3.
サバイバル演習が始まって十分。
ナルトは森の中に身を隠した後、分析していた。
カカシの戦闘能力は未知数。
わかっていることは、少なくとも真正面から戦ったら負けるということ。
遠距離戦はどうだろうか。
忍具の扱いなら多少の自信はある。だが、目に写らない速度で動くことができるカカシに当てることができるか? 答えは『NO』だ。突然カカシの足元で地割れが起こって身動きとれなくなるような状況にでもならない限り当てることはできない。かなり楽観的に見積もっても、それくらいの実力差はある。
近距離を交えての中距離戦闘によるヒットアンドアウェイ。
答えはやはり『NO』だ。近距離になった瞬間にあっさりとくたばる自分の姿しか思いつかない。そもそも中距離だとあっさりと距離を詰められる恐れがある。あまりにもリスクが高い。
反則だ。
考えれば考えるほどに"一人では"勝ち目がないことがわかる。
自分には才能がない。忍術に置いても、体術においても、天稟といえるものはない。
サスケのように体術や忍術に秀でてはいない。
サクラのように座学などの知識があるわけではない。
ならば、何がある。
自分の持ち駒を考える。
圧倒的優位に立っているものといえば【多重影分身】くらいだ。それと、忍具の扱い。その習熟度。それだけは誰にも負ける気がしない。
嗤う。
視線の先にいるのは『イチャイチャバラダイス』などという十八禁指定されている如何わしい冊子を読むカカシの姿。にやにやと口元を緩ませているのであろうマスクの下を想像するだけで吐き気がする。こんな奴に、夢を否定され、イルカを侮辱された。
許せるものか。
(絶対に、潰してやる)
そのための戦術は練った。伏線も張った。
けれど、成功率はかなり低い。だけど、このまま無為に時間を過ごしていても、決定的な隙を見せてくれるとは思えない。あんなナリでもカカシは上忍だ。下忍にすらなれていない自分では、きっと隙を見つけたとしても上手く攻撃を加えることはできないだろう。
ならば、意外性。
絶対にしないであろう、と敵に思われるほどの愚策を敢えて使う。
「クソ教師――勝負だ」
だからこそ、ナルトは隠れていた木の上から飛び降りて、カカシの前に降り立った。
◆
「あのさァ。お前ちっとズレとるのぉ」
その言葉にサスケは激しく同意した。
少し離れた草むらに隠れながらカカシの動向を観察していたのだが、突然ナルトがカカシに対して勝負を挑んだのだ。
手には苦無を持ち、さっきと同じように起爆札が巻かれている。
二度目。通じるはずがない。
アカデミー内でのナルトの行動を思い出す限り、どうしてもそんな馬鹿なことをするとは思えない。しかし、さきほど怒っていた。イルカを侮辱されて怒っていたのは本気のもの。憎悪に近いものがあった。だからこそ、冷静さを欠いているとも考えられる。
だが――
(本当に――ただの馬鹿なのか?)
疑問符がつく。
そんなとき、背に何かが触れた。
振り返ると、そこには眼下でカカシに挑んでいるはずの奴がいる。
何故自分が隠れている場所を察知できたのか、それに何故そいつが複数いるのかがわからないが、小声で話された言葉は承服しかねること。
「俺は、一人でやる」
そうか、とだけ言うと人影は森の中へ身を隠す。
どういう原理で複数いるのかわからない。おそらく高等忍術の――サスケの知らない類のものだろう。
「面白くなってきやがった」
拳に力が入る。
サスケは心から歓喜していた。
強敵の出現に、何よりも――未知の忍術を扱う仲間の姿に。
◆
風が吹き荒れる。
対峙するのは長身の男と小柄の少年。
障害物のない、開けた場所ではお互いに視界を遮るものはなく、ナルトの眼光はカカシをきっちりと捉えていた。
「ズレてるのはお前の体内時計だ。時間すら守れないクソ野郎ッ!」
「ま! 否定はしないけどね。じゃあ、そうだなぁ。忍戦術の心得。体術!! を教えてやる」
否定しろよ、と苛立ちながらナルトは思う。
それに、体術――? 他の技術は使わないということだろうか。舐めやがって!
