7.
七班は大樹の根の張った隙間に巧妙に隠れていたのだが、それを見下ろす三人の影があった。
腕が六本ある異形とも言える髷を結わえた黒髪の少年と、帽子を深く被った真紅の髪の少女と、全体的に色素の薄い冷やかな顔立ちをした少年だった。全員が白い衣に黒塗りの膝丈ほどまでしかないズボンを履いている。首には音忍を示す額当てが引っ提げていた。
「ターゲットはどいつぜよ?」
腕二本だけで疑問符を表す少年は、困ったようにサクラたちを観察していた。
「ゲスチンヤロー、少しは大蛇丸様の話を聞いておきやがれ!」と罵詈雑言とも言える言葉を少女に吐きかけられ、気分が悪そうに嘆息する。
「長い話は苦手ぜよ……」
「ったく、いいかぁ? つまりだ。えーと……」
「あれだ。つまりは、こういうことであれな感じなんだよ!」と小声で叫ぶという器用なことをしながら、ちらちらと美貌の少年へと視線を流していた。
「僕が説明するよ……狙いはうちはの末裔と、九尾の人柱力。女は殺してもいいそうだ」
人柱力――一尾から九尾と言われる高位の妖魔を宿している者のことを言う。人柱ということから、生贄であることが窺い知れる。実に皮肉に満ちた名詞である。
「へっへ、燃えてくるぜよっ! 生かさず殺さずってのは一番難易度が高いって相場が決まっているもんぜよ!」
「盛り上がるのは勝手だけどね。失敗は許されない。全ては大蛇丸様のために……」
闘志を燃やす腕の多い少年に、冷やかに注意を促す。
油断も余裕もここにはいらない。常に全力で事にかかれ、と言われているようだった。
「チッ、わかってンよ」
「君麻呂はいつもそれぜよ……」
純白の髪を風に遊ばれながら、少年――君麻呂は形の良い唇を優雅に歪める。
「多由也、鬼童丸――わかってるだろうけど、くれぐれも……」
「油断はしない」
「ゲームは詰めが肝心ぜよ」
口の悪い少女の名は多由也、腕の多い少年の名は鬼童丸。
【音の五人衆】と呼ばれる彼らは大蛇丸の側近であり、最も信頼を置かれている者たち。そして、最も深い忠誠を誓っている者たちだ。
彼らが刺客となり、七班へと襲いかかる。
「……なら、いい。行くよ」
「応ッ!」と答えて、【音の五人衆】の三人は、静かに接近を開始した。
◆
ひんやりとした葉の敷き詰められた布団の上で、ナルトとサスケは横たわっていた。
血の気の引いた蒼白の顔に、少しずつではあるが朱色が混じり始め、浅く、荒かった呼吸も平常になり始めている。
口寄せで取り寄せた水の入った桶に布切れを浸し、ナルトとサスケの額に乗せた、もう温くなった布切れと取り換える。
地道な作業ではあるが、一時たりとも気が抜けず、うとうととしてしまう自分を叱咤激励しながら、サクラは甲斐甲斐しく看護に勤しんでいた。
(熱は下がってきたわね……)
今にも死にそうなほどの断末魔をあげていた二人が落ち着きの兆しを見せ始め、少しだけ緊張が緩んだ。死の気配が遠ざかり、心の底から安心してしまった。
ぴくり。
周囲に張り巡らせた糸が震え、千切れた。切れた糸がどこに設置したものかを記憶の底から引っ張り出し、おおよその方角を決める。相手の出方による対応策も瞬時に練りだして、設置した罠の中で使えるものをピックアップしていく。
万全のはずだ。心を奮い立たせる。
「誰? 長期戦でじわじわやるってのは好みじゃないんだけど……」
できれば逃げてくれないかな、と思いながらサクラは問いかける。
罠を使って闘うよりも、無用な戦闘は避けたいというのが本音だった。いくらなんでも二人を庇いながら戦闘を行えるほどにサクラは圧倒的な強さもないし、真正面から戦うことに優れた能力があるわけではない。自分はあくまで援護タイプ、とサクラは自覚していた。
