10.
サクラは自分が理解している限りのことを説明した。
ナルトが気絶し、サスケのところへ行ったらサスケも気絶していたので、隠れやすそうな場所へ連れてきたこと。
しかし、あっさりと見つかって、音忍の三人に襲われたこと。そのときにリーが助けてくれたこと。
音忍は自分たちを殺すのが目的ではなく、推測ではあるが、サスケと戦うことが目的らしいこと。
最後に、サスケに黒い斑点が浮き上がって、暴走し始めたこと。
うんうんと頷きながら、ナルトはひとまずは話を聞くことに集中していた。
隣ではいのが「へー」と興味深そうに聞いている。シカマルとチョウジは興味がないらしく、気絶しているサスケを木の枝でつんつんとつついていた。
「大変だったんだな」
聞き終わると、ナルトは開口一番こう言った。
サクラの額には青筋が浮かび、「あんたはっ! なんで、そう! 微妙に他人事なのよっ!!」とナルトのジャンパーの襟元を引っ掴み、がくがくと前後に揺らす。
ひとしきり揺らされるとナルトは据わった目してサクラを見る。
「なによぅ……」とサクラは微妙に怯むが、はん、と鼻息をつかれて怒りが増す。とことんまで人をおちょくってくれるわね……とサクラは苛立つ。
「寝てたんだからいまいちピンとこないんだよ。にしても、なんかキナ臭いな……この中忍選抜試験。さすがに周囲が強すぎるだろ」
砂の忍の三人――その中でも異形に変異する我愛羅は特に強敵だった。
ナルトは知らないが、サスケと戦った大蛇丸にしてもそう、サクラの戦った君麻呂にしてもそうだ。
強すぎる。
毎年このような強さの者が溢れかえっているのなら、木の葉の中忍はもっと強くて然るべきだ。
しかし、実際にはそこまで圧倒的な強さを感じるものはいない。
首を傾げながら、ナルトは独り考える。
「お前らの運が悪すぎなんだよ」
「僕たちそんな強い相手に当たらなかったもんね」
シカマルとチョウジの言葉で思考を中断すると、ちらりとそちらを見た。
あまり汚れた服装をしていないことから、激しい戦闘を行ったとは思えない。
彼らの忍術を思い出すと、勝つなら圧勝だろうし、負けるなら惨敗だろう。怪我がないということから、圧勝、もしくは戦闘をしていないのだと考える。
「あぁ、そうだ。お前らは巻物揃ったのか?」
「もちろん!」とチョウジはにっこりと笑う。ナルトも負けず劣らず透明な笑顔を浮かべる。どことなく暗い感情が見え隠れしているのは気のせいだろうか。
「……そうか。よし、サクラ」
「やらないわよ?」
何を考えているのか一瞬で理解したサクラは、まずもって拒否しておくことにした。
「まだ何も言ってないが?」
「言わなくてもわかるわよ……。絶対ダメだからねっ!」
ちぇー、とナルトは不貞腐れて寝転がる。
何をしようとしていたのかなど容易にわかる。
つまり、ナルトはシカマルたちの巻物を奪おうとしていたのだ。
仮にも命の恩人なのに、「それはそれ、これはこれ」とあっさりと割り切ってしまうあたり、未だにサクラはナルトのことを理解し切れていない。なんでそんなふうに極端なのだろうか。
いじけて横になりながら地面に"の"の字を書いているナルトを見て自然と苦笑してしまう。ガキだ。
「あんた、けっこう大変そうじゃない?」
「まーね」
いのの言葉に深く頷いてしまう。とても大変だった。
「にしても、先輩もこんなになるまで戦ってくれたのか。お前、愛されてんなぁ」
芋虫のように這いずりながら移動し、ナルトはリーをつんつんと突いていた。
どれほどの戦闘を行えばここまで怪我ができるのか、というほどに決壊している身体は、しかし、重要な器官は無事のようだ。ただの大怪我なのだろう。なんて頑丈な奴なんだ、と呆れるように感心していると――
「え、えぇ……また告白されたわ」
ぴくり、とナルトの身体が震えた。
のろのろと起き上がると、リーの首に小刻みに震える腕が伸ばされる。
「受ける気はないだろうな?」
「……? とりあえず、なんでリーさんの首絞めてんの?」
「あ、いや……何でもない」
腕を引く。
何をしていたんだ、俺は! とナルトは自分の行動を反問している。
そんなナルトをにやけながら見る第十班がいた。
木陰で涼みながら、にやにやと笑っている。
「なぁ、いの……ナルトの奴、もしかして……?」
「でしょうね。面白くなってきたじゃない?」
「どういうこと?」
「見ててわかんねーのかよ。つまりな」
チョウジの疑問に答えるようにシカマルが口を開くと――
「おい、そこ。聞こえてんぞっ!」
「やべっ! 逃げろ、チョウジッ!!」
「う、うんっ!」
ナルトが走り出し、逃げるようにシカマルとチョウジも姿を消した。
