「アオさん!」
「アオ!」
ルリとラピスが自室へ駆け込むと、アオは自身を抱え込むようにしてソファーに座っていた。
声を殺して泣いているのか、微かに肩が震えている。
「...ルリ...ちゃん?ラピス?」
二人に気付いたように上げたアオの顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
ルリとラピスはそんなアオの頭を抱き寄せると二人で背中を撫でてやる。
それに安心したようにアオは声を上げて泣き出した。
一方ブリッジは気まずい雰囲気に包まれていた。
その原因はルリとラピスにあった。
「「ユリカ(さん)!!」
「え?」
ユリカがアオの出て行った扉へ罵声を叩きつけると同時にルリとラピスがユリカへ声を上げたのだ。
その目には激しい怒りが灯っていた。
ユリカはその目を見ると気圧されるように押し黙った。
「ユリカさんこそ!アオさんの事を何も知らない癖に勝手なこと言わないで下さい!
アオさんがどんな想いでこんな事をしてると思ってるんですか!」
「...私こそ今のユリカは嫌い」
「え?え?」
二人はそう言い捨てると、混乱するユリカを置いてブリッジから走り去っていったのだ。
ユリカは激情のままにアオへと叩きつけた罵声に罪悪感を覚えていた。
だからといって、アキトを見捨てさせるという仕打ちをされたと思っておりアオを許せなかった。
アキトはすぐにでもアオの下へ行きたかったが、ユリカの傍に居て欲しいというお願いから動けなかった。
他の全員それぞれ感じ入るものがあり、声を出すことが出来なかった。
誰もが気まずそうに押し黙る中、フクベが立ち上がりユリカへと声をかけた。
「このままでは埒が明かない。そこで、私の話を聞いてくれないかな?」
「フクベ提督?」
優しく、孫にでも語りかけるようなその声色にユリカは反応した。
他の全員もフクベの話に興味を向けていた。
「さて、艦長。いや...敢えてユリカ君と呼ぼうかの。
ユリカ君、訓練の際にアオ君から伝えられた事は覚えているかね?」
「...伝えられた事ですか?」
「あぁ、そうじゃ。今のユリカ君では難しいかもしれないが、それでも思い出して欲しい」
「.....わかりました」
ユリカはアオという言葉に一瞬眉を顰めるが、フクベの真摯な視線に奨められるまま素直にアオの言葉を思い出していく。
そして、それはユリカだけでもみんな同じだった。
アオがユリカへと伝えた言葉、叱責、褒めたこと、僅か10日間の間ではあるがだからこそありありと思い出すことが出来る。
《今日の訓練で能力は十分だという事はわかったから、自分の仕事にはちゃんと責任持つようにね》
《公私混同はしない方がいいわよ?》
《先日卒業したばかりで責任感を持てというのも酷かもしれないけど、ユリカさんは200名の人員を預かっているのよ。
痛い目を見てからでは遅いから、その事実を早く自覚しなさいね?》
《まだまだ学生気分が抜けてないけど、結構優秀なのよ?》
《話はしっかり全部聞きなさい。能力だけはと言ったのよ?まだまだ学生気分抜けてないし、精神的にも幼い。
公私混同もするし、人の話もしっかり聞いてない。そして遅刻しそうにもなる。このままだったら10年経っても認めない》
《逆に私が認められるようになれれば、むしろアキトとの仲を応援してあげるわよ?》
《ユリカさん、貴女が私達に依存しない為に今は教えない。
私達も人間だから突然原因不明の病気で立てなくなるかもしれない。
それに何らかの理由で艦を降りる事があるかもしれない。
それを理解しようともせずに私達に全部被せてしまうような艦長にはなって欲しくないの。
だから、今は教えないし見せない》
ユリカはまず叱られたことばかり頭に浮かべていた。
責任感を持て、公私混同するな、依存するな、そんな叱責をよくされていた事を思い出す。
ほら、嫌われているではないかと半ば自分に言い聞かせるように心でぼやいていた。
しかし、その一方で出来た時やいい所はしっかりと褒めてくれる事も思い出していた。
ただ、今のユリカには反発心からそれを素直に認めることは出来なかった。
「なぁんか、アオさんってお母さんみたいよね?」
「え?」
ミナトの言葉にブリッジの全員が反応した。
ユリカも意味を測りかねているのか、呆然としたような表情を浮かべている。
いきなり注目されたミナトは思わず口に出していた事のが恥ずかしいのか頬を染めていた。
「ミナト君。詳しく説明してくれないかね?」
