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No.19733の一覧
[0] 白銀の討ち手シリーズ (灼眼のシャナ/性転換・転生)[主](2012/02/13 02:54)
[1] 白銀の討ち手【改】 0-1 変貌[主](2011/10/24 02:09)
[2] 1-1 無毛[主](2011/05/04 09:09)
[3] 1-2 膝枕[主](2011/05/04 09:09)
[4] 1-3 擬態[主](2011/05/04 09:09)
[5] 1-4 超人[主](2011/05/04 09:09)
[6] 1-5 犠牲[主](2011/05/04 09:10)
[7] 1-6 着替[主](2011/05/04 09:10)
[8] 1-7 過信[主](2011/05/04 09:10)
[9] 1-8 敗北[主](2011/05/24 01:10)
[10] 1-9 螺勢[主](2011/05/04 09:10)
[11] 1-10 覚醒[主](2011/05/20 12:27)
[12] 1-11 勝利[主](2011/10/23 02:30)
[13] 2-1 蛇神[主](2011/05/02 02:39)
[14] 2-2 察知[主](2011/05/16 01:57)
[15] 2-3 入浴[主](2011/05/16 23:41)
[16] 2-4 昵懇[主](2011/05/31 00:47)
[17] 2-5 命名[主](2011/08/09 12:21)
[18] 2-6 絶望[主](2011/06/29 02:38)
[20] 3-1 亡者[主](2012/03/18 21:20)
[21] 3-2 伏線[主](2011/10/31 01:56)
[22] 3-3 激突[主](2011/10/14 00:26)
[23] 3-4 苦戦[主](2011/10/31 09:56)
[24] 3-5 希望[主](2011/10/18 11:17)
[25] 0-0 胎動[主](2011/10/19 01:26)
[26] キャラクター紹介[主](2011/10/24 01:29)
[27] 白銀の討ち手 『義足の騎士』 1-1 遭逢[主](2011/10/24 02:18)
[28] 1-2 急転[主](2011/10/30 11:24)
[29] 1-3 触手[主](2011/10/28 01:11)
[30] 1-4 守護[主](2011/10/30 01:56)
[31] 1-5 学友[主](2011/10/31 09:35)
[32] 1-6 逢引[主](2011/12/13 22:40)
[33] 1-7 悠司[主](2012/02/29 00:43)
[34] 1-8 自惚[主](2012/04/02 20:36)
[35] 1-9 青春[主](2013/05/07 02:00)
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[19733] 1-2 急転
Name: 主◆548ec9f3 ID:0e7b132c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/30 11:24
「Fritz・Y・Lichtheim, Der nächste ist deine Drehung.
(フリッツ・Y・ルヒトハイム。次は君の番だ」

部長を務める男――――日本の基準で言えば高校3年生―――に名を呼ばれ、俺は悠然と立ち上がった。わざわざフルネームで呼ぶのは、俺を仲間とは見なしていないという意思表示だ。
俺よりも拳ひとつ分は背の低いそいつを冷ややかに一瞥して、スタートラインへ立つ。
前足側の膝を立てて義足の膝を地面に押し付け、足裏をスターティングブロックに乗せる。両手の指で全体重を支えて前傾姿勢をとり、太腿の大腿四頭筋に力を集中させて暴発寸前まで高める。地を這う獣のように、姿勢を限界まで低くする。
精神を統一し、すべての雑音をシャットアウト。
耳が痛くなるほどの静謐に満ちた世界に、『Bereit…(用意)』という合図が響いた。身体に染み付いた滑らかな動きで腰を上げて静止する。自分が限界まで引き絞られた弓になったという“確信”。

空砲の音が耳に入ったと自分が理解するよりも速く、身体は動き始めていた。
アッパーカットのように激しく腕を振り上げ、ピッチ(足の回転)を一瞬にして限界値まで上げる。車輪のように間断なくコースを蹴って、風よりも速く疾駆する。
一瞬だけ瞼を閉じて、この静寂を味わう。この短い時間だけは、何からも束縛されない心からの自由を味わえる。何者も、今の俺には手出しできない。

