5.
タズナが建設中である橋の下にはとても大きな川が流れている。
その幅は実に三百メートルはあろうか。水深も実に深く、多くの船が行き交っている。木製の船を櫂で漕ぐ人力のものもあれば、帆を立てて風力で動くものもあり、エンジンを積んで機械で滑走するものもある。それらのほとんどはガトーカンパニー製のものであり、流通の要を背負っている。
そんな中、川の端の方では水遊びに興じているのかと見紛うほどにずぶ濡れになっている三人の少年少女がいた。ナルト、サスケ、サクラである。
カカシの指導の下、水上歩行の行――つまりは、チャクラを利用して水の上で立つこと――をしているのだが、上手く行かずに水の中へと落ちていくのである。
こういう修行のとき、会話が尽きないほどに楽しみながら行うのが常なのだが、今日はそうでもないようだ。
水の上で危なげに揺れながら立っているナルトは、ちらりとサスケの顔を覗き見る。自信に溢れた顔つきはどこへ行ったのか。親に叱られた悪餓鬼のようにしょぼくれている。一歩踏み出そうとして、躊躇して、俯いた。髪をがしがしと掻き毟り、修行へと集中しようとする。しかし、できない。こんなことは初めてだ。
眼尻はうっすらと赤く腫れていて、微妙に鼻声だ。ずずっ、と鼻水を吸い込んで――チャクラの調節を間違えた。
ぽしゃん。
いっそ間抜けな音を立てて、ナルトは水の中へと落ちていく。が、落ちるのは下半身だけで済んだ。何故なら、サスケが一瞬で近づいて、ナルトの手を掴んだからだ。
「大丈夫かよ?」
「お、おう……サンキューな」
引っ張り上げて、再びナルトは水の上に立つ。
そのときに気づいたのか。サスケは頬を朱に染めると急いでナルトの手を放し、鼻息を鳴らす。
「勘違いすんなよ。俺はお前を許してねぇからな」
距離を取る。
許していない、という言葉に目を見開き、口を開く。音にならない声は空気に溶け込み、誰にも届くことはなかった。
逡巡する。
少しだけサスケの方へ手を伸ばしてしまうナルトだが、ぐっと堪えている。
謝りたくない。
自分は悪くない。
わかっている。サスケも悪くないのだ。
誰も、間違っていないのだ。
強いて言うならば、幼いイナリを厳しい口調で弾劾してしまったことだろうか。サクラの言う通り、大人気なかったと思う。思い出せば、あのときは八つ当たり気味だったというのもあるし、何でそんなことになったのか。それは自分が一番わかっている。
嫉妬したのだ。
親がいるという事実が羨ましかった。誇り高い父がいることも妬ましい。失ったことに対しては同情するが、死に様を考えれば誇ることこそあれ、失望する理由がわからない。さらには、あんなふうにヒステリーを起こしていても大事に保護してくれる家族がいる。自分に甘いのに、周りはイナリを守ってくれる。ナルトには手に入れられないものを持っているのに、不満を吐き出すその神経に、ナルトは激しく腹が立ったのだ。
そのせいだろう……柄にもなくサスケに対して不幸自慢などしてしまったのは。わかってもらえないと理解していることを吐き出すのは、卑怯だとナルトは思う。ナルトは、卑怯な手を使ったのだ。さらにはサスケの過去を暴き、馬鹿にした。感情を制御できなかったというのもあるし、自分と同じだと思っていたサスケが自分と違うということを知ったから、そのせいで――爆発した。
