8.
「お前は俺には勝てない」
腕から、胸から、腹から、脚から、鋭利な骨が突き出している人とは思えない異形の姿になった君麻呂が言い切った。
決められた事実であるかのように紡がれた言葉に強がりはなく、絶対に負けないという確信があった。勝って当たり前、負けるなど論外、実力に裏打ちされた言葉に、サクラは少しだけ怯む。どうやってあんな化物に勝てばいいのか、案がさっぱり浮かばない。眼前に聳え立つ壁は高すぎて、天井が見えないほどだ。
しかし、リーは動じることはなく、悠然と立っている。君麻呂の言葉に惑わされることはなかった。
「まずは信じることから始めるんです。やれると思わないと、絶対にやれないものなんです。心が折れてしまいますから」
誰に聞かせるものではないのだろう。自分に問いかけるように、弛緩させた身体に力を込め始めていく。
ぎゅっと握りしめられた拳からはみしりと音が鳴り、筋肉の収縮音が空気を震わせる。
「だから、敢えて断言します」
キッと鋭い視線を君麻呂に向ける。
「貴方は僕に倒される」
軽くなった腕を持ちあげて、隙のない構えをとる。
「リーさんっ!」と助太刀をしようとするサクラではあるが、深紅の髪をたなびかせた少女――多由也に引き止められる。
距離を詰めようとしたところに腹に向かって拳を突き出され、なんとか肘でかすかに防御したけれど、衝撃のあまり地面に足を擦らせながら吹き飛ばされた。見た目に反して威力のある攻撃に背筋が凍る。
「おっと、邪魔はさせないよ。お前の相手はウチだ」
「俺はどうするぜよ?」
「そこらでクソでもやってなっ!」
相手はまだ侮ってくれている。
いや、君麻呂一人で十分なところに二人も来ているのだからそれはまた違うのだろうけど。
「……あんまりぜよ」
誰か助けてくれないかな、とか妄想しつつ、リーを見る。
「行きますっ!」
リーは地を蹴って矢の如く――弾けた。
◆
その攻防は熾烈を極めた。
「開門……開ッ!」
枷を外されただけではなく、潜在能力全てを引き出す【裏蓮華】による爆発的な身体強化も合わさって、リーの速度は目に写らぬものとなった。
高密度の骨を生みだし、君麻呂も耐えてはいるが……棒立ちに等しい。
「休門――開ッ!!」
拳を振るう。蹴足を繰り出す。それはただの体術でしかない。
しかし、これまでとは次元が違った。
「生門――開ッ!!!」
拳を振るうだけで空気が悲鳴を上げる。
蹴りが君麻呂を穿つと、爆風が巻き起こり、衝撃波が吹き荒れる。
大地が地鳴りの如く鳴動し、木々が戦慄の木霊を響かせる。
「傷門――開っ!!」
一挙動するたび、君麻呂の身体がくの字に折れる。そして、攻撃している側のリーの身体からも何かが破裂するような音が鳴り響く。
自己の限界を超える【裏蓮華】の代償は多大なものだ。捨て身とも言えるそれは軽い覚悟で会得できるものでもなく、使用できるものでもない。
再び、リーの膝が君麻呂の額を叩き割った。分厚い骨が割け、背が反り返る。そして、割れた額に向かって、リーは両拳を叩きつけた。
骨が砕ける音が響き渡る。
それはどちらのものなのだろうか。
「が……ッ!」
【八門遁甲】と呼ばれるものがある。これは開門から死門と呼ばれる八つのリミッターのことを言うのだが、【裏蓮華】はリミッターに対して己がチャクラを叩き込み、自分の力を全て引き出すというものだ。
リミッターというものは無意味に存在するものではなく、当然、人の身体では耐えきれないほどの力を発揮しないようにと課せられているものなのだが、それを外すと、莫大な力を手に入れられることとなる。
一説では、全ての門を開くと一瞬ではあるが、火影を超える力が手に入れられるという……
「ぐ……ハァァァァッッ!!」
リーの肌の色が赤く変質する。穴という穴から血が噴出す。
制御し切れない莫大なチャクラが暴走を始め、リー自身に牙を剥き始めたのだ。
しかし、代わりに得たものは人を越えた神速。
全ての骨を防御特化にしても、リーの拳は容易に骨の盾を貫き、砕く。
初めての経験に君麻呂は苦笑を浮かべた。
