世の空を人知れず彷徨う、『仮装舞踏会(パル・マスケ)』の本拠地たる移動要塞『星黎殿』。
その中心部、静謐に満ちた厳かな回廊を、ガチャガチャと騒々しい足音を立てながら一体の燐子が駆けていた。目的の部屋に着くと、助走の勢いもそのままに扉を激しく開け放つ。
「きょ、きょ、教授―――――!!!!」
「ドォ――――ミノォ―――!!ドアを開ける前にはノォオ――――ックをしなさァ――――い!!研究の邪魔に―――」
蝶番をはじき飛ばして現れた己の『我学の結晶』ドミノに奇妙に間延びした怒声を叩きつけたのは、ひょろ長いメガネの“教授”―――紅世の王、『探耽求究』ダンタリオンだ。慌てふためきながら駆け寄るドミノの頬をいつもの如く抓ろうと腕をマジックハンドに変化させ、
「ぼ、ぼ、『暴君Ⅰ』の反応がもう一つ増えました!!」
その台詞に、動きを強制的に停止させられた。引き攣った笑みを浮かべたまま、ドミノを押しのけて彼の背後のコンソールに抱きつく。古いのか新しいのかわからないその装置をガチャガチャといじり回すと、小さな電子音を立ててブラウン管にレーダーのような画像が浮かんだ。
その中心部には、以前変りない『暴君Ⅰ』の反応があった。ただし、寄り添うように二つに増えて。
石像のようにピタリと静止したダンタリオンの脳内で激しい疑問と応答の螺旋が捻れ狂うが、解答への道には至らない。
アレは“盟主”が千年単位で構築した唯一無二の自在式によって創られた、この世に一つしかないものだ。複雑精緻極まる『大命詩篇』の複製など、自分にも『屍拾い』にも出来ない。断じて不可能だ。ありえない。
「こぉ―――れはいったい―――?」
「“いと暗きにある我らが盟主”より、おじさまに言付けがございます」
「わぁっ!?大御巫様いつの間に!?」
出し抜けに己の傍らで発せられた少女の細い声にドミノが大袈裟に飛び上がる。それを無視して、ダンタリオンは“盟主”との交信を許されたただ一人の少女―――紅世の王『頂の座』ヘカテーを肩越しに見る。
「……盟主は―――なぁ―――んと言っていぃ―――ましたかぁ?」
彼にしては珍しいトーンの抑えられた声に、ヘカテーは粛然と己の神の言葉を応える。
「静観せよ、と」
………
……
…
「……ふっ、ふふふふふふふドォ――――ミノォ―――!!」
「は、はひひ!?ひょうぎゅにゃにひゅりゅんでひゅか!?(教授なにをするんですか!?)」
何が起こっているのかまったく理解の追いついていない己の燐子の鉄の両頬をマジックハンドでギリギリと抓りあげ、天才であり天災でもある紅世の王が絶叫する。その声は新たな興味の対象が増えたことへの喜悦がこれ以上ないほどに満ち溢れていた。
「こぉれからおぉ―――もしろくなりそうですね――――!!!」
「ひひゃいでひゅひょうぎゅうううう!!(痛いです教授ぅうう!!)」
嬉々としてじゃれ合う紅世の王と燐子を視界の隅に入れながら、ヘカテーはブラウン管に表示された二つの反応を静かに見つめる。
「……」
一瞬、その瞳に苦しげな感情が宿ったが、誰にも―――本人にすら悟られることはなかった。その感情の意味を知るのは、しばらく先のことになるだろう。
『白銀の討ち手【改】 完』