やり直したいと思う。
靄がかった視界にサスケを収める。
そろりそろりと水上を歩いていき、サスケの隣へ行く。
サスケがナルトを横目で見た。
「何だよ?」
温度のない声が空気を震わせる。
突き放すかのような、親しさの感じられないソレは、容易くナルトの心を折った。
(俺は……こんなにも弱いのか)
強くなりたいと願い続けて、そのために自分を高め続けた。
昔よりは強くなれた――そんなことを考えていたこともある。けれど、現実はそんなもの。友達との仲直りすら満足にできない弱者であることを思い知らされた。
「……なんでもない」
曇った眼は気づけない。サスケの瞳がかすかに揺れていることに。
すれ違いは、終わらない。
「……先生、なにあれ」
片足で水面に立ちながら、サクラは不思議そうに呟いた。
仲直りまだしないのかなーと楽観的に見ていたのだが、全くしない。ナルトなら自分から謝ると思っていたのに。
「男だからな。意地ってものがあるんだよ」
カカシの言葉は難しく、サクラの心には響かない。
意地っ張り。ただの馬鹿じゃないの? そんなことを思いながら、修行は続けられていく。
その間に、何度も同じやり取りがナルトとサスケの間で行われた。
もどかしい。
日が暮れるても、互いの距離は埋まらない。
◆
タズナの家の中では、慎ましやかながらも豪勢な食事が振舞われていた。
それを食すのは川での修行によりどろどろになった七班のメンバーと、タズナの家族だ。
無言でぱくぱくと食べているのは初日とは全く違い、温度に欠けるもの。無言で、居心地が悪そうにひたすら飯を掻き込んでいる。
窓から見えるのは下弦の月。
電灯でうっすらと照らされる食卓は、自然の光が灯される外よりも薄暗く見え、重い空気がのしかかっていた。
サスケとナルトは隣で座っているにも関わらず、決して目を合わせようとはしない。仲違いしたままだ。
嘆息しながら見守るのはカカシとサクラ。
根が深い。
自分たちが作り上げてきた生き様を真っ向から否定し合った。どちらかが先に折れればすぐ仲直りするのだろうが、それでも、信念を曲げることができない不器用な二人は、決して自分から謝ろうとはしない。
黙々と食が進んでいく。
そんなとき、椅子を乱暴に押しのけて叫んだ子供がいた。
「なんでそんなになるまで必死に頑張るんだよ! 修行なんかしたってガトーの手下には勝てないってのに!
いくら格好いいこと言って努力したって、本当に強い奴の前じゃ弱い奴はやられちゃうんだ!」
イナリである。
泥まみれになった不潔な二人に対して――サクラは結局一度も水の中に落ちることはなかった――感情をぶつける。
「負け犬のくせによくわかってるじゃねぇか」
ぽつりと呟いたのはナルトだ。ぎろりとサスケが睨みつけているが、そんなものは無視している。
イナリは、怯む。
静かに怒るナルトの視線を見て、怯えたのだ。深く――底が見えない瞳の中は、イナリにとって恐怖の象徴。
何を考えているのか、わからない。
だが、止まれないときもある。
ナルトたちの努力をする姿は、努力していない自分を無言で責め立ててくるようで、イナリは――
「お前ら見てるとムカツクんだよ! この国のこと何も知らないくせに出しゃばりやがって!