「お前は人間か……?」
「――君に言われたくはありませんっ!」
「それもそうか……」
人ならざるものと迫害されていた君麻呂の異形の一族。確かにそんなことを言う資格はないだろう。
だが、どうなのだろうか。
自分の身体を投げ捨てて、全身全霊で勝負に命を賭ける姿は、君麻呂の一族の姿を彷彿とさせる。
『我らが生を実感できるのは戦場のみッ!』
似たようなものではないだろうか。
血管を破裂させながら、筋肉を引き千切りながら、それでもなお、狂笑を浮かべて暴力を実行するリーは、果たして人間なのだろうか。
下段蹴りで足を砕かれた。
肘打ちで肩を抉られた。
裏拳で頬を殴られた。
膝蹴りで腹を刺され、潰され、壊され、貫かれた。
蹴り上げで顎を粉砕され、浮き上がった身体に頭突きが入り、最も分厚い骨である額が陥没した。
衝撃のあまり地面に叩きつけられ、身動きがとれないところへ踵落としが追撃する。背骨が折れた。
荒い息とともに、何度も背骨を踏み砕かれ、中身の内臓はぐちゃぐちゃだ。
だが、
「……早蕨の舞」
瞬間的に危機を察知したリーは即座に飛びのき、絶大な跳躍力をもって回避したそれは――骨の樹海と言うべきか。
地面から鋭利な骨の木々が咲き乱れ、あるもの全てを貫いていた。
近くにいた仲間も関係なしのそれは「君麻呂、何しやがんだテメェ!」「危ないぜよっ!?」などと批判をもらうほど。
懲りた表情すらなく、君麻呂は骨を生成しながら傷を癒し、余裕のない表情で頭上にいるリーを見上げた。
「……お前は特別だ」
本音なのだろう。偽りの感じられないその言葉には真摯な色が宿っていた。
異変が起こる。
君麻呂の身体に黒い斑点が浮かび上がり、身体の黒く染め上げていった。
禍々しいチャクラの奔流を感じ、感覚が鋭敏化されているリーも冷や汗を掻く。
仕留め切れていない現状だけでも厳しいのに、さらに、敵は本気を出していなかったようだ。
変異が終わったそこには、全身刺青をしたかのような風体の君麻呂がいた。
咲き乱れる骨はどこぞへと引っ込み、一本の剣へと変質している。
身の丈を超すそれは剣というよりも槍のようで――
しかし、リーは委縮することなく、弾丸と化して君麻呂へと飛び掛かる。
「これで……どうだっ!」
「だけど、僕の方が特別だっ!」
骨の剣と鉄の拳が交錯する。
轟音ッ!
衝撃のあまり大地が窪み、吹き荒れる暴風に木々が揺れる。
どちらも退かず、骨の剣は皹が入り、鉄の拳も砕ける音が轟き渡る。
「特別だとか、そんなものは関係ありません。君は倒すっ。今、ここで、僕が打ち倒すっ!!」
「僕は負けない。ここで負ければ、目的が達成できないんだッ!」
骨が砕け散り、砕けた拳も腕に亀裂が走り、だらりと下がる。
何も言わず、二人は至近距離で向かい合い――拳を突き出した。
単純な殴り合い。
一歩も退かぬ意地の張り合いは、まるでどちらのほうが強いかという単純な力比べのように見えた。
君麻呂は血継限界と黒い模様も失い、リーは【裏蓮華】も使い尽した二人は、ままならぬ身体に気力を込めて、さきほどと比べるとあまりの遅さに同情を禁じ得ないほどの攻撃で、殴り合った。
根性だけで、気力だけで、二人は身体を動かしている。
踏み込み、
「これで……最後ですっ!」
「これで……トドメだっ!」
両者の拳が頬を穿ち――
「あ……ァ……」
「ぐぅ……ぁ……」
膝が折れる。
睨み合う。
身体のあちこちの骨が折れ曲がり、砕け、内臓も無事ではない状態で、先に倒れることを拒否するようにして――二人は同時に前のめりに倒れた。
「君麻呂、生きてるぜよか?」
鬼童丸は腕六本をあわあわと動かしながら、おそるおそる君麻呂に近づいて行った。
すると――
「――あぁぁぁっ!!」
君麻呂の身体に再び漆黒の斑点が浮かび上がる。
それだけでは留まらず、ぼこぼこと隆起する身体は人の身体を飲み込まんばかりに浸蝕していき、肌が褐色へと変化していった。
角が生え、身体が一回り大きくなっていく。
その光景を、一時休戦していた多由也とともに、サクラは見ていた。
「呪印ぜよっ!?」
呪印――?