「気づかれていたか。どうやって、って聞くのは野暮かな?」
しかし、現実は非情なものである。
警告は意味を為さず、冷然とした少年を筆頭に、草陰から三人の音忍が顔を出した。
佇まいからして強者の雰囲気を醸し出している彼らに勝つ方法を模索するが――あまり良い案は浮かばない。
「教えてもいいんだけど……その代わりに退いてもらえないかしら? 何なら【天の書】もオマケに上げるわ」
こんな交渉したって知ったらナルトはともかく、サスケは怒るだろうな――と思いながらサクラは提案した。一番の安全策であり、ナルトとサスケが行動できるようになれば、巻物二つくらいすぐに揃うだろうという算段である。
もしさっきまでのような奴らしかいないのなら、サクラは二度と中忍選抜試験を受けないと心の中で誓っていた。
「そんなのいらないよ。さっさと後ろにいるうちはサスケ……だっけか? その黒髪のツンツン頭を起こしなっ!」
「そうすりゃお前は見逃してやるぜよ」
予想通りと言うべきか、どうやら交渉決裂らしい。
リーダーの風格を持つ先頭に立つ少年――君麻呂も無表情ながらも同じ意見のようだ。どうやら見逃してはもらえないらしい。さらに、自分だけは見逃すと言う言葉まで付け加えている。聞き逃せるような言葉ではない。
サクラは今もなお眠る仲間二人に「私に任せて……」と断固たる決意を秘めた瞳を向けて、立ち上がった。
「私が仲間を見捨てるような馬鹿女に見えるっての? 屈辱だわ……」
ホルスターから一本の苦無を抜き放つと、鈍色の切っ先を君麻呂に向ける。
相手はそのような威嚇行為で動じるほどに矮小な存在ではなく――
「君たちの事情も、君の意見もどうでもいい。とりあえず、うちはを出してもらえないかな? こっちとしても暇ではないんだよ」
と凍りついた湖面の静けさを感じさせる声で呟いた。
サクラは「べー!」とアッカンベーと舌をぺろりと出すと、構えた。戦意剥き出しである。
「僕がやる」
「負けンなよ」
「誰に向かって言ってるんだ……?」
「俺がやりたいぜよ」と漏らす鬼童丸を無視して、君麻呂が一歩踏み出た。
悠然と歩く姿に警戒はなく、サクラは見下されているような印象を受ける。
舐められている。侮られている。とても都合が良いことだ。
(一対一……ね。いつ参戦されるのかもわからないし、サスケくんたちから離れるわけにはいかない。最低のシチュエーションね)
思考をおくびにも出さず、露骨に顔を顰める素振りを見せる。
「ふん、あんたが相手ってわけ? 上等ォ……」
君麻呂が無造作に腕を振る。
いつ引き抜かれたのかわからないほどの速さで投擲された手裏剣が五条の閃光となってサクラに向かって疾走する。
苦無で叩き落とせるほどの身体能力のないサクラは苦々しく思いながら両手の指全てから糸を生みだし、手裏剣を全て絡め取る。避けれないこともなかったのだが、避けたら軌道の先にはナルトとサスケがいた。それすら狙って投げたとすれば、なかなかに嫌らしい奴だと言えよう。
サクラの不可視の糸による絡め取られた手裏剣を見て、君麻呂たちはぴくりと眉を動かせた。鬼童丸の反応は特に顕著であり、今にも拍手を送りそうな様相だ。
「不思議な術を使うね?」
「どうでしょうね」
誤魔化すサクラに対し、君麻呂は困ったように首を傾げる。
「ふむ、これを殺したら大蛇丸様にお叱りを受けそう……かな?」
「何を言って……」
「さて、どんな風に無力化しよう?」
