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No.19770の一覧
[0] 北郷一刀の遠い道のり【恋姫無双】[ユアサ](2010/06/23 03:21)
[1] 二日目:虐殺の邑にて[ユアサ](2010/06/28 07:07)
[2] 三日目:劉備桃香との邂逅 (「あとがき」に追記あり)[ユアサ](2010/06/28 07:11)
[3] 外伝1:「桃香」の風景[ユアサ](2010/06/29 04:28)
[4] 四日目:陳留の刺史[ユアサ](2010/07/05 05:50)
[5] 十日目:袁術の地[ユアサ](2010/07/11 21:29)
[6] 十一日目:徴兵[ユアサ](2010/07/20 19:51)
[7] 二十日目:初陣1[ユアサ](2010/07/21 21:47)
[8] 二十二日目:初陣2-1[ユアサ](2010/07/29 07:37)
[9] 二十二日目:初陣2-2[ユアサ](2010/08/03 03:23)
[10] 二十四日目:凱旋[ユアサ](2010/08/08 05:49)
[11] 三十一日目:風との出会い[ユアサ](2010/08/16 04:21)
[12] 二ヶ月目:新しい生活[ユアサ](2010/08/27 13:47)
[13] 三ヶ月目:兵の流れ[ユアサ](2010/09/04 00:53)
[14] 四ヶ月目:帝王の宮[ユアサ](2010/10/02 00:00)
[15] 同時期:「桃香」の季節[ユアサ](2010/10/03 08:29)
[16] 七ヶ月目:再会1[ユアサ](2010/11/22 16:34)
[17] ほのぼの外伝:青と華琳の出会い1[ユアサ](2011/04/27 01:09)
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[19770] 二十四日目:凱旋
Name: ユアサ◆763d16ae ID:e092b2c1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/08/08 05:49

 程立(風)は夢をよくみた。
 穏やかな夢である。柔らかな日差しをあびながら中華の東方にある泰山をのぼり、荘重な南天門にいたる夢である。
 眼下に広がる緑がまぶしい。頬に触れる風が心地よい。
 泰山の頂上に立った風は、ふと蒼天を見上げる。そこには太陽がある。
 そこで風はひざまずき、両腕を太陽に捧げるのである。

 ――日輪を支えた。
 
 風の手には太陽の重みがある。太陽に触れてはいないが、たしかに風の手が太陽を支えているのである。
 夢のなかの風は感激し、顔を伏せ、幼い顔に涙を流した。

 ――この太陽は、誰でしょう。

 夢から目覚めると、いつも風はそのことを考えた。
 風の住む街も、黄巾党の影響で危機に瀕しているといってよい。風は一度、乱に乗じて王朝に叛旗をひるがえした県令をその軍略によって破っている。
 そのとき、風は、衰退していく中華を自分の智謀によって助けるという希望をみた。
 風の才覚が助けるのは広大な中華大陸であり、同時にそれはこの大陸を光でみたす日輪である。風が中華を照らすのではなく、その日輪が中華をあまねく照らし、人民に恵みを与えるのである。 
 その太陽の運行を支え、導くのが、風である。

 ――まずは、太陽を探しましょう。

 風は穏やかに微笑むと、役人登用の推薦を丁重に断り、旅装をととのえた。
 主君を探す放浪の旅がはじまったのである。

 はじめに冀州の袁紹を訪れ、次に幽州の公孫賛、南陽太守の袁術を訪れたが、無名の風はほとんど冷遇されたといってよい。
 袁紹と袁術からはそもそも客人として認められず、面会できたのは公孫賛のみである。
 が、その公孫賛にも風は日の光をみなかった。むしろ、その隣で不敵な笑みを浮かべる趙子龍という偉材に目をみはった。
 公孫賛は趙子龍を扱いきれていない。風の眼にはその主従が不憫にうつる。また、公孫賛に仕えたときの自分の姿をみるようでもある。

「どうやら、ここは私の居場所ではないようですねー」

 間延びした口調でそういうと、風は邸を辞し、夢のなかに落ちた。
 夢の中で、風はかわらず太陽を支えている。その太陽は徐々に巨大化している。風の細い腕では支えきれず、その寝顔は苦悶にみちている。