お前にボクの何がわかるんだ! つらいことなんか何も知らないで、いつも楽しそうにヘラヘラやってるお前とは違うんだよぉ!」
「何言ってるんだ? お前のことなんかわからないし、わかったなんて一言も言ってないだろ。それに、いつ俺がお前を助けるなんて言った? 勘違いも甚だしいな」
返答は、意外なものだ。
助けてくれない……? 聞いていない。イナリはそんなもの、聞いていなかった。
「俺以外の奴はどうだか知らないけど、俺はお前を守る気なんかねぇよ」
ナルトも席を立ち、呆然と立ち尽くすイナリのほうへと歩いていく。
「ナルト! お前……っ!」
「サスケ、少し黙ってろ」
止めようと立ち上がるサスケの肩に手を置いたのは、カカシだ。
振り払おうとするが、強靭な力で抑え込まれて、動けない。
その間にもナルトはイナリの近くへ行き、腰を下ろして視線を合わせている。
じっと見つめる眼は逃げようとするイナリの姿を捉えて離さない。
「そのままじゃお前……一生変われねぇぞ。ちっとは根性出してみろ」
涙が浮かび、震えだすイナリのことを、決して逃がしはしない。
「話は聞いた。目の前で父親殺されたんだろ? むかつかねぇのか。やり返したいって思わないのか。勝てない敵には挑まないのか。そりゃ利口な考えだけど、お前のやりたいことは何なんだ?」
心を引き裂く。
今までの自分を全否定する言葉は、ことごとくイナリの精神に入り込んでいく。
「俺はお前のことなんかわからないから、これは推測でしかないけどよ。言葉の端々から感じるよ」
何をだよ、イナリは呟く。
目を逸らし、ナルトの方を決して見ようとはしない。
だが、顔を両手で挟まれて、無理やりナルトに目を合わせられた。
偽りは許さない。
「ガトーの手下に勝ちたいんだろ? 本当に強くなりたいんだろ? それなのになんで行動しないんだ? 少しずつ始めればいい。できることからこつこつ積み重ねていけばいい。何もやらないより随分マシだし、運が良ければ今すぐにでも勝てるかもしれない」
頭が痛い。
胸がばくばくと鼓動する。
お前のやりたいことは何だ。
反芻する。
「ボク……は……」
涙は頬を伝って、地面へと落ちる。
ぽとぽと。ぽとぽと。ぽとぽと。
「本当に大切なものは自分の両腕で守る――良い言葉だな。お前の父親はたぶん、格好良く死んだんだろうよ。で、お前はどうしたいんだ?」
やりたいことは――
「知らないよっ!!」
イナリはナルトの手を振り払うと、背を向けて走り出した。
煌々を夜空を照らす月や星は、いつだって道を照らしはしない。うすぼんやりと照らすだけだ。
「知らないと何も始まらねぇんだよ」
寂れた家の中、木霊する言葉は――穏やかに染みこんで行く。
◆
轟々と風が吹き荒ぶ。
身体を打ち付ける暴風が今は心地よく、桟橋に座り込んで、サスケは月を見上げていた。
思い出すのは『うちはの悲劇』と呼ばれる記憶。
失われた家族を殺した唯一の兄。いつも金魚のフンのように付いて回って、上手く言いくるめられて家へと帰されていた忘却の彼方にある幼き日の思い出。終幕は、血染めで終わったわけだが。
楽しき日々に塗り潰されて、思い出は消えていく。今は昔ほど、兄を殺したいという感情は失われている。
殺さなければならない、という確信はある。だが、感情が伴っていないのだ。
全ては、ナルトのせいであり、サクラのせいだ。
楽しすぎる日常が自分の憎悪を掻き消していく。それでもいいんじゃないか、と思う自分が怖い。
そして、もしこのまま仲違いしたままならば、きっと憎悪は戻ってくるんじゃないか、という不確かな希望が胸の内にあるという事実が、たまらなく恐い。
俺は、どうしたいんだ。それがわからない。わからなければ、先へと進めない。
皮肉なことに、ナルトの言葉のせいで、サスケの心は乱されていた。
「くそっ、あいつは何が言いたいんだ……」
呟いた言葉が、足音と重なる。ぽきりと枯れ木を踏み折った音。
振り向くと、いつものような曖昧な笑みを浮かべる白髪の男がいた。