景色が瞬く間に後方へ流れ、100メートル先にあったはずのゴールラインを飛び越える。そのまま10メートルほど余韻を楽しみながら速度を漸減させ、心臓と筋肉の収縮を平常時の状態に戻す。
「Deine Aufzeichnung ist ….09.74 Sekunden.
(タイムは……えっと、9秒74、です……)」
ストップウォッチを手にした女子部員が呆然としながらタイムを告げる。見ない顔の女だ。最近入ったマネージャーだろう。細かく観察せずとも、その白すぎるほど白い肌を見れば、男子部員の誰かを好いて入部したことは容易に想像がつく。
この部はそういう手合いが多い。誰を好んで入部したのかは知らないが、迷惑な話だ。
「Nun, Entschuldigen Sie…….
(あの……)」
「Dank.
(悪いな)」
俺は突き放すように短答すると、何か言いたげだったマネージャーを押し退けるように待機場所へ突き進む。
オリンピック選手も顔負けのタイムを叩き出したにも関わらず息も切らしていない俺に、小さなマネージャーは怯えたように身を竦めて道を譲った。伸ばした前髪越しに上目遣いにこちらを仰ぎ見る視線が、涙を溜めているように見えた。きっと化け物を見ている気分なんだろう。

待機場所に戻ると、同じ視線が部員たちから浴びせられる。それを無視して俺はどっかとベンチの隅の指定席に腰を下ろした。
不快には思わない。こいつらがどんなに全力を出しても、俺のタイムには届かない。しかも、今のはほんのウォーミングアップに過ぎない。俺が本気を出せば、こいつらの自尊心は粉々に砕け散るだろう。『義足の走者に負けた』と。

憐憫にも嘲笑にも似た感情を覚えて口端を歪ませながら、義足の接続を外して生身の足と義足の間の緩衝用フェルトを調節する。走る時も、義足は変わらず父さんが作ってくれたものを使っている。元は日常用に設計されたものだが、職人の技術の粋を凝らした丈夫でしなやかな木製の義足は、短距離走にも十分対応できる。以前に顧問から貰った短距離走専用の形状記憶合金製の義足を使って走ったことがあるが、タイムは散々なものだった。父さんがどれだけ優れた技術者だったかが身に染みてわかって誇らしく思う。

そうこうしているうちに、最後の走者が走り終えた。案の定、俺のタイムを越える者は今日も出なかった。部長が苦々しい表情をしてこちらに目を向けたので、それにひらひらと手を振って応える。ざまあみろだ。
いつものように、ぎりと歯を噛み締めて殺意すら込められた視線を俺に送った後、笛を鳴らして部員全員を傾注させる。
「Training von heute wird beendet. Weil die Aufrechterhaltung des Schulgrundes ausgeführt wird, mache ich Klubaktivitäts-Absage von heute. Trainiere bitte durch jede Person. Bis morgen.
(よし、今日はここまでだ。大規模トラック整備のため、放課後の部活は中止だ。だが、各自で訓練はやっておくように。以上、解散)」
蜘蛛の子を散らすように部員が解散し、汗の染みた服を着替えるためにそれぞれ学年ごとに割り当てられた更衣室へ歩む。そんな中、俺は一人自分のクラスへと歩を進める。汗をかいていないのだから、着替える必要もない。ジャージの上にセーターを着てそれで終わりだ。
背後で『Ein Monster……(化け物め)』と呟く声が聴こえたので、鼻で笑って嘲笑を返してやった。

射るような憎悪の視線を背中に感じながら、ふと思う。

最後に心から笑ったのは、いつだっただろうか。



クラスの俺の立場も、部活のそれと大して変わらない。
俺は溶け込もうとはしないし、クラスメイトたちもわざわざ迎え入れるつもりもない。比較的裕福な家庭の子どもが通うこのハイスクールの空気には馴染むことは出来なかったし、馴染む努力をする余裕も気力もなかった。それに、むしろこの状況は俺にとって好都合だ。ひたすらすべきことに集中できる。

ただ――― 一つ、気になることがある。
同じクラスに日系の女がいるのだが、そいつの様子が明らかにおかしい。まるで“消えかけの蝋燭”のように、存在感が目に見えて薄れていっている。だというのに、他の奴らは誰もそれに気づかないのだ。イジメを受けているわけでもない。ほんの数日前までは、ベラベラとくだらないことを仲間内で語っていた。