考える素振りを見せながら、君麻呂は独特の歩法で距離を詰めてくる。
かかった! 確信し、サクラは手元に手繰り寄せた束となっている糸を操作し、全ての糸を君麻呂の身体に吸着させた。不可視のそれはサクラの手元に残る一本の糸を切るだけで発動する。
苦無で、罠の軌道のための糸を断つ。
すると、糸に繋がれた無数の苦無は四方八方から大気を裂きながら、糸の終着点である君麻呂に対して飛来する。
伸縮性の強い性質に変化させた糸のせいで、ぐんぐんと速度は増し、手首のスナップで投げる苦無の速度とは比較にならないほどの速度で向かうそれは、間違いなく君麻呂に全て突き立った。
硬質な炸裂音がサクラの耳を聾する。その音は金属と金属がぶつかったような不協和音によく似ていた。
小さな的に当てた膨大な数の苦無がぶつかりあっているのだろう、と考えたサクラは、それが間違いであることを知る。
身体中から苦無を生やしている君麻呂を見て、多由也と鬼童丸は一切顔色を変えておらず、そして――カラン、と全ての苦無は何色にも染められずに、地面へと落ちた。
「応用性のある便利な術だ」
あれだけの猛威を受けながら、服が千切れているだけで――君麻呂は無傷。
(苦無が刺さらない? 何なのよ。中忍選抜試験受けに来るような奴には苦無は意味ないわけっ!?)
二度と中忍選抜試験を受けるものか! とサクラは心の中で憤慨しながら、カカシのことを脳内で三回ほど撲殺し、現状を打開する策を考え始める。
何故効かなかったのか、幻術ではないらしい、服が千切れていることから確かに当たっている、疑問が浮かんでは解消されることなく思考の外に放り捨てる。
「じゃあ、こんなのはどうよ!?」
刺突が効かないのなら――君麻呂に吸着させた【チャクラの糸】を操作し、縛り上げる。
縛り上げるように力を込めて引っ張り上げる。目的は、縊り殺すこと。
急に自由を封じられた君麻呂は驚きの表情を浮かべながら「金縛りとは違うみたいだね」とぼやいている。余裕の表情。
「んぐ……ぐぎぎぎぎっ!!」
顔が真っ赤になるほど引っ張るが――
「ふむ、細い糸で切り裂こうとしてるのかな。けど、僕には効かないよ」
力に耐えられず、糸が千切れた。
「そういう体質だから」
鋼線のような性質を与えた糸が、人の肌すら切り裂けずに、千切れた。
「……嘘?」
サクラは呆然自失となる。
糸が効かない体質。どんな体質なのだろうか。特別肌が硬いのだろうか。かといって、見るからに綺麗な肌をしていることから、岩肌とも考えられない。
このような敵は初めてで、サクラの思考は混乱する。
どうすれば――こんな馬鹿げた敵に勝てるのか。
「気持ちはわかるけど、嘘じゃない。これは現実さ」
呆けたサクラに対し君麻呂は接近して、拳を振り上げた。
しかし、それは振り下ろされることはなかった。
疾風の如く突如現れた全身緑色のタイツを着ている少年が乱入し、君麻呂を蹴り飛ばしたのだ。
残心を見せながら、その少年はサクラの前に立ちはだかる。
正義に燃えるその姿は、見覚えのある――夢に出そうなほどに濃い少年であり、初対面でサクラに告白して来た奴だ。
「違います。これは浪漫です! 可憐な少女が、美しい少年に守られる。まさに青春ですっ!」
「……誰、かな?」
冷めた美貌を顰めながら、君麻呂は問う。
「木の葉の美しき碧い野獣――ロック・リーだっ!」
対するそいつはエヘン、と胸を張ると咆哮した。
格好良いと思っているのだろう、古臭さを感じさせるイカしたポーズを決めながら、実にイカした叫びだった。