 ――日輪を、一緒に支えてくれる人が必要ですね。

 夕暮れで赤く染まる両の手のひらを、不安げに揺れる瞳がゆっくり這った。


 夜、趙雲が酒をもって宿に訪れた。

「会見のあと、伯珪殿はいたく落ち込んでおりましたぞ。叛旗を翻した県令の軍を破った話、実に面白い。伯珪殿としてはぜひ留まってほしいそうだ。明朝あらためて、貴殿は正式に招かれるだろう」

 趙雲が目を輝かせて言う。風に酒をすすめたが、風はそれをやんわり辞退した。

「……あたたかな日輪を、私はこの両手で支えたいのです」

 暗に公孫賛の能力を侮辱したことになるが、趙雲は気に留めない。

「ふむ、太陽とな。それは剛毅な」

 趙雲は鋭い視線を風に送った。
 というのも、日輪とは天子のことではないか。天子に仕えるには、王朝に仕える、すなわち役人になるしかない。孝廉か茂才に推挙されるしかその道はないといえる。
 が、目の前の程立という少女は、諸国を放浪して自分自身の眼で主君を探しているという。

「もうすぐ、漢王朝は滅ぶということか」

 きわどい発言である。趙雲の口調には実感がこもっている。
 その言葉の意味は、むろん風も理解している。事実、夢の中の日輪が漢の皇帝であると、風は一度たりとも思ったことがない。

「風には分かりません。風は日輪を支えるだけなのです」
「ううむ、実に痛快な話だ。私もここを出て、貴殿とともに新たな天子をみたくなった」

 趙雲は大げさに悩むそぶりをみせたが、その答えを口には出さない。

 それから話は政治と軍事の話にうつった。軍略に通じる風は孫子や六韜を説き、公孫賛のもとで政治に携わる趙雲は、王朝の腐敗、宦官の専横、官吏の賄賂を厳しく指弾し、加えて軍事と政治の実務面を説いた。
 話は深夜までつづき、酒も尽きた。

「私の真名は星という。日輪に会ったら手紙をくだされ。私も一度会いにゆきたい」

 帰り際、星が笑みを浮かべて言う。風も自身の真名を伝えると微笑み、うなずいた。
 が、親しげに真名を交わした2人の生涯を見渡してみると、趙雲と程立が次に会う場所は戦場である。星は劉玄徳の優しさに惹かれ、風は曹孟徳に日輪の片鱗をみてとった。


 趙雲を見送って、風も宿の外に出る。 
 空は満開の星である。
 一瞬、南に大きな星が流れた。流れ星である。太陽には程遠いが、白く綺麗な光を発して、南の地に落ちた。

「あまり期待はできませんが、次は袁家の嫡子、袁術さんに会いに南陽に行きましょうか」

 小さく呟くと、風は宿に戻った。
 北の幽州から南の荊州までは遠い。風の足では一月はかかるであろう。
 
 一刀が虎と出会う前夜の話である。



ーーー


 二十四日目:凱旋


ーーー


1.

 砦の惨状は筆舌に尽くしがたい。
 熱気がいまだ残っている。大地は雨でぬかるんでいる。煤や血は雨で流れていたが、人間だけが石のように取り残されていた。
 黒焦げの死体が四肢を青空にむけて伸ばしているのをみて、一刀は、

 ――胎児みたいだ。

 と思った。
 焼死体をみるのはこれで2度目である。雨と熱気で死体の腐敗が進んでおり、蝿や烏が黒い皮膚のしたの白く焼けた肉をむさぼっている。
 太陽が蒼天にのぼり日差しが強くなると、汗が自然に一刀のからだを流れた。炎の残滓に、太陽の白熱が加わるのである。陽炎があたりに立ち昇り、死体から異臭をともなう湯気がたった。

 その異常な熱気のなかで、一刀は雪蓮の召集に応じて隊列にくわわった。
 馬上で兵をみおろす雪蓮の額にも汗が浮かんでいる。
 蒸し暑い。
 空を見上げると、白い太陽が無音で燃え盛り、ゆっくり南にむかっている。その空のなかに、蝉の音がひびきはじめている。
 疲弊した兵たちは沈黙して雪蓮を仰首している。