俺が横目で観察する中、そいつはフラフラと教室へ入ってきてストンと自分の机に座る。そしてそのまま、人形のように固まって動かない。向こう側が透けて見えそうなほどに存在感が希薄だ。幽霊だと言われれば納得してしまいそうなくらいだ。誰にも話しかけないし、誰もそいつに話しかけない。完全に背景と同化してしまっている。
(親しい間ってわけでもないし、俺が気にかけることでもないな)
それ以上思い煩うこともなくすっぱりと忘却して、俺は今後の自主トレーニングの改良点について没頭し始めた。


必要不可欠な会話以外はしないいつもの学校生活が終わり、俺はまっすぐに帰路に着いた。道草をする金もないし、奨学金獲得に必要な成績に達するためにそれなりに勉強もしなければならない。国や地方からの学生支援金はあることにはあるが、それらは今の学費と生活費、そして母さんの治療費で全部消えている。病院で長期入院しているため、重病ではないとはいえそれなりに金はかかる。保険だけでは賄い切れないし、そもそもドイツ国籍を取得してからまだ5年しか経っていないので医療保険も満額は支給されない。ハイスクールでの最高ランクの奨学金の条件は「常に好成績を維持すること」だし、それだけでは足りないだろうからそのうちアルバイトも始めなければならないだろう。
自然とため息が漏れる。正直、金の工面に関しては頭が痛いが、進学は自分で選んだことなのだから仕方がない―――。
そうやって自分を納得させなければ、この粘つくような息が詰まる日々を繰り返すことは出来なかった。昨日と同じ今日を過ごし、今日と同じ明日が来て、またその次も同じ日を繰り返す。一年先、十年先も繰り返される一日のために、明日に繋がる今日をただ漠然と生きるだけの生活……。そのうち、それが当たり前になって、走ることの楽しさも歳を重ねるごとに薄らいで、日々労働の汗にまみれ、仕事帰りの一杯やたまの贅沢を宝にして、誰かを好きになり、結婚して子どもを作り、そして僅かばかりの何かを残して老いさらばえ、安らかに死んでいく―――。
それが人並みの幸せなのだと理性が諭す一方で、本能がそれを明確に拒否していた。
「そんなつまらない人生は嫌だ。俺の“器”はこんなものじゃない。もっと輝ける」と。

出し抜けに、唐突な考えが思い浮かぶ。かつて日本で読んだ漫画のように、無為に続くだけの人生を木っ端微塵に破壊して心おどる世界に連れ出してくれる何かが現れてくれないかと。
「Es ist eine lächerliche Geschichte.
(なんて、都合のいい話だよな)」
自嘲を孕んだ息を無意味な期待と共に体外に吐き出して腹腔を空にすれば、後にはいつもと同じ空虚な感覚だけが残された。
(これでいい。期待なんて持つだけ無駄なんだ)

見慣れた道を歩き、見慣れた店の前を通り過ぎ、見慣れた角を曲がって、

ゴォッ、と火の粉が舞った。

「――――Was?
(な、なんだ?)」
見慣れない世界がそこに広がっていた。
でかい炎の壁が俺を中心にして一帯をドーム状に囲んでいる。地面や炎の壁には、文字だか絵だかもわからないおかしな紋様が刻まれている。火事かと思って辺りを見回せば慌てふためく人々の姿は見えない。いつもは賑やかなはずの路地にもカフェにも人気はまったくない。
悪趣味な夢か、はたまた大掛かりなドッキリか。
理性がそう思い込んで平静を保とうとするが、本能がこれは“あってはならない事態だ”と命の危機を報せてくる。見てはいけない禁忌の世界の皮膜が唐突に目の前で破れてしまったような感覚に、知らずに握りしめた拳が粘っこい汗で不快にベタつく。心臓がドクドクと激しく脈動して暴れまわり、「ここにいると死ぬ。早く立ち去れ」とヒステリックに体内から警告する。
確かに無為な人生からの脱出を願ってはいたが、この展開はあまりに空恐ろしすぎる。訳の分からないままにとりあえずこの場を離れようと後退りをして、

