1.
静謐の間。
螺旋軌道に規則的に配置された無機質な柱が聳え立つそこは、別名では【封印の間】とも呼ばれる。名は体を表すというが、まさしくそれである。ここは封印の術式を増幅する効果のある専門的な部屋であった。
観音開きの入口の扉は堅く閉ざされているそこにははたけカカシと半裸のうちはサスケがいた。
サスケを中心に血文字で書かれた封印の術式のための陣があり――
「封邪法印!」
一喝の声とともに、カカシによって練り込まれたチャクラを血文字を経由してサスケの身体に埋め込んでいく。
血文字で描かれた方陣が凝縮され、サスケの首筋に埋め込まれている呪印へと凝縮されていく。
その間、視界が焼けるほどの苦痛にサスケは晒されるが、これ以上このような不気味なものに自由を許すわけにはいかない。サスケは歯を食い縛って耐え抜いた。
「く……はっ……」
封印が終わり、苦痛も消える。
深く息を吐く。
サスケが落ち着くのを待って、カカシは口を開いた。
「呪印……か。誰にやられた?」
「……大蛇丸と名乗っていた」
「厄介な奴が来たもんだ」と一人ごちる。
このまま試験を続けていいのか、とも思うが、カカシに決定権はない。そして――
「……試験を中止――するわけにもいかんしのぉ」
気配もなく静謐の間に姿を現した火影に驚くことはなく、カカシは答える。
「そうですね。たかが抜け忍の一人が来たくらいで試験を中止しているようでは、里の威信に関わります」
実際は『たかが抜け忍の一人』と言えるほど弱い相手ではない。
だが、数ある大名はそうは見てくれない。
天下の木の葉隠れの里ともあろうものが『たかが抜け忍の一人』相手に憶するのか、と取られてしまうのだ。
火影もカカシもそれは痛いほどわかっているがゆえに。
「じゃが、あまりに危険」
「はい……」
「おい、大蛇丸ってのは誰なんだよ?」
ここでサスケが口を挟む。
そういえば説明していなかったね、とカカシが苦笑を浮かべると、
「伝説の三忍――聞いたことくらいあるでしょ?」
「綱出、自来也、大蛇丸……?」と指折り数えて答えていく。
火影をも超えるといわれている生きた伝説たちだ。
「その内の一人だよ」
サスケは硬直する。
背筋が凍りつくような威圧感は伝説の三忍と謳われるほどの実力者だったからだ。
「何だってそんな奴が中忍試験を受けてんだよ! 危うく死に掛けて……ナルトも、サクラも! 殺されかけたんだぞっ!」
あまりに早すぎた遭遇に戦慄する。そして、自分が今生きているのは相手の気紛れでしかなかったことを知る。
無力は罪だ。
守るための力がないから、何でも奪われてしまう。
細い糸の上で必死にバランスをとって歩いてたいただけの道化。
「それについてはすまなかった。しかし、なんで大蛇丸が試験を受けれたんでしょうねぇ? 内部に手助けをしているものがいるとしか思えない」
「みたらしアンコ……か」
火影の言葉にカカシは頷く。
「えぇ、試験の情報を故意に隠蔽しているとしか思えません」
「暗部に調べさせるとするか……カカシよ。おぬしに頼みたいところだが……」
「……私も今はただの教師でしてね。教え子を鍛えて中忍にしてやりたい、と思ってます。しかし、里の危機ともなると……」
「いや、大丈夫じゃ。いざというときのためにあやつを呼び出しておる」
「あやつ――とは?」
「隠れているのはわかっているぞ。出てこんか」
カカシは皺を深くして笑う火影を訝しむ。
気配など感じない。扉が開いた音もしない。
それなのに、だ。
「気づかれておったのぉ……」
柱の陰から、突如として何かが現れた。
「あなたは――!?」
にやりと口角を歪めて笑う人影はカカシのよく見知ったもの。