「ふざけた本を持ったままか?」
「気にすんな。お前らとじゃ本読んでても関係ないから」
さらにはカカシの右手は如何わしい冊子で塞がっている。それなのに、体術。それだけのハンデを負っていて、体術だけで戦うという。
ナルトは思った。絶対に使わせてやる、と。
殺気を込めた視線を送っても、カカシはにやにやとだらしなく笑いながら、ナルトのことを見ようともしない。その事実がナルトを激しく苛立たせた。目で見て警戒する脅威すらないということか。
「後悔するなよ」
低い声で言い放つと、ナルトは地を這うが如く疾走する。
苦無を逆手に構えたまま、大きく振りかぶり――懐に潜り込んだ瞬間、薙いだ。
あっさりとカカシの左手で押さえられたが、これで相手はもう自由になる手はない。苦無を持つカカシに掴まれた右手を基点に跳躍し、カカシの頭上へと飛ぶ。
そこから繰り出されるのは全体重を乗せた、踵落し。
衝撃。
脳天を貫いた踵には十分な手応えがあり、目の前にはふらつくカカシが――なかった。
あるのは変わり身の術に使われたと推測される丸太。
舌打ち。
仮にも上忍なのに、こんなフェイントも何もない安易な攻撃を放った自分に腹が立つ。
「忍者が何度も後ろ取られんな。馬鹿」
そして、聞こえたのはそんな声。
首を回して後ろを見れば、しゃがみ込みながら自分のケツに狙いを定めるカカシがいた。
計算通り。
カカシの足元の地面から突然、何かが隆起する。
それは小さな手だった。
カカシの右足首をがっちりと掴んだそれは、カカシを地中へと誘う。
「土遁・心中斬首の術!!」
「なにぃっ!?」
驚くカカシと入れ替わるように出てきたのはナルトだ。
影分身を地中で掘り進ませたポイントにカカシを誘導したのだ。
舌打ちなども全て演技。
かかった! とナルトは内心狂喜乱舞だ。
地面から出てきたナルトと、囮のナルトは二人とも足を大きく振りかぶり、首から上しか見えていないカカシの頭を――蹴り飛ばす。
「くたばれ、クソ野郎」
遠慮も何もないそれはカカシの頭を振りぬいた――わけではなく、空を切る。
「変わり身かっ!?」
そこにあるのは『ハズレ』と書かれた一枚の紙札。要するに、逃げられた上に馬鹿にされたのだ。
「正解」
小さく答えた言葉は、もともと地上にいたナルトの後ろから聞こえた。
「気づけ! カカシは後ろだぁっ!」
焦るように地中から出てきたナルトは声をかける。
「は?」
だが、遅い。
既に準備は整っている。
ナルトの尻を見つめるカカシは、両手を握り、人差し指だけを伸ばしている。
虎の印。
火遁に用いられるその印が意味するものは忍術――ではなく。
「木の葉隠れ秘伝体術奥義!! 千年殺し!!」
浣腸だった。
しかし、それはただの浣腸ではない。
上忍の鍛え抜かれた身体で放たれるそれはまさに必殺。肛門を突き破り、ナルトの純潔を奪った。
苦痛のあまり、ナルトは顔を歪める。
それを見守るもう一人のナルトも顔を顰める。
あまりな攻撃に涙が出そうになる――わけもなく、ナルトは二人とも笑っていた。
「ダミーだよ。馬鹿。本体は地中にいた奴だよ。黄泉路へ旅立て!!」」
笑うナルトの背中からはバチバチと不吉な音が鳴る。
さきほど味わった嫌な思い出が、カカシの脳裏を過ぎる。
「起爆札か!!」
予想外。
地響きが起こるような爆発音がカカシを襲う。
一気に後方へ跳躍して辛うじて範囲外に逃れられたが、そこには残ったナルトが待ち構えていた。
手には苦無を持っている。そこには起爆札が貼られていない。それだけはきっちりと確認する。
無理な回避により体勢は崩れているが、問題ない。所詮は下忍にすらなりきれていない。
振り上げられる苦無を左手で右手で止める。そこにはもう、本はなかった。
ナルトは本がないことに気づいたのか、にやりと笑うと、苦無を手放して徒手空拳に切り替える。
連打。
拳。蹴足。水面蹴り。裏拳。肘鉄。多彩な連撃がカカシを襲う。
全て余裕の体で受け止められてしまうのだが。
「くそっ!」
罵声を上げる。
そして、何を思ったのか――ナルトは猪のように突撃をした。
下っ腹を抉るように放たれたそれはカカシの拳で止められたが、やはり、おかしい。カカシは違和感に気づく。
ナルトは自分に攻撃を加えるためではなく、自分の動きを止めるために体当たりをしてきた。
何故なら、殴られた頬を首の力で固定して、無理やりカカシの身体に抱きついているのだから。
(また起爆札か!?)
