10.
波の国は多くの代償を支払ったが、穏やかな日常を取り戻すことに成功した。
外れのほうにある裏山の一角には墓標が並ぶ。
貧乏ゆえに、墓石は小さなものばかりであり、名を刻まれることもない陳腐なものだ。遺体が下に埋まっているだけマシだろうか。
そんな中、一際目立つ墓があった。
鉄塊と呼んでもかまわないような――とてつもなく大きく、分厚く、武骨な剣が突き立てられていた。
斜陽に金色の髪を染められながら、少年は黙祷する。
思い出すのは決戦の日のこと。
多くの人が死んだ。多くのものを失った。多大な消失とともに、平和を手に入れることに成功したわけだが、ハッピーエンドとは言い難い。
それに、報酬はなしだ。それじゃああんまりだろう?
「死体が持ってるには過ぎたモノだしな」
ぼろぼろだった身体も二週間を経て万全になるまで回復したが、それは重すぎた。
【首斬り包丁】と銘打たれたそれは【霧の忍刀七人衆】にのみ受け継がれる選ばれたものしか持つことが許されないほどの業物。扱うには、ナルトにとって重すぎた。
右手を差し出して、手に取る。
あらゆる怨念が染み付いているような――不気味な感触が手に伝わる。
これは道具だ。
だが、妖刀などといわれる不吉な伝承が付属するものたちは、時に人を狂わせる魔力を放つという。
『お前も――狂わされるかもしれないぜ』
背後から小さく声が聞こえた気がする。
振り向いて見ると、再不斬がいた。
『いいのか? 俺みたいな死に様を曝すかもしれねぇ。それでもそれを手に取るか?』
くつくつと肩を震わせて嗤う再不斬。
まるで【首斬り包丁】に試されているようだった。
「上等だ。お前みたいな死に様ってことは、仲間を守って死ぬんだろ? 最高じゃねぇか」
【首斬り包丁】の柄を掴む手に、力を込める。
二の腕の筋肉が膨れ上がり、一気に――引き抜いた。
残照に染め上げられた刀身は紅く燃えているかのようで、闘志を宿した――紺碧の瞳とよく似ているような錯覚を覚えさせる。
「じゃあ、もらってくぜ」
返事はなく、再不斬の姿はもうない。
幻影だったのか、幻覚だったのかはわからない。
けれど、ナルトは不思議と良い気分だった。
刀がずしりと重い。使いこなせるようになるには更なる修練が必要となるだろう。
もっと強くなれる。
もっともっと強くなりたい。
飽くなき闘争心はカカシや再不斬などの自分より上の戦闘能力を見て開花したもの。
そして――
「もう二度と泣かせねぇから……」
自分が弱いせいで仲間を悲しませた。
ならば、強くなればいい。
それだけのことでしかないのだ。
◆
波止場で座り込みながら、サスケは物憂げに空を仰いでいた。
昼と夜の中間である紫色に染まった空は、まるで蟲の流したような不気味な色合いで、見ているだけで嫌な思い出を思い出す。
家族を失った記憶、それを為したのが兄であった記憶――何よりも心を穿つのが、自分を庇ってナルトが死にかけたという記憶だ。
原因は、自分が弱いから。
他を寄せ付けないほどに圧倒的な強さがあれば、あのような体たらくはなかった。
熱くなりすぎる性格ではなく、ナルトのように常に冷やかに状況を分析できたら、あのような勘違いは起こらなかった。
サクラのように違和感を徹底的に究明できるだけの知能があれば、あのような悲劇は起こらなかった。
全ては自分の力の無さのせい。
不甲斐なさは消え去らず、雲間から覗く銀月が垣間見えるだけで浮き彫りになる。
ざあざあと川から打ちつける波の音も、落ち着かせない理由となるだろう。
「俺には、何もかもが足りない」
少しだけ満足していたところがあるかもしれない。
サスケは、強い。
真正面からの戦闘ならば下忍で相手になるものなどほとんどいないし、今は写輪眼という強力な武器を手に入れた。
だが、再不斬みたいな敵が再び現れたらどうなるだろうか……答えは簡単に出る。敗北だ。
弱いから。
まだまだ上がいる。このままでは仲間を守ることすらできない。
強くなりたい。
「……俺は、弱い」
身体も、技も、心も、全てが完成されていない。
更なる修練を必要とするだろう。
そのための答えも既に出ている。
写輪眼を使いこなせるようになること。そして、自分の身体を苛めぬいて鍛え上げることだ。
右手にチャクラを集中していく。
ばちばち、ばちばち、ばちばち。
知らずに編み出したこの技の名は【千鳥】――カカシ唯一のオリジナルである。
本来のものとは比べ物にならないほどに弱い。
これも習得する必要があるだろう。
「そろそろ、出発か」
決戦の日で受けた傷を治すために過ごした日々は穏やかなものだった。
焦る自分と、ゆるりと流れる安穏とした日常は酷いギャップがありもしたが、それでも、悪くはなかった。
休憩は終わり。
「……強くなってやる」
一抹の寂しさを覚えながらも、サスケは七班の集合場所へと移動し始める。
◆
夜の帳が下りる。
先ほどまで五月蠅いほどに鳴いていた鴉たちも寝静まったのか、耳が痛くなるほどの静寂が落ちる。
集合場所は地蔵さまが二人ほど並んでいる場所。
そこに胡坐を書いて座ってみんなを待ちながら、実験途中のチャクラ運用法を開発していた。
手と手を合わせて、その間にチャクラを練り込んでいく。