油の一文字が刻まれた額当てをつけており、服装は能をしているものが着る華美な着物。そして何よりも目につくのが、ふざけているような態度とは随分と乖離している隙のない眼光か。
「あいやしばらく! よく聞いた! 妙木山蝦蟇の精霊仙素道人、通称・ガマ仙人と見知りおけ!」
「ガマ仙人……?」とサスケは呆然と呟いた。見たことも聞いたこともない。そして、こんな白髪の長髪のふざけた男が火影が切り札にするほどの強い男には見えなかった。
「自来也様――あまり私の生徒をからかわないでください」
「うぅむ、徹夜で考えた前口上はあまり受けがよろしくないのぉ」
カカシがおっさん――自来也に対して敬語を使っている。
態度からも『自分よりも上位の相手』だと感じられる。つまり、カカシが尊敬の念を抱く程度には強いのだろう。
こんな飄々とした男が? 疑問を感じずにはいられない。
自来也は疑念を含んだ漆黒の双眸をちらりと見ると、疑われているな、と苦笑する。わざとこのような態度をとっているのだから当たり前ではあるが。
「ところで、猿飛先生――ワシに何の用なのかのぉ?」
「大蛇丸の件じゃ。おぬしが大蛇丸について調べていたことはわかっておる」
自来也も実のところは抜け忍のようなものだ。
伝説の三忍で木の葉隠れの里に居座る者はいない。
「……筒抜けか。で、何が聞きたいんだのぉ?」
「大蛇丸擁する勢力の規模。おそらくは誰かと協力しているであろう、そいつらの名称と規模。そして、何が目的なのか……」
ふむ、と首を縦に振ると――「……いいのかのぉ?」と自来也はサスケを見下ろした。
おそらくはこれから話される内容は一介の下忍でしかない自分が聞いていいようなものではないのだろう、と察すると「出たほうがいいか?」とカカシに確認する。
微笑みながらカカシは首を振る。
「サスケなら大丈夫です。こいつは私の信頼する部下ですから」
火影は肩を竦め、自来也に話の続きを促す。
「ふむ、ならいいがのぉ……大蛇丸がどれほどの部下を連れてきているのかはわからんが、音の里は大蛇丸の里だ。そして、砂の里と音の里は協力している」
「本当ですか!?」
「嘘をついてどうするんだのぉ……で、目的は――木の葉崩し」
「待て、自来也や」
「何でしょうのぉ?」
話が進まんな、と自来也は鼻息を鳴らす。
「木の葉崩しは何が目的じゃ? あやつは恨みなどで動くほどの小さな人間ではなかったはずじゃ」
「九尾、写輪眼――これでわかるだろうのぉ」
「力……か。あやつ、まだそのようなことに執着しておったか」
「どういうことでしょうか?」とカカシはわからず問いかける。
そもそも、カカシが伝説の三忍の中で面識があるのは自来也だけであり、どうして疎遠になったのか、里から抜け出したのか、などというエピソードを知らないのだ。
火影は「ふむ」と考え込み、引き結び――自来也と目を合わせた。自来也は気まずそうに視線を逸らす。
「……音の里にはあらゆる里で迫害されている血継限界の末裔を集めておる。そこで血の配合などをして、新たに血継限界を生み出そうとしておるのぉ」
「……そんなことがっ!」
「できるわけないと思うだろう? だが、実際に大蛇丸はいくつもの血継限界を生み出している実績がある……」
膨大な数に及ぶ人体実験。
他の里や己の里など関係なしに、大蛇丸は研究材料として血継限界を受け継ぐ忍者たちをその手にかけた。
いや、それは正しくないかもしれない。
血継限界のせいで身寄りのない子供たちを引きとり、引きとる代償として、最も元気のない子供を差しださせていたというべきか……。どちらにしても悪魔の所業といえる行為である。
だからこそ、有力な血継限界を有する写輪眼や白眼の末裔を研究材料として手に入れることはできなかったのだ。彼らは迫害されるほどに弱くはなかったし、自里の中できっちりと地位を確立していたのだから。