「みんな、よくやったわね。みんなのお陰で、私たちは勝てたわ」

 厳しい顔をしていた雪蓮が、ふと微笑んだ。すると兵のなかにも微笑が広がった。歯をみせ、雪蓮に笑いかける兵もいる。
 雪蓮は兵たちをゆっくり見渡し、最後に静かに言った。

「さて、南陽に帰りましょうか……」

 雪蓮は穏やかな笑みを浮かべている。
 が、眼つきは鋭い。雪蓮の空間だけ、火に巻かれる阿鼻叫喚の夜がつづいているようである。
 兵たちは身震いした。
 二十歳を過ぎたばかりのこの女が賊どもを皆殺しにしたかと思うと、凄まじいものがある。王たる素質というものを兵たちは眼前にみた思いである。
 雪蓮はからだを興奮でみたしながら、目を見開いて山を下りた。

 正門をくぐると、大地に血の跡がこびりついている。死体のしたの大地が、染みのように黒ずんでいる。
 一刀はそれらの横を通り過ぎ、兵の集団に付き従った。
 景色は暗い。数十メートルの巨木が周囲の景色を鬱蒼としたものにしているのである。頭上からは、蝉の音と葉ずれの音がふりそそいでいる。日差しを浴びた葉は風に揺れ、緑と黄色の不思議な色あいを帯びている。
 開けた場所に出る。
 すると、遠くの地平線にふたたび山がみえる。青い大気にうっすらと濃紺の緑がうつろっている。
 幻想的な、自然の楼閣である。

 ――綺麗だ。

 と、一刀だけが景色にみとれ、小さくため息をついた。





 雪蓮の凱旋は南陽の民に歓喜をもたらした。
 わずか500の手勢で、堅固な砦に居をかまえる盗賊団を誅滅したのである。馬上で悠然と微笑む雪蓮の姿に、この乱れた中華を救う英雄像をみた者は少なくないだろう。

「孫伯符様」

 という歓声が城壁にとどろいている。もろ手をあげた数百の民が、城壁の上で雪蓮の軍を迎えている。

 ――母様。孫呉の名が、民の口から叫ばれています。

 雪蓮は感無量といった様子で城壁を眺めた。孫呉をたたえる歓声をはじめてこの耳に聞くのである。
 母、孫文台の雄姿を雪蓮はじかにみたことがない。母が盗賊団をたった一人で壊走させたという噂めいた話も人づてによく聞いた。が、妹たちを守るようにと母に言い聞かされた雪蓮は、母と戦線をともにすることなく周公謹の邸に厄介になっていた。

 ――母様も、この歓喜の叫びを聞いたのかな。

 民は笑顔である。そして、孫呉をたたえる民は孫呉の民である。雪蓮が守るべき民といってよい。
 城壁の民をみあげる雪蓮の表情は、童女のようにあどけない。

 朗らかに笑うと、雪蓮は城門をくぐり南陽太守の邸に向かった。袁術に戦勝を報告するのである。
 袁術の楼閣は、陽の光をうけて金色に光っている。道中民に笑顔を振りまいていた雪蓮の顔が、しかし楼閣をくぐると一変した。怒った虎のようである。目を吊り上げ、唇を痙攣させ、邸を睨みつけている。
 が、ふと穏やかな笑顔にもどると雪蓮は馬をおりた。
 ゆっくり袁術の邸に入っていく。剣は腰にさげたままである。その剣把を、一度雪蓮の右手がそっと触った。
 



2.

 謁見の間である。
 玉をはめ込まれ、金箔をふられた玉座に座って、美羽は一段下で拝礼する雪蓮をみおろしている。
 美羽の隣では七乃が立っている。その七乃も、意味深な笑みを浮かべて雪蓮の頭をみつめている。
 
「見事じゃ孫策。妾はてっきり、負けるかと思っておったぞ」

 美羽は雪蓮の報告をきいて感嘆した。なんと、孫策は火炎に逃げ惑う賊を追って200余りの首級をあげたというのだから驚きである。焚殺された賊の人数を考えると、ほとんどの賊が雪蓮の剣で撃殺されたことになる。