フクベがミナトへ促すと、う~んと顎に指を当てながら少し頭を捻ると言葉を続けていった。
「えっとぉ。アオさんって艦長を叱るときっていつもしょうがないなって顔をしながら叱ってるのよね。
それになんで自分が叱ってるのかわかりやすく伝えてる。それで褒める時はしっかり褒めてる。
艦長がちゃんとして褒めてる時なんて本当に嬉しそうな顔してるもの。アキト君を褒める時と同じくらいかな?」
「そんな...」
ユリカは戸惑っていた。
言われればそんな気がしないでもないのだ。
だけど、感情ではそれを認めたくなかった。
どうしてもシミュレーションの事が頭から離れなかった。
「さて、一つわしから昔話をしようかの」
ユリカが困惑している中、フクベが声をあげた。
「年寄りの詰まらない話じゃからな、全員楽にして聞いてくれればいい。
そうじゃな、そやつは年を取ってはいたが長年の経験と仲間の力に自信を持っていた」
そうしてフクベの言う昔話が始まった。
一人の老軍人の話である。
その老軍人は艦隊を率いる立場にあり、外敵を排除する命令を受けて、布陣を整えていったこと。
その艦隊には何人も世話をした教え子と呼べるような者達が乗っていたこと。
そして、外敵がどんどんと防衛ラインを突破して近づいてくる時の困惑と焦り。
そこまで聞いて、その老軍人がフクベ提督本人の事である事。
そしてその話が火星会戦である事はみんな気付いていた。
全員が神妙な目をしてフクベの話へ耳を傾ける中、その話はどんどんと進んでいく。
外敵がその艦隊へ近づいた時の使命感と同時の焦燥。
艦隊の攻撃が効かなかった際の絶望感と仲間が落とされていく喪失感。
そんな中で敵母艦が避難民を乗せた輸送船へと落ちていく事を知った時の事。
老軍人が乗る艦をぶつけて敵母艦を逸らし、輸送船を助けられた時の喜び。
そしてその敵母艦が街へと落ちていくのをただ見つめていた無力。
その話が続く中、ブリッジは重く悲しい雰囲気に包まれていた。
しかし、話はそこで終わらなかった。
次の日にその老軍人の部下が自殺していた事。
なんとか絶望に包まれながら帰ってきた時に助けた避難民から告げられた言葉。
そんな自分の恥とも言える事をフクベは話していた。
「あの...何故...それを?」
ユリカは話し終わったフクベへなんとかそれだけを聞いていた。
そんな彼女へ悲しみを押し隠した柔らかい表情を向けるとフクベは答えた。
「先程のシミュレーション、どこか似てるとは思わないかね?」
「え?」
「艦長はその老軍人、アキト君は輸送船、サツキミドリ2号はその街になるか...」
「!」
その言葉にユリカは目を見開く。
そしてアキトは苦い顔をして固く手を握り締めていた。
「アキト君。もし艦長が君の命を優先させてサツキミドリ2号を見捨てていたらどうしたかね?」
「...わかりません。ただ、自分もユリカも許せないと思います」
自分を見捨ててサツキミドリ2号を助ける事が一番理にかなっている事はわかっていた。
だからと言って決して死にたい訳ではない。
だからこそ、自分の命を救ってくれたのだから感謝をするべきなのだろう。
だが、その為に数千の命が亡くなるのだと考えたら答えは見つからなかった。
ユリカも同じ事を考えていたのか苦い表情で唇を噛み締めていた。
「何が正しいのか、何が間違っているのかなんぞ答えは出んよ。わしにも未だ持ってわからん。
だが、アオ君はユリカ君にそういう事も常に考えていて欲しいのじゃろう。
なにせユリカ君は艦長じゃからな。この艦の200名の人員を預かっておる立場にある。
やむを得ん時は見棄てる事もある、むしろ死にに行かせる選択をせねばならない事もある。
例えそれが誰であってもじゃ」
その言葉を聞いたユリカは自分の甘さを痛感していた。
その悔しさに顔を歪ませている。
「それと、これだけは勘違いしないでやって欲しい。アオ君はユリカ君の事を決して嫌ってはおらん。
むしろアキト君と同じくらいユリカ君の事を想っておる。先程ミナト君が言ったように母親に近い感情を持っておるよ。
その事はアキト君がよく知っておる」
「え、アキトが...?」
一瞬アキトへと目線を向けながら、搾り出すように言葉を向けていた。
そのユリカをアキトは身じろぎ一つせず見据えていた。
そんなアキトの瞳を見たユリカにはアキトは言葉にはしないが、それが嘘ではないということがわかった。
「あの、私、アオさんに酷い事言って...謝らないと!」
「...ふむ。すぐにでも謝った方がいいのはわかる。だがな、アオ君が落ち着くまで待ってくれないかね?
