苦無などの投擲する的を多く設置された演習場がある。
忍者アカデミーの裏手にあるそこはちょっとした穴場であり、あまり人が利用されていない。
七班はそこを突いて、いつものようにこの場所で投擲武器の練習をしようと集まっていたのだが、何故かナルトとサスケしかおらず、紅一点が姿を現さない。
ジジッと鳴く蝉時雨のおかげで夏の気温が高くなるような錯覚すら覚える。ひどく鬱陶しい。
いらいら、いらいら。
ナルトは待ち時間がもったいないということで的に対して苦無を投げつけている。勢いよくぶつかったそれは、チャクラの込めすぎのせいで的を貫通し、林立する木々の一つにめり込んだ。幹の中核まで食い込んだそれはもう回収することはできないだろう。ナルトは「チッ」と舌打ちを鳴らす。
「サスケ、今は何時だ?」
「六時だな。いつも集合時間の十分前には来てるくせに、まだサクラが来ていないのはおかしい」
少しばかりキツイ口調で問われたそれにサスケは淡々と答える。
一番最初に来るのはだいたいにしてサクラである。集合時間の二十分前には練習を始めていることが多いのだ。そのサクラが遅刻というのはおかしい。
あっ、とナルトは拍手を打つ。
「そういえば昨日帰ったときにはぼろぼろだったしな。筋肉痛で動けないんじゃねぇのか?」
「なるほど……どうするか」
二人とも無自覚ながら、口が弧を描いている。
「見舞いに行こうぜ。筋肉痛で動けないなんて可哀想だし、俺たちだけで修行をするなんて卑怯だろ」
「そうだな。卑怯だ。実に思いやりのない話だな。だけど、俺はサクラの家を知らないぞ」
「さて、ここに地図がある。このマークは何でしょう?」
見るとそれは木の葉隠れの全体図。そして、マークは「桜」と書かれているものだ。
もしや――
「……サクラの家か!? なんでそんなものを!!」
「こんなこともあろうかと思ってな。昨日影分身に鳥に変化させて追跡させていたんだ」
「お前……! 大した奴だ……」
「見損なったか?」
「そんなことはない。感動していただけだ」
「行くか」
「あ、そうだ。見舞いの品はどうする?」
「こんなこともあろうかと! ここには林檎がある」
どれほどまでに用意周到なのか。
さすがのサスケもげんなりである。先ほどまでイライラしながら苦無を投擲していたのは演技だったのか。そうとしか考えられないほどである。
「正直な話、サクラの部屋がどんなのか興味がある。どうせくっだんねーものがいっぱいあるんだぜ?」
二人で妄想を繰り広げる。どのような部屋なのだろうか……と。
イメージとしては簡素な部屋だ。あまり何もなく、あるとしても本などだけ。畳張りの上にひっそりと布団が畳まれている。純和風の部屋――
「お堅い本が多そうだよな」
「言えてる、言えてる」
興味が湧いてくる。
悪ガキ二人組は基本的にサクラを弄ぶことが大好きだ。嫌がられるほど楽しい。
気づいているのだろうか。
基本的に小さな男の子というものは、好きな子をからかって遊ぶ習性があるということを……
「見てのお楽しみか」
「そうだな」
たぶん、気づいていないのだろう。
ステップを刻みながらサクラの家へと向かう二人は、凄く楽しそうだった。
◆
六畳ほどの小さな部屋の中、ファンタジーが繰り広げられている。
色合いとしては淡いピンクの壁紙が張られていて、ふわふわの羽毛ベッドも壁紙に合う色調だ。
枕元には多くの人形が置かれており、手作りなのか――兎や猫などの人形の中にが、ナルトとサスケに酷似した人形があった。
「身体が動かない……」
人形たちに挟まれながら苦悶の声を漏らすのは、部屋の中へも最も際立つ桃色の髪の乙女だった。ブラッシングをしていないせいか、寝癖のついた長髪はぼさぼさであり、蹴飛ばされた布団は地面に落ちているせいで露出されているパジャマから覗く身体は擦り傷だらけだった。包帯や絆創膏などが張られていて痛々しい。そして、窓から射し込む太陽光が祝福するかのようにピンポイントにヘソを照らしている。サクラは痒そうにヘソを掻いた。