「聞きしにまさる勇猛さじゃ。孫呉の名に恥じない働きぶりであるの。褒めてつかわすぞ」

 両手でもっていた鼎の中身を飲み干しながら、美羽が言う。
 鼎に入っていたのは蜂蜜水である。最後の一滴まで飲み干すと、唇をぺロリとなめて満足そうに微笑み、長いため息をつく。

「は~。蜂蜜水は、やはり美味じゃのぉ」

 美羽の笑みにつられて七乃も笑った。

「お嬢さま。お昼の蜂蜜水はそれで終わりですよ」
「ふむ……仕方ないの。さげてたも」

 美羽の手から鼎を受け取るとき、七乃はふと雪蓮を一瞥した。
 雪蓮は長い肢体をだらりと弛緩させて立っている。そっと眼を伏せて、奇妙な笑みを浮かべている。唇が、なにかつぶやくように動いている。
 その孫策の様子を横目でうかがいながら、七乃は静かに美羽に耳打ちした。

「――お嬢さま、お嬢さま。孫策さんをうまく使えば、天下がとれるかもしれませんね」

 七乃の顔はあかるい未来に輝いている。自然、その言葉も喜色のにじんだものとなる。

「天下、とな?」

 美羽が不思議そうな顔つきで七乃をみあげる。
 幼い美羽には天下の意味がわからない。

「天下をとると、なんと蜂蜜水が飲み放題なんですよ」
「そ……それは本当かの?」

 美羽は鳥の羽で覆われた扇に隠れて、生唾を飲み込んだ。美羽の白い喉がごくりとうごめく。
 からだの向きを変えると、ふたたび七乃に小声で問う。

「じゃがの、七乃? じゃが……。天下というものは、主上が聞こしめしているのではないのかえ? 麗羽がそう言っておったぞ」

 主上とは皇帝のことである。ちなみに、いまの治世は霊帝宏の時代である。
 前漢を簒奪し、「新」という王朝を開いたのが王莽(おうもう)という人物である。この王莽を破り、漢王朝を再興したのが光武帝秀である。この光武帝から後漢王朝は始まることになるが、霊帝は光武帝から数えて12代目となる。
 180余年続いた王朝は腐敗し、すでに正常に機能していない。腐敗を正すべく奮闘した清冽の士は、十数年前におきた「党錮の禁」という事件ですべて抹殺された。いまとなっては誰も宦官のひねり出す汚泥を浄化しえないのである。

「たしかに袁紹さん、そんなこと言ってましたね」

 七乃は長い息を吐いた。懐かしそうな口ぶりである。
 七乃が思い出したのは、荊州刺史の陰謀から逃れ、袁紹のもとで過ごした歳月である。
 誼をつうじている大将軍何進(かしん)を動かして、荊州刺史の一族を獄にくだし美羽を南陽太守に任命するという勅許をえた袁紹は、嫌がる美羽を膝のうえにのせ、かつてこう言った。

「よくて、美羽さん。主上の天より高い寛大さと、わたくしの海より深い愛情を忘れては駄目ですわよ」

 子守唄をうたうように言いながら、袁紹は美羽の小さな頭を撫でつづけた。
 このときの美羽は袁紹の幼いころの衣服を着ている。また、泥だらけであった髪も柔らかく巻いている。

「はい……。わかりました、お姉さま」

 麗羽の優しい指使いを感じながら、美羽はうなずいた。
 妾腹の分際で嫡子にかしずこうともしない袁紹に、美羽は良い感情をもっていない。だが、たしかに感謝もしていた。
 自身の危難を救ってくれたその袁紹が、主上に感謝するようにと言ったのである。


「太守の妾は、主上に仕えているのであろ?」

 美羽は玉座の肘掛けを不安そうにさすり、七乃をみあげた。
 七乃は妖しい微笑を浮かべ、美羽をじっとみつめかえす。

「天下をとったらお嬢さまが皇帝になればいいんですよ。そうすれば、主上に仕える必要がなくなります」

 それを聞いた瞬間、美羽のからだがびくりと跳ね上がった。それから眼を丸くして、しばらく七乃をみつめた。
 美羽の瞳が次第に輝きを増し、鋭い光を帯びていく。この目の光は、王族をのぞいて中華でもっとも高貴である袁家の威光のきらめきといってよい。
 生まれながらに周囲の人間にかしずかれて育った美羽は、王という存在に畏怖を抱かない。それは袁紹も同様である。