そう思うのも無理はない。しかし、音はしない。起爆札が爆発する寸前の耳障りな音がしない。
ならば、狙いは何だ――そう思っているとき、事態は進む。
「土遁・土流槍!!!」
大地が牙を剥いて、カカシとナルトを襲う。
勢いよく幾数もの槍のような土の塊が生えてくる。
(馬鹿な!? 下忍にすらなれていない奴が使える術じゃないぞ……っ! それに……どこからっ!?)
カカシは戦慄する。
影分身と起爆札ばかり使ってそれしかできないように思わせたナルトの策略に。術を有効に使おうと試みるその姿勢に。何よりも自分は絶対に安全な場所から勝負を窺う戦い方に。
無駄な思考。
その間に、勝負は決まる。
ナルトの影分身と、それに掴まれていたカカシは――土の槍に穿たれる。
「これで終わりだろ。串刺しになって死んでおけ」
隠れていた術者は顔を出す。
そこには勝負が決まったことに対する安堵の笑みを浮かべるナルトがいた。
気づく。土の槍に突き刺さったものの残骸を。
影分身の姿がないのはいい。当たり前だ。だが、カカシの姿がないのはおかしい。
勝負はまだ、決まっていなかった。
激痛。
下を見ると、足首が屈強な掌に握られていた。
「土遁・心中斬首の術」
「ぬおっ!?」
先ほどやったことを、やられ返した。
ナルトは素っ頓狂な悲鳴とともに、カカシに地面へと引きずり込まれた。実に惨めな姿である。
「さりげなく偽情報を掴ませたのは褒めてやる。だが、甘いな。これが忍術の使い方だ」
首だけ状態になったナルトを、カカシはうんこ座りをして、にこにこと笑いながら見下している。
褒めてはいるが――明らかに、挑発している。同じ忍術を使うことによる意趣返し。実力差を教えるためには最も適している。
苛立つナルトは抵抗しようとするが、地中に身体が埋まっているので身体が動かない。動かせるのは口くらいだ。
「体術を教えてくれるんじゃなかったのか? 本もないようだけど……俺を相手するくらいなら読んでいても大丈夫じゃなかったのか?」
「そんなこと言ったっけ? 覚えてないなぁ」
わざとらしく首を傾げるカカシ。にやにやと笑っているあたり確実に性格が悪い、とナルトは思った。
「記憶力の無い奴だ。あぁ、教えておいてやる」
ナルトは、言う。
「悪いが、これも"ダミー"だ」
「なっ!?」
ボンッ、と煙と何かを残してナルトは消えた。
宙を舞うのは『ハズレ』と書かれた紙札。先ほどカカシが変わり身で使ったものだ。
「最初から本体は出てきてなかったわけね……」
意趣返し。
下忍に舐められた行動をとられたことにより、カカシは少し落ち込んだ。
◆
(何なの!? あれがナルトなの? 忍術の授業で最低点数だった奴なの!?)