それは何なのだろうか。
「……ぐ、ふぅ、はぁぁぁ――くっ……っ!」
「多由也っ! やばいぜよ……!」
「わかってるっ!」
もがき苦しむ君麻呂を見て、鬼童丸は慌てて生み出した蜘蛛のような糸で君麻呂を縛りつける。
多由也もサクラを一気に蹴り飛ばし、急いで君麻呂の隣へと移動した。
「逃げるってのっ!?」
「お前らは逃げたほうがいいよ。君麻呂がこうなったら手がつけられない」
忠告すると、多由也は腰に差した笛を取り出す。
心底嫌そうに顔を歪めていることから、これは予定外のことだろう。
それにしても、逃げたほうがいいとはどういうことだろうか。まるで、彼らは自分たちを殺す気がないようではないか。
思考するサクラは、しかし、リーの惨状を見てすぐに駆け寄る。
酷い傷だ。応急処置ではどうにもならないほどの姿に、どうしようかと考えかけるが、危機は去っていないことを思い出す。
君麻呂の咆哮が轟く。
「予想外の敵に痛手を負ったせいで、覚醒しかけてるぜよ……状態2だけはやばいぜよっ!」
「ちっ、抑えるよ。大見得切ってこれとか手に負えない。だから、ウチは来たくなかったんだ。家に帰りたい」
鬼童丸と多由也は印を切る。
それは封印術と呼ばれる高位のものだった。
二人による結界は君麻呂を覆い隠す。
仲間に対して何をしているのかとサクラは疑問に思うが――
「殺す……っ! 殺す、殺す、殺すぅぅぅっ!!」
結界は一瞬で壊された。
太く長く黒光りする骨の鉾を振り回し、君麻呂は異形と化した身体で暴れ狂う。
仲間のことを仲間と認識できないのか、猛威は身近にいる鬼童丸と多由也にすら及び、二人は顔を顰めた。
「殺人衝動ぜよっ! 多由也、退くぜよっ!!」
「お、おうさっ!!」
迷うことなく、二人はこの場を後にした。
「何なの……あれ」
「わ、わかりません……」
凶暴な光を宿す異形の瞳を見て、サクラはげんなりと溜め息を吐いた。
状況は最悪。
なんだか最悪な状況ばかりが続いて耐性がついたのか、サクラは乾いた笑いを浮かべている。
「はは……ふふふ……はは……はぁ……。なんかもう、変身するやつばっかね。嫌になっちゃう」
「サクラさん?」
何故だかすっきりとしたように微笑むサクラを見て、リーは心がざわついた。
見てはいけないものを見てしまった、と思ったのだ。
「私のほうが元気みたいだから、頑張るわ」
リーを抱えていたサクラが、リーを横たえて立ち上がる。
「僕が……」とリーも立ち上がろうとするが、苦痛にうめいて立ち上がることすらできない。
にこり、とサクラが笑った気がした。それは声をかけることを拒絶する類のものだった。
「来なさいよ、化物っ!」
声に反応した化物――君麻呂は理性の失った瞳でサクラを見ると、口元に弧を描いた。嗜虐的な笑みは、冷然としていた君麻呂のものとは思えない。
異形は無造作にサクラに近づいていく。
サクラの投げる苦無は全て弾かれ、起爆札は意味を為さず、糸を絡めても骨で断ちきられ、為す術なし。
それでも、自己を犠牲にしてまで戦うリーを、背後に守る仲間二人を助けることを諦めることはできない。
骨の剣がサクラの身体を削っていく。
刻み込まれるものはわざと外したもので、完璧に遊んでいる。
わかっていても、なお――
「……まだまだぁっ!!」
サクラは突貫し、頭突きを見舞った。
◆
サスケは真っ黒な空間に座り込み、映像を見ていた。
大好きだったし、大嫌いだった兄の夢を。
少し歳の離れた兄は何でもできた。
暗器も凄かった。体術も凄かった。忍術も凄かった。幻術も凄かった。写輪眼も使いこなしていた。
兄のことはとても大好きで、大嫌いで、そして――誇りにすら感じていた。
「今日はお前に構ってる暇はない」
構って欲しくて、理由をつけては喋りかけたのだが、そのたびにこう言われた。
それでも、サスケはイタチに構って欲しくて、兄のようになりたくて、過剰な努力を己に課した。