「な、なるほど……それは気がつかなかったのじゃ。さっすが妾の七乃じゃ。頭がよいの」
「そんな、お嬢さまほどじゃありませんよ」

 扇のかげに隠れて、美羽は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 ちらりと雪蓮をみつめる。
 扇の向こうにいる雪蓮は、先ほどと同じ姿勢で不気味な沈黙をたもっている。
 美羽と七乃はもう一度顔を見合わせ――唇に人差し指をあてるとおかしそうに笑い、雪蓮に向き直った。

「孫策。いま妾はとてもご機嫌じゃ。褒美をとらそう」
「そう、ありがと。何をくれるのかしら」

 雪蓮がふと眼をあげ、微笑した。

「そうじゃの。ここは、思いっきり奮発してやろうかの。のう、七乃?」
「はい、お嬢さま。孫策さんはとても頑張りました」

 七乃がうなずく。
 すると美羽は思案げに顎に手をあて、うなり声を上げた。首を幾度も傾けると、すがるような瞳で傍らの傅役をみつめる。

「何がよいかの……」
「お嬢さま。人に贈り物をするときは、まず自分がもらって嬉しいものを考えるんですよ」

 それを聞くと、美羽は目を輝かせ、手を打った。

「そうじゃ、孫策。そなたには妾の大切な蜂蜜をやろう。心して味わうのじゃぞ」
「蜂蜜?」

 雪蓮がわずかに首をかしげた。

「そうじゃ、蜂蜜じゃ。嬉しかろ?」

 美羽は胸を張り、満面の笑みを浮かべて雪蓮をみおろしている。

「……まあ、ね。ありがと、美羽ちゃん」

 そう言うと、雪蓮は笑った。雪蓮のからだが小刻みに震えている。腰元の剣が揺れ、固い金属音が謁見の間に鳴り響いた。
 ひとしきり笑ってから、雪蓮は奇妙な微笑を頬にあらわした。美羽をじっと凝視し、言う。

「で、美羽ちゃん。私はもう帰っていいのかしら」
「うむ。蜂蜜はあとで届けておくのじゃ。楽しみに待つがよい」

 美羽の声は明るい。雪蓮の笑声をきいて、美羽のこころは晴れやかである。
 雪蓮は軽く拝礼するとその場を辞した。颯爽とした歩みである。雪蓮は一度も振り返らずに扉を開け、くぐった。

 雪蓮の姿がみえなくなるのを待ってから、美羽は嬉しそうに七乃をみつめた。
 その瞳には、悪戯が成功したときに似た輝きがある。

「孫策のやつ。蜂蜜がよほど嬉しかったのじゃな。あやつが声をあげて笑うところなぞ、初めてみた」
「きっと、いつも蜂蜜水を飲んでいるお嬢さまがうらやましかったんですよ」



 美羽と七乃のひときわ高い笑声が、廊下にまで響く。
 雪蓮はその笑声にかっと怒り、背後の扉を鋭くにらみつけた。その向こうに、孫呉を侮辱する美羽と七乃がいる。
 雪蓮の手は激情で震えている。怒りで瞼が痙攣し、目の前が青白く光っている。

 ――殺してやる。

 と全身で思ったが、まだそのときではない。それでは荊州刺史の二の舞である。刺史の一族がみじめに首を刎ね飛ばされ、市に打ち棄てられた姿を雪蓮は忘れていない。

 ――まだまだ、遠いわね。

 雪蓮は微笑を浮かべた。剣把を撫で、次の戦を考える。

 ――黄巾党がある。

 黄巾をこの手で滅ぼしたい。そうして孫呉の名を高めたい。名を高めつづければ、時がみちたとき、自然と孫呉は独立できるであろう。

 雪蓮は一度剣を抜刀し、虚空を素早く振りぬいた。
 袁術のいる空間を斬ったのである。時空を飛び越え、未来の美羽を斬ったともいえる。が、雪蓮が斬ったのは美羽だけでなく、七乃も含めた袁家の一族郎党すべてである。

 ふと女性の短い悲鳴と、何かが床に落ちる音がきこえた。みると、書簡を落とした女性官吏が恐々と雪蓮をみつめている。

「なんでもないわよ」

 雪蓮は静かに微笑すると、剣をおさめて足早に邸を出た。


 外は青天である。目を細めて太陽をみつめると、雪蓮は微笑し、馬に乗った。
 本当の意味での凱旋である。袁術に蜂蜜をもらったと陸遜や黄蓋に言ったら、どんな顔をするだろうか。
 雪蓮はそれを想像して愉快そうに笑った。

 蝉が鳴いている。頬をくすぐる夏の風が心地よい。




3.

