルの孤高はなかなか溶けなかった。二人のとき、人目のないときは親しげに話しかけてくるのだが、それ以外のときはザザを遠ざけるようなふしさえあった。もっと色んな人と接するべきだと思ったが、密会する恋人のような関係はどこか心地よくもあった。独占欲と優越感のようなものを、ノエルと共有してしまっていた。
授業で派手に魔法を使った日のことだった。
「困るわよね。ドットとおなじ授業だと手加減しないといけないから」
「力加減を覚えるのも大事なことさ。虫を退治するのに弓矢を持ち出す人はいないだろう」
「そーね。まったく、自分の無能を棚に上げて」
「でも、技術は努力だしね。ドットの人の方が上手いこともあるよ。実際、私もルームメイトとかに教わることも多いし」
「ま、小手先の技を磨かないとドットじゃなんにもできないしね」
「……そうかもね」
ノエルは未だに、孤高という自分を脱ぎ捨てられない。ザザと仲良くなったのは実力や思考が似ているからで、その他の人間となれ合う理由はノエルにはない。半年以上かけて、ノエルはそんな自分を作ってきた。
ドットメイジを切り捨てるような物言いは、かつて彼らがノエルを突き放したことの裏返しなんだろう。どちらが先に拒絶したのかは分からない。違うということは歩み寄ることが難しいということだった。
自分の夢や世の中のことは語るが、自分の身のまわりのことになるとノエルはかたくなになる。社会と個人の間には、ノエルが拒むようなひとたちが作った組織や制度というものがあるのだ。それを一足飛びに跳び越えるような力は、ラインメイジに過ぎないザザたちにはない。社会と繋がるには、ひとはまず誰かの手を取らなければならない。
ノエルもそれは分かっているのだ。分かっていても、踏み出すことができない。ザザは、ノエルに無理に何かを言うことはなかった。ノエルがどんな思いで孤高を貫いてきたのか。分かっているのは彼女だけなのだから。
二人の関係を腫れ物のように扱うようになってしばらくあと、ある授業で課題の班を組まされた。仲のよい者同士がぱらぱらと集まっていった。ザザは、クラウディアやお茶会の子と同じ班を組んだ。それでもまだ人数が足りなく、班のみんなは周囲を見回した。
ザザは、ノエルを入れられないかと思った。今回は実習ではないので、ライン以上の者の制限もない。ザザという共通の友人がいれば、ノエルだってもっとみんなと打ち解けられるのではないかと、そう思ったのだ。
見ると、ノエルは憮然として座ったままだった。誰も声をかける様子もない。あのまま、余った生徒同士の班に組み込まれるのを待っているのだろう。
ノエルはすぐにザザの視線に気がついた。たぶん、ザザが自分を誘おうとしていることも気づいたのだろう。そのとき。ほんのわずかな一瞬だけ、ノエルは嬉しそうな顔を見せた。心底、ほっとしたような表情だった。
たったそれだけのことが、誇り高いノエルには許せなかったらしい。ノエルは真っ赤になるとそっぽを向いてしまい、ザザから目をそらした。近づいて声をかけよう。そう思ったときには、もう他の子が声をかけてきていた。ザザは断ることもできず、その子を班に入れた。
「どうしたんです? ザザさん」
「……いや、なんでもないよ。クラウディア」
ノエルは結局、最後まで班に入れなかった者同士で班を組んでいた。
授業のあと、人気のないところでザザはノエルに声をかけた。努めて自然に、ノエルのプライドに触れないように気を使って。友情とは強いようでもろいものだ。ふとしたことで崩れてしまう。
ノエルはやはりノエルだった。嫉妬をさらけ出すことも、逃げ出すことも彼女自身が許さなかったのだろう。一見、いつも話しているときと変わらないように見えた。
「気にしなくていいわよ。貴女の班に入ってもめんどうそうだし、今の班のほうが気楽でいいわ」
そんなふうに強がってみせる。
「でも、貴女も大変ね。あんな子たちの面倒みないといけないなんて」
「……面倒?」
「あれ、ヴァリエール派の腰巾着たちでしょ? 派閥のしがらみってやつ?」
「まあ」
