それは月が変わってすぐ、ミスマル・コウイチロウとムネタケ・ヨシサダとの会談を2日後に控えた時の事だ。
一大複合企業ネルガル、その本社ビルの会長室に今日も一人の少女が現れた。
その少女であるアオは毎日のようにここ、ネルガルの会長室を訪れている。
最初の数日は律儀に連絡を入れていたのだがすぐに連絡なしで受け付けへ。
最近ではそれも素通りでノックすらしなくなっている。
今日も扉を開けると元気に声をあげた。
「やっほ~。今日はマーマレードケーキ焼いてみました!」
「お、アオ君待ってたよ。そろそろ甘い物が欲しかったんだ」
「あら、今日も美味しそうね。すぐ紅茶を出すから先に応接室へ行ってて」
そんな感じである。
アオが現れてからというもの、アオにご執心なネルガル会長のアカツキ・ナガレはしっかりと仕事をするようになった。
それというのも任された事もちゃんとしない人は嫌いですというアオの一言が原因である。
アオの方しか見ない今の彼には大関スケコマシというあだ名はもうふさわしくないのかもしれない。
そして、会長秘書のエリナ・キンジョウ・ウォンもここ最近ずっと機嫌がいい。
ぐうたら会長が仕事をしっかりするようになった要因である、アオに対する評価はすこぶるいいのである。
そんな3人はいつものように応接室へ行くと、談笑を始める。
「あぁ、アオ君。ナデシコの建造が来週の10日からサセボドックで始まるからね。
引越しする準備を進めて貰うとありがたい」
「わ、聞いてないよ!?」
「あら、来月からっていうのは知ってたでしょ?詳しい日にちを教えるのは初めてでしょうけど」
「そうだけど、部屋も探さないといけないし。引越しの手続きとか...」
そうしてアオは焦ったように引越しの段取りを考え始める。
そんなアオを見たアカツキとエリナは思わず苦笑していた。
「あぁ、アオ君。部屋探しも引越しの手続きもいらないよ?
こちらで手配してある。部屋ももう用意してあるから問題ない」
「え?どゆこと?」
「アオ。貴女が今住んでる所を用意したのはこの女好きの会長よ?
昼行燈なぐうたらだけど世界で一・二を争う企業の会長である事には間違いないわ」
「そ。だからまたボクがアオ君の為に用意したのさ」
「またそんな無駄遣いを...いきなり返せ言われても返せないよ?」
アオは親の資産もある上、給料が高くパテント料も入って来る為にお金は貯まる一方だ。
だが、元来貧乏性な為か無精なのか自分の資産を全く把握していない。
そんなアオがむぅ~と可愛い目でアカツキを睨んでいる。
「その時はお嫁に来てくれればいいさ」
「はいはい。いつもそれだもんね。寝言は仕事中に言わないようにね」
「そうですよ、会長。いい加減諦めた方が傷は浅いですよ?」
アカツキは根っからの本気で言ってるのだが全く取り合ってくれない。
本気なのにと涙を流す彼にエリナが追い打ちをかけた。
「それで、私が用意する物は?」
「君が持ってる資料とデータくらいかな。家財道具や家電、生活品なんかは全部プロス君へ頼んであるからね」
「服は私が用意したから服も持って行く必要ないわよ?」
ほとんど着の身着のままで大丈夫そうである。
この二人はそれだけアオを買っているという事だろう。
「あぁ、一つだけ伝えて置かないといけない事があるね」
「ん?なぁに?」
そうして、アカツキはその事をアオへと伝えた。
それから何日か経ち、サセボへと移る日がやってきた。
これから出ようとするのだが、アオとルリが困ったような表情をしている。
何があったのかというと...