「隣いいか」
「カカシ……」
許可を待たず、カカシは桟橋に座り込む。
サスケと同じように月を仰いで、ぽりぽりと髪を掻く。弄ぶ。
何かを、言い澱んでいた。
沈黙。
居心地が悪くなる、肩にずっしりと圧し掛かるような静寂は息が詰まりそうになり「何の用だよ」とサスケが言おうとしたときのことだ。
「ナルトのこと……許してやれ。お前だってさっきの話を聞いてわかってるだろ? 最初からあいつの態度は一貫してる。言葉が不器用なだけでな」
風が、凪いだ。
衣服が肌蹴そうになるほどの風は止んだのに、それなのに、身体が震えるのは何故だろうか。
とても、寒い。
「サスケの言葉は聞いてたよ。『失うものがないお前に――何がわかる!』って……それこそ、お前がわかってない証拠だろ?」
「何が言いたいんだ……?」
わからない。
カカシの言いたいことを、わかりたくない。
「ナルトの言葉をちゃんと覚えてないのか?」
意思に反して、サスケの優秀な頭脳はナルトの言葉を思い出す。
『俺の大切な友人がこんな爺さんのために死ぬかもしれないと思うだけでぞっとする』
任務を必死に断ろうとしていたナルトの言葉を鮮明に思い浮かぶ。
あれほど他人に対して攻撃的なナルトは久しく見ていなかった。イルカのことを侮辱されたとき以来ではないだろうか。
結論は、簡単に出た。
つまり。
「失うものはあるんだ。お前たちの命だ」
失いたくないから、必死に修行をしている。
「――任務を嫌がった理由も、渋々付き合っている理由も、全部お前らを失わないためなんだよ」
「だけど……」
わかってはいた。
実のところ、心のどこかで理解していた。
けれど、熱を持った脳髄は否定しようと試みる。
「あいつが昨日、泣いてたこと知らないだろ? お前に友達じゃないって言われて、こっそり枕を濡らしてた」
ナルトが、泣いていた。
自分も、泣いていた。
「水に落ちかけたとき。お前に助けてもらえて……凄い嬉しそうにしてた」
知っている。助けた本人なのだから、知っている。
頬を緩ませてにへらと笑った姿を一番近くで目撃したのはサスケなのだから。
「あいつも後悔してるんだよ。何度も何度も謝ろうとしてたのは、お前だって気づいてるだろ? ずっと、一人だったんだ。お前とサクラは、やっとできた友達なんだ」
「カカシはナルトの味方かよ!」
ままならない感情は、咆哮となって鳴り響く。
「……俺は七班全員の味方だよ」
にこやかに微笑むカカシの姿が――
サスケは鼻息を鳴らすと、家へと戻っていく。
カカシは一人、桟橋で佇み続けた。
◆
時を同じくして、ナルトは川の上で修行に勤しんでいた。
衣服は綺麗に畳んで川辺へと置き、トランクス一丁の姿は何故だか哀れを誘う。だが、本人は全く気にしておらず、よく鍛えられた引き締まった肉体を余すことなく外気に晒している。
月明かりに照らされた黄金の髪と相まって、まるで昔ながらの姫を助ける冒険譚に出てくる騎士のよう――というわけではなく、ただの悪ガキにしか見えない。必死に足掻く姿は、品はない。だが、高潔さはあった。自分に厳しいという高潔さが。
またもやチャクラの制御を疎かにしてしまって、水の中へと落ちてしまう。だが、救いの手が差し伸べられた。
腰まで水に浸かっているので見上げることになる。そこにいるのは桃色の髪が似合う、呆れた表情を浮かべるサクラがいた。
だらしないわね、と呟くとナルトを水から引き上げる。
違和感。
何でサクラがここにいるのだろう、と助けられながらナルトは考えた。
「……何か用か?」
川辺に移動して、座ってから語りかける。
服着なさいよ、と少しだけ恥ずかしそうに言うサクラに「俺は気にしないぞ」と伝えるが、「私が気になるのよ!」と言われて、渋々と服を着替える。身体を拭かないまま着替えたものだから、ぺっとりと肌に張り付く衣服がひどく鬱陶しかった。
「ちょっと話があって……ね。座りなさいよ」
反対することを許さない雰囲気。
仕方なく川辺に座り込むと、サクラも隣に腰を下ろす。