「恥ずかしくないのかしらね。ひとに頼って尻尾を振って」
それは、ノエルにとって自分の誇りを守るための意地のようなものだったのだろう。ザザの班の人間をおとしめることで、自分との関係の価値を保とうとしたのかもしれない。
それは、ザザにとっては許容できる言葉ではなかった。少し深く呼吸をすると、ノエルに向き直る。
「ノエル。君にはそう見えるのかもしれないけど、私にとっては彼女たちも友だちなんだ。そう言われると、少し悲しい」
子供を諭すように、ゆっくりと言った。ノエルは呪文でも浴びたようにひるむ。
「別に、無理に仲良くしろとはいわない。君には君のやり方があるだろうしね。でも、私の友だちを侮辱するのはやめてほしい」
「ふ、ふん。わ、わたしはあんなのとなれ合うなんてまっぴらごめんだわ!」
「それならそれでいいさ」
ザザが反論しなかったことが、ノエルには意外だったらしい。愕然とした顔でザザを見つめる。迷い子のように、すがるような目を向けてくる。
「……ノエル」
「な、なに?」
「私たちはたしかに人よりも優れているかもしれない。他の人には出来ないことが出来るかもしれない。でも、一人でなんでも出来るほど優れてはいないんだ。分かってるだろ、ノエル」
ノエルは口を開いたが、そこから言葉は出てこなかった。凝り固まった誇りが詰まっているように、ひゅうひゅうと荒い息だけが漏れてくる。真っ赤になって、これまで守ってきた自分に意地になってしがみつく。
ノエルを残して、ザザはその場をさった。
それから数日、ノエルはザザに近づいてこなかった。ザザは少し後悔していたが、それでも言わなければならないことだと思っていた。
冷たい言い方をするなら、あのままのノエルでは人脈としての価値はないのだ。今のノエルはただの人材で、そこからの広がりがまったくない。魔法だけがいくら上手でも、将来的にもただの駒にしかなれない。
それになにより、友だちとしてノエルにはもっと広い世界を見て欲しかった。彼女との関係が失われるかもしれない、将来のためのつながりという意味では損失かもしれない。でも、ノエルがいつかザザの言葉を糧にしてくれたら、それでいいと思っていた。
「どうしたんです? ザザさん」
教室で、隣に座っていたクラウディアがそう言った。顔に出ていたようだ。
「んー、ちょっと友だちと仲違いをしてね」
「あら、珍しいですね」
「……そうかな。そうかもしれない」
「とりあえず謝っちゃうのが簡単ですよ。ケンカなんてどっちかが折れるしか解決できないんですから」
「いーや、私は絶対に悪くない。誰が謝るものか」
「はぁ……まったく、この人は」
クラウディアがザザの言葉にあきれていたとき、教室にひとりの生徒がやってきた。白銀の髪をもつ少女。まっすぐにザザの方を見ている。どこか、はりつめたような表情をしていた。大股でずかずかと歩いてきて、ザザの前で止まった。
ノエルはそのままなかなか口を開こうとしなかった。ザザも、何も言わずにノエルの言葉を待っている。隣にいるクラウディアも、二人の間の空気を察したのか黙して見守っていた。
「い」
ノエルが重い口を開いた。
「い?」
「良い天気ね!」
歩み寄ってきたノエルの言葉はそんなものだった。顔を真っ赤にしているくせに、できるだけ自然に話しかけたつもりなんだろう。口べたにも程がある台詞に、思わずザザは吹き出してしまった。
「あはははははははは!」
「笑うなぁ!」
いつも冷ややかなノエルが荒げた声を出しているのに、何ごとかと周囲の目が集まる。クラウディアもぽかんとしてふたりを見ていた。
「いや、悪い悪い。君があんまり可愛いもんだから」
「この、こっちが下手に出てやれば調子にのって……」
「まぁ座りなよ。紹介するよ、クラウディア。これ、友だちのノエル。知ってるでしょ。で、こっちはルームメイトのクラウディア」
クラウディアがあっけにとられたまま自己紹介をすると、ノエルもたどたどしくそれに応じた。あのノエルがどんな心境の変化かと、教室中が注目していた。その視線は、少なくとも昨日までよりはずっと好意的なものだった。