「Es gibt nicht deine Flucht.
(どこへ行くのかね?)」

すぐ耳元で男の声が囁いた。声は間近でしたはずのに、吐息をまったく感じない。咽喉を通った空気すら感じられない、違和感の塊の音声だった。
耳の穴にずるりと侵入してくる最悪に気味の悪いその声に、思考より先に防衛本能が働いて反射的に腕を振るう。しかし、振り返ったそこには誰もいなかった。何もない空間を振り切った腕がぶんと虚しい風切り音を立てる。
「Ein Junge, Es gibt mich hier.
(君、私はこっちだよ)」
「Was denn!
(なっ!?)」
再び背後から不気味な声。移動する音どころか気配すら感じられなかった。どうやって後ろに……!?
今度は転がるようにして間合いをとって振り返る。見上げたそこには、英国紳士を思わせる服装をしたチョビ髭の男が突っ立っていた。
高級感のある漆黒の燕尾服 (スワローズテールコート)で細身を包み、同じ色のブリティッシュスクエアハットで頭を飾っている。白い手袋をつけた手には、頂上に光沢を帯びた琥珀が埋め込まれ全体に稠密な紋様が刻み込まれた黒いステッキを握っている。
外見だけ見れば披露宴にいてもおかしくない格好の中年の男だったが――――“中身”が、絶望的なまでに異常だった。
まるでこの世界の悪意をたっぷりと吸い込んだような淀んだ眼球に見据えられただけで、骨に直接冷水を浴びせられたかのような悪寒が全身を駆け巡り、産毛が総毛立つ。“それ”は明らかに人間ではなかった。額に次々と汗が浮かび、全身が小刻みに震える。

そいつが細長の目で俺の体を上から下まで舐めるようにくまなく観察していく。その視線に吐き気を催すほどの不快感を感じながら、しかし蛇に睨まれた蛙のように身体はその場に固定されて動いてくれない。
気色の悪い視線が俺の右足に到達する。瞬間、紳士の皮を被っていたそいつの顔に亀裂が走る。それが“笑顔”だと気づくのに数秒の時間を要した。
「Ich entdeckte Schatz, Denis! Er versteckte meinen Schatz dort….
(ああ、やっと見つけたよ、ルヒトハイム!そこに隠したんだね、私の宝具を……)」
「Warum…..Warum weißt du meinen Namen….!?
(な、なんで俺の名を―――!?)」
そいつが虚を突かれたというように小首を傾げて俺の顔を凝視する。そして合点がいったというようにぽんと手を叩いた。わざとらしい動作がまるで“人間を真似している”ようで余計に違和感が募っていく。
「Nun….. Du bist tatsächlich sein Sohn. Du ähnelst deinem Vater.
(ああ、君はルヒトハイムの息子だね!そうかそうか、たしかに彼によく似ている)」
「Warum kennst du meinen Vater!?Wer sind Sie!?
(父さんを知っているのか!?あんたいったい…!?)」
精一杯の精神力(ちから)を振り絞ってそいつを睨みつけながら疑問をぶつける。その間に、じりじりと少しずつ後退して距離を稼ぐ。
そいつは、肩を竦めて顔面に走る亀裂を歪ませる。
「Du verstehst es vielleicht nicht. Es ist nicht notwendig für dich, es zu verstehen. Der Charakter deines Vaters ähnelt dir.
(君には言ってもわからないだろうし、わかる必要もないよ。それにしても、君は父上にとてもよく似ているねぇ」」
やおらステッキを掲げ上げ、勢いよく地面に突き下ろす。ガツン、という道路を打ち付ける音。
その意図がわからずに眉を顰め、次の瞬間、目を見開いた。
建物の陰、ポストの陰、車の陰、ありとあらゆる陰の中から生まれ出るように巨大な生き物が這い出て来た。ずるずる地面を這うそれらは、芋虫のような――――いや、そんな生易しいものではない。深海に生息する異形の生物に通じるものがある、限りなく不気味で悪意に満ちた化け物だった。
あまりにも人外すぎる光景に立ち尽くすしかない俺に、紳士の姿をしたそれが蛇のような薄気味悪い笑顔を向ける。
「Du bist gut für das Entkommen. Aber ―――
(父上と同じく、逃げることにかけては人一倍優れているようだね。まあ――――)」
ガツン、とステッキが再び地面を突く。
「Ich ließ dich nie gehen.
(もう逃がさないけどね)」
ぞる、と音を立てて無数の化け物が襲い掛かってきた。怖気と絶望に打ちのめされて身体がまったく動かない。動こうともしない。
化け物どもが乱杭歯を見せ付けるように大口を開けて迫り来る。やばいやばいやばいやばいやばい……!