「北郷一刀さまがお越しになりました」

 という侍従の声が聞こえたので、冥琳は涼しい服に着替え、邸の外に出た。
 太陽の熱線にさらされて肌が熱い。暑気が強すぎるのか、蝉の鳴き声が弱まっている。
 冥琳はふと門のわきの大樹に目を向けた。蝉がそこから飛び立った。その木陰のしたでは、青白い頬の一刀が冥琳をみつめている。

「何の用でしょうか」

 と一刀が静かに言った。

「用か……」

 冥琳はすこし困ったが、

「孫呉の者から聞いた。おまえはなかなか、面白いやつだそうだな」

 と言い、すこし話を聞きたいと付け加えた。
 一刀はうなずいて、木陰から出た。日に当たっても、一刀の顔は青白い。人の熱を失っているようである。


 冥琳はまず一刀を風呂に入れた。それから点心と茶を用意して、日の当たらない涼しい部屋に一刀を招じ入れた。
 端然と椅子に座る一刀の容姿をみて、冥琳は、

 ――卑しい身分ではないな。

 と推察した。
 が、冥琳自身も高貴な出自である。冥琳の祖父の兄弟のひとりに、太尉の位についた者がいる。また、その息子も数年後に太尉につく有望な青年である。冥琳の父は洛陽県の令を務めていた。

 ――人の能力は出自では決まらない。

 自身が高貴の出自だからこそ、冥琳はそのように思っている。審美を見極めるまなざしで、冥琳は一刀の内面をみつめている。
 蝉の音が、一瞬強く響いた。そののち廊下を歩く侍従の足音が聞こえ、ふたりはふと耳を澄ました。

「あら、失礼しました」

 侍従が開け放たれた戸の前でお辞儀をし、素早くその場を去った。

「さて、自己紹介が遅れたな。私は周公謹という」

 冥琳は一刀の発言を目で促した。すると、一刀は冷たいお茶で唇を湿らせてから言った。

「姓が北郷、名が一刀です」
「聞きなれない名だな」
「よく言われます」

 と一刀が微笑んだ。美しい微笑である。
 が、目が暗い。墨で塗りつぶしたような瞳である。なにか後ろ暗い情念があるといってよい。

 ――目が暗いと、空が暗くなる。

 冥琳は胸中で独白した。空が暗くなると運命も暗くなる。この少年に、自分の運命を切り開く力があるかどうか……。
 実際のところ、冥琳は一刀の過去にも未来にもそれほど興味がない。一刀の蒙さをこの手で破ろうとまでは思わない。
 歴史は、一刀に光を与える役割を他の者に託したといってよいかもしれない。光を与えられるということは、この中華の大地に根付くということである。古代の太陽を浴び、古代の地で生涯を終えることを覚悟するまで、一刀の眼は暗いままである。

「おまえは、天で学んだそうだな。聞いたぞ」

 冥琳が笑った。

「はい」

 と一刀は言うのみである。点心に手をつけ、頬張りながら冥琳をみつめる。

「すると、おまえは最近流行りの天の御遣いなのか」

 冥琳の声には、冗談の色がまじっている。

「分かりません。ですが、別の天から来たのは間違いありません」

 一刀の口調には感情がみられない。冥琳は面白そうに笑みを深めた。

「貴様はなぜ、自分が別の天から来たと思うのか」
「気がついたら、見たこともない土地にいたのです。あと、文明も文化も違います。おれの世界と比べると、この国は不便です」