「待てよ。俺が狙われているって話を頭上でされてたら気味が悪い」
「うちはの末裔か?」
「そうだが」
「確か九尾のガキもおぬしと同じくらいの年齢だのぉ……うずまきナルトと言ったか」
「俺の仲間だが?」
自来也は呆けたように目を点にする。
そして、息を大きく吸いこんだかと思うと、火影の胸倉を掴んだ。カカシが止める間もなく、火影が抵抗する間もない神業的な速度で。
「……フ、フフフ、ハハハハハ! 悪意すら感じる班構成だのぉ! のぉ、猿飛先生!? 写輪眼に九尾か! 新たに戦争でも起こす気か!?」
がくがくと火影の胸倉を揺さぶりながら、殺意すら混じる双眸を向けている。
「ワシにはワシの考えがある」
「どういうことだのぉ……?」
「答える義務はない」
火影から手を離し、自来也は毒の混じる眼光を火影から向けると、強かに地面を踏み締めた。
石造りの床が、窪む。
ふぅ、と落ち着くために息吹をすると、自来也は気を取り直したのか。
「ふん、九尾のガキはどこだのぉ?」
いや、怒りは消えていない。
憤怒の形相のままに、カカシに拒絶を許さぬ圧迫感を放って、問う。
偽りは許さないと言外に語るその様はまさに鬼神。
サスケは恐怖のあまり、身体が動かない。
硬直した身体は鳥肌が立ち、死を何度も幻視させられる。
納得した。
こいつは大蛇丸と同類だ。
冷や汗を流し、身体を震わせるサスケの背に手を当てながら、カカシは怯まずに自来也と視線を交錯させる。
「試験場の入り口でサスケを待っているはずですが……」
ふん、と鼻息荒く、
「九尾はワシが貰う。お前らの手には余るしのぉ」
瞬間、自来也は身を翻す。
サスケは自来也のことを信用できずにいた。
だから、立ち上がり、恐怖に打ち勝つために自分の頬を拳で抉る。
痛みで恐怖を掻き消して、自来也の歩く道を塞ぐように【瞬身の術】で先回りをした。
「んだと、テメェ……! ぐっ……」
だが、未だに封印の術式の余韻が残る身体である。
すぐに膝をつくと、しかし、意思では負けないというかのように、サスケは鋭い視線を自来也に向けていた。
自来也はふっと笑う。
初めて見せた笑みは優しさが含まれていた。
「おっと、勘違いするな。九尾のガキをワシが育てるというだけじゃのぉ。次の試験は?」
「一ヵ月後じゃ」
「それまでには連れて行こう。悪いことにはならん……。いいだろう、のぉ? はたけカカシ?」
「……私よりもあなたのほうがナルトと相性はいいでしょうね」
体術に偏重気味のカカシと、忍術を多用して相手を騙すことに主眼を置くナルトでは戦い方が違う。
その点、自来也とは相性がいいだろう……。よく似ている。
にやりと自来也は口元に弧を描いて頷くと、思いだしたかのように呟く。
「話は決まった。あぁ、そうそうこれは極秘情報じゃが……木の葉崩しは最終試験中に行われる。おそらくは大名たちへの熱烈なアピールのためじゃろうのぉ」
火影は既にわかっていると頷き、だろうのぉ、と自来也も悪戯っ子の笑みを浮かべた。
扉は重々しい音を立てて開かれ、そこから自来也は出ていく。
そして、火影も「……では、わしも行く。うちはサスケの処遇はカカシに一任するぞ」とだけ言うと、部屋から出て行った。
残るはサスケとカカシだけ。
何か言いたそうな複雑な表情を浮かべるサスケの頭にカカシはぽんと頭を乗せる。
「さて、修行しようか。お前にはこれから地獄の特訓をやってもらう。サクラと一緒にな」
「ナルトは?」
「あの人の修行は死ぬ一歩手前だからな。強くなるよ、絶対にね」
強くはなるだろう。
問題は、
「……生きていればだけど」
これに尽きる。
◆
斜陽の光で金色に輝く髪をヘアピンで留めて、ナルトはベンチに腰を下ろしていた。