何だろう、と少しおろおろしながらサクラを見たり、月を見たり、川に浮かぶボートを見たりと、ナルトは珍しく落ち着きのない態度を見せる。
頭を、鷲づかみにされる。
何だぁっ! と驚く暇なく、無理やりサクラの顔へと視線を固定された。
そして。
「まずは……ごめん! 昨日は頭に血が昇っちゃって、ひどいこと言ったから」
「はぁ?」
「あんたがうざいって」
ぴりぴりとした空気を発散していたサクラが、急に謝って来た。
あまりに予想外の出来事に、ナルトは目を白黒させながら、何も考えずに返答している。ほとんど条件反射に近い。
「あ、あぁ……気にしてねぇよ」
「嘘。今すごい嬉しそうな顔してるわよ?」
自分の顔を手で触れてみる。すごく、にやけている。
ちょっとだけ考え込んで、嬉しい理由を考えてみると、すぐに答えに行き着いた。とても簡単なものだ。
「……そうかもな。俺、サクラのこと好きだし。謝られて悪い気分にはならねぇよ」
静寂。
頬を朱に染めながら、あたふたと「告白!? で、でも……私はサスケくんのことが……!」などとサクラは慌てている。何をそこまで驚いているのかナルトの理解の外である。
「何で真っ赤になってんだ? 友達なんだから好きに決まってるだろ」
友達なんだから好きに決まっているだろう。
「そういうことね……変な期待させないでよ」と残念そうに俯くサクラの気持ちがナルトにはわからない。
この男――こと恋愛感情については全く理解できないのだ。誰かに惚れたことがないのだから、当然ではあるが。
だからこそ、照れているサクラのことに気づかない。
「……? 声が小さくて聞こえねーよ」
「あんたは言葉の使い方が下手過ぎなのよ! いちいち直球過ぎ! 変なところでは気が回るくせにさ!!」
思い切りデコピンを喰らって、ナルトの頭は弾け飛ぶ。
とても痛い。
目の端から涙を浮かばせながら、潤んだ瞳でサクラを見る。
「イナリくんに期待してるんでしょ? 発破かけてるみたいだし」
そんなことはない。ナルトはイナリに対して応援したつもりなどなかった。
思ったこと言っているだけである。
「サスケくんもあんたと同じ気持ちなのよ。サスケくんの方がイナリくんの気持ちのことがわかるでしょうけどね
ま! 私にはイナリくんの気持ちがわかんないんだけどね! 両親いるし、友達もいるから……想像するしかできないのよ。
それでも、凄く悲しくなるってことくらいはわかるわ……。
あんただって、イナリくんの気持ちわかるでしょ?」
「……わかんねぇよ」
負け犬の気持ちなど、わかるはずがない。
ナルトの心は折れたことなどないのだから。折れる余裕など与えられなかったのだから。
「わかりたくないだけなんじゃないの? イルカ先生を失ったら、どう思う? 悲しくならない? 心が折れない? 私はあんたたちが死んだら、とても辛くて動けなくなると思うわ」
失ったことはない。守りきった。イルカのことは、自分の力で守りきった。
だが、先に守られたのは――
「意地張ってないでさ。謝っちゃおうよ。サスケくんだって、あんたに謝りたがってるんだから。聡いあんたのことだから、気づいているとは思うけどね。
殴ったのはサスケくんのほうが悪いと思う。けど、心を傷つけたのはあんたが先よ? 無自覚に、だけどね」
「知るかよ」
「私に言えることなんてそれくらいよ。じゃあ、帰るわ。修行もほどほどにね」
言いたいことだけ言って、サクラは帰っていった。ナルトにはそう思えたのだ。
何が言いたかったのだろう。
わからないナルトは再び服を脱ぎ散らかすと、畳みもせずに川へと飛び込んだ。
水面に片足で立ちながら、考える。
もし、サスケが死んだらどうだろう。サクラが死んだらどうだろう。イルカが死んだらどうだろう。カカシが死んだらどうだろう……。
とても悲しいとは思う。殺した奴を殺そうとするかもしれない。泣き塞いだりはしないと思う。けれど、もし殺し終えたら……? 動かなくなるのではないだろうか。動けなくなるのではないだろうか。
