1.
ドーム状の闘技場に似た形式の試験会場は随分と模様替えされていた。
以前ここで火影が中忍試験の説明を行ったときは土の地面だけで障害物は一切なかったのだが、今は大振の木が幾本か植えられている。
その中心にナルトたち中忍試験を受けている下忍たちが勢ぞろいしていた。
眼を閉じて瞑想しているもの。身体を動かして解しているもの。座り込んでブツブツと何事かを呟いているもの。忍具を入念に手入れしているもの。それぞれが緊張した面持ちで試験に対する集中力を高めている中、ナルトは久しく会っていなかった仲間を見つけて手を振っていた。
「おう。サスケにサクラじゃねーか。久しぶりだな」
「あぁ……」
「ひっさしぶりー!」
快活な声に反応したのはくぐもった声と元気溌剌とした声だった。
サスケは敵になる君麻呂を睨みつけるように見据えていたが、嘆息してナルトのほうに向き直る。
何故だか差し出されているナルトの手に応じて握手をすると、どちらも精一杯力を込めた。
「……成長したのかよ?」
「まあな」
青筋が入るほどに力を込める二人は痛みを堪えて震えている。
意地の張り合い。
「ばっかみたい」とサクラは呟くと、二人の手を無理やり引き剥がした。男のことはよくはわからないが、不毛であることだけはサクラにでも理解できる。少し赤くなった手をぶらぶらと揺らす二人がたまらなく情けなかった。
「それにしても、なんてーか……気分悪いな。これじゃまるで見世物だ」
土の絨毯のリングから見上げると、周囲は観客席だった。
見覚えのある顔は有力な大名たち。中には他里の忍たちもいて、ここでも情報収集を行っているのだろうか。
里同士の戦争の縮図。要するに力を示すための絶好の場。如何に自分たちが若い原石を持っているかを見せつけ、それを育てているものたちの有能さを見せ付けるための場なのか。
(……必要なことなんだろうけどな。気に食わないと思ってしまうのは俺がガキだからか)
口元に弧を描き、ナルトは自嘲する。
自分たちの力を他人に披露するというのはどうしても気に食わないものだとナルトは思う。相手が知らない技を使って奇襲する。それこそが正しいあり方だと考えるし、技というものは知られているだけで効果が半減する。
(いや、これは如何に自分の手の札を見せずして勝利するか、というものでもあるのか……?)
ふと、サクラが返答する。
「見世物の意味合いが強いんじゃない? 観客として来てる大名たちに力を見せ付けるためのイベントでもあるみたいだし」
「命がけの遊戯か。たまんねぇな」
死ぬものも出てくるかもしれない。
そう考えると何か無性に腹立たしかった。
そんなときだ。
「ナルト……」
ふいにサスケが声をかけてきて、ナルトは「ん?」と反応する。
サスケは決してナルトと目を合わせず、しかし、決意を持って――相対した。
秘められた決意は断固たるもので。少しだけ気恥ずかしさが混じっているようにも思えたが、それでも、茶化せるような雰囲気ではなかった。
もごもごと口を動かしているサスケをじっくりと待つ。
そして、
「俺はお前と戦いたい」
吐き出された気持ちはこれ。
ナルトも急に恥ずかしくなって「……おう」とかすかな声で答える。
「負けんなよ」
「お前こそな」
グッと拳を突き出して、
「砂野郎に負けるなよ」
「違いない」
ゴツン、と硬質な音が鳴る。
「決勝で会おうぜ」
「あぁっ!」
どちらも負けるつもりはなく、自分が勝つと信じきっている。
それでも、ライバルであることに変わりはなく、自分以外の誰かに倒される姿を見たくはない。
『俺がお前を倒してやる』
ガキっぽい笑みで紡がれる言葉は、本当に子供らしいものだったが、端から見れば可愛らしいものだ。
サクラはにこやかに微笑を浮かべながら「あれ、私はー?」と言ってみるが、二人は気まずそうに顔を逸らした。
「整列ッ!」
ちょうど時間になったのか。
担当の試験官が空から舞い降りてくると、怒声に近い叫び声でそう言った。
下忍たちはきびきびとした動きで横一列に並ぶと、試験官へ視線を注ぐ。
うむ、と試験官は満足そうに頷いた。
「いいか、てめーら。これが最後の試験だ。
ルールは一切無し、どちらか一方が死ぬか負けを認めるまでだ。ただし、俺が勝負がついたと判断したらそこで試合は止める。分かったな」
禁じ手はなく、時間制限もない。
これは正しく殺し合い。
周囲の観客たちにどこまで力を見せていいのかを各々で判断しながら、メリット・デメリットを考えて戦う、制約のある戦い。
その最初の戦いは――
「じゃあ一回戦。君麻呂vsうちはサスケ」
音の里の下忍の中でもエリートである君麻呂と、木の葉の里の下忍の中でもエリートであるうちはサスケ。
ある意味では注目のカードであり、初っ端から楽しめそうな好勝負を想像させる二人に観客たちは息を飲む。