「しょうがない奴ね……」とぼやきながら、リーの身体に応急処置を施している。
適当な木の棒を添え木にし、折れた腕を固定する。身体全身の切り傷は、手持ちの軟膏などを塗りつける。
本当に応急処置でしかない。こんなことしかできない自分を罵りながら、できるだけのことをやろうととても優しい目線でリーの血で汚れた服などを濡れた布切れで拭っている。
その姿をいのは見ていた。
何だか変わったな、という印象を受ける。
アカデミー時代はもっと張りつめた空気を発していたし、何だかんだで男の子に触ることなどを躊躇していたような気がする。
仰向けに倒れているサスケと、シカマルとチョウジを追い回すナルトを見る。
たぶん、あいつらに変えられたのだろうなぁ、などと思ってしまう自分に少しだけ寂しさを感じてみたり。
「サクラ」
「何よ?」
「上手くやってるみたいね……」
うん? とサクラは小首を傾げる。
「まぁね……っと、できた」
リーの顔にこびりついた血痕を拭き取り、包帯なども巻きつけて、だいたいの処置を終えると、満足げにサクラは微笑んだ。
「リー、見つけたわっ!」
そんなとき、上から女の子が降ってきた。
団子が二個乗ったような髪型のその子は、東洋風の服を身に纏っている、ややつり上がった瞳が特徴的な少女だ。
おそらくはサクラたちよりも年上なのだろうその子は、どことなく――特に胸――大人の雰囲気を帯びている。
すたすたと横たわるリーに近づくと、引っ掴んで無理やり身体を起こさせて、ビンタを繰り出した。
「起きなさい。起きなさいよっ!」と言いながらの乱暴な起こし方を呆然としながらサクラといのは見守っていたのだが――
「……テンテン」
頑丈だけが取り柄なのか。
意識を取り戻したリーはかなりの激痛に襲われているはずなのに、わりと血色の良い顔をテンテンに向けていた。
「何でそんなぼろぼろになってるんだ? お前ともあろうものが……」
「面目ない……」
「ホント、あんたってバカねっ!」
「ハハ……言い返す言葉もないっス」
突如、旋風とともに白眼の少年が現れる。
日向ネジ――中忍選抜試験の開始の前に会っただけだ。
どうやらリーとネジ、テンテンは同じ班らしい。
「負ぶってあげるから来なさい」
「で、でも……」
「いいからっ!」
「はいっ!」
無理やり背負われて、テンテンの背中に遠慮がちに手を置いている。「振り落とすわよ、もっとしっかり!」と言われ、「はいっ!」と強く抱きしめた。
なんか情けない、といのは思うが、空気を読んで言わないことにする。
「あ、あの……リーさん」
ふと、サクラは立ち上がり、リーの前に立っていた。
「どうしました?」
「貴方のおかげで命拾いしました。本当に感謝しています。ありがとうございます」
「そ、そんな……僕は守りきれなかったわけですから」
「いえ、私一人では諦めてましたから」
にこり、と笑う。
混じり気のない好意を受取り、しかし、そこには男に対する恋心がないことも同時に悟る。
いろいろな感情がない交ぜになった複雑な表情を浮かべ、リーはサクラを見た。
「僕はまだまだ努力が足りなかったみたいです。木の葉の蓮華は二度咲きます。次に会うときは、もっと強い男になっていることを誓います」
「私も、強くなっていると思います」
「お互い努力不足だったみたいですね。頑張りましょう」
「はいっ!」
そして、リーたちは姿を消した。
彼らもおそらくは巻物を揃えているのだろう。塔へ向かって走り出して行った。
「さくらー! 薬塗ったげるからこっち来なさいよ」
「ん、お願い」
いのの好意に甘え、ふらつく身体を動かす。
ぽてん、と地面の上にだらしなく腰を下ろすと、深い深いため息をついた。
疲れが多く含まれた吐息から、サクラが心底疲れきっていることが窺える。
あれだけの戦闘をしたのだ。無理もない。
いのはサクラの汚れきった髪を手持ちの櫛で梳かしながら、慣れた手付きで汚れをとっていった。
「小汚くなってるわねー」
「もとがいいから、汚くなってようやく普通なのよ」
「……ところでさ。あんた、サスケくんとナルト、どっち狙ってんの?」
「えっ?」
空気が凍りつく。
「いや、ちょっと気になって……ね」
「へぇ? でも、あいつらのどこがいいの? ガキよ、ガキ」
「前までサスケくんにお熱だったのに何があったの?」
何があった――そんなことを聞かれても、サクラは多すぎて答えられない。
一番大きな問題はあれだろうか。部屋の中でさんざん好き勝手やってくれたことだろうか。後は筋肉トレーニングをさせるときの幸せそうな笑顔。
ガキだ。