難しい。
ナルトは考えるのを止めた。
「お前、何でそんなに頑張れるんだよ!」
集中力を乱されて、また水へと落ちる。
完璧な不意打ちは思考を止めた瞬間を狙うかのように与えられる。
川から頭だけ顔を出してみると、川辺には拳を震わせるイナリがいた。頑張れる理由を聞きたいらしい。
今日は修行を随分と邪魔される日だな、と思いながら、ナルトは川辺へと泳いでいく。
「あー? 頑張ることに理由なんていらないだろ」
川から揚がり、身震いして水滴を弾き飛ばす。隣にいるイナリも水滴を浴びるが、萎縮することなく、ナルトを見据えている。
「うるさい! 僕が質問してるんだ!」
「藪から棒に……まぁ、いいけどよ」
ナルトは地面へと尻をつき、隣をとんとんと手で叩く。イナリは座ろうとはしないので、苦笑することに終わるが。
「自分の非力さに涙したことって……あるか?」
思い出すのはアカデミー時代のこと。
強ければ迫害されなかった。優秀であれば馬鹿にされることもなかった。協調性があれば輪の外に弾き出されることもなかった。
ナルトには全部なかった。
だからこそ、努力して全てを手に入れようと誓ったのだ。
「悔しくてさ。苦しくてさ。辛くてさ。悲しくてさ。そういう経験を糧にして、気づいたんだ。強くなったら、そういう出来事は起こらないって」
けれど、容易に手に入るものではなく、自分の時間を全て捧げても、才能のある奴には追いつけない。
「――だから、努力する。強いて言うならば、理由なんてこんなもんだ」
ならば、もっと努力する。もっともっと努力する。そうすればいつかは追いつけると信じて。
それがナルトの信念であり、生き様だ。
イナリはどうだろうか。
「……僕は、負け犬なのかな」
泣きそうな声が耳朶を打つ。
「さぁな。少なくとも、サスケはそうは思ってないみたいだったぞ。俺の顔を見ろ。お前のことを馬鹿にしたら思いっきり殴られてな。痛いの何のって……それに、サクラにも説教されてさ。ぼこぼこだよ。泣きそうだぜ……」
「サスケって黒髪の兄ちゃんのこと?」
「あぁ、あいつはお前に期待しているみたいだ。俺よりも強いサスケがな」
おかげで喧嘩に負けた、と笑いながらナルトは言う。
腫れた頬も、まだ痛む腹も、全部が全部、痛い。イナリのために拳を振るったサスケのせいで、とても痛い。
「僕も、強くなれるのかなぁ……」
からからと笑うナルトのことを見上げながら、イナリは望む。
強くなりたい、と涙で濡れる瞳は語っていた。
じっと見つめても、イナリの眼は逸らされることなく、ナルトの瞳を射抜いている。
にやりと笑う。
「なれるよ」
「けど、昨日僕は変われないって言ったじゃないか!」
「昨日のお前は変われなかっただろうな。けど、今日のお前は変われるよ」
強くなりたい、と望むのなら強くなれる。ナルトの持論だ。
昨日までは不貞腐れていたガキだったが、今は前を見ている。進もうとしている。強くなれないはずがない。
「強くなりたいんだろ? 願って行動すれば、絶対に結果は出る。お前よりは強い俺が保証してやる」
「どうやったら強くなれるの?」
認められた、と喜んだイナリは自分より強い奴に教えを請う。
それが間違いだったと気づきはせずに。
「そんなに強くなりたいのか?」
「うん!」
「じゃあ、腕立て伏せ百回だ」
ナルトは、厳しい。自分にだけではなく、他人にも厳しい。思いやりがないとよく言われる。
自分ができるのなら、他人にもできる、と決め付けてしまうからだろう。
「え、できないよ……?」
「じゃあ、お前は変われないな」
「や、やる!」
強くなれないと断言されて、イナリは腕立て伏せを始めた。
「よし、頑張れ! できるまで修行ついでに監視してやる!」
終わったのはそれから一時間後の話。
イナリは腕がぱんぱんに腫れあがり、ナルトはイナリの腕立て伏せが終わるまで水面に立ち続けたので、チャクラが枯渇してしまった。
二人とも、ただの馬鹿である。