満身創痍である。寝転がるだけでじくじくと背筋が痛い。
「うぅ、ここまで私の身体がダメージを負っているとは……予想外だわ。集合場所に行けない」
ちらりと目覚まし時計を見ると六時半を指し示している。
約束の時間は六時。とっくの昔に過ぎている。
時間通りに行くことが常だったサクラからすれば、約束を放り出すというのはとても胸が苦しくなる。
「ナルトとサスケくん……怒ってるだろうなぁ」
憂鬱になる。
ただでさえ前日に醜態を晒したのだ。
わけのわからない叫び声とともに、新必殺技を披露してしまった。さらには遅刻という話題まで提供してしまうことになる。どう考えてもあの二人が許してくれそうにない。確実にちくちくと嫌がらせをしてくることであろう。
深い溜め息が漏れ出てしまう。
二人のことが嫌いなわけではない。どちらかと言えば好きと言えるだろう。初めてできた仲の良い男友達だと言ってもいい。
だが、自分の今いるポジションには不満がある。何故いじられ役なのだろうか? 考えただけでむかつきが蓄積されていくというものである。
美少女(自称)たる私に対して、あまりにも失礼な行動をされているのではなかろうか!? と考えてしまうのも無理からぬことであろう。
自分の可愛らしさアピールを心の中で絶賛放映中だったときに、家のベルが鳴った。ピンポーン、という時代遅れの呼び鈴が大きく木霊する。
「サクラー、お友達よー!」
母の元気な声が聞こえて、激痛迸る身体を無理に起こしながら、サクラはよろりと起き上がった。痛さのあまり太腿が震えているのはご愛嬌というものだろうか。
「……イノかな?」と呟きながら部屋を出て、苺模様がふんだんに描かれたパジャマ姿のまま階段を下りていくサクラ。階段を降りてすぐ脇にある玄関口には見知った顔があった。そこにはナルトとサスケがいたのだ。
思考が停止した。現状を認識することを脳味噌が放棄したのだ。
「ね、ね、サクラ……どっちが本命なの? 私としてはどっちも格好良いとは思うけど……うーん! 悩むわね。ま! モテるのはいいことよ?」
母が耳元でこっそりと囁く言葉のおかげでようやくサクラの優れた脳はフル回転をし始めた。
「ちょ、違うって母さん……なんで二人が私の家に来てるのよ。それよりも何で私の家を知ってるの!?」
最初は小声で、最後は叫ぶように。音楽で言うとクレッツェント(だんだん大きく)である。音楽用語で表現したことにあまり意味はない。趣味だ。
サクラの咆哮を聞いたナルトは目を点にすると、実に爽やかに笑って答えたものだ。
「先生に聞いたんだ」
もちろん嘘である。隣でサスケが「お前さらりと嘘つくな」と感心するように呟くほどだ。サクラも「先生が教えたのか」と納得する。
実はストーキングしたなどとは口が裂けても言えない。
「あ、そうなの……で、何か用? って、母さん――鬱陶しいから奥行ってて!」
「はいはい」
隣で「本命はどっち? ねぇ!?」と囁き続ける母をリビングへと押し遣る。鬱陶しいことこの上ない。サクラの母はこと恋愛に関してはアカデミー時代の女友達よりも熱心に耳を傾けてくれるのだ。それだけならばいいのだが、口も出してくる。つまり、うざい。
すごすごと母はリビングへと歩いていき、こっそりとナルトとサスケに手を振ってにこりと笑う。ナルトとサスケの両名も愛想笑いで応対した。気づき、キッとサクラは母を睨みつけると、しょぼくれたようにリビングの中へと消えていく。
敵は去った。
「いやさ、前の勝負で勝者の命令聞くってあっただろ? だから、見に来たってわけだ」
「それはサスケくんだけでしょ!? なんでナルトも!!」
サスケの言葉にサクラは反発するが、「俺はダメでサスケはいいのか?」とナルトがしょぼくれ始める。面倒臭い!