「いろいろあったのよ……。知りたくなかったことをいっぱい知っちゃってね。クールに見えてたサスケくんも、蓋を開ければ、ただの悪餓鬼だったのよ」
「そ、そう……それはそれで面白そうー」
「どうだか」
久しく会った気を許せる友人との会話を楽しみながら、サクラは死の森で初めて緊張を緩ませた。
◆
いのたちと別れて時が過ぎ、試験が始まって二度目の夜が明けた。
潜伏している場所は近くに川のある木の根元。ナルトの土遁で穴を開け、地中の浅いところに隠れる場所を作った。
そこにはサクラとサスケがいた。
小さな穴の中、浅い息を繰り返すサスケの額に濡れた手ぬぐいを置き、寝ることなく看病をしている。
単調な時間。
敵が来るかもしれないことを警戒しながら、サクラはじっと耐えていた。
「ん……あぁ……?」
呻くような声。
周囲を窺っていた視線を下ろすと、サスケは薄らと目を開いていた。
「サスケくん?」
「サクラ……? 俺は……痛ぅっ!!」
起き上がろうとし、首筋を手で押さえる。
そこは車輪のような変な模様が刻み込まれた場所であり、黒い斑点がなくなっても、そこだけはなくならなかったものだ。
「大丈夫っ!?」
苦痛に耐えるように、声を殺しながら、サスケは背を丸めて嘔吐する。
どうしようかとサクラがおろおろしていたときだ。ふと、頭上から誰かが降りてきた。
すとん、と綺麗に着地したそれは金色の髪を痒そうに掻き、手にはいろいろなものを持っていた。
「たっだいまーっと。薬草やら食い物調達してきたぞ。やっぱ腹いっぱい食わんと傷治らないしな」
「ナルト……?」
仕留めた動物の血抜きした新鮮な肉。香草や、傷に塗るとよく効く薬草。毒消しの類のものなど、本当にいろいろと持っていた。
一時間もしないうちにここまで手に入れてくる生活力に感心するが、しかし、今はサスケのほうが重要だ。
「サスケくんが……!」とサクラが声にならない声で訴えていると、
「起きたのか。大丈夫か?」
ナルトは膝をつき、サスケの様子を窺う。
「俺は……俺は……っ!」
顔を歪めて、自分を責めるような口ぶりで、サスケは罪を思い出す。
仲間を攻撃したこと。
そんなことやりたくなかったのに、止められなかった自分の意思の弱さ。
全部が全部、許せないことだった。
「気にしないで。ね、サスケくんっ! きっと悪い夢だったんだよ」とサクラは言うが、サスケは自分が信じられない。
変異した、今は元通りの右腕を見る。
身体全身が変異するようになるのかもしれない。
そうなったら――どうなるのだろう。最悪の状況を想定し、ぞっとする。
もしかしたら、殺してしまうのかもしれない。
地面に拳を叩きつける。
痛みが消えない。死にたくなる。サクラを殴ったという事実はどうあっても消えない。
サクラは「気にしないで」と何度も言うが、意味はなく――
「たぶんだけど、首筋に浮かぶ紋様? のせいだろうな」
ぽつり、とナルトが呟いた言葉が耳朶を打った。
サスケは思いだす。
おそらく、大蛇丸と名乗る奴に噛まれたせいで、こんなことになったのだ。
「何か悪い夢でも見なかったか? トラウマほじくられるようなやつ」
「見た。嫌な夢だった……」
最悪なものだった。
見たくないものを見せつけられる、最悪な夢。悪夢の類。
心の傷を強制的に見せつけられ、そして、後ろには――
「あっ、もしかして――」
「あぁ、たぶん呪いの類だよ、それ。専門家に見せて封印なり、治療なり、何かしらの手を打つ必要があるな」
「そうね。けど、試験中だし、棄権する方法もわからないし……」
「というわけで、だ。さっさと合格しちまおう。塔付近で待ち伏せする」
もともと、最初から塔付近で待ち伏せしていたのだ。
運悪く、砂の忍のかち会ったせいでここまで苦戦することになったが、本当ならこの三人は合格していたはずなのだ。
実力はある。カカシが認めるほどに。
だけど、あまりにも強敵とばかり出会いすぎた。そのせいでこんなことになったわけだが……
「なるほどね。既に待ち伏せしてる奴を狙う、もしくは巻物を揃えて塔に来る人を狙うってわけね」
「そうだ」
ナルトは頷く。
おそらく、強い奴はもう合格しているだろう。余りものには福がある。あると祈りたい。ナルトの心境はそんなものだった。
「サスケ、いけるか?」
「……身体の調子は悪くない」
「じゃあ、飯食ってから動くぞ」
火を興し、肉を焼く。
鼻を擽る匂いのせいで自然と涎が口内に溜まっていく。
無言で肉が焼ける様を見守り――こんがりと焼き上がったものを平等に切り分けて、
「ここまでされて不合格で終われるかよ」
「同感……」
「絶対に、合格する」
決意を新たに、ナルトとサスケ、サクラは再び試験に挑む。