「その二人だけ残して、他は会場外の控え室まで下がれ!」
リングに残るのはサスケと君麻呂の二人のみ。
こうして中忍選抜・最終試験は始まった。
◆
思い出すだけで腸が煮えくり返りそうなほどになる腹立たしい記憶がある。
呪印によって暴走したサスケはサクラを嬲り、そして、君麻呂に襲い掛かり、結局は勝てなかった。
引き分け――と言い張ることもできるだろうが、あのまま戦えばサスケは殺されていたという自覚もある。
だが、負けたのはあのときだけであり、鍛えた今は負けないという思いもある。
今こそ、それを証明する。
そう意気込んでいたのだが、君麻呂は実に涼しげな表情だ。まるでサスケを脅威と見なしていないかのように、無価値なものを――いや、路傍の石を見るかのように無感動。ただそこにサスケがある。本当にそれだけの視線を向けてきた。
敵として認識されていない。
それはサスケにとってとてつもなく屈辱だった。
(俺という存在を脳裏に刻み込んでやるッ!)
力を示す。それだけで君麻呂は自分を見るだろう。
開始の合図はなされておらず、まだ攻めることもできないわけだが。
「よぉ、あのときは世話になったな」
「君か」
平坦な声がたまらなく不愉快で、引き攣りそうになる頬を手で解す。
(殴り飛ばしたい――)
胸の奥底に滾る情念を抑え込み、落ち着くように念じているのだが――
「……修行はしてきた。負けるはずがないという確信もある。だから、お前は確実にぶっ殺す」
「負け犬の遠吠えにならないように努力したほうがいいよ。言うだけ言って倒れるのはあまりにも惨めだから……」
「そうさせてもらおうかっ!」
ここで開始の合図はなされる。
「では、一回戦――始めっ!」
こらえるのは無理だった。
何も考えずに最速で突貫し、君麻呂に対して苛烈な連続攻撃をこなす。
カカシに身体に覚えさせられた体術。それは力を鍛えるものではなく、全身のバネを使って速度を増し、相対的に威力も増すものだった。
つまりは身体が出来上がっていない子供や、体重の軽い女が使う種類のもの。
もともと下忍離れしていた速度は更に増し、体術が得意ではない下忍では遠目でも視認することができないほどの速度だ。
それを君麻呂は無理に防御することなく、まるで柳のようにしなやかに攻撃をいなしていく。
「柳の舞……」
君麻呂の体術は、サスケが強くなったからこそわかる。これは完成されている、と。
洗練されているそれは武術というよりも舞踊のようで、嵐のように怒涛の攻撃をするサスケとは対極に位置するかのように思われた。
たまに君麻呂の身体にサスケの拳が突き刺さることもあるが、しかし、硬質な骨の手応えは異様に硬かった。
(骨を操作する血継限界。あれを貫くにはやはり千鳥しかない。けど、あまり千鳥に頼りすぎるのも良くない……か)
下段蹴りで君麻呂の足を払い、そこから側頭部へと足を振り上げる。
後ろ回し上段蹴り。
美しい弧を描いて速度を増し、威力が高まったそれは――君麻呂の腕に阻まれる。
普通は勢いの乗った蹴足を腕で受け止めるなんてしたら骨が折れるのだが、君麻呂の骨は普通の耐久度ではない。
(体術で戦うことができるが、普通にやっては致命傷を与えることは不可能)
そう判断したサスケは後ろに跳躍して距離をとる。
(じゃあ、骨がないところはどうだ)
次は最速ではなく、ゆるりとした動きで近づいていく。
その動きは君麻呂の動きと酷似していた。
写輪眼の恩恵。
サスケは君麻呂の動きをトレースし、ほとんど誤差のない体術で君麻呂に立ち向かう。
「柳の舞……これは便利な技だな」
舞踏会のようだった。
かろやかに動く二人は戦っているようには見えず、突き出す拳はリードしているだけのようにも見えたし、その拳をいなしている姿は、遠慮がちに差し出された手を跳ね除けているだけのよう。
しかし、多少は体術を修めているものにならばわかる。
全ての攻撃に殺意が乗り、サスケの攻撃がだんだんと苛烈さを増しているということに。君麻呂が受けに回っていき始めているということに。
「へぇ……随分と強くなっている」
君麻呂は感心するかのように呟くが、それはサスケの神経を逆なでする。
その台詞は――見下ろされているようだった。高みから言われているような気がして、とても癪に障ったのだ。
苛立ちそのままにサスケはフェイクも何もない渾身の体当たりをぶちかます。
肩から突っ込んだそれは君麻呂はかわすことができず、防御する。
硬質な腕に全ての衝撃は受け止められ――
(硬すぎる。致命傷には程遠い。ならば――)
死角から突き出す首への貫手。
全身のバネを使って打ち出されたそれは、かすかに肉を抉った。
「っ!?」
息を乱し、君麻呂が急に距離を離す。
つまり――
(逃げたということは骨は万能ではないということ!)