「どっちも良くないわよ!?」
サクラの怒りに、男二人はしょぼくれた。かつてないほどにブルーである。
「サスケ、俺たち嫌われてるな……」
「そうだな……こんなに嫌われてるとは思ってなかった。もういいよ」
「え? え? え? 何でそんなに落ち込むわけ!?」
「あー、残念だなぁ」
「ナルト、この後はどうする?」
「何も考えてなかったなぁ。まさかサクラが修行サボるとは思ってなかったし」
項垂れながら、時折ちらりとサクラを上目遣いで見る二人の視線は、雨の中に打ち捨てられた子猫のような印象をサクラに与えた。
断りづらい……! しかも、なんか可愛い……!
母性本能を異常にくすぐる瞳に根負けして、サクラは仕方なく「……わかったわよ。上がりなさいよ」と吐き捨てた。
ぱぁっと笑顔になる。
「女の子の部屋に上がるのは初めてだな。ドキドキする」
「ナルトもか。俺もだ」
わかっていたことだけれど、二人の上目遣いは演技だった。
やっぱりか――という思いとともに、「女の子の部屋は初めて」という言葉に少しだけ嬉しくなる。そんなことはおくびも出さないが。
「うざいから黙ってて」
サクラは二人の前を歩きながら、二階にある自室へと案内した。
扉を開くと――そこには乙女の部屋が広がっていた。
「これは……」
「予想外にもほどがある……」
「どんだけ驚いてんのよ!」
失礼な話である。
どのような部屋を思い浮かべていたのか拷問混じりに問い質したいところだ。
もちろん、そんな時間が与えられるはずもない。男二人の好奇心はとどまることなく、サクラの部屋を蹂躙し始めた。
「おい、ナルト! このベッドふかふかだぞ!」
「おぉ……これが『イチャイチャパラダイス』に載ってたショーツってやつか。こんなもの履いてるのか?」
「見ろ。ベッドの枕元の人形の数を! おぉ、これは俺か。ナルトの人形もあるぞ……普通に上手いな」
「すげえ……! ブラジャーだブラジャー! 初めて見た」
ベッドのスプリングが壊れんばかりに飛び跳ねたと思うと、人形をいじり始めるサスケ。
ダンスの引き出しをあけて下着や服などを物色するナルト。
普通に考えて――やってはいけないこと全てをやろうとしている男二人にサクラの堪忍袋の緒は千切れ去った。
「……落ち着けええええええええええ!!」
「はい」
サクラの前で正座をしているのはナルトとサスケの二人。頭には大きなタンコブをこさえている。
「なんでそんなに興奮してるの!?」
「ギャップが凄くてさ。こんなファンシーな部屋だとは思ってなかったんだ」
「私も一応女の子なんだけど……」
「わかってるけど、なぁ?」
「うん、わかってるんだけどなぁ」
「二人がどういうふうに私のことを思っているのかわかった気がするわ……」
二人からの仕打ちを思い返してみれば、サクラは女扱いをされた覚えがない。
いつも筋トレをやらされて、お姫様だっこや膝枕などもされたけども、あれは嫌がらせの範疇に入るだろう。
ようやく思い知った。自分がどういうふうに思われていたのかを……。
筋肉痛で軋む身体と、朽ち果てた精神力のおかげで、サクラはぺたりと床に座り込んだ。なんかもういろいろと疲れたような、老人のような目つきになっている。
「で、本当に何の用だったわけ?」
まさか部屋を見に来たわけではないだろう、とサクラは信じたかった。
「見舞いにきたんだ」
「そういえば、そんな口実だったな」
「ほれ、筋肉痛が辛いんだろ? 寝てろよ」
ナルトはへたり込んだサクラを一息で抱かかえると、ベッドの上に優しく下ろす。
先ほどまでブラジャーやショートで遊んでいた奴とは思えないほどの紳士ぶりに心が打たれ、サクラはらしくもなく「う、うん……」と頷いてしまった。
「サスケ、何か皿ないか?」
「あー、これでどうだ」
「紙皿か。ま、いいだろ」