「―――ッ!?」

突然、右足が燃えるように熱くなった。否、本当に燃えていた。
清々しい水色の炎を纏わせて、義足が囂々と燃えている。しかし、脚が焼ける痛みは感じない。それどころか力が湧いてくるような感覚すら覚えた。気づけば、身体が思い通りに動くようになっていた。
なぜ燃えているのか知らないが、そんなことはどうでもいい。今はとにかく、この化け物どもから逃げるのが先決だ!
自由になった身体を翻してクラッチスタートの体勢をとる。化け物の雄叫びが耳の後ろで聴こえると同時に、踏み出された右足が地面を思い切り蹴り飛ばし――――その瞬間、俺は物理法則を超えた。
「―――――ッッッ!?」
比喩でもなんでもなく、この瞬間、俺の身体はこの世界の物理法則を裏切っていた。大気が気圧の塊となって行く手を阻もうとするが、俺はそれをぶち破って壊れたマシンのように疾駆する。
(なんなんだよ、これは……!?)
強烈なGが全身を叩きつけてくるが、加速は弱まることを知らない。それは疾走という名の暴虐だった。遥か後方で化け物どもの唸り声が聴こえたが、何を言っているかなんて聞き取れなかった。
周囲の光景が引き伸ばされ、俺の動体視力ではただの横線の群れにしか映らなくなってきた。急激に増加していくGの圧迫で眼球が押し潰され視界がブラックアウトとレッドアウトを繰り返す。もう何も見えないし、聞こえない。息もできない。踏みしめる足底の感触のみが感覚の全てとなった。


不意に何かに足をとられて転倒する。目が見えない俺が体勢を整えることなどできるはずもなく、当然のように俺の身体はコマのように猛烈にスピンしながら放物線を描いて虚空を舞った。数秒の滞空時間を経て背中から地面に激突し、二、三回、跳ねてどこかの建物にぶつかってやっと動きが止まる。
巨大な鉄球の一撃のような鈍重な衝撃に全身を余すところなく打ち据えられて、もはや痛覚さえ麻痺していた。ただ身体が痺れて動かない。指一本たりともまともに動かせない。痺れる眼球だけがなんとか自分の意思で動かすことができた。
明滅する視界で辺りを見回し、そこが自分の家の近くだということがわかる。この位置関係からして、背中を接している建物は教会だろう。

義足を見てみると、水色の炎はとっくに燃え尽きて普通の義足に戻っていた。あれだけの衝撃を受けたのに、傷一つついていない。

「Mein Gott. Störe mich nicht bitte.
(やれやれ。手間をかけさせないでくれるかな?)」

今もっとも聴きたくなかった声。ずるずると化け物どもが重い体を引きずる音も聴こえる。逃げなければと脳が体に指令を送るが、体はぴくりとも反応しない。
「Es ist nur dein Schatz, mich zu wollen.―――Aber du siehst auch köstlich aus. Hege keinen Groll gegen mich bitte. Hege bitte einen Groll gegen deinen Vater. Ein Junge.
(私がほしいのは、君のその素晴らしい性能を持った宝具だけ――――と、言いたいところだが、君はかなりの存在の力を持っている特異な人間のようだ。悪いけど、食べさせてもらうよ。恨むなら父上を恨むんだね、少年)」
こいつの言っていることがどれ一つとして理解できなかった。父さんとこいつがどんな関係だったのかもわからないままだ。水色の炎を纏った義足のこともさっぱりわからない。俺は、何もわからないまま、こんな理不尽な化け物どもに殺されるのか?