サクラは森の中を疾走しながら、先ほど眺めていた戦闘を思い出していた。
自立稼動する実体のある分身。
それを本体と思わせるための立ち名乗り。
さらには会話での応酬により相手の油断を誘い、罠へと誘導。そこで出てくる新たな分身。
それらは全て伏線で、最後には【土遁・土流槍】などという殺傷力の高い忍術の行使。
結局はカカシに全て回避されたが、ナルトも本体を出していない。
凄い、と思った。けれども、同時に思う。
(無駄な戦闘。何のためにチャクラを無駄遣いするようなことを……?)
わからない。
無理やり思いつくとすれば――時間稼ぎ。もしくは陽動。
それこそ何のために、だ。
「おい、サクラ」
聞き覚えのあるボーイソプラノが耳に入り込んだとき、自然と足が止まった。
声変わり前の少年特有の声。
サスケのようにキレのある声ではなく、少しだけ尖った声は――友達になったばかりの奴の声。
「あいつには勝てない、と俺はさっきの戦闘をやらかして思ったんだ。お前はどう思う?」
当たり前のようにそこにいるのはナルトだ。
あれほどの戦闘をやらかしたのは、このためか。おそらく、サスケと自分にカカシの実力を見せるために戦ったのだろう。
サクラは納得する。
そして、答える言葉は一つだけ。
「えぇ、一人では勝ち目はないわ」
そう、一人では勝ち目がない。
反則地味た実力を持つカカシに、一対一で勝てるはずがない。直で見て、知った。あれは住む世界が違う。比べることすらアホらしい。
この課題は――一人では勝てないことを前提に作られた試験なのだ。
「さすがはサクラ。座学で毎回俺の上を行ってただけはある。俺の言いたいことはわかるよな?」
「わかるわ」
サクラは頷き、ナルトに手を差し出す。
「協力しましょう。けど、悔しい話だけど――私とあんたが協力しても勝ち目はないわ」
サクラ自身は自分の能力を客観視できる。
卒業生の中では平凡な実力。少なくとも、ナルトのように立ち回る戦いはできないだろう。まず、あんなに増殖する術をサクラは持っていない。
その事実をナルトもわかっているのだろう。冷静に頷いてくれる。
「だろうな。サスケの協力もいる。断られたけどな。当然だ。二人しか合格できないなんて言われちゃな……それにあいつは俺より強い。俺が負けたくらいじゃ協力する気にはならんだろ」
「あんたより強い?」
サスケが弱いとは思えない。
ナルトが弱いとも思えない。
サクラの中では二人は同格として扱われ始めていた。
だが、ナルトはサクラの考えを否定するかのように首を振る。
「正面から戦ったら負けるよ。あいつは別格だ」
断言する。
その言葉は裏を返せば『手段を選ばなければ勝てる』とも聞き取れる。
サクラは正しく理解し、笑った。こいつ自信家だ、と。
「あいつが戦って、負けるのを待つ。勝ったら勝ったでそれでいいしな。それまでは身を隠すぞ」
「その前に教えて。あんたの持ち札を」
隠れる場所を探すために移動しようとするナルトに聞く。
返ってきた視線は胡乱げなものだ。
それも当然と言える。忍からすれば自分の保有する術や道具などを教えるなどというのは自殺行為だ。奥の手は隠しているからこそ奥の手足りうる。それを教えろ、とサクラは言ったのだ。
ナルトはサクラの目を見つめる。
揺らがない瞳ははっきりと勝利を欲している。
「いいけど……勝算はあるのか?」
だからこそ、ナルトは口を開いた。
「ない。けど、それは隠れながら考える。だから、情報をちょうだい」
はっきりと勝算が無いと告げるサクラ。胸を張りながら堂々と言うその姿が、ナルトには面白かった。
ないのか、としきりに呟いてしまう。
決して不機嫌ではなく、機嫌が良さそうに、だ。とても楽しそうに、笑っている。
その姿にサクラは真摯な瞳を向け続けていた。
「頼りないのか、頼りになるのか。よくわからん答えだな……」
苦笑混じりのその言葉に、サクラも全面的に同意する。