すると、手に持っていたビニール袋から林檎を取り出し、宙へと放る。ホルスターの止め具がカチッと音を鳴らして外れ、取り出された苦無が閃光の如く部屋を舞う。紙皿へと落ちた瞬間、ぱかっと割れて兎さん林檎へと進化していた。
爪楊枝を取り出すと、ぷすっと気の抜けた音とともに林檎へと刺し込まれ、サクラの口元へと運ぶ。
「ほれ、あーん」
「ちょ、え!?」
恥ずかしいことこの上ない。
ナルトがサクラに林檎を食べさせようとするのだ。
「あーん」
「……やらなきゃだめなの?」
抵抗するように苦言を漏らすが、無意味に終わり……。
「あーん」
「……あ、あーん……ん!?」
かぷっと林檎に可愛らしく噛り付いた瞬間、見てはいけないものに気づいてしまった。
母である。
扉の隙間から母の瞳がこちらに向いていることに気づいてしまったのである。
瞬間、顔は真っ赤に染まり――林檎をほとんど噛まずに飲み込んでしまった。
「噛まないと身体に悪いぞ」
心配するナルトをよそに、サクラは慌ててベッドから飛び出すと、扉の外へと駆け込んだ。サスケもびっくりするほどの神速の動きである。
ガチャリを開かれた扉の隙間からするりと外へ身体を出し、ぽかんと呆けるナルトとサスケに一瞬だけ振り向き、
「ちょっと待ってて……」
と言うなり、扉を閉じた。
サクラの目の前にはケラケラと楽しそうに笑う母の姿である。異様にむかつく顔だ。ここまで楽しそうに笑う母の姿も久しぶりに見る。自然と頬が綻ぶというものだ。
だが、笑っている原因は自分。素直に喜べない。
「母さん、何してるの!?」
「……あ、いや、サクラが男の子連れてくるなんて初めてだから動転しちゃってね。しかも二人とも男前じゃない? あーんもしてくれるなんて……本命は金髪の子? あらやだ、名前がわからないわ。自己紹介しなきゃ」
「金髪はナルト。黒髪はサスケくん。わかったでしょ? ほら、一階でゆっくりしててよ!」
「あ、もう……随分と力強くなっちゃって! 母さん、負けちゃうわ」
思い切り押すと母は諦めたのか――残念そうに階段を降りていく。
安堵の吐息を漏らすと、サクラは部屋の中へと戻ったのだが、
「ふぅ、何だってのよ、もう……ナルトとサスケくんが来たくらいで興奮しすぎ……って、待てえええい!?」
扉を開いた瞬間に目に飛び込んできた光景は恐ろしいものだった。
屈んだナルトがベッドの下にある一冊の本を手に取っているのである。それは乙女の秘密をふんだんに盛り込んだ文庫本であった。
「それは! その本だけは見ちゃらめえええええええええぇぇぇぇ!」
「そんなこと言われたら見たくなるだろ。ほら、サスケ」
「何だ?」
ナルトへと飛び掛ったサクラではあるが、本を取り返す前にサスケへとパスされてしまう。
「だめ! やめて! それだけは!!」
羽交い絞めにされたサクラはヘソが見えるのも気にせずに暴れまわるが、力でナルトに勝てるはずもなく、抵抗空しく――サスケに本を見られることとなる。
沈黙。
凄く気まずそうに「……その、何だ……ごめん」とサスケは謝る。サクラは硬直して、抵抗する力すら失った。
「凍り付いてどうしたんだよ。だらしねぇな……っと、これは……」
力尽きたサクラを置いて、ナルトは本を手に取ったのだが――
「ま、まぁ……女の子はこういうジャンル? 興味あるみたいだもんな。仕方ねぇよ」
こちらもまた凄く申し訳なさそうに本を閉じると、サクラへと手渡した。
サクラは今日、いろいろなものを失った気がした。
ナルトとサスケの気遣いの言葉が逆に辛い。いっそなら笑ってくれたほうが楽だ!
しかし。
「サスケ、帰ろうぜ。俺たちがいたらサクラもゆっくりできないだろうし」
「お、おう……お大事にな」
「またなー」
二人はそう言うと、部屋から出て行った。
残ったのは一冊の文庫本と、項垂れたサクラだけである。
「……終わった」
何が終わったのかは定かではない。