化け物の群れから、車ほどはある巨大なナメクジのような化け物が一匹、あんぐりとでかい口を開けてゆっくりと迫る。胴もなければ四肢もない。あるのは口だけだ。その口にも、歯茎はなく、舌もなく、喉すらない。そこには口腔内を埋め尽くしてギチギチと煽動する鮫のような牙だけが無数にある。これに食われたら、生きながらにミキサーにかけられてグチャグチャに殺されてしまうだろう。
「Damned, Verdammt…….!
(チクショウ、ふざけんじゃねえぞ……!)」
飛びそうな意識を悪態をついて必死に繋ぎとめ、持ち前の精神力を総動員して強引に身体を引き起こす。それを見て化け物の親玉がほうと感嘆のため息を吐く。
「Deine geistige Stärke ist höher als Vater. Du würdest bestimmt in der Zukunft, als du “Flamme Dunst” wurdest, ein ausgezeichneter Soldat. Es ist bedauerlich, daß die talentierte Person, die ausgezeichnet ist, auch wenn es war, wird ein Feind verloren.
(ふむ。精神力は父上を上回るようだね。フレイムヘイズにでもなったなら、君はよほど優秀な戦士となっただろう。たとえ敵勢力であろうとも、貴重な人材が失われることは惜しいよ)」
芝居がかった大仰な仕草でさも残念がってはいるが、内心は正反対のことを考えていることがよくわかった。
鼻先まで迫った化け物が、目の前の絶好の餌に興奮して吐息を吐いて激しく身悶えする。下水道の臭いを千倍に凝縮したような吐き気を催す汚臭に嗅覚が一瞬で麻痺する。思わず口を押さえて嘔吐を防いだ目の前で、牙が擦れあってギチギチと軋みをあげる。その牙にどす黒く変色した血痕が数え切れないほどこびり付いているのを見て戦慄する。いったい何十人、いや何百人の人間がこいつの餌食になったのか…。
「Du mußt nicht essen, um zu schätzen. Harihara.
(こらこら。宝具まで食べてしまうんじゃないぞ、ハリハラ?)」
微笑を浮かべてステッキでこつんと化け物の尻尾を小突く様子は、まるで愛犬を躾けているかのようだ。

宝具、存在の力、フレイムヘイズ、父さん、義足――――
自分が殺される理由すらわからないまま死ぬなんて、冗談じゃない。なんとしてでもこの窮地を脱出しなければならない。なのに、身体は今にも崩れ落ちそうな状態だ。精神力も限界に達して、今にも意識が消えそうだ。
ハリハラと呼ばれた化け物が俺を噛み砕こうとより一層顎門を開けた。嬉々として迫り来る化け物の裁断機が俺の身体を包む。
自分を取り巻く謎を聞かされながら、それをろくに理解もできないままに醜い化け物に押し潰される。こんなの、あまりにも理不尽じゃないか―――!
ついに恐怖が沸点に達し、喉の奥から悲鳴が漏れ出る。


その絶望の叫びが、絶望の沈黙に取って代わろうとする瞬間――――


轟音が耳朶に響いた。頭の真横から、教会の壁を突き破って“それ”が姿を現す。
轟然と回転駆動する銀色のそれは、ハリハラの牙を残らず破砕して口腔に破壊の猛威を叩き込む。巨体に食い込んだそれは内臓を引っ掻き回し、グロテスクな中身をあたりに撒き散らした。

俺が狂ってないのだとしたら―――それは、紛れもなく“ドリル”だった。
ハリハラがドリルをその身に突き刺したまま断末魔の悲鳴を上げて息絶える。それと同時に、亀裂から光を明滅させる教会の壁が内側から爆砕した。

顔の前で腕を交差させて襲い来る石礫を防ぎ、教会から現われたソレを凝視する。

「―――Ein Engel?
(―――天、使?)」

純白の長髪が後光のような強烈な炎を放ち、白銀の戦装束が美しく輝く。全てを塗り潰す白い光に彩られた少女は、昨夜にこの教会の屋根で見た幻覚そのものだった。
だが、腕を組んで威風堂々と仁王立ちをしている様子は“天使”というより“戦士”だった。
俺を視界に入れた少女の純白の瞳に怒りの炎が宿る。仁王像のような絶対的な怒りを孕んだ瞳。それは俺に向けられたものではなく、俺を殺そうとした“敵”に対しての怒りだった。囂々と発せられる怒気に、チリチリと肌が焦げるような痛みすら感じる。

俺より遥かに小さい矮躯の少女が、圧倒的な“鬼迫”を放って化け物どもと対峙する。


その瞬間、俺は直感した。

“外れた”、と。

もう日常には戻れない。ここから、今までとは絶望的なまでに乖離した“日常”が始まる――――



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