知り合いに会うことは避けねばならなかったし、何よりこの格好で人ごみを歩く度胸はなかったので、比較的人通りの少ない裏通りを記憶から呼び出してそこを移動することにした。夜間に営業を行う“そういうお店”が立ち並ぶ裏通りは夜にはネオンの光で昼間のように輝いているが、今はそびえるビルの影で薄暗く、通行人も少なく閑散としている。人知れず移動するには絶好の通路だ。
だけど、こういうところには僕とは違った理由で堂々と表通りを歩けないような人たちも集まるわけで。
「なあ、よかったら今から俺たちと一緒に―――」
「お断りします」
もう何度目かもわからない怪しげなお誘いを速攻で拒否する。ただでさえ暑いのに、わけのわからない男たちと一緒に歩けるわけがない。見た目はこんな露出狂一歩手前の女の子だけど、中身は立派な男なんだ。
暑苦しさから一刻も早く逃げ出そうと歩幅を広げて歩む速度を上げる。と、茶色や紫色と彩色豊かに髪の毛を染めた若い男たちの顔から笑顔が消え、代わりに下卑た別の笑顔に変わった。仲間同士で目配せして何かを確認するとハイエナのように素早く僕の周囲を取り囲む。その目は僕の顔ではなく身体を舐め回すように縦横に蠢く。その視線にだいぶ慣れてしまった自分の順応力の高さに心の中で拍手した。
「・・・なんのつもり?」
一応聞いておく。こういう輩が裏通りで女の子を囲んでやることと言えばたいてい決まっているのだが。
「別にヤラしいことしようってわけじゃない。ただ、こんな危ないところを女の子一人が出歩くのはよくないからお兄さんたちが保護してあげようと思ってさ。なあ?」
茂みのようなアフロヘアーを頭に載せたリーダーらしき正面の男が仲間に同意を求める。示し合わせたように、全員がヘラヘラと笑いながら相槌を打つ。チラと横目で周囲を観察すれば、もう30歳を過ぎでいるであろうリーダーを除きほとんど全員が20代前半だ。その内の一人はかなり若く、まだ中学生のようだ。少し目を凝らせば、孔を開けたばかりらしい耳のピアスホール周辺が充血しているのが痛々しい。どうやら初めて集団で少女を襲う行為に参加するらしく、強がって笑顔を作りながらも全身に緊張が見て取れる。
(僕は、こんな奴らを守るために故郷を捨てたのか?)
頭の芯が急激に熱くなるのを感じる。元の身体より一回り以上小さいサイズの肢体のせいでしばらく違和感が絶えなかったが、移動している間にほぼ完璧に馴染むことができた。今なら、こいつらを懲らしめてやることだって容易い。
「他はともかくアンタはもうお兄さんって歳じゃない。子どもをくだらないことに引き込む前にちゃんと仕事したら?」
「・・・あ?」
気にしていたのだろうか、男は頭の茂みをガサガサと震えさせる。その顔にもはや笑みはない。威嚇するようにこちらを睨み据えながら、僕を挟んで男の正面、つまり僕の後ろにいる男たちにじろりと目配せをする。そんな微かな動作すら見逃さず、僕は思わず口元に余裕の笑みを浮かべる。
(やめたほうがいいのに)
小さく嘆息をする。それに重なるように背後から二人が一歩踏み出す足音が聴こえた。その一歩がこちらに飛び掛るための踏み込みであると理解した瞬間、ブレザーを翻させて死神の鎌のような廻蹴を放つ。まるで背後の目で見ていたかのように、つま先は狙い通りに紫色のロングヘアーとスキンヘッドの男の鼻をかすった。一瞬後、眼前を切り裂いた突風に目を白黒させる二人の鼻に一筋の赤い線が走る。鼻にぶら下がっていたはずのピアスが遥か遠くのマンホールに跳ね、場違いに澄んだ音を響かせる。数秒の沈黙。
「な・・・なんだ?コイツなにした?」
「え?鼻が・・・え?」
慌てふためく男たち。僕の動きが速すぎて何が起きたか理解できていないようだ。再び、今度は大きく溜息をつく。
「――はッ!」
視線がこちらに集中した瞬間、ブーツの踵で地面を思い切り踏み叩く。アスファルトコンクリートの舗装がクッキーのように粉砕され、バラバラになって粉末を飛び散らせる。底が堅いブーツを選んで正解だった。
ひぃ、という息を呑む微かな音すらこの身体の聴覚は逃さなかった。脅しは成功したようだ。唖然と立ち尽くす男たちにトドメの言葉を投げつけてやろうと口を開きかけて、
「次は貴様らの頭蓋だ。踏み潰してやるから跪いて頭を差し出せ」
胸元からドスの効いた凶悪な声が発せられた。その声を僕のだと勘違いしたのか、男たちは一気に顔面蒼白となって後退る。そして、
「ば、化け物―――!!」
と、逃げ去っていった。失礼な奴らだ。シャナがアラストールの声で喋っていたって僕のシャナへの思いは何も変わらないというのに。
「うるさいうるさいうるさぁーい!(CV:アラストール)」
「悠二ぃ!(CV:アラストール)」
「強く、なってよぉ・・・!(CV:アラストール)」
おぇえええ!前言撤回!これは絶対にダメだ!混ぜるな危険!!