ユリカ君もまだ気持ちが落ち着いておらんじゃろう?」
「あの...でも.....」
「アオ君が落ち着いたらすぐに呼んでもらうよう伝えておこう。それならいいかね?」
「はい、わかりました...」
「うむ。では、ユリカ君は一旦自室で気を静めておき給え」
「...はい」
フクベの言葉を受けて、ユリカは俯きながらブリッジの扉へと向かっていく。
そして、アキトの傍まで来ると一旦立ち止まった。
「あの、アキト...ごめんなさい」
一瞬目線を向けるが、アキトもユリカを見据えていた。
ユリカは目線が交わると焦ったようにまた俯く。
「俺には何も言ってないから謝る相手が違うだろ?
それに自分の間違いに気付いたんだからそれでいいだろ。
すぐ呼ぶから部屋で少し休んでろ」
ユリカの様子に軽く溜息を吐いたアキトは安心させるようにユリカの頭をぽんぽんと叩く。
そんなアキトの行動に我慢していたものが崩れたのか、ユリカの瞳からぼろぼろと涙が流れ落ちる。
「し、失礼...します...」
ユリカは必死に泣き声を抑えながら、ブリッジから退室していった。
それから少し、なんとも言えない空気がブリッジに流れていたが、フクベが解散を告げると各々自室へと戻っていった。
特にアキトはアオの事が気になるのか走って自室へと戻っていった。
ジュンはジュンでアオからあれだけヒントを貰っていたのにユリカへ何も出来ていなかった自分を悔いていた。
そんな悔しさを胸にしながら、固く手を握り締めてブリッジを後にしていた。
ミナトやメグミもそれぞれ思うところがあるのか、何かを考えるように静かにブリッジを後にしている。
それを確認するとプロスペクターがフクベへと声をかけた。
「流石ですな。フクベ提督、本当に助かりました」
「ただの年の功じゃて。こんな老軍人の恥を晒しただけで前途有望な子らが成長できるなら安いもんじゃろ?」
「そうですな...今夜どうですか?」
「そうじゃな...サダアキ、お前も相伴せい」
「望むところよ。わたしもあの話を聞いたら飲まないと寝れないもの」
「ゴートさんもご一緒にどうです?」
「願ってもない」
ブリッジには酸いも甘いも噛み分けた大人達の世界が広がっていた。
その頃、自室へ戻ったユリカはベッドへ座ってクッションを抱きしめながら今までの自分を見直していた。
元々頭の回転も早く、記憶力も判断力もある彼女である。
自分が間違っていた事を自身で納得してしまえば後は早い。
今までアオに言われた言葉、そしてシミュレーションでの行動を省みて自分のしていた過ちを恥じていた。
それは特にアキトと一緒に訓練をしてからは酷かった。
どれもこれもアキトの活躍を見たいがための戦略なのだ。
そして先程の実戦もシミュレーションも同じである。
(実戦でも同じ!私はアキトの活躍を知らしめるため事ばかり優先していた!
佐世保基地を煽るような伝達をしたのは、航空部隊をぶつけて戦力の対比でアキトの強さをわかりやすく知らせるため...
エステバリスがナデシコに乗ってたんだから、そのまま空へ上がって出撃させればもっと早く片がついていた。
シミュレーションでもアキトが戦艦1隻落とせた後に深追いさせずちゃんと指示出来ていたら...!)
そうやって自分の行動を悔やみながら、アオの言葉を思い返していったユリカはある違和感を覚えた。
(アオさんがアキトと知り合って地球に来たのは1年前...