「やだ!マナカも一緒に行く!」
「ラピスちゃん。そうしたいけど、出来ないのよ?」
「じゃあ、みんなでここに残る!」
「ラピス。ごめんね、それも出来ないの」
ラピスがマナカにしがみついて愚図ってしまっているのだった。
アオが引越しが決まった事を伝えた日はまだ問題はなかった。
だが、日を追うにつれラピスの表情が硬くなっていき、それを心配したアオとルリ、マナカは何度も説明をした。
説明をした時は渋々頷いていたラピスだったのだが、ついに昨日の夜泣き出してしまったのだ。
「なんで!?なんでマナカは来れないの!?」
「ラピスちゃん。私はこっちでやる事があるの。だから一緒には行けないのよ?」
「そんなの知らない!マナカも一緒に行くの!」
そう言って聞かないラピスをなんとかなだめて寝たのはいいのだが、朝になって同じ状態になってしまった。
アオもルリもマナカも感情を表に出さなかったラピスがここまで感情豊かになった事はとても喜んでいる。
いるのだが、マナカにしがみついて泣きだしているラピスを見てどう納得して貰おうか思い悩んでいる。
しばらくするとアオが何か考え付いたのか、ラピスの後ろに膝立ちになるとラピスの両肩に手を置いた。
「ラピス聞いて。今から貴女を大人の女性として話をするわね。だから大人の女性らしくして貰っていいかな?」
そう、ラピスに問いかける。
その言葉に感じいるモノがあったのか、ラピスはえずきながらもマナカから手を話した。
それを見るとアオは後ろからゆっくりとラピスを抱き締める。
「ね、ラピス。貴女は頭のいい子よ。私が一番それを知ってる。ラピス自身が思ってる以上に貴女は頭がいいって知ってるの。
だから、本当はここでこうしてもどうにもならない事がわかってるのも知ってるわ。
それでも、それでもね。私は...いえ、ルリちゃんやマナカさんもラピスがわがままを言ってくれてとても嬉しいの。
今まで私達の都合でずっと我慢させてしまったから、だからそんな貴女のわがままをほんとは聞いてあげたい。
でもね、やっぱり私達はずるいからそれをさせてあげられないんだ。
本当に申し訳ない事だけど、もうしばらく、後もうしばらく我慢してくれないかな?
それで私の事を嫌ってくれてもいい。
だから...お願いよ、ラピス」
そんな悲痛な懇願するような声をラピスへと投げかける。
ルリもマナカも声をかける事が出来なかった。
しばらく、押し黙った重い空気が流れた。
「アオ」
「なぁに?」
「嘘吐き」
「ごめん」
「大人の女性としてって言ったのに子供扱いしてる」
「そう...かな?」
「うん」
「ごめんね」
「だから...」
「ん?」
「これから本当に大人の女性として見てくれるなら...いい」
「そっか」
「うん」
「わかったよ。ありがとう」
二人を見ていたルリとマナカはその光景にほっと胸を撫で下ろした。
それからアオとマナカは連絡先や何がどこにあるかなど必要事項を伝えていた。
だが、その間ラピスは『絶対遊びに来ようね!』としきりにアオとルリへお願いしていた。
「それじゃ、アオさん、ルリちゃん、ラピスちゃん。気をつけていってらっしゃい。
ラピスちゃん、貴女がこちらに遊びに来る前に絶対遊びに行くからね♪」
「むっ!私達の方が先に遊びに来るからね!」
「クスクス。マナカさん、何かあったら連絡下さい」
「マナカさん、この家の事よろしくお願いします」
「はい。絶対守ってみせますよ、ルリちゃん!」
「それじゃ、いってきます」
「マナカさん、いってきます」
「マナカ、またね!」
そうして3人はサセボへと発っていく。
今日は新居へ移るだけでその後は用事がない、そこでリニアモーターカーでの移動となった。
アオとルリは未来で乗車した事があるのだが、ラピスは今回が初めてだ。
宇宙に出て戦艦一艦のオペレーターをしていたのにリニアが初めてというのは何ともおかしい話である。
座席についてはアカツキがコンパートメントを手配してくれていた。
「ルリ君もラピス君も要人だからね。ちゃんとNSSもつけるから安心してくれ」
だそうである。
駅までの移動はNSS付きで送迎してくれたからよかったのだが、新幹線を待ってる間は噂になってしまった。
アオは気にしないし、ルリも未来では【電子の妖精】といわれ似たような事があったのだが、ラピスは慣れない視線に終始そわそわしていた。
そんなラピスを隠すようにアオとルリは寄り添って立っていたのだが、やっぱりあの二人は!と逆に噂が大きくなってしまった。
しばらくするとリニアが到着し、ようやくアオ達は人心地つけた。
座席ではラピスが窓側を占領。
終始窓に貼りついていて楽しそうに外を眺めていた。
トンネルを出たり入ったりする度におぉぅと驚いてるのがとても可愛らしい。
そんなラピスを見るアオとルリに顔には笑顔が溢れていた。
数時間車両に揺られると、リニアは博多へ到着。