集中する。
ゆっくりと広がっていく手の間には、無色透明の何かが紡がれていた。
それは――糸だ。
サクラは知らないが、【傀儡の糸】と呼ばれるものだ。
傀儡師たちが使うそれは、糸の繋がった人形や人を操るための道具。
玉のような汗を流しながら、サクラはひたすらに糸を練り上げる。
より細く、より薄く、より硬く、より柔らかに――チャクラを引き延ばしていく。
決戦以来、サクラはずっとこの糸の開発をこなしていた。
目的がある。
サクラは弱い。それこそ七班の中で一番弱い。
身体を鍛えはしたが、二人に体術でかなうことはなく、忍術合戦でも勝てない。頭脳労働と言えば聞こえはいいが、いつの日か役立たずになってしまう。
いや、再不斬と白と行った戦闘では正しく足手まといと成り果てていた。
このままでは駄目だ、とサクラは強く思った。
そのために必要な能力を真剣に考えた結果がこれだ。
前衛はサスケに任せればいい。オールラウンダーに何でもこなせるナルトは中衛が望ましい。ならば、自分に求められるものは後衛からの補助。つまりは、隙を狙っての敵の動きの阻害。
罠を張り巡らせる。敵を騙す。そして、極めて発覚しないもの。
答えが糸だ。
「……ふぅ」
一息吐くと、うなじにぴっとりと張り付く髪を鬱陶しそうに振り払う。
まだまだ習熟度が足りない。動き回りながら、しかも何気ない動作でこれを生みだせるようにしなければ戦いに差し支えることになる。
課題は山積みだ。
だが、遠からずこの糸が仲間を救う事になると信じられる。だからこそ、頑張れる。
再び糸を練り上げようとした――そのときだ。
「墓だろそれ……パクっていいのかよ?」
「死人に口なし。死人に手なし。有効活用してやるのが世の情けってもんだろ?」
「祟られても知らないからな」
「そんときはそんとき。サスケに泣きつく」
「迷惑だ! 来るな!!」
「あっれー、幽霊とか信じるわけか?」
「……信じねぇよ」
「あ、後ろに何かいるぞ」
「えっ、まじで!?」
「嘘だよ。顔真っ青だぞ。恐いんじゃねーの?」
「恐くねーよ!」
わいわいと仲が良さそうに喋りながら、ナルトとサスケがやって来る。
左手につけた時計を見ると、もう午後七時を指している。集合時間だ。
当然の如く、カカシの姿はないわけだが……。
自然と三人で輪になる。これがいつものポジションだ。
三人全員で頷くと、カカシを置いて帰ろうとし始める。
夜も遅く、誰にも見つからないように、ひっそりと旅立とうとしていた。
「兄ちゃんたち!」
別れが、辛いから。
だから、こんなふうにイナリに追いかけられるとは予想していなかったのだ。
サクラはおそるおそる振り返ると、そこには松葉杖をつかなければ歩くことができない、まだ傷の癒えていないイナリがいた。
涙を浮かべて、震えながらナルトたちを追い掛けている。
どうしようか、とナルトとサスケのほうを見たら、二人とも微妙に涙目だ。
だらしのない奴ら、とサクラは苦笑を浮かべる。
サクラはそのままイナリの近くまで歩いていくと、視線を合わせるために膝を曲げる。
「イナリくん、私たちはもう行くからね」
「……帰っちゃうの?」
「うん、ほら――他にも助けなきゃいけない人たちがいるからね?」
「そっか……」
しょぼくれて、イナリは項垂れる。
サクラは困ったように笑うだけで、背後で無愛想なまま立ちつくす男二人を見た。微妙に手が震えている。
巻き込んでやれ、と思ったのだ。
「ほら、ナルトにサスケくんだって言いたいことあるでしょ?」
静かな夜に、その言葉はよく響いた。
びくんと背中を反り返らせて、二人は恨みがましそうにサクラを見る。
そして、「兄ちゃんたち……」と言いながら涙を流すか弱い少年を見た。
傷を見るだけで思い出す。
ガトーの一味に虐げられても母を守りぬいた子供の姿。骨を折られても弱さを見せず、意地を貫きとおした生き様を。
不貞腐れたガキだったのに、何があったのだろう。強くなった。
けど、今は弱い。
自分の下から去っていく、僅かな付き合いの人たちを笑って見送ることすらできないほどに。
ナルトとサスケは涙をぐっと堪えると、イナリへと近づいて行った。
「これ、やるよ」
ナルトが目も合わせずぶっきらぼうに手渡したのは苦無。
「俺も、これやるよ」
同じく、サスケが渡したのは棒手裏剣。
こんなものを渡してどうしたいのだろう、とサクラは噴き出しそうになる。徹底的に不器用な奴らなのだ。
ぱぁっと表情を輝かせて「ありがとう!」とイナリは笑う。嬉しいのだろうか。
サクラとしては不満足な別れなのだが、これもありなのかもしれない。
「じゃ、イナリくん……またね」
「うん、姉ちゃん! またね!!」
元気に別れの言葉を告げて、ナルトたちは帰路へと着く。
イナリはナルトたちの姿が見えなくなっても、ずっと手を振り続けていた。
「うーん、若いねぇ」
その姿を茂みからこっそりと覗き見る影――カカシは涙腺を潤ませていた。
こうして波の国での戦いは終わり、別れることとなる。
「帰って修行するわよー!」
「付き合うぜ。刀を使った戦闘方法を確立したいしな」
「俺も試したい技がある。写輪眼とかな」
そんなことを喋りながら、のんびりと歩く七班であった。