そのままネルガルに関わっていた...
ナデシコもエステバリスもネルガルの兵器...
お父様が色々と忙しく動くようになったのも1年前...
それにあのお父様が口煩くなったのも...
極東方面のエステバリス隊はお父様の管轄とも聞いた...)
女の直感か、その才能か、これらが繋がっていると感じてしまった。
思い立った瞬間、声を上げていた。
「オモイカネでしたよね。いますか?」
アオやアキトがオモイカネとよく話しているのを見ていたユリカは自然とそう呼び出していた。
『はい、なんでしょうか艦長?』
「へぇ、本当に呼べるんですね...ではなく、お父様...
地球連合宇宙軍極東方面提督のミスマル・コウイチロウへと通信は繋げられますか?」
『わかりました。少々お待ちください』
デフォルメされたエステバリスがしばらくお待ちくださいと書かれたウィンドウの中を走りまわっている。
それを見つめながら、ユリカは凄い便利...と感想を漏らしていた。
『繋がりました』
「オモイカネ、ありがとう」
『いいえ、艦長の頼みですから。ではウィンドウに出します』
そうしてオモイカネのウィンドウはミスマル提督の顔へと変わった。
「ユリカ、勤務中に呼び出すのは感心せんな...」
そう言いつつ嬉しそうに口の端を歪めているのでは威厳も何も無い。
そんな事は一切気にせずユリカはミスマル提督へ語りかける。
「お父様。テンカワさん...の事、火星にいた時にお隣に住んでたお家の事は覚えてらっしゃいますか?」
「あぁ、覚えとるよ。家族揃って色々と懇意にさせて貰ったからな」
「そうですね、色々と懐かしい思い出ばかりです...」
ミスマル提督は昔を懐かしむように顎をさすっている。
そんな父親にユリカも同じく昔を思い出していた。
「それで、アキトとアオさんがこの船に乗ってるんです。その事は知ってらっしゃいました?」
「...ふむ。初めて聞くな。本人なのかね?」
ユリカの言葉を聞いてミスマル提督は驚いたような表情を浮かべた。
それを見たユリカは説明するように言葉を続ける。
「えぇ、実際に会って驚きました。火星に居たそうですが、なんとかこちらへ逃げて来たそうです」
「そうか、アキト君もお姉さんのアオ君もしっかりしておったからな、ユリカも負けずにしっかりするのだぞ?」
「えぇ、もちろんです。それにしてもアオさんは変わらず綺麗でした」
ミスマル提督の言葉を受けて、ユリカは頷くと軽く話題を変えた。
勤務中に通信をしてきてくれた事に加え、久しぶりに沢山ユリカと話しをしているミスマル提督はかなり浮かれていた。
「そうだのう。昔からユリカと同じくらい綺麗な子だったのう、ユリカとは違って黒い髪だったか...」
「そうですね。ところでお父様?」
浮かれているミスマル提督には自分がとんでもない事を言っていることに気付いていなかった。
色々と言質をとったユリカはニコニコと笑みを浮かべつつミスマル提督へと問いかける。
「アオさんは1年前に初めてアキトさんに会ったそうですが、どうしてお父様はアオさんの性格や容姿まで知ってるんですか?」
「んなっ!」
その言葉でようやく我に返った。
頭の中に大きくしまった!という言葉が吹き荒れているがどうしようもない。
冷や汗をだらだらと流しながら、狼狽えている。
「ゆ、ユリカ。これからもしっかりな」
「...お父様?」
「そ、それじゃ。アオ君やアキト君と仲良くな!」
「あ!!」
困り切ったミスマル提督は問答無用で通信を切っていた。
その事に苦笑しつつユリカはまたクッションを抱き寄せると静かに呟いた。
「なんか色々と秘密がありそうですけど...
お父様に私の事をしっかりと教育しなさいとでも言っていたのかな?」
秘密はこの際どうでもよかった。
母親に近い感情を持っているという事、アキトの姉が自分をそこまで思ってくれている。
そして父親にも色々と言っていたらしいという事が何故か嬉しかった。
それは、小さい頃に母親を亡くしたユリカの持つ母親への憧れでもあったのかもしれない。
そして、ユリカはそんな相手に自分が言い捨てた言葉を思い出すとクッションをぎゅっと抱きしめた。
「...なんとしても謝らないと」