その後、3度程電車を乗り換えると佐世保へ到着した。
「着いたね」
「懐かしいです」
「魚臭い」
「海が近いからね~。後で見に行く?」
「今日はいい」
「ラピスは疲れちゃったかな?」
「ん」
慣れない長旅な上リニアに乗ってる間始終はしゃいで疲れたせいか、ラピスは無口になっている。
アオとルリは顔を見合わせて苦笑すると、タクシーで移動する事にした。
改札を出てタクシー乗り場へ向かう途中の事。
「ラピス。ご飯食べてから帰ろうか」
「ん~」
「そうですね。こちらのアキトさんが勤めてる雪谷食堂がありますね」
「ん!行く!」
その言葉にラピスが反応した。
少し目も冴えたようだ。
そのまま3人でタクシーへ乗車し一路雪谷食堂へと向かった。
「へい。らっしゃい!お、嬢ちゃんじゃないか!久しぶりだね」
「姉さん。それと...この子たちは?」
「はじめましてアキトさん。アオさんと一緒に生活させて頂いているルリ・フリーデンと申します」
「アキト、はじめまして。ラピス・L・フリーデンです」
「はじめまして。弟のテンカワ・アキトです。よろしくね」
仕事終わりまでまだ時間があるのか、今日はそんなに混んでなかった。
以前来た時と同じ席に座るとラピスが一番奥へ座りその横へアオ、そしてアオの正面にルリが座る形になった。
「姉さん。久しぶり、来るなら連絡してくれれば迎えに行ったのに」
「ん。えっとね、前来た時言ったと思うけど今日からこっちに越して来たの。だから大丈夫よ」
「え?あ、そうか、そうだったね」
「よろしくお願いします」
「アキト、よろしく」
「こちらこそよろしく。それじゃ注文いいかな?」
アオは雪谷ラーメンとチャーハンにから揚げを、ルリはチャーハンの大盛り、ラピスはアオと同じく雪谷ラーメンを頼んだ。
アキトがサイゾウへ注文を伝えると、サイゾウがラーメン。アキトがチャーハンを担当する。
その後ろ姿を見ていたアオは嬉しそうにクスッと笑った。
「どうしたんですか?」
「いや、ちゃんとやってるみたいだなって。前と動きが違うし身体つきも大分変わってきてる」
「アオ、見ただけでわかるの?」
「ん?歩き方と服の感じ。腕も全然違うしね」
「そうなんですか」
「うん、そうなんです♪」
アキトが伝えたトレーニングをしっかりとこなしているようでアオはとてもご満悦だった。
そんなアオを見て、ルリとラピスも嬉しそうにしていた。
そして注文した品が届く。
「はい、お待たせ。姉さんが雪谷ラーメンとチャーハンにから揚げね。
それでルリちゃんがチャーハンの大盛りで、ラピスちゃんが姉さんと同じ雪谷ラーメン」
ルリはアキトの声で久しぶりに聞くルリちゃんという呼びかけに思わず懐かしそうに目を細めた。
逆にラピスはアキトの声なのに優しくラピスちゃんと呼ばれる事に戸惑っていた。
そんなラピスを見て、アオは頭を撫でてやる。
頭を撫でられた事でアオの方を見たラピスはアオの目を見ると安心したように落ち着いた。
「アキト。ちゃんとトレーニング頑張ってるみたいだね」
「あぁ、こんなの無理だ~!って思いながらやってたらいつの間にか慣れてた」
「クスクス。そか、明日は無理だけど明後日から私達も朝のトレーニングは付き合うからね。
それと、雪谷食堂が閉まった後はネルガルのドックに来て貰うから」
「は!?あそこって結構遠い...」
「自転車あるでしょ?往復頑張れ」
「姉さん、それ本気?」
「うん、それくらい頑張りなさい」
血も涙もないアオの言葉にアキトがうなだれていた。
そんな二人の掛け合いが新鮮なのかルリもラピスも興味深そうに見つめている。
二人からするとアオもアキトもアキトなのだからそれもしょうがないのかもしれない。
そしてアオはアキトへ明日の雪谷食堂が閉まった頃に一度寄ると伝えた。
「それじゃ~。ルリちゃん、ラピス食べよう!」
「「「いただいます」」」
アオはアキトの腕前がどれだけ上がったかを確認しつつ。
ルリは、あぁこの頃ってこういう感じの味だったなと懐かしそうに。
ラピスはアオが作るラーメンとここが違うなと確認するように。
3人がそんな食べ方をするものだから、みんな食べ終わるまで終始無言だった。
そんな様子に、アキトは自分の料理を事細かに品評されているような気分になっている。
「サイゾウさん。なんか雰囲気が怖いんですけど」
「いいじゃないか、しっかり食べてくれてるんだ。身内なんだから遠慮せずに駄目だし喰らってこい」
「サイゾウさんひでぇ」
「コック志望だろ?これくらいしっかり食べてくれる方がありがたいと思え」
「はい...」
しばらくすると3人共に食べ終わった。
「うん、美味しかった。ルリちゃんとラピスはどう?」
「美味しかった。アオのラーメンよりもこってりだね」
「私も美味しかったですよ。アオさんと比べるのは可哀想ですからそれはしませんが」
「そかそか。このお店はここら辺で一番美味しいからね、また来る事になるよ♪」