闘技場の入り口付近にあるそこは日当たりがよく、ぽかぽかとした陽光に照らされて、今すぐにでも眠ってしまいそうなほどにまどろんでいた。
緊張感のない姿。
しかし、異様な空気を感じ取ったナルトはすぐに意識を覚醒させると、こっそりと手に苦無を忍ばせる。
周囲とさりげなく探ると、土煙をあげながら近づいてくる見知らぬ人影があった。
強者の佇まい。
隠しきれない力が発散されている。
白髪を伸ばした歌舞伎役者ののような化粧をした、巨躯の男は、ベンチに腰掛けたままのナルトを見下ろすと、ふいに声をかけてきた。
「おぬしがうずまきナルトか?」
寝たふりをするには遅く、ナルトは仕方なく返事をすると、
「ふむ……随分と生意気そうな目をしているのぉ」
「油一文字のダサイ額当てをしてる見るからに怪しげなおっさんに言われたくねぇな」
「見た目通りに性格は悪そうだのぉ?」
「見た目はよく褒められるんだがな」
いきなり剣呑な雰囲気になった。
「まぁいい。カカシの奴に頼まれて、ワシはおぬしに喧嘩のやり方を教えに来たんだが、素直についてくる気はあるか?」
「悪いな。見知らぬ人についていってはいけないって父母の言いつけでね」
「おぬしに両親はおらんだろうのぉ?」
「……なんで知ってんだ?」
もしかして知り合いか? とも思うが、それはない。
ナルトは知り合いなどほとんどいないし、友達もいない。親戚なんてゼロだ。
そういえば、腹の中にいる九尾の狐が親に関する大事な情報を言っていた気もするが……思い出せない。
「痛ぅ……っ!」
頭痛が襲いかかる。
何だろう、この感じは。
思い出さなければならないことがあるような……
そんなときだ。
遠くのほうから元気いっぱいに桃色の髪を揺らしながら走って来るサクラの姿が見えた。手にはペットボトルを二つ持っており、そんな姿を見ただけで、和む。
頭痛が消えた。
「ナルト、お待たせー。ポカリでいいんだっけ?」
「あぁ、ありがとう」
ナルトにポカリスウェットと銘打たれたそれをナルトに渡すと「で、そこの人、誰?」とナルトの耳に口を近づけて、小声で問う。
それは聞こえていたのか、白髪の男はえへんと胸を張ると、珍妙なポーズで答えた。
「妙木山蝦蟇の精霊仙素道人、通称・ガマ仙人と見知りおけ!」
つまり、誰? それが二人の正直な感想である。
「人はワシのことを自来也と呼ぶのぉ」
目を点にしたまま呆然と自分を見る二人に「やっぱり受けがよくないのぉ」としょんぼりと肩を落としながら自来也は呟くと、素直に自己紹介をすることにした。
「あの伝説の三忍の?」
「騙ってるだけじゃねぇのか?」
疑われている。
サクラもナルトも露骨に顔を顰めながら、細められた視線を投げかけてくるのだ。
自来也としてもこれは当然予測していたことだ。ここですんなり信じるほうがおかしい。
「どうすれば信じるんじゃのぉ?」
「実力で示せよ」
「ふん、じゃあついてこい」
「わかった」
あっさりと話がつくと、死の森に向かって歩き出した自来也の後をナルトが追う。
「ナルト……?」とサクラは声をかけるが、「任せとけって!」と意味不明な返事が返ってくる。何を任せればいいのだろうか。
「小娘、お前はそこで待ってるんだのぉ。そろそろカカシとうちはのガキが来るからのぉ」
「え……?」
なんでそんなこと知ってるの? とサクラは問いかけようとするが、既に自来也とナルトの姿は見えなくなっており、
「なんだってのよ。もう!」
とにかくサクラは叫ぶ。
山彦のように声が反射してきたのが、何だか鬱陶しかった。
【アトガキ】
とりあえずこれから進む物語の説明を自来也にさせました。
アンコが裏切り者ってのが面白そうだったんで使ってみることに。
裏切りってなんだか甘美な響きですよね