「あれ?」
「どうした、坂井悠二」
「いえ、今『ぎにゃぁー!』っていう猫が潰されたみたいな悲鳴が耳に入ったんですが・・・。気のせいだったみたいです」
「わけがわからん」
「はは、僕もそう思う」
苦笑しながら、僕は服を探す作業を再開する。ここは、市内で一番大きなホームセンターの屋上倉庫だ。コンテナほどの倉庫の中に整然と積み上げられた段ボールの中には売れ残った在庫処分待ちの商品がぎっちりと詰められている。
「よくこんな場所を知っているな。お前、コソ泥でもしていたのか?」
「違う!前に学校の行事で、このホームセンターを調べたことがあったんだ!」
それはすまなかったな、と悪気に思っている様子なんてまるで無いように笑うテイレシアスさんを放って、ブレザーの袖で額の汗を拭う。上空からの太陽の熱波を容赦なく浴びる倉庫の中はひどく暑くて、サウナのようだった。そういえば、池たちと同じグループでここを調べた時も、たしかこのくらい暑かったっけ。あの時はさすがのクールキャラの池も暑さでメガネを曇らせてフラフラしていた。それを田中や佐藤がからかって、吉田さんは心配して、池が照れてさらに顔を真っ赤にしていた。
楽しかった昔を思い出して、思わず笑いがこみ上げてきて―――そして、涙が溢れてきた。
ここに僕の居場所はない。この時間にはこの時間の「坂井悠二」がいて、僕が知る大切な人たちは、僕を知らない。彼らが慕うのは「坂井悠二」であって僕ではない。僕がどんなにみんなを想っても、その想いは決して届きはしない。
「・・・坂井悠二。俺から助言をするならば・・・お前はこの地を放れた方がいい」
テイレシアスさんの助言も、アラストールと同じくらい適確だった。僕は本来ならここにいてはいけない存在だ。無用な混乱を生じさせるだけだ。何より、一度捨てた故郷に再び腰を据える気には到底なれない。いるべきではないし、いる必要もない。ここには強力なフレイムヘイズが何人もいて、敵から零時迷子を護っている。
「僕も、そう思う。街を見て回って僕の記憶と合致したなら、この街を離れる」
淡々と、それだけ告げた。テイレシアスさんの返事は、「そうか」だけだった。それは、今の僕にとっては最高にありがたい気遣いだった。
薄暗い倉庫の中に、黙々と服を探す音だけが響いた。
「うう・・・」
泣く。ひたすら泣く。鈍く光を反射する倉庫の扉に映り込む自分の情けない様相を目にして目の幅いっぱいの涙が流れる。
そこに映っているのは、薄水色のチャイナドレスとその上に学生服のブレザーを着たシャナだった。身体を包む薄手の生地に余裕はなく、ピッタリとフィットして身体の曲線を際立たせる。側面を見れば、ももの付け根辺りまでスリットが入っていてかなりきわどい。見ただけで張りのある肌だとわかる白い太ももに、思わず生唾を飲み込んでしまう。もちろん着たくてこんな服を着たわけではない。何の意志が働いたのか、何十という着衣がありながら、この矮躯で着れるちょうどいい服がこれしか無かったのだ。これなら売れ残るのも頷ける。チャイナドレスだけではあまりに恥ずかしいのでとりあえず上にブレザーを着てはいるが、後々悠二に返さなければならなくなる。そうなると、チャイナドレスだけで行動しなければならなくなるわけで。
「ぶはははは!よく似合っているぞ!」
「黙っててくれ!」
テイレシアスさんの喜悦極まる爆笑に一喝して、人差し指でペンダントをぺちりと弾く。こんな服を着る羽目になったら誰でも泣きたくなる。母さんには息子のこんな恥ずかしい姿は絶対に見せられない。
靴はミリタリーチックなカーキ色のブーツしかサイズが合致するものがなかった。ブーツを履いたチャイナドレス少女って、それなんてエロゲ?
しかも、しかもだ。どんなに探しても、段ボール全てをひっくり返しても・・・男性用の下着は発見できなかった代わりに、女の子用の下着なら段ボール二つ分もあって選び放題だった。何者かの意志が働いているとしか思えない。どの道、チャイナドレスで男物の下着なんか穿けるはずもなく・・・僕は今まで感じたことのない背徳感と罪悪感を感じながら、一番生地が多くて肌が隠れる白いショーツを選んで慣れない手つきで穿いたのであった。
「唯一の救いは、ブラジャーが必要なかったことかな」
「それを本人の前で言ってみろ。おもしろいことになるぞ」
「ははは。そうなったら僕らはナマス斬りのうえに丸焦げにされちゃうだろうけどね」
はっはっは、と笑っていたテイレシアスさんは、僕が冗談を言っているのではないと気づいて黙った。シャナなら本気でやりかねないからなぁ。
さっき見つけておいた白いリボンを手に取ると、長い髪をまとめておさげにする。髪を結った経験はなかったので多少手間取ったものの、なんとか後ろでまとめることができた。本当は切ってしまいたかったが、それはなんだかシャナに申し訳ない気がしたのでやめておいた。
扉を覗き込むと、おさげ髪のチャイナドレスを着た美少女がこちらを覗き込んで来る。
「紅世の王の俺がこんなことを言うのもなんだが、けっこういい感じだぞ。完璧な美少女だ」
「嬉しくない」
「お前は本当におもしろいな。俄然、お前に興味が湧いてきたぞ!」
まったく褒められている気がしないお褒めの言葉にうな垂れながら倉庫の扉を閉めて、僕は硬いブーツで地面を蹴った。途端に背に炎の翼が顕現する。超常の力の塊である炎の翼は重力を簡単にねじ伏せ、僕の体を一瞬のうちに天高く舞い上がらせた。茹だるような生暖かかった空気が疾風と化して体中の汗を吹き飛ばす。
ブレザー一枚で出歩くのもチャイナドレスで出歩くのも、感じる恥の大きさに違いは無いと思う。ずっと空を飛んで探索したいところだけれど、零時迷子を失った僕の存在の力には限界がある。むしろ贋作の身体である分、限界値が下がっている可能性もある。
御崎市に人に出会わない道なんかあっただろうかと、僕は人ごみだらけでわいわいと活気付く眼下の街の賑やかさを呪った。