「何であんたがここに……?」とサクラが聞くと、それは野暮なことであるかのように「チッチッチッ」と指を振る。前時代的な仕草に、サクラは場の雰囲気を忘れて噴き出しそうになる。こらえるために数秒のときを要した。
だが、
「僕は……貴方がピンチのときはいつでも現れますよ」
「それだったら遅くない? 私さっきもピンチだったんだけど……」
真顔で言われたその言葉に、心臓が高鳴る。殺し文句にもなりうるそれに頬を染めて、そっぽを向いた。
「そ、それはすみません。遅れました!!」
「でも、ありがと。心強いわ」
本音である。
リーは心の中でこっそりとガッツポーズを決めた。「ガイ先生、僕、青春してますっ!」とできるだけナウい言葉を紡ぐために思考するが、心の中でナイスなポーズを決めている濃い眉が印象的なマイト・ガイ熱血先生は「思ったことを素直に言うんだ! 心がこもっていれば、絶対に届く!」と激熱な拳とともに言葉を投げかけてくれた。「オスッ!」と返事をして、ドキドキと鼓動する心臓をうるさく感じながら、リーは言った。
「前に一度言ったでしょ。死ぬまで貴方を守るって」
「困ったな。惚れちゃいそう……」
「構いませんよ。いくらでも惚れてやってくださいっ!!」
サクラの言葉に心臓が爆発しそうなほどに脈打つ。生まれて良かった! と見たこともない神に感謝した。どこからか「応援してるぞー」と間延びした声が聞こえた気がする。
「はは、嬉しがってくれるのはありがたいんだけど、とにかくこの状況どうにかしない?」
「そうですねっ!」
リーの体術の凄まじさを思い出したサクラは、後ろから援護に徹することに決める。もともとそっちのほうが得意だ。
相対する君麻呂たちは――
「手伝うぜよ?」
「いらない。僕一人で構わない」
「相変わらずの自信っぷりだな……胸糞悪くなる」
仲間の援護を断り、一人で戦うことを宣言する。
どこまで信じていいものかはわからないが、すぐに加わってくるということもないだろう、とサクラは考える。
すると、リーがサクラのことを心配そうに見つめてきた。自分の服を見ると、サクラは苦笑する。腹のところに大きな穴が空いているというセクシーな格好で、しかも、血でぱりぱりに乾いているのだ。普通は心配する。
「戦うわ。私の服からして手酷い傷を受けてるように見えると思う。けど、なんでか無傷なのよね」
ちらりとナルトを見た。
サクラは間違いなく、一度腸をぶちまけられた。間違いなく即死していたであろう。もしくは気絶していたのか、サクラの意識がない間に何があったのかはわからない。
けれど、自分とは違う何かを身体の中に感じる。それは何故か、とても温かいもので、時折見せるナルトの優しさに似ていた。
勘違いだろうけど、とサクラは思う。
いらないことを考えた。思考のスイッチを入れ替えて、戦闘用に切り替える。
「そうですか。では……」
「――行くわよっ!」
リーが疾風となり、君麻呂に飛び掛かった。
低く跳躍したリーは迎撃しようと膝を突き出す君麻呂の攻撃を掻い潜り、地面すれすれを這うように足を回転させる。
「木の葉旋風っ!」
体重全てを乗せているかのような水面蹴り。
大きな円軌道を描くそれは容赦なく君麻呂の軸足を薙ぎ払う。君麻呂は衝撃に負け、刈られとられた足を絡まされ、宙を舞う。そこにサクラの糸で操作された棒手裏剣が牙を剥く。狙われたのは人体急所である鳩尾や脇の下、上腕骨の隙間や金的などだ。全て一撃必殺となりうる箇所であり、過つことなく、サクラの苦無は的確に急所を捉えた。
しかし、硬質な音を立てて弾かれる。
(……なぜ、弾かれるの?)