私なら教えないかも、と少しだけ思うのだ。しかし、ナルトは違った。
まぁいいか。
確かにそう言ったのだ。サクラの耳は仕事をサボらない。
「情報は共有するもんだ。教えるぜ、我が友達」
「馬鹿ね。こういうときは友達じゃないわ」
チッチッチッ、とサクラは人差し指を振る。少しだけ腰を屈めて、お気に入りの映画の女優が言っていた言葉を紡ぐ。
「仲間よ」
◆
空がよく見える場所に出たとき、後ろに気配を感じた。
いや、わざと感じさせたと言うべきか。突然に、気配が出現したのだ。
背筋が凍る。同時に、心臓が高鳴る。
ドベのナルトですらあれだけの大立ち回りをした。燃えないか、と言われれば嘘だ。
間違いなくサスケは高揚している。
手には大粒の汗が滲むが、それすらも娯楽。これから行うのは究極の遊び。絶対上位にいる実力者とのやり取り。
ここで退けば――男が廃る。
「俺はナルトとは違うぜ?」
「そういうのは鈴を取ってからにしろ、サスケ君」
振り返ると、そこにはだらしなく笑いながらエロ本を読むカカシがいた。
頬が痙攣するほどにむかつく光景だが、ナルトは冷静に対処していた。自分が熱くなるわけにはならない。
冷静になれ。冷静になれ。そして、身体は熱く保て。
「里一番のエリート――うちは一族の力……楽しみだなぁ」
楽しみにしてるとは思えない不真面目な態度。
惑わされるな。これはフェイク。
サスケは腰につけたポーチから両手で手裏剣を取り出すと、左右対称の構えから、一気に投擲した。
ナルトと比べてもなお早い投擲の動作はカカシに止められることはなく、飛翔する。
「バカ正直に攻撃しても無駄だよ!」
カカシはあっさりと避ける。
それこそがサスケの狙い。
馬鹿みたいに様子見ばかりしていたわけではない。備えあれば憂いなし。
手裏剣はカカシの後方で方向を変えて飛んでいき、草むらの中に仕込んでいた縄を切った。
プツン、とという音とともに、多量のナイフがカカシへと向かう。
(トラップか!?)
基本的な罠。
敵にわざと回避できる攻撃を放つ。もちろん避ける方向も誘導する。そして、そこへと飛んでいく多量のナイフ。アカデミーで習うサバイバル演習の基本中の基本だ。
そして、罠に気づいて、ナイフを避けたカカシが飛ぶ場所も予測済み。
ナイフが木々にぶち当たる音を背景に、サスケはカカシへと直進する。
(なにっ!)
放つのは、跳躍からの左足による後ろ回し蹴り。身体の関節を余すことなく利用された鞭のような打撃は、カカシがガードに用いた腕を痺れさせるほどのものだ。
それだけで攻撃は終わらない。
受け止められた足をそのままに、サスケは思い切り身体を捻って右拳を叩きつける。
それすらも簡単に受け止められてしまうが、残った右足での蹴足を叩き込む。
通らない。
それらの攻撃すらも織り込み済みのこと。ガードされるのが前提の攻撃。
サスケの狙いはただ一つ。
相手の両手をガードに使わせて、自分の左手の自由を確保すること。残った手で鈴を奪い取ること。
掠め取るように動いた左手にカカシは気づき、一気に距離を取られてしまう結果となるが――カカシはサスケのポテンシャルに心底驚いていた。
(こいつ……! 何て奴だ。イチャイチャパラダイスを読む暇がない)
本は地面に打ち捨てられている。余裕がない。
ナルトとは違う。
奇策も用いず、真正面からの体術による突破攻撃。下忍とは思えないほどの身のこなし。
さすがは木の葉に君臨する最強の一族――うちはの末裔。
カカシは本を拾い上げると、ポーチの中へと仕舞った。
「ま! あの二人とは違うってのは認めてやるよ」
当然だ、というようにサスケは鼻を鳴らす。
そして、印を切る。
澱みなく切られた印は虎の印で終息し、サスケは大きく息を吸う。
再び、カカシは戦慄する。
ナルトもそうだが、サスケも同じだ。
下忍に使えていい類の忍術ではない!