 一刀が静かに笑った。その笑みに惹きつけられて、冥琳も微笑した。

「ふむ。どう不便なのか」

 冥琳のなかには様々な疑問がある。また、一刀の機知を試しているといってもよい。別の天から来たというのなら、最後までその嘘を突き通してみよ、という思いがある。

「すべてが不便なのですが、強いて言うなら――」

 と言葉を切り、ふと冥琳の目を凝視した。薄暗い部屋であるから、一刀の表情は翳っている。その暗い表情のなかで目が白く光っている。

「悲しいところです。この世界は悲しい」

 冥琳は静かに長い呼吸をはいた。やや鼻白んだ感がある。抽象論にもっていこうとするのは、この少年の悪い癖であろう。

「もっと具体的に言え。それでは私には何も分からない」

 一刀は沈黙してうつむいた。茶の入った陶器を凝視する。陶器は蒼白の面持ちで机のうえに立っている。
 蒼白――一刀には、死人の表情のように思える。あるいは、焼死体の肉である。

「おれの世界にもたしかに戦争や飢饉はあった。だけど、おれはそれを知らなかった。それを知るために、おれはこの世界に来たのかもしれない」
「知るだけか、北郷。貴様は、知って終わるつもりなのか」

 冥琳は眉をひそめた。雪蓮の嫌う惰弱な性質を、一刀にみた気がしたのである。

「違う」

 と一刀は言う。いつの間にか、一刀は微笑している。微笑を浮かべたまま青白い陶器をつかみ、茶を飲み干した。一刀の指紋をつけた陶器は、ふたたび机のうえに立った。静かに沈黙している。

「おれの出来ることをしたい」

 そう言って、冥琳を鋭くみつめた。
 一刀にとって、魏とは異なる運命を委ねた瞬間でもある。冥琳と雪蓮のふたりが自分に出来ることを教えてくれ、自分の知識を使ってくれるなら、虎と合流したのち一刀は呉に行くつもりである。一刀は固唾をのんで冥琳をみつめた。
 が、冥琳は声を上げて笑った。一刀の決意は一笑に付されたのである。

「それはそうだな。人間、自分の為せることしか為せない――」

 それからしばらく沈黙がつづいた。
 無言で点心を頬張る一刀のからだから、沸々と熱が湧きはじめている。その熱を薄目でみつめると、冥琳はかすかな光源を一刀のなかにみた気がした。

 ――なるほど、面白いやつだ。

 と思うところがある。奇妙な人間としか言いようがない。別の天から来たと言い張り、意味ありげな言葉を使いまわす様子は、狂人の一歩手前といってよいだろう。

 ――こういう輩を傍に置くのも一興だな。

 ふと冥琳は微笑んだ。年が近いから、蓮華に仕えさせるのも面白いかもしれない。こういう奇妙な人間と付き合えば、蓮華の心の幅も広がるであろう。

 ――いや、待て。

 そのとき、冥琳は呉人から聞いた一刀の言葉を思い出した。呉人は、

「民が天であるべきだ」

 というふうに一刀が言ったと報告したのである。
 冥琳は眉をひそめて思案した。点心をすべて食べ終えた一刀は、背筋を伸ばして虚空を見据えている。その視線の方向をとらえようと、冥琳が口を開いた。

「北郷。民が天になるべきだと言ったそうだな」

 一刀の眼が冥琳の顔に吸い寄せられた。

「はい」

 と一刀は言う。

「どういう意味だ」

 冥琳は一刀を鋭く凝視している。一刀の目は暗かったが、熱が生じてうるんでいる。唇を湿らせると、一刀は言った。

「そのままの意味です」
「具体的に言え」

 冥琳の声は苛立っている。

「王も民も、平等であるという意味です」
「ふむ……」

 と相槌をうった冥琳は、しかし考え込んで目を伏せた。雪蓮には聞かせられない類の言葉である。

「だが北郷。現実問題として、王が民を導いている。それを無視してもよいかどうか」

 視線をあげると、一刀と眼が合った。一刀の眼の力は強い。何かしらの確信があるように冥琳には思われる。

「民という存在自体は、王によって左右されません。王がいなくとも、民は生きてゆけます」
「しかし、国に王という象徴がなければ、民はまとまるまい。そうなると戦禍が絶えぬ」