攻撃を一時中断し、サクラはリーと君麻呂の戦闘を見ながら分析を始めた。
「木の葉大旋風!」
先ほどの水面蹴りよりもさらに勢いのある水面蹴りを君麻呂は跳躍して回避する。待ち伏せていたかのように、リーは一回転して勢いを増した後ろ回し蹴りを繰り出した。
腕を固めて君麻呂は受け止めるが、衝撃に負けて吹き飛びかけるが、足を伸ばして地面を踏み砕き、耐え抜いた。
しかし、リーの連続攻撃は止まることなく、上段蹴り、中段蹴り、首を狙った足刀から、振り上げた足の踵を君麻呂の頭蓋に叩き落とした。
たたらを踏む。
よろめいた君麻呂の足に糸が絡みつき、動きが阻害されたところへ、リーが突進して肩からのブチカマシを与えた。
勢いそのままの体当たりを受け流すことすらできず、君麻呂は木の幹へと強かに打ち付けられる。大樹は震え、木の葉が大量に舞い落ちる。
「驚くほど柔軟……それに独特な動きをしますね」
「お前は直線的過ぎるな。後ろからの援護で、随分と隙が消えているが」
構えを解かず、リーは警戒を露わにしている。
何度も会心の一撃ともいえる打撃を与えたのだが、そのたびに鈍い――人体を殴っているとは思えない感触が拳に広がっていくのだ。おそらく、何らかの方法でダメージを軽減されているのだろう。ゆるやかに立ち上がる君麻呂からは、未だに余裕が窺えた。
「君麻呂、やばいのならウチが片方受け持とうか?」
「いや、いい。少しだけ本気を出す」
多由也の援護を拒否すると、君麻呂は白い衣を肌蹴させた。
しなやかな身体はそこはかとなく妖艶な印象を与え、サクラは目を見開いた。大好物である。けれど、戦闘中であることを思い出し、自らを戒めた。見たいのならナルトとサスケが川辺で遊んでいるときにじっくりとガン見すればいいのだ。よくやることである。新鮮な記憶を脳内から引っ張り出して目の保養を思い出すと、落ち着いた視線を君麻呂に向けた。
肌蹴られた肩口に君麻呂は手を添えると、肩の骨が突き出てきた。信じられない光景に、先ほどとは違う意味で目を見開く。肩から突き出た骨を君麻呂は握りしめると、一気に引き抜いた。
突き出た傷口はふさがり、骨がなくなったはずなのに、腕は普通に動いている。ありえない。普通の術ではない。
サクラの明晰な頭脳は、それだけのおおよその答えを弾きだした。
「なるほど……骨を操る血継限界? たぶん、そのせいで刃が通らなかったわけね」
「教える義理はない」
それもそうね、とサクラは頷く。敵に技を教えるメリットがない。
リーはふるふると震えながら、闘志を燃やしていた。
「血継限界。また才能――ですか。けど、努力の前では才能などという脆いものはあっさりと瓦解しますっ! 青春は全てを凌駕するっ!!」
「それ、いいわね。一口乗らせてもらうわよ」
「フン……」
そこからの戦闘は熾烈を極めた。
骨の剣を自在に操る君麻呂の攻撃をリーが対処し、後ろからサクラが糸を駆使して君麻呂の行動を阻害する。隙を見つければ苦無による刺突、拳による打撃、蹴りによる薙ぎ払い、などなどあらゆる攻撃をしていたのだが、いまいち効果がない。
乱れ狂った舞は危うい均衡を保っていた。
そのときだ。
剣を掻い潜り、軸足で君麻呂の足の甲を砕かんばかりに靴裏で踏みつけて、肋骨を折る勢いでリーは鋭利な肘を突き出したのだが――
「唐松の舞……」
君麻呂の全身から剣のように鋭く輝く骨が突き出された。
驚愕の声をあげながら、優れた動体視力でリーはなんとか直撃を避けるが、ダメージは避けられない。肘には大きな裂傷が走り、腹や頬などにも浅い切り傷が浮かび上がっている。
打つ手なしか――とサクラは諦めかけるが、骨で守られていない急所を探る。
(骨で受け止められる。苦無は刃が刺さらない。私の手札ではどうしようもない……いや、目? そうと決まれば……)
狙いは定めた。
後はリーが注意を逸らしてくれるだけでいい。
「どうやら、僕も出し惜しみしていられるような甘い敵ではないことはわかりました。全身全霊で行かせてもらいます」
下忍ではサスケもかなり速いほうではあるが、それを更に上回る速度で、リーは君麻呂に対して突進した。
君麻呂が反応すらできないほどの超高速の運体により、君麻呂の懐でリーは一気に屈みこみ、顎を蹴り砕かんと上空に向かって足を突き出した。
堪えることすらできず、君麻呂は宙空に放り投げられるが、リーは何かに縛られて追撃を許されない。
(……今っ!)