そうしてアオは席を立つと一度サイゾウの方へと向かった。
「今日からこちらに越してきたので、またちょくちょく寄らせて貰います。
弟の腕前もちゃんとチェックしないといけませんし♪」
「あぁ、嬢ちゃん達みたいな可愛い子が常連になってくれるなら俺も嬉しいからな。頼むよ」
「姉さんが良く来るのか...」
一人アキトだけ黄昏ていた。
親がよく仕事場に顔を店に来るようなものだから恥ずかしいのだろう。
しかし、そういう事は得てして来る方が気にする事はないのである。
「しっかりやってれば恥ずかしい事なんてないんだから気にしないの」
「そういうのとは違うんだけどね。まぁ、いいよ」
「ん。それじゃ、また来ます。ご馳走様でした」
「「ご馳走様でした」」
そうして3人は雪谷食堂を後にした。
そのままタクシーを拾うと、メモしてあった住所へと向かった。
そこはドックからほど近い所にあった。
「これは...ナガレのやつ正気か?」
「大きいですね...」
「すっごいね」
そこに豪邸が建っていた。
ネルガルのサセボドックへと登る坂道の途中にそれは建っていた。
ちゃんと外から中が伺えないように塀で囲まれている。
入口は柵で閉じられており、建物は現代風の2階建てになっていた。
しばらくの間3人で呆気に取られていたのだが、いち早く正気を取り戻したアオが預かっていた鍵で扉を開ける。
「とりあえず、入ろうか」
「は、はい」
「うん...」
玄関を開けるとすぐにエントランス、そして奥にリビングダイニングが見えた。
リビングダイニングと対面する形にシステムキッチンがあり、階段がリビングから見える形に作られていた。
階段の横にトイレ、洗面所、浴室があり、その浴室も4-5人が一緒に入れそうな程広かった。
2階には主寝室と書斎、3人分の個室があり相変わらずベッドは1つだった。
そして玄関を上がった所に封筒が置いてあり、中を開けると家の説明が色々と書いてあった。
『詳しい説明はオモイカネに聞いてくれたまえ。
呼んだら出るようにしてあるからね♪』
「ルリちゃん。ナガレって何がしたいんだと思う?」
「さぁ...」
「掃除が大変...」
「とりあえず、オモイカネを呼んでみればいいのかな?」
「そうですね。呼んでみましょうか」
ルリはそういうとダイアを呼んでみた。
すぐにウィンドウが開き返事が返ってくる。
『はい、お呼びでしょうかルリさん』
「コミュニケなしでも呼べるんだね」
『ナデシコ内と似たような形になっていますのでいつでも通信が可能になってます』
「へぇ。じゃぁフローラも呼んだら出てくるかな?」
『もちろん出てきますよ!』
本当に出てきた。
ダイアとフローラはアオ達がそれぞれの名前をつけてからすぐに知り合っていた。
それぞれ名前をつけたのだからとアオがアカツキに無断でリンクしたのだ。
そのおかげで個性が出て来たのは喜ぶべき事だったのだが、最近アオ達全員に隠れてこそこそと悪巧みをしているらしかった。
「そっか。二人が見てくれてるならセキュリティは万全だね」
『アオさん、私達に任せて下さい!』
『アオ、お任せ!』
「うん、しっかり頼むね」
3人は疲れたようにため息をつくと、部屋を見て回った。
ダイアとフローラが中の事を把握していた為、細かい所を説明してくれた事は助かった。
敷地内のセキュリティ関連はダイアとフローラが手分けしてやる事になっているそうだ。
IFSコンソールはハンドヘルの物が3台あり、敷地内ならどこでも使える。
地下にバッタのジェネレーターを大型・高出力化した物があり、有事の際に屋敷の周りにディストーションフィールドが張れるようになっていた。
そうしてわいのわいのと散策をし、リビングへ戻ってきた頃には結構時間が経っていた。
「だいたいわかったよ~。ありがとね、ダイアとフローラ」
『気にしないで下さい』
『いつでも呼んで♪』
それからアオ達は翌日からサセボドックでの作業が始まるという事もあり、早めに寝る事にした。
だが、3人で仲良くお風呂へ入るとその広さにはしゃいでしまった。
「湯船につかると更に広く感じるね」
「色々驚きましたけど、これはいいですね~」
「広い広い♪」
お互いに髪を洗いあったりとはしゃいだ3人は仲良く湯船につかっている。
それぞれ髪が長いので、邪魔にならないようにタオルで髪をまとめあげている。
人心地ついた3人は、とろけそうな顔をしている。
「アオさん。色々進んできましたね」
「そうだね~。準備がどれだけ出来るかだね」
「アオと一緒なら大丈夫~」
「ラピス、ありがと~」
そう言って寄り添うアオ・ルリ・ラピスには幸せそうな表情が浮かんでいた。
湯船を上がり、着替えたると寝室へ向かう。
久しぶりに3人で寝る事になる。
アオを中心に少しいびつな川の字になるとそれぞれにお休みの口づけをする。
「明日からまた頑張らなきゃね」
「「はい」」
「じゃ、おやすみね」
「「お休みなさい」」