 冥琳が口をはさんだ。その言葉に覆いかぶさるように、一刀は身を乗り出した。

「世襲制ではいつか暗君が生まれ、民を苦しめます。孫仲謀は名君として名を馳せますが、その子はそうではない」
「はは」

 意外な言葉に、冥琳は目を見開いて一刀をみつめた。

 孫仲謀

 と一刀は言ったのである。孫権蓮華のことである。冥琳は笑った。虚しい笑みである。

「別の天から来たにもかかわらず、おまえは孫仲謀を知っているのか。これは不思議だ」
「おれの世界にも、昔そういう名の人間がいたんです。孫策が暗殺されたあと、孫権が跡を継ぐ。孫仲謀は呉の初代皇帝となる――」

 妖力がこめられたような不気味な予言である。一刀の口調にも、その眼光にも、迷いがない。空恐ろしいものが冥琳の背筋をかけのぼった。

 ――そういえば、雪蓮の帰りが遅い。

 胸騒ぎがする。複雑な感情が冥琳のからだを痺れさせた。


 しばらく重苦しい沈黙が続くと、蝉がまた鳴きはじめた。
 太陽の位置が変わったのか、戸から入る日差しが斜めに変わっている。戸を背にしている一刀の頬にも、わずかに日が当たっている。青白かった頬は、いまは赤い。

「ふむ」

 と間をもたせるように冥琳がつぶやいた。

「おまえがどこかの間者ならば、その胆力を褒めてやろう」

 冥琳の声音には色がない。淡々と一刀をみつめている。

「違います」

 と恐縮した一刀は静かにこたえ、目を伏せた。

「そうか……」

 冥琳は優しく微笑んだが、会見はそれで打ち切られた。

「誰か――」

 と冥琳が呼ぶと、隣室に控えていた侍従がしずしずとやってきて、食器をさげた。
 一刀は一礼するとその場を辞し、侍女に見送られて玄関を出た。侍女は深々と頭を下げると、邸のなかに戻っていった。


 あたりの景色がすべて白く光っている。蝉の声が強い。
 一刀は手で顔に陰をつくり、門のわきの木陰に入った。背の高い木である。濃緑の葉が風に揺れ、涼しい音を鳴らしている。
 木陰から、一刀は何かを見定めるようにしばらく中天の太陽を見つめた。

 英の家に向かう途中、一刀は雪蓮に出会った。雪蓮は馬上で一刀をみつめたが、馬の歩むままに横を通り過ぎた。
 夏の匂いがする。雪蓮が夏の熱い空気を運んでいる。英雄の匂いを忘れぬよう、一刀は胸いっぱいに緑の大気を吸い込んだ。




4.

 英の家に戻ると、青が一刀に抱きついた。青からは汗の匂いがする。
 青は一刀をみあげて、

「おかえりなさい」

 と言って微笑んだ。

「ただいま」

 一刀は青の頭を撫でた。むずがるように青は一刀の腹に自分の顔を押し付ける。頭を撫でると、今度は小さな背中を優しく叩いた。
 英は外出しているようで、家のなかは静かである。薄暗く、湿度が高い。むろん虎はいない。
 懐から袋を取り出すと、一刀は金を青にみせ、一緒に微笑んだ。

「あんまり多くないけど、今日はこれで美味しいものを食べよう」 
「うん」

 とうなずいて、青は満面の笑みをうかべた。

「饅頭が食べたい」

 食べたいものを、あれこれ青が言いはじめる。一刀はそれにいちいちうなずいて、笑った。

「――もうしばらくしたら、魏にむかおう。虎は、きっとそこで待ってるよ」

 買い物の途中、一刀がつぶやいた。童女は小さくうなずいて、一刀の手を握った。
 3人から2人になったのである。青の心は寂しい。

「カズト」

 と思わず青がつぶやいた。一刀はその呟きを聞き逃さず、青をみつめた。一刀も寂しいのである。

「大丈夫。魏には、おれの太陽があるんだ」

 一刀は破顔した。童女はまぶしそうに一刀の笑みをみつめ、それから自分も笑った。
 ふたりは穏やかに笑いあった。





 その一刀と青の横を、背の低い程立が寝ぼけた表情で通り過ぎた。
 結局、魏には一刀の太陽はなかったといえよう。が、そもそも、一刀そのものが太陽であるといえる。
 風は、一刀と華琳という2つの日輪を支えていくことになる。



―――

次回三十一日目:風との出会い

―――


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