(火遁! 豪火球の術!!)
サスケは大きく息を吐き出した。
それは獄炎というべきもの。
身の丈を大きく越えた火の塊は、前方にある息の届くもの全てを焼き尽くす灼熱の焔。
喰らって生きていられる人間などいるはずもなく、間違いなく黒コゲになる代物だ。
ひとしきり息を吐き終わると、術を終了する。
炎によって遮られていた視界は鮮明になり、そこには――何もなかった。
黒コゲ死体はなかったのだ。
(いない! 後方! いや、上か! どこだ!)
避けられることを予想していなかったサスケは身の回りを見渡す。
それが仇となった。
サスケがすべきことは周囲を探ることではなく、逃げることだった。
「土遁・心中斬首の術……」
だからこそ、地中にいるカカシに気づかない。
ナルトの分身と同じく、地中へと無理やり潜らされる。晒し首状態だ。
「この術見てただろぉ? ちゃんと対策しなきゃ。ま! お前は早く頭角を現してきたか。それに……ナルトもな」
ナルトと同じくサスケもにやにやと下卑た笑みを浮かべるカカシに見下ろされることに終わった。
あいつと同レベルか……と思うと、サスケは少し悲しくなる。一応トップで卒業したはずなのに。
悔しさで顔が顰めるサスケを見て何が面白いのか、カカシはひとしきりにこやかに微笑むと、その場から立ち去った。
「でも、ま! 出る杭は打たれるっていうしな!」
そんな言葉を残して。
くそっ、とサスケが舌打ちしてしまうのも無理からぬことだろう。
相手との差が、見えない。戦力差が全く掴めないほどの絶望的な差。
どうすれば勝てる。どうやったら鈴を奪える。
わからない。
考えれば考えるほどにわからない。
地面に埋められて数分。
身体を動かすことなどできないので、サスケは思考の波を漂っていた。
そんなとき、近くの草むらを掻き分ける音がする。
「よぉ、サスケ。やっぱお前も負けたか」
「ナルトにサクラか……」
出てきたのはナルトとサクラだった。
ナルトはてくてくとサスケの方へ近づいていくと、地面に腰を下ろす。サクラはおどおどとしながらサスケのことを見るばかりだ。わぁ生首だ、と漏らしているのをサスケはきっちりと聞き届けたが、あえて無視する。少なくとも頬を朱に染めながら言う言葉ではないだろ、とも思うが、無視しきった。驚嘆すべき精神力である。
「さっきの話、考え直してくれたか?」
さっきの話――つまり、サスケに協力を持ちかけたことだ。
あのときは失敗に終わったが、敗北した今では協力してくれるとナルトは判断していたし、サクラも協力に関しては楽観ししていた。
「フン、断る」
だが、あっさりと断られることになる。
拒絶の言葉に反応するかのように立ち上がり、ナルトはごそごそとポーチからあるものを取り出した。
「あっそ、じゃあそこで虫に噛まれてろ」
「お前、手に持ってる奴は何だ」
「飴と蟻」
怪訝な表情を浮かべるサスケに対して、ナルトは言った。サスケの顔がかなり引き攣る。
頬の隣で元気に飴の上を歩き回っている蟻を見せ付けられたのだ。もし断ったらどうなるか――考えるまでもない。やられる。屈辱的なことを強要される。
さすがに見かねたサクラが「ナルト……それは脅しじゃ?」と諌めるが、ナルトは無視。
計画通りに動かないサスケに対し、悪戯をすることを楽しみにしている悪餓鬼のような笑みを浮かべている――わけではなく、表情は冷静そのものだ。多分に怒りを孕んではいるが……。
「俺は心底むかついてんだ。あいつには一人じゃ勝てない。だからさ」
紡がれる言葉はナルトの本音。
一人では勝てない。ならどうする?