確信を得たサスケはにやりと笑うと、ウェストポーチに入っている巻物を取り出した。
印を省略して術式を完了すると、君麻呂に向かって獰猛な笑みを浮かべる。
「口寄せ・風魔手裏剣」
出てきたのはとても巨大な手裏剣だった。
それを思い切り振りかぶり、投擲する。
避けることもできるが、避ければ隙ができると判断した君麻呂は、風魔手裏剣を右拳で弾いた。
「影風車」
しかし、風魔手裏剣に隠れるようにもう一本の風魔手裏剣が迫り来る。
それも左拳で弾くと、拳はどちらも塞がった。
「なっ!?」
風魔手裏剣に隠れるようにして放たれていた苦無が拳に突き刺さり、さらにはワイヤーが両腕を縛り付けていて――
「写輪眼・操風車三ノ太刀ッ!」
三つ目の風魔手裏剣が君麻呂の喉を狙って投擲された。
腕がワイヤーで縛られているせいで思うように動くこともできず、君麻呂は――
「ふんっ!」
頭突きで風魔手裏剣を叩き落した。
「残念だ。首には当たらなかったか」
「出鱈目すぎるっ!」とサスケは驚愕するが、しかしこれも予想の範囲内。
これで決まればいいな、と正直サスケは思っていたが、君麻呂の予想外の強さすらも全て計算の範囲内である。
「首が弱点と……いきなり見破られるとはね。しかも、このワイヤーは実に鬱陶しい――油っ!?」
だろうな、とサスケは思う。そのワイヤーに塗られている油こそが布石なのだから。
全てはこのために。
印を切る。
それはうちは一族が好む火遁のものであり、サスケが得意な術である。
「火遁・龍火の術ッ!」
ワイヤーを伝うように炎は走り、君麻呂の身体を焼き尽くさんと襲い掛かる。
普通の人間ならば炭化してもおかしくないほどの熱量を込めたそれは簡単に防げるようなものでもなく、腕の自由を奪って印を切ることすら許さない状況にしたのだから、ある程度のダメージは与えれるだろうとサスケは思っていたのだが――
炎が消えた中から出てきたのは、骨の盾に守られた君麻呂の姿だった。
ワイヤーは腕から突き出た骨の刃で切り裂かれ、君麻呂の着ていた衣も上半身は突き出た骨で肌蹴てしまっている。
血継限界・屍骨脈。
それはかぐや一族の末裔である君麻呂にのみ許された攻守一体の戦闘術だ。
観客たちはどよめいた。驚きは当然のものだろう。
かぐや一族は既に絶滅したと思われていたのだから……。
「……羨ましいくらいの能力だ」
「写輪眼を持つ君にだけは言われたくないところだね」
「お互い様ってことか」
くくく、とお互いに笑う。
「正直、あまり見せたくはなかったんだけどね。まぁいいか」
屍骨脈があからさまに露出するような技を君麻呂は使う気がなかった。観客たちに見せる気はなかったのだが、思わず使ってしまったのだ。
サスケが強くなっていたから。
「椿の舞」
君麻呂は骨の形を槍へと変じていくと、独特の構えでサスケに向き直る。
ここで初めて、君麻呂はサスケのことを敵として認めた。全力をもって叩き潰しても構わない程度の力を持った敵だと認識したのだ。
「次はこちらから――行かせてもらうよっ!」
爆ぜるように、君麻呂はサスケへと肉迫する。
お待たせしますた!