しかし、上空で体勢を整えられていない君麻呂に対し、サクラの追撃が行く。眼を狙った幾条もの棒手裏剣。当たれば眼球を通りこして脳髄すら破壊するだろうそれは、何かに絡め取られて失速した。
君麻呂はそのまあ綺麗に着地すると、恨めし気に鬼童丸を睨みつける。
「自分でどうにかできた」
「強がるんじゃないぜよ。そのままだとオカッパの奴にぼこぼこにされるか、目、潰れてたぜよ」
鬼童丸が作り出した縄のような太さの白い糸がリーを束縛し、苦無を絡め取っていたのだ。サクラは知れず、舌打をする。絶好のチャンスを潰された。
糸をどうにかしようと足掻くリーに多由也がゆるりと近づき、蹴り飛ばした。
「――ぐぅっ!!」
地面を転がるように蹴りつけられたリーをサクラは受け止める。
万事休すだ。
冷や汗が止まらず、敵が本気になってしまったことに諦念すら覚える。
「どうせ勝てるんだし、さっさと終わらせちまおうよ。ウチ、めんどくなってきた」
「俺もだぜよ」
「仕方ないな……」
戦力差に嫌気が差す。
戦術を練り上げようと思考するが、罠ももうないし、人数が多いことから、【水遁・水牢の術】も役には立たない。敵の糸の性質も未知数。情報が足りない。こちらの戦力が足りない。
敗北。
不吉な二文字が脳裏にちらついた。
だが、諦めてないやつがサクラの腕の中で立ち上がろうとしている。
「……先生、立派な忍になるのは無理かもしれません」
ぽつりと呟いた言葉の意味は理解できないが、リーも何かを諦めたようだ。
よろりと立ち上がると、腕と脚につけた何かを地面へ落とす。
地響きが起きたのかと思うほどの轟音が鳴り響いた。
(重り……? こんなのつけて戦ってたわけ!?)
だが、それでも勝てないだろうな、とサクラは思う。重りを外すということは打撃の威力が下がるということなのだから。
逃げるのかな? きっとリーなら逃げ切れるだろう、とサクラはかなり失礼なことを考えている。そんなことを考えているはずがないのに。
リーは思いだしていた。
『リー、凄いぞ! やはり、お前だけが習得したか……だが、これは"禁術"とする』
これから使う術は身体に甚大なダメージを被るもの。簡単に使っていいものではない、まさに秘奥とも言うべきものだ。
絶対に使うな、と敬愛すべき師匠にきつく言われているが、使っても良い条件が一つだけあった。
『使っていいのは――大事な人を守るべきときだけだ』
まさにそれが今なのではないだろうか。
ちらりとサクラのことを見た。
諦めたような光のない瞳はリーに逃げろと言っている。惚れた女の前で良い格好すらできない自分が情けない。
だから、格好良い自分を見せるために、リーは無茶をする。
(好きな人のために命を賭ける。これこそ究極の青春ではないでしょうか……?)
思い込みなのはわかっている。けれど、リーのよく知るマイト・ガイ先生ならきっと笑ってこう言ってくれると思うのだ。
『仲間を守るためなら、命すら投げ捨てろ』
間違いないな、と苦笑する。
それが好きな人であるなら尚更だ。
女を守れない男に価値はない、とリーは考える。
「【裏蓮華】――使います」
故に、リーは命を燃やしつくす熱血の極みを使うことを決意した。