「合格度外視で協力しようぜ? このまま負けるのはむかつくだろ」
簡単な答えだ。協力すればいい。それでも勝てなかった場合はそのとき考えればいい。まずはやれることをやるべきだ。
対するサスケの答えは、しかめっ面のままに放たれる。
「……まずは助けろ」
「交渉成立だな?」
「あぁ」
おっけー、と答えるとナルトはサスケを一気に引き上げる。
地中から助けられたサスケは解放されると同時に、ぺたんと地面に座り込んだ。そして、複雑な視線をナルトに向ける。
ナルトが差し出している手に疑問を持っているのだ。どういう意味だ、と。
「じゃ、頼むぜ。うちはのエリート」
「嫌味だな」
「いやいや、本音だよ。戦闘見てたけど、お前は俺より強い。まぁ成績トップの卒業生に補欠合格の俺が勝てるはずないんだけどな」
「謙遜だな。お前も結構やるじゃねぇか」
「奇策を使っただけだ。お前みたいに正面からあんなに戦えねぇよ……頼りにしてる」
フン、とサスケは鼻息を鳴らす。照れ隠しだ。
ナルトはそのままサクラを見ると、にっと笑った。
「サクラのことも頼りにしてるぜ。座学トップさん? 作戦はばっちりなんだろ?」
「不合格確定の作戦でいいのね?」
確認の合図。
つまり、ルールを侵した作戦だということ。
それでもいいのか、とサクラは聞く。そこまでして勝ちたいか、と。
「俺は構わない。サスケは?」
「それは嫌だ。けど、このままやっても勝てる気がしねぇ。とりあえず、サクラ。お前の作戦――勝算はあるのか?」
同意の言葉。
この二人、結局は負けず嫌いの男の子でしかない。やられっ放しは気に食わない。
そんな二人がおかしくて、ちょっとだけ笑いそうになる。
おかしくなったのかもしれない。
サバイバル演習などの授業では得られなかった緊張感が、今はたまらなく嬉しい。自分のこれからの人生が決まる大事な試験だというのに、それを楽しみ始めている自分に対し、サクラは驚く。
それは何故か……一人ではないからだろう。
だからこそ、サクラは強く頷いた。
「任せてよ。あのクソ――ん、んー、ふざけた教師……ぼっこぼこにしてやるわ。作戦はこうよ……」
数分に及ぶ作戦概要。
それは正しく奇策と言うべきものだった。
しかし、反応は上々。
「……不合格確実だな」
「けど、かなり良い不意打ちだ」
ナルトは口の端を吊り上げている。
サスケは何度も頷いている。
きっと成功する。この二人はそう信じているのだ。
「それにこんな言い訳をすれば合格になるかもしれないわよ? 時間遅れて試験時間短くしたのは先生のせいだし」
ここまで来たら合格などは関係ない。
とりあえず、カカシに一泡吹かせてやる。三人の見解は一致していた。
ナルトはイルカを侮辱されたことを訂正させるために、カカシをぶっ飛ばしたい。
サスケはカカシに負けた屈辱を晴らしたい。
サクラはナルトとサスケの役に立ちたい。
持てる想いは違うが、目指すものは同じ。
「……乗った。俺はやるぜ」
「サスケと同じく。俺もやる」
「じゃあ、決行ね!!」
こういうものを――仲間と言うのだろう。
「クハハ、こういうの――いいなぁ。できればお前らと七班をやりてぇよ。ここで終わらせたくねぇよ」
「私もよ」
「俺はどうでもいい」
サスケだけが首を振った。
だが、少しだけ恥ずかしそうに俯いているのは何故だろうか。
ナルトとサクラは苦笑し、三人は円陣を組む。
利き手を三人の中心にかざし、手を重ねていく。
決意の言葉。
「……勝つぞ!」
こうして七班のメンバーは初めて、仲間となった。