アカデミーでは常に一位。
しかし、誰にも褒められず、同期の奴らには「うちはだから」の一言で済ませられる。
心は荒む。
そんなときだ。
アカデミーで何度目か忘れたほどの一位という優秀な成績を受取り、家に帰りついたときのこと――
死体があった。
見覚えのあるものだった。
父の死骸。
母の死骸。
親戚の死骸。
何があったのか。どうしてこうなったのか。何もわからず、サスケは発狂しそうなほどに熱くなった頭を落ちつけるために、思い切り自分の頬を殴りつけた。
夢ではないようで、何度も何度も殴りつけ、一刻ほどの時を要し、現実だと理解した。
「愚かなる弟よ」
そんな声が、背後から聞こえたのだ。
振り向き、目が合うと――兄の変質した写輪眼に魅せられ、幻を見る。
「イタチ、やめろ、やめてくれぇぇっ!」
それは父の断末魔。
「どうして、どうしてこんな――っ!」
それは母の慟哭。
「助けて、助けてください……」
それは親戚の懇願。
「俺たちが何したってんだっ!」
濃密な死の光景を見せつけられ、サスケは膝をつく。
喘息のように息が荒れ、いくら息を深く吸っても落ち着かない。
ただ、目で訴えた。
――何で殺したの?
「己の器を量るためだ」
――それだけのためにみんなを殺したっていうの?
「それが重要なのだ」
何が重要なのか、今でもわからない。
その後は殴りかかり、ぼこぼこに殴られ、サスケは自分が弱いと知った。
場面は切り替わる。
「失いたく……なかったんだよ」
波の国で、自分を庇って瀕死の重傷を負ったナルトの姿。
首からぽたぽたと血を流し、身体中から針ネズミのように千本を生やしている姿は、今でも夢に見る。
悪夢だ。
『何で親は殺されたのかしら? ナルトくんは殺されかけたのかしら?』
弾劾するような――気持ち悪い声が胸の内に響く。
認めたくはない、けれど――
――全て、俺に力がなかったから。
更に場面は移り変わり、眠っているはずなのに周囲の情報が入り込む。
リーがサクラを守るために身体を酷使し、血継限界を扱う強敵と戦う姿を。
そして、ぼろぼろになったリーと自分たちを守るために、サクラが一人で異形の敵に抵抗している姿を。
ぼろぼろになっていた。
裂傷が走り、出血多量で顔は蒼白になり、無残なまでに服は千切れている。
浅く、荒い息で空気をむさぼるが、腹を蹴り飛ばされて、肺の中に残るかすかな空気が血の混じった呻きとともに吐き出してしまう。
『何でこの子はいじめられているのかしら?』
――俺が弱いから。
弱いから、傷つく。
弱いから、守れない。
力が欲しい。力が欲しい。力が欲しい。
何ものにも負けない圧倒的な力が欲しい。
仲間を害する敵を殺す為の力が欲しい。
圧倒的な暴力を成し遂げるだけの強さが欲しい。
弱い自分と決別したい。
弱りきった心は、容易く誘惑にとらわれるものだ。
ぽつんと座って、涙を流すサスケの肩に誰かの手が触れた。
『さぁ、手を伸ばしなさい。力をあげる』
振り向いた先には――
◆
息も絶え絶えに、サクラは木の根元にもたれかかっていた。
意識は朦朧とし、身体が痛すぎて、どこが痛いのかすらわからない。身体を動かそうとしても激痛が帰ってくるだけで、何も行動を起こすことができない。
(ここで、終わるのかなぁ……)
嫌だなぁ、とぼんやりと呟きながら、死神の鎌を振り下ろそうとする君麻呂を見て――諦めたように息を吐いた。
その鉾の威力はよくわかっている。
そして、逃げられないこともわかっている。
終わりだなぁ、と目を閉じると――風が吹いた。
死ぬ前に清涼な風で癒しがあるのか、と皮肉気に考える。
まだかまだかと死を待ちながら――しかし、いつまで経っても死は訪れない。
目を開くと、そこには――
「……殺してやる」
鎌を受け止めて、黒い斑点を浮かびあがるサスケがいて――
「サスケ……くん?」
酷く、澱んだ空気が落ちた。