「ひ、ひ・・・」
「?」
振り返ると、そこには腰を抜かした先ほどの中学生がいた。凹んだ道路と僕の顔を交互に見比べては凍えているように上下の歯をガチガチとぶつける。爆炎が吹き荒れ全てが紙くずのように吹き飛ぶ戦いを見慣れた僕と違い、少女がアスファルトを易々と踏み砕く光景はかなりショッキングだったようだ。
「お前、今いくつだ?」
「じ、15歳・・・」
やはり。15の夏休みに悪い大人たちとつるんでうろちょろするとは、こいつのためにも周りのためにもよくない。僕はシャナが説教するように射抜くような鋭い視線で少年を睨みつけ、靴底でもう一度路面をズダンと踏み鳴らす。
「こんなとこでウロチョロしてる暇があったら、学校行け!」
「はいいっ!!」
手足をバタバタさせながらすたこらさっさと退散する少年。シャナの眼光は普通にしてても鋭いから、睨みつけられた人間は蛇に睨まれた蛙状態となる。僕もそうだった。シャナに凄まれて一喝されたら教師でさえ思わず後ずさりしてしまうのだから、それが少年ならなおさらだ。これであの少年が道を外れずに生きていけばいいのだが。
良いことをしたという満足感と圧倒的な力を得た優越感に、僕はうんうんと何度も頷く。
(今の僕には力がある。常人とは比べ物にならない、常識を超えた極上の力が。この力があれば、元の時間に―――シャナの隣に帰る方法だって、きっと探し出せる)
希望が見えてきた。そう思えるくらい、フレイムヘイズへと進化した僕は力に満ち溢れていた。
「テイレシアスさん、さっきはありがとう。おかげで、あいつらを懲らしめることができた」
「俺もああいう人生の間違った楽しみ方をしている奴らは好かん。俺のように高尚で有意義な趣味を持つべきだ」
(本当に自由人な紅世の王だなぁ)
苦笑しながら、ようやく見いだせた希望に向かうように歩みを再開する。
御崎市は、僕が過去に過ごした御崎市となんら変わりなかった。ダンタリオンやその配下の“燐子”ドミノのせいで崩壊しかけた街は、人々の手によって順調に復興を遂げている。このまま異常を発見できなければ、ここを離れよう。寂しくないと言えば嘘になるが、ここに僕がいるときっとおかしなことになってしまう。
一目でいいからシャナに会っておきたかったが、そんなことをしたら間違いなくおかしな事態が起きてしまう。時間の流れが狂って取り返しの付かないことになりかねない。未来が変わって僕が消えてしまう、なんてことになったらシャレにならない。
(それに・・・)
消滅寸前に心に焼き付いたシャナの泣き顔が瞳の裏に浮かび、無意識に胸元を抑える。僕が愛したシャナとこの時間のシャナは同じではない。同じシャナで、だけどまったく異なるシャナ。
(どんな顔で会えばいいんだよ)
感情の整理がつかない。シャナを目の前にした自分がどんな行動を起こすのか、自分自身でもわからない。何より、この姿で顔を合わせればさらに複雑なことになってしまうことは眼に見えている。諦めるしかなかった。
後ろ髪を引かれる思いで御崎市を振り返る。気づけば時刻はもう夕刻に差し掛かっていた。異常は発見できなかった。もう、この街にいる必要はない。
湿り気を帯びそうになった目尻を誤魔化すようにゴシゴシと拭い、力強く顔を上げる。
大丈夫だ。必ずシャナの元に戻れる。余裕が出来れば、この時間のシャナたちをこっそり支援することも出来るかもしれない。だって僕には、誰よりも信頼していたフレイムヘイズの、シャナの身体があるんだから―――
「それはそうと、坂井悠二」
「ん、なに?」
唐突にテイレシアスさんが話しかけてきた。僕は何事かと上機嫌に返事をして、
「お前、まさか紅世の王や燐子どもと戦える気でいるわけではないな?」
その一言に、絶句した。